「ほほう、天城颯馬、か。下民にしては、大層な名じゃの」
そう言って、畏まる俺に向け、気だるげな視線を向ける女性。
華美な衣装に、派手な装身具が、不思議と良く似合う人だった。つまり、日ごろからそれらの物を身に着けることの出来る身分の人である、ということであろう。
年の頃は二〇代後半くらいだろうか。だが、濃い化粧のせいで、そのあたりは判然とせず、もっと若いようにも見えるし、あるいは三〇を越えている言われても、納得してしまうかもしれない。
この女性、容姿を見れば秀麗と言ってもよいのだが、どこか頽廃とした雰囲気を感じさせるのは、酒に毒され、諸事の動作ににじみ出る物憂げな様子のせいであったろう。
眼を啓き、正装すれば、辺りを払う気品さえ感じさせると思われるのだが、惜しいことだ。向こうにしてみれば、余計なお世話以外の何物でもないだろうが。
この人物、名を長尾晴景という。
越後守護代――すなわち、名のみの存在となった越後守護に優る、この国の支配者である。
もっとも、その施政は、外見から推して知るべし。
自身を飾り立てるのみならず、その配下や居城にも際限なく金銀を注ぎ込み、それをもって自身の権勢を誇る為人(ひととなり)である。
越後は領内に、佐渡の金山や、豊穣の越後平野を抱えており、また長尾家は、晴景の父、長尾為景の代には隣国の越中にまで領土を持つほどの大家でもあった。
そのため、春日山の府庫に蓄えられた財貨はかなりの量にのぼる。だが、それは決して無限の富ではありえない。浪費するだけで、見返りのない投資を続ければ、やがて底が見えてくるのは自明のことであったろう。
そこで浪費を改めれば、まだ取り返しはついたかもしれないが、晴景はなおも益のない浪費を続けていく。いまや、長尾家の領民は、晴景の過度な浪費癖を補うための過酷な収奪に喘ぎ、その怨嗟の声は、膝元である春日山の城下にまで満ちつつあった。
そんな晴景であるが、父、為景の後を継いだ当初は、決して評判は悪くなかった。有能ではあったが、苛烈な気性で恐れられた為景と違い、晴景は国人衆にも礼儀を失わず、人心に留意し、父とは異なる、人望によって成り立つ守護代の道を歩くかに見えたのである。
だが、武を尊ぶ長尾家にあって、温和さは軟弱さととらえられ、穏健な判断は優柔不断なものと断じられるようになっていく。晴景が女性であることへの、偏見や侮蔑も、そこには少なからず混ざっていたのであろう。
いつか、守護代である長尾家の統制力は、越後国内で減少の一途をたどるようになり、それは更なる事態を呼ぶ。
為景時代からの家臣であり、晴景の側近といわれていた黒滝城主、黒田秀忠の謀反である。
当初、黒田氏の謀反は早期に決着がつくものと思われていた。衰えたりとはいえ、長尾家は越後守護代として、越後全土に影響力を有している。
一方の黒田氏は、たかだか一城の主であるに過ぎぬ。その手勢も限られており、討伐に赴いた長尾軍の勝利は確実と思われていたのだが――結果を言えば、討伐に赴いた長尾軍は大敗を喫してしまう。
この戦いにおいて、知略に優れる黒田秀忠はいくつもの策を施しており、それは間違いなく戦を有利に傾けたが、実のところ、その細工がなくとも、長尾軍は敗退していたであろう。その理由は、ただ一人の敵将に求められる。
柿崎和泉守景家。
越後随一の豪傑と謳われ、また文にも明るいと評判のこの猛将の突撃の前に、長尾軍は緒戦から散々に蹴散らされてしまったのである。
とはいえ、緒戦は、所詮、緒戦に過ぎない。腰をすえて反撃をすれば、挽回の余地は残っていたであろう。だが、この時代、守護、ないし守護代といえど、絶対の君主ではない。各地の豪族の、いうなれば旗頭として相対的に頂点に立っているのであり、指揮権は統一されていない。
そこをいかに束ねるか。それこそ、軍総帥の器量の見せ所といえるのだが、生憎、晴景にその力量はなく、また諸将もそんな晴景のことを知っているため、柿崎勢に蹴散らされるや、各隊が各々、勝手に判断し、行動し、長尾軍は四分五裂の状態に陥ってしまった。
この好機を見逃す黒田勢ではなく、本隊を動かして長尾軍に痛撃を与え、これにより長尾軍の敗北が確定する。
城に逃げ帰った晴景は、堅城と名高い春日山城に篭り、報復の軍を起こそうともしない。
この晴景の醜態を目の当たりにした国人の心は、以前にもまして春日山を離れてしまい、黒田氏に誼を通じる者は後をたたない有様であった。
だが、その状況を知りながら、そこから目を逸らすように、なおも無益な蕩尽を続ける晴景。
春日山の命運は、もはや尽きたと、国人のみならず、直属の家臣たちでさえ、そう思い始めた時である。
一つの知らせが、春日山に。そして越後全土に轟きわたった。
――黒滝城、陥落。城主、黒田秀忠、自刃。
それは、誰もが予期せぬ知らせであった。
それはそうだろう。守護代の軍勢を撃破し、意気軒昂たる黒田勢が、ほとんど一瞬にして敗亡するなど、誰が考えようか。
あまりの驚愕に言葉を失った越後の武者たちは、ようやく言葉を回復すると、皆、異口同音に、城を陥とした将の名前を訊ね――そして、一つの名前を脳裏に刻み込むことになる。
越後栃尾城主、長尾景虎の名を。
◆◆
「なるほど、そんな状況なんですか」
俺はそういって、下男の一人に礼を言った。
長尾景虎という名を口にしたその下男の顔には、隠しきれない敬慕の色が浮かんでいる。
今や、景虎様は、衰退著しい春日山長尾家にとって、希望そのものとなっているようだった。謀反を起こした宿敵を、鮮やかに制してのけた手腕は水際立ったものであり、彼らの期待は至極、当然のものであるといえる。
たとえそれが、若干二〇歳に満たない乙女であるとしても。いや、乙女であるから、なお更に。
長尾景虎の声望は、いまや越後国内を覆わんとしている状況であった。
だが、無論、この現状を面白く思わない者もいる。
その筆頭が、実の姉である晴景様であるというのが、何とも皮肉な現実だった。
晴景様自身が、有利な状況から一転、完膚なきまでに叩き潰された相手に対して、妹である景虎様が、いとも簡単に勝利したとあっては、姉としても、守護代としても、面目丸つぶれである。その現実を許容できるだけの度量を、残念ながら晴景様は持ってはいなかった。
「このままだと、姉妹対決になりかねない、か」
俺は郷土の歴史にさほど精通しているわけではないが、それでも晴景様と景虎様が家督をめぐって争ったということは知っている。このままだと、それはこの世界でも繰り返されることになりそうだった。
そのことは、正直、どうでも良い。もっと正確に言えば、どうでも良かった――つい先日までは。
あの日。
荒くれ者たちに暴行を受けていた俺を助けてくれ、更には城で手当てまでしてくれたのは、晴景様であった。まあ、本人曰く「気紛れじゃ」とのことだが、たとえそうであったとしても、命を救われた事実にいささかのかわりもない。
しかも、晴景様は俺に仕事と、住む場所さえ提供してくれた。たとえ怪我が治ったとしても、あのままの状況が続けば、遠からず命を失っていたに違いなく、二重の意味で、晴景様は俺の命の恩人であると言える。
今の俺は、春日山に居を置く、晴景様の御伽衆(相談役)の一人である。大きな声ではいえないが、暗君と名高い晴景様が、どうしてここまでの大盤振る舞いをしたのやら、正直、俺にはさっぱりわからんかった。
あるいは、ひそかにこういったことをして、人材を集めていたりするのだろうか、と思って周囲の人に聞いてみたが、そんなことは未だかつてなかったという。
「わからん」
俺は首をひねるしかなかった。
とはいえ、肥溜めの近くで寝泊りしていたことを考えれば、今の環境は天国に等しい。それを与えてくれた晴景様には、どれだけ感謝してもしきれない。
俺は、さほど義理堅い性格ではないが、しかし、命を救ってもらった恩を、仇で返すほどに薄情な人間ではないつもりだから、何とかして妹君である景虎様との衝突を回避しようと務めた。
御伽衆は、いわば相談役であるが、当然ながら、俺のような新参の、それも農民出(ということにしている)が国政に携わる枢機に参画できる筈もない。せいぜい、晴景様の無聊を慰める話をするくらいである。
それも、別に毎日呼ばれるわけではない。御伽衆は俺のほかにもたくさんいたし、その中には軍略や政治を説く者たちもいて、俺などは下っ端の、そのまた下っ端程度の認識をされているに違いない。
それでも、呼ばれた時は、一ヶ月近くに及んだ逃走劇を面白おかしく話して聞かせる一方で、出来る限りのことをした。
晴景様の行状を改めてもらおうと、頭を捻って風諌(直諌などしようものなら、下手すると俺の首が飛んでしまいそうなので)の辞を呈し、また、景虎様との関係を良くすることが、春日山長尾家の安泰の道であるとも説いた。
そもそも、景虎様が黒滝城を陥としたのは、まぎれもなく姉である晴景様の為であり、その功績を嫉んで敵にまわしてしまうより、晴景様手ずから景虎様を褒め、今後の奮闘を期待すると伝え、姉妹で手をとりあって事に当たった方が良いに決まっている。
そうすれば、情に厚く、義を尊ぶと噂の景虎様のこと、喜んで姉君のために刀を振るってくれるだろう。
そもそも、守護代たる身に、武将としての力量は不可欠なものではない。無論、あるにこしたことはないが、戦は景虎様に任せ、その成果を政治に活かすよう努めることも一つの見識であろう。そうすれば、自然、晴景様の権威は増していくだろうし、越後国内の統一は、ほどなく果たされるのではないか。
そのように晴景様に説いたのは、俺一人ではない。
それどころか、心ある家臣たちのほとんどは、連日のように晴景様に、そのように進言していたのである。
だが、晴景様は、その進言を取り上げようとはしなかった。それどころか、進言がされるたびに、眉間に皺を寄せ、不快さをあらわにするようになり、遂にはそれを口にしようとした者の顔に酒盃を投げつけることまでしたのである。
――ちなみに、投げつけられたのは、俺なわけだが。額がぱっくりと割れて、洒落にならないくらい、血が出てきて焦りましたよ、ええ。
城の御典医さんに治療してもらい、事なきを得たので、やれやれと胸をなでおろし――翌日、また同じことを口にしたら、晴景様は唖然とした様子であった。
「普通、そこまでやられれば、口を噤もうとするものじゃろうに……」
とは、半ば呆れた様子の、晴景様の台詞である。
晴景様は、決して暴虐の性質ではなく、俺の意見に対しても、この一件以降、申し訳なさも手伝ったのか、多少は耳を傾けてくれるようになった。
とはいえ、晴景様の行状が急速に改まることはなく、家臣や国人たちの心は、それまでと変わらず、春日山を離れ、栃尾に寄せられていく。
その現状が、またいっそう、晴景様の守護代たるの自尊心を刺激して止まず、晴景様の勘気は、城内、城外、あるいは家臣や領民、国人を問わず、いたるところで爆発し、人心はますます晴景様から離れ……負の連鎖は、もはやとどめようがないように思われた。
そして、俺が春日山に来てから一月あまり。決定的事件が起きてしまう。
黒滝城陥落後、長尾家の配下に戻った柿崎景家が、春日山長尾家の当主である晴景の器量不足に愛想を尽かし、栃尾城主長尾景虎の配下につくことを宣言したのである。
この挙によって、それまで水面下で行われていた諸勢力の動きが、一気に越後各地で表面化する。
それまで、景虎様の人望がいかに厚かろうと、栃尾が、春日山に従う臣下の立場であることは間違いない事実であった。景虎様も、晴景様の妹である以前に、家臣として忠節を尽くさねばならない立場だった。
だが、柿崎の宣言は、景虎様が晴景様の臣下の立場にはなく、家督を争いえる対等の立場であるとの認識を生み、その認識は瞬く間に越後全土に広がっていく。
景虎様自身がそう宣言したわけではないにも関わらず、柿崎の宣言は、栃尾城が独立を宣言したに等しい効果を生んだのである。
当然、その報を聞いた晴景様は激怒した。傍にいた俺の背筋が、思わず震えるほどの深甚とした怒りの表情を浮かべた晴景様は、ただちに栃尾城に使者を出し、景虎様を詰問するために呼びつけようとする。
だが、柿崎の動きは、春日山側の予測をはるかに越えるものであった。
自身の宣言が、十分に越後国内に浸透したと判断した柿崎は、正式に栃尾城に臣従を告げる使者を出すと、その使者が戻らぬうちに、居城である柿崎城から春日山に向けて、軍を発したのである。
おそらく、使者が戻ってからでは、景虎様から何らかの掣肘がくわえられることを予期していたのだろう。あるいは、すでに秘密裏に双方の城の間で使者が往復していたのかもしれない。
柿崎の離反、栃尾臣従、そして春日山への進軍。
間をおかずに打ち続く凶報は、ただでさえ揺れ動いていた春日山長尾家の人心を崩すには、充分すぎるものであったようだ。
それまで、落ち目であると知りながらも、春日山に従っていた者たちの多くが、晴景様を見限った。
攻め寄せるのは、猛将柿崎景家。そして、間違いなく、栃尾城の長尾景虎も出てくるだろうと思われたからである。
いずれか片方だけでも手に負えないというのに、この両者が攻め寄せて来るとなれば、命大事、御家大事の者たちが逃げ出すのは、むしろ当然のことであったろう。
迫り来る柿崎勢に対抗するため、晴景様は越後各地の国人衆に動員を命じたが、ただちに春日山に参上しようとする者は一人としていなかった。
ほとんどの者たちが領内の防備などを理由に参戦を拒否し、中には使者を捕らえて栃尾城に突き出す者さえ存在した。それも、少なからず。
もはや、守護代の権威など、笑い話の種にしかなりえない状況となっていたのである。
結局、春日山がかき集めた兵力はわずか五百。それも、小者や下男まで含めた上でのことである。
名のある将は一人としておらず、総指揮を委ねるべき者を探すことさえ至難であった。
晴景様自らが出るしかないと思われたが、先の戦いで柿崎勢の勇猛に蹴散らされた記憶が生々しい晴景様は、自ら出陣しようとはせず、御前で開かれた軍議(と称しえるものならば)は、初手からつまずくことになった。
◆◆
「えーいッ! 柿崎はおらずとも、斎藤はどうした。本庄、色部、北条らは何故来んのじゃッ! 守護代たる身を軽んじおって、戦が終わりし後は、ただではおかぬぞッ!」
晴景の怒声が軍議の間に響き渡ると、皆、平伏して一言も発することが出来なかった。
だが、それも仕方のないことだろう。この場にいる武士は、中堅以下の身分の者たちばかり。常であれば、軍議に参加できるような身分ではないのである。
だが、越後国内で名を知られた武将の多くが静観ないし敵方へ回ってしまった為、晴景はやむをえず、現在、城にいる武士たちの中で、位が上の者をかき集めたのである。
そこまでなりふりかまわずに軍議を開いた晴景だが、その場に集った者たちを見て、さすがに寂寥を感じざるを得なかった。はっきり言って、ほとんど見覚えがない顔ばかりなのだ。つい先年までは、晴景と顔を合わせることさえ出来ない程度の武士たちしか、今の春日山には残っていないという事実の、それは厳然たる証左であった。
「――まあ、良い。だれぞ、意見はないのか。愚かしくも守護代たる妾に逆らい、攻め寄せてくる謀反人どもを血祭りにあげるのじゃ。今、手柄を立てれば、地位も恩賞も望みのままよ。名を上げ、家名を高めるまたとない好機じゃぞ」
晴景は武士たちの功名心を鼓舞しようと試みるが、誰も意見を出そうとはしなかった。隣の者と視線をあわせ、力なく視線を落とす者たちばかりである。
攻め寄せる柿崎の先手は三百。数の上では春日山が上回るが、兵の質を見れば、違いは歴然としている。
数々の戦で、負けを知らぬ柿崎の黒備え。先の戦でも、数にして五倍を越える長尾軍を蹴散らした、勇猛なること無比との評価を持つ歴戦の騎馬隊なのである。
その柿崎の精鋭を相手にするのは、小者たちに武器を持たせて、ようやくつくりあげた五百の軍。文字通りの烏合の衆で、越後最強の部隊に、どのように手向かえるというのか。
武士たちが言葉が出ないのは、ある意味で彼らが最低限の現状認識が出来るだけの力量を有することの証明でもあったろう。勝ち目などない、と彼らはわかっていたのである。そして、それでもなお、春日山に居残ったということに、彼らの守護代への忠節が感じられる筈であった。
しかし、晴景はそこまで察することが出来ない。
こんな時でも、丁寧に施された化粧で、晴景の顔はあでやかに彩られていたが、それは苛立たしげに唇を噛む晴景の表情を隠しおおせることまでは出来ないようであった。
不甲斐ない配下への憤りと、迫る破滅への足音に心身を両側から圧迫され、晴景は苦しげに息を吐く。
自身で出陣は出来ぬ。配下に任せることも出来ぬ。妹に降伏することなど、なお出来ぬ。
追い詰められた心が悲鳴を上げ、晴景はその音に耐えかね、再度、配下に向けて叱声を放とうとしたのだが。
ふと。
この場にあって、諦観もなく。動揺もせず。泰然と座る者の姿が、その眼に映し出された。
その者の額に生々しく残る傷跡が、晴景に、その名を思い起こさせる。
――天城、颯馬。
知らず、晴景はその名を口にしていた。