「――まさか、黄泉川の家に世話になるとはな」
「何言ってんだか。子供が大人の世話になるのは当然じゃんよ」
そう言いながらも、赤坂悠樹はソファを独占して寝っ転がり、我が家のように寛いでいた。
「うわぁ~、凄く広い!」
白いゴスロリ服を着こなす第九複写は歳相応にはしゃぎ回る。四人家族が暮らすような立派な4LDKは薄給の公務員の家とは思えないレベルの部屋だった。
赤坂悠樹と第九複写が黄泉川愛穂の家に居候するに至った理由は単純に二つある。
一つは赤坂悠樹の住居が先の事件でほぼ全壊した事――元々二度と戻る気が無かったので、再起不能になるぐらいブービートラップを仕掛けたので仕方無いと言える。
もう一つは今の赤坂悠樹の現状を憂い、黄泉川愛穂が保護者として名乗り出たのが主な原因だった。
当初、悠樹はその提案に拒絶気味だったが、そう遠くない自分の死後、第九複写を任せられる大人は彼が知る限り彼女ぐらいしかいないので、考え直せば悪くない条件だった。
「義手の調子はどうだ?」
「違和感しか無いが、日常生活には支障無いよ」
赤坂悠樹は黒い素材で作られた右腕の義手を握ったり開いたりしながら、退屈そうに眺める。
腕部のカービングスキー状のペラペラの板は肘の部分と一体化しており、電気的な刺激で曲げたり捻ったりする事が可能な素材であり、右腕の欠損をほぼ完全に補う性能となっていた。
(学園都市脅威の科学力と驚けば良いのか、これを数日足らずで用意した冥土返しの手腕に慄けばいいのやら)
特殊なコーティングをすれば、人体と何一つ変わらないレベルまで隠蔽出来るが、普段のメンテナンスが著しく面倒になるので、そのままとなっている。
日常では問題にならないが、戦闘になれば幾つもの問題が浮上する。相手が電気系統の能力者なら腕の制御を奪われる事など日常茶飯事だろうし――其処まで考えて、この義手を戦闘に使う予定は無いか、と悠樹は思考を打ち捨てた。
「さて、と」
悠樹は気怠げに起き上がり、ソファに掛けてあった長点上機学園指定のブレザーを拾い上げる。
左腕部分は腕を通さずに羽織り、義手部分の右腕は袖を通す。あとはポケットに手を突っ込んでしまえば義手である事は気づかれまい。
最新鋭の科学技術よりも時として単純な動作の方が優っている事もあるという事だ。
(……長点上機学園、か。今は夏休み中だから問題無いが、終わる前に無期限休学を申請しておくか)
明確な目的が定まった今、学校になんぞ費やす時間は一秒足りても無い。後で風紀委員の後輩に必要な書類を揃えさせようと悠樹は決意する。……自分で面倒な作業をする気は欠片も無かった。
「何処行くじゃんよ?」
「警邏さ、これでもオレは風紀委員だぜ?」
風紀委員の腕章を右腕に取り付けながら、悠樹は出かける準備を整える。
特に必要無い事だが、身体が若干鈍っているので手頃に動かす事は大事である。
「あ、私も行く! 付いて行く!」
「遊びじゃ無いんだがな、まぁいいか」
一人で出歩かせるよりは、自分の監視の目があった方が百倍マシだろうと悠樹は判断する。
それに少女一人守れずして風紀委員(ジャッジメント)も超能力者(レベル5)も名乗れないだろう。
「二人とも気を付けるじゃんよ、あと食事の時間守れよー?」
「はぁ~い! いってきまーす!」
悠樹はジト目で「お前は母親か何かか」と内心突っ込みを入れながら溜息を吐く。
――そういえば、こうして誰かに見送られるのは一体いつ以来か、柄にもなく考えてしまった。
「うわぁ、改めて見ると新鮮だねぇ!」
「余りはしゃぐなよ? こちとらまだ病み上がりだからな」
あの日は苛立つほど雨で、人目を避けて移動したからか、活気溢れる第七学区の街並みは第九複写にとって新鮮だったのだろう。
眩しいほどの日差しに目を細めながら、よくまぁ陽の目を浴びれたものだと自分自身の悪運を褒めてやりたい処だった。
――あの時、赤坂悠樹は確かに致命的な損傷を負った。
能力の使用限界を超え、停滞していた力場の制御を完全に手放したのだ。死んで当然の事態だった。
それを救ったのが白い修道服の少女、あのインデックスとかいう偽名を名乗った彼女だとは悠樹とて夢想だに出来なかった。
詳しい事は説明を受けた悠樹自身も解らないが、『魔術』という不可思議な手法で損傷を元通りにしたらしい。腕は欠損だったので元通りに出来なかったという話である。
思考の倍速で在り得ない超反応を可能とする代償に、致命的で破滅的な損傷を負った脳を後遺症無しまで完治させたのだ、それはもう『奇跡』か『魔法』としか表現のしようがない。
(……全くクソ面倒な話だが、いつか見つけ出して礼と借りを返さんとな)
何でもあれは『飯のお礼』だったらしいが、生命の借りは生命を賭けて返さなければなるまい。
あのインデックスとかいう少女が巻き込まれている事態は相当危険度の高いものだろうと安易に予測出来るが、残りの時間を消費してでも首を突っ込もうと思う。
相変わらず自身の矜持だけは度し難い。悠樹は内心舌打ちしながら決定事項として片付ける。
(――本題は、コイツの生存権の確保だ)
元気良く走り回る第九複写を眺めながら、苦難の道程になると深々と溜息を付く。
彼女の価値は赤坂悠樹の『首輪』であり、その赤坂悠樹が生きていなければ完全に無価値と化す。
故人の違法模造品という発覚すれば非常に危険な立場上、赤坂悠樹という存在が消えれば学園都市の暗部は何の迷いなく処分するだろう。
彼がなす事は二つ。第九複写を人質として赤坂悠樹を思い通りに動かそうとする勢力を徹底的に叩き潰しつつ、赤坂悠樹の死後も第九複写が生存出来るように環境を整える事である。
(全く、我ながら無理難題だ)
その為には自分の死後、第九複写の生存権を確保出来る人材を用意しておく必要がある。
保護者として黄泉川愛穂は理想的だが、学園都市の暗部と張り合うには彼女一人だけでは力不足なのだ。
(御坂と軍覇との関係も疎かに出来ないな)
されども、前者の御坂美琴には致命的な問題が一つある。
学園都市最強の超能力者、一方通行を絶対能力(レベル6)に進化させる狂気の計画に、彼女のクローンが二万人使われている事だ。
他の超能力者ならば何一つ問題無かったが、御坂美琴だけはその事実を無視出来ない。――遠からず、彼女は学園都市の最深部の『闇』に相対し、破滅する運命にある。
それを回避する為には――思考の裡から、悠樹は瞬時に現実へと意識を立ち戻す。はしゃぐ第九複写を後ろに退け、悠樹は眼下に立ち塞がった金髪の少年を睨みつけた。
「変われば変わるものだな。第八位の超能力者ともあろう者がガキの子守とは腑抜けたもんだ」
「心配するな、自覚はある」
其処にはかつて悠樹が打ち破った超能力者、第二位『未元物質』の垣根帝督が立っていた。
余り出遭いたくない人物だが、丁度良い機会だった。
「一方通行に関しては好きにしろ」
「ハッ。腕一本吹っ飛んだから敵わないってか?」
「いいや。あれに掛ける時間は一秒足りても存在しなくなった、それだけだ」
以前、勝利した時に叩きつけた条件を自ら破り捨て、悠樹は焚き付ける。
実際問題、今の赤坂悠樹と一方通行が戦闘すれば互角に渡り合えるだろう。時間の消費さえ気にしなければ、という前提があるが。
それで御坂美琴は救えても第九複写は救えないのでその選択肢は論外である。
第二位の垣根帝督が交戦して一方通行を倒してくれるならば『絶対能力進化(レベル6シフト)』を簡単に破綻させる事も可能だが、帝督の興味無さそうな顔を見る限り、悠樹の思い通りにはいかなかった。
「一方通行のクソ野郎なんざ知った事じゃねぇよ。テメェには借りがあったよな――」
「――なんだ。また地べたを這いずり回りたいのか」
まぁそういう結論になるよなぁ、と自嘲しながら悠樹は臨戦態勢に入る。
能力使用は出来るだけ控えたいが、生命が直結する場面において躊躇など必要無い要素である。
第九複写を守り、周囲の一般人に危害が及ばぬように戦場を操作しながら、垣根帝督を打倒する。
瞬時に実現不可能な勝利条件だと諦めた悠樹は逃走手段の方を探り――背後から切迫する危険な気配を察知し、首を瞬時に傾け、目映い破滅の光線を避ける。
「――!?」
見慣れた極光は垣根帝督に突き刺さり、その殺人的な攻撃を繰り出した張本人は悠樹の背後から覆い被さるように抱きついてきた。
「やっほー、元気そうだねぇあーかさかぁ」
「……つーかさ、挨拶代わりに『原子崩し(メルトダウナー)』を撃ち放つとかどういう了見? 宣戦布告? 奇襲による先制攻撃? あと、こんな暑い真夏日に引っ付くなぶち殺すぞ」
後ろから抱きつく彼女は麦野沈利、彼女も超能力者の一人であり、数日前に赤坂悠樹と幾度無く殺し合った仲だった。
彼女の方には前の怪我は無く、万全な状態で胸が彼の背中に引っ付くほどの零距離に居るが、悠樹は無理に振り払おうとしない。
確かにこの距離から『原子崩し』をお見舞いされては絶対に生き残れないが、都合が良いのは赤坂悠樹も同じだ。彼の超能力『時間暴走』は接触時に最も効力を発揮する。攻撃する気配や素振りが欠片でもあれば即座に返り討ちにする算段だった。
そんな殺伐とした思惑が駆け巡る中、第九複写は恨みを籠めた眼で麦野沈利を睨む。赤坂悠樹の右腕が義手になったのは、自分を庇って彼女の攻撃を防いだせいなのだから。
「そう睨むなって。別に取って食う気は……あるかも?」
「今すぐ離れてぇー!」
「――痛ってぇな。そしてムカついた。オレを無視して漫才とは良い度胸だ」
苛立ちを顕にしながら、『原子崩し』の直撃を受けて無傷の垣根帝督は麦野沈利を射殺んと睨む。
が、当の本人は赤坂悠樹に夢中で見向きもせず、「あ、まだ生きていたんだコイツ」と言わんばかりの尊大な態度でやっと視線を返した。
「ちょっと。コイツ殺すの私なんだから横から手出ししないでくれる? 双方合意で予約済みなのよね、私達」
悠樹はげんなりとした表情で「一体どう解釈すればそういう結論になるのか小一時間ほど問い詰めたい」と心底消沈する。
確かに死体は好き勝手にしていいと言ったが、殺されるのは御免だ。沈利を帝督に投げ捨ててその隙に逃走しようか、と悠樹は真面目に思案する。
「――邪魔だ、引っ込んでろ。女のテメェが出る幕じゃねぇんだよ」
「うわっ、今時男か女とか、そんなチンケな面子にこだわるなんて第二位様は器量の狭いねぇ。テメェこそお呼びじゃねぇんだ、すっ込んでろ」
垣根帝督と麦野沈利は赤坂悠樹と第九複写を無視して猛烈に盛り上がる。
悠樹は二人で勝手にやってろと吐き捨てたくなったが、事態は彼女の登場で更に混んがった。
「ちょっとアンタ達! 白昼堂々何やって、ななななっ!?」
彼女こそは学園都市が誇る第三位の超能力者、御坂美琴であり――何故かは解らないが、彼女は悠樹と抱きつく沈利を見て、顔を真っ赤にした。
「あらぁ、お子様の第三位には刺激が強すぎたかしら?」
「ななな、何引っ付いてんのよ! 病み上がりのアイツにいいい色仕掛けしてまでやろうってんの!?」
「お、お姉様落ち着いてっ!」
「そうよぉ、イク(逝く)処までヤろう(殺ろう)ってんの」
「ななな――!?」
白井黒子が必死にフォローするが、動揺し続ける御坂美琴は麦野沈利に良いようにからわれる。
幾らお嬢様学校出身でも異性関係に耐性が無さ過ぎる、と赤坂悠樹が思考を停止させた時、SAN値が削れて危険域に達した精神にトドメを刺すべく、原理不明の七色の煙を上げてあの男が満を持して現れた。
「話は聞かせて貰ったっ! これが噂に聞く修羅場、四つ巴バージョンなんだな! 一人の男として見損なったぞ悠樹イィィッ!」
何故か血の涙を流すその男は第七位の超能力者である削板軍覇であり、いつからこんなに超能力者との遭遇率が上昇したのか、悠樹は『樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)』に徹底的に演算して貰いたいとさえ思った。
「モテモテだね、オリジナル」
「……で、この状況を誰が収集付けるんだ? オレは嫌だぞ、面倒臭いし」
存在しない物質やら白く輝く光線やら電撃やら正体不明の現象が巻き起こる中、今日も学園都市は概ね平和であった。
他の超能力者から抜け出し、赤坂悠樹はオープンカフェで一息付こうとした時、懸念すべき裏関連の厄介事は自分からやってきた。
「――よぉ『卒業生』。店のお勧めだってさ。まぁ飲んでみれば?」
声の主は白いトレンチコートを頭に被った、イルカのビニール人形を隣の席に立て掛けた、年不相応に眼が濁っていた黒い少女だった。
年は十二歳程度だろうが、彼女の纏う殺伐とした雰囲気は悠樹にとっても慣れ親しんだものだった。
「……『卒業生』ねぇ。それならばテメェは差し詰め『在校生』って処か」
怯んで怯える第九複写を立ったまま庇いながら、赤坂悠樹は鼻で笑って嘲笑する。
彼女の言う『卒業生』とは暗部から完全に脱却している自分を指すのならば、彼の言う『在校生』は学園都市の暗部に良いように使われている哀れな連中である。
「無様だねぇ。そんな模造品を救い上げる為に腕一本失って、自分から『首輪』を嵌めるなんてよぉ。その甘さにゃ反吐が出るほど笑っちまうよ」
「自分の事を棚に置いて良くまぁほざけるものだ、ゴミ処理係の下っ端。それとさ、目上の者への言葉遣いを一から教えないといけないか?」
瞬間、少女から圧縮された空気の槍が掌から放たれる。
背後に第九複写、そして一般人がいる以上、躱すという選択肢が初めから無い赤坂悠樹は人一人簡単に殺傷出来る威力の攻撃を無防備のまま受け――両腕をポケットにしまった間々、微動だにしていないのに関わらず無傷だった。
――第八位『過剰速写(オーバークロッキー)』は応用性こそ桁外れに優れているが、防御性能は人並みの筈。それ故に第四位の『原子崩し』で右腕を失ったのだから。
「――窒素系の大能力者か。似たような感じの能力に出遭ったけど、相変わらず詰まらない能力だ。おまけに前回の能力者より遥かに劣る」
前に叩きのめした『暗闇の五月計画』の被験者を思い出しながら、悠樹は心底失望の意を籠めて侮辱する。
内心驚きながらも、黒い少女はギリッと歯軋り音を鳴らした。荒々しい戦意とドス黒い殺意は未だ衰えていなかった。
「ハッ、腐っても超能力者だよなァ。まァこの程度で殺せるなンざ欠片も思ってねェンだよ――!」
イルカのビニール人形が爆ぜる。中から飛び出たのは無数の腕であり、十数に及ぶそれは彼女の脇腹に次々と接続し、全ての手を赤坂悠樹に向け――彼にしてみれば余りにも遅い攻撃動作だった。
その間に赤坂悠樹がした事は両手をポケットに仕舞ったまま一歩距離を詰める事。それだけで黒い彼女は詰んだ。
「――っぇ!?」
何の予兆無く首に強烈な拘束感が生じ、彼女が操っていた窒素と全ての腕が悉く停止する。
黒い少女の身体が地面から浮く。彼女は触れたら最後の『時間暴走(オーバークロック)』によって、完全に掌握されていた。
「なるほど、掌から窒素を自在に生み出す類の能力者だったのか。それ故に手を増やして能力増強とは子供じみた幼稚な発想だな」
完全に舐め切った態度は油断でも慢心でも無く、完全なる余裕だった。
赤坂悠樹の両腕はポケットに仕舞われた間々であるが、黒い少女の首に食い込む五指は不可視ながらも彼の『右手』に他ならなかった。
「――三、本目……!?」
「その目は節穴か? 取り替えた方が良いんじゃないか? 三本目なら此処にあるだろうに」
右腕の義手をこれみよがしに見せびらかせながら「あー、動かし辛ぇな」と不満を漏らす。
――確かに赤坂悠樹の右腕は『原子崩し』によって木っ端微塵に吹き飛ばされた。だが、彼の『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』は欠損を認めず、現に彼の右腕の感覚は幻影肢として完全に残っていた。
「逆にさぁ、本体の手を切り落としたらどうだ? 予想以上にパワーアップできるかもよ?」
それが意味する処は、義手の右腕での直接触れる能力行使は出来ないが、不可視である幻肢の右手での直接行使が可能という事を意味する。
――右腕の欠損を代償に、彼の『時間暴走』は絶対に破壊されず、どんな能力者でも視認出来ない、幻の右手を手に入れたのだ。
「さて『卒業生』として『在校生』に言える事は一つだ。――いつまで肥溜めの底辺で塵虫のように這いつくばってんだ? 人体改造大好きなマゾヒストちゃんよぉ」
赤坂悠樹は身動き一つ出来ない黒い少女の脇腹にぶら下がる歪な手を握り――意図を察した彼女は瞬時に蒼褪め、悠樹はにやりと加虐的に嘲笑い、一本一本ぶちっと引き抜いていった。
「――、――ッッッ!?」
本人の意志で動かせるからには神経が通っている。接続した状態で引き抜かれる痛みは想像絶するものだろう。
結局の処、彼女は六本余りで気を失った。
「……生きてる?」
「ああ、一応な。裏の後始末は風紀委員の領分じゃねぇからな、帰るぞ」
余りに悲惨な状況に第九複写は心底同情した。
赤坂悠樹が女の子供を殺せない事は勝因にはなり得ない。学園都市の第四位と第三位さえ退けてしまったのだから――。
窓のないビル、其処は学園都市の頂点に君臨する『人間』アレイスター・クロウリーが巨大な円筒の器の中に逆さに浮く異界だった。
「――確かに奴に『首輪』は付けられたが、支払った代償は大きかったな」
「大した事はあるまい。欠員の補充など幾らでも効く」
金髪でサングラスを掛けた少年は吐き捨てるように呟き、逆さに浮かぶアレイスターはうっすらと笑った。
「肝心の飼い犬が壊れてしまっては意味が無いぞ? 今のあれは消えかけの蝋燭の炎だ、吹けば消し飛ぶ程度の」
今回の一件、第八位『時間暴走(オーバークロック)』が彼女の妹のクローンである第九複写を巡って起こった戦いは、何方の勝利とは呼べず、学園都市の暗部に夥しい犠牲を生み、唯一の戦果である彼も無視出来ぬ損傷を与えた。
「それこそ些細な問題だ」
――彼が壊れようが、壊れまいが、そもそもこの一件が何処に転がろうとも、アレイスターには何ら支障を齎さなかった。
彼にしてみれば暇を持て余す為に使い潰す玩具が一つ壊れかけた。それだけの話である。
――赤坂悠樹が超能力者(レベル5)に至れる可能性は、限り無く低かった。
素養格付(パラメータリスト)にしても、至れる可能性が那由他の彼方にある程度で、将来超能力者になるとは誰からも思われず、先行投資しようとする研究者も存在しなかった。
そんな彼が超能力者まで上り詰め、『第二候補(スペアプラン)』と先駆けてAIM拡散力場の数値設定を『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』に入力した。
那由他に転がる可能性すら掴み取って進化し続ける彼が一体何処まで至れるのか、そういう意味では赤坂悠樹は最大のイレギュラーだった。
――その予期せぬイレギュラーさえ、アレイスターは自分の計画に取り込んで修正する。
彼の計画に必要な『幻想殺し(イマジンブレイカー)』の成長は著しく遅れているが、彼を使えばベクトル制御装置にAIM拡散力場の数値設定する作業を大幅に短縮出来るだろう。
恐らく其処で完全に壊れるだろうが、万が一生存したのならば『ニ五〇年法』を用いて稼働限界を補強してやればいい。
「ならば一つだけ忠告してやる。あれは早めに殺しておけ。利用されたままで終わるような生易しい奴では無いぞ」
彼が告げると、タイミングを見計らったかのように空間移動能力者が現れ、ビルから出て行く。
誰も居なくなった部屋の中、逆さまに浮かぶ彼は口元を歪ませた。
「プランに縛られた現状ではイレギュラーこそ最大の娯楽だ。――あれが何処まで足掻けるか、私さえ興味深いさ」
波乱の一日が終わった帰り道、第九複写は赤坂悠樹にとある質問した。
「オリジナルはさ、どうして『風紀委員(ジャッジメント)』をやろうと思ったの?」
それは今まで幾度無く聞いた質問であり、嘘つきの彼は唯一度足りても本当の答えを言わなかった。
だが、それは今日までだ。もう自分さえ欺いていた過去から抜け出し、赤坂悠樹は漸く本当の自分と向き合える機会を得たのだから。
「――唯一人ぐらい居てもいいだろう? 不真面目で乱暴で絶対に正義の味方にはなれない奴でも、世の中の理不尽や不条理を木っ端微塵に粉砕して無理矢理ハッピーエンドにする奴が居てもさ」
第九複写は「そうかぁ」と納得し、彼らしいなぁと微笑む。
「それじゃ微力だけど私も手助けするよ。貴方の失った右腕を補えるくらい頑張る」
そんな少女の言葉に意表を突かれたのか、赤坂悠樹は眼を真ん丸にし、照れ隠ししながら乱雑に第九複写の頭を左手で撫でた。
言葉になど絶対にしてやらない。されども、万来の想いを心の中だけに吐露する。
――番たる半身を失い、傷だらけの片羽で飛べなかった孤高の鳥は、無垢な小鳥の手助けを受けて漸く空を飛べたのだった。