・八月一日(9)
赤坂悠樹はポケットから金属の球体を宙に放り投げる。二週間前、この川岸で対峙した時と同じように。
御坂美琴も二週間前と同じように『超電磁砲』で金属の球体を放たれる前に消し飛ばそうとし――最強の電撃使いである彼女に匹敵するほどの電磁場が発生し、目映い閃光の槍となって駆け抜けた。
「――!?」
呆然とする彼女の左脇を通り過ぎ、一瞬遅れて大能力者級の暴風を撒き散らす。
巻き起こった殺人的な旋風に煽られ、危うく吹き飛ばされそうになる。額からは止め処無く冷や汗が零れ落ちた。
(嘘っ!? 何でアイツが――!)
それは彼女の代名詞である『超電磁砲』だった。日頃、彼が繰り出す擬似的な紛い物では無く、学園都市では彼女しか撃ち出せない筈の、正真正銘の。
二週間前は使えなかったのに、否、使えないからこそ違う方式で撃ち出していたのに――疑問を解消する間も無く、赤坂悠樹は淡々と球体を宙に放り投げる。今度は二つもだった。
(まさか二連射、それとも――いや、一つは囮っ!)
一つはそのまま地面に落下し、もう一つは閃光となって翔ける。音速を超えて迫り来る脅威を、御坂美琴はコインを指で弾き、オリジナルの超電磁砲で迎撃する。
衝突と拮抗は一瞬、互いの超電磁砲は双方に猛烈な暴風を撒き散らして光と共に消える。
旋風によって二人の超能力者が行動不能に陥った数瞬、地面に落ちた本命の球体は物理的な力学に従わず、独自の法則をもって爆発的に飛翔し――『第九複写』を保護していた白井黒子の腹部に直撃した。
「黒子!?」
その本命の一撃は御坂美琴の超電磁砲ではなく、赤坂悠樹が多用する擬似超電磁砲であり、被弾した白井黒子は十数メートルばかり吹っ飛ぶ程度で済んだ。
遠目からは、意識を失っただけなのか、最悪の結末になったのかは定かではないが。
「寝惚けんなよ、御坂。オレの最終的な勝利条件は『第九複写』の殺害だ。その前提を簡単に覆す空間移動能力者の存在などいの一番で潰すのは当たり前だろ? 二週間前とは立ち位置が完全に逆だという事を自覚しろ、二重の意味でな」
「アンタ……!」
何方が格上で格下か、挑む者と挑まれる者が逆転していると赤坂悠樹は暗に言う。
だが、それだけで二重だとわざわざ言い回すだろうか? 白井黒子に手を出され、頭が沸騰寸前まで沸き上がっている美琴の思考が少しだけ冷静に戻る。
「――『特定の条件が揃わなければ他人の能力を模写出来ない』とは、二週間前の君自身の言葉だぞ? 余り失望させるなよ。第四位以下まで評価を落とす事になる」
小馬鹿にするように、何かを期待して美琴を試すように、赤坂悠樹は一向に仕掛けようとしない。
その意図を掴めずとも、美琴は自分が二週間前に吐いた言葉を今一度思い出す。
(……アイツが発電系の能力を使い出したのは、私と交戦して暫くしてから。規模は私の全力より遥かに下だけど、大能力の域では無かった。――そして、今回は私の同規模の超電磁砲を繰り出した)
赤坂悠樹の能力の一端に『相手の能力を模写する』という類のものがあるのは間違い無いだろう。
その特定の条件の一つに『相手に能力を使わせる必要がある』と、二週間前の美琴は確信を持って推測していた。
だが、今回は違う。使ってもいないのに本家本元に劣らぬ超電磁砲を二発も撃ち込まれた。
(私の読み違いだった? いや、違う。何か根本的な部分で食い違っている……!)
それに気付かずに交戦すれば、赤坂悠樹の謎に包まれた超能力を勘違いしたまま戦えば、御坂美琴は間違い無く敗北する。
今の赤坂悠樹は二週間前対峙した時と明らかに違う。第二位の垣根帝督と対峙したあの時のように、同じ超能力者である御坂美琴とすら隔絶した雰囲気を纏っている。
凄味か貫禄という風に表現するべきか、飲み込まれぬように気を張りながら、美琴は過去に交戦した状況を奥の細部まで回帰させる。
(何が違う? 二週間前と今で何が違う……! 立ち位置が逆? 特定の条件が揃わなければ他人の能力を模写出来ない? 一体何の繋がりが――相手に能力を使わせる必要がある、その条件を既に満たしているとすれば?)
一度使われた能力を好きなだけ使えるのならば、赤坂悠樹の戦い方は『幻想御手』で多才能力(マルチスキル)を使った木山春生のようになるだろう。
それ相応の縛りがあるからこそ、赤坂悠樹の多重能力と思われる部分は相手の能力をそのまま模写するだけに留まっている。
(同じ場所、同じ条件の筈なのに何で今回だけ発動の条件を満たして――同じ場所? 立ち位置が、逆?)
美琴の脳裏に二週間前の戦闘が一瞬で回想され、全ては一本線に重なった。
二週間前の戦闘で、御坂美琴が撃ち出した超電磁砲の数は二発。そして――二週間前、自分が立っていた場所に赤坂悠樹は陣取っていた。
(――あ、全部一致した! アイツが繰り出した発電系の能力は、全部私が撃った軌跡だ! 同規模じゃなくて、全くの同条件、模写じゃなく再現……!)
赤坂悠樹の能力は空間そのものに作用する類の能力、過去から起こった現象を再現させるもの――。
いつぞやのファミレスで奢ってもらった時、悠樹の携帯電話は新品にも関わらず時計が遅れていた事を思い出す。
今思えば、それこそが厳重に秘匿された超能力の一端、彼のAIM拡散力場だったのだろう。
――電撃が掠りもしなかったのは解らない程度で微妙に誘導されたのではなく、単純に一瞬遅くなっただけ。恐らく、バイクの時の体感時間が遅く感じたのも車が寸前で接触しなかったのもそうなのだろう。
――擬似的な超電磁砲も、数倍程度に加速されて撃ち出されただけ。空間移動の如く離脱も、急加速で説明出来る。黒子を不意打ちした一撃を見る限り、力場を停止させて留めるという物理法則に喧嘩を売った芸当も可能なのだろう。
思い当たる節は次々と浮かび上がるが、もう必要無い。彼、第八位である赤坂悠樹の能力の本質は――。
「――多重能力の皮を剥いだら、時間操作なんてね。そっちの方が馬鹿げているじゃない……!」
「――第八位の超能力は学園都市唯一の多重能力『過剰速写(オーバークロッキー)』ではなく、時間という概念を観測して操る超能力『時間暴走(オーバークロック』なんだよ。一文字違いなのに此処に至れたのは君が三人目だ」
その結論に至る時間は瞬き一回程度の時間だったが、やっと気づいたのかと馬鹿にするように赤坂悠樹は嘲笑う。
「……随分と余裕ね。自分からネタばらしするなんて」
「学園都市暗部の超豪華メンバー、その中には第四位もいたっけな、それを駆逐して残った疲労感だけではハンデとして不十分だろう?」
美琴の目からはいつも通りの挑発に見えたが、内情は違った。
――今の赤坂悠樹は普段の状態と比較して、総合的にニ割程度ほど性能が落ちている。
負傷そのものは車から脱出した際に擦り傷と打撲が数点ある程度だが、能力行使によって蓄積された疲労感が突き抜けていた。
一回の戦闘だけならば消耗は少ないのだが、それが連戦となると話が一変する。
「幻想御手事件から人に対しても遠距離操作が出来るようになったが、強能力以上の能力者まではどうにも上手くいかない。AIM拡散力場の影響が強いからか? オレ自身にもその法則性は掴めていない。まぁ、直接触れれば大能力者だろうが超能力者だろうが関係無く瞬殺だがな。その点は軍覇と垣根で証明出来ている」
使えば使うほど多種多様の負荷が蓄積されて悪循環に陥る『時間暴走』には持久性というものが欠片も無い。
第四位との戦闘から暫く時間が空き、停滞させた力場の処理は終わっていたが、能力行使による消耗は無視出来ない領域に達していた。
「――前々から言おうと思ってたんだけどさ、第二位の噛ませ犬倒したぐらいで私より強い気になってない? 物凄く不快なんだけど」
「おいおい、酷いな。あんな化け物を噛ませ犬扱いに出来るのは第一位ぐらいだろうに」
頭髪からバチバチと帯電させながら、美琴は怒りを込めて言い放ち、悠樹は呆れ顔で本音をぶち撒ける。
「麦野沈利が言ったように、超能力者の序列は能力研究の応用が生み出す利益が基準だ。オレが第八位なのはね、多重能力だと偽装して利益どころか多大な損害が生じたから、能力の原理が正体不明過ぎて応用が何一つ効かない第七位の削板軍覇より下にいるだけだ。序列の基準が単純な戦闘結果なら、今の処は第二位だろうな」
もしも能力を隠さなかったら、赤坂悠樹の『時間暴走』は第三位だったかもしれない。
それはそれで、アレイスターの進める壮大な計画に利用され、第一位と同じように散々な目に遭っただろうが。
「それは私を倒してから言えってんの!」
「能力面では総合的に君の方が上だ。それはオレも認める処だよ」
悠樹から飛び出た賞賛の言葉に「へ?」と美琴は虚を突かれる。
能力の応用範囲では第三位の『超電磁砲』も第八位の『時間暴走』も同じぐらい幅広い。差があるとすれば、生命に関わるリスクがあるか無いかの違いである。
「だが、其処に精神面が加わると君とオレの優劣は完全に覆る。――君は、優しすぎる」
何かを思い出すかのように目を瞑り、悠樹は怒りを込めて美琴の眼を射抜く。その眼差しはまるで二週間前の続きだった。
「――オレを止めるなら全力で、殺す気で来い。君と本気で戦う価値を見出せなかったら、オレは障害にすらなれない君を無視して目的を果たすだろうよ」
震え竦む『第九複写』を一瞥し、悠樹は両眼に殺意を燈して再び美琴を見据える。
この死闘の決着は、赤坂悠樹の死か『第九複写』の死、その二通りしかないと断言するかのように。
――同じ超能力者(レベル5)なのに、住む世界がまるで違う。そう痛感したのはこれで三度目だった。
一度目は幻想御手事件の前夜のファミレスで。あの時の話、能力使用に生命を賭けているという話は恐らく本当だったのだろう。
二度目は第二位の垣根帝督と対峙した時。今この場で噛ませ犬などと軽口を叩いたが、自分が超能力者になってから、一目見て純粋に怖いと思った人間は彼の他にいない。
そんな未知の脅威と対峙し――同じく笑った赤坂悠樹が、堪らなく怖かった。
殺し殺される事を許容する、まるでそれが普通であると、学園都市によって捩じ曲げられた超能力者の日常であると言わんばかりで、御坂美琴は認めたくなかった。
確かに超能力者は一人で軍隊と戦えるほど規格外の存在だ。彼等の戦術的価値は個人という領域を超え、計り知れない。
それでも、超能力者は完全無欠な殺人兵器ではなく、あくまでも人間なのだ。他の人と同じように傷つき、血も涙も流す、一人では生きていけない弱々しい人間なのだ。
――赤坂悠樹が価値観が狂った地獄のような非日常を日常とするのならば、それで構わない。一発ぶん殴って、無理矢理でも引き摺り上げるまでだ。
「――絶対に嫌。この娘はアンタが助けたんだから、最後まで責任取って貰うわよ」
どの道、赤坂悠樹と御坂美琴が戦闘すれば、彼女の電撃が直撃した時点で能力が制御不能となり、呆気無く自滅する。
停滞させていた力場次第で、赤坂悠樹は簡単に死ねるのだ。御坂美琴に殺す気が欠片も無くとも――。
(……同じ超能力者なのに、此処まで違う、か。環境の違いか、出会いの違いか、むしろ運が良かったと言うべきか)
その事実を喋る気など悠樹には無い。逆に、死んでも彼女に殺される訳にはいかなくなった。
日常という日溜まりにいながら、非日常という救いの無い深淵に無謀にも手を出すのならば、今此処で徹底的に折るべきだろう。
いずれ彼女は自身のクローンが利用された絶対能力進化計画に辿り着いてしまうだろう。
第三位の超能力をもってしても抗えない絶望の運命は、彼女を容赦無く奈落の底に突き落とす。
学園都市のくだらない計画で彼女を潰されるぐらいなら、二度と裏関連に関わろうと思わないぐらい精神的に叩き潰す事が彼女の為だろう。
「お喋りが過ぎたか。来い、先手は譲ってやる」
「黒子に不意打ちかましたヤツの台詞じゃないわよ!」
御坂美琴から撃ち放たれた電撃の槍が飛び跳ぶ。
されども、その電撃は赤坂悠樹の眼下で不自然に減速し、遂には停止する。まるで一枚の写真に納めたかのように、粒形の電撃はぴくりとも動かない。
「一方通行の『反射』が絶対防御ならば、オレの『停滞』は絶対回避だ。能力の隠蔽を度外視し、露骨にやればこうなるさ」
悠樹は気怠げに停止した電撃を拳で殴り、停止していた電撃は加えられた力の方向に逸れて霧散する。
美琴は常識外の出来事に唖然とするも、自称『無能力者(レベル0)』の右腕で問答無用に掻き消されるよりは理不尽じゃないと早期に復帰する。
その一瞬の間に、悠樹はポケットから複数の銀の球体を宙に放り投げていた。
(同じ手が二度通用すると――っ!?)
銀の球体は独自の法則に従い、美琴目掛けて射出される。それを磁力を使って射線を逸らそうとし――全く動かせなかった事に驚く。
彼女に着弾する軌道を取った球体は反射的に撃ち出された電撃によって焼き切れ、それ以外は地面に突き刺さり、大量の破片を撒き散らす。
(あの球体、金属製じゃない! 初めから対策済みって訳!?)
最初から自分と戦う気満々じゃないかと毒づきながら、自分の下に飛翔する数の猛威を、磁力で砂鉄を操り、自身の周囲に竜巻状に展開して全て薙ぎ払う。
自分で視界を遮ってしまったが、美琴の全周囲には彼女のAIM拡散力場である電磁波を発しており、反射角から攻撃を感知出来る為、不意打ちはほぼ不可能である。
前回と同じように突っ込んでくるのならば手痛い一撃をお見舞い出来る。だが、それは赤坂悠樹とて承知だった。
(……仕掛けて来ない?)
砂鉄の嵐を解き、視界が開ける。しかし、赤坂悠樹の姿は何処にも無く――まさかと思いきや、彼の殺害目標である『第九複写』の方も無事のようだ。
一体何処へ――途端、影が差す。空を見上げれば、其処には超巨大なハンマー型に固定した水の塊が振り落とされる寸前だった。
(以前の水の剣の応用!?)
それが一体どういう原理で成されたのか、考える余地すら無く、御坂美琴は自身の代名詞である『超電磁砲』をもって迎撃する。
時間操作によって停止していた水はその衝撃に耐え切れず、崩壊して豪雨となって降り注いだ。
「――っっ!」
こればかりは回避しようが無い。どんなに不意を突かれても確実に迎撃出来ると自負する美琴でも、大容量の水に打たれざるを得なかった。
河の水を利用した攻撃は打撃というよりも、防がれる事を前提に、水浸しにして動きを阻害する意図の方が強い。
長期戦では不利になる、と水に打たれながら美琴は判断し――右手の付け根を誰かに掴まれた。
――それが誰かになんて決まっている。御坂美琴は刹那に電撃を撒き散らす。
赤坂悠樹の能力は直接触れての電撃を無効化出来る類ではない。短期決戦を目指し、完全に仕損じた――御坂美琴が自身の勝利を確信した直後、トンと、顎先に鋭い拳の一撃が掠った。
規模にしては軽い脳震盪を起こし、御坂美琴は一瞬だけ意識喪失し、地に力無く崩れた。
何か起こったのか、理解出来ない。だが、世界が反転したかのような浮遊感と虚脱感、意識の混濁は能力使用を不可能とした。
「……どう、して?」
電撃を直接流し、意識を奪われてこうなるのは赤坂悠樹の筈だった。
赤坂悠樹は無力化した御坂美琴を冷たく見下ろしながら、彼女の手を掴んでいた自身の右手に歯を突き立て、ベリベリッと、手全体の皮膚を薄い手袋が如く一気に剥ぎ取って、ぷっと吹き捨てた。
『停止』が解除された薄皮一枚の皮膚は瞬時に焦げ、激痛の走る血塗れの右手を赤坂悠樹は眉一つ顰めずに握り締めた。
「肉を切らせて骨を断つ。君を倒す為の一度限りの手だ。――だから忠告しただろう? 殺す気で撃っていれば、オレの『停止』など突き抜けていただろうに」