八月一日(5)
「オラオラァ、無様に逃げ回って尻振る事しか出来ないってかァ! このホモ野郎がアァッ!」
品性の欠片も無い下品な女だ、と赤坂悠樹は内心毒付きながら『原子崩し(メルトダウナー)』の攻撃を涼しい顔で軽々と躱す。
正式名称は『粒機波形高速砲』だったか。電子を粒子と波形、その中間の曖昧な状態に固定して強制的に操る、希少な超能力(レベル5)である。
確かにその絶大な破壊効率は赤坂悠樹の『過剰速写』を圧倒的に上回っている。逆に言えば、それだけなのだが――。
「ちょこまかしてんじゃねェよ!」
麦野沈利が乱射する直線状の光線は唯の一発でも掠れば、赤坂悠樹を灰にして消し飛ばす程の威力を秘めている。
だが『曖昧なまま固定された電子』を強制的に動かす超能力は、良くも悪くもそれだけしか出来ない。
電子を操作する一面はあれども、麦野沈利は単なる砲身に過ぎない。撃ち放った光線を途中で曲げたり、手動でホーミングさせる事すら出来ないのだ。
(電子を操って幾らでも応用が効く御坂美琴と違って、麦野沈利はこの単純な攻撃しか出来ない。他の格下が相手なら十分だが、その殺傷力高い能力の弊害か、麦野沈利は同格との戦闘を全く経験していない)
赤坂悠樹はこの過剰殺傷の砲撃を、自身の一メートル付近の一部分だけに展開した『停滞』で、弾速を一瞬遅らせる事で余裕満々に避け続けている。
自分を含めて全周囲を『停滞』し、自身に『加速』する事で運用した前回の方式とは比べ物にならないほど効率良く運用出来る。
完全な状態でも三十秒しか持たなかった『絶対回避』は、全体の工程を一工程まで省略し、効果の強さを段階付ける事で長時間に渡って運用が可能となったのだ。
(やはり同レベルかそれ以上の超能力者との交戦経験は物が違うな。素材は良くても同格との戦闘経験がゼロのコイツを見て、改めて思い知らされる)
またえげつなく下品な言葉をまき散らしながら砲撃する麦野沈利を一瞥しながら、赤坂悠樹は落胆の視線を籠めて溜息をつく。
こんな遥か格下の超能力者と戦っても得るものは何も無い。彼女が女で無ければ早々に瞬殺してやっただろう。
実際、彼女が馬鹿みたいに『原子崩し』の光線を撃ち放った御陰で、未だに参戦して来ない『アイテム』のメンバー諸共、詰む準備はもう整っていた。
「無理して一人で戦う必要は無いぞ? それともあれか? 負けた時に『他のメンバーを参戦させていなかったら』という理由でも作っておきたいのか?」
「言ってくれるじゃないか! テメェみたいなチンカスなんざ私一人で十分なんだよォ!」
悠樹は砲撃を避けながら「そぉかい」と投げやりに呟き、やる気無く指を鳴らした。
赤坂悠樹の前面から目映い光が一直線に走り、麦野沈利は鬼気迫る表情でその極太の光線を反射的に能力を使って折り曲げた。
「え? 嘘? 『原子崩し』!?」
恐々と見物していた『アイテム』の一員、金髪碧眼の少女フレンダはその見慣れた攻撃法に「信じられない」と驚愕を隠せずにいた。
それは絹旗最愛も滝壺理后も――というより、第四位の超能力者である『原子崩し』も同じだった。
銃での攻撃や、擬似超電磁砲では驚きもしなかっただろうが、その攻撃は『原子崩し』と全く同種・同レベルのものであり、ギリッと、沈利から歯軋り音が鳴り響いた。
「この程度で何驚いていてやがるんだ? 最強の多重能力者であるこのオレが、テメェのチンケな能力を使えないとでも思ったか? その顔と一緒でおめでてぇなぁ」
「ッッ! この猿真似野郎がァ! ふざけやがって!」
赤坂悠樹は自分にお見舞いされた『原子崩し』を次々と『再現(リプレイ)』していき、麦野沈利はそれをひたすら己が『原子崩し』で迎撃していく。
一度『再現』した現象は、AIM拡散力場や諸々の問題が重なり、同条件を揃えられないので二度と再現出来ない。
だが、此処までストックがあれば、迎撃する為に景気良く撃ってくれるので弾切れは無いだろう。
地力の差、能力の相性差など、最初から明らかだったが、勝利の決まった勝負だった。
(まぁ、腕や足の一本や二本ぐらい消し飛ばすぐらいは許容範囲だな)
女の子供は殺さない。ただし、殺しさえしなければ、相手がどんな状態になっても良かったりする。
四肢をもがれて達磨になろうが、永遠に意識不明になろうが、殺してさえいなければ何も問題無い。
赤坂悠樹という悪党は敵対する女に其処まで情けを掛けれるほど善人ではない。
「うわあああああああぁ! ちょっとちょっと麦野タンマタンマ! もしかして完全に私達の事忘れているって訳!?」
「そんな事言ってないで超回避して下さい! 死にますよフレンダ!?」
性質の悪い事に、赤坂悠樹は蚊帳の外にいた三人も標的とし、激高した麦野沈利は遂に仲間の存在さえ思考の片隅に放り投げてしまった。
致死の光線が交差して炸裂する中、滝壺理后は作戦前から麦野沈利に手渡されていた、意図的に拒絶反応を起こさせて能力を暴走状態にする為の粉末状の薬品『体晶』をその口にする。
大抵の能力者の場合、デメリットしか生まない禁忌の代物だが、稀に暴走状態の方が良い結果を出せる能力者もいる。滝壺理后はその類の能力者であり、逆に服用しなければ能力を使用出来なかった。
いつもは眠たそうに淀んでいる眼に光が宿り、彼女の能力『能力追跡(AIMストーカー)』が可能な状態となる。
AIM拡散力場から干渉して、『過剰速写』の自分だけの現実(パーソナルリアリティ)を乱す事で攻撃を一時的にも中断させようとし――直前、麦野沈利しか見てなかった赤坂悠樹がギロリと、滝壺理后の眼を射抜いた。
(此方に気づかれた? でも少し遅――え?)
エラー。不可解な結果が弾き出る。
リスクを考えず、全力で行えば超能力である『未元物質』や『原子崩し』すら乗っ取る事が可能な能力は、赤坂悠樹の『自分だけの現実』に触れた瞬間に侵食が凍結、逆に彼女の『自分だけの現実』に強烈で不快な影響を与えて蝕み――耐え切れず、滝壺理后は能力による干渉を強制的に打ち切った。
「滝壺さん!?」
滝のような汗を垂れ流し、ぜいぜいと息切れしながら滝壺理后はその場に膝を折ってしまった。
赤坂悠樹はその場に立ち止まって、俄然と滝壺理后だけを見ている。まるで自分と同格の超能力者など眼中に無く、彼女こそが真の障害であると認定するかのように。
(――AIM拡散力場から干渉された!? 逆探知して反射的に『停止』して事無きを得たが……!)
赤坂悠樹は予想外の能力者の存在に慄く。
AIM拡散力場という無自覚の領域を侵食された『幻想御手(レベルアッパー)』の時の経験が無ければ『自分だけの現実』を根刮ぎ乱され、常時暴走して自滅する危険性を孕む事態に陥る処だった。
ただでさえ赤坂悠樹の能力行使は暴走と紙一重、歯車が狂えば簡単に自滅して死ねるのだ。
此処まで生命の危機に直結した不意打ちを受けたのは、能力者との戦闘で百戦錬磨を誇る悠樹と言えども初めてだった。
(若干見誤っていたか。いや、大いに見縊っていた。『アイテム』の要は第四位の超能力者ではなく、AIM拡散力場から働きかけるあの能力者か……!)
本来ならば一秒足りても生かしておきたくない類の希少な能力者だった。
今は大能力者級だろうが、いずれ超能力者の序列に加わる可能性すら秘めた能力の片鱗をあの一瞬で味わった。
背中に隠し持つサブマシンガンを取り出し、地べたに這い蹲る滝壺理后に照準を向け、瞬時にフルオートで発砲する。
狙いは全て足、もしかしたら痛みでショック死するかもしれないが――被弾する前に、パーカーの少女・絹旗最愛が割り込んで銃撃を受け、皮膚に通る前に何らかの膜に遮られ、銃弾は全て地面に落ちる。
精鋭揃いで粒が揃っている。赤坂悠樹はこの時初めて顔を歪ませ、舌打ちした。
(大気操作系の能力? いや、遠距離からの攻撃を全く行っていない事から、射程距離というものが欠片も無い? ――なるほど、この歪められて特化した自動防御能力、一方通行の演算パターンを参考に各能力者の『自分だけの現実』を最適化しようとした『暗闇の五月計画』の被験者か。難儀なものだ)
一瞬にして相手の素性を半分以上看破した悠樹は最愛に同情の眼を送ると同時に、どの程度まで耐えれるのか、演算が面倒だと内心愚痴る。
本気でやれば自動防御があろうが無かろうが簡単に肉塊になるだろうし、半端に手加減すれば無傷、実に面倒な相手である。
(残りの金髪碧眼はその微弱なAIM拡散力場から無能力者と断定出来る。どんな隠し玉を持っていようが、無能力者の時点でいつでも料理出来る、か――)
「この私を無視してんじゃねエエエエエェ――!」
麦野沈利は当たれば赤坂悠樹が塵一つ残らず消滅するほどの極大の光線を撃ち放つ。
気抜けた『停滞』のままじゃ避けれないと判断した悠樹は全身に三倍速を施して跳ぶ、置き土産に閃光手榴弾を残して。
「~~ッッ!? クソッタレ、超能力者の癖に小細工に頼るかァッ!」
「うわぁあああぁ! 待って待って麦野! そんな適当な照準で撃たないでぇ~!? 死んじゃう死んじゃう!」
「早く伏せて下さいフレンダっ! 滝壺さんも超早く!」
「……!?」
視界を失いながら所構わず『原子崩し』を撃ち放ち、他の『アイテム』のメンバーから悲痛な叫びが暫く木霊する。
ぜいぜい、と怒りで呼吸を乱した麦野沈利の視界が元通りになった時、赤坂悠樹の姿は影も形も無くなっていた。
「あんの野郎ォ――!」
まんまと逃げられた。麦野沈利は奥歯を砕けんばかりに歯軋みさせる。
此処まで舐められ、おちょくられたのは初めての経験だった。
気に入らないものがあれば容赦無く葬ってきた彼女だが、一瞬で晴らせなかった屈辱は今この瞬間しか在り得ない。
――そういう意味では、彼女は初めて道端に転がる小石に躓いたのだ。
心の奥底から際限無く溢れる、身を焦がす憎悪は全て彼一人だけに向けられる。
こんなにも激しく誰かを想うなど、生まれて初めてだった。自分以外は全て格下、彼女の気分一つで消し飛ぶような微弱な存在に過ぎなかったのに。
そう、その格下の存在が、在ろうことか自分を見下している。絶対に許せない事だった。
こんなにも誰かを八つ裂きにしたいと願うなど、今まで一瞬で八つ裂きに出来た彼女の中では初めての怪異だった。
「――絶対逃さねぇぞ、第八位イィ!」
唯一度も決して省みず、燃え滾るような一途な想いは方向性が真逆なれども、その在り方は何処か恋に似ていた――。
能力行使によって蓄積された負荷を徐々に拡散させながら、赤坂悠樹は再び盗難車でドライブと洒落込んでいた。
電源を落としていた携帯を取り出して電源を付け、即座にベルが鳴る。それを予期していたが如く一コールで悠樹は取った。
『――やっと繋がりましたね。こんなに派手に暴れて、証拠隠滅と後片付けする身にもなって欲しいですね』
「お前が直接する訳じゃねぇし、文句なら馬鹿撃ちした第四位に言え。御託はいい、時間の無駄だ」
さっさと本題に入れ、と悠樹は無言で催促する。
『そうですね、先払いの報酬として『第九複写』の身柄は貴方に引き渡しましょう。代わりに、今回の負債を含めて暗部で働いて貰えませんか? 何、軍事産業の需要は幾らでもありますし、貴方ならすぐに返済出来る額でしょう。学園都市は第八位の超能力者である貴方を高く評価しています。其方にとっても悪い話では無いと思いますが?』
「このオレに学園都市の狗になれ、と? テメェら学園都市から先にこうなる原因を仕掛けておいて、厚顔無恥も甚だしいな。一片死んでみる?」
この交渉役の人をこれでもかと小馬鹿にした、物凄く腹立たしい口調に苛立ちながら、悠樹はこの自作自演の茶番に呆れ果てる。
『今の貴方の日常と大して変わりませんと思いますが? 暗部の仕事は風紀委員のお遊戯と違って、手心を加える必要も手加減する必要はありませんよ?』
ぷちっと、一瞬理性が弾き飛んだ。
大抵の挑発は水に流せるが、この種の類は無意味と知りつつも言い返さないと気が済まなかった。
「ま、テメェらから見ればお遊びだろうがな。確かにオレ以外の風紀委員は甘ったるい青臭い理想論者の集まりで、性質が悪い事に全員本気でそれを追い求めている。腐乱し尽くしたクソ暗部の根暗野郎と一緒にすんな」
言い捨てると共に返答を聞かず、電源を即座に落とす。
自分に似合わない事を言ったものだ。ともかく、この茶番の交渉は次で最後と言う処だろう。
瞬間、先程感じた『自分だけの現実』への干渉が一瞬だけ生じる。
余りの短時間過ぎて逆探知して元凶まで遡れなかったが、この手の能力だったかと悠樹はようやく理解する。
「チッ、またこの感触か。どうやら本質は追跡能力だったか。厄介厄介。殺してぇ、真っ先に殺してぇな」
こんな危険な能力者を殺さずに仕留めないといけないのは中々に厳しすぎる制限だ。
ある意味で、女の子供四人で構成された『アイテム』は赤坂悠樹が一番手を焼く存在だったりする。
「死なない程度に済ますのは慣れているとは言え、何とも遣る瀬無い――ん?」
前方に不審な集団を目の辺りにし、そのまま轢き殺そうと悠樹が気軽に判断し――即座に覆し、悠樹は脇目振らず車外に脱出した。
彼の乗っていた車は超高速で駆け巡る目映い光に貫かれ、塵屑のようにバウンドして遥か後方に飛んだ。
「~~っっっ!?」
赤坂悠樹は超高速の道路にその身を放り投げながら、自身の目を疑う。しかし、その攻撃は確かにそれ以外では説明が付かないものだった。
それはまるで、彼女の『超電磁砲』のような一撃だった――。
「――つまり、あのクソッタレの第八位の『多重能力』にはある程度条件がある、と?」
名前すら覚えていない元スキルアウトの男に運転を任せながら、『アイテム』のメンバーは赤坂悠樹について対策を話し合っていた。
「ええ、彼が『原子崩し』を使えるのならば、最初から超使っていた筈です。ですが、使い始めたのは超途中から、そして滝壺さんを標的にした時は『原子崩し』を使わず、わざわざ銃器を使用した。其処に何らかの法則性があると見て間違いないでしょう」
「そういえば、第八位って相手と同じ能力を使って倒す事で有名だから、もしかして相対した能力者と同じ能力しか使えない? 結局それって『多重能力』と言える訳?」
確かに、実際に戦った麦野沈利の中にはある種の疑問が生じていた。
何度も仕留めたと確信した一撃が不自然に避けられる。感覚的に『原子崩し』に何か干渉を受けた覚えはあるが、それが電子を操る類の同種の力では無いと断言出来る。
一旦仕切り直した為に冷静に戻った麦野沈利は、赤坂悠樹の戦力評価をほんの少しだけ向上させる。多重能力者にしろ、でないにしろ、一筋縄ではいかない超能力者であるようだ。
腐っても第二位を一度は打倒したのだ、それぐらいの力を持っていて然るべきだろう。でなければ殺し甲斐が無い、と運転席の男が引き摺るような笑みを浮かべる。
「もしかしたら『過剰速写』はAIM拡散力場を操る系統の能力者かもしれない。現に、私の『能力追跡』が逆探知され、逆に干渉されかけた」
「え? それって大丈夫なの? 滝壺」
「大丈夫、追跡する分は問題無い」
フレンダが心配する素振りを見せる中、滝壺は素っ気無く、されども何処か疲労感を漂わせて答える。
先程の戦闘のように相手の能力を乗っ取るのは無理そうだが、追跡程度ならまだ使えると麦野沈利は判断する。
貴重な能力を持つ彼女を使い潰してでも使う価値が、第八位の『過剰速写』にはあった。
「麦野、『過剰速写』は現在100メートル前方の赤い車で走行している」
「よっし、追いついたァ! 追跡されていたとも知らず、暢気に走りやがって! 今すぐ車ごと星の彼方に吹き飛ばしてや――!?」
窓を開けて外に乗り出し、景気付けに『原子崩し』で砲撃してやろうとした時、彼の走っていた車が尋常ならぬ力を受けて空中高くバウンドし――此方に向かってくる悪夢めいた光景に麦野沈利は意識を奪われた。
「え? 何? のわあああああああああああぁ?!」
本当に吹き飛んできた車は彼女達の乗る車のすぐ傍に墜落し、車体が掠ったのか、バランスを崩してスピンしてしまう。
横転しなかっただけ幸いだった、と三人が自身と仲間の無事を確認する中、麦野沈利は真っ先に車外に出て、全力疾走する。
彼女の前方には一直線に抉れた道路と、うつ伏せに倒れ伏して微動だにしない赤坂悠樹の無様な姿、そして学園都市の暗部と思われる駆動鎧の部隊が立ち塞がっていた。
「人の獲物横取りしようたァ良い度胸だ。何処のどいつだァ!」
怒り狂った顔で麦野沈利は怒鳴り散らす。
コイツを八つ裂きに引き裂いてやるのは自分の役目であり、自分だけの特権だ。それを何処の馬と知れぬ野郎どもに邪魔されるのは余りにも不快だった。
遅れてフレンダ、絹旗最愛、滝壺理后が追いつく。駆動鎧の部隊からはリーダー格と思わしき紫色のスマートな駆動鎧が前に出る。その右手には槍状の巨大な兵器を握って。
「あらぁ、可愛らしい女の子達ねぇ。同業者かい? テメェらみたいなビチグソはお家に帰って糞して寝てなァ……!」