七月二十日(4)
「――『時間暴走(オーバークロック)』とは名前通りの能力だな」
嫌味たらしく、六枚の翼を生やした垣根帝督は先程の悠樹と同じように言う。
「本来の意味は、デジタル回路を定格を上回るクロック周波数で動作させる行為だったか。――思考の倍速。道理で、テメェの有り得ない超反応も納得出来る訳だ」
赤坂悠樹は表情に一切出さないが、概ね正解だった。
時間操作の演算には独自の計算式を用いる為、空間転移と同じぐらい複雑で速効性に欠ける。
その欠点を補う為に、赤坂悠樹は思考の伝達速度を常時二倍速に設定し、それでも足りなければ三倍四倍と瞬間的に加速させて、脳の負担が倍増する代償に能力の発動時間をほぼ一瞬にまで早めている。
それにより反射速度も常人とは比べ物にならない領域になっている。偏光能力を用いて屈折した蹴りを、何度か空振りながらも勘頼みで掴み取れるほどに。
「そして『多重能力(デュアルスキル)』の真似事は逆行の応用か? 同じ条件でしか『再現(リプレイ)』出来ないのに、今まで良く誤魔化せたもんだ」
これもまた正解だった。
時間を操るからには時間そのものを観測する事が可能であり、赤坂悠樹は過去に行われた能力行使を検索し、再現する事で『多重能力』の真似事を可能とした。
再現というからには元にした能力とほぼ同一の条件で行われるので、悠樹の基本的な戦術は逃げ回りながら相手に能力を使わせて、相手を当たる位置まで誘い込んで再現するものだった。
発火能力を使った銀行強盗に対しては無理矢理射線上に引っ張り込んだりしている。この際に行われるのが指鳴らしだが、別に無くとも発動出来る。
また、身体測定(システムスキャン)の時にも他人の計測時の結果を複数再現する事により、自身が『多重能力者』であると研究者の眼も欺いた。
実地試験も同様である。彼の計測結果を調べれば、模写した者と同一の試験結果が必ずある。もっとも、その法則に気付けた者は皆無であったが。
「それにしても信じらんねぇ欠陥能力だな。使えば使うほど自分の首を締め続けるとはな!」
垣根帝督は「それで良く超能力者(レベル5)を名乗れるもんだ」と嘲笑う。腹立たしい事だが、これもまた正解だった。
「疑問に思ってたんだよ。十八日の時、何でテメェは一目散に逃走したのか。あの風紀委員の安否を優先したから? 腐れ外道のテメェがそんなタマか。左腕が負傷したから? あの場においては同条件だった。じゃあ何故か――あれ以上の能力行使が不可能だったからと思うんだが、どうよ?」
憎たらしいほど正解だった。
バイクで飛翔するという荒業を、悠樹は停止を使って不可視の道を作り、ひたすら加速する事で成した。水中の上での走行も、タイヤとの接地部分を停止させる事で解決している。
飛翔そのものは慣れたものではなく、非常に疲れる能力行使だが、戦闘が継続不可能になった理由は精神的な疲労ではない。
「テメェの能力じゃ、自分の能力で生じた反動を消せない。精々誤魔化すのが関の山だ。加速で生じた殺人的な負荷を停滞させながら、時間を掛けて徐々に拡散させる。テメェは能力を使えば使うほど悪循環に陥るって訳だ。その反動を処理出来なくなれば最期――どんな愉快な死に方するか、興味が湧くなぁ!」
単純な話だ。例えば自身の身体全てを二倍速にしたとしよう。
全ての行動が二倍の速度で行える代わりに、全ての行動の負担が二倍になる。通常の速度に戻すにしても、急激に戻せば深海から一気に海上に上昇するようなものであり、簡単に自滅する。
(――オレ以外にも既存の物理法則に従わず、独自の法則で動く能力があるとはな。軍覇の能力もそれっぽいが。腹立たしい事に、異界の法則に塗り替える『未元物質』はオレの時間操作より上位の能力か)
悠樹はその殺人的な負荷、つまりは生じた力場を停滞させ、ほんの少しずつ解き放って解消する。即死するような負荷を一気に受け入れず、少しずつ受けて無害にするのだ。
つまり、能力を使う毎に負荷が生じ、その負荷を対処する為に能力を使う。使えば使うほど能力の使用容量が切羽詰り、生じる負荷が発散する負荷を上回れば、対処出来ずに負荷が蓄積していく。
そして悠樹自身でも解らない許容範囲を超えてしまえば――待つのは絶対の死である。
「良く囀るヤツだ。其処まで解っているなら絶え間無く攻め続ければいいだろうに」
此処が、御坂美琴に話した「限界など簡単に超えられる」という話の根拠である。
その気になれば、二十倍速だろうが百倍速だろうが行えるだろう。だが、それを行うと負荷の対処すら間に合わずに死ねるのは間違いない。
あの話の中で悠樹が付いた嘘は一つ、あの話全体が嘘だという事が嘘、それのみである。
「いいや、最期に一つ聞きたくてよ。そんな欠陥能力を発現した本人の気持ちを知りたくてな」
帝督の舐めた仕草に「もう勝った気か?」と、何とも気楽なものだと悠樹は毒づく。
「何言ってんだか。これ以上の能力なんて他に無いだろ」
強がりでも虚勢でもなく、赤坂悠樹は自信満々に断言する。
能力一つにしても適材適所であり、悠樹は自身の超能力『時間暴走』が自分に最も適した能力であると自覚している。その致命的な欠陥を含めても――。
「御託は良いからさっさと来いよ。今宵、此の場所で第二位と第八位の順位は逆転する。――今日は死ぬには良い日だぜ?」
「ハッ、テメェがな――!」
帝督から六枚の翼が一斉に放たれる。それらは鞭の如く、六方向から赤坂悠樹の五体を八つ裂きにせんと貪欲に走る。
悠樹は迷わず前へ、十メートル先の垣根帝督を目指して一直線に駆けた。
一瞬前まで居た地点に六枚の翼が殺到し、路面を呆気無く圧壊させるだけでは済まず、道路の一区間を崩し落とすまでに被害が拡大した。
足場が崩壊する最中、悠樹は全身の時間の流れを二倍速から三倍速まで加速させ、弾丸じみた勢いで真っ直ぐ突っ込むに対し、帝督は翼を自身に包み込むように戻す。
翼の内側に入った悠樹に逃げ場は無い。一秒未満で撲殺される未来を前に、悠樹は最速で帝督の額に銃を突き付け、己の限界と定めた十倍速の加速を付加させて撃ち放った。
「――っ!」
その舌打ちは何方のモノだったか、この決死の攻防も両者無傷で終わる。
悠樹が引き金を引くより先に、帝督が翼で空気を叩いて真上へ飛び、悠樹は崩れ落ちた路面の真下に落ちる。
コンクリートの砕け散った破片と共に落下しながら、一瞬、赤坂悠樹だけ落下速度が急速に遅くなった。
周囲の時間の流れを停滞させ、落下速度を緩和させる。ビル五階建ての高さから落下したのに関わらず、軽やかに着地する。破片が飛散して土埃が立ち昇る中、赤坂悠樹は憎々しげに天を見上げた。
(……あの翼を掻い潜れば何とかなると思ったが、唯一の好機を逃したか――っ!?)
手が届かない上空から、帝督の翼が一際大きい光を放つ。
その直後、巻き起こった烈風が粉塵を吹き飛ばし、悠樹の居場所が明らかになる。咄嗟に飛び退くも、悠樹は自身に起きた異変に気づく。
ジリジリと化学繊維が焼けて出る不愉快な匂いがブレザーから生じる。恐らくは『未元物質』に触れて反射した太陽光が独自の物理法則に従って動いた結果であろう。
今が日暮れ刻ではなく、日中だったら目も当てられぬ事態になっただろう。
「日焼けで死ぬ気分はどうだ」
「最悪な気分だよ、副業に日焼けサロンでもやってみたら?」
軽口を叩くものの、悠樹の劣勢は覆せない。
ただでさえ『幻想御手』からのネットワーク遮断というハンデを背負っているのに、外に作用する能力使用法の全般が『未元物質』の物理法則の塗り替えで事実上無効化されている。
現状では負担が大きい自身への能力行使のみで戦わざるを得ず、演算するまでも無く、数分先に自滅による結末が見え隠れしている。
(これ以上、状況が悪化する前に手を打つか)
やや焦げたブレザーの袖から、手品師の如く鮮やかな手並みで小型のナイフを四本取り出す。
こういう事態の為に、悠樹の長点上機学園指定のブレザーには暗器じみた武器が多数仕込まれている。そのせいで重量が半端無い事になり、普段着用したくないのは本末転倒の話であるが。
「ふっ――!」
悠樹は全力で振りかぶり、渾身の力で四本のナイフを投擲する。
これが通常の状態では時速130km/hだと仮定しよう。単純に十倍の加速を掛ければ時速1300km/hとなり、音速の壁を突破する。
威力と速度を保つなら、射線上の空間にも同程度の加速を施すが、今回は『未元物質』の影響を懸念して止めているので1300㎞/hという数字は最大瞬間速度に過ぎない。
帝督の白い翼が獰猛に捻れ唸る。四条の一閃を悉く切り払い、僅かに羽根を散らすだけに終わる。
(純粋な衝撃も拡散出来るのか。あの翼を正面から突破するには超電磁砲並の砲撃を持続して行う必要があるか、無理難題だな)
超電磁砲を超える一撃を銃の弾速を頼って叩き出す事は可能でも、全身に掛かる負担から連射は不可能である。停滞させた力場を少しずつ処理し終わるまで撃つ事さえままならない。
「もう打ち止めか? 特力研の置き去り(チャイルドエラー)を犠牲にしてまで隠した能力ってのはこの程度かぁ!」
帝督の翼がまた光り輝く。また日焼けは御免だと悠樹は加速を活用して地面を蹴り上げ、視界を覆うほどの土煙を瞬時に撒き散らす。回折で物理法則が変わっていようが、光は光、威力は目に見えるほど減衰出来るだろう。
だが、垣根帝督は凶悪に嘲笑う。先程とは前後が異なるが、愚かにも二番煎じだ。
帝督は翼にありったけの力を込めて、地に炸裂させた。周囲一帯の空間が破裂させるような衝撃が土煙どころか瓦礫をも薙ぎ払う。
この暴威の只中に人間がいたなら、さぞかし愉快な死体が出来上がる事だろう。だが、何もかも吹き飛んで晴れた光景には、赤坂悠樹の姿は何処にも無かった。
(……見失った? 一体何処に――)
――いた。予想とは少し外れた場所、爆心地から三十メートル近く離れた場所に仰向けに倒れていた。
逃げ遅れて、余波で彼処まで吹っ飛んだのか、能力をフルに活用して逃げ切ったが何らかの要因で倒れたのか、どちらにしろ動けなくなったのならば結末は変わらない。
「おいおい、何だよもう限界なのか? ――期待外れだな、第八位の『時間暴走』ってのはこんなもんかよ」
垣根帝督は心底失望した表情を浮かべる。だからといって見逃す理由にはならない。
正義の味方を気取ろうとした三流の悪党が、結局誰も守れず、一流の悪党にぶち殺される。学園都市の裏で見飽きた結末だった。
帝督は自身の翼を二十メートル近く伸ばす。巨大な剣じみた翼を垂直に振り落とす。
それはさながら無慈悲な天使が繰り出した神の鉄槌であり、物言えぬ罪人は裁きを受け入れるしか無かった――。
赤坂悠樹の脳裏どころか身体を真っ二つに両断する直前、帝督の携帯が鳴った。
ギリギリの処で止めてしまい、垣根帝督は不機嫌極まる表情で携帯に出た。
「邪魔すんな」
『お熱の相手に夢中なのは解るけど、自分の仕事忘れてない? 早く駆けつけて欲しいんだけど』
電話の相手は自分と同じ『スクール』に所属する少女からだった。
「あん? 三人もやっといてまだ片付いてないのかよ?」
『二人ならとっくにやられているわ。今は『超電磁砲』が相手しているけど、これも時間の問題ね』
「へぇ。アイツの連れ、第三位だったのか。てか、誰にやられてんの?」
敵が同じ超能力者なら、自分以外の『スクール』のメンバーでも倒せないだろうが、心理定規(メジャーハート)の少女が「今は『超電磁砲』が」と言ったからにはもう一人いるらしい。
『――木山春生よ。どういう理屈かは知らないけど『多重能力者』みたいな真似事しているわ。もう滅茶苦茶ね、少なくとも私でどうにかなる相手じゃないわ。これも『幻想御手』の効果なのかしら?』
ノーマークの名前が出てきて、垣根帝督は関心したように口笛を鳴らす。
情に絆されたと言えども、流石はこの学園都市の科学者、一筋縄ではいかない。
第三位『超電磁砲』を倒せるのなら、其処に転がっている偽物とは違い、少しは楽しめそうだと帝督はほくそ笑む。
「仕方ねぇな、すぐ片付けるから待って、」
「――ああ、その必要は無いぞ」
その瞬間、在り得ない衝撃波が垣根帝督の翼を穿ち抜いた。無数の羽根に変換してばら撒く事により、衝撃が自分自身の身体に伝わらないように阻害したが、不意に影が刺す。
瞬時に見上げると、十トン級の土石の塊が重力に従って落下する。理解するより疾く、垣根帝督は全力で飛翔して回避する。
膨大な土石が地面に衝突して大地を更にぐちゃぐちゃにする。
今のはやばかったと帝督は冷や汗を流す。幾ら物理法則を塗り替えていても単純な質量で押し潰されれば敵わない。
だが、説明が付かない。今の芸当は空間移動系の能力者でなければ行えないだろうし、此処までの重量を空間移動させる能力者もまた学園都市に一人も存在しない。
それを成したであろう張本人は、笑っていた。どんな悪党よりも悪党らしい、邪悪な笑みを浮かべて、全てを嘲笑っていた。
「――中々面白いものだな『多重能力』というのは。正確には『多才能力者(マルチスキル)』というらしいが」
制服に付いた土埃を叩きながら、赤坂悠樹は何事も無かったかのように立ち上がる。
今の巨塊の空間移動は、時間操作では説明が付かない。一瞬此処で起きた何らかの能力を『再現』したのではと疑ったが、そもそもこれを出来る能力者がいない。
術者のトラウマさえ無ければ超能力判定を受けたであろう、空間移動系で最強の能力『座標移動(ムーブポイント)』でも重量は4トン程度が限度である。
理屈が合わない。解が食い違う。垣根帝督はあらゆる可能性を模索し、そして一つの結論に辿り着いた。
「――『幻想御手』を使った?」
「おいおい、このオレがまさか使用しただけで済ませるとでも思ってんの? 見縊るのも大概にして欲しいなぁ。だからテメェは二流なんだよ」
垣根帝督にしても外道と評された赤坂悠樹はその本領を存分に発揮する。
人の貌をした何かはケタケタ笑う。その程度の事にも気づかないのかと心底馬鹿にするように。
「『幻想御手』の使用者はネットワークと一体化する事で能力の処理能力が向上する。だが、それは超能力者(レベル5)にとっては微々たるものだ、誤差と呼べるほどの。此処で大事なのはネットワークに繋がるという感覚、その一点に尽きる」
――御坂美琴に言った保険とはこの事である。
最悪の事態を想定し、その最悪を打破する為に用意された鬼札(ジョーカー)がこれであった。
赤坂悠樹は木山春生の境遇や動機に少なからず同情していた。同情していて尚、彼女の望みを完全に潰すこの行為を躊躇いも無く実行する。
「まさかテメェは――!」
「繋がっているのならばオレの能力で操作出来るという事だ。他人の脳波を加速・逆行・停滞・停止を駆使してオレの波形パターンに一定させ、開発者から管理権を完全に乗っ取った。――『樹形図の設計者』に匹敵する巨大な並列コンピューターは、今はオレの支配下にある」
垣根帝督は自分で言っておきながら、その本質を理解していなかった。
自分をも超える外道が如何なる存在なのか、赤坂悠樹はこれが一流の悪党なのだと誇る。
「さあ此処からが本番だぜ。テメェの異世界の法則、徹底的に暴いてやるよ」