七月二十日(3)
「嬢ちゃん、しっかり掴まっていろよ!」
卓越した運転技術の持ち主なら、少し度が外れた高速運転でも安定していて怖くはない。
誰かが言った知ったかぶりの知識が致命的なまでに間違っている事を、御坂美琴は再び実感した。
「うぅー!? 何で最近こんな事ばっかなのぉ~!?」
唸り上がるエンジンの回転音が異様に甲高い。以前、赤坂悠樹と一緒に乗ったバイクと同じぐらいなのが今の異常さを如実に醸し出している。
そして錯覚だと信じたいが、フロントガラスを跨いで見える景色の流れる速度が、前以上に早く思える。バイクで馬鹿みたいに180キロ以上出していた時よりもである。
ただ、事実を知るのも怖いので、間違っても速度計を見れない美琴だった。
(これ絶対ただのタクシーじゃないっ!?)
詳しい事は解らないが、外装だけが普通のタクシーで、内装がまるっきり別物のモンスターマシンだろう。多分、外と隔絶した学園都市の科学力が無駄に費やされている。
それと同じぐらい、乗り手の頭の螺子もぶっとんでいた。
「迂回して貴重な時間をロスしちまったが、その分は速さで補うッ! この俺より前を走ってようが俺が走る限り先頭は譲れんなぁ!」
左手でのギアの変速がまず眼に止まらない。ハンドル操作も目を回すほど小刻みに、時には大胆に回し、急なコーナーも最短の鋭利角度で突き抜けていく。ガードレールからほんの数センチしか離れていない瞬間を目撃した時、美琴は気絶しそうになった。
事故にならないのが不思議で仕方ない超特急の走行だが、この速度とは裏腹にドリフトを代表とする派手なパフォーマンスは行わず、一挙一動を厳選して堅実にタイムを縮める。
「嬢ちゃん、あの坊主の予測通りならこの迂回路からの合流地点で食らい付けるぜっ!」
精神的に一杯一杯だった美琴にとっても、喜ばしい知らせだった。
悠樹の逆探知によって、木山春生が車で走行中なのは解っていた。幸いにもこの道中は暫く一本道だったので追跡は楽だったが、唯一の迂回路から500メートル先に分岐路がある。其処まで追いつけなかったらこれ以上の追跡は不可能となり、ほぼ詰んでしまう。
(良し、この調子で木山を速攻確保し、戻れば――っぁ!?)
その時、車体が大きく揺れる。今までのトンでも走行によるものではなく、明らかに外的要因――他車による衝突からだった。
(っ、妨害!? あれに仲間がいた……?)
まるで映画のワンシーンだった。横道から乱入して迷わず車体を衝突してきたのは大型のワゴン車であり、此方の動きを止める為か、横に並列になって再び衝突を繰り返す。
「きゃっ!」
「うおぉ!? やってくれるじゃねぇか! 俺の車に傷付けやがって、それに俺より早く走ろうとしている!? どちらかというと後者が許せないっ!」
「意味解らないですよっ!?」
激突によって大きく減速されながらも、自称タクシー運転手はアクセルを全開に踏み――あろう事か、ハンドルを急速に回し、妨害車と比較して小柄な車体で逆に体当たりをかました。
「っ! 無茶苦茶よぉ!?」
「いいや、そうでもないぜ!」
これが意表を突いたのか、押し負けはしたものの、妨害車と若干距離が開き、フルスロットで引き離す。
一度距離が開けばあの大型車では追いつけまい。美琴がそう確信した矢先、映画ではこういう場合どうなるかなと想像しながら、背後を見る。
実際にその通りになったのだから、一瞬にして美琴の顔が青褪める。
妨害車の横窓から黒光りする妙に太い銃身が此方に向けられる。普通の雑多な小火器ではない、一般車など一撃で無効化出来る小型のグレネード砲だった。
「――おじさん避けてッ!」
その言葉の意図を理解せずとも、彼は咄嗟にハンドルを左に切った。
後方からグレネードが発射されるも、タクシーが左に急速移動したお陰で直撃こそ免れる。だが、爆風に煽られ、車体の安定の為に速度が殺がれる。
「ちぃ、最近の学生は危険な玩具を持ってんなぁっ!」
後方車との差は縮まる。このままでは体当たりされる以前にグレネードで爆散しかねない。美琴はスカートのポケットに入っているコインに手を伸ばした。
「おじさん、窓を開けて!」
「まだ年齢的にお兄さんと呼んでくれた方が俺としては非常に色々と嬉しいのだが、開けたがどうすんだぁ!?」
「こぉすんのよ――!」
開いた窓から手を外に出し、乗っているタクシーに影響が出ないように電気の流れを精密に操作しながら、美琴は彼女の能力の代名詞たる超電磁砲を後方車に撃ち放った。
音速を置き去りにして放たれた破壊の雷光は、後方車の左前輪を豆腐の如く撃ち貫き、その反動で車体そのものを宙三回転させ、されども路上に墜落させる。
運転者が死なないように配慮し、尚且つ邪魔が入らないよう完全に行動不能にする。その両方を御坂美琴は完璧に成したのだ。
「どんなもんだいっ!」
「……わぉ、最近の学生は凄いな」
美琴はしたり顔でガッツポーズを取り、自称タクシー運転手も頼もしいと笑う。
だが、此処で消費した時間は馬鹿にならない。今でこそ大破しているが、あの妨害車は足止めの役割を十全に果たした。
(……これは、思ったより深刻ね)
お世辞にも堅気とは思えない超能力者が動いているだけで大事だが、厄介な事に仲間までいる。
――最悪の事態を想定すると、既に木山春生が襲撃されている可能性がある。こればかりは無事に逃げ切っている事を祈るしかなかった。
「……なんだこりゃ」
運転手の呟きと共に車体を一回転させて急停車する。今回は意図的にスピンし、慣性に任せて速度を殺している為、急停車による反動は少なかった。
「……これは」
車の中から周囲を見渡せば、路面は爆撃でもされたかの如く所々破壊され、奥にはものの見事にスクラップになった青いスポーツカーが炎上していた。
既に他の能力者によって襲撃された。手遅れだったのかと美琴は息を呑む。その直後、少し離れた場所から轟音が鳴り響く。何か爆発したような音だった。
最悪の事態には変わりないが、まだ一歩手前だ。誰かが能力を使うという事は、能力を振るう対象が存命しているという事。まだ、間に合う。
「おじさん、ありがとうございます。此処からは一人でいけますんで早く安全な場所に逃げて下さいね! 終わったら連絡します!」
「おう、気をつけろよ嬢ちゃん! あと俺はまだおじさんという年じゃないんだがなぁ。……嗚呼、若さとは残酷で罪だぁ……!」
車の中で大袈裟に嘆く運転手を無視し、御坂美琴は一直線に爆音が生じる地点に全力で駆け出す。木山春生の無事を祈って――。
(――何これ? 一体どうなってるの?)
路面が水浸しで尚且つ鋭利な刃物で切断されている箇所があれば、ドロドロに溶けたガードレールもあり、物理的に破砕されたアスファルトや綺麗な円に抉り取られた箇所もあった。
これだけの惨事を引き起こすには、水流系の能力、発火能力、念動力に空間系の能力など、高い強度(レベル)且つ複数の能力が必要だろう。
少なくとも、唯一人の例外を除いて、一人では出来まい。
(アイツなら出来るかもしれないけど、此処にいないから無理。という事は、大能力(レベル4)相当の能力者が複数いるって事――)
幾ら御坂美琴が超能力者でも大能力者が徒党を組めば苦戦は必須、それと同時に木山春生の安否が限り無く絶望的だった。
ある種の覚悟をしつつ、美琴はひたすら走る。そして予想とは異なる光景に思わず足を止めた。
――とりわけ壊れた路面、倒れ伏す生徒と一人だけ立っている白衣の科学者、少し遠くには煙が巻き上がっていた。
倒れ伏す男子生徒は、やたらゴツい機械製のヘットギアをしている。能力の補助ツールか、詳しい用途は解らないが、美琴はそれが土星の輪っかみたいだと思った。
少し遠く、此処から500メートルは離れたビルの屋上からは黒煙が上がっている。まるで其処にいた狙撃者を逆に狙撃したみたいだと冗談じみた仮定が脳裏に過ぎる。
そして唯一人、己が足で立っている白衣の科学者もとい木山春生は気怠げに御坂美琴の方に振り向く。彼女の左目は不自然なほど充血していた。
「――生徒に片棒を担がせるとは、学園都市の暗部は私の想像以上に深いようだ。君も私を始末しに来たのか? 御坂美琴」
「違うわ、アンタを保護しに来たわ」
不敵な笑みに、されども何処か焦りが見え隠れする木山春生に、御坂美琴は堂々と答える。
春生の視線が美琴の右袖に付けられた風紀委員の腕章に集中する。少し意外なものを見たような表情を浮かべた。
「……ふむ、君が風紀委員に入っていたとは知らなかったな」
「ただの代行よ、強度(レベル)も丁度同じだしね」
それを聞いた木山春生は「風紀委員は一般人でも代行出来るのか、それは知らなかった」と素で関心したりする。妙に世間離れしているのは、今も一緒だった。
「それにしても『多重能力(デュアルスキル)』とはね。そんなデタラメ、アイツ以外いないと思っていたけど」
「彼が本当に多重能力者なのかは別の話だが、私の能力はアレとは方式が違う。言うなれば『多才能力者(マルチスキル)』だ」
木山春生から語られた専門用語に、美琴は「結果は同じでしょ」と毒づく。
よりによって、唯一の多重能力者とされている彼と共同している時に、敵として多重能力者のようなものに遭遇するとは、まさに最高の意外性(サプライズ)である。
「――君に、三万の脳を統べる私を止められるかな?」
それだけの生徒が『幻想御手』の犠牲になった事に、美琴の理性が一瞬にして沸騰しそうになるが、其処までやらざるを得ないほど彼女が追い詰められている事実が歯止めを掛けた。
「――止めてみせるわ。アンタの事情は一応聞いている。『幻想御手』が『樹形図の設計者』の代用品で、意識不明の教え子達の恢復手段を探るのが目的だって事も。それでも、この方法は間違っている」
今まで学園都市で八人しかいない超能力者だからという好奇の目で見ていた木山春生の瞳に驚愕が浮かぶ。
直後に、木山春生は自嘲気味に笑った。
「……驚いたな、其処まで知られたとは。――いや、この場合は逆かな。まさか其処から私に至るとはね」
酷く気疲れした表情で「まぁ彼ならばそう不思議ではないか」と春生は冷静に分析する。
最近まで学園都市の最深部にいた赤坂悠樹ならば、此方の事情を知られていたとしても不思議ではない。
「なら、少し待ってくれないか? この演算が終われば全員解放する。後遺症は無いし、誰も犠牲にしない」
何を都合の良い事を、と言いかけて、咄嗟に美琴は口を塞ぐ。
もしも木山春生が『幻想御手』の使用者を犠牲にするような人間ならば、そもそも今回の事件が起こらない。彼女のその言葉は、嘘偽り無く、限り無く真実に近い。
それでも、と美琴は思う。一瞬生じた迷いはとうに消え果てていた。
「……アンタのこの方法は、あの人体実験をやったヤツと同じよ」
「だろうな。――だから、どうした?」
その程度の事、実行者である木山春生が誰よりも痛感している。言われるまでもない。悩み苦しみ、その果てに出した答えは揺るがない。
「もう統括理事会は動いている。私に残された時間は余りにも少ない。方法を選ぶ余地も余裕も無いんだ、邪魔する者は誰であろうが叩いて潰す」
「――っ、仮に子供達を助けられても、アンタが死んだら意味無いじゃない! 恢復した時にアンタがいなきゃ、本当に救われた事にはならないわ……!」
一瞬だけ、木山春生の眼に動揺が走る。
――いつも、こんな事ばっかりだった。いつだって、大切な事は後から気付かされる。此処に至るまでの一本道でさえ、そんな初歩的な事を見落としていた。
「こんなやり方をしないなら私も協力する。悠樹(アイツ)だって、面倒臭がりながらもちゃんと手伝ってくれると思う」
――やはり、子供は嫌いだ。
損得の勘定無く、それが正しいのだと感情のまま動き、いつも驚かせて困らせる。自分達が大人になるまでにいつの間にか失った純真さを、嫌なほど見せつけられる。
「……優しいな、君は。出来れば違う出会い方をしたかったよ」
本音を吐き、木山春生は能力を行使する。咄嗟に避けた美琴は「分からず屋っ!」と叫び、動きを封じようと電撃を放射する。
今更止まる事は出来ない。後一歩で、彼女の目的が成就するのだから――。
――第二位『未元物資』と第八位の激突は前回と違い、両者共に無傷で終わった。
赤坂悠樹は苛立げに舌打ちする。
前回と同じ手口など到底通用しないだろう、と目測を立てていたからこそ、四日後に仕上がる予定だった対物ライフルの試作モデル『鋼鉄破り(メタルイーター)』でぶち抜こうと思っていたが、決戦に間に合わないのでは意味が無い。
牽制用に仕立てた丈夫だけが取り柄の小銃も、傷一つ刻めないのならば脅威に成り得ない。
「六枚翼の天使か、笑えるほど似合わないな」
「心配するな、自覚はある」
垣根帝督の背中から六枚の翼がゆったりと羽ばたく。
予想通り、垣根帝督は全力を見せていなかった。白く輝く極光は彼の能力であり、能力の全開時のみ展開されるのだろう。
そして彼の何気無い言動から、この形状は本人の意図とは関係無いものらしいと推測出来るが、今は全く関係無い話である。
「――『未元物質(ダークマター)』とは名前通りの能力だな」
言葉とは裏腹に、悠樹は苦悶に満ちた顔を浮かべる。
事前に垣根帝督の能力の正体を幾十通りも想定し、その実態が想定した中で最悪の能力だったからだ。
ただでさえ地力で劣っているのに、今は『幻想御手』のネットワーク遮断の為に常に一割から二割ほど容量を割いている。
この制御を一度でも取り乱した時点で、赤坂悠樹は『幻想御手』によって問答無用に昏睡し、無防備のまま殺されるという最悪すぎて笑えない結末が見え隠れしている。
「言葉にすれば『この世に存在しない素粒子を生み出す、または何処からか引き出す』だけだが、その一つの異物が既存の物理法則を塗り替えてしまう。学園都市に存在するほぼ全ての能力者にとって天敵たる能力だな」
例えば垣根帝督と御坂美琴が戦った場合、御坂美琴の電撃は『未元物質』という異物が存在する空間では違う物理法則に沿って歪められてしまい、まともな能力行使が出来なくなる。
その中で、垣根帝督だけが自分の土俵で思うがまま戦えるのだから、初めから勝負にすらならない。
やはり「第二位からは次元違いか」と愚痴らずにはいられない。
「良く気づいたと言いたい処だが――気づいたのがテメェだけだと思ったか?」
赤坂悠樹とは反面、垣根帝督は余裕綽々の表情で嘲笑う。
垣根帝督にとって、自身の能力『未元物質』の詳細など知られた処で何一つ問題無い。解らないのならば自分から親切丁寧に説明しても良いぐらいだ。
その程度で第二位と第八位の絶対的なまでに隔絶した優位は崩せない。だが、第八位の能力はとなると、事情は一変するようだと帝督は笑う。
「十八日の時、テメェが一瞬の内に行使した能力は『加速』『逆行』『停滞』『停止』の四種類だった。一方通行(アクセラレータ)みたいなベクトル操作じゃ『多重能力(デュアルスキル)』をあそこまで装う事は出来ねぇし、単純に速度を操る能力も同様だ。テメェの能力の正体は――」
「……やれやれ。『未元物質(ダークマター)』を見極める代償は、オレの腕一本程度では不足だったか」
殺気立った顔で「初めてだよ、完全に見抜かれたのは」と悠樹は自嘲する。
対象を加速させ、また逆行させ、停滞させ、停止させる。――それはまるで『時計の針を指で弄る』ような、気づいてしまえば余りにも解り易い能力の片鱗だった。
「――『時間暴走(オーバークロック)』、それがオレの能力の本当の名だ」