俺は今、アーハンブラ城での経過を報告するために陛下の元へ向かっているが、ひとつの決意を胸に抱いていた。今回、事前に作戦の説明が無かった件については、どうしても文句を言ってやらないと気がすまない。 たとえ、その後何を言われようと絶対に言ってやるぞ、という不退転の決意をしながら俺は謁見の間に入った。■■■ side:ハインツ ■■■ いつものように妙な仕掛けが無いのものか、と思いながら謁見の間に入ると、今までとは雰囲気がまるで異なる空間が広がっていた。 謁見の間には違いない。しかし全体的に薄暗く、調度品もいつもより豪華になっている。しかもそれらの調度品からは煌びやかな美しさは感じられず、変わりに重々しい威圧感を放っている。 そして何より、玉座に座る人物がいつもと異なり、王としての正装をしている。豪華ではあるがやはり暗い雰囲気を漂わせる装いで、威圧感、いや、王の威厳が隠しようも無く放たれている。まさに「虚無の王」と呼ぶにふさわしい威厳だ。 いつもとまったく違う様子に少し気おされながらも、報告を行うため俺は陛下の眼前へと進んでいく。進めば進むほど陛下から放たれるプレッシャーが強くなる。 いったい今日の陛下はどうしたのだろうか? 陛下の前まで到達した俺は、周囲の重々しい雰囲気に呑まれたかのように格式ばった挨拶をする。 「ハインツ・ギュスター・ヴァランス、ただいま帰還いたしました」 すると陛下はやはり重々しい口調と声色で答える。 「良くぞ戻った。忠勇なる我が僕よ」 いつに無く真面目な態度の陛下。もしかしたらこれも何かのネタなのだろうか? とはいえ、今はいつものように軽いノリで話せる状態ではない。 そう思っていると陛下は続けて話を始める。 「して、アーハンブラ城での作戦の首尾はどうなった、まずは報告を聞こうか」 やはり真面目な陛下、やや調子が狂うが報告をするこちらとしては、いつもの馬鹿騒ぎよりはずっとやりやすい。 「はい、作戦は成功です。主演たちは虚無の担い手であるルイズの指揮の下、己の能力を最大限に活用し、さらに仲間同士連携を取り合うことで、自分たちの力を何倍にも引き出していました。詳しい経過は……」 そうして俺は細かなことまで報告していく。 「以上です。今回の作戦により、主演たちはこれより先ガリア王を明確な”敵”とみなして行動するようになるでしょう。また、彼らの力もさらに上昇しましたし、同時に北花壇騎士団の不穏分子を排除することが出来ました」 そうして長い報告を終える。それを黙って聞いていた陛下は、やはり厳かに話し始める。 「そうか、よくやったすばらしい。ことは全て我らの思惑通りに進んでおるな、ロキ卿」 ロキ卿? 確かに俺は公爵だから”卿”と呼ばれてもおかしくは無いが、それなら『ヴァランス公』って言うのが普通だろう。なぜ裏の名前の”ロキ””に卿付けなんだ? とはいえ、返事は返さなければなるまい。 「はい、事は順調に進んでおります」 「主演たちの力はどうだ、彼らの能力は最終作戦の前哨戦たる、余の軍団との戦いを切り抜けられる程成長したか?」 彼らの成長率は凄まじい。俺の予測を大きく超えるほどだ。特に才人とルイズ、この2人は特に顕著だ。 「はい、今の彼らなら個人としても、集団としても、最高峰の錬度で戦術展開が可能です。特にガンダールヴの青年と、虚無の担い手の少女は素晴らしいの一言です。次の作戦に進んでも問題ないかと」 「ふむ、後ひとつふたつは試練は必要かとも思ったが、予想以上だな。ロキ卿よ、其方から見てどうだ、今のガンダールヴと其方が戦えばどちらが勝つ?」 今の才人と俺か、”毒錬金”を使わずに純粋な戦闘力を競い合うなら―――― 「ガンダールヴの少年でしょう。私では今の彼の速度に対応できません。”ヒュドラ”を使ってようやく五分というところでしょうか」 「ならば虚無の娘はどうだ。かの者の頭脳は余と比肩できる領域に達したと思うか」 今やルイズの周りには彼女の頭脳は並び立つものは居ない、しかし陛下と比較するとまだ――― 「今の彼女の頭脳に匹敵するものは、それこそ世界の中でも、片手の指で数えるほどしか居ないでしょう。方向性はやや異なりますが、イザベラ宰相と同じ領域にいます。しかし、陛下と比較すると、まだその域には達していません。だがそれでも十分すぎるほどの成長をしています」 「ふむ、そうか」 そういって黙り込む陛下。何か考えているのか。 しばし沈黙が続く。この雰囲気の中での沈黙は寒々しさすら感じる。今回の陛下は真面目さは何なんだろう、やはり何かのネタなのだろうか。でもだとしたら一体何だ? 俺は謁見の間に入る前の決意を思い出し、思い切って陛下に切り出す。口調はこの雰囲気にあわせたままで。 「陛下。失礼ながら、陛下にひとつ聞かせていただきたい事が御座います」 「分かっておる。其方の心に怒りを感じるからな、此度の作戦を事前に説明しなかった件であろう。違うか?」 「はい、左様です」 「そして、そなたはその原因について大体は理解している。それでもなお、余に問うか」 「無礼は承知で御座います」 「よい、咎めている訳ではない。では話そう、其方は此度の作戦を始める前に既に、虚無の娘の成長が目覚ましいものだと言っていたな。それであえて、作戦について其方に話さなかったのだ。なぜならばそこまで成長した娘ならば、作戦中にわれらが裏で糸を引いていることに気づくやも知れん。その段階で知られては、脚本全体を大幅に修正しなければならなくなるからな」 確かにそのことは俺も考えた。今のルイズならばいつ気づいてもおかしくない。 「其方に事前に説明すれば、虚無の娘は其方の態度のわずかな違和感も察知するかも知れん。そう考えたゆえに事前の説明をしなかった。そうすれば其方も必死になって事にあたるため、気取られることはまず無い」 そうだったのか。てっきり俺を慌てさせるためだけかと思っていたのだが、陛下に対する先入観でそこに気づかなかった。少し反省しければ。 「だがロキ卿よ、其方には辛抱が足りんぞ。これしきの事で怒りを表面に出すのは修行が足りん。闇の継承者を自負するのであれば、忍耐を持たんとな。闇は寛大だ。しかも辛抱強い。そしていつも勝利する」 ん? どっかで聞いたなそれ。 「申し訳ありません、陛下」 しかし、ここは素直に謝っておこう。今日の陛下は真面目で言ってることも結構正しいし。 「其方の力は強大だが、まだまだ余の導きが必要のようだな」 あれ?このフレーズもなんかどっかで聞いたことあるな。これはもしかして…… 「それではロキ卿よ、次の作戦の準備に移るがよい。期待しておるぞ」 「畏まりました。国王陛下」 俺はそう答える。俺の予想が正しければきっと次の台詞は…… 「ダークサイドのフォースは常に其方の下にある。我が弟子よ」 やっぱりそうか!!! 俺は一気に脱力する。 「”スターウォーズ”だったんですね。今回は」 シスの師弟の会話、という状況設定だろう。 「まったく最後まで気づかんとは、本当に修行が足りんぞハインツ」 口調が元に戻る陛下。銀河皇帝プレイは終わったらしい。 「そりゃ気づきませんよ。ダース・ヴェイダーに銀河皇帝、暗黒の主従って、俺と陛下にそのまま適応されるじゃないですか。役にはまりすぎですよ」 「そうだ、だからチョイスしたのだからな。しかし、俺がこれをやろうと思ったのは、お前とダース・ヴェイダーの特徴に類似点が多かったためでもあるのだぞ」 確かに。190もの長身で、全身黒尽くめ。エピソード3のアナキンヴェイダーはまさに今の俺のような感じだ。 「だから、あとはお前を火口に放り込めば完璧だ。安心しろ、既に火竜山脈を調査して、よさそうな火口をいくつか候補にしてある。好きなのを選べ」 なにふざけた調査してんだこの人。大体そんな暇無いだろあんた。 「ミューズのガーゴイルは優秀だ」 「ああそうですか、後相変わらず人の心を読むのやめてください」 「まあそういうな、それでどうだ、この火口なんか実際にヴェイダーが落ちた感じに近くていいと思うが」 ちなみに陛下は『スターウォーズ』の映画を見たわけではなく、文庫本全巻と、映画雑誌(写真あり)を読んでいたらしい。 「やめてください。死にますよ俺」 「虚無の使い魔をなめるな。ミューズならば持ち主の思い通りに動く義手と義足を作るなどは、造作も無いことだ」 本気か、本気で俺は火口に落とされるのだろうか。 「まあいい。冗談はこれくらいにして、これは私事だが、お前に言っておきたいことがあるのだ」 よかった、冗談か。 「俺に言いたいこと? それも私事とは珍しいですね」 陛下が作戦以外で俺に話とはなんだろうか。 「と、その前にだ、今回の作戦変更についての話は本当だぞ、主演たちの成長速度は当初の予測を軽く超えていたからな。そこで思ったのだが、俺とお前はまさにピッタリの主従だ」 「は? どういうことです、それ」 私事はどうした。それになんかヤだな、それ。 「ああ、大幅な計画の修正をしたのは今回で2度目だが、最初のトリステインの王女――今は女王だが――の暴走のときも、今回の主演の予想以上の成長のときも、どちらもお前が奔走することによって解決している」 いや、ちょっと待て、やらせたのはアンタだろ。 「はあ、でも陛下なら別の方法でも何とかできたんじゃないですか」 できるだろ、その何が詰まってんだか知れない脳みそなら。 「相変わらず無礼な奴だな。しかしだ、確かに出来ることは出来る、が費用も時間も人手も比べ物にならんくらい掛かっただろうな。単独でお前ほど場を引っ掻き回せる者を、俺は他に知らん」 褒められているようには聞こえないが、陛下の顔は結構真面目だ。しかも、さりげなく心を読んでる。 「だからお前と俺、という組み合わせは実にうまく出来ているものだ、と思ったのだ」 言われてみればそうか、陛下も声も顔も真剣だし、これは納得できるものがある。 「それに今回の件で被害を受けたのは、お前だけではない、俺もだ」 「陛下も!?」 一体なぜ? 「それで、さっき私事の話に戻るわけだが」 ここで戻るのか、しかし、陛下の私事と陛下が受けた被害に何の関係があるのだろうか。 「イザベラの躾はしっかりしておけ」 「―――は?」 いったい何を言い出すのかこの人は。 「だからイザベラをしっかり調教しておけといったのだ。おかげで俺は酷い目にあったのだぞ」 調教てあんた。 「というか、話がぜんぜん見えません。何があったんですか一体」 陛下をして酷い目とは、イザベラは一体何をやったんだ? 「まあそうだな、教えてやろう。お前が来る前に、イザベラの奴もここに来たのだ」 「イザベラが? 珍しいですねあいつがここに来るなんて。一体どんな用件だったんですか」 本当に珍しい。今のガリアの国事は国王の採決を必要としない。王印は宰相であるイザベラが持っている(俺が盗ってきたやつ)ので、最終決定はイザベラの元で決まるのだ。だからあいつがここに来ることは滅多に無い。 「お前と同じようなものだ、早い話が今回の作戦に文句があったのだな。だが、その方法は我が娘ながら見事だった」 「何をしたんですか、あいつ」 「ああ、無言でここに入ってくるなり体中から殺気、というより殺意を放っていたからな。危険を感じたのでとりあえず”加速”でその場を離れようと、杖に手を伸ばしたのだが」 さすがに陛下といえども自分の娘に手は上げないか。これが俺だったら”爆発”で吹き飛ばされてるな。 「俺が詠唱に入る刹那のタイミングで、イザベラが唱えた”レビテーション”によって杖が俺の手から離れた。さすがの俺も驚いたぞ。あれが魔法を使うところなど初めて見たからな、一瞬呆然とした」 確かに、あいつが魔法を唱えるとは珍しい。一緒に居ることが多かった俺でさえ、あいつが魔法を使うのを見るのは稀だ。せいぜい書類の束を移動させることぐらいしか使わないし、そもそも普段から杖を持たないからなあいつ。 ていうか初めて見たって、あんたどんだけ育児放棄してたんだ。 というか陛下の”加速”を止めるとは、イザベラに一体何があったんだ。 「そしてその一瞬のうちに、ガンダールヴもかくや、というスピードで俺の目の前に迫ってきて、俺の首を掴んだ。予備の杖の指輪があっても声が出せんのでは意味が無い。そうしてあいつは全く感情が篭らない眼と声でこう言った。 『今回の作戦でシャルロットの心を傷つけて、しかも危険な目にあわせたようですね。そしてそのことを事前に私に知らせてなかった。父上、私は貴方が居なければこの世に生まれてませんでした。だからそのことは感謝してます。けれど、それとこれとは話は別。今回のことは私の忍耐の許容範囲を超えました。だから、さようなら、父上。』 そういって、一瞬言葉をため、絶対零度の冷たさであいつは。 『死ね』 と言って俺の首を絞める力を強めた。アヒレスやゲルリッツにも匹敵しそうな力だったな。俺の危険を感知したミューズが来るのが2秒遅ければ、俺は志半ばで倒れてたぞ」 陛下を圧倒したのはシャルロットへの愛か。素晴らしきシスタ-パワー、姉の愛は偉大だ。 「そういうわけだ、これもおまえがしっかり躾けてないからだ」 「いや、娘の躾けは親である貴方の責任でしょう。育児放棄の責任を俺に押し付けないでください」 「何を言う、6年前からあいつはお前の管轄だろう」 は? 6年前、一体何のことだ。 「なんだ、6年前お前が俺に”イザベラが欲しい”と言ったのを忘れたか」 それってひょっとして、あいつを参謀長として引き抜いたときの事を言ってるのだろうか。まあ、確かに言ったなあ、イザベラが(北花壇騎士団に)欲しいって。 「あの時俺は感心したのだぞ。男親に面と向かって”娘さんを、僕にください”という気骨ある若者が現代にいたとは、とな。そして”ああ、この若者になら娘を任せられる”と思ったものだ」 嘘付け、その日本の価値観知ったの最近でしょ。当時のあんたはそんなこと知るはず無いだろうに。すごいなこの人、屁理屈こねて育児放棄を正当化しようとしてる。 「というわけで、あいつのことは万事をお前に任せてるのだ。それともあいつの面倒を見るのは嫌か?」 「まさか、そんなことありません。あいつの面倒を見るのは俺にとって楽しいですし、あいつが嫌じゃなければこの先ずっと側にいようと思ってますよ。でも、今回の件は事前に説明しなかった陛下が悪いでしょう、あいつに秘密にする必要な無かったはずです。説明さえされてれば、あいつも聞き分けますよ。そこを公私混同させる奴じゃないんですから」 「まあ、確かにそうだな。さすがに今回は俺の落ち度ではあるか。しかし、それはそれとして、俺は本当にあれの事はお前に任せているからな」 「はい、それは構いません」 「そうか」 そういいながら陛下はなんとも表現しづらい笑いを浮かべた。 そうして俺が退出しようとすると。 「ああそうだ、ハインツ。俺は今回気づいたことがある」 と、陛下が話しかけてきた。 「何に気づいたんですか」 「今回の趣向は少々おとなしすぎた。やはりお前で遊ぶには、ドラゴンボールか聖闘士星矢のほうがいい」 まだやるつもりなのか、あれを。 「いい加減にしてくださいよ、さすがの俺も相手するの疲れてきました」 「何を言う。何のために俺が、貴重な虚無研究の時間を割いてまで、漫画などを熟読してやってると思ってる」 頼んでねえよ。 「俺をおちょくるため、ですか」 「そうだ。そうでなければこんな事するか」 そう言いながら嘲笑う悪魔。 だが、俺の忍耐にも限界と言うものがある。ここらでこの悪魔に、目の前にいるのは従順な家畜では無く、牙を持つ獣だということを教えてやらねば。 「陛下。たった今をもって俺の沸点が臨界点を超えました。俺、ひいてはイザベラやシャルロットのためにも貴方をここで打倒します」 「ほう、来るか。そうだな、一度くらいは真剣に相手してやるのもいいかも知れん」 「余裕ですね。この”毒殺のロキ”を相手に笑えるのは貴方くらいです」 「当然だ、お前程度なら何人がかりでも俺の敵ではない」 そして俺と陛下は対峙する。 「秘薬漬けにして、研究室の標本として飾ってあげますよ!!」 「おもしろい、”精神支配”のルーンの実験台にしてやろう」 そうして闇の公爵と虚無の王がぶつかり合う。限りなくしょーもない理由で。■■■ side:イザベラ ■■■ 馬鹿親父に文句を言いに(本当は殺しに)行った後、私は執務室の戻っていつもどおりに仕事を処理していた。 まあ、あれだけやればさすがにあの青髭も少しは懲りたでしょ。多分、きっと、おそらく。 仕事がひと段落ついたかな、と思ったときにヒルダが声をかけてきた。 「イザベラ様、そろそろ少し休憩にしませんか。ちょうど、良い葉が手に入ったのでお茶にしましょう」 「そう、いいわね。準備してくれる?」 「はい、畏まりました」 そう言って、執務室に隣接してある仮眠室に入っていくヒルダ。この仮眠室は休憩所も兼ねてるので、テーブルとか戸棚とかもある。ちなみにふたつの部屋の間に扉は無い。 さすがに元お嬢様と言うべきか、紅茶の淹れ方や葉の目利きにかけてはヒルダは一流だ。私はその足元にも及ばない、王女なのに。 私は書類を読みながらヒルダの準備が終わるのを待ってると、ヒルダが戻ってきた。 「いま、お湯を沸かしてますのでもう少しかかります。そういえば、ハインツ様がお戻りになってるそうですよ」 へえ、帰ってたのねあいつ。 「となると、今は謁見の間かしらね。だとすればもうじきここに来るわね」 「そうですね、休憩中にいらっしゃるかもしれません」 何て事をいってると、執務室の扉が開きハインツが入ってきた。噂をすれば影、ね。 「おかえり、ハインツ。今回は災難だったってね」 私はそう声をかけるが、なんだか様子がおかしい。いつものハインツなら扉を開けるなり挨拶をしてくるはずだけど、今回はそれも無かった。何かあったのだろうか? いぶかしんだ私は、立ち上がってハインツの元へ向かう。ふと見ると、ハインツのいつもの黒尽くめの服の胸元が開いていて、白い肌の上に何かが記されてる。 一体何? と思ってると、完全に予想外のことが起きた。 ハインツが私を抱きしめたのだ。 な!?な!?な!? 一体何が起こったのか分からなかった。 しかし、間違いなく私はハインツに抱きしめられている。服を通して、ハインツの体温が嫌というほど感じられる。自分顔が真っ赤になってるのがわかる。 頭に血が上り、思考がヒートして止まりそうになるが、私は何とか理性の尻尾を掴むことが出来た。 そう、私は北花壇騎士団団長、”百眼”のイザベラ。例えどんな事だろうと冷静に対処しなくては!! そう思ってヒルダのほうへ顔を向ける。私は荒々しく抱き付かれているのではなく、優しく抱きしめられてる状態なので、何とかヒルダのほうを見ることが出来た。 うん、ヒルダも驚いてる。口に両手を当てて固まってるわね。いつも冷静なヒルダだけど、さすがに”ハインツが私を抱きしめる”という状況は、彼女の脳の処理能力を超えてしまったらしい。 そういう他人が固まってる様子を見て、私は頭のクールダウンを成功させることが出来た。 やはり私も年頃の娘だったか、と、どこかほっとする自分が居るのが若干悲しいが。 状況はいまだ抱きしめられてる状態だけど、もがくとか、突き飛ばすとかの選択肢は思いつかなかった。というのも、私はハインツに抱きしめられてることを不快に思ってない。逆に妙に安心した気分になれる。 そういう効果もあって、私は普段の冷静さをとり戻す。 たぶんハインツがこうなってるのは胸の印――おそらくは何かのルーン――の所為だろうから、諸悪の根源はあの青髭ね。 でも原因が分かっても対処法が分からなければしょうがないか、と思ってるとハインツが私から離れた。 と思ったら私の肩に手を乗せて顔を近づけてきた。 このままだとどうなるか、そう考えた瞬間再び脳がヒートしてしまい、私は動けなくなる。”ああ、やっぱ美形だわこいつ”という客観的評価を下すことによって何とか冷静になろうとするも――― ハインツにキスされたことによって完全に理性は飛んでいった。 ――――――は!? あまりの事態に私の意識もしばらくトンでしまったようだ。しかし、飛んでいった理性が一周して戻ったのか、何とか思考を再開させる。 現在の状況。私はハインツとキスの真っ最中。しかも濃厚に舌を絡ませるディープキス。「ん、んん、ん」 私の口から声が漏れる。マズイわ、何がマズイって私がハインツとキスしてるこの状態に、まるで嫌悪感や不快感を感じてないことがマズイ。 このまま流されてしまいそうになる。けれど無意識にハインツの背中に回そうとしていた腕を何とか止める。 これはハインツの意思じゃなく間違いなくルーンの所為。だからこのまま流されるのは、ハインツにも私にも失礼だ。 そうして使命感に燃えることによってなんとか冷静になろうとする。とりあえず体格の違いから私からハインツを離すのは無理、というか足にまるで力が入ってない。ハインツじゃこの先の行為は出来ないだろうから、とりあえずキスが終わるのを待つしかない。うん、大丈夫、私は冷静、北花壇騎士団団長は伊達じゃないわ、さすが”百眼”グッジョブ私。 しかしふと気づくと、ハインツが絡めてくる舌に自分の舌も応じている。……ヤバイ、やっぱり流されそうになる。そういえばコレ、私のファーストキスよね。 何て、私が冷静に錯乱してるとハインツの唇が離れた。 とたんに今まで呼吸してなかったことに気づき、空気を求めて荒い呼吸をする。鼻で息すれば良かったんだろうけど、そんな余裕は無かった。 私が呼吸を整えていると、ハインツが口を開く。が、その言葉の内容は別の人間からのものだった。 『どうだった、我が娘よ、愛しの従兄弟君との熱い愛の抱擁の時間は。お前のことだ、冷静さを保とうとしながら錯乱していたんじゃないのか? ふ、やはりやられっぱなしは趣味に合わないが、娘に酷な事をするのも大人気ないと思い、反逆者への罰も兼ねてこういう趣向にしてみた』 やっぱ、あの青髭の仕業か。あの時殺さなかったことが悔やまれる。なぜ私は千載一遇のチャンスを逃したのかしら? 『なお、このルーンは自動的に消滅する。というのもな、メイジの体にルーンを刻んでも効果が続かんのだ。何とかできぬかと研究を進めたが、この法則は揺るがなかった。”精神系”だけならあるいは、とも思ったがまだまだ研究の余地があるな』 なんで後半の内容は真面目なものなのよ、と思いながら、私は世の中の理不尽について考えていた。 なんであんなのが私の父親なのかしら。 と思っているとハインツが倒れこむ、胸のルーンが消えてるから大丈夫だと思うけどやっぱり少し心配ね。 とりあえず仮眠室のベッドに運ぼうとするけど、私1人じゃ無理。ヒルダに手伝ってもらわなきゃ、と思ってヒルダのほうを見ると、あの娘は同じ姿勢で固まったままだった。 「ほらヒルダ、還ってきなさい。ほらほら」 と、ペチペチと頬を叩いてみると、ハッ!とした表情になってヒルダは還ってきた。 「申し訳ありませんイザベラ様。つい取り乱しました」 「安心して、私も似たようなモンだったから」 「ですが安心してください。画的には大変美しい光景でした。美男美女ディープキスなんて、滅多に見られるものじゃありませんから。眼福です、目の保養です。心が洗われます」 うん、いまだ錯乱中、と。 ていうか、衆目の面前でディープキスする美男美女がいたら嫌だわ。 「はい、ヒルダ、深呼吸。3分くらい続けてクールダウンしなさい」 そして深呼吸すること5分。ヒルダは今度こそ還ってきたみたいね。 「本当に申し訳ありません。ですがこれで普段どおりの私に戻りました」 心の底からそれを願うわ。 「とりあえずハインツを運ぶわ、床に倒れたままだから」 「分かりました。私が腕を持つのでイザベラ様は足のほうをお願いします」 「ん、了解」 そうして私とヒルダはハインツを仮眠室へと運び出した。 私たちは休憩をせずに仕事を再開した。正直、起きた出来事のインパクトが強烈過ぎて、休憩などしてられる状態じゃなかった。 だから、仕事に没頭することで、受けた衝撃を緩和させようとした。主にヒルダが。 そうして仕事を再開していると、3時間くらい経った頃にハインツが起き上がってきた。 若干顔色は良くないけど大丈夫そうね、足元もしっかりしてるし。 「おはよう、なんか災難だったわね」 と、私が話しかけるとハインツは何やら考え込むような顔をした後、私に言った。 「ああ、おはよう。ところでイザベラ、俺ここに来て何かとんでもない事しでかさなかったか?」 どうやら自分がここに居る理由や、今まで寝てた理由なんかは把握してるみたい。そういうところは流石と言うべきかしらね。 「別にたいしたことは無いわよ。ただアンタが私にキスしただけ」 私がそう言うとハインツは少し驚いた顔になった。こいつのこういう顔は珍しいわね。だけどすぐに真剣な顔をして私に聞いてきた。 「嫌じゃなかったか?」 「あんた以外の奴だったら不快や嫌悪を感じただろうけど、別に嫌じゃなかったわよ」 コレは本心。なんか自然に受け入れることが出来たのよね。 「そっか、よかった」 ほっとするハインツ。こういうところの気配りがこまかいのよねえ、こいつ。 「そう言えば、聞いたわよ。あの青髭に勝負を挑んだけどやられて、”精神支配”のルーンを刻まれたんだって? どうしてそんな無謀をしたのさ」 ちなみに情報源はシェフィールド。あの人は私が尋ねることはたいてい答えてくれる、まあ先刻のことがあったらデンワの声の感じも警戒気味だったけど。 「いや、このまま毎回のように玩具にされてたら体が保たんし、何よりお前やシャルロットに飛び火する前に、一度ガツンとヤってやろうと思ったんだが返り討ちにあった。迷惑かけてすまん」 「別に迷惑って程の事されてないわよ」 「そうだ、聞いたぞ、あの蒼き悪魔王相手に脅迫した挙句、殺害未遂したんだって? いやまさかアレに対抗できうる者がこんな身近にいるとは思わなかった」 ずいぶん物騒な言い草ね、まあ純然たる事実だから仕方ないけど。「私がそれを成しえたのはあの子への愛の強さゆえよ、あんたも前に言ってたでしょ、愛の力は偉大だって」 我ながらすごい恥ずかしい事言ってるけど、こういうのは勢いよ。言ったモン勝ちよ。 「だな、愛こそが最強だ。となると俺もお前をダシにされた場合はあの人に勝てるかもな」 「あら、うれしいこと言ってくれるじゃない。でもシャルロットは? あの子の場合だと違うわけ?」 「いや、シャルロット担当はお前、んでお前担当が俺だ」 「じゃああんた担当は誰よ」 「俺は年長者だぞ、自分のことは自分でやるさ、自己責任ってやつだ」 こいつらしいわね、まったく。 「そんなんだからこき使われるのよ」 「まあ、そうなんだけどな。でもこればっかは変わらないさ。それにしても陛下の意趣返しにしては穏便な内容だったな今回」 ま、確かに普段なら地獄の仕事量を送ってくるからね。 「流石に今回は自分に非があるってわかってるからでしょ。だからこんな幼稚な真似しかけてきたのよ」 曲がりなりにも人間らしいところがあったようね、それにしたって父親が娘にするようなことじゃなかったけど。 「だな、まあ何にしても大きな被害が出るようなことじゃなくてよかった」 「そうね、強いて被害を上げるとしたら、私のファーストキスとヒルダのポットくらいだもの」 沸かしっぱなしにしてたポットはえらいことになってた。 「ファーストキス……」 なんかハインツが怪訝そうな顔してる。 「何よ、悪い?」 私がそういう経験が無いのは間違いなくこいつのせいだ。 「いいや、ただ俺もだ、って思ってな」 意外な答えを言うハインツ。 「え、そうなの?」 いや意外でもないか、こいつは普通の男子が思春期に入るころは、兵学校で『影の騎士団』の連中と馬鹿やってたし、それから後も、やっぱり『影の騎士団』の連中と馬鹿やりながら、北花壇騎士として飛び回ってたんだから。でも。 「へえ、何回かは経験してると思ってたわ」 貴族の礼儀的に。 「いや、唇を重ねる、という行為自体はあるんだが、人工呼吸だったり、気管に入った血を吸い出したとかだったから、それは医療行為だ。キスをしようとしてキスしたことは一度も無い」 よく考えなくてもハインツが貴族の社交界に出たりするわけないわよね。第一、こいつは恋愛とは最も縁遠い男だった。 「寂しくて血なまぐさい青春送ってるわねぇ」 私も人のこと言えないけど。ちくしょう。 なんて思ってると、ハインツが私のほうを黙って見ているのに気づいた。私の顔、何かついてる? 「なあイザベラ」 普段どおりの口調のハインツ。 「何?」 だから次の言葉は予想してなかった。 「もう一回キスしていいか?」 その言葉に私はドキッとする。でもそれも一瞬で、すぐに落ち着きを取り戻して考える。 こいつとキスするのは嫌じゃないから、かまわないんだけど。 「別にいいけど、どうして?」 一応理由は訊いておかないとね。 「俺は今までずっと俺の意思で行動し、その結果を負う責任も俺であった。でも今回は違う。お前にキスしたのに、そこに俺の意思が無かった。陛下の所為だって言って責任を持たないこともできる状態だ。それは俺の流儀に反するからな、それにおまえだってファーストキスの相手が間接的に父親だってのは嫌だろ」 「確かに最悪ね」 父親じゃ無くても御免だわ。考えただけでもおぞましい。 「だから俺の意思で、俺の責任で、キスしたいんだ」 実にこいつらしい理由ね。 「あんたらしいわね、でも私でいいの?」 一応訊いてみると、ハインツはキョトンとした顔になった。こいつのこういう顔、新鮮だわ、なんかかわいい。 「お前以外はありえないだろ、というかお前以外のやつとキスしたくない」 それは私も同感、こいつ以外とはしたいと思わない。 「そ、わかったわ」 「ああ、悪いけど上向いてくれるか」 「うん」 そうして私とハインツは再びキスをする。 お互い2回目だけど、本当の意味でのファーストキス。 さっきみたいな深いキスじゃなくて唇が触れ合うだけのもの、だけどとても暖かい気持ちになれる、心が安らかになってるのがわかる。 多分こいつじゃなきゃこんな気持ちにはならないだろう。 10秒ほどして私たちは離れる。お互い顔を見つめあって、フッと笑う。きっとハインツも同じ気持ちだったんだろう。 「よし、今、此処でしたのが俺のファーストキス! 相手はイザベラ、これでバッチリ」 子供っぽく喜んでるハインツ、ていうか子供なのよね基本的に。こいつは。 「喜んでもらえて何よりね。ところで私これから休憩するんだけど、あんたも一緒にいてよ、アーハンブラ城のこと、詳しく聞きたいわ」 「ああ、それならいい土産があるぞ、前言ってたやつ。今もってくるからちょっと待ってろ」 そういって走り出すハインツ、せわしないわね、ったく。 「そうだ、ヒルダに謝っておきなよ、今回のごたごたでお気に入りのポットダメにしたんだから」 「りょーかーい」 そんなこんなで、いつもと同じ私たちの時間が過ぎていった。