神聖アルビオン共和国皇帝オリヴァー・クロムウェル、アルビオン軍総司令官ゲイルノート・ガスパール。 この両名の死によってアルビオン戦役は終結した。 それを成したのは8か月にも渡り戦い続けてきたトリステイン・ゲルマニア連合軍ではなく中立を保ってきたガリア軍であり、それを率いていたのはアルビオン王国第一王子ウェールズであった。 ここにハルケギニアの国際情勢は大きな転換を迎える。第二十五話 アルビオン戦役終結■■■ side:アンリエッタ ■■■ 私はここ数日一睡もしていなかった。 降臨祭の集結と共に連合軍はロンディニウムへと進撃し決戦を挑む予定となっていた。 しかし、降臨祭の最終日に起こった半数もの軍の反乱と、それによる総司令官ド・ポワチエ将軍とゲルマニア軍司令官ハイデンベルグ侯爵の戦死、そして全軍の壊走。なんとか半数の兵を本土へ撤退させることには成功したものの、アルビオン艦隊は無傷であり追撃を開始、そしてあの男、ゲイルノート・ガスパールが全軍を率いてトリステインへ侵攻を開始しようとしていた。 アルビオン侵攻の敗退で半数を失い、さらに軍需物資の大半も失った連合軍は最早軍の体裁を成していなかった。もしそのままゲイルノート・ガスパールの侵攻が開始されていればトリステインは数日で滅ぼされていただろう。 それでも残りの兵をまとめ国土防衛戦を展開するために、私と枢機卿は出来る限りの手段を講じようとしていた。兵站輜重に回していた諸侯軍に命令を下し、国内に残存する全兵力をトリスタニアへ集結させるため、それこそ寝る暇もなかった。 しかし、敗走から三日後、ロサイスから予想もしなかった知らせを持ってガリアの大使が訪れた。 応対した枢機卿が私の執務室に来たのはそのすぐ後のことだった。 「そうですか…あの男が死んだのですね」 枢機卿からの報告に私はかろうじてそう答えた。 「はい、ガリア軍師団長のアドルフ・ティエール少将、フェルディナン・レセップス少将、その二名が激闘の果てにゲイルノート・ガスパールの首を挙げたそうにございます」 枢機卿はいつもと変わらない様子で答える。動揺している私とは大違いですね。 「それで、アルビオンは降伏したのですか?」 皇帝クロムウェルもガリア両用艦隊の砲撃によって爆死したらしく、アルビオンは一気に指導者を失ったことになる。もっとも、あの男に比べればクロムウェルはいてもいなくても変わらないような存在でしたけど。 「はい、ホーキンス将軍がその指揮を引き継ぎ、司令官として全軍に降伏を命じたそうです。残念ながらアルビオンに残っていた連合軍はゲイルノート・ガスパールによって蹴散らされ、散り散りとなっておるそうですが」 枢機卿はそう答える。 「たった一人によってですか?」 「いえ、アルビオン全軍で蹂躙したそうではありますが、実質あの男一人にやられたと言っても過言ではなかったそうでございます。まあ、ガリアの大使の言葉ですので話し半分に聞くのが妥当ではありますが、あの男ならばその程度は簡単にやりそうでもあります。いえ、ありました」 言いなおす枢機卿。そう、その男はもういないのだ。 私はしばらく思考が纏まらなかったけれど、出てきた答えは結局一つだけだった。 「何はともあれ、あの男は死にました。私の民はこれで救われたということでしょうか」 私が気になるのはその一点のみ。 「はい、我がトリステインを狙う『軍神』は死にました。陛下の民を脅かす存在は最早おりません。例えガリアが全てを片付けたにせよ、我々の勝利です。国と民を守れたのですから」 枢機卿の言葉に力が籠る。彼もまた私と同じ心境なのだろうか。 そしてこれからの予定や調停の会議への出席などについて、触れる程度に話した後枢機卿は退出した。細かい調整については明日行うこととなった。 一人執務室に残った私は物思いに耽っていた。 「あの男が死んだ。私の全てだったものを奪った男が死んだ」 けれど、あの男がいたことによって私が得たものはそれ以上に大きいものだった。 私は18年前トリステイン国王ヘンリーと大后マリアンヌの第一子として生まれた。 父も母も私にとても優しく、幼い頃私は何も苦労も知らずに育った。ルイズという親友もいて、この世には幸せしかないのだと思えるくらい夢のような日々だった。 だけど、私が10歳の頃父が亡くなった。父はアルビオンからの入り婿であり前アルビオン王ジェームズの弟、そしてそのジェームズ王の嫡男がウェールズ様だった。 つまりトリステイン王家の血筋は母にあり、母が女王となることに何の問題も無かったが、母は父の喪に服し続け王となることはなく、この国の舵取りは枢機卿が一人で行っていた。 今の私だったら母に文句を言うどころではなく、蹴り飛ばしているかもしれませんけど、当時の私は母が王位に就かないことがトリステインに何をもたらすかも一切知らず、ただ大好きだった父が死んでしまったことが悲しくて、同じように悲しんでいるお母様に仕事を押し付けようとするなんて、なんて酷い人達だろうと見当違いな怒りを抱いていた。 そうして私は箱庭の王女として育った。 言ってみれば鳥籠で飼われる鳥、ただ求められる時に奇麗な声で鳴くことが仕事。そんな状況に私は不満を持っていたはずなのに、現状を変えようとする努力をしようとすらしなかった。何もしないくせにただ文句と我が儘を言うばかり。 「今思えば、なぜウェールズ様はそんな我が儘な娘を愛してくれたのかしら?」 まあ、私がウェールズ様を愛したことにも理由なんてないのだからそういうものなのかもしれませんけど。 そうして時が過ぎ、アルビオン王家はあの男、ゲイルノート・ガスパールの手によって滅びる寸前となり、枢機卿はトリステインを守るために私とゲルマニア皇帝との婚姻を結んだ。 その時も私は何もしなかった。ただ流されるままに漂っていただけ、“王女様”としての役割を果たすだけ、果たそうとする意思すらないのに。 「本当、あの時の私は生きてすらいなかった。ただ存在していただけ、ただのガーゴイルでも同じことができたでしょうに」 だけど、親友のルイズが私を救ってくれた。 私が書いたウェールズ様への恋文を回収し、攻めてきたアルビオン艦隊をも“虚無”の力で吹き飛ばし、トリステインは勝利した。そして私は“聖女”と崇められ女王となった。 「なのに私は変わらなかった。愛しい人が亡くなったのに何もせずただ漂うだけ、過去の思い出ばかりに縋って現実を見ていなかった。箱庭の王女が箱庭の女王に変わっただけ、流されるだけの人形であることは変わらない」 人畜無害な分、人形の方がましかもしれませんね、私達王族は“何もしない”ということが時に最大の罪となる。私はそんなことも分かってなかった。 ……お母様の血かしら? 「けれど、そんな空想の箱庭はあの男によって容赦なく破壊され、愚かな女王は現実に突き落とされた」 あの事件。私にとっては思い出すのも憚られる事件ですけれど、今の私の原点はあそこにある。 私はあの時初めて現実を知った。何もしなければこの男に殺されると。 『俺はゲイルノート・ガスパール、この無能な王子の国を滅ぼした男だ』 『こんな作戦ともいえん茶番など使わずとも我が『レコン・キスタ』は実力で持ってこの国を落とす、せいぜいその日を待っているがいい、無能な王家がまた一つ潰える瞬間をな』 『我が『レコン・キスタ』に敗北は無い、戦利品としてその女はくれてやる、次は国ごと滅ぼしてやると伝えておけ』 私が初めて現実で知ったものは“恐怖”だった。 朦朧とする意識の中であの男の声が呪いのように私の中に残った。 「薄情な女よね、愛する人を殺されたのに、自分が殺されることへの恐怖しか心になかったのだから」 だけどそれは逃れられない現実だった。 アルビオン王国を滅ぼし、ジェームズ王を殺し、ウェールズ様をも殺したあの男が、今度はトリステインと私を滅ぼしにくる。 逃げることは出来なかったし逃げられる場所もなかった。 私が逃げてもトリステインは滅ぼされ、次はゲルマニア、その次はガリア。あの男はハルケギニアの国家全てを滅ぼすまで進み続ける。始祖ブリミルの直系である私は絶対に逃れられない。 私は生きるために戦うしか道が残されていなかった。そしてウェールズ様を殺した相手への復讐心が戦うことを後押ししたのは皮肉な話だった。 「けれど、箱庭育ちの小娘が復讐心を滾らせたところでどうにかできる相手ではありませんでした」 学院が夏期休暇に入った頃、ルイズに頼んで情報収集に当たってもらうと同時に私はアルビオンへの侵攻を提案した。全ては復讐心に駆られてのことだったが、枢機卿や大臣達は反対のようだった。 ≪アルビオンに攻め込むのは得策ではない、空から封鎖すべきである≫ それが枢機卿を筆頭とする反対派の意見だった。ルイズの父君のヴァリエール公爵もわざわざ王宮まで参内して同様の意見を述べていった。 しかし、私の復讐心も枢機卿達の提案も、その全てを嘲笑うかのようにあの男の侵攻が開始された。 初めはゲルマニア東方、次にトリステイン北方、後はもう数え切れぬほど、次々と軍需物資集積場が襲われ大量の物資がアルビオンに奪われた。 タルブでの戦いで痛手を負い、しばらく動けないと予想していたアルビオン艦隊は恐るべき速度で再編を終え、まだ戦列艦の建造が始まったばかりのトリステインを容赦なく蹂躙していった。 もともと兵の数が足りず、さらに制空権を奪われてはなす術がなく、一方的にやられるだけの状況が続いた。ゲイルノート・ガスパールのみならず、その配下のホーキンス、ボアロー、ボーウッド、カナンの4将軍の名もトリスタニアでは知らぬ者はいないほどになった。 「だけど、その状況が私を変えたのです」 最早復讐どころではなく、私は自分の身を守るだけで精一杯だった。 すぐにでもあの男の艦隊がトリスタニアに現れるかもしれない、あの男が単身で乗り込んできて私の首を飛ばすかもしれない。 私はそんな恐怖にさらされていた。ジェームズ王はそうしてあの男に殺されたのだ。復讐心は刃どころか心を守る鎧にするのが限界だった。 そんな時、ルイズから様々な報告が来た。 トリステイン各地でアルビオンの戦列艦が目撃され民の間に動揺が広がっている。このままでは地方から混乱が広がっていく可能性があると。 そして私はトリステイン各地を行幸して回ることなり、私は初めて自国の民と直接触れ合うこととなった。 それまでは馬車から手を振るばかりで直接話すことなどなかった。しかし、恐怖に怯える民を元気づけるには直接言葉をかけるのが一番効果的であり、宮廷の貴族からも反対意見はなかった。古来より外敵から国を守る際に歴代の王達が行ってきた伝統の一つであったから。 それまで民といえばトリスタニアの市民しか知らなかった私にとって、辺境の農村に住む者は未知の存在と言ってよかった。 彼らは私の名前はおろか、私の父の名も、名君と謳われたフィリップ三世の名前も知らなかった。いえ、覚える意味がなかったのでしょうね、彼らにとって私は“今の王様”であり父は“前の王様”であり祖父は“前の前の王様”それで十分なのだから。 「皮肉なものですね、トリスタニアの市民にとって私は頼りない小娘、世間知らずの小娘で、私自身もそう思っていたのに、国民の多数派である農民にとっては自分達を守ってくれる“王様”以外の何者でもなかったのだから」 トリスタニアの市民は知っている。私が小娘であることを、政治の経験に乏しいことを、アルビオンとの戦の状況を。 だけど、多くの民は知らないのだ。私が若いことも、敵が強大であることも、日々の生活を守ることで手一杯で、そんなことに気を回す余裕などなかったのだ。 そして彼らは怯えていた。他国の艦隊に、見たこともない恐怖に。ゲイルノート・ガスパールに初めて会った時、怯えるしか出来なかった私のように。 「あの時の私はルイズに救われた。ならば今度は私が彼らを守らないと」 それが、“王”として初めて私が抱いた感情だった。 ゲイルノート・ガスパールは恐ろしい、これ以上なく恐ろしい、でも、戦わなければ殺される。私だけじゃない。私を王だと信じてくれている、王の助けを待っている彼らも蹂躙されることになる。 『皆様、何も心配はいりません。この国を脅かす男をこの私が必ずや打倒して見せます! 私はトリステイン女王、アンリエッタ・ド・トリステイン! 私がいる限り我が民が蹂躙されることも、この国が滅ぶこともあり得ません!』 精一杯の虚勢を張って言いきった言葉。 誰に指示されたわけでもなく、初めて私の意思で、私の民へ向けて言い放った言葉だった。 そうして、私の人生が始まった。 それまでの私は記号に過ぎなかった。“アンリエッタ”ですらなかった。ただの“王女様”、“女王様”という存在に過ぎなかった。 だけど今は違う。 アンリエッタ・ド・トリステイン それが私の名前。 トリステインは私の姓。 トリステインは私の国。 トリステインは私の誇り。 断じて、あの男に奪われてなるものか、私の民を蹂躙させてなるものか! その意志こそが、恐怖に怯えるばかりだった私に生きる力を与えてくれた。 「それからはほとんど休まず各地を巡った。移動の合間に書類に目を通して決済して、また別の村へ」 国の仕事は私が女王になる前から枢機卿が一人でやっていた。だから私がいなくても動かすことはできる。 だけど民を励ますのは私にしか出来ないことだった。こればかりは枢機卿では代行が出来ない、私しかいないのだ。 それを誇りに私は突き進んだ。だけど現実はどこまでも厳しかった。 「何とか艦隊の建設は済んだけど。それまでに受けた被害は大きく、民の不安も未だ根強い、そして敵の侵攻は止むことが無く哨戒網の隙をつき襲撃を繰り返している」 その状況に対処するには最早敵の拠点を潰すしか方法が無かった。けれど浮遊大陸アルビオンに軍をいつまでも駐屯させておけるわけもなく、あっという間に奪回されてお終い、兵を送り込むとしたら一か八かの決戦しか道は無かった。 「そして私は決断した。以前とは逆、枢機卿を筆頭に軍高官、各大臣、揃ってアルビオンに侵攻するしか道はないと判断し、私の言葉を待っていた」 それでも反対な者もいたようだけど、あのトリスタニア襲撃以来は皆無となった。 そして侵攻が決定した。襲撃してくるアルビオン軍を迎え撃つために既に2万近い兵の準備は進めてあったのでそれに兵站輜重用の諸侯軍を加え、遠征用の物資と士官を確保することとなった。 だけど数が足りず学生までも動員することとなった。 「全ては私達の無能故、それを彼らに押し付けることになってしまいました」 これは王家の過ち、王が不在でロマリアから出向してきた宰相が一人で国を支えている状態で、まともな人材が育つはずがない。 その頃の私はそのくらいのことは理解できるようになっていた。 「だから私はルイズに願った、“虚無”の担い手として遠征軍に加わって欲しいと、少しでも彼らへの負担を減らして欲しいと。王とは罪の塊ですね、民を守るために親友を戦場へ送り込むのだから」 ルイズは快く引き受けてくれた。クロムウェルが操る『アンドバリの指輪』への対抗策がルイズの『解除(ディスペル)』しかなかったのもあるけれど。 『気にしないでください姫様、ゲイルノート・ガスパールにトリステインが滅ぼされれば私も姫様も生きられませんわ。王家は当然として、その傍流であり最大の封建貴族たるヴァリエール家も皆殺しにされるでしょう』 『そうね、私達、死ぬ時は一緒ね』 そうして私達は笑い合った。私とルイズはどこまでいっても同じ立場でいられた。 片や“女王”、片や“虚無の担い手”。どちらも人々の期待を背負い、走り続ける定めにある。 「もっとも、ルイズはそんな定めすら破壊しそうな勢いでしたけど」 私にはそこまでは無理、これは持って生まれた気質なのでしょうね。 そうして侵攻作戦は開始されたけど、私の心から不安が消えさることはなかった。 ゲイルノート・ガスパール あの男に勝てるのか? その不安だけは決して消えることはなく、侵攻軍を見守った後、私は執務が無い時はひたすら神に祈り続けた。 どうかルイズが無事でありますように、兵士が無事に帰ってこれますように、そしてあの男を倒せますように。 しかし戦況は芳しくなく、ロサイスとシティオブサウスゴータの占領には成功したものの、敵艦隊は無傷、敵は全軍がロンディニウムに集結。我が軍の食糧は無くなり、追加で補給することとなったけれど、その補給船までもが敵の襲撃を受け数隻が拿捕された。 戦略ではあらゆる面で敵が上回っていた。 「最早決戦を行うしか道はなく、降臨祭の終わりと共に決着がつくはずでした」 けれど、クロムウェルの力を甘く見ていた。まさか都市全体を支配下に置くことが可能であるとは。 「ゲイルノート・ガスパールに集中するあまり、もう一人の盟主の力を見誤っていたよう」 そして連合軍は壊滅し、本国へ撤退することとなってしまった。 「ですけど、そこにガリア軍が突如参戦し、クロムウェルは爆死、そしてあの男も討ち取られた」 本当に、神ならぬ身には何が起こるか予測することなど不可能。 だけど。 「勝利は勝利、私にとって勝利とは敵を打ち負かすことではなく、国と民を守ることにあるのですから」 それが私の在り方、私の王道。 あの男がいたからこそそれを得た、というのはもの凄く皮肉ではあるけれど。 コン コン そこにドアをノックする音が響く。 「誰かしら?」 「私です、申し訳ありませんが、いくつか言い忘れていたことがありまして」 枢機卿だった。彼が言い忘れるとは思えない、恐らく私に心の整理をつける時間をくれたのでしょう。 ということは、これから聞かされる話は私にとって重要なことなのでしょうね。 「構いません、入ってください」 「失礼します」 枢機卿は書類を持って現われた。 「その書類は?」 「このたびの戦争において戦死した者の数をまとめました。まだ個人名は記載されておらず、それには今しばらくの時間がかかると思われます」 そうして枢機卿は書類を私に渡す。 私はその書類をじっと見つめる。 「大勢、亡くなられたのですね、この国を守るために」 「全てがそうではないでしょう、金の為に戦う者、名誉の為に戦う者、家族の為に戦う者、友の為に戦う者、戦う理由は皆それぞれでありましょう。ですが、彼らがトリステインを守るために殉じたのは間違いありませぬ、戦わなければあの男によってトリステインは滅ぼされておりました」 感謝してもしきれない、私は女王であるけれど戦う力は無い。 私に出来ることは戦場で戦う彼らの心の支えとなることくらいしかない。 「私は、彼らの王であれたことを、誇りに思います」 心の底からそう思える。 「陛下がそう思われ、国の為に生きられるのであらば、彼らの死は決して無駄にはなりませぬ。その心、お忘れにならぬよう、生き残った者は死者ではなく生者の為に働かねばなりません」 彼の言葉が心に響く、だからこそ彼は枢機卿なのだろう。ロマリアの人々が彼を教皇に推薦した理由がよく分かる。 「はい、決して忘れません」 私はもう迷わない、揺るがない、王として生きると誓ったのだから。 まだまだ未熟ではあるけれど、それでも民の為に出来ることはある。 「それで、もう一つ報告があるのですが、決してお取り乱しになられぬようお願いします」 そう言う枢機卿。 「既に今の状況があり得ないようなものです、最早驚くことなどありませんわ」 私はそう答える。 「左様ですか、では報告致します。このたびガリア軍を率いていた司令官が当然おるわけですが」 それは当然でしょう、軍である限り司令官がいないなどありえませんわ。 内心そう思う私。 「その司令官なのですが、ウェールズ王子であったということなのです」 「は?」 前言も虚しく私の思考は完全に停止したのだった。■■■ side:ハインツ ■■■ 『デミウルゴス』、“ヒュドラ”、“ラドン”のトリプルアタックを喰らい重傷を負った俺はテファのおかげで何とか復帰し、アルビオン戦役の後始末を開始した。 そして『ゲート』を利用して何度もヴェルサルテイル、ロンディニウム、シティオブサウスゴータ、ロサイス、レキシントン、ダータルネスを駆け回り、アルビオンの状況を逐一宰相のイザベラと九大卿に報告し、あちこちに指示を出していた。 そして現在それらの対応に一区切りをつけて“円卓の間”での会議を終了し、俺とイザベラは本部に戻って裏側の対応について相談を始めた。 「表側はとりあえず問題ないようだな、ウェールズがロンディニウムに入ったことで混乱も収まりつつある」 「それにガリア軍の統制がしっかりとれているのもあるわね、流石はあの4人ってとこかしら」 イザベラはそう答える。 「今回の戦いでは司令官にいいとこなかったからな、両用艦隊は実質アルフォンスとクロードが、陸軍はアドルフとフェルディナンが指揮を執ってるみたいだ」 そうなるように計画を練ったのだから当然ではあるが。 「そっちは軍に任せて大丈夫ね、調停の会議には既にイザークが出発したし、ゲルマニアやロマリアへの外交対策もあいつなら大丈夫でしょ」 「あいつなら問題ない、ロスタン軍務卿の支援もあるしな、金のことはカルコピノ財務卿に任せれば問題ないだろうし、国内のことはビアンシォッティ内務卿、ロアン国土卿、ミュッセ保安卿が担当してる」 九大卿はそれぞれの専門分野にかけては超一流の面子だ。俺達が心配せずともやってくれる。 「そうなると後は裏ね、トリステインとゲルマニアの今後の動きを監視するためにそっちに人員を派遣するのは当然として、アルビオンの治安維持が最大の焦点ね」 「だな、都市部は軍に任せりゃ問題ないが辺境はそうはいかんだろう。アルビオン軍はウェールズと共にロンディニウムに集結しているから現在は治安維持に回れない、傭兵やゴロツキは俺が根こそぎ刈っておいたけど一気に増加しただろうからな」 もと連合軍の傭兵達、軍籍を持つ者達はともかく今回の遠征用に集めれた者達は戦争終結と同時に野盗と化す可能性が高い。まして司令官が存在せず散り散りになったのならなおさらだ。 「フェンサーだけじゃ足りないわね、ガリア本土用に半分は残す必要があるから派遣できるのは150人くらいが限界、下部組織も動員するべきかしら?」 現在フェンサーの数は300人近くに達している。 この増員も最終作戦のために必要なことであり、そのうち200人近くはメイジではなく“身体強化系”、“他者感能系”、“解析操作系”のルーンを刻まれたルーンマスターで構成されている。 “精神系”だけは別だ、“忠誠”や“狂信”のルーンを刻まれた者は陛下の直属部隊として“ある任務”の要として動いている。 「いや、『ルシフェル』や『ベルゼバブ』を他国に派遣するのは問題があるな、万一ばれたら最終作戦に大きな影響が出かねん」 『ルシフェル』はマルコとヨアヒムが率いているガリア最大の盗賊団。専門はブリミル教寺院のみで私腹を肥やす神官共が溜めこんだ富を根こそぎ奪うのを生業としている。 それが北花壇騎士団の下部組織であり、暗黒街の八輝星の協力によって編成された部隊だ。現在は保安省の部隊と壮絶な戦いを展開している。 『ベルゼバブ』も同様だがこっちは悪徳官吏や人買いなど非合法な商売をやる連中専門の盗賊団、暗黒街の八輝星は違法すれすれの商売をやっているが、彼らの統制を離れ好き勝手やっている連中の粛清役としての側面も持つ。 『ルシフェル』や『ベルゼバブ』が罪のない国民への被害が出ない形でテロ行為を行い、ミュッセ保安卿率いる保安隊がその鎮圧に当たる。 平和になると今度は保安隊が民に危害を加えたり横暴な振る舞いを始めるので、こういった適度な緊張と強力な敵というのはしっかりと制御するならば有益な存在となるのだ。 「確かに、ちょっとリスクが大き過ぎるかもしれないわね、でもどうするの?流石に150人じゃ人員が足りないと思うけど」 そしてイザベラはそういった部分も掌握している。実戦指揮の責任者は副団長である俺だが、軍務卿や保安卿との調整があるので、宰相であり団長でもあるイザベラの存在はかかせないのだ 「実はアルビオンにはゲイルノート・ガスパールの私設部隊がいてな、主に国家にいらない奴らの排除にあたっていたんだが、ゲイルノート・ガスパールが死んだ今彼らの立場は危うくなる。そいつらを北花壇騎士団アルビオン担当下部組織にすればいい、地元民で構成されてるから地理にも明るいしな。しかもそいつらの司令官クラスは俺の“影”だったりする」 布石はちゃんと打ってある。“影”は本来北花壇騎士団内部粛清部隊だが、こういった俺個人で進めている任務も担当している。全員ホムンクルスなので裏切る心配も無い。 「相変わらず抜け目ないわねあんたは、確かに、利用できるものは何でも利用すべきね」 呆れながらも頷くイザベラ。 「まあな、とはいえこのアルビオン戦役は最終作戦の前哨戦で、アルビオンは共和制の実験場、神聖アルビオン共和国はその旗頭であり同時に害虫駆除役でもあったからな」 陛下の悪魔的頭脳が産み出した一切の無駄が無い壮大なる計画。 「いきなりこのハルケギニアに共和制、貴族が支配階級ではない政体を作り出すのは不可能、そのためには幾つか段階を踏む必要があり、失敗例も必要。そのためにアルビオンを共和制の実験場とし、聖地奪還を目指してハルケギニアに喧嘩を売らせておいてから滅ぼす。よくもまあこんな計画を思いつくわよねあの青髭悪魔も」 俺も同じ気分である。 「とはいえアルビオンの共和制は完全なものじゃない、貴族達の寄せ集めに過ぎないからあっという間に利権目当てで内部抗争を始める。要は衆愚政治の見本だな」 「だからそれを防ぐために強力なカリスマを持つ指導者を作り上げたわけね。それがゲイルノート・ガスパール」 「そう、彼によって腐った貴族は悉く抹殺され、有能な者は身分を問わず重用される社会が短期間で出来あがった。だけどこれは共和制というよりは独裁そのもの、要は血筋や家柄じゃなくて実力があるものが支配階級として君臨する機構ってわけだな。しかしこれには最大の欠点がある」 国家制度ってのは一長一短ありなのだ。 「君主には常に非凡な能力が求められる。実力者達を抑えつけ、無能な者を排除し、自分の指導力によって国を動かし続ける必要がある。そして停滞は許されない、停滞した時こそ組織の崩壊が始まることとなる」 実力主義の最大の弊害、常に目標を高く持ち、国外に目を向けさせなければ有力者達が次々に内部抗争を開始する。かつてのガリアはそれに近かったが実力主義ではなく、高い家柄の貴族が延々と内部抗争を続けるというどうしようもない国家体制だった 「まあ、だからこそある程度の試験統治が済んだら安定期に移す必要があった。それには6000年続いた王制の復古が一番手っ取り早いっつーわけだ」 「王制から共和制に移行しても農民からの不満は上がらなかった。つまり大半の平民にとってはどっちでもいいってことね、後はより治安が良くてより税が安い方がいい。ガリアで共和制に移行しても、少なくとも一部の特権階級が財産を溜めこむ社会よりは賛同が得られそうね」 「だな、それにガリアで貴族制を終わらせることはハルケギニアの変革を意味する。トリステインが約180万、アルビオンが約150万、ゲルマニアが約1000万、ロマリアが200~300万、これは難民が多すぎて実数が測れないからだな、そしてガリアが約1520万、総数およそ3100万」 俺はハルケギニアの人口分布を簡易的に述べる。 古代ローマ帝国の人口がおよそ6000万で、中世に入ってヨーロッパの人口は減少したそうだからその頃の地球と比べて極端に少ないわけではない。むしろ亜人や幻獣が跋扈していることを考えれば妥当といったところか。 「アルビオンが共和制になったところでそれは全体の5%程度に過ぎない、だけどガリアが共和制となれば全体の半数近くになるわね」 「そう、それにロマリアも滅ぼす予定だからロマリアの人口も加わる、つまり6割、半分以上が変わるわけだから共和制がハルケギニアの最大勢力となる。ゲルマニアは元々共和制と専制の中間みたいな国だしな」 「となると残るはアルビオンとトリステイン。ガリアが共和制へ移行することを妨害してくるとしたらその2国だけど、今回のアルビオン戦役でアルビオンはガリアに巨大な借りがあるからそれは不可能。トリステインも今回の戦役でガリアに多額の借金をしているから強くは出られない、というかそもそも国力が違い過ぎる。アルビオンの空の優位も、両用艦隊がアルビオンの航空技術を吸収したことで失われているわけね」 つまりガリアに対抗できるのはゲルマニアくらいになるが、そもそも始祖の直系ではなく、ロマリア宗教庁との関係も薄いゲルマニアには反対する理由が無い。 「よくまあここまで考えるもんだよあの人も、ついでに聖地奪還=『レコン・キスタ』=ゲイルノート・ガスパールっていう図式もハルケギニアの諸国に染み込ませたからな、ロマリアが聖戦を主導しても他国を引き込むのは難しくなる」 まさに悪魔の頭脳。 「となるとロマリアはどこかの国の王を自分の傀儡にする必要がでてくる。それを最も行いやすいのは弟を殺して王位を簒奪したと噂され、無能王と内外から嘲られるガリア王。彼を廃位させ自分達に都合が良い人物を王に据えるってことになるわね」 その人物は当然一人。 「だがそれは最大の悪手、なにせ“悪魔公”と“百眼”の大切な妹に手を出すんだからな、国ごと滅ぼされるくらいは覚悟してもらわんとなあ、くっくっく」 「そうね、それは言えてるわ。ふふふふふ」 笑い合う腹黒従兄妹二人。 やっぱガリア王家は暗黒の血だなあ、せめてシャルロットだけは無縁でいてもらいたい。 「まあとにかく、最終作戦への大きな布石はこれで打たれた訳だ。あとは細かい調整をやってやれば地獄の門が開く」 当然開けるのは“ロキ”たる俺の役目。 「準備は着々と進行中、開幕まであと半年ないでしょうね、もっとも、その前に膨大な仕事地獄が待っているけど」 「まあなあ、今回のアルビオン戦役の事後処理だけで相当な量になる。本番がどのくらいになるかはあまり考えたくないなあ」 過労死寸前で済めば良いが。 「あの青髭は絶対手伝わないでしょうからね、“未来を担う若者達に経験を積ませるのだ”とか言って」 「だろうなあ」 溜息をつく俺ら。 「とはいえやるしかない、俺達がやらない限りこの地獄がシャルロットに降りかかることになるからな、兄として姉としてそれだけは許容できん」 「そうね、私達の夢は温かい家庭のガリア家族、そのためには絶対にあの子にこの地獄を背負わせるわけにはいかないわ」 そして俺達は気合いを入れ、膨大な仕事地獄に立ち向かうのだった。