時は流れケンの月(10月)。 トリステインのアルビオンへの侵攻作戦が正式に公布された。 そのまえから既に傭兵を募集し戦列艦の建造を行ってはいたが、防衛戦のための軍備と侵攻戦のための軍備ではその規模に大きな違いが出る。 まあ、そうせざるを得ないように俺が追い込んだ結果なのだが。第十三話 遠征へ■■■ side:ハインツ ■■■ 北花壇騎士団本部。 俺とイザベラで例によって会議中。 マルコ、ヨアヒムは対ロマリア工作に動いているのでアルビオン関係について知るのは俺とイザベラぐらいだったりする。 「それで、トリステインの侵攻作戦が決定したわけね」 「ああ、女王だけじゃなく各将軍、大臣達、そして宰相のマザリーニ枢機卿も賛同して遠征軍が派遣されることになった」 「無理もないわね。このまま持久戦に持ち込んでもトリステインは疲弊する一方、もっとも、そこまで気付いているのは枢機卿だけかもしれないけど」 この事実を知るには大局眼と情報がかかせない。 アルビオン艦隊がしばしば現れ軍需物資集積場を襲撃しているのは宮廷で皆知っているだろうが、それによって地方の農民がどれほど動揺するか、国庫への負担はどうか、貿易の状況はどうか、そういった様々なことから総合的に判断しない限りトリステインがどれだけ危機的状況かは理解出来ない。 「だな、将軍達は自分の出世目当て、大臣や貴族はこのまま戦争が続くと自分達の財産がどんどん王国に取られるから、そんなとこが動機だろうな」 トリステインにはまともな人物が非常に少ない。伝統に頼るしか能がなく、役に立たないくせにプライドばかりが高い害虫が大量に繁殖している、それを使わねばならないマザリーニ枢機卿はさぞ大変だろう。 ガリアも数年前まではそんなんだったが、“害虫駆除”は完了しているので現在は問題ない。 「とはいえ、そんな無能な連中がトリステインを見限ってアルビオンに寝返ることもできない。何せアルビオンにはあのゲイルノート・ガスパールがいる、貴族だろうが無能だったら容赦なく切り殺されるのが落ちだもの」 以前“女王誘拐劇”の際に手引した高等法院長のリッシュモンという貴族がいた。 どうやら内通がばれて粛清されたそうだが、仮にアルビオンに亡命していてもゲイルノート・ガスパールに殺されるのが落ちだっただろう。 「トリステインに自分は有能だ、寝返っても重用されるという自信を持っている奴はほとんどいない」 アルビオンの大貴族で『レコン・キスタ』に寝返った者の中でかなりの数が殺されている。逆に身分が低い貴族でも、有能な者は重用される。平民だろうが官吏や軍士官になれる。結果、若くて優秀な奴らが集まる。 「かといって、ただ待っていてもゲイルノート・ガスパールに侵略されて皆殺しにされる。トリステイン貴族にとっては八方塞がりね」 貴族にとっては国よりも自分第一、だからこの遠征に賛成せざるを得ない。 「本当に国民のことを第一に考えるなら降伏するのが一番なんだけどな、そうすれば国民は安全だ。もっとも、引き換えに貴族は特権を全て失うことになるが」 アルビオンは降伏したものには寛大だ、だが、貴族はその特権を全て剥奪され、後は自分の力で生きていくことになる。 現在のアルビオンは共和制をとっているのでこの方策は国の在り方と一致する。 無能な王家を打倒し、有能な貴族の合議によって国を治めるというのが『レコン・キスタ』の大儀だった。 聖地奪還はともかくとして、有能であれば貴族になれて、無能なら殺されるという方式はこの大義と矛盾しない。 ハルケギニアの王国にとってはこれほど嫌な国は無いだろう。 「トリステイン貴族がそんな選択をするわけがないわね。真っ当な貴族でも誇りが邪魔してその選択は無理でしょうし、先祖代々受け継いだ領地を自分の代で他国に売るような真似、出来るわけがないわ」 「俺ならやるけどな」 「あんたは別よ」 ヴァランス領を売り払った前科持ちの俺である。 「ま、その辺を考えた上で侵攻せざるを得ないように仕組んだんだから、そうなってもらわなきゃ困るんだがな」 「『影の騎士団』の戦略は見事ね」 あいつらは戦争の天才だ、こういうことをやらせたら右に出るものはいない。 「そして、主演達にとっては最大の試練になるな」 「士官不足で貴族学生を士官として登用することにしたんだったわね。そうなると助演達も一緒に舞台に上がることになるわね」 「もっとも、女生徒は対象外だからシャルロット、キュルケ、モンモランシーは別、しかし女王直属の女官であるルイズは“虚無の担い手”として戦争の切り札として投入されるだろう」 “虚無”を得た王家がどう利用しようとするかなど考えるまでもない。 「さて、それに彼女は従うかしら?」 ここは大きなポイントだ。 「かつてのルイズだったらただ従うだけだったろうな。だが今は違う、自分で考えた上で決めるだろう」 それは才人も同じ、あいつらは本当に成長した。 「自分で考えた上で、戦争に行くのね」 「ああ、卓越した頭脳を持つルイズだからこそゲイルノート・ガスパールの戦略を読める。そしてこの遠征が失敗すればもうトリステインに後が無い、ということも理解できるだろうからな」 「そして、その使い魔も参戦することになるのね」 これが大きな転換点になる、乗り越えられればもう条件は大体整う。 「多分、今回の戦争ではロマリアから義勇兵という形で何人かの聖堂騎士が派遣されるだろう。目的は考えるまでもないが」 「あの国は信仰にすがるしか能がないからね、“虚無”に関係しないことなら一切動かないでしょう」 それが事実、故にロマリアの行動は非常に読みやすい。 狂信者にとっては様々な計画を練っているつもりなのだろうが、根底の目的が分かりやす過ぎるのでそこから逆に辿れば何をやってくるか簡単に察知できる。 「つまり、“物語”が一気に動くことになるな、トリステインの担い手がアルビオンに行く以上、テファと接触する可能性も高いし、そこは崩すべきじゃないだろう」 「だけど、ロマリアの狂信者が彼女に接近したら?」 「皆殺しだな」 そこは容赦しない。 「相変わらず物騒ね」 「狂信者は嫌いでな」 好きな奴がいるのかどうかは疑問だが。 「まあそれはともかく、アルビオン侵攻が始まるとすれば、ガリアも動くことになるわね」 「ああ、王子様もそろそろ目覚める、リハビリが済めば艦隊指揮にも入れるだろうしパリーさんを代表とするアルビオン組も頑張ってるし、そっちの準備はアルフォンスとクロードが進めてるから問題ない、それに陸軍の出動準備も徐々に進行中」 イザベラの仕事がまた増えることになるが。 「トリステイン、ゲルマニア、アルビオン、ロマリア、ガリア、それぞれの思惑がぶつかることになる。歴史の大きな分岐点が訪れるわね」 「ああ、だからマチルダにも少々動いてもらうし、ロマリアの縁者にもそろそろ接触することになるな」 「ジャン・コルベールだったかしら」 「ああ、その人は技術開発局にぜひとも招きたい人材でな、何としてもゲットする」 才人の話では彼は天才的なエンジニアだそうだ、よくぞこの魔法の世界からそのような人間が生まれたものである。 彼もまた時代の寵児の一人なのだろう、歴史の変わり目にはそういった異分子が大量に現れる。 これまでのブリミル教世界では異端とされて排除される人間があちこちで生まれているのだ。 「しかし、クロムウェルといいコルベールといい、見事におっさんばかりね」 「若いのはもうあらかた引き抜いたからなあ」 年取ったおっさんの中にもまだまだ有能なのはいそうだ。 「ま、国内は私に任せてあんたは国外に集中しなさい。特に『レコン・キスタ』の機構を壊さずにウェールズ王子に引き継がせるのは結構難しいでしょ」 「武力を利用できるのが救いだな。政変じゃなくて完全な侵略だから、一気に、そして強引に進められる」 一気に進めた方がいい場合もある。 「そう、じゃあ、最終作戦の前哨戦の準備を始めましょうか」 「だな、前哨戦だがここを落とす訳にはいかん、万全で臨めるように努力しよう」 俺は本部を後にする、やるべきことはたくさんある。■■■ side:マチルダ ■■■ 「そんなわけで、トリステインがアルビオンに侵攻することになったわけです」 ハインツがそう締めくくる。 私達は現在北花壇騎士団トリスタニア支部にいる、ハインツが今後の展開について話したいことがあるからと言って私をここに呼びつけた。 「ふうん、そりゃあ御苦労さまってとこだけど、あんたはどうすんだい?」 「当然、アルビオン軍総司令官として全力で迎撃します、もっとも、作戦を考えるのは俺じゃないんですけど」 あのゲイルノート・ガスパールはこいつと友人達で作り上げた軍人の理想像の一つらしい。 確かに、客観的に噂だけを聞く限りじゃあまさに『軍神』って渾名がぴったりに思えるわ。 「それでそのままトリステインを滅ぼすってわけかい?」 「いえいえ、そこからが大逆転劇の始まりでして」 そうしてその先の展開を語るハインツ。 聞き終えて。 「えげつないことこの上ないね」 それが私の感想だった。 早い話がトリステイン、ゲルマニア、アルビオンのそれぞれの軍にかなりの打撃を与えた上でおいしいところは全部ガリアが持っていく。 『レコン・キスタ』を作る時にそういう話はしていたけど、それは交易上の関係だと思ってたわ。 「悪魔が考えた脚本ですから、アルビオンは一時的にガリアの傀儡国家になりますね。ですが、最終作戦が終わるまでの間ですから」 要は例の最終作戦のときに余計な口を挟ませないための処置ってわけね。 「ま、今となっちゃあ私達にはそんなに関係ないことだけどね」 私は今もトリステイン魔法学院で学院長の秘書として働いているが、今までのロングビルではなく、本名のマチルダと名乗っている。 ハインツが手に入れてくれたジェームズ王の王印入りの公式文書のおかげで、私とテファはアルビオン王家から追われることはなくなった。 もっとも、『レコン・キスタ』が台頭している間はそんな心配そのものが必要ないのだけど。 「まあそうですね、後はブリミル教さえなくなればテファも自由になれるんですけど、それはもう少し先ですね」 「ほんとにあんたにゃ感謝してるよ。あの子が他人の視線を気にすることなく外を歩く日が来ることを、私はずっと願ってたからね」 だけど、別の意味で男性の視線を集めることは避けられまい。 あの子の胸は戦略兵器といっても過言じゃないからね。 「確かに、テファには光が似合いますから、闇を払うのは俺達でやりましょう」 その戦略兵器が一切通用しない異常者がここに一人。 「で、私は何をすればいいんだい?」 「今はまだいいんですけど、侵攻が始まったら、ウェストウッド村に行ってください。普段は盗賊とかは全部アルビオン軍が抑えてますが、侵攻が始まればサウスゴータ地方は戦場になります。ですから脱走兵とかが流れるかもしれないので、あの子達の護衛をお願いします」 本当にこいつはそういうことに気を配る。 「ありがとうよ、あの子の達のことを気にかけてくれて」 「いえいえ、それに狂信者共が徘徊する可能性もあるのでその辺も注意してください。そして、運命の歯車が合えば才人やルイズとテファは出会うと思います」 ほう、あの子と会うのね。 「あの坊とや嬢ちゃんはテファの友達になってくれるかしら?」 あの子には同年代の友達がいない、是非とも友達になってやってほしいものね。 「才人は元々エルフのことなんて気にしませんし、今のルイズならそんなことは気にも留めないでしょう。ですから心配ありませんよ、それにいずれトリステイン魔法学院に編入することになりそうですし」 「へえ、あの子がかい」 それはとてもうれしいことだね。 「まだ先のことなので脚本の変更があることも考えられますが、必要な要素の一つでもあるので大方間違いないかと」 「なるほど、だからあんたは学院の経営者をやってるわけね」 正確には金を出してるだけで経営者ってわけじゃないけど経営陣は全てこいつの息がかかっているし、学院長の秘書は私だ。 「ま、他にも色々理由はありますけどそれが占める割合は結構大きいですね」 ハインツはそう答える。 「ま、了解したよ、私はあの子たちを守れば良い、実に単純で簡単なことだね」 あの子たちを守るということにかけては私は誰にも負けるつもりは無い。 「お願いします、そうしていただければ俺は『レコン・キスタ』の方に専念出来るので」 「任しときな」 そして私は学院への帰途に就いた。■■■ side:ハインツ ■■■ マチルダと話した次の日、俺は今度はコルベール教員と話している。 今現在彼は才人のゼロ戦をいじっているようで、俺は学院の出資者の一人としてここに用事で来て、それを見かけて興味を持った、という設定になっている。 雑談やエンジンの話など、様々な話をした結果確信したことがある。 この人は天才だ。 魔法世界のここで自力でエンジンの原型を作り出すなど並のことではない。 そしてこれは非常に大きな意味を持つ。 俺はこれまで“場違いな工芸品”を見かけたら可能な限り破壊してきた。 数百年前のものは特に問題ないし、俺の“呪怨”なども変わった剣として扱われるので問題は無い。 しかし、ロケットランチャーやマシンガンや対戦車ライフルまでもがこの世界に流れており、そういったものはこの世界の理にそぐわない異形の知識の塊なので悉く破壊した。 “演劇”用の小道具として“破壊の杖”、“ゼロ戦”、そしてロマリアの地下墓地(カタコンベ)にあるものは残しておいたが。 しかし、彼が作るものは違う。 これはハルケギニア人が自分の知恵で作り出したハルケギニアの技術だ。 故に再現できない部分は魔法で作られており、彼がこれから目指している“水蒸気機関”も魔法が根幹に使われている。 魔法を一般的なものとし、誰にでも扱える技術として確立する。 現在のガリアが目指すものに最も近いのがこの人だ、故に何としても勧誘したい。 「いやいや凄いものです、これほどのものをよく一人で設計なさいましたね」 「ありがとうハインツ君、そう言ってくれるのは才人君以外では君くらいかな。いや、ミス・タバサとミス・ツェルプストーもそれなりに興味を持っていたか」 あの二人は俺から結構異世界の話を聞いてるからな。 「この技術がもっと一般的になれば、物を運んだりするのにとても役に立ちそうです。それに燃料を作ったり整備したりするにはメイジの手が必要ですが、運用するなら平民でも出来そうですね」 整備や燃料の確保にはメイジが不可欠、これは“魔銃”にも言えることだ。 そのようにメイジが特権階級ではなく、技術者として社会を支える社会構造が俺達が目指すのものだ 「うむ、そうなってくれるとうれしいな。火が司るものが破壊ばかりでは寂しい、火の力を戦争ばかりではなくこういった動力や様々ことに利用していきたいものだ」 「ですが、この研究はブリミル教によって異端とされるでしょうね。神の御業たる魔法をそんなことに用いるなど、神への冒涜にほかならぬ、とか言われるでしょう」 この人の過去は知っている、かつて魔法研究所実験小隊の隊長を務めたが、ある任務を最後に軍を抜けている。 その任務こそがダングルテールの虐殺事件、ロマリアの新教徒狩りに彼らは利用され、疫病が流行し手が付けられなくなっているという理由で彼らは罪の無い人々を焼き殺すことになった。 それ以来彼は「火」の力を何とか平和利用出来ないかと研究を重ねてきた。 これは彼にとっての贖罪の在り方でもあるのだろう。 「ブリミル教か、なぜ彼らは自分達と異なるものを排除することしか考えないのだろうな。そのようなことを続けても、延々と憎しみが積み重なるだけだろうに」 それはかつての自分に向けての言葉なのかもしれない。 「その結果がこの6000年間でしょう。異端審問は絶えることなく先住種族は悪魔とされる、人々の生活を良くするための研究は異端とされ、始祖を神聖化し魔法を扱う貴族を絶対のものとするだけ、つまりは貴族の特権を守るためだけに存在する宗教に過ぎないわけですから」 その象徴があのロマリアだ。 国力が無かったあの国は自分達を絶対のものとする為に神を自分達の為だけに利用した。 それにハルケギニアの三国を始めとする、各地の小国も含めた貴族が平民を支配するためにのった結果が今のこの世界だ。 そしてそれをぶっ壊すために俺達は動いている。 「しかし、そんなことの為に罪のない人々を虐げて良い等という道理は無い。そんなものが罷り通る世界こそがおかしいのではないだろうか」 やはり、この人も時代の寵児だ。 その考えを自分で持つに至ったことこそが何よりの証拠。 「コルベール先生、俺がガリアの貴族であることは話しましたよね?」 “悪魔公”はガリアの貴族の中では有名だが平民にはほとんど知られていない、ましてこのトリステインで知っている人などマザリーニ枢機卿くらいだろう。 学院長であるオールド・オスマンならある程度の情報を得ているだろうが、俺が何者であるかを正確に知ることは不可能。北花壇騎士団の防諜機構はそんなに甘いものではない。 ルイズやギーシュやモンモランシーにとって俺は“タバサの従兄妹”というイメージが先行するので、その先を余り深くは考えない、友人の身内の素性を気にするというのもおかしな話だからだ。 ハインツ = タバサの従兄妹 というのが俺を表す記号となっているのが大きい。 それに俺が何気ない感じで北花壇騎士団の機密を話しまくっていることもある。 もったいぶらずに普段の会話の中で普通に話しているとそれが重要なことだとは思えない。 唯一、ルイズだけが例外。しかし、現段階ではまだだろう 要は俺ヨアヒムやマルコと話す感覚で会話していれば逆に相手がそれに気付くことはなくなるのだ。 「ああ、ミス・タバサの従兄妹なのだったね、彼女がガリア出身だとは知らなかったが」 「ここからは内密な話になるんですけど、是非お話ししたいことがあって」 そして俺は本題に入る。■■■ side:コルベール ■■■ ハインツ君の話しはとてつもないものだったが、私にとっては理想とも言えるものだった。 魔法を一般のものとするための研究を行っている技術開発局。 そしてそのための講師として“知恵持つ種族の大同盟”から様々な種族の人達が協力してくれているらしい。 私が考えてきた「火」の平和な利用法も、リザードマンの人々にとってはありふれた技術として確立されており、他にも翼人、水中人、土小人、コボルトなどから森や海や山との共存方法を学んでいるそうだ。 これまでのように自然から奪うのではなく、自然と共存しながら、その恵みを最大限に受けれるように研究を進めているらしく、先住種族が使う精霊魔法の効率を100とすると、人間の魔法は10以下らしい。 それを先住種族に対抗出来るほど強力にするために自然に大きな負担をかけているのだとか。 例えば“錬金”。あれは意思の力で物質を根本から変えるものだが、精霊の力を借りる場合は自然の流れを利用して組み替えるだけで済むそうだ。 例えるなら精霊魔法は川の流れに沿って泳ぐこと、人間の魔法は滝を素手で這い上がることだとか。 それを意思の力だけで成し遂げる人間の力は凄まじいそうだが、無駄なことこの上ない。 「そうか、ガリアではそのような研究が行われているのか」 「ロマリアの介入を防ぐために、あの手この手を使ってますが」 ハインツ君は笑いながら答える。 「しかし、それは国家機密も同然だろう、なぜ私に?」 「簡単です、貴方を技術開発局に招きたいからです」 それは私にとっては願ってもないことだ、しかし。 「だが私はここの教師だ、そう簡単に辞めるわけにはいかないが」 今ここを離れるわけにはいかない。 「アルビオンへの侵攻が決定しましたからね。もしかしたら貴族の子弟を人質にするためにここに兵が送られるかもしれない」 それはオールド・オスマンからも話されたことだ。 王政府から教師を士官として徴用するように指示が来たが、万一に備え私は残るべきであると。 「その可能性に気付いていたのかい」 「まあ、これでも陰謀渦巻くガリアの宮廷を生き抜いている身なので」 この若さで彼は一体どのような経験をしてきたのだろうか。 「だが、それ以前に私は生徒を戦場に連れていくこと自体に反対なのだ。祖国が存亡の危機にあるというのは重々承知なのだが」 だからといって子供を戦場に送り込んでいいはずが無いと思う。 「確かにそうです。例えどんな状況であれ、教師のような知識人や、生徒を戦争に駆り出していいということはありません。それは貴族の怠慢の結果を、国民に押し付けているに過ぎません。本当ならば、こうならないように貴族があらゆる手を尽くすべき、それもせずに守るべき者達を戦場に送り込むなど、恥知らずもいいところです」 彼は吐き捨てるように言う。 「君もそう思うのか」 「ええ、じゃなければ貴族が存在する意味がありません。普段は平民から搾取しておきながら肝心の時に役立たずでは論外です。駆り出される者も貴族には違いありませんが、未来を担う子供と、それを教え導く教師は、絶対に戦場に駆り出すべきではない人々でしょう」 それは私にとってとても心強い言葉だった。 「そうか、うむ、そうだな。私には国家というものを止める力はないが、いつか国家を担うだろう若者を守るのが教師たる私の役目だ」 私はそう確信できた。 「ええ、ですから、この戦争が終わって一段落したらまたいつか勧誘に来ます。その時までどうか無事でいて下さいね」 「ああ、この命に代えても生徒を守る。と言いたいところだが、その程度では私の罪は贖えない、もっと生きて人々のために尽くさねば」 それが私の贖罪だ。 「贖罪、ですか?」 「ああ、私はかつて罪を犯した。どうやっても償いきれないような罪だ。それを償うための道を必死に探してきたが、そんなものは存在しないということに気がついた。私の罪は決して赦されん、だから私は償い続けるしかない、どんなに辛い道でも逃げずに最後まで」 そうでなければ私が殺した者たちにあわせる顔がない。 「貴方の中で答えが出ているなら、それでよいと思いますよ。俺の話では参考にならないと思いますし」 「君の話?」 それはつまり。 「ええ、俺が殺してきた命は既に千を軽く越えます、間接的なものを含めれば万を越えるでしょう。ですが、俺には贖罪という概念がないんです」 「それは・・・」 一体どういう。 「俺は人間を殺して後悔したことが無いんです。どんなときでも殺す覚悟を持って殺してましたので、それはただの結果でしかなく、それを振り返るということもありませんから」 「・・・」 私は何も答えられない。 「殺人に限らず“禁忌感”というものが無いのは生まれつきだったようで、俺の知人によれば俺は“輝く闇”だそうです。言いえて妙だと思います」 彼は笑顔で言う。 そう、自嘲でもなく自棄でもなく、まるで面白い演劇でも見たかのように。 「ま、こっちの話ですので気にしないでください、貴方には貴方の贖罪の道があるのでしょう。俺は俺の道を歩むだけですので」 そして彼は立ち上がる。 「実に有意義な時間でした、またいつかゆっくりとお話しましょう」 彼はそう言って去っていった。 残された私は一人考える。 彼は人を殺して後悔したことが無いと言った、それは殺す覚悟があったからだと。 では私はどうだったか。 もし本当に疫病が流行っていたとすれば、私は後悔しなかったのか? どちらにせよ罪の無い人々を殺したという事実は変わらない。 そこに他の多くの人々のためという免罪符があるか、ただ権力者に利用された道化だったかという違いしかない。罪のない人々を一方的に殺すという事実は変わらない。 確かにあの時の私には殺す覚悟があったのだ、しかしその覚悟は明らかになった事実によって崩された。 要は免罪符に縋らねば脆く崩れる程度の覚悟でしかなかったということ、全ては私の未熟さ、私の心の弱さが原因だ。 しかし彼は違う、彼は免罪符を求めない、全てを自分で背負うことにしている。 故に逃げない、故に間違えない。 自分の信念を強く持っている故に決して揺らぐことがない。それが善であれ、悪であれ。 「“輝く闇”か、矛盾しているが彼を見ると矛盾しないように感じる」 彼は一体何者なのかは分からない。 しかし、彼が私のように道を踏み外すことは決してないことは分かる。 なぜなら彼にとって道とは自分だけで作るものなのだから。 私はそんなことを考えながら、ゼロ戦を整備するために中庭へ向かった。■■■ side:カステルモール ■■■ 私はガリア王国東薔薇花壇騎士団団長バッソ・カステルモール。 つい最近団長に任命されたばかりである。 私はかつてオルレアン公に仕えていた。 身分の低い一介の騎士に過ぎなかった私を「見込みがある」の一言で重用してくださった大恩ある方だ。 しかし、オルレアン公は暗殺され謀反の罪でオルレアン家は断絶、オルレアン公夫人は毒によって心を狂わされ、息女であられるシャルロット様は北花壇騎士として働かされている。 そのような王政府の横暴にはとても我慢がならず、東薔薇花壇騎士団はオルレアン公にいまなお忠誠を誓い、いつの日か簒奪者から玉座を取り戻す日を目標に機会を窺っていた。 しかし、最近はそれが本当に正しいことなのか迷っている。 今のガリア王政府は一見秩序もなくバラバラに動いているようにも見え、多くの貴族が反感を持っているのも確かだ。 しかし、民の意見はどうか? どの民に聞いても「今の王様になってから暮らしが楽になった」、「治安も良くなったし、税金も安くなった」といった言葉しか返ってこない。 オルレアン公は常に「民を損ねてはならない」とおっしゃっておられた。 ならば今我々が決起してシャルロット様を王位に就けたとして、それが本当にガリアの民のためになるだろうか? 無用な混乱を招くだけではないだろうか? そしてそうなった場合、それはオルレアン公の願いとは完全に逆の結果になるのではないか? そういった疑問がここ半年ほど頭から離れない。 それでも現王ジョゼフが我が主君であるオルレアン公を殺したのは間違いなく、そしてその御家族が今も苦しめられているならば何としてもお助けせねばと思う。 しかしそれもある人物と知り合うことで杞憂となる。 ハインツ・ギュスター・ヴァランス。 シャルロット様の従兄妹にあたる方であり、近衛騎士団長を務める、つまり私の上官にあたる。 宮廷監督官やヴァランス領総督も兼ねているようで、宮廷では“悪魔公”と呼ばれ恐れられ、無能王を裏で操るガリアの影の支配者などという噂もある。 しかし、私から見ればそんな噂はとても信じられるものではない。あの方はオルレアン家の為に尽力され、オルレアン公夫人の症状を緩和するためにあらゆる手を尽くしている。 それにシャルロット様も今はトリステイン魔法学院に留学され、北花壇騎士団副団長はハインツ殿であるため彼の庇護の下で安全に過ごしておられるそうだ。 以前一度シャルロット様に会う機会があったが、その時もハインツ殿のことを語る時はとても楽しそうであられた。 そんなハインツ殿が宮廷で進める改革も、一見伝統を壊すもののように見えるが、不満をもつのはそれについていけない者達だけで、有能な者は既に新しい方式に順応している。 結果、非常に活気ある宮廷となりつつあり、その影響か、花壇騎士団も若くて力がある者達が次々に登用されている。 私がたかが22歳で団長となれたのもそういった新たな風の後押しによるものだ。 つまり私達が決起するということはハインツ殿と戦うことも意味する。 それは本当に正しいことなのか私には分からずこうして悩んでいる。 そうしてヴェルサルテイル宮殿内を歩いていると見知った顔が二人現れた。 西百合花壇騎士団団長のディルク・アヒレス殿。 南薔薇花壇騎士団団長のヴァルター・ゲルリッツ殿。 アヒレス殿は27歳、ゲルリッツ殿は33歳、私ほどではないが二人とも若い。 これもまた改革の成果といえるのだろう。 「おう、カステルモールじゃねえか、こんなところで会うとは珍しいな」 「それは俺達が言えることではないと思うがな、俺達二人がいる時点で既に珍しいことだ」 二人とも実に気さくな方である。私が団長に就任する前から何かと相談に乗ってくれていた方たちだ。 「お久しぶりです、アヒレス殿、ゲルリッツ殿」 私は二人に礼をする。 「なんだなんだ堅苦しいな。今はもうお前も団長なんだから、そんな馬鹿丁寧に挨拶することないだろ」 「お前とは違うんだ、これはカステルモールのいいとこの一つだろう」 「ははは」 私は苦笑いで返す。 「ん、どうした、何か悩みでもあるのか?」 鋭い、この方は普段から豪快な方だが部下に対する気遣いを忘れる方ではない、故に部下達からは非常に慕われている。 「まあ、悩みといえば悩みなのですが」 とはいえ私が考えていたことをそのまま口にするわけにもいかない。 しかし、恩のあるこの方たちに隠し事をするのも後ろめたい。 私は微妙に話を変えて訊いてみることにした。 ・・・こうして違う誰かの意見を聴きたいと思うこと自体が、私の心が定まっていない何よりの証拠なのだろう。 「アヒレス殿、ゲルリッツ殿。もし現在の王政府に不満を持つ旧オルレアン公派の貴族達が、シャルロット姫を正統な王とするため謀叛を起こした場合いかがなさいますか? 私には彼らと戦う自信がないのです」 彼らはどう答えるだろうか。 「決まってるだろ。反乱軍をぶっ潰す、民を守る。それだけだ」 「それだけ、ですか?」 また随分簡単な答えだ。 「そうだ、俺達騎士は何のために存在する? 民を守るためだろう、その民を危険にさらす奴は全員ぶった切る、相手にどんな大義があろうと知ったことか」 「ゲルリッツ殿は?」 「アヒレスと同じだな、どんな戦争だろうが勝てば正義、負ければ悪だ。ならば俺達は民の為に戦いそして勝つ、それだけだ」 二人とも何と単純な、しかしそれ故に揺らぐことが無い。 「騎士は民のために存在する」 それは最も基本的なことだ。 「民を損ねてはならない」というオルレアン公の言葉はそういう意味なのだろう。 「あれ、騎士団長御三方揃い踏みとは珍しい」 と、そこにハインツ殿が現れた。 「おう、ハインツじゃねえか、聞いたぜ、お前またやらかしたそうじゃねえか!」 「確かロマリアから新たに派遣された枢機卿を蹴り飛ばしたとか」 それは、何とも凄まじいことを。 「だってあいつものすげえむかついたんですよ。神神って五月蠅いったらありゃしない。神がなんだというんですかね、ここはガリアなんだからガリアの仕来たりに従えっての。あと正確には蹴り飛ばしたんじゃなくて蹴り落としたんです、階段から。生きてましたけど」 どう考えても異端審問は免れない台詞だ、もっとも、枢機卿を蹴り飛ばした時点で前代未聞だろうが。いや、蹴り落としたのか。 「はっはっは! 確かに! ロマリアの糞坊主共は偉そうだからなあ、よくやったハインツ、お前はガリアの希望だ」 「確かに、一度そのくらいやってやるくらいで丁度いいかもしれんな」 国際問題になると思うのですが。 「で、ハインツ、今日も一戦やってくか?」 「望むところです、今日こそ勝ちますよ」 「は、十三戦十三敗のくせによく言うぜ」 そして二人は中庭に行く。 「ゲルリッツ殿、前々から思っていたのですが、なぜ土のスクウェアであるアヒレス殿と、水のスクウェアであるハインツ殿が互いに一切魔法を使わず、剣のみで戦うのでしょうか?」 それだけでも並の騎士団員より強い程だが、彼らの本領は魔法との組み合わせにあると思うのだが。 「簡単だ、あの二人が魔法を使って戦うと宮殿が破壊される。何しろアヒレスは巨大ゴーレムで攻撃しつつ自身も同時に切り込むというとんでもない真似をするからな」 なるほど、それは納得できる。 「しかし、あの勝利条件はいかがなものでしょうか、訓練はおろか決闘ですらなく、殺し合いと呼ぶのが妥当な気がするのですが」 通常の決闘では先に一撃を与えた方、か、相手の杖を落とした方、というのが定番なのだが。 「先に相手を戦闘不能にした方が勝ち、か。あの二人がそのルールで戦った場合、殺し合いにしかならんからな」 「確か前回の結果は、ハインツ殿の剣がアヒレス殿の左腕を切り落とし、アヒレス殿の剣がハインツ殿の肺を貫いたんでしたよね」 普通は即死だ。ハインツ殿が。 「ああ、その状態で自分の傷口を一度焼いて塞ぎ、その上から『治癒』をかけて治していたからな。あれは圧巻だったぞ。『ものすごい痛いんですけど』と泣き言を言いながらだったが、たいしたものだ。」 一体ハインツ殿はどういう精神力をしているのだろう。 「そして針と糸でアヒレスの腕を縫合した後『治癒』をかけて完全に繋いでいた、流石はガリア一の名医と呼ばれるだけのことはある」 そう、ハインツ殿は医療分野において第一人者でもある。 「しかし、ああして楽しそうに戦っている姿を見るととても“悪魔公”とは思えませんが」 「確かにな、あれでは無邪気にはしゃぐガキ二人といったところだ」 見ると近衛兵が集まってきて賭けを始めている。 どちらが勝つかではなく、どっちの腕が飛ぶか、腹を刺されるか、胸を貫かれるか、そういった賭けのようだ。 この二人の戦いは既にヴェルサルテイル近衛兵の名物と化していた。 「それはそうとゲルリッツ殿、此度の戦争はどうなるのでしょうか」 「トリステイン・ゲルマニア連合軍とアルビオンの戦だな」 ゲルリッツ殿は淡々と答える。 「はい、我がガリアは中立を貫くようですが、アルビオンが勝利した場合次は我が国に攻め込むのではないかと」 「そのときは返り討ちにすればいいが、多分そうはならんぞ」 「それは一体どういうことでしょうか?」 アルビオンの勝利があり得ないということか? しかし、アルビオン軍総司令官ゲイルノート・ガスパールとは『軍神』と呼ばれるほどの男だそうだが。 「空軍にいる俺の友人たちの話によると、何かやってるそうだ」 「何か、ですか?」 随分と曖昧だ。 「あいつらも適当だからな。だが、あいつらがそうならんと言ってるのだからそうなのだろう」 ゲルリッツ殿にそこまで信頼されるとは、一体どういう方々なのだろう。 「その方々とは」 「ああ、アルフォンス・ドウコウとクロード・ストロース。どっちもお前以上に若いが実力は凄いぞ」 「そのような方たちがいるのですか」 この当時の私にはその程度の認識でしかなかった。 しかし、後に彼らがハインツ殿と10年近い戦友であると知り、その頃から私の運命も大きく変わることになる。 ハインツ殿と関わった人間は大なり小なり騒動に巻き込まれるのかもしれない。 後に私はそれが間違いない事実であると確信することとなる。追記 9/2 誤字、脱字修正