[親愛なる友人 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルへ] [色々とやっているみたいね。タカミチからの又聴きだけれども、相変わらず元気そうで安心した。意地を張り過ぎないように頑張んなさい。 ネギ・スプリングフィールドをどうするのかは貴方に任せるけれど、殺さないようには十分に注意してあげてね。 それじゃあ、本題に入りましょうか。 アルトリアが、上条当麻と接触したわ。あっちが偶然に、勝手に巻き込まれたとも言えるのだけどね。 それで、貴方の呪いを完全に解くために――イギリス清教の《禁書目録》の力を貸して貰えるように頼んだ。勿論、偽りなくきちんと貴方について話した上でね。 私の方からもイギリス清教の『必要悪の教会』にも話を通して、当の《禁書目録》本人にも意志を聞いて、その上で了承を得たわ。 手紙を書いた今、すでに行動しているようだから――麻帆良には、そうね。 四月の……満月の日前後には、着くんじゃないかと思うわ。 アルトリアも一緒に同行するみたいだから、よろしくお願いね。 それじゃあ、又、連絡入れるわ。 遠坂凛] ――この手紙は、封書に切手が張っていなかったために一回差出人に送り返されています。 差出人の住所が書いていなかったため、着払いと言う事で配達いたしました。 これによる手紙の遅延は、約二週間です。 ネギま クロス31 第二章《福音編》その四(夜) カモがエヴァちゃんの情報を公表して――それで、何を思ったのか。 たぶん、自分の相手がどれくらい凄い存在だったのかが、実感できたのかもしれない。 杖に乗って、飛んで行ってしまった。 視界からすぐに見えなくなった後で。 ――私は溜息をつく。 どうやらネギも気が付いていたけれど……精神的なダメージは、消えていないのだ。 無理やりテンションを上げていただけ。 年長者として、ネギの前でヘコタレテいてはいけないと思って、取り繕っていただけである。 「……はあ」 結局のところ、自分は――おそらく甘かったのだ。 自分に。 エヴァンジェリンが、彼女を傷つける事は無いと知っていた。 図書館でも同じことだ。 宮崎のどかが。 綾瀬夕映が。 明日菜の事を傷つける事は無い――そう思っていただけだ。 それは間違いでは無いのだ。 ただし――絡繰茶々丸にその危険性を思い知らされただけの話。 たとえ敵に成りたくなくとも、場合によってはそうなってしまう事もあるということ。 想いの対立から、相対することもあるのだと言う事を――教えられた。 茶々丸を恨んでいるのかと言えば、そう言う訳でも無い。 ただ、彼女から受けた攻撃と、何よりも言葉が重いのだ。 自分は、非日常を体験してきて――耐性を持っている……つもりだった。 だけれども、あの苦痛を、受ける可能性がある。それを考えると、関わることが恐ろしい事だと――理解してしまった。 何よりも、自分が――何かしらの意思を秘めたその茶々丸の前に、立塞がることが出来るのだろうかと、そう思う。 ネギは大事だ。なにか良く解らないけれど大事だ。 でも、果たして自分は――。 彼女は思う。 ――自分は、何に悩んでいるのかが、判らない。 二段ベットの上で天井を眺めながら、明日菜は考えていた。 ○ 杖で空を飛んで来ながら、僕は考える。 自分がここにいると、明日菜さんを危険にさらす事を。 こちらの世界が、何故隠匿されているのかを――実感する。 魔法は便利だ、確かに。だから、その技術を教えたくないのは――僕でもなんとなく解る。 でも、もう一つ。 タカミチやアルトリアさんの様な人なら兎も角……明日菜さんのような普通の女の人は、魔法から身を守る手段を持ち得ない。 エヴァンジェリンさんのような人から、身を守れる魔法使いもそうは居ないと思うけれど、それは置いておく。 だからそもそも関わらせない方が安全なのだと言う――その理屈を、僕は実感する。 それが正しいのか、間違っているのかは今の僕にはわからない。 でも、一つだけ解っているのは――僕が彼女を魔法に関わらせてしまったから――明日菜さんは、今傷ついているのだ。 どうすれば良いのか分からない。 (……ウェールズに帰ったら、エヴァンジェリンさんも追って来ない) ネカネお姉ちゃんやアーニャには、どう言われるだろう。 一瞬だけそれを思ってしまった僕は――誘惑を振り払う。 今ここで逃げ帰ったら……それは、前と同じだ。 エヴァンジェリンさんに怯えていた時と、何も変わらない。 折角、茶々丸さんやクラインさんと話をして。 エヴァンジェリンさんにも他の生徒には手を出さないという約束をしてもらって。 カモ君にも頑張ってもらったのに。 それら全てを捨てて。 しかも、こっちに来てから今まで得た物を全て無駄にして。 ――帰れるはずが無い。 それに、僕はともかく生徒の皆はどうするのか。 それを考えると、自ずと結論は定まるのだ。 ――僕が帰ることは、出来ない。 「……はあ」 目を瞑って、溜息を吐いて――それが悪かった。 気が付いたら目の前には大きな木があって。 咄嗟に避けようとしたけれど間に合わなくて。 果実の匂いに包まれながら、柔らかいくせにチクチクとする枝に追突して。 視界が回る中、杖は僕の手を離れてどこかに行ってしまい。 地面に落下したことを、僕は衝撃と河の存在で知った。 「………ッ」 プハッと息を吐いて、顔を出す。 ――そこは、山の中だ。 濃い緑の樹木と、茂る草と藪。 遠くの方で滝が流れ落ちていて、僕のいる河は、そこから流れている。 足が付く。 ゆっくりと土の上にあがって、周囲を見ても……道は無い。 つまり僕は。 「……遭難、した、の?」 状況をそう認識して。 パニックに陥った僕は、数分後、楓さんに助けられることとなる。 ○ 休日だと言うのに麻帆良の音楽室に籠る教師が一人。 鳴海歩である。 春休みに入って以降――彼自身、幸いにも殆どトラブルに巻き込まれる事は無く……ネギ・スプリングフィールドや非日常に関わることもない。 あのクラスとの交流は確かに楽しいのだが、だからと言ってトラブルに身を進んで突っ込むほど積極的な性格はしていない。 図書館島での経験で十分だ、と思っている。 そんな訳で、ここ最近歩は毎日、教師としての職務及び自分の趣味に没頭している。 ついつい時間を忘れて集中してしまい、気が付いたら夜になっている事も多い。今日もそうだった。 目の前に置かれた手書きの楽譜とピアノから目を離して時計を見る。 「――あー……まいったな」 時計の針は五時を回っていた。 そう言えば、同居人に色々と頼まれていたわけか。 買い物とか。 どうも最近、結崎ひよのを「当然のようにそこにいる」者だと認識し始めている自分がいて、まずいと思う。彼女は――清隆の知人で、いけすかないエージェント、その筈だ。 (……っち、変わらないのは学生から同じか) 学生時代から振り回されっぱなしであり――それが今も続いているのだ。 それだけでしかない。 彼女自身のことを嫌っている訳では無い物の……決して良いことでは無いと知っている歩である。 ――まあ、良い……帰りながら考えよう。 後片付けを済ませて、施錠を確認する。 窓の鍵を見たところで―― (……?何だ) 一瞬、何か妙な違和感を覚える。 視界の中。 夕暮れに映える景色は、いつもと同じものだが―― (……何か、変――いや、違うな) 変なのでは無い。 どこか、何かが増えている……様な、気がする。 それが何なのかは、余りにも巧妙で分からないが……数日前の朝見た風景とは、明らかに何かが違っている事は解る。 つまりそれは―― (……誰かが、何かをしたな) ――何かしらの騒動に向けて、誰かが準備をした。 そう言う事だろうと辺りを付ける。 そう言えば――学園長から、大停電の日は関係者・及び予め学園長が許可を出した人物以外は、極力外出は控えるようにと言う通達が出ている。 大人しく従っておくべきだろう。 そう考えて、歩は部屋の電気を消す。 夕食のメニューを何にするのか考えつつ、買い物の中身を決めて。 (……そういや、最近竹内は何をやってるんだ?) そう思う。 ひよのが、朝倉との情報戦を繰り広げていたり、真面目にアクセサリーショップを経営しているのは知っているが。 竹内理緒が何をしているのかは、最近気にしていなかった。 少し、考えてみるべきだろうかと思いつつ――歩く歩。 彼自身――不可抗力の末に、大停電の宴にまさか絡むとは。 ――勿論。 全く予想もしていなかった。 ○ 扉を叩く音で明日菜は目を覚ます。 ネギが出て行ってから、気分を変える事も出来ず――布団の上でゴロゴロとしていたら眠ってしまったらしい。 オコジョは……どこかに消えていた。また何か、エヴァンジェリンについてを調査しに行くのだろう。 「は~い……」 そう返事をして体を起こす。 私服のまま眠ってしまったせいで体が硬い。髪は乱れて服もよれよれだ。鏡で身嗜みを確認して、それなりにまともにしてから応対する。 「あ、ひょっとして眠ってたかな。起しちゃってごめんね」 立っていたのは二人。 片方は管理人・高町なのは。 明日菜にして見れば――魔法使いであるけれども、立ち位置がはっきりと分からないために……信頼も信用もできるけれども、頼りにして良いのかは分からない、そんな人物と認識されている。 実の娘をエヴァンジェリンと戦わせて、それを見ている彼女が――何を考えているのか分からない、そんな視点もある。 「……いえ。――それで、何か」 「ううん。私は案内してきただけかな。明日菜さん、貴方にお客さんだよ」 「――?お客さん、ですか」 なのはは――自分の後ろにいたもう一人の人物を、明日菜に対面させる。 それが誰なのか、一瞬わからなくて――しばらく考えた後に思いだした。 夢現の中でしか覚えていないけれども。 「あ……昨日の」 「こんにちは――お見舞いに来ました」 明日菜を治療していた、シスターさんだった。 シスターさんは、レレナ・パプリカ・ツォルドルフという名前だった。 出身はイタリアだけど、高校前にこちらにやって来て以来、ずっと定住しているとのこと。詳しい事は不明だけれど、帰りたくても帰れない状況らしい。 でも、家族もこちらに住んでいて、仲良く普通に暮らしているそうだ。 「体調は……良くないみたいだね」 なのはさんは退出して。 部屋に招き入れたシスターさんが、私を見て一言そう言った。 「いえ。全然、体は問題ないです」 手を振って否定するけれど――レレナさんは、違うよ、と言って。 「精神的な方――参ってる、違う?」 あっさりと、見破られてしまった。 「一応、私は元々シスターだし……ね、そう言うのを見分けるのは、得意なんだ」 一応と言う事は――今は違うのか、とも思ったけれども、聞くのはやめておいた。 その時の彼女の表情が、悲しそうだったからだ。 よくよく見てみると……シスターさんの様な服だけれども、微妙に違っているような気もする。美空ちゃん辺りにでも、今度聞いてみようかと思った。 「茶々丸さんからの攻撃よりも――その時に、何か言われたのかな?」 何故だか、確信しているような声だった。 「それで、今は悩んでる――違うかな」 「……そうです」 流石はシスターなのだろう。こちらを安心させる声で、優しく聞かれている内に――私は、頷いていた。 「話せるかな」 「――ええ」 私は、話す。 クラスメイト達が、非日常に生きている人だったこと。 私を傷つけないし、皆にも危害は加えない――そう、クラスメイト達を信じている事。 担任の子供の教師の、力になりたい事。 でも、自分自身が傷ついた時に、その思いは表裏一体であると気が付いたこと。 感情とは逆に、戦う時が訪れるのだと言う事。 自分自身に、果たして彼女達の前に立塞がる権利はあるのかどうか。 私は話す。 そうして、途中で気が付く。 ――私の視線の先には、鏡があって。 そこには、レレナさんは半分ほど透けた状態で映っていた。 『吸血鬼は鏡に映らない』――そんな事を、カモが話していた。 レレナさんは良い人だろう。でも、茶々丸さんの時のように――敵になる可能性もある。 だけど、話しているうちに、少しずつ気分が落ち着いてきた。 吐き出すだけ吐き出して、軽くなった――とも言える。 「――そんなわけで……レレナさんは、どう思いますか」 そこまでやって――ようやっと、彼女は自分がここまで潰れていた理由を、把握する。 明日菜は――実感したのだ。 危険だとか、危険じゃ無いだとか――そうでは無くて。 茶々丸も、エヴァンジェリンも、自分が決めて信じた事をやっていて。 それで、相手が傷ついても、恨まれて当然なのだと――そう行動している。 その強さに、明日菜は衝撃を受けた。 その重さを、明日菜は理解させられたのだ。 絡繰茶々丸もそう。 彼女自身が理解出来ているのかはともかくとして――彼女には、確固たる意志が見えたのだ。 それに押された。 自分が、只何の覚悟もなく絡んできただけなのだと――知ったのだ。 「明日菜さんは……どうしたい?」 『心の中では、もう答えが出ているんじゃないのかな?』 そんな風に、彼女が言ったような気がした。 「自分の事が解ったら――後は、決めて行動するのが一番じゃないかな」 明日菜は――エヴァンジェリンの言葉の、本当の意味を知る。 彼女は――自分に対して、ずっとこう言っていたのだ。 『関わるんのならば、自分に襲われる可能性も考える事だ』――ではなく。 『自分の心に覚悟があるのか?』と。 『逃げる事は許さない。ネギに着いたのならば――戦う覚悟を持て』と。 そう言っていたのだ。 回りくどいが、決して嘘を語らずに。 だから。 「――答えは、出たも同じじゃ無い」 小さく言う。 それは――けれども、レレナにも伝わったらしい。 「……もう、大丈夫だね。明日菜さん」 優しい笑顔に、明日菜もきちんと返事をする。 「はい。……ありがとうございました。レレナさん」 沈んでいたテンションが――張ったのが解る。 気分が変わった。変わったと言うよりは――今までの自分に戻って、しかし確実に心に変化は宿っている。 仮に。 エヴァンジェリンや、茶々丸や。そしてこのレレナ・パプリカ・ツォドルフという女性がこの先前に立塞がっても――明日菜は、今度は折れないだろう。 「……また来るよ、今度は――停電が終わってからね」 明日菜の疑問が、伝わったのか。 そう言い残して、レレナは部屋から退室した。 ガランとなった部屋に、木乃香も、オコジョも、そしてネギもいない。 だけれども、今の明日菜は――それでも朝のように感情が落ちる事は無い。 窓辺に立って、ネギが飛んでいった方向を見る。 「早く帰って来なさいよ、ネギ」 こちらの結論は、もう出たのだから。 ○ 楓さんから聞いた話だ。 何でも、彼女は毎週土日はここで修業をしつつ、自給自足の生活をしているらしい。 何の修業かは教えてくれなかったけれども、その後の――僕も付き合わされた昼食・夕食の準備を見れば判断できる。 (……どう考えても忍者だ) 今の日本に、本当に忍者がまだいるのかと思っていたけれども――いたんだ。 楓さんは、何で僕があんな処にいたのかと――尋ねたけれど、話したくないのならば話さなくて良いとも言ってくれた。 心が乱れているせいか、杖がどこにあるのかも――解らない。 僕は、結局……結論を出す事が出来ずに、ここにいる。 「楓さん」 僕は――聞いてみる。 忍者と言う、力を持った彼女に。 「その――人とは違う、表に出せない能力を持っていたとして」 僕の言葉に、少しだけ楓さんは反応するけれども……何も言わないで、先を促す。 「その力を使う事を、どう思いますか」 エヴァンジェリンさんの事を聞くのは――憚られる。 だから僕は、魔法の事を、婉曲に聞いてみる。 「どう思う、とは……どういうことで、ござるかな」 「え…と、その――力を持っている事は話しちゃいけないんですけれど、でも一人で抱え込むのは心細い。それで、持っている事を教えてしまって――教えた人が、危険に会ってしまったとしたら……どうすれば良いんでしょうか」 僕が誰の事を行っているのか、きっとすぐに気が付いたのだろう。 でも、楓さんは何も言わなかった。 「……ネギ坊主。折角来たのだし――少し、付き合うと良いでござるよ」 悩んでいた僕をどう思ったのか。 楓さんはそう言って、誘ってくれた。 羆に追われたり、茸を取ったり、崖の上の山菜を取ったりした後で、だいぶ疲れていたけれども。 大人しく、楓さんについて行って。 そうして――最後に案内されたのは、滝だった。 水を汲みに来たのかとも、思ったけれども。 でも僕は――そこで、予想以上に凄い光景を目にすることになる。 シン、と静まり返った空間だった。 滝の音、澤の音、鳥の音、獣の音、木の音、葉の音。 それら、全て一切を押し殺すような、そんな気迫と静寂。 滝壺の上、頭を出した岩に座禅を組んで座っているのは――桜咲刹那さん。 音を立ててはいけないと、そう思わせるほどに、圧倒的な。 何かしらの鬼気を感じるような空間だった。 息が苦しくなり、体が動かなくなって。 やっとのことで、その場から退散した時には――へたり込んでしまっていた。 「ネギ坊主――彼女をどう思ったでござる?」 僕が息を整えた後に――楓さんはそう聞いた。 その顔は、細目のままだけれど真剣だ。 「……怖かった、です」 僕は正直に言う。 刹那さんは、普段は物静かで、そして丁寧な人だ。 だけれども――さっきあの場所で見たのは、まるで、人には見えなかった。 エヴァンジェリンさんのような、圧倒的な感覚は同じ。 だけれども、エヴァンジェリンさんよりも、刹那さんは――怖いのだ。 近寄りたくなくなってしまう。 近くによると、問答無用に切られてしまう空気を持っていた。 「……拙者もでござるよ。ネギ坊主」 楓さんも――そう頷いた。 「ここ最近、彼女はずっと張り詰めているでござる。今朝から、ずっとああしているが――拙者も、簡単に近寄れないでござる。精神統一も、行き過ぎでござるな」 その眼は悲しさが籠った、友達を案じる目をしている。 「なあ、ネギ坊主。刹那は――解るでござろう?とても強い力を持っている。でも、力は……ただの物なのでござるよ。かつての刹那は……ああでは無かった。もっと柔軟で、力こそ未熟であったが……それでも、心が強張ってはいなかったのでござる」 楓さんは――刹那さんと、昔からの知り合いなのだろうか。 どこかで会ったことのあるような、口ぶりだった。 「拙者も詳しい事は知らぬよ。ただ……大停電の日に、ランぺルージ殿と一戦を交えるようでござる。そのために、彼女はああして牙を研いでいる」 僕は――思い出す。 クラインさんは――そう言えば、僕よりももっと気にくわない小娘の相手をすると言っていた。 その相手が――刹那さんなのだろうか。 「ネギ坊主。拙者はな――正直、刹那殿は一回、完膚無きまでに敗北するべきだと思うのでござるよ。今の彼女は、見境なく牙をむく獣でござる。血に狂う獣は、牙を抜いて躾けるしかないのでござるからな」 それは――楓さんが、彼女を思っているからこその、言葉なのだろう。「そうなった原因には、刹那はないが、しかし今の刹那の力である以上、彼女が責任を持つべきでもあるのでござる――拙者の言う意味は、判るでござるか?ネギ坊主」 果たして――楓さんは、僕の事を見抜いていたのだろうか。 「力を持ってしまった物は、必ず一回は苦悩するのでござるよ。自らの力を、どのように使うべきなのか、それが何をもたらすのかを。特に――」 楓さんは、静かに言った。 「自分の力を持っているが故に――人を傷つけてしまった時に、でござる。それが味方であったりすれば特に」 楓さんも――そんな経験を、したことがあるのだろうか。 おそらく、あるのだろうと思う。 「刹那は、今その苦悩を忘れているのでござる。手段と目的を取り違えてしまっているのでござるよ。たとえそれが彼女に原因が無いとしても――それを思い出させるためにも、彼女は敗北するべきでござろう。ネギ坊主は――今まさに、苦悩に気が付いたところでござろうかな」 楓さんは、僕の頭をなでる。 「拙者は結論を言えぬよ。だがネギ坊主。ネギ坊主は――てっきり、その答えを持っていると思っていたのでござるよ?」 僕が。 結論を既に持っている。 それは――どういうことだろう。 結論を、忘れていると言う事だろうか。 それとも、教えて貰っているのだろうか。 解らない。 判らない。 そうやって、再び思い悩む僕に。 楓さんは何も言わずに、石と炭で竈の様な物を造り、その上にドラム缶を乗せる。スノコを下に敷き、水を入れて――窯に火を付ける。五右衛門風呂、だったか。 わずか十数分で、露天風呂が完成していた。 「さて……ネギ坊主、入るでござるか?」 いきなりそんな事を言われて、慌てる僕に。 「……あれ?」 気が付いたら服を脱がされて、お風呂に入れられていた。 ほんの一瞬――でも無いけれど、数秒で。僕が状況を認識するより先に、服を部がされあっさりと入れられていた。 まさか、忍術でも使われたのだろうか。 思わず楓さんの方を見てるけれど、細い目で微笑んでいるだけで分からなかった。 その後。 楓さんに乱入されてかなり恥ずかしかったけれども――でも、夜の星空を見ながら楓さんに言われた。 僕はまだ十歳で、壁に当たることが当然なんだと。 僕は初めて、人生の壁にぶつかったんだと。 他に頼れる人も、いるはずだとも――言われた。 話くらいは、いつでも聞いてくれるから、また訪ねてくると良いとも、言われた。 貼られたテントの中、横になって考える僕は。 結論が出るような、予感に身を任せて眠りに落ちて行った。 ついでに、もう一つ。 (……あ、明日菜さんに連絡入れてない) そう思って、帰った後に勢大に怒られる事も予感したのは、秘密だ。 ○ アルベール・カモミールは由緒正しきオコジョ妖精である。 今現在は、ネギ・スプリングフィールドの使い魔としてきちんと仕事をしており――やっている事は、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの調査だ。 彼女の過去は殆ど表に流れていないために難しい。 だが、麻帆良に来てからの彼女の行動ならば――ある程度は調べる事が可能だ。 『桜通りの吸血鬼』に関する物を選べば――それで大体の用が足りる。 (……エヴァンジェリンの行動は、っと) 寮の屋根裏――ネギ達の部屋と、その上の階の床の間。 人間ならば決して入れない、せいぜいが三十センチのスペースも、オコジョならば楽勝だ。電源もしっかり確保してある。 麻帆ネットにアクセスし、出来るのならば――生徒の噂話のレベルの情報を集めて行く。 『魔法使い』達の情報ならば、ある程度は簡単に入手できるが。 しかし、おそらく客観的では無い。 間違い無く彼らの主観が入っており、根拠のない推論や仮定が入り混じっている。 (……気持ちは、判らなくもないっすけどね) 『魔法使い』として見た時、彼女ほど気にくわない存在は――そうは居ないと言う事だ。とりもなおさずそれは、学園の一部を除いた魔法使い達の精神性の問題であるが。 今回は、それは置いておいて――情報だ。 エヴァンジェリンが起こしたと思われる、桜通りに関する事件を噂話の段階から振り分け、分別する。 数は膨大のくせに、役に立つ情報は少ない、根気を求められる作業だが――カモミールは下着ドロをするだけあって、かなりシブトイ性格のオコジョだった。 数時間の後、集まった情報を分析する。 殺人鬼と殺し合っていたと言う流言飛語の類から、佐々木まき絵の保健室のカルテまで。 客観的に。 この情報は、何を表しているのか。 そしてもう一つ。 ――どんな考えを持っているならば、こんな行動をする? それを考えるのだ。 (エヴァンジェリンが、むやみやたらに兄貴を狙うとは思えねえっす) 一番考えられるのは、やはりナギ・スプリングフィールドとの一連の事件だろう。 彼の息子であるネギに、恨みやそれに類する物を持っていると考えれば、一応の理屈は通る。 だが。 (……違うっすね) それだけでは――ないだろう。 カモの目からでも、十分に彼女が強力な魔力・技術を持っているのが解る。 仮に彼女が――殆ど魔法が使えないように封印されていたのならば、魔力の入手などを目的としての吸血は納得できる。 だが、今の彼女はネギの話を聞く限りではおよそ六割程度。 たかが六割では無い。世界最強クラスの怪物の六割である。 ネギどころか、この地の『魔法使い』全員を相手にするのも可能なレベルとも言える。学園長やタカミチも混ぜて――それでようやっと何とかなるレベルなのだから。 (……とすると、魔力補給以外の目的があるってことになるっすが) 絡繰茶々丸が言うには、彼女は『不必要な犠牲は出さない』と言っていた。 それは――裏を返せば犠牲は必要だったと言う事だ。 一体、何に必要だったのか。 (兄貴に発破を掛けるため……っすかねえ) 近い気もするが、しかし違うような気もする。 それならば、ネギが転任してくる前に事件が起きるのは不自然だからだ。 自分の思考が解答に近い所にあるような気がするが。 (……なーんか、負に落ちねえ) もう幾つか、何か重要なことがあるような気がするのだ。 何か一つ、全てを結ぶ鍵が――どこかにあるのだが、それが解らない。 焦るオコジョだが、彼は知らなかった。 ネギと明日菜の同室。最後の一人。 《サムライマスター》の娘・近衛木乃香――彼女も襲われていた情報を手にしていれば、ここで結論に達することが出来たのかもしれないと言う事を。 オコジョ妖精・アルベール・カモミール。 《闇の福音》の真意に達する日は近い。 悩める少年と少女は、少しずつ歩み。 少しずつ答えに辿り着く。 吸血鬼の宴で踊る、主役に相応しく成長するまであと少し。 「……さて、ネギ坊主は帰って――刹那殿も、帰った。……これで良いのでござるかな?――ヒデオ殿」 「……ええ。ありがとう、ございました」 「いやいや。ネギ坊主のこともそうだけれど、刹那をここに来させたのもヒデオ殿の策でござろう?真名に何か言ったのであろう?大停電の日の為の準備で――そちらもエヴァ殿に協力する身としては、大変でござるな」 「まあ……約束、しましたので」 「ところで、その空間を繋ぐ術はどのようにしているのでござるか?」 「ああ……これは、――闇が勝手に、やってくれるので」 「便利でござるな。ネギ坊主が追突した樹木をいきなり出現させたのも――そうでござるか?」 「ええ。闇の中にいる、魔術師の物です」 「あまり良い気配はしなかったのでござるが――あれは?」 「あれは……ただの、梨の木ですよ」