アイズ・ラザフォードという人間を、どう評価するか。 世界的に有名な、ピアニストというのがその大半だろう。 かつては天才少年として。そして、今でもなお、少年が青年へと変化しただけで、世界有数の実力を持つピアニストというのは変わらない。 だが、事情を知る人間にとっては、違う。 彼は……そして彼の兄弟たちは、忌み嫌われている。 何よりも、『悪魔』の血を引いているのだから。 プロローグその三~神と天使と悪魔の子供たちの場合~ 「……アユムが?」 成田空港の一角で、アイズは話をしていた。日本公演も終わり、これから三週間は久しぶりの休暇である。 「ええ。清隆の知人でもある『冥界返し(ヘブンキャンセラー)』とかいう医者の伝手でね。病院を移ったの」 電話の相手は土屋キリエ。 『悪魔』水城刃という、人間にして人間を超えたイレギュラー。そこに関わる人間である。最も彼女自身は組織の中にあって研究は専門外で……彼の血を受け継ぐ、通称を『刃の子供達』を観察する《ウォッチャー》であり、今現在も生き残っている『子供達』の連絡役を担っていた。 「それに伴って手の空いているチルドレンで、歩君に近い人材は清隆に召集されたのよ。香介も亮子ちゃんも、理緒も。アイズ君には?」 「いや……連絡はもらっていない。二週間ほど前に一回連絡は来たが、何も言っていなかったな」 『子供達』。それこそが忌避される対象だった。 『悪魔』の呼称の通り、天才的な才能と頭脳、そして強運を超えた天運を身に持っていた水城刃――その実の子供達。 彼の才能を引き継ぎ、誰もかれも一芸以上に秀で、そして彼の子供達の証拠として――左肋骨が一本欠けている。無論アイズもそうだ。 「そう。まあ、また何か考えてるんでしょうね」 「……水城火澄が死んで、もう二年以上になる。アユムの調子はどうなんだ?」 ――水城火澄を語ることは難しい。 アイズを始めとする『子供達』の、遺伝子上では叔父にあたる人物で――鳴海歩の、鏡となる存在。 『悪魔』と呼称された水城刃に対応する『神』鳴海清隆がいるように。 『神の弟』たる鳴海歩に対応する、『悪魔の弟』。 本人の性格は、善か悪かで言うならば善人だった。だが、あらゆる悪意を撒き散らす『悪魔』の血族――それも、ある一艇の年齢に達した時、初めて悪意を持って行動するようになる、最強最悪の『トロイの木馬』を宿す者。 そんな、水城刃の血を引く子供達。 だからこそ水城刃が死んだ、否、鳴海清隆に殺された後に、組織は分裂したのだ。 『チルドレン』をどうするのかと処罰を巡り。 あくまでも人知を超えた存在として、水城刃、そしてその子供達を擁護し研究をする崇拝の一派と。 子供達が本当に『悪魔』の血によって、彼と同じような存在になるのかを見極め、その後に判断しようとする保留の一派と。 『悪魔』の血が覚醒してからではどうにもならないからこそ――それこそ鳴海清隆のような、同レベルに人知を超えた存在でない限り――今の内に、始末してしまおうという処分の一派と。 三つに分裂した。 どれも、間違ってはいないのだ。 そして、どの勢力からも対象の筆頭として見られたのが……刃の弟たる水城火澄であった。 「……まあ、何とか回復してるわ。相も変わらない車椅子だけど……体調は悪くなっていない。左腕も使えるし。少しずつ細胞も活性化しているみたいだしね。寿命も延びてきてはいるらしいわ」 その火澄は、歩が清隆の『計画』を打ち壊したことで自ら死を享受した。同じ境遇の歩の為に命を差し出したのだ。 『計画』――結局のところ、その清隆の全貌は、アイズにもはっきりと把握できているわけではない。 どうも『子供達』の全データを網羅した通称『ミカナギファイル』――紆余曲折を経てそれを鳴海清隆が入手した所から『計画』は始まり、『子供達』や水城火澄、そして最終的には清隆自身も死ぬつもりだったらしいが――結局それは鳴海歩によって阻止された。 『本当に世界がそうにしかならないなら――それが間違っていることを、俺が証明する』 決して終わらぬ螺旋の道――それが、歩の決意だったそうだ。 『悪魔』が覚醒するのと同様に、歩が死ぬのも必然であると、清隆は考えていた。 盤上の必然。『悪魔』と『神』とその弟たち。 全ての後には、盤上にはなにも残らない。誰も彼もが死に、何もないままに終わる。それが清隆の信じる――否、悟っていた世界の在り方だった。 だからこそ……歩が死ななければ『悪魔』の呪いに打ち勝つことも可能なはずだと、歩は清隆に言い。 そして歩が清隆に示した通り……何人のチルドレンは残念なことに『悪魔』の血に覚醒して悪意をばらまき、そして死んでいたが……幸いにも、まだ歩は生きている。 予定では、もう数年前に彼が死んでいてもおかしくはないというのに。 その歩を助けるために――水城火澄は命を差し出した。 「……皮肉なものだな」 ……水城の血に、一番近いはずの血族によって、血を受け継いだ者たちが救われるとは。 内心でそう呟いた言葉を、果たしてキリエがわかったのかはともかく、彼女はそうね、と返事をしただけだった。 「それで、土屋キリエ、アユムが送られた病院はどこだ?」 「ええ。それなんだけれど……え、と…これね。記録だと麻帆良大学病院ね。知ってるでしょ?あの埼玉の」 「ああ。内部が妙に発展した学園都市だったな。神木とかいう樹が中央に立っていた」 「そこよそこ。数年前に壊滅しちゃった場所不明の『学園都市』に似てるらしいわね。こっちは位置がしっかりしているけれど。そこで治療しながら、ついでに教師やるってさ」 「……あいつがか」 鳴海歩という人間は、知能も運動能力も高い。顔もそこそこは良い。意外と家事も得意だし、芸術の感性はそれらのどれよりもずば抜けている。……が、いかんせん、性格は悪い。教えるのはそれなりに得意かもしれないが、人付き合いや愛素、丁寧さは皆無だ。 およそ、教師には向いていない。それこそ芸術家や音楽家、あるいは研究者や探偵のような俗世間から一歩離れた仕事に向いている。 「あいつがよ。清隆からの話によるとそこの学園長が割と酔狂な人物なんだってさ。鳴海歩、って言う一流の天才ピアニストが病気で入ってくるのを知って、治療費も生活費も全部負担するから音楽の教師・だめなら講師として教えてほしいって頼んだらしいわ。 まあ清隆の提案には、歩も色々と考えて許可出した見たい。なんでも、治療のためには幾つか世界の階層を潜るとかなんとか……」 「…………。」 世界の階層。アイズもそれは知っている。いつだったか聞いた話だ。 カノン・ヒルベルト――彼の口からだった。 カノン・ヒルベルトとアイズは親友だった。 最終的に彼は、水城刃の血、そして彼自身の優しい性格がせめぎ合い、結果として鳴海歩と対決し――やっぱりここでも彼だ。気に入らない――そして負けた。 負けた後、監禁され、そして水城火澄に殺された。 まあ、それは置いておこう。 カノンはチルドレンの中でも取り分け運動能力が高く、覚醒する前は清隆の指示のもとで幾つもの潜入工作や暗殺を行っていた。 仕事についての話こそ少なかったが、潜入経路をどうするのか、あるいはセキュリティをどうやって破るのか――そんな会話は多かった。アイズも、それなりに楽しんでいたと思う。それは年頃の少年達が、仮想の敵を作りだし、それを倒すために野山をかけるのと、同じようなものだったのだろう。ただ一点、命が掛かっていたということを除けば。 そんな幾つもの仕事の中で、唯一、カノンが失敗した仕事があった。 いや、その表現は正確では無い。 暗殺を命じられたカノンが、標的に到達した時、すでに標的は死んでいたのだ。そしてどんな運命か、その部屋には標的を殺した人物がいた。 名前をそう……石凪、とかいったか。その少年はわざわざカノンに対して自己紹介をしたという。 それだけなら良かった。室内でその石凪という名の暗殺者とニアミスしたところで、カノンの仕事は標的を殺すことであり、そしてその人物はすでに死んでいるのだから。 まあ、お互いに会話を交わさず、何も見なかったことにしてそのまま別れれば、軋轢を生まずよかったのだが。 別れることはできなかった。 それがなぜかといえば、もう一人やってきていたからだ。 カノンと、石凪というサイズを持った――馬鹿馬鹿しいが事実だ。彼の一族は、暗殺の獲物は必ずデスサイズと決まっているらしい――少年の前に、もう一人。 天井裏から女性が下りてきた。 カノンとその少年が気が付いたのか、それとも彼女の方が様子をうかがっている気配を悟り、降りてきたのかはわからないが。 ともかく、一か所に勢力の違う三人の侵入者が介してしまった。 女性は便利屋と探偵の中間の仕事らしく――標的の持つとある研究データが狙いだったらしい。そして部屋の中で対峙するカノン達を見て大体の状況を把握し、降りてきたという。 女性は《炎の魔女》と名乗り――そこまできて彼らは互いの事情を、簡単ではあるが説明した。敵対しなかったのはおそらく、互いが互いに力量を感じ取り、話し合った方が無難と感じたからだろう。 カノンの目的は標的の暗殺であり、すでにそれは石凪少年によって完了していること。 石凪少年の目的も標的の暗殺であり、ついでに男の研究データを持ってくること。 《炎の魔女》の目的は、石凪少年も狙う研究資料であるが、暗殺までは考えていなかったこと。 幸いなことに。《炎の魔女》の持っていた小型の端末で研究データが複製できたので争いに発展せずに済んだらしい。 そしていざ脱出しようとしたところで、ようやっと施設内の非合法な警備員が状況を把握し――おそらくデータの複製と説明が長く時間のかかった原因で、彼らがかけつけたのだろう――しぶしぶとも、三人で協力して逃走することにした。 アイズは拳銃で、石凪少年はデスサイズで、《炎の魔女》は蹴りと拳で……薙ぎ払い、穿ち、刈り取り、逃走した。死者が果たしてどれほど出たのかは不明だが――最終的に建物は崩壊した、ということははっきりしている。 後日。それらの責任は、《炎の魔女》と石凪少年が被ったため――カノンの評価は何も変化はなかったそうだ。 『僕達は勢力こそ大きいですが、人数はそれほど多くないのです。あなた方『チルドレン』の関係者の方が、きっとずっと人数は多いのですよ』 脱出して一息入れた後、石凪少年の放ったその言葉を聞いてカノンは臨戦態勢に入ったが……《炎の魔女》に止められたそうだ。 『落ち着け。……どうもお前達は詳しい事を知らされていないようだから言っておくが――水城刃という存在は、色々と有名なんだ。そしてその血を受け継ぐ子供達もな』 《炎の魔女》も水城刃という存在とそれに連なる者のことは把握していたらしい。だが、彼女も興味が無いようだった。 『興味が無いというよりは……領域が違うのですよ』石凪少年は言ったそうだ。 『あなた方の祖である水城刃という存在は非常に珍しい。私達にとってみれば青天の霹靂でした。突然変異……のようなものでしょうか。 水城刃は、なんの変哲もない普通の家系に生まれました。そして、あのような人知を超えた存在となった。まさしく『悪魔』という異名が付くほどの存在に。 水城刃と同じレベルの存在は、私達もよく知っています。山ほど……ではありませんが、両指の数位はまあ、僕でも知っています。ですが、彼らは皆、人工的……いえ、違いますね……しいて言うならば、脈々と歴史を重ねてきたが故の成功例です。 カノンお兄さん。あなたは知らないようなので教えて差し上げましょう。僕達『石凪』と同じく、殺人を生業とする稼業は結構多いのです。そして独自のスタイルとスタンスを持っています。歴史が古い……とまでは行きませんが、ある程度の家系であることは確かです。ですが――』 『水城刃という人間は、その歴史をすっ飛ばして出現したからな』《炎の魔女》はそこでカノンの手を離すと、誰かに連絡を取りながら――おそらくは彼女の協力者だろう――言葉を引き継いだ。 『何代も血を重ねて、『暴力の世界』に相応しい家系を作り上げたのに、第一階層『学問の世界』の突然変異体がそれと同格になってしまったからな。有名になるのも無理はない。 水城刃の研究施設が『ER3』や『アウルスシティ』の研究所にあったことは知っているだろう? 当然と言えば当然なんだ。あそこは世界の学問の最果てにして総本山だ。 学問によって人間を超えることを目的にしている施設にしてみれば――手を貸すのも当然だ。 踏み入れることの少ない、他の世界に喧嘩を売らなくて済む』 『まあ、そういうことですよ』 石凪少年は笑ったという。 『あなた方のトップ……鳴海清隆、ですか。彼も水城刃と同じ、そういう領域の人物です。彼ならば、ある程度は私達のことも把握しているでしょう。 四つの世界のことも、僕達一族のことも……そちらの《炎の魔女》――霧間凪さんのことも』 『知っていたのか?』 『ええ。まあ。……あなたも意外と有名ですしね。お会いできて光栄でした。……それでは、また縁があったらどこかでお会いしましょう』 『……まあ、君も知らないことが色々あるという事だ少年。鳴海清隆にでも聞いてみろ。意外と世界が広いことを教えてくれるだろうさ』 「―――と、―――っとアイズ!」 そこまで回想して、アイズは現実に引き戻された。 「何をぼんやりしているの?……疲れてるんじゃないでしょうね」 「いや……なんでもない」 そう、チルドレンの極々一部と、アイズ、カノン、それ位しかこの話は知らない。電話の向こうの土屋キリエですらもだ。 カノンは清隆に尋ね、そして少々の話を彼から聞き――それをカノンと、当時から付き合いのあった何人かに話したのだから。 世界が一つでは無いことを。 麻帆良という土地が少々異常な地であるということも。 「それで」アイズは尋ねる。「清隆は三人を何に?」 「そう、本題はそのことよ!亮子や香介は別に問題はないの。ちょうど大学生だし、麻帆良は大学レベルも高いし。でもね、あいつ理緒に何頼んだと思う?生徒よ生徒!」 「……何が問題なんだ?あいつの体格なら高校生でも十分問題ないだろう?」 「そうじゃないのよ!」 土屋キリエは一呼吸置いたのち 「中学生として入れたのよ!」 ………。 アイズが沈黙したのも、無理はないだろう。 「……聞き間違いか?今、中学生と聞こえたが」 「残念なことに間違いじゃないの。『刃の子供達』の生存メンバーが一、『爆裂ロリータ』『荒れ野の妖精』こと竹内理緒は麻帆良学園女子中等部に転入されました」 「……それは、また。――大変だな」 そういえば、妙にキリエの機嫌が悪いのはそのせいなのだろうか。以前見たく、雑用で走っているのか。どうやら清隆とは個人的に連絡を取れる立場にいるらしいし。 とりあえず、不倫にならないようには注意していてもらおう。 「それで……キヨタカの行動にも理由はあるんだろう?」 「そこなのよね……。清隆は何か知ってるっぽいのよ。こっちも独力じゃ無理があるけれど――なんか権力使って宮内庁と警察に圧力掛けて合同で秘密裏に麻帆良に派遣を要請してる。そのせいで、もう数週間すれば警察・宮内庁で珍しくもチームが派遣されるらしいのよ。 それに、あの土地を狙ってなんかキナ臭く動いてる組織があるの。ここ三カ月くらいね。それも私的な闇組織だけじゃなくて公権力もなのよ。さっき言った警察や宮内庁、あと大英博物館。玖渚機関とER3。『ふぉーちゅん・てらあ』と『IAI』。三大財閥と雪広家。その他色々。どれも探るのに命が必要よ」 …………。 …………なるほど。 アイズは納得していた。 カノンの話した世界の在り方――キリエの言った組織こそ表の面を持つ物ばかりだが……それがつまり、一堂に会している。それこそ、カノンと遭遇した殺人・暗殺一族も関わっていてもおかしくはない。都市ほどもある巨大な学園とは、良くも悪くもそういう場所だ。 麻帆良という学校に何があるのかはわからないが……つまり、それだけの組織が集うにたる理由が、それも相当に深い理由があるのだ。そして、鳴海清隆はそこに。 一枚自分達を噛ませた――。 おそらく、理緒であった理由もあるのだ。香介や亮子でもなく、理緒を差し向けた理由がある。体力や運動能力で劣る彼女を選んだ理由。 そう例えば……チルドレンの中で最も重火器の扱いに長けていること、とか。 となれば、必然的に、そういう人間が多く集まるクラスに入れさせるだろう。大きな学園の中、学園の裏の顔を知る生徒――そんな人物が集まるクラスに。 ここまでは、情報さえあればたどり着ける。 そしてキリエの言った、理緒が入学させられるクラス――それはどうやら、中学校らしい。 一応、アイズはキリエに聞く。 「アユムの受け持ちはどこだ?」 彼女が理緒の情報を手に入れたのがここ数日ならば、おそらく、まだそこまで気が付いていない。 「え?……ああ、ちょっと待って。えーと…女子中学校になって」 キリエも悟る。本々、頭の回転は非常にいいのだ。 アイズの思ったとおり。つまり最初からお膳立てされているらしい。 「……偶然、じゃないわよね」 「ああ。……土屋キリエ、理緒の転入するクラスを調べてみろ。きっと、面白いことがわかる。教師も含めてな」 「……そうさせてもらうわ」 ――その後。とりとめのない会話を数分続け、アイズは電話を切った。 空港の天井、否、その上に広がる空を幻視しながら彼は言う。 「キヨタカ……何を考える?」 返事は無い。 「お前が何をしようとしているのか、俺にはわからない」 返事は無い。 「アユムには世界についてを説明したのか?」 返事は、無い。 「……まあいい。またいつか、近いうちに会うだろう」 アイズは空港の――彼のすぐ後ろで風船を配っていたきぐるみに声をかけ、去っていく。 その姿が見えなくなった後、きぐるみのなかで苦笑がした。 「やれやれ、まったく。鋭いな」 かくして。 かつて《神》と呼ばれた者の手で、盤面は少しずつ整えられて行く。 盤の名は麻帆良学園。 キングの名はネギ・スプリングフィールド。 ゲームの参加と観賞代は、はたして何なのだろうか。