/01 胎動の緊縛
これは幻想郷が創られる以前のお話。
「お前は才能が無いなぁ」
境内。そこには二人の人間が佇んでいた。ひとりは年配の男。もうひとりは幼い少年。
呆れたような表情で、年配の男はもう一度言った。
「いやまったく無いな。欠片も無い。あの妖怪の山に住む憎っくき酒天童子の乳ほども無い」
「そんなに無いの?」
少年は男を見上げて問うた。涙目だった。
その目をきっぱりと無視して、男は頷いた。
「無い」
「そんな」
「まあ、そのうち開花するかもしれないし、しないかもしれん」
「どっち?」
「知らん」
少年は俯いた。
男は少し考えるような素振りをしてから、告げた。その声音は、すこしだけ重みを含んでいた。
「それでも、次の後継はお前だ。私たちを受け継ぐのはお前なのだ」
父が他界した。
博麗神社の神主である父は立派な人間だった。人間を襲い、食い物にする妖怪から人々を護りもすれば、地域の冠婚葬祭も担う。それは神主という役職ゆえの行いだが、それを除いても彼の人柄は人々の心を掴んだようだった。それは目の前に広がるこの葬式の光景を見れば、聞かずとも判ることだった。
「……」
少年―――いや、青年にも近くなった彼はその光景を眺めていた。辺りからは、すすり泣く声が聞こえる。
この場を取り仕切っているのは彼だった。父は間近に迫っていた死期に感づいていたのかもしれない。冠婚葬祭に、その他の行事。これらの仕切り方を彼にすべて教えてから逝った。焦りのためか詰め込み作業にも似ていたが、彼も幼いころから父に付き添っていたため、拙いながらもなんとかこなしていった。
あわただしい一連の葬儀も終わり、ようやく一息つけたころ。人気のない神社で、彼はようやく涙を流した。
それから数日後。
「妖怪を退治して欲しいと」
「はい」
博麗神社にて。
彼は正座をしつつ、目の前の男を見据えていた。
「このままじゃあ、畑がぜんぶ丸坊主になってしまいやす。神主さん、どうかお力をお貸しください」
目前の男は里の代表として博麗神社にまで赴いたようで、曰く、里の田畑が鳥の妖怪に荒らされていて困っているとのこと。
妖怪退治は神主の仕事だ。お賽銭も入れてもらっているため、嫌だとも言えないし、言うつもりも無い。彼もこの仕事に誇りを持っている。
故に頷く。
「わかりました。引き受けましょう」
「ありがとうごぜえやす!」
こちらの手を取って頭を下げる男に笑みを返しつつも、彼の内心は苦かった。
「困ったことになった」
男が去って、しばらくして。彼は縁側にて唸っていた。
「いつかは来るだろうとは思っていたが、まさかこうも早く」
とりあえずお茶を口につけて落ち着きつつ、境内に目を向ける。
そこには博麗の巫女が竹箒を持って掃除をする姿がある。彼女に協力を頼もうか?
「いやしかし、ばあさんに無理をさせるわけにもいかぬ」
博麗の巫女は年老に近づきつつある。現役ならまだしも、ぎっくり腰になられても困る。替えが居ないのだ。それに彼女は加持祈祷を得意とするため、現場仕事には向かない。博麗の巫女についても、次世代を探さなければならないのだった。
「やはり俺が往かねば」
決意する。
だが問題は、自分には妖怪退治の才能が無いこと。地域の行事を担うのならば問題は無いのだが、こと妖怪退治に関しては雲行きが怪しくなる。
妖怪退治に必要な術には呪術、結界術、封印術、式神など様々ある。彼はこれらの術を父から教わったが、結果は散々だった。見るも無残な有様だった。
父はそれはもう凄い術者だった。多様な術を組み合わせ、様々な状況に対応して変幻自在に戦った。あの天狗や鬼に真っ向から立ち向かっていた。彼もそれを何度か見たことがある。
(何故俺にその才が無いのだ)
血は繋がっているのだから、多少はあってもいいだろうに。そう思うも、無いものねだりでしかない。
しかしそんな彼にも、すこしだけ使えた術があった。封印術。他の術に比べて、適正があったのかもしれない。多少は。それに気が付いてからは、彼はそればかりをずっと練ってきた。それしか使えぬのだから他にやりようもない。父は大変残念がっていたが。
「とにかく、明日だな」
ずず、とお茶を啜って、彼は言った。
明けて翌日。
朝の博麗神社の鳥居前。長い階段を見下ろせるその場所に彼は居た。神主の服装に身を包み、手にはお払い棒を持っている。
正面には博麗の巫女の姿があった。彼は口を開いた。
「ではばあさん。往ってくる」
「ええ。気をつけるんですよ」
彼は巫女を安心させるために、若干不敵に笑って見せた。
「なになに。心配には及ばぬ。ぱぱっ往ってささっと片付けてくる」
「不安ねえ……」
頬に手を当て、心底不安げな面持ちで、巫女。
そんなやりとりをしつつ、神社を後にした。
「此処か」
里の人間達に導かれてたどり着いた場所は、広い稲畑。
そのあぜ道の真ん中。彼はあたりをぐるりと見回した。胸中でつぶやく。
(まだ妖怪は来ていないようだな。里の者の話では、気が付いたらやられているらしいし、何時畑を荒らしに来るのかは判らんな)
つまりは待ちぼうけ。
彼は田畑の案山子になったつもりで、胸を張った。
(こうして偉そうにしていれば、妖怪は警戒して出てこないかも知れぬ)
退治しなければまったく意味が無いのだが、とりあえず時間を稼ぎたかった。自分の腕に自身の無いうちは妖怪退治は勘弁して欲しかった。なにせ命に関わるのだ。
それでも引き受けたのは彼が神主故。
(がんばらねば……)
責任感の強いのか、彼はひとり頷いてから、黙して佇んだ。
一刻半が過ぎた。立ちながらうとうとしていたが、声が聞こえてはっと目を覚ます。
「るんるん~♪ 飛ぶ飛ぶ雀~。そこ退けそこ退け雀が通る~♪」
ぱたぱたと、背中に羽の生えた少女がご機嫌な様子で現れた。雀の妖怪に見える。
「今日の夕飯は~米かな~♪」
その台詞で、悟る。
(来て欲しくは無かったが、来たか)
低空飛行で、ぱたぱたと緩かにこちらに向ってくる。神主という自分の存在を気取り、真っ先に始末するつもりなのだろうか。
彼は立ちはだかるようにその場を動かず、すっと相手を見据える。
妖怪が迫ってきたとき、彼ははっきりと告げた。
「待て」
妖怪はびっくりしたのだろう。驚愕の面持ちで目を見開いた。
「うわあ! 案山子が喋った!?」
様子を見る限り、どうやら自分を神主ではなく、案山子と認識していたようだ。
「案山子ではない」
否定すれば、妖怪は落ち着きを取り戻して怪訝に訊ねてくる。
「ええ? なんで? 全く動かなかったじゃない。案山子って、動かない人間のことでしょ」
彼は少し考えるような素振りを見せた後、頷いた。
「なるほど。確かに君の定義では、俺はどうやら案山子らしい」
「でしょ? 案山子なんだから邪魔しないでよね。何時ものように馬鹿みたいに佇んでいればいいの」
「しかし案山子の役目は、鳥から畑を護ることだ」
言えば、妖怪は口元を抑えた。得意げな様子で言ってくる。
「うぷぷっ。今時案山子なんかに驚く鳥なんて居ないわよ! だってあたしがみんなに案山子は危険じゃないって、言いふらしちゃったんだもん! 残念でした! あはははは!」
「おぬしはついさっき、驚いていた」
きっぱりと告げる。
妖怪の顔がかあっと真っ赤に染まった。ばたばたと手を動かして言ってくる。
「お、驚いてないよ!」
「そうなのか?」
「そうだよ」
彼は眉根を寄せ、不可解な面持ちをした。
「語るのも憚れる、もの凄まじい形相だったのだが」
「あなた、目が悪いのね。鳥目なの?」
「ちなみにこんな表情だった」
「そ、そんな顔してない! なにそれ、なんか気持ち悪い。うわすごい気持ち悪い」
「……」
「やめて。やめろってば。おい早くやめろ!」
語るのも憚れる、もの凄まじい形相をする彼に、妖怪は声を荒げた。
言われたとおり止めて、彼は続ける。
「んああっ、この案山子格好イイっ。とも言っていた」
「言ってないよそんなこと。なに最初のその声? 気色わるいよ!」
妙な台詞とは反面、微塵も表情を乱さない仏頂面で言う彼に、妖怪は再び怒鳴り声を上げる。
「……」
「……」
彼は妖怪を見詰め、ぼけっと立ち尽くした。妖怪は物凄い警戒心も露に、彼を睨みつけている。
びゅううっと風が吹いた。一陣の風は稲をさらさらと揺らして、何処かへと消えていく。
彼は無表情のまま、ぼそりと言った。
「今のは傷ついた」
「……なにそれ」
何故かぐったりとした面持ちで、妖怪。
彼は忠告する。
「疲れているのなら帰ると良い。ここには近々、妖怪を退治するために神主が来る事になっている。怖くて格好良いマッチョな神主だ。間違っても気持ち悪くは無い」
「へ、ほんと?」
きょとんとする妖怪。
彼は頷いた。
「ああ、気持ち悪くは無い。本当だ。惚れてもいい」
「そうじゃなくて、神主が来るの? あの?」
「うむ」
大仰に頷く。
「どうして? 妖怪の間じゃ、あの神主は死んだって大騒ぎになってるのよ? 怖い神主が消えたからってあたしも里に来たの。なのにどうして死んだ人間が来るの?」
「む……」
彼は少しだけ唸った。
まさか妖怪たちの間で、そのようなことになっているとは思わなかった。別段父の葬儀を隠していた訳ではない。だから妖怪たちに知られているのは可笑しなことではないが、これは厄介な事だった。
妖怪と聞けば形振り構わず葬り去ってきた父。その圧迫から解放された妖怪たちの次に取る行動は、容易に想像がつく。現に目の前の妖怪がそれを表していた。
(どうやら、これから本格的にまずいことになるかもしれない)
胸中で、うめく。
だが今は目の前のことに集中せねば。
彼は目の前の妖怪に次の台詞を告げようとして―――それを飲み込んだ。
「うふふふ」
にんまりと、凶悪な笑みを浮かべて。妖怪が、間近で自分を見ていた。
意地の悪い声で訊ねてくる。
「ね、あなた。もしかして神主なんじゃないの?」
「何故だ」
「だって、前の神主も似たような服装だったもの。あの馬鹿みたいに臭う霊気が感じられないから、違うと思ったけど。そうね、人間って着ているものでも識別できるのよね」
ふふふ、ふふふ。と笑い声を漏らしながら、ふわふわと周りを飛んでいる。
じわりと脂汗が浮かんだ。彼はそれを悟られないように祈った。
「そうなんでしょ? 神主さん?」
「……」
確信を含んだ声色に、彼は黙すが。
「あらあら、だんまり?」
しばらくして彼は告げた。
「ぶー不正解。私は案山子です」
「そういえば、案山子って喋らないのよね。知ってた?」
「最近の案山子は喋る。君は神主を恐れて里に居なかったから、知らないだろうが」
「そう。最近の案山子は喋るのね」
「もちろんだとも」
「なら、最近の案山子はどんな味がするのかしら? 前の案山子は美味しくなかったの」
にやにや。にやにや。と笑みの質が変わっている。ねちゃねちゃと粘着質に富んだ笑い方だ。
彼は嘆息して、言った。
「仕方あるまい」
「あら、認めるの? 神主だって」
笑いながら眼前に顔を近づけてくる。その目は人ならざる狂気を宿している。
この妖怪は自分を侮っている。自分に父と同じ神気を感じないからだろう。確かに、父と比べれば自分は鼻くそだ。だが忘れてはいけない。彼は神道を歩むもの。妖怪にとっての天敵なのだと。
「えい」
ぺた。
目の前の妖怪のおでこに、お札を貼り付ける。ものすごい近くに居たので、簡単だった。
「あれ?」
へなへなとその場に着地する妖怪。
「へ? なんで? なにしたの?」
「お札ぺたりと貼らせて貰った。ぺたりと。ふうむ。なかなか不安だったが、一応効果はあるらしいな」
ぱたぱたと羽を動かすが、飛べない様子の妖怪を見下ろす。そのおでこの札には奇怪な模様が描かれ、真ん中に封と記されている。
封印術。彼が唯一使える術だ。妖怪が牙を剥いた。ばたばたと激しく羽ばたき、距離を取ろうとする。
「くっこの!」
「おおお、まだ飛べるのか。やはり俺の術では効果が薄いな」
ぺたぺたぺた。
言いながら、容赦なくお札を貼り付けていく。相乗効果により、妖怪はもう飛べないようだった。
父ならば、この程度の妖怪など片手間に葬り去ることが出来ただろう。
飛べないと判断するや否や、妖怪は爪を出して踊りかかってくる。笑みは消え、いかにも妖怪らしい顔つきに変わっている。
「この人間が……!」
「おわ危ない」
彼はひょいっとかろうじてそれを交わした。封印術はあくまで能力を封じるものであって、肉体的な拘束力までは無い。
慌てて言う。
「おい待て、話し合いをしよう。もう作物を荒らさないと誓うのなら、開放しよう」
「シャアアア!」
「どうわっ」
いまいち危機感の感じられない様子だが、彼は切実に身の危険を感じていた。
鋭い爪を交わしながら、彼は何度か必死に説得を試みるも、相手は聞く耳を持たない。
しばらくして、彼はすっとお払い棒を取り出し、言葉を紡いだ。
「むう仕方あるまい。こうなれば、調伏してくれる」
化生には効果覿面のこのお払い棒。殺傷能力は無いが、叩かれるとかなり痛いらしい。主にコブができる。
半身の姿勢をとり、告げる。
「来るがよい」
「キシャアア!」
幕を開ける肉弾戦。
そして―――
「痛い! 痛いよう! やめて!」
畑に悲鳴が木霊する。
「ならば誓うか。もう里の田畑を荒さぬと誓うか」
べし! べし! べし!
彼は腿に妖怪小娘を抱え、お払い棒でびしばし尻を叩いていた。身体は傷だらけだった。妖怪にやられたのだろう、あちこちに引っかき傷が見られる。その様子から相当苦戦したと判るが。
一方の妖怪は涙目だった。というか泣いていた。いろんな意味で。かつてここまで酷い調伏があっただろうか。妖怪のお尻が赤く腫れ上がっているのは、彼が何度もしばいたからだった。お払い棒には殺傷能力が無いので、こういった方法でしか屈服させることができないのだ。
「判った! もう荒らさないから! だからやめて!」
「まことか」
「はい」
「まことにまことか」
もう一度、訊ねる。
「はい、もう二度としません。誓います……誓いますから……」
ひっくひっくと、しゃっくりを上げながら、目尻に涙を貯めて見上げてくる妖怪。
良心を揺さぶるような、そんな眼差しだった。本気で泣いているからだろう。
「そうか」
故に、彼は理解したように頷いた。
「もう三十回だな」
「なんでよっ!?」
「この尻、なかなか良い音を出す」
「いやー! 鬼畜ー!」
べし! べし! べし!
夕暮れに染まる田畑に、尻を叩く音と悲鳴が無情に響き渡るのだった。
「さあ、山へとお帰り。もう人里へ近づいてはならないよ。ここには怖くて格好良いマッチョな神主がいるからね」
「うわぁぁぁぁぁん! 変態! あほー!」
そう言って、妖怪は泣きながら山へと駆け抜けていった。お札は外していないが、じき外れるだろう。持続性はあまりないのだ。
夕闇が大地を赤く照らし、夜の到来を告げている。彼は妖怪の背中を見送って、小さく嘆息した。その表情は心なしか満足気だったが。
「カラスが鳴いたから、帰ろうか」
里の代表者に事の推移を報告して、彼は神社へと足を向けた。