薄暗い部屋の中に四人の男女が座っていた。一人は幼い顔立ちの金髪の少女、一人は眼鏡を掛けた短髪の男、一人は女のように整った顔立ちの黒髪の青年、そして、最後の一人は中国風の装束に身を包んだツインシニヨンの少女。 四人は時折紅茶で喉を潤しながら言葉を交わしていた。「これが私のお話出来る全てです」 アルビレオ・イマがそう言うと、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは椅子を蹴って立ち上がった。その顔には見る者を竦ませる憤怒と悲哀に満ちた涙があった。 聞かなければ良かった。全ての話を聞き終えたエヴァンジェリンが思った事はそれだった。頭の中では幾千幾万の呪いの言葉が駆け巡り、エヴァンジェリンはそれを口にする事が出来なかった。 歯を食い縛り、血が滲むほどに強く拳を握るエヴァンジェリンに高畑.T.タカミチは何も言わなかった。否、何も言えなかった。タカミチは何も知らなかった。造物主の真実も完全なる世界の目的もナギ・スプリングフィールドをはじめとした紅き翼が何をしようとしていたのかも、何もかも知らなかった。 タカミチは涙を堪えていた。何故、という疑問が頭の中に溢れていた。何故、誰も教えてくれなかったのだろう。何故、自分はこんなにも無力なのだろう。 タカミチが右手に顔を埋めると、超鈴音は顔を背けた。それが礼儀だと思ったからだ。 二人の気持ちが分かるとは言えない。しかし、全てを知っていて尚、自分は怒りを感じている。それは、小説のキャラクター達の不遇に怒りを感じるようなものなのかもしれない。それでも、この怒りは超の決意を後押ししてくれた。「本当に良いのですね?」 アルビレオは確認するように超に問い掛けた。これで何十回目だろうか、顔を合わせる度に問い掛けてくるこの男はやはり善人なのだろうと超は思った。 歴史書に記された歴史上最悪の犯罪者の一人、アルビレオ・イマと言う隠者は他の“犯罪者”と同様にやはり大きく脚色されていたのだと超は実感した。「先祖の汚名を晴らす為なら何でもするネ。例え、元の時代に帰れなくなろうとも」 今の歴史の針は絶望の未来へと繋がっている。それを変える事が出来るのは自分だけなのだと、超は理解している。針を動かせば、自分が元の時代に変える事が出来なくなるという事も。 カタカタと耳障りな音が聞こえた。視線を落とすと、アルビレオに出された紅茶の入ったティーポットを持つ手が震えていた。「大丈夫。大丈夫ヨ……大丈夫」 何度も自分に言い聞かせるように言った。怖い。呼吸が荒くなり、額から止め処なく冷たい汗が流れ落ちる。視界がグラつき、吐き気が込み上げて来た。 脳裏には未来に残した友人や家族の顔がチラついた。今ここで背を向けて未来に帰ればまだ間に合う。まだ、肝心の情報を伝えていないから、針は超の未来を指したままだ。「貴方達の計画の穴を埋めるには私の力が必要な筈ヨ? あまり、くだらない事は聞かないで欲しいネ」 超は選択した。針が徐々に超の居た未来からその先端を遠ざけ始めるのを感じながら。 アルビレオ小さく礼を述べると紅茶で喉を潤し、タカミチに視線を向けた。タカミチは大きく息を吸い、乱れる心を落ち着かせようとしていた。「タカミチ君」 アルビレオが声を掛けると、タカミチはビクリと体を震わせ、ゆっくりとした動作で体を起すと、アルビレオに顔を向けた。眼は真っ赤になり、複雑な胸中を隠しきれない様子だった。「先に謝っておきましょう。君に黙ってて申し訳ありませんでした」 アルビレオが頭を下げると、タカミチは目を見開き凍りついた。アルビレオが誰かに頭を下げるなどこれまで見た事が無かった上、その相手が自分である事が信じられなかった。 頭の中が真っ白になり、咄嗟にどう答えればいいのか分からなくなった。 アルビレオはそんなタカミチの胸中を察しながら、敢えて無視して言葉を重ねた。「君に話さなかった理由は君が頼りにならないからではありません」「なら、どうして……?」「一つは君の師の死が君を復讐者に駆り立てるのではないかと危惧したからです。だから、なるべく君に完全なる世界や造物主の話題から離れて欲しかった。それに――――」 アルビレオは紅茶を一口飲み、穏かな笑みを浮かべて言った。「君には大切な仕事があった。アスナさんが普通の女の子として生きられるように護るというとても大切な仕事が」 タカミチは黙したまま顔を俯けた。アルビレオの言いたい事は分かる。あの頃、深い哀しみとアスナを護らなければならないという使命感が無ければ、アルビレオの言うとおり、自分は復讐者になっていただろう。 アスナとエヴァンジェリンが居たから高畑.T.タカミチの今がある。アスナの保護者をしていた間、タカミチはガトウの弟子でも、一人の戦士でも無く、神楽坂明日菜の父親として心を平静に保てた。そして、平和で穏かな時間の中で怒りや憎しみ、哀しみといった感情と折り合いをつける事が出来た。「ええ、分かっています」 不意に憎悪や悲哀の衝動に駆られる事もあった。それを解消する事が出来たのはエヴァンジェリンとの修行のおかげだった。やり場の無い感情をぶつけるように、一心不乱に修行した。 タカミチは漸く感情を沈める事が出来た。何も知らず、麻帆良で生活していた時間。若い頃ならば無駄な時間を過ごしたと憤慨し、不貞腐れていただろう。 今は違う。ここでの長い平穏の時間の価値を今のタカミチは理解している。決して、無駄な時間などではないと。「タカミチ君。勝手な願いだとは分かっています。ですが、これから私達に力を貸して頂けませんか?」 タカミチにとって、その問いは考えるまでも無く答えが出ていた。これから起こるであろう戦いは大切な生徒達が否応にも巻き込まれる。 殺されたガトウの仇を討とうなどと言う考えは浮かばなかった。そんな事はガトウも望んでいないだろうと思った。彼は最後にタカミチに敵討ちでは無く、アスナの事を託したのだから。「僕の力がお役に立てるのなら」 タカミチの答えにアルビレオは満足そうに微笑んだ。タカミチの瞳に曇りは無く、強い意志の光が宿っていた。 アルビレオは最後の一人に視線を向けた。エヴァンジェリンは未だに激しい怒気を発し続けていた。やり場の無い怒りはただ蓄積していくだけだった。「エヴァ……」 タカミチはそっとエヴァンジェリンに手を伸ばした。エヴァンジェリンの腕を掴むとエヴァンジェリンは振り解く事も無く、自分の腕を掴むタカミチに視線を向けた。 エヴァンジェリンの瞳を見た瞬間、タカミチは衝動に突き動かされた。気がつくと立ち上がり、エヴァンジェリンを抱きしめていた。 エヴァンジェリンの瞳に宿る憎悪以上の哀しみにタカミチは気付いた。このままでは潰れてしまう。そう思った。 最強の吸血鬼である筈なのに、腕の中で肩を震わせ、自分の腰に抱きついているのはただの少女だった。「エヴァ……」 エヴァンジェリンの名を口の中で転がすように呟いた。エヴァンジェリンはますます強い力でタカミチに抱きついた。 タカミチはエヴァンジェリンの好きにさせながらそっと頭を撫でた。「エヴァ……」 エヴァンジェリンは泣き続けた。タカミチはエヴァンジェリンの頭をただ優しく撫で続けた。 アルビレオが語ったのは全てだった。振り切った筈の過去は過去では無かった。終わった筈の絶望は未だ終わっていなかった。「どう……して……」 エヴァンジェリンは掠れた声で呟いた。エヴァンジェリンの頭の中では様々な光景が次々と映し出されていた。それは彼女の過去の記憶だった。忘れた筈の記憶も忘れたい記憶も脳裏に浮んでは消える。 恐慌状態に陥っているエヴァンジェリンの背中を優しく擦りながらタカミチは唇を噛み締めた。エヴァンジェリンの苦しみを紛らわせる事も出来ない自分が苛立たしかった。「今日はここまでにしておくべきですね。タカミチ君。キティをお願いします。頃合を見て……そうですね、麻帆良祭が始まる頃には私も外へ出る事が出来るでしょうから、その時にお話しましょう」「わかりました」 頷き返すタカミチにアルビレオはニッコリと微笑んで言った。「キティをよろしくお願いしますね。私の語った事が原因とはいえ、古き友が苦しむ姿は胸が痛みますので」 嘘くさいとは言わず、タカミチは黙して頷くとエヴァンジェリンに「帰るよ」と小声で声を掛け、アルビレオが用意したゲートに向かった。 最後にタカミチは超に顔を向けて真剣な表情で口を開いた。「超君。どうか――」 超は気付くと目の前に立ち、目を細めながらタカミチの口元に人差し指を立て、タカミチの言葉を遮った。「それ以上は無しヨ。優先順位というものを知るべきネ。先生の優しさを向けるべきは私じゃないヨ」「しかし――」 タカミチは言葉を続ける事が出来なかった。タカミチの口を超は唇で塞いでいた。 目を白黒させるタカミチに超は悪戯っぽい笑顔を浮べながらチッチッチと指を振った。「私の決意は何を言われようと変わらないネ」 タカミチは言葉が出なかった。超の決意があまりにも哀しく、あまりにも気高く、どうにもならないのだと自覚させられた。「先生、また明日ネ」 そう言って、超はタカミチの背後のゲートを指差した。タカミチは小さく息を吐くと頷いた。「ああ、また明日、教室でね」 タカミチが去ると、残ったのはアルビレオと超の二人だけになった。「それじゃあ、私は衛星軌道上に建造する超長距離間転送ゲートポートとゲートポートへ続く軌道エレベータの建造計画についてもう少し練る事にするヨ。茶々シリーズもまだ改良の余地があるしネ」「頼りにしていますよ」「魔法(ソッチ)で手の届かない部分は科学(コッチ)が助ける。それだけヨ」 ニッコリと微笑む超にアルビレオはそれ以上は何も言わずに頭を下げると、超の研究室に続くゲートを作り出した。 超がゲートを潜り抜けた後、ゲートを閉じ、部屋にはアルビレオだけが残った。「さて、そろそろ彼が目を覚ます頃でしょうか……」 そう呟くと、アルビレオもまた、部屋から姿を消した。第四十九話『目覚め』 朝、朝倉和美は悩んでいた。昨夜、突如聞かされた話の内容の恐ろしさや危険性に。 造物主、完全なる世界、英雄、滅び行く世界、戦争、戦い。数ヶ月前まで平凡な女子中学生であった彼女にとって、その内容はあまりにも突飛で馬鹿馬鹿しい話だった。 それが真実だと理解してしまっているが故に彼女は苦しんでいた。いっそ、あの男――アルビレオ・イマが言うように忘れて、平凡な世界に戻れば良かったと目が醒めてから彼女は何度も思った。 新聞部に在籍し、好奇心が人一倍強い彼女でさえそうなのだ。彼女と共に話を聞いた自分よりも臆病な少女達は大丈夫なのだろうかと和美は心配になった。 ベッドから降りると、目覚まし時計の針は未だ六時を指したばかりだった。登校時間までまだたっぷりと余裕がある。同じベッドを共有している少女――相坂さよのプニプニと柔らかい頬を軽く突きながら深呼吸した。「話すべきなのかな……」 和美は仲間の事を考えていた。彼女が在籍する白き翼という名の部活。それはただの部活じゃない。魔法使いや吸血鬼といった、非日常的な存在が集まる隠れ蓑的な部活だ。 彼女達、あるいは彼等に昨夜聞いた話を話すべきか否か。和美は困っていた。「とにかく、エヴァちゃんに相談するべきかな。夕映達とも話さなきゃ……」 和美は一先ず結論を先延ばしにすると、眠るさよの可愛い寝顔に頬を緩ませた。どうして、この娘は肉体的には同い年なのにこんなに可愛いんだか、和美は苦笑した。 その日の午後、和美は休日返上でクラスのメイド喫茶の準備を進めながら、のどかと夕映とさよと一緒に作業をしながら昨夜の話について相談した。 やはりと言うべきか、のどかと夕映もまずこの四人で相談しようと考えていたらしく、特に和美が誘う事も無く準備が始まると同時に集まった。「私は話すべきだと思うです」 夕映が一番に言った。「もし、あのアルビレオという人の言う通り、木乃香やネギさんやアスナさんが巻き込まれると言うのなら、早々に伝えて警戒を促すべきです。実際に事が起きた時に突然知らされても混乱するでしょうから」 夕映の言葉はもっともな事だった。和美も最初はそうするべきだと考えた。だが、「でもさ……。私達が聞いたのって、造物主だとか、魔法世界の崩壊についてじゃん。具体的にあの三人がどういう形で巻き込まれるのかとか聞いてないのに話すって、なんか無責任じゃない? 何て言うか、下手に怖がらせるだけって言うか……」 和美が引っ掛かっている事を言うと、夕映は首を振った。「一晩考えて、推測は出来てるです」「マジ!?」 夕映の言葉に和美は目を丸くした。「簡単な話です。あの三人の共通点を考えれば」「共通点?」 和美が首を傾げると、のどかが言った。「ネギさん達は三人共、例の大戦の関係者、あるいは関係者と血縁関係にあるです。夕映が言ってるのはそういう事なんでしょ?」 のどかの言葉に夕映は頷いた。和美は脳裏に雷鳴が轟いたような錯覚に陥った。 何故、今の今まで気付かなかったのだろうかと心中で自分を罵った。 そう、あの三人には共通点がある。ネギは大戦の英雄であるナギ・スプリングフィールドの娘。木乃香は同じく大戦の英雄である青山詠春の娘。アスナに至っては造物主に捕えられ、力を利用された当事者ですらある。むしろ、完全なる世界を相手に戦うにあたり、巻き込まれない筈が無いではないか。 戦いに参加せずとも、人質にされたり、再び力を利用される可能性は大いに有り得る。 和美は歯を噛み締め、恐ろしい形相になりながら拳を握り締めた。納得がいかない。世界の崩壊が大事なのは分かる。大勢の人の命が懸かっている事も、この日本が戦争という恐ろしい非日常に国ごと巻き込まれる可能性がある事も重々承知している。 その上で和美は言いたかった。そんなのに友達を巻き込まないで、と。彼女達は誰一人何も悪い事をしていない。アスナは確かに嘗ての戦争で力を利用され、その結果、多くの人の命を奪う事に間接的に手を貸してしまったかもしれない。だけど、それはアスナを利用した大人が悪い筈だ。アスナに罪があるというならそんな事を言う奴を絶対に許さないと和美は考えている。 それなのに、あの三人を無理矢理命の危険のある戦いに巻き込むというのなら、どっちに正義があろうと関係無い。どっちも自分にとって敵だと和美は確信した。「納得がいかないのは分かるですよ、和美。私も納得いかないです。正直、極論を言えば魔法世界なんてどうでもいい。結局は他人事ですから。それが悪だと罵られても平然としていられる自信があるです。でも、それでも既に事態は動いています。なら、私達は私達に出来る事をするだけですよ」 夕映の言葉に和美は大きく息を吐き心を落ち着けた。 そうだ。怒る事に意味なんて無い。どんなに理不尽を嘆いても、もう世界はそういう風に動いてしまっている。なら、自分達に出来る事をするしかない。あの三人が巻き込まれるというなら、自分達は彼女達を護る為に動けば良い。 和美は夕映とのどかとさよの三人を見た。さよは昨夜、アルビレオに呼び止められ、帰りが和美より遅くなり、それからずっと元気が無かったが今は瞳に燃え盛るような炎が宿っていた。 三人共、既に覚悟は決まっていると瞳に灯る炎が語っていた。そう、数ヶ月前まで純粋な一般人だった自分達だけど、それでもやらなきゃいけない事が出来たなら、それをやる為に全力を尽くすだけだ。 もしも、世界が大切な友達を危険に曝すと言うなら、その危険と対峙してみせる。例え、彼女達を護る力が持てなくても、少なくとも、彼女達の横に立って、共に戦える力を持つ。「頑張ろう、みんな」 和美の言葉に三人は力強く頷いた。「頑張るのはいいが、あいつ等に話すなよ」 和美達は声にならない叫び声を上げた。 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは和美達の直ぐ近くで茶々丸と共に作業していた。段々と作業に慣れて来たクラスメイト達は時々しか手伝いを必要としなくなり、漸く自分達の準備に本格的に取り掛かれるようになったのだ。 手伝いに集中していて他より準備が遅れているエヴァンジェリンと茶々丸は集中する為に二人だけで組んでせっせとメイド喫茶の自分用のコスチュームを編んでいた。麻帆良祭期間中、毎回コスチュームを変えたいという意見が通り、麻帆良祭の続く三日分、つまり三着のメイド服を容易しなければならず、エヴァンジェリンはせっせと手を動かしていた。 そんな時、和美達の話が聞こえてきて、話の内容が内容だけに即座に防音の術を掛け、四人の話に耳を傾けていた。 和美達の決意は分かる。あの三人の為に力を尽くそうと言う四人に嬉しさすら感じる。だが、同時に危うさも感じた。 怒りや正義感などで動く事は暴走の危険があるからだ。自分の身や自分を心配する者、果ては護ろうとする者まで傷つけてしまう危険があるのだ。 エヴァンジェリンは小さく息を吐きながら、彼女達を諌めなければならないと思った。アルビレオ達の行動は確かに全面的に支持出来るものではない。造物主を止めるにしても、大切な弟子達を巻き込むのは腹立たしさを感じたし、失敗すれば超曰く未来の歴史に残る犯罪集団だ。 つまり、世界にとってそれだけ憎悪を向けるに相応しい事をするという事だ。超の存在による確実性が無ければあの三人を巻き込もうとしている全てを皆殺しにしようとさえ考えた。例え、個人的に憎悪を向けるべき相手だとしても、今のエヴァンジェリンにとってはそれを凌駕する存在が居る。それが白き翼の――否、この学園の友達だった。 だが、それを押し留めてでも今は軽率に行動するべきではない。それがアルビレオと超、両方の話を聞き、タカミチと一晩相談し合った末に出した結論だった。これからの行動は常に最善を心掛けなければならない。その為にはまだネギ達にこれからの戦いを始めとしたアルビレオから聞いた情報を話してはならない。 今は彼女達がこの日常の幸せを逃したくないと心から思えるような日々を送らせる事が最善だ。それ以外に手が無い現状が腹立たしく感じても……。 エヴァンジェリンに突然声を掛けられて硬直した四人が再起動を果たすと、エヴァンジェリンは再び言った。「あいつらには未だ話すな」「どうして……?」 エヴァンジェリンの言葉に和美は思わず立ち上がっていた。止める理由が分からなかった。早くに話して、出来る限りの防衛策を講じるべきじゃないのかと和美はエヴァンジェリンに瞳で訴えかけた。 エヴァンジェリンはそんな和美に静かに首を横に振り落ち着けとばかりに和美の豊満な胸を突いた。「ひゃっ!?」 思わず変な声を上げてしまった和美は慌てて周囲を見渡した。「安心しろ。大分前から消音結界を張っている。っていうか、結界無しに魔法の話をするんじゃない……」 エヴァンジェリンが呆れた様に注意すると和美達は素直に謝った。 エヴァンジェリンはコホンと咳払いをすると和美に座る様に促がした。納得いかなげな表情を浮かべながら和美が座り込むと、その正面にエヴァンジェリンも腰掛けた。そして、自分の作業を続けながら口を開いた。「お前達の覚悟は聞いた。お前達の気持ちも分からないではない。だけどな、未だ早いんだよ」「だから、どうして!?」 和美が聞くとエヴァンジェリンは言った。「あいつ等は今の生活が幸せなんだって事を骨の髄まで分からせてやらないといけないんだ。じゃないと、私はあいつ等を殺さないといけなくなる……」「冗談……じゃないみたいだね」 エヴァンジェリンの深刻そうな顔に和美は顔色を蒼くしながら囁くような声で言った。「まあ、本当にそんな事態になったら私はどういう行動を取るか分からんがな」「理由を聞いたら、教えてもらえますか?」 苦笑を洩らすエヴァンジェリンにのどかがおずおずと尋ねた。「すまんな。今は未だ無理だ。話せば、お前達はもうまともにあいつ等を見れなくなる……。時が来れば私があいつ等に話す。お前達にもな。それまでは昨夜の話はお前達の胸の中に仕舞っておいて欲しい。頼む」 エヴァンジェリンが頭を下げると和美達は躊躇いながら頷いた。エヴァンジェリンの存在が和美達に頭を冷やさせた。魔法関係において、自分達は初心者である事を思い出す事が出来た。 専門家であるエヴァンジェリンが言う以上、自分達は軽率に動いてはいけない。エヴァンジェリンがネギやアスナ、木乃香の三人を大切に思っていると確信しているからこそ、四人は素直にそう考える事が出来た。「その時ってのが来たら、絶対に話してくれるの?」 和美が聞くと、エヴァンジェリンは確りと頷いた。「夏になればここを去るが、その時が来たらまたここに戻って来るつもりだ。その時に全てを話すよ。というか、話さないわけにはいかないだろうな……」「そっか……」 和美は大きく溜息を吐いた。頬をパンッと叩いて何とか気を落ち着けてエヴァンジェリンを見た。「分かったよ、エヴァちゃん」 和美が言うと、夕映とさよも渋々頷いた。 一人、のどかだけがエヴァンジェリンに詰め寄った。「でも、でも! 私達に出来る事って何にも無いんですか?」 瞼に涙を為ながら言うのどかにエヴァンジェリンは首を振った。「いや、出来る事ならある」 エヴァンジェリンの言葉に和美達は眼を見開き、エヴァンジェリンに詰め寄った。「あいつ等の友達で居続けろ。それがあいつ等にとって一番の助けになる筈だ」「どういう意味なの……?」「あいつ等がどこに行っても、何があっても、絶対に帰って来たい場所を作るんだよ。この平凡な日常の中にな」 エヴァンジェリンはそれだけ告げると自分の作業に没頭し始めた。和美達もそれぞれ自分の作業に意識を集中させながらエヴァンジェリンの言葉の意味を考えた。 考えた末に出した結論は四人共一緒の答えだった。エヴァンジェリンが言うように常に彼女達の友であろうと和美達は決意した。例え、世界が彼女達の敵に回っても、いつまでも友人であろうと。 その日の深夜、時計の針が零時を回る寸前、世界樹の地下深くにある巨大な空間の中心部で一人の少年の心臓の鼓動が動き出していた。 瞼の中で眼球が蠢きだし、胸部が上下し始める。「順調に目覚めようとしていますね」 少年の直ぐ近くで少年を見守る二人の男が居た。一人は真っ白なローブに身を包んだアルビレオ・イマ。 彼が話しかけている相手は彼には珍しくジーンズにワイシャツというラフな格好をしている青年体の土御門泰誠であった。「ああ、これなら間に合いそうだ。超鈴音曰く、残る時間も僅かしかない。ギリギリだったな」「彼女が来てくれた事は私達にとってこの上ない幸運でしたね」 アルビレオが言うと土御門は眉間に皺を寄せ、険しい表情を浮かべながら唸った。「中々、思い通りにはいかぬらしいからな。万全を期してきたつもりであったが、最後に立ちはだかるは造物主でも魔王やドラゴンなどのモンスターでもなく、人の欲望とは」 深く溜息を吐く土御門にアルビレオは苦笑いを浮かべた。「虚しさを感じるのは仕方無いとは思いますが、彼女の気持ちを無碍にするわけにはいきませんよ?」「分かっている。元より、別に名も知らぬ人々の為にやろうとしている訳では無い」「相変わらず、想いは変わりませんか」「無論だ。その為にこれまで生きて来たのだからな」 目元を伏せながら言う土御門にアルビレオはそうですか、と微笑しながら言った。「過去にばかり縛り付けられるのもどうかと思いますがね」 アルビレオの言葉に土御門は耳を貸さず、ソッと膝を折り、横たわる銀髪の少年の胸元に手を置いた。胸元に置いた土御門の掌から清廉な神気が湯気のように立ち上がった。 土御門の放つ神気は真昼の砂漠に垂らした一滴の雫の如く、あっと言う間に少年の身の内へと入り込んだ。「用心深いんだな」 当然、声が響いた。土御門のものでも、アルビレオのものでも、横たわる少年のものでも無い。 広々とした空間へ入口の一つから一人の青年が向かって歩いていた。白い髪に獣の如き獰猛な光が宿る闇が縦に裂けたかのような金色の瞳。長身の逞しい体つきをした精悍な顔立ちの青年だった。 青年が銀髪の少年の下まで歩み寄ると青年は土御門に一通の手紙を手渡した。土御門は受け取った手紙を読むと小さく頷いた。「ご苦労だったな」 土御門が青年に労いの言葉を掛けると、青年は短く返事を返すと体を反転させ、来た道を戻り始めた。「じゃあ、俺は戻る。久しぶりに顔を見に行きたいしな」「ああ、すまなかったな。今は他の式を全て使いに出しておって、お前に頼むしかなかったのだ」「ったく、今が一番危険な時期なんだろ?」「ああ、可能であれば麻帆良祭の最終日の夜。超鈴音曰く、完全なる世界が襲撃を仕掛けて来る日に逆に奴等を捕らえる事が出来れば……、ネギを頼むぞ、白虎よ」「言われなくても分かってるよ」 そう言うと、白虎は白い光に包まれた。瞬く間にその姿は変貌し、真っ白な毛皮に覆われた像ほどもある巨大な獣に姿を変えた。 様々な獣の特徴を持つ相貌の獣は深く息を吐き出しながら体を振るわせた。すると、獣の体は徐々に小さくなり始めた。 狼のような、あるいは虎のような、あるいは鼠のような、あるいは獅子のような相貌も徐々に変化を始め、変化が終わると、そこには一匹の小さなオコジョが居た。「お土産もちゃんと買ってきたし、待っててくだせい、姉貴――ッ!」 小さな体躯で駆けていくアルベール・カモミールの背を見ながらアルビレオは事も無げに呟いた。「上に戻ってから戻れば良かったのでは……。それにしても、完全にネギ君のペットとして順応してますね、彼」 アルビレオが言うと土御門は深い溜息を吐いた。「彼奴め……」「おやおや、嫉妬ですか? 初めて契約した式がネギ君にベッタリで」 アルビレオが満面の笑みを浮かべながら言うと土御門は黙ってアルビレオの後頭部を強打し、未だ横たわる銀髪の少年に向かって囁いた。「もし、あの者が我等の計画に害為す可能性あらば、殺せ――――天空よ」 土御門の言葉に呼応するように少年の体に染込んだ神気が少年の体から僅かに噴出し、小躯な老人の姿を象った。 着物を着た後頭部が異様に長い白髪の老人は麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門だった。「承知しておりますよ、近右衛門。しかし、良いのですかな? 貴殿の変わりにこの学園の長として学園を取り仕切る事が出来なくなりますが」「構わん。恐らくは夏の間に全てが始まり、全てが終わる。その間程度ならば――」 土御門――――否、近衛近右衛門は小さく息を吐いた。すると、彼のジーンズのポケットから影が飛び出した。それは一匹の狐だった。「こやつで十分だ。頼むぞ」「お任せを」 まるでフェレットのように細長い体躯をした狐は頷くと宙高く飛び上がり、クルリと一回転した。すると、その姿は瞬く間に天空の姿に変化した。「相変わらず優秀な管狐ですね」「近衛家に代々受け継がれてきた妖狐だからな」 近右衛門は言いながら妖狐の化けた老人に言った。「私が死ぬまでは学園の長として動け。私の死後は適当な理由を付けて引退し、麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校の校長を学園長に据え、しばらくしたら近衛近右衛門という老人を殺せ。いいな?」「承知。その後は詠春殿に?」「ああ、彼奴に力を貸してやって欲しい。まあ、彼奴が望めば関西呪術協会の長の座から降りる事も許可せよ」「委細承知致しました。では、私はこれで」 妖狐はドロンと煙と共に消えた。天空も妖狐が消えるのを見届けると銀髪の少年の中へと消えた。「有能な式をお持ちですね」「十二天将は先祖の遺産だがな」「操っているのは貴方でしょう? 謙遜は必要ありませんよ」 クスクスと微笑むアルビレオに近右衛門は鼻を鳴らすと銀髪の少年の瞼がゆっくりと動き出すのに気が付いた。「目覚めたか……」「――――――」 少年は僅かに瞳を開き、直ぐに閉じた。そして、何かを喋ろうとするが全く声が出ない様子だった。「慌てるな。ゆっくり息を整えながら一言ずつ喋ってみろ」 近右衛門が言うと、少年は言われた通りにゆっくりと口を開いた。最初はシュッという空気の抜ける音がするだけだったが、徐々に少年は声を取り戻し始めた。「こ……こは?」「麻帆良学園の地下だ」「だ……れ?」「私はこの学園の長だ。名は近衛近右衛門と言う。まあ、通常は土御門と名乗っているがな」「こ……の……? 僕……どうし……て、こ……あれ?」 少年はゆっくりと瞼を開き、自分の手に視線を落とした。そして、慌てた様子で自身の胸に手を置いた。 少年は目を見開くと喉を震わせた。「僕に……し……んぞうが!?」「お前は人間に成った。不便はあるだろうが、お前を待つ者が居る。すまぬが我慢してくれ」「待つ者……?」「アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。ここでは神楽坂明日菜と呼ばれているが、彼女はお前を待ち続けている」 近右衛門の言葉に少年は慌てて立ち上がろうとしてバランスを崩した。瞬時にアルビレオが重力を操作し、フェイトをゆっくりと横たわらせる。「無理をしてはいけませんよ。まだ、体が馴染んではいないでしょうし」「姫さまが……僕を待っている!?」 少年にアルビレオの言葉は聞こえていなかった。ただ、アスナの名だけが頭の中で反芻し、動かない我が身をもどかしく思った。「ああ、お前を待っている。だが、今のままでは会えまい。一週間だけ我慢しろ。その体に魂を完全に馴染ませなければならん。それに、お前には頼みがある」「頼み……?」「ああ、色々とな」 近右衛門は唇の端を吊り上げながら言った。「まあ、とりあえずはおはようの挨拶からだな。フェイト・フィディウス・アーウェルンクスよ」 少年――フェイト・フィディウス・アーウェルンクスはその時始めてまともに近右衛門の顔を見た。 フェイトは目覚めたばかりの頭でアスナと直ぐに再会出来ない事を嘆き、同時に漠然と思った。近衛近右衛門は弱い七十八歳を越える老齢である筈なのに、どうしてこんなにも若い身なりをしているのだろうか、と。 フェイトが目覚めてから一週間後の月曜日。麻帆良学園本校男子中等学校の寮の一室にある洗面所で鏡を前に犬上小太郎が鼻歌を歌いながら髪を梳かしていた。そんな彼を同級生であり、ルームメイトの天城悠里、結城茂の二人は不気味そうな目で眺めていた。 帰って来てから浮かれっぱなしの小太郎は数時間前の事を思い出していた。 ここ連日の白き翼が麻帆良祭で疲労する事になっている合唱の練習の後、小太郎はネギに夕方、屋台を見て回らないかと誘われたのだ。 既に麻帆良祭まで一週間を切り、麻帆良祭準備期間に突入した麻帆良学園ではたくさんの屋台が立ち並び、既に祭りの様相を呈していた。合唱の練習や中武研の出し物の準備、クラスの焼きそば屋の準備も大体が終わり、ネギの方もある程度目処が立ったらしく、白き翼の練習中に屋台の話が出て、小太郎はネギに誘われたのだ。 出来れば自分の方から誘いたかったのだが、小太郎は夕方からのデートが待ち遠しく顔がニヤけるのを抑える事が出来なかった。数日前にネギが本当は男である事を知ったにも関らずこれほどネギとのデートに乗り気な自分が最初は不思議だったが今ではむしろそれを誇らしくすら思えてきた。 髪型のセットを念入りにしながら夕方からのデートのプランを念入りに考えつつ、小太郎は浮かれきっていた。「アイツ、大丈夫か?」「ま、まあ、彼女からデートに誘われて嬉しいんでしょうね……。さすがに、デートに出発する前にちょっと注意してあげないと……」 ルームメイトの二人は心配半分、微笑ましさ半分の表情を浮かべながら肩を竦めあった。 時刻が夕方になると、麻帆良は騒がしさを増した。普段から元気いっぱいの生徒達が祭りという非日常的な空気によって更にテンションを上げていた。 友達と一緒に回ったり、彼女、あるいは彼氏と一緒に屋台を回る少年少女達。彼らの顔には一様に楽しげな笑みが称えられていた。 その中でネギ・スプリングフィールドは友人である神楽坂明日菜と近衛木乃香、桜咲刹那と共に居た。その表情は周りの少女達が思わず噴出しそうになる程に目まぐるしく七変化していた。 自分から小太郎をデートに誘ってしまった。ネギが所属している白き翼で準備期間中の屋台の話が出た時、周りで和美は夕映やのどかを、木乃香は刹那を、アスナは茶々丸とエヴァンジェリンをそれぞれ誘っていて、ネギも周りの雰囲気に後押しされる様に一番近くに居た小太郎に気軽に誘いの言葉を掛けていた。 自分の軽率な行動に頭を抱えたくなりながらも、ネギは楽しみで仕方がなかった。小太郎とのデート。今まで、二人っきりな時は何度かあったが、本格的なデートはこれが初めてだった。小太郎の顔を思い出すだけで頬が赤く火照り、小太郎の声を思い出すだけで胸が苦しくなり、頬が緩むのを抑える事が至難の業となっていた。それほど、ネギにとって、小太郎が愛おしい存在になって居た。 今の時刻は約束の時間の三時間前。クラスの出し物の準備や部活動、白き翼の方は休みになっていた。屋台が並び始める今日は大抵の部活が休みになって、皆が屋台を回る。 今日は最後の準備のラストスパートを掛ける為の充電日なのだ。「まったく、顔がニヤけっぱなしよ?」「ご、ごめんなさい。でも、楽しみで……」 アスナは注意しながらもネギの幸せそうな顔に喜びの笑みを浮かべていた。ただでさえ、いつも人を気遣ってばかりで、エヴァンジェリンの事もあり、塞ぎ込みがちでここ数日全く笑顔を見せなかったネギが今日はこれからの小太郎とのデートにウキウキした笑みを浮かべている。それが只管嬉しかった。同時にこんな笑顔をネギにさせられる小太郎が羨ましくもあった。「しっかり、楽しんできいや、ネギちゃん」 木乃香も自分の事の様に嬉しそうにネギに声を掛けた。見ているだけで思わず笑みが零れてしまいそうになるほど、ネギは幸せそうだった。「はい!」 ネギが元気いっぱいに頷くと木乃香は思わず噴出しそうになるのを刹那の腕に顔を埋めながら必死に耐えた。 木乃香に腕を抱き締められた刹那はネギに負けず劣らず幸せいっぱいの表情を浮かべていた。「とりあえず、とっとと寮に戻って準備しなきゃね。精一杯おめかしして、小太郎の奴をメロメロにしちゃいなさい!」「は、はい! 頑張ります!」 真顔でそんな事を言うネギにアスナは自分の体を抱き締める様にしながら噴出すのを必死に堪えた。木乃香と刹那も必死に堪えた。「よーっし、ネギちゃん。ウチが最高のメイクをしたるで!」「お願いします!」「任せときー!」 木乃香は右腕を真上に伸ばしながら気合を入れた。 アスナは嬉しそうに笑みを浮かべるネギに嬉しさを感じながら、同時に少しだけ羨ましさも感じていた。茶々丸やエヴァンジェリンと一緒に屋台を回るのも楽しくていいと思うのだが、どうしても思ってしまう。 フェイトと一緒に二人で回れたら最高だったろうな、と。茶々丸やエヴァンジェリンが嫌いなわけではない。むしろ、大好きの部類に入る。特にエヴァンジェリンとはもう直ぐ会えなくなるから今の内に思い出をたっぷり作りたいという気持ちは強くある。 だけど、とアスナは胸の中にモヤモヤを感じていた。アスナにとっての一番はやはりフェイトだった。幼い頃、孤独だった自分と一緒に居てくれたアスナの騎士。 少し天然な彼の事を思うとアスナはいつでも胸がしめつけられるような気持ちになった。早く会いたい。今はどこに居るのだろう。無事なのだろうか。幸せなイメージ、最悪なイメージ。色々なイメージが脳裏を駆け巡る。 修学旅行の日に運命的な再会を果たした後、土御門に連れて行かれたフェイトの事がアスナは心配で堪らなかった。土御門に聞いても、大丈夫だと言うばかりで詳しい話ははぐらかされてしまう。一度、力ずくで聞こうとした時はあっと言う間に動きを封じられてしまった。「どうしました?」 刹那の声にアスナはハッとなった。いつの間にか足が止まっていたらしい。少し離れた場所でネギや木乃香も足を止めて不思議そうにアスナを見ていた。 アスナは慌てて頭を振りかぶり三人を追いかけた。「なんでもないよ」 ニッコリと笑みを浮べ、アスナは三人と一緒に再び歩き始めた。 そんな彼女の後姿を見つめる影があった。和気藹々と話す四人に近づいて行く影は口元に嬉しげな笑みを浮かべながら口を開いた。「姫さま」 その声にアスナ達は動きを止めた。アスナが目を見開きながらゆっくりと後ろを振り向くと、そこには愛しい少年が居た。 アスナは無意識の内に走り出していた。周りの目も気にせず、目から止め処なく涙を溢れさせ、少年に抱きついた。 少年の体の体温を感じ、アスナは何度も少年の名を呼び続けた。少年は再会した少女の名を呼び返した。 アスナは少年の頬を両手で包み込み、満面の笑みを浮かべて言った。「おかえりなさい」 アスナは少年の唇にそっと自分の唇を重ねた。周りを歩く人々が思わず立ち止まってしまうほどに熱烈なキス。それは少女の喜びと少年の喜びの万分の一程は現せていた。 アスナは唇を離すと、少年の口と繋がる細い糸に顔を赤く染めながら心の底から嬉しそうな笑みを浮かべると言った。「おかえりなさい、フェイト」「ただいま戻りました。姫さま」 二人は再び抱き合った。周りの目を気にする事も無く、お互いの存在を実感するために。