夢を見ていた。見知らぬ男が自分を抱き上げる夢。褐色の肌に白髪の目立つボサボサの髪と髭は伸ばし放題で浮浪者のような装いの男はその瞳に驚く程知性に富んだ輝きを秘め、穏かな微笑みを浮かべている。 男の隣では同じく褐色の肌の女性が男に寄り添い、幸せそうな笑みを浮かべて自分を見つめている。見た事の無い場所で、見た事の無い人達から向けられるあまりにも激烈な親愛の情を受けて、自然と口が開いていた。「おとーさま」 そう呟いた瞬間、目の前が真っ白になった。次の瞬間、目に映ったのは恐ろしい光景だった。 父が巨大な十字架を背負い、人々から罵声を投げ掛けられている。石を投げつける人、水を掛ける人、汚物をぶつける人まで居る。 やめて、そう叫ぼうとした途端、褐色の肌の手が自分の口を塞いだ。母の手だと直ぐに気が付いた。何故、そう叫ぼうとするが、声は母の手に遮られ、こもった音が洩れるばかりだった。 その合間にも、父は進んで行く。その先に進んではいけない。恐怖が全身を駆け巡った。このまま、彼を進ませてはいけないと思った。 母の腕から抜け出そうと必死に暴れるが、母は自分を解放してくれない。どうして、そう尋ねようと母の顔を伺おうとすると――――母は泣いていた。 声も漏らさずに、顔を覆いつくすニカブの中で母は確かに泣いていた。 父は困っている人を見たら助けずには居られない優しい男だった。病に苦しむ者が居れば病を癒し、傷を負う者が居れば傷を癒し、飢餓に喘ぐ者が居れば食べ物を作り出した。 父は妻を愛し、子供を愛し、人を愛する事を知る普通の男だった。ただ、一つ他の人と違う事があるとすれば、それは彼が魔法使いだという事だ。 邪悪な物として使う事を禁じられている精霊崇拝に属する魔術を人々の為に躊躇う事無く使い続けた。 父は人々に敬われた。そして、同時に恐れられた。 父は見返りを求めずに人々を救い続けた。その為に行使した魔法を見た人々は口々に『神の奇跡』だと言った。見返りを求めずに『神の奇跡』を行使する父を人々は『救世主(メシア)』と言った。 同時に父の優しさを理解出来ず、魔法を悪魔の力と言う人が居た。――――彼は精霊の力を操る神への冒涜者だ。 その言葉は疫病のように広がった。禁じられた精霊崇拝による奇跡の行使。それは父を破滅へと進ませた。――――奴は何かを企んでいるに違いない。 見返りを求めない救済。それは人々に疑心暗鬼の感情を芽生えさせてしまった。無垢な善意を信じる事が出来ず、存在しない悪意を感じ取った。 そして、父を信望し、弟子となった男の一人が言った言葉が引き金となった。――――彼は神と同等の存在である。 父は一度もそんな事を自称した事は無かった。ただ、古代より伝わる魔法を識る者として、弟子達に術を伝授していただけだ。 だが、弟子達は父の思いに応えなかった。父を神の子、救世主、ダビデの子、全能者と称え、父の起した奇跡を伝え広めた。 そして、父は救ってきた人々に精霊崇拝を行う反逆者として蔑まれ、同郷の指導者達によって、父の弟子達の広めた父の名声を疎んだローマ帝国に渡され、死刑の判決を受けた。 父はそれでも誰の事も恨まなかった。自分に死刑の宣告をしたローマ総督の事も自分を売ったユダヤの指導者達の事も自分を蔑んだ――自分が救ってきた人々の事も自分を破滅へ追いやった愚かな弟子達の事も誰一人として恨まなかった。『私は人を愛おしく思う。この身の死を人が願い、それで人が救われるならば、私は喜んでこの命を差し出すよ。だから、人を憎んではいけないよ?』 心を通じて語りかける父はその言葉を最後に死刑台への13階段の前に立った。 人々が歓声を上げた。ああ、ついにこの時が来てしまった。父は死刑台へと上がった。自分で背負って来た巨大な十字架に手足を杭で打ち付けられ、苦痛に顔を歪めている。 なんて残酷な人だろう。どうして憎まずに居られるだろう。愛する父を奪う者達をどうして許す事が出来ると言うのだろう。どうして、父を蔑む人々ではなく、父を愛する妻と娘を選んでくれなかったのだろう。 とても長い時間だった。父は一思いに首を切り落とされる事も無く、人々の嘲笑の中、政敵への見せしめの為に苦しまされた。苦しんで、苦しんで、最後に父は穏かな笑みを浮かべて息を引き取った。 父の死を確認する為に一本の槍が父を貫くのを見つめながら、再び目の前が真っ白になった――――。 目を覚ました時、彼女は同室の二人の少女に気付かれない様に涙を流した。夢の内容は覚えていない。ただ、とても哀しい夢だった事だけを覚えていた。「どうしたの?」 どうやら、隣で眠っていた少女を起してしまったらしい。少女は慌てて涙を拭うと自然な笑みを浮かべて言った。「おはよ、アスナ」 エヴァンジェリンとタカミチが犬上小次郎に襲撃され入院した日の翌日、エヴァンジェリンのログハウスにネギは招待されていた。 エヴァンジェリンのログハウスのリビングにはネギの他にも大勢の人が思い思いの場所に座っている。ネギはテーブルの長椅子に小太郎とアスナに挟まれて座り、招待主であるエヴァンジェリンが話し始めるのを待った。「今日、お前達を呼んだのは他でもない。もう、知ってる者も居ると思うが私は麻帆良に夏までしか居られない」 開口一番にエヴァンジェリンは言った。既に知っていたネギ、アスナ、小太郎、和美、さよ、あやかの六人は改めて聞かされた動かしようの無い事実に口を閉ざし、顔を俯かせた。じわりと涙を溢れさせるネギの肩に小太郎は手を回し、そっと抱き寄せた。 知らされていなかった木乃香、刹那、のどか、夕映はエヴァンジェリンの言葉を飲み込むまでにかなりの時間が掛かった。その言葉の意味を頭が理解し、それが事実であると、ネギの頬を伝う涙を己の眼で捉え、確認し、脳裏に浮かび上がったのはたった二文字の言葉だった。「何故?」 夕映がその言葉を洩らすと、のどかが思わず立ち上がった。「エヴァンジェリンさん、転校しちゃうんですか?」 エヴァンジェリンの言葉を自分なりに噛み砕き、何とか理解しようとしたのどかはエヴァンジェリンが転校してしまうのかもしれないという考えに至った。 エヴァンジェリンはのどかの言葉に思わず噴出しそうになるのを必死に抑えた。何とか衝動を抑え、深く息を吸い、溜息を吐く様に笑みを浮かべると、エヴァンジェリンは頷いて答えた。「まあ、そんなところだ。そこで、今日、集まってもらった理由はこれからの事を色々と話して置こうと思ったからなんだ」「これからの事……ですか?」 力無く椅子に座り込むのどかを一瞥し、夕映が尋ねた。「色々あるが、一つ一つ順番にいこう。まず、現在の麻帆良の状況についてだ」「親父の事か?」 エヴァンジェリンの言葉にいち早く反応したのは小太郎だった。小太郎は険しい表情をエヴァンジェリンに向けた。 ネギは肩に鋭い痛みを感じ、机の上に置かれた小太郎の手があまりに強く握り締めた為に真っ白になり、何かが机の上に滴り落ちた。真っ赤な血が小太郎の拳から滴り落ちた。「こ、小太郎、手から血がッ!」 ネギは慌てた声を上げながら小太郎の手に触ろうとすると肩から手が外され、両手の拳をまるでネギを撥ね退けるように自分の膝に乗せた。小太郎の態度に戸惑ったネギは行き場を失った手を慌てて引っ込めると小さな声で「ごめんなさい」と謝った。 ネギの怯えるような声に小太郎はハッと我に返り、困った顔をしながら拳を開いて空中を彷徨わせた。ネギはその手に恐る恐る手を伸ばすと治癒(クーラ)を唱えた。治癒呪文で癒えた手を小太郎は軽く動かして「サンキュ」と言って笑みを浮かべてエヴァンジェリンに視線を戻した。 二人の様子を愉しげに見ていたエヴァンジェリンは二人の視線が自分に向くのを確認すると再び話し始めた。「現在の麻帆良は通常通りとは言い難い。あやかとネギは実際に体験しているから分かっていると思うが、麻帆良の六つの地点――麻帆良大学工学部キャンパス中央公園、麻帆良国際大学附属高等学校、フィアテル・アム・ゼー広場、女子普通科付属礼拝堂、龍宮神社神門、世界樹前広場に魔力溜まりが発生している」「魔力溜まり?」 聞き覚えの無い単語に和美が聞いた。「魔力溜まりは言葉通り、世界樹が放出する魔力が集中して溜まる場所の事だ」「世界樹って、あの世界樹の事ですか?」 麻帆良学園で一際目を引く巨大な木を脳裏に浮かべながらのどかが聞くと、エヴァンジェリンは頷いた。「考えている通りだ。世界樹――正式名称は神木・蟠桃と言う。蟠桃は龍穴という龍脈を流れる“氣”が集中する場所に生えている。蟠桃はその氣を吸い取り、貯蔵しているんだ。その氣が二十二年に一度の周期で満杯となり周囲に放出される」「気? 魔力じゃないの? それに龍脈や龍穴って?」 聞き慣れない単語の羅列に和美は戸惑ったように尋ねた。和美の疑問に答えたのはエヴァンジェリンではなく隣に座る夕映だった。夕映は少し呆れた顔をしながら言った。「恐らく和美さんが想像している“気”では無く、“氣”ですよ。土御門さんの授業をちゃんと聞いてなかったですね?」 夕映が言うと和美は気まずそうに頬を掻きながら乾いた笑い声を上げた。「まったく……。いいですか? まず、“氣”というのは魔力や気の総称です。【魔力】とは“地球の氣”、即ち“天の氣”であり、“地の氣”なのです。そして、【気】とは“人の氣”。人の氣たる【気】が人の経絡――血管や神経とは違う気の流れ道を通るように、地球の氣たる【魔力】もまた地球の経絡――即ち、『龍脈』を通り、地球全土に流れているのです」「なるほどね。つまり、この場合の氣は気じゃなくて魔力って解釈でいいわけね?」 和美は納得した様に言った。「正解だ。良い解説だったぞ、夕映。土御門の話をちゃんと聞いてたみたいだな」 エヴァンジェリンは心の底から感心しているらしく、優秀な教え子を褒め称えた。エヴァンジェリンに褒められた夕映は頬が緩むのを必死に隠そうとしているが、唇の端が僅かに吊り上がってしまっていて隠し切れていなかった。 エヴァンジェリンはそんな夕映に苦笑しながら話を続けた。「世界樹から放出される魔力は膨大だ。麻帆良全体が通常とは比べ物にならない程魔素の濃度が高くなっている。特に魔力溜まりには膨大な魔力が集中している。どんな事が起こるか……想像出来るか?」 エヴァンジェリンが試すようにネギ達に視線を投げ掛けた。ネギは少し考えてから口を開いた。「魔力は精神に影響を及ぼします。嬉しさ、寂しさ、哀しさ、色々な感情を増幅してしまいます。魔力の量が多ければ多い程影響は強くなっていきます。それこそ、感情を暴走させる程に……。そして、魔力が精神に影響を及ぼすように、精神も魔力に影響を及ぼし、それは魔法や呪い、現象として現実を改変してしまう……」 ネギは昨夜の自分の痴態と凶行を思い出して表情を曇らせながら言った。情欲に呑まれ、小太郎に迫り、アスナに杖を向けてしまった。 あの夜、ネギは犬上小次郎とは出会っていなかった。アスナがネギに念話をした直後、ネギは確かに小太郎らしき人物を目撃した。だが、それは本物ではなかった。 あの時、ネギは和美達の想像通りに小次郎を探していた。だがそれは別に口封じなどという物騒な事を考えての事ではなかった。ただ、話をしたかっただけだった。エヴァンジェリンの事を秘密にして欲しいと願う為だった。小太郎の故郷をどうして滅ぼしたのかを聞く為だった。 小太郎の力になりたいという思いとエヴァンジェリンと別れたくないという二つの強い思い。その思いが小次郎(ひとつ)に集中した結果、偶然にも魔力溜まりに足を踏み入れてしまったネギは自身が想像した――成長した小太郎の姿である――犬上小次郎を幻影として現実に投影した。 その瞬間に魔力溜まりに溜まっていた魔力が一気にネギの中に流れ込み、その心に影響を及ぼした。ネギの小太郎に対する恋心は大量の魔力によって一気に膨れ上がり、ひたすらに小太郎を欲するようになってしまった。それこそ、小太郎との逢瀬を満喫するために邪魔者としてアスナを排除しようとしてしまった程に――。「振り切ったつもりだったのに……やはり、心のどこかで願っていたという事でしょうね」 アスナを挟んでネギの反対側に座るあやかが小さく囁くような声で呟くのが聞こえた。あやかも魔力溜まりによって感情を暴走させられた事がある。 生まれてくる事の出来なかった弟への愛情。長い時間の中で振り切ったと思っていたその思いに魔力溜まりは反応した。愛おしい弟の幻影に囚われ、感情を暴走させた。「ほんまにたち悪いで」 小太郎は苛立たしげに鼻を鳴らした。「まあ、おかげでネギとアスナを本気に近い状態で戦わせる事が出来た」 エヴァンジェリンは「怪我の功名だな」と苦笑した。「ったく、気付いてたんなら初めから言えや」 忌々しげに悪態を吐く小太郎をエヴァンジェリンは涼しい顔で無視した。 昨夜、ネギとアスナが戦っていた時、エヴァンジェリンが小太郎を止めたのはネギが犬上小次郎と接触したわけでは無いと分かっていたからだった。 事前に土御門から魔力溜まりの一つである世界樹広場から魔力が消失したという話を聞いていた。そして、ネギは犬上小次郎を探していた。エヴァンジェリンはあやかの事件についても既に承知していて、三つの事柄からエヴァンジェリンは一つの推論を立てた。 ネギは犬上小次郎を探しに行き、エヴァンジェリンとタカミチが遭遇した世界樹広場に向かった。そして、エヴァンジェリンと小太郎の話を聞いた直後で犬上小次郎の事で頭の中がいっぱいになっていただろうネギに世界樹広場の魔力が反応したのだろうと。 推論はネギの状態を見て、直ぐに確信に変わった。吸血鬼に噛まれ、操り人形にされているわけではないと。だからこそ、エヴァンジェリンは二人の戦いを止めなかったのだ。「恐らく、影響はそれだけではないだろう。魔素の濃度が高いという事は下手をすると素人が魔力に目覚める可能性がある。人だけじゃない、虫や動物が魔力に目覚め、魔物になる可能性もある」「それってかなりヤバイ状態って奴じゃない?」 ネギやエヴァンジェリンの話を聞き、額から冷たい汗を流しながら和美は顔を引き攣らせて言った。一般人が魔力に目覚める、その危険性は土御門やエヴァンジェリンの授業で嫌という程理解していた。 何の知識も理解も覚悟も無い一般人が魔法なんて異能の力を持ってしまったらどうなるか、それは三通り考えられると教えられた。力をきちんと理解し、力に対して責任を持つ者。力に怯え、自分以外にも同じ力を持っているのではないかと怯え、恐怖に心が支配される者。力に溺れ、自分の欲望を満たす為に魔法を使う者。 力に怯える者は記憶を消したり、きちんとした教育をする事で心を癒す事も出来る。 だけど、力に溺れ、力を欲望を満たす為に使う者を救うのは難しい。大抵の者は犯罪に走るからだ。 顕示欲による他者への暴行。金欲や物欲による窃盗、強盗、恐喝。他にも過去に実際に一般人が魔力を持ち起した事件の例は数多くあった。偶然の手に入れたとしても、その力で犯罪を行えば、その者は紛れも無く犯罪者だ。当然、法の裁きを受ける。一般人による魔法事件の為の裁判所がある聞いた時、和美は驚く程魔法が身近な場所にある事を知り仰天した事を思い出した。「人は欲望に弱い生き物だからな。それにさっきネギが言ったように、魔力は精神に影響を及ぼし、欲望を増幅させてしまう。それが物欲であれ、破壊衝動であれ、愛であれ関係無くな。欲望を増幅された素人が力を持ったらかなり危険だ」「どうにか防げないんですか!?」「麻帆良がそんな危険な状態にあるのなら、その事を知る私達が動かなければ――」 エヴァンジェリンの話にのどかが血相を変えて言うと、隣に座る夕映は使命感に燃えた瞳でエヴァンジェリンに顔を向けた。「まあ、そこまで深刻に考えんでもいいがな」 すると、エヴァンジェリンはそれまでの深刻そうな表情から一変、悪戯が成功した子供のように茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべた。「どういう事ですの?」 あやかが訝しげに聞くと、エヴァンジェリンは言った。「爺ぃ……学園長がもう色々と動いてるんだよ」「お爺ちゃんが!?」 木乃香は祖父の事が話題に上がり目を瞬かせた。「この学園には色々な種類の魔法使いが居る。病院に癒術師、学園の境界や要所に結界師、他にも儀式魔法に特化した魔法使いや教師や生徒に紛れている魔法使いも数多く居る」「そういや、高音の姉ちゃんと愛衣が魔法生徒に登録してるって言ってたな。ワイらはそういうのに登録せんでええんか?」 小太郎はダンスパーティーの日に出会った麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校の二年生、高音・D・グッドマンと麻帆良学園本校女子中等学校の二年生、佐倉愛衣を思い出しながら言った。「魔法生徒……ですか?」 聞きなれない言葉に夕映が首を傾げながら尋ねた。「ああ、高音の姉ちゃんは将来の為の魔法使いの職業体験みたいなもんやって言うとったで。エヴァンジェリンさんも登録してるんやろ?」 小太郎が話の矛先をエヴァンジェリンに向けるとエヴァンジェリンは肩を竦めた。「まあな。登録したいなら別にいいぞ。バイトみたいなもんだからな。基本的には魔法先生はタカミチみたいに学園の警備をしたり、才能が有り過ぎる生徒に魔法使いとしての進路を勧めたりする。魔法生徒はその補佐が主な任務だな」「才能が有り過ぎるというと?」 夕映が聞いた。「この中だと木乃香やアスナ、ネギ、小太郎が該当するな。普通の魔法使いを遥かに凌駕する魔力や特殊なスキル持ちは色々と危険も多いからな。知識を与えて、選択させるのさ。普通に生活出来るように能力や魔力を封印するか、魔法使いとして生きるかをな」「魔法生徒になればどんな特典があるのですか?」 夕映が更に質問を続ける。「基本的にはさっき小太郎が言ったように、職業体験が出来るというのが利点だな。魔法使いの仕事について学べる。それに給料も普通のバイトより高い額が貰えるし、図書館島の一般人が立ち入り禁止になっているエリアの探索も出来る」「ほんま!?」「ほんとですか!?」「立ち入り禁止エリアに!?」 エヴァンジェリンの言葉に夕映とのどか、木乃香の三人が一斉に立ち上がった。「まあ、お前達は魔法生徒にならなくても入れるがな」 ところが、瞳を輝かせる三人にエヴァンジェリンは言った。「へ?」「どういう事です?」「えっと……?」 エヴァンジェリンの言葉に目を丸くする三人にエヴァンジェリンは更に続けて言った。「私が許可を出せば、図書館島の探索くらい、いくらでも出来るぞ」「ええ!?」「本当ですか!?」「なんで、今迄教えてくれなかったんですか!?」 三人が口々に捲くし立てるとエヴァンジェリンは愉快そうに笑った。「まあ、あんまり無知な状態で入るには危険な場所があるからな。だが、そろそろ大丈夫だろうし、今度一度行ってみるか? 立ち入り禁止区域に」「いいんですか!?」「ほんま!?」「是非お願いします!」 三者三様の反応に満足したような笑みを浮かべ、エヴァンジェリンは言った。「ついでに少し探し物したいしな」「探し物ですか?」 のどかが首を傾げた。「ああ、実はのどか、お前のアーティファクトにアクセス出来る魔導書が図書館島にあるらしくてな。それを発見したいんだ。協力してくれないか?」 エヴァンジェリンが言うと、のどかは無意識の内にポケットからパクティオーカードを取り出した。そこには己のアーティファクト――“光輝の書(ゾーハル)”が描かれている。 未だに謎の多いのどかのアーティファクト。どこか人間味のある人格を宿しており、のどかはその謎に迫れるという言葉に反射的に頷いていた。「します! いえ、させてください!」「私も協力するです!」「うちもや!」「私も!」 のどかが決意に燃えた眼差しをエヴァンジェリンに向けると、夕映、木乃香、そして和美が次々に手を上げた。「なら、今度の休日にでも図書館島に行こう」「はい!」 四人が声を揃えて返事をするとエヴァンジェリンはクツクツと愉しげに笑った。「さて、次は小太郎の父の話だ」 それまでの空気が一変した。小太郎の父、犬上小次郎。嘗て、小太郎の故郷を滅ぼし、エヴァンジェリンを麻帆良に入られなくした張本人。否応にもネギを含め全員が緊張した面持ちになった。エヴァンジェリンはあの夜の戦いや小次郎の正体について語った。 犬上小次郎が昔話に出て来る剣豪、佐々木小次郎である事。渾沌と呼ばれる吸血鬼の血族である事。話が続くにつれ、それぞれ異なる反応を見せた。顔を青褪める者、警戒心を露わにする者、好奇心を刺激されている者、怒りを感じている者。「こと吸血鬼としての性能は私以上だ」「エヴァンジェリンさん以上!?」 刹那が思わず声を張り上げた。ネギも口を押さえ、目を見開いている。 エヴァンジェリンは強い。それこそ、世界全体で見ても指折りの実力者だ。そのエヴァンジェリンよりも上をいく実力者に戦慄を隠せずに居た。「あくまで、吸血鬼としての性能の話だぞ? 周りに人や建造物が存在しなければ私が勝ってたさ。今回は小回りの利く技を持っていた奴の運が良かっただけだ。次に戦えば私が勝つさ」 鼻を鳴らしながら言うエヴァンジェリンにネギは少し安堵した。強がりにも聞こえるが、実際に戦場であった世界樹広場に行ったネギはそれが真実なのだと理解していた。 世界樹広場は周囲に民家は少ないが商店街が直ぐ近くにある。それに、少ないだけで民家が幾つか存在する。 エヴァンジェリンは広域殲滅を得意とする後衛型の魔法使いだ。近接でも並外れた力を持っているが、相手は佐々木小次郎という歴史上に名を残す天才剣士だ。佐々木小次郎が歴史上に姿を現すのは1600年前後、エヴァンジェリンの産まれた年とは200年の差があると言っても、恐らくは前衛としてのスキルを長い年月の中で磨き上げてきたに違いない。 あの場では近接戦闘を余儀なくさせられたからこそ、エヴァンジェリンは敗北という屈辱の結果に終わってしまった。だが、距離を取り、本来の戦法に戻れば、エヴァンジェリンが負ける筈が無い。ネギはエヴァンジェリンの魔法使いとしての強さを心の底から信頼していた。「ただ、私から言う事は一つだ。奴と会ったらとにかく逃げろ。何が何でもだ。そして、可能ならば必ず私に連絡しろ。アレとまともに戦えるとしたら、私か土御門、タカミチ、学園長くらいなものだ」 エヴァンジェリンはそう言うと、茶々丸に目配せをした。茶々丸はエヴァンジェリンのアイコンタクトの意味を正確に読み取り部屋を出た。直ぐに戻って来ると大きなワゴンを曳いて来た。 ワゴンには奇妙な物が数多く載せられていた。茶々丸はワゴンをソッと曳きながらネギ達にワゴンの上に載っている物をそれぞれ配り始めた。渡されたのは綺麗な白い翼の形のブローチと古めかしい羊皮紙の巻物だった。「そのブローチは持っている者同士で連絡を取り合う事が出来る魔法具だ。ついでに、白き翼のメンバーの証としても使えるようにデザインしてみた。どうだ?」「これってエヴァちゃんが作ったの!?」「素敵なデザインですわね」「すごっ、エヴァちゃんってこんなの作れるんだ!」「綺麗ですぅ」「ありがとうです、エヴァンジェリンさん!」「ありがとうございます。とっても綺麗です」 口々に絶賛の声が上がるとエヴァンジェリンは思わず頬を緩ませた。前々から白き翼のシンボルを作ろうと密かに考えていた中でとあるアニメを見て考案したのだ。 デザインを考えるのに少し苦労した為、喜ぶ少女達の笑顔に思わず笑みが浮べてガッツポーズをした。それぞれが思い思いの場所にブローチをつけ終わるのを確認してからエヴァンジェリンは使い方の説明をした。 使い方は至ってシンプルで、ブローチに触れながら連絡を取りたい白き翼のメンバーの名前を言えばいいのだ。「わたくしも頂いてよろしかったのでしょうか?」 説明が終わると、あやかがおずおずと言った。あやかは白き翼には入部して居らず、部の証を自分まで貰っていいものだろうかと悩んでいた。「構わんさ。入部するかしないかは自由だが、お前も魔法や小次郎の事、麻帆良の事なんかをかなり知ってしまっているからな。面倒事があったら直ぐに私を呼べ」「……ありがとうございます。エヴァンジェリンさんもわたくしに出来る事があれば、いつでも、なんでも頼ってくださいね」「ああ、その時は頼むとするよ」 エヴァンジェリンとあやかは互いに微笑み合った。「こっちの羊皮紙は何なの?」 アスナが配られたもう一つの羊皮紙を手に取って尋ねた。「それは幻想世界幽閉型巻物だ」「幻想世界?」 のどかが首を傾げた。「ああ、夢や精神の世界と言った方がわかりやすいかもしれんな。要は仮想世界の事だ。内容はかなり自由に設定出来る上、主観時間を大幅に伸ばす事が出来る。最大で七十二倍だ」「主観時間って?」 和美が聞くと、夕映が答えた。「例えば、人の夢は起きる寸前の二十分の間に見ると言われているです。でも、夢の中ではその何倍もの時間を過ごしている気がする。そんな経験はありませんか?」「あるある。っていうか、夢って二十分しか見てないの!?」「まあ、絶対そうだというわけではないですが……。その現実の時間とは違う夢の中で認識している時間を主観時間と言うのです」「それぞれの巻物の中身はもう設定済みだ。それぞれ、時間がある時に『夢へといざなえ(アド・セー・ノース・アリキアット)』と唱えろ。中に入る事が出来る。外の時間で一時間経過したら強制的に外に出るように設定してある」「中身って?」 アスナが自分の巻物を手の中で弄びながら尋ねた。「それは見てのお楽しみだな。夜、寝る前にでも使ってみろ」 そう言って、エヴァンジェリンは悪戯っぽく笑みを浮かべた。「まあ、簡単な内容では無いとだけ言っておこう」「滅茶苦茶不安なんだけど……」 エヴァンジェリンが簡単じゃないというのだから、並大抵の内容では無いのだろうな、とネギは自分の巻物を見ながら思った。「以上だ。麻帆良祭の準備で疲れてる所、わざわざすまなかったな」 そう言って、エヴァンジェリンは話を締めくくった。「エヴァちゃん、正直に答えて欲しいんだけどさ……」「なんだ?」 アスナが思い詰めた表情を浮かべてエヴァンジェリンに声を掛けると、エヴァンジェリンはアスナに視線を向けた。その顔に浮かべている表情は既にアスナの言いたい事が分かっているようだった。「また、会えるよね?」 不安を隠しきれない様子でアスナは尋ねた。それは、ネギが聞きたかった事だった。だけど、怖くて出来なかった。否定されてしまったらと思うと、聞けなかった。 エヴァンジェリンはすぐには答えなかった。誰かが喉を鳴らす音が聞こえるくらい、部屋の中は静まり返っていた。 やがて、エヴァンジェリンはスーッと息を吸い、ゆっくりと吐き出してから口を開いた。「分からない」 それは否定では無かった。だけど、肯定でも無かった。「正直に言えば、お前達が生きている内に会える可能性は限りなく低い。会えても、それはお前達が老い、私の事を忘れてしまっているかもしれないくらい遠い未来の話になると思う」 言葉が出なかった。心の何処かで期待していたのだ。例え、エヴァンジェリンが麻帆良を去っても、きっと会える筈だと。 エヴァンジェリンの返答は否定も同然だった。会えたとしても、自分達が老いた後。老いた自分と今の姿のままのエヴァンジェリンを想像して、不意に理解してしまった。エヴァンジェリンは一人だけ若いまま、自分達に取り残されてしまう事を。 今迄、その事をキチンと考えた事が無かったのだと実感した。成長では無く、いずれ来る老いを実際に想像して、その時にエヴァンジェリンがどんな気持ちになるのかを今になって考える事が出来た。あまりにも寂しくて、涙が溢れ出した。「そ、そんなの嫌です!」 ネギは思わず叫んでいた。顔を歪ませ、エヴァンジェリンに今直ぐさっきの言葉を取り消して欲しかった。のどかや夕映、木乃香、さよもネギと同じ気持ちなのだろう、涙を零しながらエヴァンジェリンを見つめている。和美やアスナ、あやか、小太郎も必死に涙を堪えながらエヴァンジェリンを見つめている。「吸血鬼ハンターや教会だけじゃない」 エヴァンジェリンは言った。「恐らく、私の指名手配が復活してしまう。そうなったら、麻帆良を含め、日本――いや、全国の“魔術結社(マジックキャバル)”が敵に回る」「そ、そんな事――ッ」 ネギは必死に否定しようとしたが……出来なかった。否応にも理解出来てしまったから。エヴァンジェリンの指名手配が復活する。それは彼女が犯罪者として追われる立場になる事を意味する。 麻帆良が彼女を庇おうとすれば、犯罪者を匿う事になる。そうなった時、麻帆良の立場は窮地に立たされる。麻帆良の魔法関係者はそろって共犯者扱いを受けるかもしれない。何も知らない魔法生徒を含めて。 少なくとも、エヴァンジェリンを実際に庇おうと動いた者は処罰を避けられないだろう。そうなれば、もう彼女を庇おうとする者は居なくなる。庇おうとすれば、自分も処罰を受けるから。 それに、エヴァンジェリンの人となりを知る麻帆良ならば庇おうとする者も居るかもしれないが、彼女をただの吸血鬼と見ている他の組織は彼女に対して慈悲を掛けてはくれないだろう。 世界中から追われる。そんな立場の中で彼女との接点のある自分達に接触しようとすればどうなるか、そんな事は想像したくもなかった。「私がここを去った後、次に会えるのは私とお前達に繋がりがあると誰も思わなくなるくらいの時間が経った後だ。まあ、その可能性は限りなく低いがな。特に吸血鬼ハンターという人種は吸血鬼を殺すためにどんな些細な事も真剣に取り組むキチガイばかりだしな」 もう、何も言えなかった。我侭を言えば、それはただエヴァンジェリンを困らせるだけだ。彼女自身、とても辛く感じているのがその表情から容易に見て取れる。これ以上、彼女を追い詰めるような事は出来なかった。 部屋の中が静まりかえり、誰かのすすり泣く声だけが聞こえる中、あやかが唐突に立ち上がった。「麻帆良祭を成功させましょう」 その言葉にネギはポカンとした表情を浮かべた。どうして、こんな時に麻帆良祭の話なんて、と思ったが、次の瞬間にあやかの考えが分かった。「最高の……最高の思い出を……」 涙が止め処なく溢れる。だけど、ただ黙って残り少ない時間を過ごすなんて出来ない。ネギが立ち上がりながら言うと、のどかがつられるように立ち上がった。「せ、成功させるです。ま、麻帆良祭を!」 すると、アスナが立ち上がって言った。「私達、『白き翼』でも何かやろうよ!」 アスナの言葉はネギも考えていた事だった。このメンバーでも何かをしたい。この、エヴァンジェリンの下に集った仲間達で。「具体的にはどんな事をするつもりなんです?」 夕映が冷静な態度で尋ねた。「演劇や音楽会をするなら会場の予約が必要です。行動は迅速に行うべきです」 夕映の言葉にアスナは困った様な顔をした。「ううん、具体的な内容まではまだ……」「なら、せっかく集まってるのですから、何をするか決めませんか?」 口篭るアスナにあやかが助け舟を出した。その様はさすが幼馴染だとネギは思った。「いいね。私は賛成だよ」「私も賛成ですぅ!」 和美が言うと、さよも右手を大きく振りながら言った。「うちもや。アスナ、ナイスアイディアや!」「私も異論ありません。私に出来る事ならばなんなりと」 木乃香と刹那も賛同の声を上げ、アスナはネギと小太郎に顔を向けた。「私も賛成です」「ワイもや」 ネギと小太郎が賛成すると、アスナは最後にエヴァンジェリンと茶々丸を見た。 茶々丸は穏かに微笑むと、部屋から出て行ってしまった。アスナが戸惑っていると、茶々丸は直ぐに戻って来た。茶々丸は大きなホワイトボードを引っ張って来た。「皆さんが出された案は私がホワイトボードに書いていきます」 茶々丸の言葉にアスナは頬を綻ばせた。そして、最後にエヴァンジェリンを見た。エヴァンジェリンはわざとらしく大きな溜息を吐くと、苦笑しながら言った。「ああ、私も賛成だ。最後にお前達と羽目を外して楽しむのも悪く無い」「なら、決まりね! 早速、案を出し合いましょう!」 アスナの号令に皆一斉に頷いた。会議は長くは続かなかった。なんと、皆の意見が一致していたのだ。「歌か」 エヴァンジェリンはホワイトボードに唯一つ躍る文字を読み上げた。歌を歌おう。アスナが最初に出した案に皆賛成した。まだ、具体的に何の歌を歌うかは決めていないけれど、出会いの歌、別れの歌、そして、再会を誓う歌を歌おうという事になった。 それから一週間が経った日。深夜0時を過ぎた頃、月明りに照らされた薄闇の教室にネギ・スプリングフィールドは居た。ネギだけではない。ネギのクラスメイト達は皆一様に教室の中で物陰に隠れ、息を潜めていた。 ただ一人、教室の扉から外を覗き見ていた釘宮円がソッと扉を閉めた。そして、小さな声で言った。「新田先生が来たよ」 教室の中はシンと静まり返っていて、円の声は小声であったにも関らず教室の隅にまで響き渡った。円は音も立てずにそそくさと友人の隠れ場所に急ぎ身を隠した。 しばらくすると、教室の扉が開かれた。ゆっくりと眩しい光が教室の中を照らし出した。 緊張が走り、ネギは自分の心臓の鼓動が聞こえてしまうのではないかと恐れた。光に見つからない様に必死に体を小さくして息を完全に止める。 見回りにやって来た新田が教室中を見回し、やがて満足した様に扉を閉めて去って行き、それから更に五分ほどして漸く隠れていた場所から這い出す事が出来た。周りのクラスメイト達も開放感に満ちた表情で隠れ場所からぞろぞろと出て来る。「も、もう大丈夫かな?」「行ったみたいだよ」 佐々木まき絵の言葉に早乙女ハルナが扉を僅かに開け、外を確認して言った。 もう大丈夫だと分かると途端に肩から力が抜けた。周りも一斉にざわつき始めた。「ドキドキしたー」「ねー」「忍び込んでお泊りってワクワクしちゃうね」「このワクワク感は麻帆良祭始まるなーって気がするねー」 クラスメイト達は皆興奮した様子で口々に喋り始めた。ネギも不思議な高揚感に包まれながら自分の持ち場に戻った。 教室の床は様々な色の布が散らばっていた。他にも文字やイラストが描かれた紙が無数に散らばり、足の踏み場も無い状態だった。ネギはそれでもなんとか踏みつけないように慎重に進んだ。 持ち場に戻ると雪広あやかが項垂れていた。「うう、泊り込みは前日以外禁止ですのに……。3年A組の委員長ともあろう私がこんな規則破りを……」「仕方ないじゃん。こうでもしないと間に合わないんだからさ」 あやかは禁止されている『泊まり込み』に自分が加担してしまっている事が許せないらしい。生真面目な性分のあやかを神楽坂明日菜が呆れながら慰めてた。 二人は初等部時代からの幼馴染であり、普段は喧嘩ばかりしていて、一見すると仲が悪いようにみえるが、実際にはとても仲の良い親友同士であり、互いの事を誰よりも良く理解している。 あやかを慰めるのはアスナが適任だと理解しているネギは余計な事は言わずに近くで作業をしているエヴァンジェリンの隣に座った。エヴァンジェリンと軽く談笑しながらネギも自分の作業を始めるが、中々上手くいかなかった。 ネギの手元には綺麗な布地と裁縫道具がある。初めての縫い物にネギは中々コツを掴めずにいた。隣で作業をしているエヴァンジェリンが時折自分の作業を止めてまで指導をするがどうしても上手に縫う事が出来なかった。「何でもそつなくこなす奴と思ってたが、意外と不器用だな」 エヴァンジェリンは悪戦苦闘するネギに苦笑した。ネギが奮闘している作業は麻帆良祭で3年A組がやる『メイド喫茶』の衣装作りだ。 お化け屋敷や演劇などの案も出たのだが最終的に3年A組の出し物は『メイド喫茶』に決まった。最初、あやかが実費で衣装を用意すると言っていたのだが、担任の高畑.T.タカミチに一人の生徒にお金を出させる事は麻帆良祭の理念に反すると却下され、それならばと自分達で作る事になった。 デザインはそれぞれの希望を聞いた漫画研究会の早乙女ハルナや美術部のアスナがそれぞれイラストにして、演劇部で衣装作りの経験のある村上夏美やよく人形の服を作っているエヴァンジェリンを初めとした裁縫の心得のあるクラスメイト達が指導にあたり衣装作りが開始された。 麻帆良祭まで残り一ヶ月を切っていた。このままの調子で間に合うのだろうかとネギは不安を感じていた。ただでさえ、自分達はクラスと部活に加え、白き翼として歌の練習をしなければならないのだ。「ボケッとするな、また間違えてるぞ」 エヴァンジェリンに呆れ混じりに指摘され、ネギは余計な考えを振り払う為に頭を振り手元に集中した。 間に合う間に合わないじゃない。間に合わせなければならないのだ。だけど、ミスをするわけにはいかない。焦って失敗して、ボロボロのメイド服を着た惨めな姿を小太郎に見せる事だけはしたくない。 ネギの着る予定のメイド服は素人には難易度の高い代物だった。だが、ネギはエヴァンジェリンとの麻帆良祭を成功させたい、そして、小太郎にメイド服を着た自分を褒めてもらいたいという思いを起爆剤に頑張っているのだった。