魔法生徒ネギま! 第四十二話『産まれながらの宿命』 エヴァンジェリンは病院のベッドで茶々丸に剥いてもらったリンゴをシャリシャリと食べながら考えていた。犬上小次郎の事を。一夜が明け、頭が冷えてくると小次郎の行動には奇妙な点が幾つもあった。小次郎は敢えてエヴァンジェリンと一対一になるように仕向けたように思える。終始本気を出さず、エヴァンジェリン以外を追い払った。「しかし、タカミチに燕返しを繰り出した時、確かに殺そうとしていた……」 小次郎はガンドルフィーニ達の事は最初から殺そうとしていなかった。だが、タカミチの時は違った。確かに、息の根を止めようとしていた。「小次郎の言っていた組織というのは、間違い無くメガロメセンブリア元老院だろうね」 エヴァンジェリンの隣のベッドで横になっているタカミチが友人の手紙を再生しながら言った。タカミチの手の中でタカミチの友人であるメガロメセンブリア信託統治領オスティア総督クルト・ゲーデルメガロメセンブリア元老院議員の姿が手紙の上に立体映像でその姿を映し出し、タカミチに宛てた言葉を再生している。内容は挨拶と昔を懐かしむような言葉ばかりだった。問題なのはタイミングだ。手紙が来て、直ぐに小次郎の襲撃。「今の立場上、直接的に警告をする事が出来なかったんだと思う。クルトがいきなり手紙を寄越した事にもう少しクルトの考えを汲むべきだったよ……」 タカミチは悔しげに呟いた。「麻帆良に容易く侵入して来た事を考えても間違い無いだろうな」 エヴァンジェリンが言った。「メガロメセンブリア元老院は|麻帆良学園(ここ)の上部組織だ。距離があって、殆ど独立しているが……。学園側に隠れてヤツを招き入れる事も不可能じゃない」「遠からず、アチラからなんらかのアクションがあるだろうね。エヴァの封印が解けているとバレている以上は……」 濃い色の狩衣を着た青年に京都に送り出された時、エヴァンジェリンは麻帆良に帰って来るまでの間だけの措置だと考えていた。だが、エヴァンジェリンの封印は修学旅行から帰って来ても解けたままだった。「極力魔力を抑えていたが……。やはり、京都の件と血液パックの量を増やしてもらったのが決定的だったかな」 エヴァンジェリンは極力血を吸わないようにしているが、それでもある程度は摂取する必要がある。封印状態の時はそれこそ滅多に必要になる事は無かったのだが、封印が解かれ、どうしても摂取量が増えてしまったのだ。「今は考えても始まらん。いきなり武力行使なんぞはさすがにせんだろう。それより、気になる事があるのだ」「気になる事?」「ああ、奴の言葉の中に幾つか引っ掛かりがあってな。お前は“いどのえにっき”や“世界図絵”について知っているか?」「伝説のいどの絵日記の事は聞いた事があるよ。確か、1469年に元・東ローマ帝国の宮廷魔術師であった魔導士・シャントトが魔女狩りから逃れる為に魔法世界に渡ってから執筆したという相手の表層意識を読み取る魔導書……だったよね?」「く、詳しいな……」 タカミチの予想に反する博識っぷりにエヴァンジェリンは思わず目を丸くした。エヴァンジェリン自身、“いどのえにっき”の噂は聞いた事があったが、こうまで詳しくは知らなかった。「実はナギに聞いた事があったんだ。イスタンブールでね」「ナギにッ!?」 ナギの名前が出て、エヴァンジェリンは驚きの声を上げた。「……アスナ君をナギが“エクスカリバー”を使い、救出した後、魔法世界から旧世界に連れて来た時に僕達はイスタンブールのゲートを通ったんだ。その時に――」「ちょっと待て、エクスカリバーでアスナを救出したとはどういう事だ!?」「あれ、言ってなかったかな? アスナ君を閉じ込めていた墓守の宮殿の地下の祭壇のクリスタルは特別な力があって、ナギはそのクリスタルを破壊する為にエクスカリバーの力を使ったんだ。あらゆる護りを無効化させるからね、あの剣は」「あの時のアスナの言葉はそういう意味だったのか……」 エヴァンジェリンは破魔之剣がエクスカリバーに変化した時にアスナが言った言葉を思い出した。『たぶん、ナギからのメッセージなのかもしれない。昔、わたしはナギに助けてもらった事があるの。この剣はきっと、今度はわたしにネギを助けてくれっていうナギからのメッセージなんだと思う』 あの時はただナギがネギの従者にネギを護ってくれというメッセージを伝説の聖剣を授けるという行為に篭めているのだとアスナが考えただけだと思った。だが、元々アスナはアレがエクスカリバーだと知っていたのだ。「アスナは|あの剣(エクスカリバー)によってナギに救われた。故に、アレは正しくナギからアスナへのメッセージだったというわけだ」「ナギの真意は分からないけど、あの剣がアスナ君の手に渡ったのは、きっと必然だったと思う」「そうかもしれんな……。っと、話がずれたな。それで、ナギは“いどのえにっき”について何を語ったんだ?」「さっきので殆どだよ。ただ、ナギはイスタンブールで魔導士・シャントトについて調べていたみたいなんだ。伝説のいどの絵日記についての情報はそれなりに出回っていたんだけど、執筆者であるシャントトの情報はまるで無かったからね。どうして、ソレを調べていたのか、詳しい事は僕も知らないんだ」「|造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)……」「え?」 エヴァンジェリンの呟きにタカミチは疑問の声を上げた。「いや、ナギはエクスカリバーを|造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)と呼んでいたのを思い出してな。そのグランドマスターキーと。|造物主(ライフメーカー)という単語も気になるが、それよりも小次郎は“いどのえにっき”を『最初のマスターピース』と呼んだ。普通に考えれば、シャントトの執筆した|傑作(マスターピース)と考えればいいのだろうが、ピースを断片だと考えると……」「つまり、エヴァはいどの絵日記がエクスカリバーと同種の物だって思っているのかい? さすがに暴論だと思うよ」「分かっている。鍵と断片では全く意味が違うし、ただ、ナギが探していたという共通点に何かしらの関係性を探りたかっただけだ」 考えは煮詰まってしまった。エヴァンジェリンは病室の窓の外を眺めながら物思いに耽った。ナギは一体、何をしていたのだろうか、恐らく自分と旅をしていた時はずっとアスナを救う為にエクスカリバーを探していたのだろう。その後は“いどのえにっき”について調べていたという。「ナギは何を求めていたんだろうな……」「さあね。アルが居れば、何か教えてくれるかもしれないけど……」「お前は何も聞いていないのか?」「断片的な情報しかね……。ナギが活発に動き出したのは君をこの学園に預けてからだったしね。その頃、僕は君と一緒に共学だった|麻帆良学園本校中等学校(ココ)で学生生活を送ってたし」「お前が中学生をしていた時期に何かがあった……という事なのか?」「もっと前かもしれない。だけど、僕はちょっと……ね。エヴァがナギと旅をしてた頃、僕らは別々に行動してたからさ」 エヴァンジェリンは体を倒してベッドに横になりながら考えを巡らせた。修学旅行の時、ナギが戦っていた組織について知った。“|完全なる世界(コズモエンテレケテイア)”という組織。 アスナの事、造物主の事、造物主の掟の事、ナギの行動の事、繋がりそうで、まだわずかにピースが足りていない気がする。「いや、繋がってはいるんだ。フェイト・フィディウス・アーウェルンクスの持っていた鍵もまた、|造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)なんだからな。問題は、その根源に至るピースが欠けている事だ」 そこまで呟いて、不意にエヴァンジェリンの脳裏に光明が差した。「…………つまり、そういう事なのか?」「どうしたんだい?」「つまり、ナギはそのピースを探して、シャントトを探っていたのではないか?」「どういう事なんだい?」 いまいちエヴァンジェリンの考えが分からず、タカミチは焦れたように尋ねた。「フェイト・フィディウス・アーウェルンクスの持っていた造物主の掟はアスナの黄昏の姫御子の力から作り出した物らしいじゃないか。だが、エクスカリバーはアスナが生まれるよりもずっと昔に造られた物だ。つまり、その根源が居た筈だ」 タカミチは自分の顎に手を置きながら少し考えて、“アスナ”の根源に思い至った。「初代女王アマテルかい?」 オスティアの初代女王アマテル。魔法世界最古の王家の初代であり――。「アマテルは創造神の娘という説がある。創造神と造物主か……」「つまり、ナギは創造神……即ち、根源を追っていたというのかい?」「完全なる世界とやらについても情報が足りない。今分かるのはここまでだろう。創造神……、魔法世界は火星に創られた人造世界だったな。ああ、一つ面白い推論が立ったぞ」 エヴァンジェリンは自分の考えたあまりにも馬鹿げた推論に思わず笑ってしまった。突然笑い出したエヴァンジェリンに驚いたタカミチはエヴァンジェリンの考えた推論について尋ねた。それは、驚くべき事だった。「つまりな、創造神は魔法世界を文字通り創造した神な訳だ。そして、『人造異界の存在限界・崩壊の不可避性について』という1908年に執筆された論文がある。アスナの話のナギと造物主の対決の最終局面について思い出してみろ」 タカミチはアスナから聞かされた大戦の最後、ナギと造物主の戦いの顛末について記憶を遡った。アスナがアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアとしての記憶を取り戻した後、関西呪術協会から旅館に帰る前に聞いた話だ。『私を倒すか、人間! それもよかろうッ! 全てを満たす解は無い。いずれ、彼等にも絶望の帳が下りる。私を倒して英雄となれ! 羊達の慰めともなろう。だが、夢忘れるな! 貴様も例外では無い!』「思い出したか?」「造物主はナギにまるで世界に絶望が待っているような事を話してた。そして――『貴様もいずれ、私の語る”永遠”こそが“全て”の“魂”を救い得る唯一の次善解だと知るだろう』と言った」「負け惜しみのようにも聞こえるが、造物主の言葉を今一度吟味してみよう。ヤツは何と言った? 魂を救うと言ったのだ。そう、“救う”だ。創造神と造物主がイコールで結ばれるなら、奴は魔法世界を造ったという事になる。そして、自分で造った世界に黒幕として、戦争という最上級の災厄を意図的に巻き起こした理由はなんだ?」 タカミチの背筋にゾッとするような悪寒が走った。確かに、笑い飛ばしたくなるほど馬鹿な話だ。だが、ありえないと言い切れるだろうか、その馬鹿な話は微かにではあるが、今分かっているピースの全てと繋がっているのだ。「君は……魔法世界が滅びると言ってるのかい?」「人造世界が滅ぶのは必然だ。そして、そのタイムリミットが近づいていたのだとすれば、どうだ? 創造した者として、責任を取ろうとしていたと考えられないか?」「責任……だって?」「つまりな、世界の崩壊という絶望の帳が落ちる前に、死を与えようとしていたんじゃないかって事さ。でなきゃ、魔法世界だけではなく、こっちの世界にまで冗談にならない被害が及ぶぞ」「どういう事だい?」「世界が滅ぶ。なら、よほどの間抜けじゃない限り、手段は一つしかないと分かるだろ?」 エヴァンジェリンに言われて直ぐにタカミチはエヴァンジェリンの考えを悟った。「そうか、旧世界に魔法世界の住民が一気に流れ込んで来る!」「移民を受け入れるのがどれほど大変な事か分かるか?」 タカミチは息を飲んだ。分かる。その縮図を見た事があるのだから。そう、それは遠い昔の話だ。「最終決戦の後、滅んだオスティアの住民が一斉に周辺の地域に流れ込んだ。移民の受け入れは酷く難しく、生き残ったオスティアの住民を受け入れてもらう為にオスティアの女王となられたアリカ様は一つの手段を取った。――――奴隷制度」「ああ、あの制度は何の冗談かと思ったが、そういう事だったのか……」 奴隷制度。それは、魔法世界にある悪しき制度だ。魔法使い達は“|立派な魔法使い(マギステル・マギ)”を目指し、世の為、人の為に活動している。なのに、その魔法使い達の拠点である世界に奴隷制度なんて代物がある事実は酷く矛盾している。だが、その制度は現在も在り続けている。奴隷公認法(通称=死の首輪法)という忌むべき名として……。「だけど、魔法世界住民全員を旧世界に引き入れる事になったら……」「問題山積みだな。亜人は一般人から見れば化け物に見えるだろうし、そもそも、そんな容量は無いだろう。食料、住居、その他諸々の件だけ見ても不可能だ」「そうなったら、起こるのは……」「戦争だな。お互いに生きなければならない。だが、生き残るには世界が小さく、物資が不足している。一つの世界分の人口なら賄えても、二つの世界分の人口に対しては全く足りない。そもそも、そうでなくても貧困に喘いでいる国があるんだぞ」「魔砲や魔法具を使う魔法世界住民と様々な兵器を使う旧世界住民。下手をすれば、お互いに全滅してしまう可能性もある。今は、核やそれに匹敵する兵器を人間は簡単に量産出来るからね。魔法使いに至っては、魔法でそれらに匹敵する現象を起せる」「ま、こんなのは馬鹿な妄想だから、気にする事も無いけどな」「へっ?」 エヴァンジェリンの突然の明るい声にタカミチは思わず間の抜けた声を出してしまった。「おいおい、何て顔をしているんだ? 言っただろう、馬鹿げた推論だと。この推論は造物主の行為に正当性を持たせようと思った場合の考えだ。人々に殺し合いをさせるなんて行為だぞ? 意図的に人口を減らし、旧世界に受け入れられる数まで調整し、無駄な争いや絶望を味あわせ無い様にする為だったという以外、どう正当性を見つけろと言うんだ?」「それは……確かに」 エヴァンジェリンの語った事は造物主を“悪”ではなく、“正当性”を持った“正義”として扱った場合に導き出せる推論の一つに過ぎないのだ。なるほど、エヴァンジェリンの語った通りであれば、造物主の行いは否定し切れないだろう。魔法世界だけでなく、旧世界までも滅びる可能性、それを回避するには最も残酷で最も簡単な策だ。「むしろ、人間を使った蠱毒だったという方がまだ分かり易い。その場合、まさにナギはその成功例だったとも言える」「蠱毒……だって?」 あまりにも物騒な単語にタカミチは顔を引き攣らせた。蠱毒とは、中国の濁……現在の四川省で発展した、壺に様々な蟲を入れて共食いをさせ、生き残った蟲を使う呪法だ。「人間同士を意図的に殺し合わせ、優秀な魔法使いを生み出す為だった。そう考えれば、赤き翼を含め、大戦の英傑達はまさに成功例だろう?」「エヴァ!」 面白がっている調子で話すエヴァンジェリンに我慢出来ず、タカミチは声を荒げた。「そう怒るなよ。何にしても、情報が足りないんだ。ナギの目的も、完全なる世界も、造物主の掟も、全ての根源も何もかも分からずじまいだ」 エヴァンジェリンは頭を振って、頭を切り替えた。「どうも一度考え出すとな……。それより、小太郎に話すかどうかだな」 エヴァンジェリンは迷っていた。犬上小次郎は犬上小太郎の父親らしい。小次郎の言葉が真実だという保証は無い。むしろ、嘘という可能性が高い。何故なら、小次郎は吸血鬼だ。そして、その正体は小次郎の言葉が真実ならば佐々木小次郎。これも嘘の可能性が高いが、長く生きているのは間違いない。「吸血鬼が子供を産んだというのか?」 あり得ないと言い捨てる事は出来ない。前例があるからだ。「だが、吸血鬼の子供は|吸血殺し(ダンピール)になる。小太郎は|吸血殺し(ヴァムピール)ではない」 もしも、小太郎が吸血殺しならば、お互いに相容れない筈だ。だが、エヴァンジェリンは小太郎を認めているし、小太郎はエヴァンジェリンを尊敬している。「いや……、クドラクの例もあるか」「クドラク……、確か、死ぬ度に強大な力を得て復活したというクルースニクに退治された吸血鬼だっけ」「そうだ。クルースニクはクドラクを殺す為だけに産まれた吸血殺しだった。そういう、専門の吸血殺しが産まれる可能性も無くはない。京都でネギと話していた時、アイツは自分の親であり兄弟である存在を自分の手で殺すと言っていた。故郷を滅ぼされた恨みからの言葉だとは思うが……もしかすると」「小次郎を殺す事を運命付けられた吸血殺しだから、と言うのかい?」「……駄目だな。どうも、推測止まりばっかりだ」 エヴァンジェリンはウンザリした様子で言った。小太郎の事も含め、何一つ証拠が無いのだ。推測ばかりを並べていても意味が無い。「なんにしても、小太郎に話すかどうかが悩み所だな……」「小次郎が小太郎君の父親だという確証は無いし、秘密にした方がいいんじゃないかな」「だが、小次郎は再び現れると言ったんだぞ? 小太郎に接触して来ないとも限らない。わざわざ、自分が小太郎の父親であると自分から明かしたんだ。無いとは限らない。心構えも無く出会って、何が起こるか予想も出来ん」「そう……だね」 小太郎の父親である確証は無い。だが、違うと断じて話さなかった場合も、真実だと断じて話してもどちらも危険だ。「話すなら早い方がいいだろう。いつ、小次郎が小太郎に接触して来るか分からないからな」「だけど、話すかどうかは慎重に決めるべきだよ」「私は話した方がいいと思います」 それまで黙っていた茶々丸が唐突に口を開いた。「茶々丸?」「犬上小太郎の心にどう影響するかは計算不可能です。ですが、どちらにしろ危険なのですから、ここは、犬上小太郎を信じ、話してみる方が良いと判断しました」 エヴァンジェリンは深呼吸をして頭を冷やした。「お前は本当に“人間”だな」 犬上小太郎は病院を出た後、学園内を当ても無く彷徨っていた。エヴァンジェリンは茶々丸の意見に同意し、小太郎に昨日の晩に起きた事を話したのだ。「アイツが……居る」 暗い路地の壁に背を預けながら、荒い息をなんとか整えようとするが、心臓の鼓動は早くなる一方で、感情が上手く制御出来なくなっていた。「情けねーのな、小太郎」 突然、声を掛けられた。いつからそこに居たのか分からなかった。土御門が目の前に立っていた。「仇がいきなり現れて、頭の中が混乱しているのか?」 ニヤリと神経を逆撫でするような言葉を吐いた。小太郎は背後の壁に拳の甲をぶつけた。「黙ってろ」 ガラガラと音を立て、小太郎の背後の壁が粉々に崩れた。「おいおい、学園の施設を壊すんじゃない。まったく」 土御門はわざとらしく溜息をもらすと、口笛を吹いた。すると、まるでビデオの逆再生を見ているかの様に、砕け散った壁の破片が合わさり、元に戻ってしまった。その異様な光景に小太郎は目を丸くし、苛立ちを忘れてしまった。「犬上小次郎。エヴァンジェリンとタカミチが遭遇したのは本物だ」「――――ッ!?」 土御門の言葉に小太郎は肩を震わせた。「犬上小次郎とは接触するな」「なにッ!?」 振り返り、土御門の胸倉を掴むと、土御門はサングラス越しに小太郎を睨みつけた。「旧姓・佐々木小次郎は吸血鬼だ。そして、お前はその実の息子だ。それがどういう意味か分かるか?」 小太郎は口を開けなかった。エヴァンジェリンの口から語られた中には驚くべき事実が幾つもあった。佐々木小次郎、吸血鬼、そんな馬鹿なと頭の中から必死に追い出そうとした。「吸血鬼が子供を産めるんか?」「そもそも、お前は吸血鬼がどういう存在か知っているか?」 問い返され、小太郎は言葉に詰まった。エヴァンジェリンという、あまりにも身近に吸血鬼が居るが、吸血鬼について詳しいかと問われれば、首を振らざるえない。「吸血鬼は停止した存在だ」「停止した存在?」「そうだ。エヴァンジェリンを見れば分かるだろう? 長い年月を生きながら、あの容姿のまま……。アレは不老とは少し違う。肉体の変化が完全に停止しているんだ。心臓の動く回数、速さ、血の巡り方、毛の数まで全て変化しない。エヴァンジェリンは子供を産めない。というより、女の吸血鬼は子供を産めないんだ。子供を産むには肉体を変化させなければならないからな」「つまり……、男なら子供を産めるってのか?」「正確に言えば、二次性徴が終わっている男なら、人間の女を孕ませる事が出来る。何せ、精子の数も変化しないからな」「ワイは……吸血鬼なのか?」 小太郎はわずかに震えた声で尋ねた。吸血鬼の子供。本当に自分がそうならば、自分は何者なのだろうか、小太郎の心を最も揺さぶったのはその事だった。「違う。吸血鬼の子供は成長し、吸血鬼になる事があると聞くが、それは一つの儀式を終えてからだ」「儀式?」「“親殺し”だ」 小太郎は目を剥いた。自分がまさにやろうとしている事だからだ。「吸血鬼の子供は親である吸血鬼を殺す存在として産まれる。“|吸血殺し(ダンピール)”と呼ばれている。お前の故郷の村がどういう村だったか、お前は知っているか?」 故郷の村について、問われた小太郎は咄嗟に返す事が出来なかった。もう随分と時が経った。惨劇の後に千草に関西呪術協会に連れて来られた。小太郎は狗神の力を伝える一族の住む村程度にしか考えていなかった。「お前の故郷は吸血鬼ハンターの村だったんだ」「吸血鬼ハンターの村やと!?」 そんな話は聞いた事が無かったし、小太郎はとても信じられなかった。「関西呪術協会の傘下の組織の一つだった。小太郎、吸血鬼の天敵は何だと思う? 吸血殺しを除いてだ」「吸血鬼の天敵やと? 神鳴流みたいな退魔師とかやないんか?」「“|人狼(ウェアウルフ)”だ」 小太郎は心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えた。「人狼は狼に変身する能力を持つ。狼の血を受け継いでいる者が時折、その血に覚醒する事によってであったり、狼の霊を己に憑依させる事によってな」 狗神を憑依させ、小太郎は何度も黒い狗に変身した。その事に気付き、小太郎は息を呑んだ。「お前の一族。狗族はな、元々、狼の血を引き継ぐ一族だった。そして、狗神とはその血を覚醒した祖霊を己の血を媒介に自らの身に憑依させ、その力を行使する術の事だ。また、狗神を使う事で体を慣らしているんだ。狼の血を覚醒させる為にな」 小太郎は頭を抱えながら蹲った。乾いた笑いが零れた。頭の処理が追いつかないのだ。兄であり父親で仇と思っていた自分の師匠は実の父親で、しかも佐々木小次郎なんて英雄で、挙句に吸血鬼。自分の故郷はその吸血鬼を討伐する吸血鬼ハンターの村だった。「んなアホな……。ってか、もうどっから突っ込んでええんか分からへんで!」 小太郎はあまりの話に土御門の冗談なのではないかと思った。突っ込みを入れる小太郎に土御門は冷たい声で言った。「全て事実だ。いいか、絶対に犬上小次郎と接触するな。接触したとしても、必ず逃げろ。一度でも戦いが始まれば、お前の血は犬上小次郎を殺そうとする。自分の意思では止められない」「んなもん、望む所や! ワ、ワイは逃げへん!」 反射的にそう言った小太郎の顔面を土御門は殴りつけた。「テメッ! 何しやがる!」「お前、自分の親を殺して、ネギと向き合えるのか?」 土御門は穏かな口調で言った。小太郎は思わず俯いてしまった。「それは……」「お前はネギの事を愛していると言っただろ。なら、それでいいんじゃないか? 大人のくだらないイザコザで、子供が本当に選ぶべき幸せを棒に振るうなんざ、馬鹿げてるだろ」「だけど!」 小太郎は立ち上がり、血が地面に滴り落ちる程に強く拳を握り締めながら言った。「アイツは皆を殺したんや。なら――ッ!」 言い切る前に、土御門の拳によって小太郎は壁に叩きつけられた。「いいか、もう一度言うぞ。奴と出会っても戦うな。ネギを悲しませたくないのならな」 土御門はそれだけを言うと、小太郎に背を向けた。小太郎は待て、と叫んだが、土御門は姿を眩ませた。後に残された小太郎はやり場のない憤りを篭めて吼えた。「ざけんなよ……、やっと見つけたんだぞ」