魔法生徒ネギま! 第三十三話『暗闇パニック』 その日、ネギは始めての部活の練習をする為に体育館にやって来た。念の為に体育着を持って来たのだが――今、ネギは桃色の浴衣の様なコスチュームを着ている。シャランと先の尖がっている桃色のシューズに付いた鈴が綺麗な音色を響かせる。腰に巻いた真紅の帯はとても長くて地面にくっつきそうだ。 髪が乱れない様に左右をピンで留められた。最近は腰まで伸びた真紅の髪の首から下に伸びている部分を幾つもの三つ編みにした。「うん! 可愛いよ、ネギちゃん!」「そ、そうかな?」 ネギを着替えさせたキャロは自分の仕立てにご満悦だった。ネギが入部して僅か一晩でコスチュームを仕立ててしまったのだ。『ていっても、私のコスチュームの一つをちょっと改造しただけだけどね~』 ネギが自分の格好に戸惑っていると、キャロが姿身を運んで来た。「じゃじゃ~ん!! 踊り娘ネギちゃん完成だよ!! って言っても、コレから先、衣装も自分で作れる様になって貰うからね。最低、衣装を五つは着こなしてもらうからそのつもりで!」「い、五つも!?」「そう! 舞台に上がったら一着そのままで躍るなんてナンセンス! 汗だって掻いちゃうから気持ち悪いし、一回の音楽の度に衣装はその音楽に合ったのに変えるんだからね?」「は、はい……」「元気が無いよ! 返事ははい……じゃなくて、はい!」「は、はい!」「結構!」 それから、ネギの初めての部活の練習が始まった。基本的にキャロがステップを見せて、その動きをネギがなぞるというものだった。練習が始まって二時間程度経つと、最初はネギが動きをすぐに覚える事に喜色を浮かべていたキャロだったが、今は難しい顔をしている。「ねえ、ネギちゃん」「は、はい!」 キャロの硬い声に体を強張らせる。キャロは腰に手を当てて、厳しい眼差しで言った。「ダンスっていうのはね、魅せるものなの。私の動きをそのまま真似するだけじゃ駄目なんだよ。ただ、私の動きをなぞるだけじゃなくて、ちゃんと、自分がどう動いたら、お客さんに良く見てもらえるかな? って考えながら動かなきゃ」「ごめんなさい……」 ネギがシュンとなると、キャロは首を振った。「謝らなくていいの。ただね、私はダンスに誇りを持ってる。だから、教えるからには厳しくなっちゃう」 と、キャロはニッコリと魅力的な笑みを浮かべた。「けどね。それ以上に、ネギちゃんと一緒に舞台の上に上がるのが楽しみなの。だから、ね? 楽しもう」「楽しむ……?」「そ、ダンスは見ている方も躍っている方も楽しまなきゃ。そうだね、良く見られる様にっていうのは難しいよね。なら、まずはネギちゃん自身が躍る事を楽しめる様にしよ。私の動きはただのお手本だから、その後は、ネギちゃんが音楽に合わせて自由に動いていいんだよ」「自由に……。はい!」 基本的なステップだけを念頭に入れて、ネギはキャロが持ってきたCDコンポから流れる軽快な音楽を聴きながら何とか動こうとした…………が。「全然駄目~~」 音楽に合わせようとすると頭の中がグチャグチャになって、ステップが完全に頭から消えてしまった。キャロに駄目だしを受けてネギは少しへこんだ。と、唐突に誰かに肩を叩かれた。 誰だろうと首を向けると、そこにはフェイスペイントをした金髪に褐色の肌の少女が立っていた。「あ、ザジちゃん!」「ザジさん!? どうして、ここに?」「え? ネギちゃん、ザジちゃんのお友達なの?」 そこに立っていたのは同じクラスのザジ・レイニーディだった。「ネギ、クラスメイト。始め、皆、素人。頑張って」 初めて聞いたザジの声はとても優しかった。そのままザジはよく分からない黒い変な生き物を連れて部屋の奥に居る黒いマントを着て何かを歌いながら躍っていた金髪の女性と何かを話し始めた。お礼を言いそびれてウジウジしているネギにキャロが肩をポンポンと叩いた。「後で皆がそろったら紹介するから、その時にでもお礼を言えばいいよ。大事なのは気持ちなんだし」「はい!」「そういう時は、うん! だよ?」「あ、うん!」 不器用なネギに苦笑しながら言うキャロの言葉に、ネギは確りと頷いた。「ザジさんって、ダンス部だったんだね」「え? 違うよ~。ザジちゃんは~、麻帆良曲芸部なの。けど~、最近ウチも曲芸部も部員が急に少なくなっちゃったから、一緒に活動する事が多いの。学際でもね、ナイトメア・サーカスっていう催し物をやるんだ~」「ナイトメア……サーカス?」「うん。私とあそこに居るレンゲちゃんも参加するんだよ~」 キャロはザジと話している金髪の黒いマントを羽織った女性を指差して言った。キャロとネギが見ているのに気がついたのか、レンゲは微笑みながら手を振り替えした。吃驚するくらい綺麗な女性で、思わずネギは見蕩れてしまった。「レンゲちゃんはお歌がすっごく上手なの。歌いながら優雅に躍るレンゲちゃんを見てるとね、ちょっと自信喪失しちゃうんだよね~」 ニャハハと笑いながらキャロは言った。ネギは改めてレンゲを見つめる。遠目にも分かるほど綺麗な金髪だった。「ちなみにレンゲちゃんはハーフなの。お母さんは舞台女優で結構有名なんだよ~」 キャロが何故か自慢気に言う。「んじゃ、他の子は後で改めて紹介するから、練習再開だよ」「う、うん!」 それから、部室に人が集まりだすまでネギはキャロのステップを真似ながら自己流というものを考えた。結果は無残なものだったが、キャロはむしろ最初の物真似よりも全然良いと褒めた。 だが、腰に伸びる紅い帯が地面を擦らない様にしなくてはならず、動きの邪魔になっても拙い。見栄えを悪くしてもいけない、と言われてネギは困り果てた。どうしても、帯を上手く操れないのだ。「だからね、帯をフワフワっとさせるの! こうだよ~!」 キャロが何度もお手本を見せるのだが、どうしてもフワフワと帯が浮かんでくれない。そうしている内に練習時間は終了した。部員達が各々の練習を終えて集まりだす。「それじゃ~、皆! 今日から入部したニューフェイスを紹介するよ~!」 昨日は女性だけだったが、今日は数人の男性が混じっていた。「名前はネギちゃん! 去年度の三学期に転入してきたばっかりなの。皆、仲良くしてあげてね!」 キャロが言うと、最初にレンゲがニッコリと微笑みながらネギに手を差し伸べた。ネギが慌てて握り返すと、レンゲは更に笑みを深めた。「よろしくお願いしますね。私はレンゲ・ジル・アメンドーラです。キャロラインと同じ3年C組に在籍してます」「よ、よろしくお願いします! ネギ・スプリングフィールドです。3年A組に在籍してます!」 まるで鈴の音の様に美しい声だった。緊張しながら自己紹介を返すと、レンゲは魅力的な微笑を見せてネギから離れた。彼女は薄っすらと化粧をしていて、甘い香りが漂っていた。 それから、紫の髪をアフロにしている枯れ木の様に細長い一昔前のバンドミュージシャンの様な少年が続き、部員の少年少女達とネギは次々に挨拶を交わした。最後の一人に挨拶を済ませると、その日は体育館近くにあるガーデン・レストランでネギの歓迎会が行われた。 歓迎会の事を聞いていなかったネギはひたすら恐縮してしまい、アスナ達に連絡を忘れて帰った後にこっ酷く叱られた。 数日後、翌日からゴールデンウィークに入ろうとしている日、基本的に土日以外はそれぞれの任意で練習を行うダンス部も部員達がそれぞれ帰省したり、旅行に行くので休みとなった。 キャロも国に一時帰国するという事で、ネギはゴールデンウィーク中は自主訓練をする様言われた。アスナと刹那の部活も休みになっていて、二人で修行を行っているし、木乃香と和美、のどか、夕映は土御門の陰陽術教室でグッタリしている。誰かに練習を付き合って貰おうと思っていたのだが、修行の邪魔は出来ない。 困り果てたネギは、小太郎の部活動の様子はどうかな? と様子を見に行く事にした。ついでに部活が終わったら練習に付き合ってもらうつもりだった。何時も通りに授業後に体育館に向かって、四階でエレベーターを降りると、中武研の部活の扉を潜った。 中には人が疎らにしか居なかったが、各々で準備運動をしていた。ネギが入って来ると、古菲と小太郎が目を丸くした。「どうしたアルか?」「何か用か?」 腕のストレッチをしながら尋ねる二人に、ネギは何だか後悔しながら頷いた。よく考えてみれば、修行の邪魔をするのもいただけないが、部活の邪魔をするのも完全にアウトだろう。「ちょっと、小太郎が部活でどうかなって、気になって…………」 それで謝って帰ろうとすると、古菲が面白がる様に許可を出した。「部活の見学程度なら構わないアルよ」「ありがとうございます。古菲さん」 ネギがお礼を言うと、古菲はニッコリと笑みを浮かべた。小太郎は微妙に顔を赤くしながら不満そうな表情を浮かべたが、ネギから顔を背けて準備運動を再開させた。小太郎の様子に怒らせてしまったかと重い、ネギは微妙に落ち込んだ。 中武研の練習は、最初に一通りの型を古菲が見せ、それを部員達が真似をしていた。古菲はそのまま部員の人と組み手をし始めた。小太郎の方を見てみると、最初は一つ一つの型の手応えを確かめるようにゆっくりと正確になぞる。全ての型を真似し終えると、今度は少し速度を速めて同じ動きをした。その後も、どんどん速度を早くしていく。 滑らかな動きで速度を上げていくと、今度は型の順番を変えて試している。最終的には、毎回違う順番に滑らかに、そして早く、手を休めずに技を繋いだ。汗を流しながら、真剣な表情で稽古をしている小太郎の姿を、ネギはただボゥッと見つめた。「凄い体力だね……」「そっか?」 稽古が終わると、ネギの座っているベンチにやって来ると、ネギはタオルを手渡しながら言った。かなり汗を掻いているが、小太郎はケロリとした表情で笑った。 魔力を使えばどうにかなるかもしれないが、小太郎は気を使ってない。同じ条件なら、自分ならとてもじゃないが無理だとネギは感嘆した。「ま、戦いの中で体力切れなんざ笑えないしな」 手渡されたタオルで汗を拭いながら言う。けど、小太郎と同じメニューをこなしている部員で最後までついてこれていたのは古菲と一部の屈強な部員だけだった。と、突然小太郎が上着を脱いだ。「にゃ!?」「っと、どしたんや?」 突然、変な声を出すネギに小太郎は怪訝な顔をした。「べ、別に…………」「しっかし、道着がこもるさかい、汗ダラダラや」 脇や背中の汗も拭うと、小太郎は再び上着を身に着けた。見慣れている筈の男の子の裸だというのに、ネギには全く別の生き物の様に思えた。自分が男の子の時と比べて、幼い肢体ながらもわずかに筋肉があるのが分かるし、汗のほのかな匂いが胸を熱くさせた。と、古菲が二人の近くに歩いて来た。「小太郎、今日も最後の私との仕合アル」「最後の仕合?」 ネギが尋ねる。「ああ、ワイと古菲の姉ちゃんで一日の最後に真剣勝負をするんや。ま、今んとこは全敗やけどな」「いつか勝てる気アルか?」「当然!」 挑戦的な小太郎の瞳に、古菲はホゥッと感嘆の息を吐いた。そして、フッと笑みを浮かべた。「強い男は好きアルよ。もし、私に勝てたら婿にしてやるアル」「は、言って――」「…………え?」「ろ! ……って、ん?」「はれ?」 二人が睨み合い、牽制し合いながら軽口を叩いていると、誰かの悲しそうな声が耳に響いた。 顔を向けると、ネギがハッとなって縮こまった。「ご、ごめんなさい……」 顔を赤くして小さくなるネギに、小太郎は顔を青褪めさせた。「ちょまッ!! ちゃ、ちゃうで!? 今のはほんの軽口で――ッ!!」「私は本気アルよ~」 ニヤニヤしながら言う古菲に小太郎はわなわな震えながら言い返そうと振り向く。「く、古菲さんは優しいし良い人だよ! この前も、皆の為に頑張ってくれたし!! だから……その……、古菲さんが本気なら、ちゃんと……応えてあげなきゃ…………」 最後の方はもはや呟いているかの様に声が小さくなってしまったが、小太郎の耳にははっきりと入り、頭の中が真っ白になった。ギギギと錆びた人形の様に首を回し、拳を握り締める。「ワイに恨みでもあんのかッ!?」 ガーッと怒鳴ると、古菲は小さく溜息を吐いた。「強い男が好きなのは本当アルよ。小太郎、お前なら私を越えられるかもしれないアル。私は、私を超える猛者を求めているアルよ! いくアル!」「チッ――!尊敬はすっけど、そういうのは違うやろうが!」 お互いに睨み合いながら礼をする。が、礼をしている最中すらも肌が痺れる様な緊張感が漂う。一瞬の隙がそのまま勝敗を結する。礼の最中すらもそれは例外でない気がした。 周囲で二人の仕合いを真剣な表情で部員達が見ている。二人の戦いは、まるで流れる演舞の様だった。技の移行にすら隙が無い。それは、刹那の剣技と同じ様だった。だが、やはり小太郎は未熟な様で、しまった! と思った瞬間に打ち込まれて敗北した。「さすがに……強いな」「私を超える日を楽しみにしてるアル。私は女だから、ある程度以上にはなれないアルよ。私を超えた男に、私自身と私の夢を託したいのアル。小太郎、もっと頑張って欲しいアルよ」「だからッ!!」「未だ、未来は分からないアルよ」 ニッと笑みを浮かべる古菲は、先に準備室の更衣室へと消えていった。「なんやねん…………」 小太郎がポツリと呟くと、後ろから超がククッと笑いながら歩いて来た。「そう、未来は不変では無いネ。人生とは、選択肢の連続であり、その選択の一つ一つが未来を無数に分岐させていく」「あん?」「超さん……?」 突然、意味の分からない事を言い出した超に小太郎とネギは目を白黒させた。「古は達人ヨ。あの若さであそこまで武を修められる人間はそう居ないネ。でも、古は女の子ヨ。成長期が終われば、頂が見えてしまうネ。中国拳法を極めた古だからこそ、自分の限界が来る事に恐怖を感じてるネ。それ以上、先へ行けない恐怖を」「んなもんッ!!」「未だ中学三年生。だけど、女の子の成長期は平均で十六歳で終わってしまうネ。今の古の身長では、これ以上身長が伸びる事を期待するのは難しいネ」「せ、せやかて…………。何も、諦めるみたいな事言わんでも……」 超の言葉は残酷だった。気を修得すればそれでも高みにいけるんじゃないか? そうも思ったが、実際は変わらない。気で身体能力を向上しても、それは同程度の気を扱える者と戦う時でしか意味が無い。気が自分の方が弱ければ、技術は意味を為さないし、自分が強ければ、技術は不要だ。武術は力ではなく技術なのだ。体の柔軟性やリーチにこそ意味がある。気でリーチを伸ばす事など出来ないし、気で剣を作ったり、放出系の技を放ったりするのは、もはや別の技術だ。柔軟性は強化出来るだろうが、既に必要なだけの柔軟性がある以上、意味が無い。だからこそ、“武術”の高みを目指すなら、身長は壁となってしまうのだ。「女性である以上、筋肉もつき難くなってしまう。女性は、子を産み、育て、愛を注ぐネ。だから、夢を託せる男を探しているヨ。自分の夢である、武術の極みへ到達する夢を」「…………わかんねぇよ。んなもん……。男だから、女だからって……。大体、ワイは未だ全然古菲の姉ちゃんに勝てへんのに……」「でも、古は遠く無い日に小太郎が自分を打ち負かすと確信してるヨ。それは、小太郎にはあって、古には無いものがあるからネ」「んだよ……それ――」「戦闘経験ネ。命を懸けた戦い。その経験値は古が持てない特別なものヨ。当たり前ネ。普通の日本の中学生が、命懸けの戦いなんて、経験するのは本当に稀ヨ」 超の言葉に、小太郎は舌を打った。「古菲の姉ちゃんと戦うのは試合や。殺し合いと試合は完全に別物や。試合って土俵で技を磨いとる姉ちゃんとワイじゃ、姉ちゃんの方が強いやろ」「違わないネ。要は、密度の問題ヨ。相手が自分を殺そうとする相手と戦うのと、自分を殺そうとはしない相手と戦うのでは、圧倒的に前者の方が密度が濃いネ」「けど…………」 納得出来ないでいる小太郎に、超はクスッと笑った。「未だ、小太郎には早かったネ。そろそろ着替えた方がいいヨ」「あ、ああ……」 難しい顔をしながら更衣室へ向かう小太郎。小太郎の背中を見つめながら複雑そうな顔をするネギに、超は言った。「私が言いたいのは、古は本気ってことヨ」「え……?」 ネギは目を丸くした。どうして、そんな事を自分に言うのか。 小太郎に話していた筈なのに、超の瞳はネギを真っ直ぐに捉えていた。首を動かした気配は無かった。最初から、超はネギに話していたのだ。「ネギ、人生は選択肢の連続ネ。自分の思いを貫くのに、一番大きな障害となるのはいつも自分自身ヨ。自分の心こそが、常に一番の敵ネ。この言葉を、よく覚えておいて欲しいネ」 真剣な表情の超に、ネギはただ素直に頷く事しか出来なかった。超はニコリと笑い、ネギに再び声を掛けると更衣室へ去って行った。当惑したまま、ネギは小太郎が戻って来ると、一緒に体育館を出た。「ったく、意味分からんわ。あれでワイが勝った時に女だから負けた……とか言い出したらマジで軽蔑するで」 忌々しそうに小太郎は顔を歪めた。超の言葉が頭に残って苛立ちを解消出来ないでいるのだ。「一番の敵は自分自身……。どういう事なんだろ…………」 ネギも、超の言葉が頭に引っ掛かって離れなかった。不意に、図書館島を囲む湖の先から夕陽が伸びて、小太郎の顔が照らし出された。赤く染まったその顔に、ネギは思わず息を呑んだ。 胸の奥がムズムズとして、ネギはその感覚に戸惑い、小太郎の顔から眼を離して先を歩いた。「そういや、明日からゴールデンウィークか」「そ、そうだね……」「そういや、土御門に明日、呼び出されとるんやった……。マジ、めんどいで」「朝、早いの?」「夜明け前に起きろとか言われとる……。マジ勘弁や……」 項垂れる小太郎に、ネギは苦笑いを浮かべた。「その……、頑張って!」「……おう!」 ネギが声を掛けると、小太郎はニカッと笑った。力強く頷き、分かれ道に着いて別れた。 ダンスの練習を見てもらおうとしていた事を忘れていたのを思い出したのは寮に着いてからだった――。 翌日、ゴールデンウィークに入った最初の日、まだ陽も昇っていない時間に、小太郎は和美とさよと共に土御門に連れられて、麻帆良学園にある山の奥地へとやって来た。三人ともどうしてここに連れて来られたのかは聞いていない。 そもそも、小太郎と和美はあまり接点が無い。三人が戸惑いながら、眠い眼を擦り土御門の後ろを歩いていると、険しい山道を抜けて、やがて広い敷地に出た。巨大な洞窟があるのが見える以外は特に何も無い。洞窟の手前まで来て土御門は立ち止まった。「犬上小太郎、朝倉和美。お前達には、これから試練を受けてもらう」「試練……?」 折角の連休なのにと不満に思いながら和美が首を傾げると、土御門は険しい顔で頷いた。「見ていろ。オン ハンドマダラ アボキャジャヤニ ソロ ソロ ソワカ!!」 土御門が胸元で印を結び呪文を唱えると、突然土御門の目の前の空間に光の靄が発生し、そこから一匹の細長い獣が現れた。漆黒の毛皮を纏う気味の悪い生き物だった。和美は思わずあまりの気持ちの悪さに後ずさった。「これは俺の式だ。一応、コイツも霊体だからな。見ていろ――」 不意に、土御門の雰囲気が変貌した。土御門が右手を掲げると、土御門の式が光を放ち始めた。やがて、青白い光球となって、土御門の掲げた右手の上にフヨフヨと浮かんだ。 土御門は左手に小さな白い石粒の様なモノを持って、右手の上に持っていき、光球の中に入れた。すると、光球は急激に膨らみ徐々に巨大な獣の形を形成した。「な、何コレ~~~~!?」「あ、ああ…………」 和美は目の前に現れた見上げる程巨大な獣に目を丸くした。小太郎は言葉も出ない。「狐の骨を媒介とした、憑依術式の高等術式【憑依兵装(オートマティスム)】だ」「んな馬鹿な!? こんな憑依兵装なんざ聞いた事あらへんでッ!?」「憑依兵装を極めれば、この様に霊の力を限界以上に引き出す事が可能という事だ。小太郎、和美。小太郎は狗神で、和美はさよでこれが出来る様になってもらう」「んなッ!?」「はいッ!?」「ほえッ!?」 小太郎と和美、さよが三者三様なリアクションをする。「何も、いきなり出来る様になれとは言わない。これから、じっくり時間を掛けて完成させる。ここまで来る事が出来れば、お前達は憑依術式だけではなく、陰陽師や狗神使いとしても大幅にレベルアップする筈だ」「強くなれる――?」 小太郎は目の色を変えた。「ああ、お前達がここまで出来る様になった暁には、素敵なプレゼントをやる。どうだ?」「やる!! ワイはやるで!! 強くなれるなら――ッ!!」 小太郎が血気盛んに叫ぶが、和美は眉を顰めていた。「強くなれるのは嬉しいけど――、さよちゃんを戦いに巻き込むのは…………」 和美の言葉に、さよは首を振った。「いいえ!! 和美さん、私は和美さんを助けられるなら何でもします!! 私は、和美さんに返しきれない程の恩があるんです!! ずっと、ずっと孤独だった私をこうして人形とはいえ、皆さんと一緒に居られる様にしてくれたのは和美さんです!! 私でお役に立てるなら、お願いします!!」 さよの必死な言葉に、和美は目を丸くした。「さよちゃん。でも……」「お願いします、和美さん!!」 さよは和美の腕から降りて、地面に降り立つと地面に頭を擦り付けて懇願した。和美は、京都で自分やのどか達を救う為に命を投げ出そうとした。さよは、もう和美にそんな事をさせたくなかった。だけど、自分の力の無さを知っていた。歯痒く感じていたのだ。 薄っすらとした希望とはいえ、もしも自分が和美の力になれるなら、何としても力になりたい。さよは万感の思いを篭めて頭を下げ続けた。「や、やめてよ、さよちゃん!! 分かってよ!! 私はさよちゃんに危ない事なんてさせたくないんだよ!?」「そんなの私だって同じです!! でも、それでも和美さんは危険でも頑張ってるんでしょ!? なのに、何も出来ないなんて嫌なんです!!」 それがどういった仕組みなのかは分からない。さよの人形の瞳から止め処ない涙が溢れ出した。和美も泣きたくなった。戦いになんて巻き込ませたくない。それなのに分かってくれない。そんな涙を見せられても困ってしまう。止めてよ、と和美は心の中で叫んだ。 そして、さよに戦いで役に立てると希望を見出させてしまった土御門を射殺さんばかりに睨みつけた。だが、土御門は柳に風といった感じに受け流し、肩を竦めた。「勘違いしてるぞ」「勘違い……?」 和美が戸惑い気に聞き返す。「別に、さよちゃんに戦わせろなんて言ってない。俺がお前にこの修行をさせる目的は二つ。一つは、お前の実力を上げる事。もう一つはな、さよちゃんを人形を媒介に人間の姿で具現化させてやれる様にする事なんだ。はっきり言って、さよちゃんじゃ、戦闘で憑依兵装にしても…………あー、脅威にはならない」 土御門は最後の方だけ言葉を濁したが、さよはショックを受けたようにへたり込んでしまった。「かといって――ッ!!」 その様子を見て、土御門は堪らずに大声で言った。「役に立たない訳じゃない。例えば、和美が足を怪我した時、何らかの原因で動けなくなった時、傍に居るさよちゃんを具現化させれば、和美を助ける事も出来る。それに、憑依術式は心の在り方や強さが重要なんだ。魔力や気力も重要だが、霊を従えたり、力を引き出すのは心だ。そして、霊にとっても同じ事が言える」「霊にとっても――ですか?」「そうだ。霊もまた成長出来るんだ。心を強くすれば、霊格が上がって、もしかしたら、戦いの中でも和美を助ける事が出来るかもしれない。それらを決めるのは、心だ」「心を強く――。そうすれば…………」「さよちゃん――」 和美は思わず瞳が潤んでしまった。さよの気持ちが嬉しかったのだ。「ごめん。さよちゃんの気持ちを無視して。でもね、さよちゃんを危ない目に合わせたくない。だから、一緒に強くなろう! どんな相手を前にしても、一緒に笑っていられるくらいに!!」「はい!!」 和美がさよを抱き締める。その光景を見て、小太郎はポツリと言った。「敵を前に笑ってるって、そうとう酷い絵面な気がするけどな――」「それは言わないでおいた方がいいぜ」 それから、土御門は三人を洞窟のすぐ近くを流れる川の上流へと連れ出した。しばらく歩くと、大きな滝が姿を現した。凄まじい音が轟き、真っ白な靄が漂っている。「まさか――」 和美と小太郎は心底嫌な予感がした。「まずは禊だ。白い袴に着替えて一時間滝に打たれろ」 二人は予想通りの展開にガックリした。白い袴を着て、二人は水辺で立ち尽くした。「なんでこんな事――ッ、私女の子なのに~~」「ワイもさすがにコレは……」 凄まじい勢いで落下する滝水に、小太郎と和美は気が挫けそうになっている。「とっとと行け」 動けないでいる二人に土御門は式を飛ばして滝壺に放り込んだ。水飛沫が上がる。 がぼがぼと滝壺の中でもがく二人を土御門の二匹の式が袖を掴んで引き上げる。「コラー!! 殺す気か~~~~!?」 和美が涙目になりながら怒鳴る。「今のはシャレにならへんで!?」 小太郎もガーッと怒鳴るが、土御門は容赦無く二人を滝壺の露出した岩場に乗せた。上から降り注ぐ水を式が防御する。「ほら、さっさと座禅をしろ」 土御門の理不尽な行いに怒りに充ちた眼差しを向けながら、二人は渋々と座禅を組んだ。途端に、式が離れて滝の水が二人に降り注ぐ。 全身を強打する冷水に、和美と小太郎は思わず悲鳴を上げる。冗談ではなく痛い。「し――死ぬ!! 死んじゃうよこんなの!?」「グバッ!! てめっ!! 土御門~~~!!」 二人が上から降り注ぐ滝水に呼吸もままならない様子を見て、土御門は溜息を吐いた。「お前達。小太郎は気で、和美は風の魔力で全身を強化しろ」 言われて、小太郎は必死に気を練り上げる。一方、和美は言われた所で出来る筈もなかった。「ざけんな~!! 魔力の使い方なんて教えられて無い~~~!!」「忘れているだけだ!! お前は修学旅行のあの日に使った筈だ!! あの時の感覚を思い出せ!! 光輝の書(ゾーハル)によって、お前の頭には術式がインストールされている筈だ!!」「そんな事ッ――、言われても無理~~!!」「苦しみから逃れたかったら思い出せ!!」「殺してやる~~~!!」 和美は呼吸の出来ない苦しさと、全身を苛み続ける滝水に苦しみ喘ぎ、こんな理不尽な真似をさせる土御門に憎悪の炎を燃やした。だが、いよいよ苦しくなると、何も考える事が出来なくなった。『このままじゃ死ぬッ!! どうにかしないと――ッ!!』「和美さん!! 土御門さん、もう止めてください!! 本当に死んじゃうです!! 和美さんは普通の女の子なんですよ!?」 さよの悲鳴にも近い声が響き、和美は正気を取り戻す。『何かしないと。あの時の感覚!? そんなの覚えてない。覚えてない? 違う。思い出せないだけ――。思い出せ。思い出せ。思い出せ。思い出せ。思い出せ』 目を硬く瞑り、全身の感覚を鋭くする。酸欠に全身が針を刺されたかの様に痛む。叩きつけられる滝水が苦しい。死が間近に迫っている。それは、あの時と同じだった。『このままでは死ぬッ!!』 そう心が感じ取った瞬間だった。不意に呼吸が再開された。全身を襲う痛みが一気に軽くなる。『何……?』 眼を薄っすらと開けると、全身を薄っすらと何かが包んでいた。まるで、とても薄くて軽い何かを着ている様な感覚だ。「これが、――魔力?」 呆然としながら、自分を覆う魔力を感じる和美の様子に、土御門は笑みを浮かべた。「思い出したか。まずは、今回の目的の一つは達成された。後は、本番に向けてみっちり禊を終えれば、いよいよ今回の試練だ」「和美さん……」 さよの不安そうな声が響く。心配そうな表情を浮かべるさよに、土御門はクスッと笑みを浮かべた。「…………さよちゃん。幸せか?」「え? …………えっと、今は幸せですけど? 和美さん達と一緒に居られて」「そうか。ならいい」「…………?」 さよの戸惑う様な表情にククッと笑い、土御門はサングラスをキラリと光らせた。「さよちゃんが幸せなら、それでいいんだよ」「土御門……さん?」 さよが不思議そうな顔をしていると、土御門はニッと笑みを浮かべた。「子供は幸せじゃないとな」 ニシシッと笑う土御門に、さよは首を傾げた。何となく、言葉の意味が違う気がして――。 それから、一時間が経過して滝に打たれていた小太郎と和美は何処となく落ち着いた表情をしていた。「なんか、頭の中がスッキリしてる感じがする」 髪の毛をさよに手渡された手拭で拭いながら和美が言う。「んじゃ、洞窟前に戻るぞ」 土御門はそう言うと、さっさと来た道を戻り始めた。和美と小太郎は何となくスッキリした感じで土御門の後を追った。洞窟前に戻ると、土御門が真剣な表情を浮かべて言った。「小太郎、和美。お前達にはこれからこの洞窟を通り抜けてもらう。それが試練だ」 土御門の言葉に、小太郎と和美は怪訝な顔をする。「通り抜けるだけ?」 小太郎が尋ねると、土御門は頷いた。「それだけ!? じゃあ、何の為に禊なんかやったの!?」 和美が不満を露わにして叫んだ。「この洞窟は一本道だ。迷う事は無いだろう。俺から言う事は一つ。自分が自分である事を忘れるな」 土御門はそう言うと、印を結んだ。「我が真名を解き放ち、秘めたる扉を開け。我が名は――――」「…………え?」「?」 土御門の呪文が不自然に途切れた。だが、土御門の口は動き続けている。「人間の聞こえない音域で呪文を唱えている…………?」 小太郎は息を呑んだ。そんな真似が出来る魔術師など滅多に居ない。改めて、土御門という男の異常さが分かる。 しばらくして、土御門は刀印を洞窟に向けて放った。すると、ガシャンという甲高いガラスの割れる様な音が響き渡った。「通常、ここに迷い込んだ人間が入ってしまわない様にする為の結界を解いた。ここに入るという事は、命懸けだからな」「どういう事や?」「なんか、化け物でも居るんじゃないよね……?」 小太郎と和美の言葉に、土御門は首を振る。「そんなものは居ない。だが、入れば嫌でも分かる。本当に、何も無い世界というのがどんなものか。いいか、二人共。自分を見失うな。分かったな?」 土御門は念を押すように言った。二人は戸惑いながら頷くと、洞窟に足を踏み入れた。すると、光の届くギリギリの場所で二手に分かれていた。「それが最初で最後の分かれ道だ。どちらも同じ一本道で、同じ場所に続いている。小太郎は右、和美は左を行け」 二人は息を呑んでそれぞれの道を進んだ。「和美さん、小太郎君、頑張ってください!!」 さよが叫ぶと、小太郎と和美が一度だけ振り返って手を振った。そのまま、二人の姿が消えると、土御門は大きく息を吐いた。「もうすぐ始まるんだ。全てが――」 そのまま、心配そうにしているさよを連れて、土御門はその場を立ち去った。その立ち去り際に、土御門は口笛を吹くと、二匹の式が洞窟へと飛んでいった。「これで、万が一の場合は式が二人を助ける。だが、頑張れよ、二人共」 そうして、山道を歩いていると不意に声を掛けられた。「歴史にその名を轟かせる事となる大陰陽師。生で見られる幸運に感謝しなければいかないネ」「え? 誰で……あれ……ふみゅ……」 突然襲い掛かる眠気の波に、さよは深い眠りに落ちてしまった。土御門が呪文で眠らせたのだ。「未来では、私はそんな風に呼ばれているのかい?」 すると、そこには土御門の姿は無かった。濃い色の狩衣を着た黒髪の青年が樹に背を預ける少女、超鈴音に視線を向けている。「全てお見通し――。なら、いい加減に見張りを解いて欲しいヨ。私がこの時代に来た理由は――」「君のやろうとしている事が何か? その理由は? 私にも分かっておらぬ」「世界を救いたいから。これでは駄目カ?」「いや、本心だと分かる。さすがに、子孫という事か」「ネギ・スプリングフィールド。我が先祖ながら、とっても可愛らしいヨ」「だが、その歴史がこの時間の進む道とは限らない。この時間が君の時間の過去であっても、君の時間がこの時間の未来とは限らない」「分かっているヨ。でも、それでも、私が居る未来の為に成ると信じているネ。過去(いま)が在るから未来(いま)があるネ。出来る事があるならやる」「そうか……」 何も見えない。何も聞こえない。何も匂わない。何も無い。洞窟の中に足を踏み入れた小太郎は、想像を絶する恐怖を感じていた。暗黒の世界が広がっていた。周りの風景どころの話ではない。自分の体も視認する事が出来ない。息が荒くなり、汗が噴出した。「どうなって…………、ワイは、眼をちゃんと開けとるんか? それと――ッ!?」 突然、自分の声まで聞こえなくなった。口を懸命に動かしている筈なのに、声が聞こえない。わずかに感じていた肌寒さまで感じなくなっている。『なんやこれ……。なんなんやこれ!?』 小太郎はパニックを起した。五感の全てが消失し、自分が立っているのか座っているのか、生きているのか死んでいるのかすら分からなくなった。恐怖が精神を侵食する。 ここは何処なのか。自分は何故ここに居るのか。今は何時なのか。自分が何をしているのか。何も分からない。何も感じない。頭の中がキリキリと痛む。『ここは、嫌だ。出してくれ!! ワイをここから出してくれ!!』 心の中で絶叫する。その絶叫すらも声にならない。『助けてくれ!! ここに居たくない!! ワイは死にたくない。未だ、やりたい事が山ほどあるんや!! 出してくれ。ここから、出してくれ!!』 だが、そんな小太郎の叫びは誰にも聞こえない――。 息を飲み込む音さえ死んだ。自分が今眼を開けているのかどうかさえ分からない。そもそも、自分は生きているのか? そんな疑問が頭の中を埋め尽くす。 洞窟の中に入ってどれだけの時間が経過しただろうか――。一センチ先すら見えない漆黒の闇。最初は聞こえていた自分の息をする音も、不意に途切れた。足を動かしてる筈なのに、地面を踏み締める感覚が無い。何も無い世界。完全なる無。感覚も無い。何も無い。自分すら見失ってしまった。 目を開けているのか、閉じているのかも分からない。自分はちゃんと呼吸を続けているのかも分からない。全身を闇に押し潰されそうになる。 何度も心の中で助けを呼び、命乞いをした。形振り構わずに何でもするから助けてくれと懇願した。例え、どんな場所だろうとここよりはマシな筈だと思った。こんな、誰も居ない虚無の空間。自分すら居ない空間。 昔、ある本で読んだ事がある。無間地獄。ここは、まさに無間地獄だ。何も無い世界を、ただ、只管に生き続ける。痛みですら、恋しい。何も考えたくない。いっそ、気が狂ってしまった方が楽だ。それなのに、自分の思考だけはリアルに存在し続けていた。『私は居ないのに、居る……。分かんない。分かんない。分かんない。分かんない』 延々と同じ思考を繰り返す。殺して欲しいとすら願う。どれだけの時間が経過したのか分からない。一週間? 一日? 一時間? それとも、まだ一分? 恐怖のあまり、頭の中が真っ白になった――。 暗闇の支配する洞窟の中、小太郎と和美は死の中を彷徨い続けた――。