魔法生徒ネギま! 第二十話『日常の一コマ』 雨が降頻る中、エヴァンジェリンの住むログハウスは少し賑やかになっていた。リビングには数人の少女達が集まっている。 ログハウスの主であるエヴァンジェリンとその従者である茶々丸、そして客である明日菜、木乃香、刹那、そしてネギだ。彼女達は緊張した面持ちでエヴァンジェリンの言葉を待っていた。 その日、エヴァンジェリンから唐突に呼び出しを受けたのだ。夜の戦いの後、どこか空虚な気持ちで日々を過ごしていた彼女達は当初こそこの日常に変化を起せるかもしれないと喜んだが、目の前で真剣な表情を浮べるエヴァンジェリンにそんな気持ちは吹き飛んでしまった。 茶々丸はエヴァンジェリンの後ろで控えている。明日菜達の前には茶々丸が淹れたばかりでまだ湯気が漂っている真っ赤な紅茶があり、その匂いが部屋に充満している。甘ったるい匂いに少しポウッとなる。明日菜達を一人一人睨んでいるかの様に鋭い眼差しで見た後、エヴァンジェリンは小さく息を吸い――止めた。「今夜お前達を呼んだのは他でもない」 エヴァンジェリンが話し出した事に体を強張らせる。巫山戯た様な様子は微塵も存在しない。次に何を言うのか――、明日菜達は唾を飲み込んで待った。「お前達、私の弟子となれ。ハッキリ言うが選択肢は無いぞ」 その言葉は、前に一度、明日菜とネギが言われた言葉だった。あの時は先送りにしていた事。 エヴァンジェリンが改めて自分達を呼び出して言った原因は間違いなく数日前のアノ夜の戦いだろう。エヴァンジェリンの瞳が鋭く光る。「少なくとも、全員本当の殺し合いを肌で感じた筈だ。神楽坂明日菜に至っては実際に一度心臓が停止している。これで理解していないのならば救い様が無いが?」 エヴァンジェリンの言葉に、明日菜の心臓が一際跳ねた。神楽坂明日菜は一度絶命しかけた。桜咲刹那と近衛木乃香の対応が数秒遅れたら絶命していたのだ。「ネギ・スプリングフィールド、お前も偶々侵入者の犬上小太郎がお前と共同戦線を張ったから生きているのだと自覚しているな? もしも、犬上小太郎がお前と共同戦線を組まなかったら? そもそも奴が居なかったら? 少なくとも貴様一人では間違いなく殺されていたのを理解しているだろうな?」 一歩間違えれば死んでいた。事実だ――、ネギが単騎で挑めば数秒も保たずに殺されていただろう。遠距離から支援し、小太郎がたまたま近接戦闘に優れていたからこその勝利だったのだ。 要因が一つでもずれれば殺されていた。その事実を改めて認識して歯を噛み締める。「お前達は一人残らず狙われる要因が存在する。お前達も死にたくないだろう?」 エヴァンジェリンはどこか苦虫を噛み潰したような顔を浮べながら言った。紅茶を口に含んで僅かに乾いた喉を潤す。「言っておくが神楽坂明日菜、ネギ・スプリングフィールド。前回お前達を弟子にすると言った時とは違う。私の正式な弟子にするのだ。甘い考えは捨てろ。死んだ方がマシな修行を課すぞ。それでも、ここで自分の意思を示して見せろ。死に物狂いで生きる道を探るか否か」 選択肢の無い状況で選択しろとエヴァンジェリンは迫った。これは一つの儀式だった。エヴァンジェリンが考えているのは情け容赦の無い本当に地獄を垣間見るモノだ。それを乗り越えられるかどうかはここで自分の意思で道を決められるかどうかに限られている。 一度死線を潜り抜けた事で戦いを恐れるか、日常への未練はないか、あらゆる思いが掛け巡るだろうと予想して、それでも自分の弟子になる道を選べるかどうか。エヴァンジェリンが彼女達を弟子にする意思を固めたのは、実を言うと近右衛門からの要請だった。 結果を示せば、それなりの褒章を用意していると言う。もしかすれば、それはナギの情報かもしれない。もしかしたら、それはここから解き放たれる方法かもしれない。だが、それも理由の一部でしかないのだと何処かで理解していた。だが、それを認めるのは気恥ずかしさがある。 エヴァンジェリンはジッと明日菜達の決断を待った。「エヴァンジェリンさん、私を弟子にして下さい」 最初に口を開いたのはネギだった。幼い顔立ちにも関らず、その表情は引き締まり、決意に満ちた瞳を爛々と輝かせていた。「エヴァちゃん、私を弟子にして。もう覚悟を決めたわ。何が何でも強くなる!」 キッと睨む様な目付きをしながら、まっすぐに明日菜はエヴァンジェリンを射抜いた。決意の固まった表情だった。 敵として戦った時に感じた言い知れぬ存在感が一気に膨れ上がったような気がした。エヴァンジェリンは知らず口元が緩んだ。「エヴァちゃん、ウチを弟子にしたって下さい。ウチは、護ってもらってる。せやけど、対等な立場で居たいんや!」 誰と――そんな事は愚問だった。真っ直ぐな深い漆黒の眼は底の見えないナニカがあった。『癒しなす姫君』という称号に飾られた姫君という単語。ただ、関西呪術協会の長の娘というだけではなく、まるで本当の姫君の如き気高さを感じ取れた。「私も是非。私はどんな障害も切り払う力が欲しい。立ち止まらせる事の無い程の力が欲しいんです」 お嬢様の為、お嬢様の行く末に立ちはだかるあらゆる障害を切り払う。それが彼女が心に誓った『この剣は彼女の為に』に秘められた思いだった。木乃香の望むまま、どんな危険地帯でも絶対的なまでに安全な場所に作りかえる。木乃香が望むなら地獄であろうと道を切り開く。 未だ、自分は未熟だ、あの夜、ベルと戦った事で痛感していた。四人の言葉とその内に秘められた思いを聞き、エヴァンジェリンは目を閉じた。「覚悟は出来ているか――。なら、最初にお前達に課題を与える。これをこなせなければ先には進めないぞ」 エヴァンジェリンの言葉に、知らず喉を鳴らした。緊張に身構える少女達に、エヴァンジェリンは思わず微笑を零すと言った。「お前達、次の実力テストで満点を取れ。全科目でだ」 エヴァンジェリンの言葉に、時間が凍結した。ネギと木乃香はいきなりの言葉に面を喰らったが、刹那と明日菜はその言葉の恐ろしさに絶句していた。「な、なんでよ、エヴァちゃん!? 私達、強くなる為に弟子になるんでしょ? 何で、実力テストで満点とらなきゃいけないのよ!」 明日菜が思わず怒鳴ると、エヴァンジェリンはテーブルを強く叩いた。紅茶の入ったカップが揺れて倒れそうになる。立ち上がったエヴァンジェリンは大きく息を吸い込んだ。「いいか、お前達は魔法使いに幻想を抱き過ぎなのだ! 言っておくがな、魔法使いに学歴は要らんが学は必要になるのだ! お前達が魔術サイドの人間になったとして、まさか学も無しに就職出来るとは思ってないだろうな?」 エヴァンジェリンの言葉に、明日菜と刹那が呻いた。まさか就職なんて言葉が出てくるとは思わなかったのだ。「いいか、魔法使いは基本的に隠匿されるべき存在だ。ならば当然だが、コチラの世界で魔法使いとして活動するには隠れ蓑が必要になる。教師になったり、警備員になったり、警察になったりと、その為には当然資格なども必要だ。ハッキリ言うぞ! 魔法使いは一般人よりも勉強が出来なければならんのだ! どんな職種でも途中でクビにされない程の技術が無ければいかんからな! 任務中にクビになっちゃいました――なんて言い訳は通用せんぞ!」 エヴァンジェリンの言葉に明日菜と刹那の顔が引き攣った。考えた事も無かった。魔法使いは戦えればいいと思っていたからだ。「戦闘技術はあって当たり前。第二外国語、つまりは英語もペラペラが当然だ! 更に、魔法の詠唱を理解する為にラテン語やギリシャ語、ヘブライ語も習わなければならん」 それからエヴァンジェリンは如何に勉強が大事かを長々と説明した。ネギと木乃香は真剣な表情で聞いていたが、刹那と明日菜は絶望感が漂い始めた。「いいか、特にそこの脳味噌筋肉娘達!」「誰が脳味噌筋肉娘よ!」「失礼ですよ!」 エヴァンジェリンの言葉に刹那と明日菜がギャーギャーと喚くが、エヴァンジェリンは相手にしなかった。「もしも満点を取れなかった場合は――」「場合は?」 木乃香がゴクリと喉を鳴らした。「塾に通わせるぞ!」 その瞬間、あまりの衝撃に明日菜と刹那は悲鳴を上げた。あまりにも酷い仕打ちだ。塾なんて通った事など無い。態々お金を払って勉強をしに行くなど意味不明だ。「安心しろ、塾のお金は学園長が出す事になっている」 マジだった。本気と書いてマジでエヴァンジェリンは満点取れなかったら塾に通わせる気だ。今だ嘗て感じた事の無い緊張が走った。更にエヴァンジェリンは追撃した。「言っておくがこれは第一の課題だ。毎回定期試験は満点をキープしてもらうぞ。それから更に高校レベルの勉強に入り、大学の勉強も確りさせる。外国語に関してもミッチリとこなすからな。既にタカミチに話して準備は出来ている」 なんという残酷な仕打ちだろうか――。毎回定期試験で満点など不可能だ。その上高校レベルの勉強だと、馬鹿げている。 一方、ネギは余裕な顔だった。既に大学レベルの勉強は済ましている。エヴァンジェリンは話していないが、魔法使いは勉強用の魔法で早期に基本的な学習を終えるのだ。それから魔法の勉強に入っていく。ソレを使えばそこまで悲観的な課題でもない。 だがそれを知らない明日菜達は頭を抱え込んでいた。「とにかく、私の弟子になるからには中途半端は許さん。将来の事も考えて修行プランを作成する。今日の話はこれで終わりだ。ネギ・スプリングフィールド、お前は神楽坂明日菜達に魔法学校で教わる勉強用の魔法を授けておけ」「わかりました」 ネギが頷くのを確認すると、エヴァンジェリンは茶々丸に目を向けて頷いた。茶々丸も頷き返すと、何処かへ消えた。しばらく待って、茶々丸は白い翼の形をしたピンバッジを持って来た。「つけろ。これから、私達は一つのパーティーだ。このバッジはその証だ」「パーティー?」 明日菜が首を傾げた。「え? お祝いか何かなの?」「違う……。つまり、チームとして活動するという事だ!」 エヴァンジェリンは呆れた様に言った。「放課後に集まっても不信に思われないように部活動という事にした。名前は未定だが、一応『白き翼(アラアルバ)』という事でタカミチに顧問を頼み手続きをしている」「白き翼……それって」 ネギは目を丸くしながら呟いた。エヴァンジェリンは満足気な笑みを浮かべて頷いた。「お前の父、ナギ・スプリングフィールドの『紅き翼(アラルブラ)』に倣った。それに……」 ニヤリと笑みを浮かべ、エヴァンジェリンは刹那を見た。その意図にネギ達は即座に気が付き、思わず笑みを浮かべた。「それってッ!」 一斉に刹那を見る。「ええやん、その名前!」「エヴァちゃん、粋な事思いつくわね!」 刹那は恐縮した表情で顔を赤らめた。白き翼のもう一つの意味、それは刹那の背に生える白く輝く二枚の翼だ。「さあ、白き翼の最初の活動を始めるぞ。勉強だ!」 エヴァンジェリンがそう言った途端、明日菜と刹那から悲痛な悲鳴が上がった。 数日後、実力テストが三日後に迫りネギ達は小テストを受けていた。「これは酷い……」 事情を知るタカミチが放課後に毎日勉強を教えることになったのが間違いだった。 ネギと木乃香は元々問題が無く、刹那の学力は飛躍的に上がったのだが、タカミチとほぼマンツーマンの勉強会で、明日菜はいつも脳味噌が蕩けてしまい、全く勉強が捗らなかったのだ。 数学、化学、物理、現国、古文、現代社会、地理、英語、美術に家庭科。美術だけは問題が無かったが、その他の科目は定期試験には全く間に合う気がしなかった。「どどど、どうしよう~~」 塾に通うなんて嫌だ。基本的に勉強など嫌いだ。だが、今日やった実力試しの小テストの点数は満点から遠く離れた三十二点だ。それでも神楽坂明日菜にとっては十分過ぎる点数なのだが――。「これだと実力テストは……」 満点は無理だ。そう断言してしまうと可哀想だが、それが事実だった。 タカミチは明日菜に何とかしてあげたいと思いながらも、さすがに本人の頑張り次第であり、まさかテストの問題の答えを教えるなど出来る訳も無く、悩んでいたが答えは出なかった。 刹那の方も、成績が良くなったのは事実だが、満点には到底届いていなかった。 木乃香とネギは僅かな勉強でも確りと知識を身に付け、刹那と明日菜の手伝いをしているが中々思うように勉強は進まなかった――。 日曜日になり、ネギは木乃香と共に買い物に来ていた。「明日菜さんと刹那さん大丈夫でしょうか……」 ネギが呟くと、木乃香は「せやねぇ」と困った様に小首を傾げた。「二人共頑張ってるんやけどなぁ」「エヴァンジェリンさんに相談して、ハードルを下げて貰えないでしょうか……」「でも、エヴァちゃんも無茶言うなぁ。麻帆良は進学校やないけど、それなりに難しい問題もあるさかい、満点は難しいのに」「私達も気をつけないとつまんないミスをして満点を逃したら塾通いですよ……」「塾はちょっとなぁ……」「帰ってスタミナの付く料理を食べて私達も頑張りましょう、木乃香さん!」「せやね、ネギちゃん!」 二人は話しながら商店街で夕食の買い物を済ませると、夕焼けに染まる帰り道を歩いて行った。帰ると明日菜と刹那はテーブルに突っ伏していた。「もう駄目、いっそ殺して~~」「頭がパンクしてしまう~~」 教科書に顔を埋める二人に木乃香は呆れた様に微笑んだ。「二人共頑張りや~。今日はシャブシャブにするさかい」「シャブシャブ!?」 明日菜は瞳を輝かせた。シャブシャブなどここ最近していなかった。そもそも二人部屋だったから鍋自体珍しいのだ。「勉強をよう頑張ってるさかいなぁ。今日は奮発して高いお肉買ってきたで~」「こ、木乃香ぁぁぁぁぁ」 聖母の如き慈悲深い微笑を浮べる木乃香に、明日菜は感涙の涙を流した。その光景に、ネギと刹那は苦笑いを浮べると、木乃香は夕食の準備を始め、ネギは二人の勉強を見た。「明日菜さん、ミスが目立つのでもう少しゆっくり時間を掛けた方がいいと思いますよ。見直しが大事です。大方の公式はバッチリなので、ミスさえしなければきっと大丈夫ですよ」「ほ、本当?」 明日菜の実力試しのテストの採点を終えると、ネギは言った。明日菜はおっちょこちょいなミスさえしなければ、計算方法などはちゃんと頭に入っていたのだ。 問題なのはミスの多さで、そこさえ大丈夫なら、あとは現国や古文、英語の読解などに比重を置いた方がいいだろうとネギは判断した。「漢字とかも大丈夫そうですし、古文の読解を重点的にやってみましょう。源氏物語を題材に問題を作っておきましたから。これを解いてみて下さい」 読解などは先生によって微妙に変る場合もあり、とにかく問題を解く事しかない。新田は勉強を頑張っている明日菜と刹那に感動してお薦めの問題集を買い与えてくれたが、既に全て解き終えている。ネギは勉強の合間に刹那と明日菜のために木乃香と一緒に作ったプリントを渡して明日菜に解かせた。「う~~、頭の中がコークスクリュ~~」「何言ってるんですか明日菜さん……。ほら、頑張って下さい」「お鍋準備出来たえ~」 丁度、明日菜が頭から煙を出し始めた頃になって木乃香が土鍋を持ってきた。「あ、お手伝いしますお嬢様」 慌てて立ち上がると、刹那はテーブルの上を片付け、土鍋のスペースを空けた。それから勉強を一時中止して四人のシャブシャブパーティーが始まった。 明日菜はお肉ばかり食べるのを木乃香に窘められ、刹那は木乃香に入れられてしまった長葱と奮闘し、ネギはキリタンポを珍しそうにしながら食べていた。 翌日、試験が始まって明日菜と刹那は健闘した。 数日後、答案が戻って来た。ネギ・スプリングフィールド、全科目満点。近衛木乃香、全科目満点。神楽坂明日菜、細かなミスが目立ちつが平均点91点。桜咲刹那、ギリギリの所で惜しい間違いをして平均点98点となった。 クラスメイト達はバカレンジャーのリーダーが突然取った高得点に驚愕して、先生達も喜んだのだが、とうの本人は悲壮感を漂わせていた。桜咲刹那も同様に絶望感を露わにしている。「う、いや~~塾行きたくないよ~~」「こ、この数ヶ月の努力は一体……」 明日菜達が悲鳴を上げている最中、ネギはエヴァンジェリンが答案を受け取っているのを見た。「そういえば、エヴァンジェリンさんはテストどうだったんですか?」「……え?」 エヴァンジェリンは咄嗟に自分の答案用紙を隠した。その瞬間、刹那の脳裏に雷鳴が轟いた。「エヴァンジェリンさん、当然エヴァンジェリンさんは満点なんですよね?」「な、なにを……」 刹那は周囲がドン引きする程凄惨な笑みを浮べて後退するエヴァンジェリンににじり寄った。「そ、そうよエヴァンジェリンちゃん! エヴァちゃんはどうだったの? 当然満点だよね? 満点じゃなかったらエヴァちゃんも当然塾通いだよね?」「何だと!?」 エヴァンジェリンは目を剥いた。ダラダラと滝の様に汗が流れる。「エヴァちゃん、満点だったんだよねぇ?」 明日菜は刹那に負けず劣らずの世にも恐ろしい笑みを浮べながらエヴァンジェリンににじり寄る。「ま、待て! と、当然じゃないか。ま、満点に決まっている! おっと、答案が!」 すると、いきなりエヴァンジェリンの答案が木っ端微塵になってしまった。「あ、ああああああああああ!!」 明日菜と刹那は愕然となった。エヴァンジェリンの答案が消えてなくなってしまったのだ。エヴァンジェリンは勝者の笑みを浮べている。「フ、フハハハ、さてと。約束どおり満点でなかったお前達は塾通いだ。色々と資料を集めてきたぞ」「ちょッ!? ずるいよエヴァちゃん! 絶対満点じゃなかったでしょ!? 人にばっか勉強させておいてそれでも師匠を名乗る気!?」「うるさいうるさいうるさ~~い! 最早真実は闇の中だ! お前達は大人しく塾に通え! 勿論、その間修行もキッチリ受けさせるがな!」 顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げるエヴァンジェリンに、明日菜は理不尽だと怒鳴り返し、教室は騒然となった。二人共本気で怒鳴りあっていた。すると、騒ぎを聞きつけたタカミチが教室に入って来た。「どうしたんだい? もうすぐ授業が始まるから静かにしなさい」 入って来たタカミチに、刹那の瞳がピカリと光った。「高畑先生!」「な、なんだい刹那君?」 嘗ての英雄と勝らずとも劣らないオーラを放つ刹那にタカミチは若干引いた。「エヴァンジェリンさんの成績を教えてください」「へ?」「ちょっと待て貴様! この卑怯者め! ええい、教えるんじゃないぞタカミチ~~~~!!」「エヴァ!?」「私の高畑先生に近すぎよ二人共~~!!」「明日菜君!?」 爛々と瞳を輝かせて迫る刹那と、真っ赤になりながらガーッ! と怒るエヴァンジェリンと、エヴァンジェリンと刹那をタカミチから離そうとする明日菜に囲まれて困った顔をした。「しょ、小学校の先生になった気分だ」 下手にエヴァンジェリンと三人を宥め様とするネギのせいで余計にそう思えた。タカミチはついクスリと笑ってしまった。「な、何を笑ってるんだ貴様!」「エヴァちゃん、高畑先生に近い!」「離せバカレッド~~」 高過ぎて見上げる事しか出来ない師匠や嘗ての英雄達。そんな彼らと肩を並べ、同じく見上げる事しか出来ない存在の筈のエヴァンジェリンの子供の様な姿に、タカミチは緩む頬を引き締められなかった。 エヴァンジェリンを引き剥がそうとする明日菜の姿もそれを加速させ、タカミチは堪らずに口元を押さえて肩を振るわせ始めた。「た、タカミチ! いきなり笑うなんて失礼だよ!」 ネギが突然笑い出したタカミチにハッとなって顔を赤くして俯いてしまった明日菜とエヴァンジェリンを見て頬を膨らませてタカミチに抗議した。「いや、ごめんごめん。ププ……すまない君達。それとエヴァ、師匠になるならちゃんと見本を見せなきゃね。新田先生がカンカンだったよ?」「だああああ、貴様ぁ!」「ほらやっぱり~~! 私達に塾行かせるならエヴァちゃんもだからね~~!」 タカミチがバラしてしまった事にカンカンになるエヴァンジェリンに明日菜は勝ち誇った顔で言った。「きゃ、却下だ却下! 塾など行きたくないぞ!」「私達だってそうだよ! エヴァちゃんが私達より点数高くなきゃ塾行きは無しなんだからね!」「ぐっ、わ、私はこれでもお前達を思ってだな!」「ならエヴァ、こんなのはどうだい?」「ん?」 喚くエヴァンジェリンに明日菜が怒鳴るが、エヴァンジェリンは頬を膨らませて怒鳴り返す。すると、タカミチが突然二人の間に割って入った。「つまり、エヴァがもっと頑張って勉強して、ちゃんと明日菜君達に示しをつけるんだよ。師匠なら、弟子に見本を見せないと。大丈夫、エヴァは“やれば出来る娘”だよ」 タカミチがエヴァンジェリンの頭を撫でながらダンディーでニヒルな笑みを浮べながら言うと、明日菜はその衝撃にフラつき、エヴァンジェリンはやれば出来る娘という言葉にむむむとヤル気を出した。「まるっきり小学生への対応じゃねぇか……」 その光景を見ていた長谷川千雨は呆れかえった風に呟いた。結局、明日菜と刹那の塾通いは白紙になったが、それ以後のテストの時からエヴァンジェリンに成績で負けた人間は塾通いというルールに変更された。 その日、ネギは明日菜、木乃香、刹那、エヴァンジェリン、茶々丸と集まってお弁当を広げていた。「そういえばさ、聞いてなかったんだけど」 明日菜がネギが一人で見事に焼き上げた黄金色の卵焼き(超甘口)を頬張りながらネギに顔を向けた。 梅干を口に入れて「酸っぱいッ!」と言ってご飯を掻き込む刹那にお茶を勧めながら木乃香は首を傾げ、木乃香の作ったミートボールを口に放って「なかなかイケるな」と感心しながらエヴァンジェリンは気にも掛けず、茶々丸は小首を傾げた。「何ですか?」 モグモグとミートボールをリスの様に頬を膨らませながら幸せそうに食べていたネギは飲み込むと小首を傾げた。「聞いちゃうんだけどさ、ネギって小太郎ってのとその――」 小太郎の名前が出てエヴァンジェリンも興味が出たのか顔を向けた。明日菜は瞳をダイヤの如く煌びやかに輝かせた。「チューしたんだよね? どうだった?」 ネギは思わず噴出してしまった。目の前に座っていた茶々丸は見事に回避して見せた。「え、何々!? ネギちゃんがチュー!?」「何ですと~~~~!?」 同時に、明日菜の丁度後ろで食べていたまき絵の耳に入り、裕奈も両手を机に叩きつけて立ち上がって驚愕の声を発した。「本当なのネギ!?」「本当なのネギちゃん!?」 二人は凄まじい形相でネギに迫る。「嘘だ!! ネギちゃんがチューなんてどこの変態外道ロリコン男爵に奪われたのさ~~!?」「ちょッ、アンタ今凄い事言ったわよ?」「というか普通に失礼ですよそれは……」 頭を抱えながらまき絵が絶叫すると明日菜が慌てて口を押さえ、刹那が呆れた様に言った。「若いなコイツ等」 水筒から蓋部分のカップにお茶を注いで飲んだ。「いきなり老けないで下さい、マスター」 呆れた様に茶々丸が言う。「ネギ!」 裕奈がネギの肩を抑え付けてジトッとした目でネギの目を覗き込んだ。「チューしたの?」「ちゅ、ちゅう?」 ネギは顔を真っ赤にしながらダラダラと汗を垂れ流した。「チュー。キッス。接吻。したの?」「あ……いや、したにはしましたけど。仕方なかったというか……、もう二度と会わないというか……」 モジモジしながら言うネギの言葉に、裕奈とまき絵の表情が見る見る青褪めていった。「おい……、アイツ等何か勘違いしてないか?」 エヴァンジェリンがボソリと明日菜に言うと、明日菜は意味が分からずに「え?」と首を傾げた。「聞く相手を間違えた……」「またエヴァちゃんが私を馬鹿にした!?」 明日菜とエヴァンジェリンがそんなやり取りをしていると、裕奈とまき絵の声が爆発した。「おのれ、誰だ!? ネギを傷物にした挙句逃げた最低野郎は~~!!」「ネギちゃんの仇は私達が獲る!!」「傷物!?」「おい、何か盛大な勘違いが出来上がってるぞ」 立ち上がってとんでもない事を宣言している二人に刹那は驚愕し、エヴァンジェリンは木乃香に話し掛けた。「エヴァちゃんが私を無視して木乃香に~~」 明日菜の馬鹿な叫びを耳からシャットアウトしてエヴァンジェリンは木乃香と話ながらいつの間にか料理の話になっていた。「なかなか美味いな。料理が好きなのか?」「せやね~、どっちか言うと食べてる人の笑顔が好きなんやで」「ふむ、今度ウチにある料理本をやろう。私は和食が好味だ」「了解や~」 暗に自分の好きな具材で弁当を作って来いと言うエヴァンジェリンに木乃香は笑顔で頷いていた。「うう……、無視された~」 明日菜はエヴァンジェリンに無視されて落ち込み、茶々丸に慰められていた。「明日菜さん、お気を確かに。どうぞ、わたしのミートボールを差し上げますから」「ありがど~ぢゃぢゃまるしゃ~ん!」 茶々丸に貰ったミートボールを頬張ると、明日菜は茶々丸に泣きついてあやされていた――。 一方その頃、刹那が何とかネギの言葉を色々と暈しながら翻訳して誤解を解いていた。「ですから、ちょっとした事故だった訳です。連絡先も聞いていませんので、再会出来る可能性も低いという訳でして――」 裕奈とまき絵は嘘九十%の翻訳を信じ込み、ネギは頭を振って悶えていた。 昼休みが終わり、皆が戻って来るまで賑やかな時間が過ぎていった。授業は至って平穏なまま過ぎていった。神多羅木はバカレンジャーに何時も通り宿題を課し、エヴァンジェリンがタカミチと少し話している姿をハンカチを噛みながら明日菜が羨ましがった。その日はタカミチとあまり話せなかったのだ。 数日後の放課後になって、ネギは明日菜達と一緒に帰ろうとしていた所を裕奈とまき絵に拉致されて行った。麻帆良学園という学園都市はとにかく広い。暇を潰すには持って来いの施設が星の数ほど存在する。 ネギが連れて来られたのはカフェテリアだった。カフェオレを飲みながら、裕奈とまき絵の話を聞いていた。裕奈とまき絵は今朝の騒動と、自分達の部活の仲間が彼氏を作っていた事もあって恋愛に興味を持ったらしい。 何人かに聞いてみたが、誰も彼もが当てにならなかったという。最初に聞いた雪広あやかは特に気にしなくても家柄良し、顔良し、スタイル良し、頭良し、器量良し、性格良しのパーフェクト男が毎日愛の詩を手紙に綴り、お茶の誘いをメールに記す。雪広財閥の令嬢であり、性格、気品、顔立ち、スタイル、性格、教養全て良しの才色兼備なあやかは恋愛について深く考えなくてもモテているので参考にならなかった。 次に聞いた千鶴の下着に注目し、千鶴に教えて貰ったランジェリーショップに行って綺麗なランジェリーを買ったのだが、町を歩いてもナンパをされず、それ所か子供塾のチラシを貰ってしまった。悩んだ末に二人はネギに目を付けたのだ。 英国から来た少女なら恋愛について詳しいかもと思ったそうだ。ネギは申し訳なさそうに首を振った。女の体に慣れて来たとはいえ、乙女心など分からないし、ましてや恋愛についての知識など殆ど無い。 女性の扱いについての教養はあっても、男性の扱いなど習う筈も無い。周りに居た男の友達も金髪だけで、元々他の男の事をあまり知らないのだ。恋愛相談などされても困る――。 裕奈とまき絵はガックリとしながらカフェオレを飲み干すと、ネギもカフェオレを空にした。「焦り過ぎなのかな……」 裕奈がぼやく様に言った。「でも、恋をしてみたいよ~」 まき絵が悔しそうに言った。周りの皆に恋人が出来ていくのが羨ましいのだ。 休みの日には一緒に映画をみたりショッピングをしたり遊園地に行ったり、自分の作ったお弁当を食べさせてみたいと思ったり、夢が膨らむ一方で、恋人の居ない現実に悲しくなってくる。ネギはそんな二人に元気になって欲しくなった。「気晴らしに遊びに行きませんか?」 そう尋ねていた。裕奈とまき絵は一瞬目を見開いたが、すぐに元気一杯の笑みを浮べて頷いた。 やって来たのは麻帆良学園の中心部にある広いショッピングエリアだった。人通りも多く、沢山の店舗が立ち並んでいる。 三人はレストランに入ってスイーツを食べてエネルギーを充填すると、小物店を見て周り、洋服店へと入っていった。 夕暮れになるまで遊んでいると、裕奈とまき絵も気落ちしていたのが今は晴れ晴れとしていた。寮の近くの噴水公園のベンチに荷物を置き、ネギと裕奈は座り込んだ。まき絵は噴水の縁でバランスをとっている。「どうすれば恋って出来るのかなぁ」 噴水の縁を歩きながらまき絵が言った。吹っ切れた様子だったが、それでも気になったのだろう。裕奈も溜息を吐いた。「本当だよねー。まぁ私達は彼氏どころか告られた事もないからねぇ」「もうっ! 世の男の目は節穴じゃ~~ッてキャアッ!」 まき絵は叫んだ拍子にバランスを崩してしまった。慌てて手を伸ばした裕奈もそのまま転んでしまい、二人は揃って公園の噴水の中にダイブしてしまった。 服が濡れて透けてしまっている。ビショビショな二人はネギの目にとても綺麗に写った。「まき絵のドジー」 ビショビショになりながら、責める様子も無く裕奈が面白がるように言った。「ごめんゆーな。もう、おニューの下着がずぶぬれだよーっ!」 台無し~と項垂れるまき絵に、裕奈はニヤリと笑みを浮べると両手で水を掬って飛ばした。「はぅぅ、何するのよ~~!!」 まき絵も負けずに水を投げ返す。段々楽しくなって来た二人はどんどんエキサイトしていき、その水が思いっきりネギに降り注いでしまった。「冷たッ!」「アハハ、ごめ~んネギ」「ごめんね~。はは……あはは!」 噴水の水の中で座り込んで笑い合う二人を見ながら、ネギは思った。 二人の本当の魅力はきっと――。「どうしたら大人になれるか分かりませんが――」「?」 ネギの言葉に二人が首を傾げる。「今みたいに何時もと同じく元気な二人が一番だと思います!」 ネギが笑顔で言うと、裕奈とまき絵は顔を見合わせて、お互いに笑い合った。「でも、やっぱ焦っちゃうなぁ」 唇を尖らせるまき絵に、ネギはそっと二人から見えない様に魔力を練った。柔らかい光がそっと噴水の水の中へ溶け込んでいった。光が反射して二人が水の中を覗き込むと、そこには幻術によって未来の二人の姿が映りこんでいた。 わずかにお化粧をした美人なOLになったまき絵の姿と、胸元にリボンをあしらった真っ白なブラウスを着た若奥様になった裕奈の姿。「どうしたんですか?」 ネギのニッコリ微笑みながら尋ねた。「い、今、水の中に私達の未来の姿は見えた様な……」「うん! 見えた見えた!」 二人が満面の笑みを浮べながら喜ぶ姿に笑みを深めながら、ネギは口を開いた。「そうですか、きっと、裕奈さんとまき絵さんならとっても素敵な女性になっているんでしょうね」 一瞬ポカンとした表情を浮べた後、二人はまるで太陽の様に輝く素敵な笑顔を浮べて頷いた。「当然!」「自分で言うかぁ?」「あはははは」 二人は恥しそうに笑い合い、それを見ながらネギは微笑みながら言った。「日も暮れてきた事ですし寮に戻ってご飯でも食べますか? このままじゃ風邪ひいちゃいますから」「あ、それ賛成――ッ!」「わ~い、ネギちゃんと一緒にご飯だーっ!」「鍋なんかいいですよね」 ネギが裕奈に携帯電話を借りて木乃香にまき絵と裕奈が来る事を知らせると、直ぐに了承の旨が返ってきた。 すると、突然まき絵が叫び声を上げた。「ど、どうしたんですか、まき絵さん!?」「ゆーな! 私の未来、胸大きくなってた?」「そんなの覚えてなーいっ!」「そんなぁーっ!」「待って下さい二人共~」 逃げる裕奈を追うまき絵を追いながらネギは走り出した。 その日、ネギは少しだけ恋愛というモノがどんなものなのか分かった気がした。女の子が夢見るとっても素敵な事。