初出 2012/03/15 以後修正
─第25話─
アーニャ登場!
──────
「元気ですかネカネお姉ちゃん……」
日本から来た手紙を手に、同封された写真を見る人影が一つ。
「ふふ。半年見ないけど、少し大人びてきた気がするわ」
ネカネと呼ばれた女性が、嬉しそうにその写真を見ている。
さらにもう一人。
同じように手紙を見ながら、写真を見る赤髪の人影が一つ。
「そうか? 相変わらずチビでボケた間抜け顔だと思うが」
「そうかしら」
「それにしても、やはり女の子ばかりか」
赴任先は女子中学校。当たり前といえば当たり前である。
「ふふ、楽しそうね……あら?」
ネカネと呼ばれた女性が、一つの黒を見つける。
「ここに男の子いるわよ。二人」
そこに映し出されているのは、女性ばかりの中で、唯一の黒一点。
手を引かれ、強引に写真に引っ張りこまれている黒髪の少年と、写真に引っ張り込んだ獣耳をつけた少年がいた。
「否。こっち(コタロー)は女だ。見ればわかる」
「じゃあ、男の子はこの子一人なのね」
「……」
赤髪の子が、自分のローブをつかむ。
「一体この男は……!」
纏っていたローブを空へと脱ぎ捨てる。
そこから現れるのは、むきむきの筋肉。
「一体!」
むきっ!
両腕をL字に持ち上げ、はちきれんばかりの筋肉が、背と両腕の上腕二頭筋を強調する。
ダブルバイセップス・バック!
「何者か!」
むきむきっ!
手を腰に当て、ぱっつんぱっつんの筋肉が、背中の広がりを強調し、すべてを超越して語る。
ラットスプレッド・バック!
「このアーニャ様が、確かめてくれる!」
むんっ!
腕を胸の前で組み、横から見た胸(チェスト)の厚みを強調し、すべてを理解する筋肉が吼える!
サイドチェスト!!
「この、筋肉で!」
はちきれんばかりの筋肉を持ち、濃い顔の自称アーニャが俺の方を見てばちっとウインクしてきた。
バチーン!(ウインクの衝撃波)
「誰だお前はああぁぁ!!」
……
目が覚めた。
そ、そうか、夢か。
夢オチか。よかった……
いくらなんでも魔改造過ぎるだろアレは。TSとか憑依とかトリップとかそんなレベルじゃねぇぞ。
俺も裸足で逃げ出すぞ。
ああ、夢でよかった……
本当によかった……
そして正夢でないといいな。
きょろきょろとあたりを見回す。
男子寮の二段ベッドの下段。
いつもの俺の部屋だ。
ふにっ。
なんかベッドの上にあったやわらかい物に触れた。
その場所を見てみると、誰かの手。
俺のベッドでエヴァンジェリンがすーすーと寝息を立てていた。
お前か。
どーりで暑苦しい夢見たわけだ。
夏の朝とはいえ隣にもう一人居れば温度もうなぎのぼりに決まっている。
なに勝手に俺のベッドに入ってきてんだよ。せめーし暑いってのに。
そんなに俺と一緒にいたいのかよ。ありがとう。
てか隣にエヴァがいるならもっといい夢見ろよ俺!
きゃっきゃうふふな夢にしとけよ!
夢でなら色々出来るだろ! やっちゃえるだろ!
まあ、それはそれか。本気でそういう夢見たけりゃ『道具』使えばいいわけだし……
あー。目が覚めちまった。シャワーでも浴びよ。
ベッドを降りようとしたら、ぐいっとエヴァの手に触れた俺の手が引っ張られた。
「起きてたのかよ」
「お前のぬくもりが足りない……」
いや、まだ眠そうだ。目をこしこしこすってる。
「暑いから嫌です。ついでにこれ以上同じベッドで寝ていると襲いかかっちゃいそうだからダメです」
お前は自前魔法クーラー使ってるからいいかもしれないけど。襲われてもいいのかもしれないけど。
「ちっ」
素直に手は離してくれた。
そしてそのままエヴァは二度寝に入る。
こら、俺の枕を抱きしめるな。
匂いをかぐな。恥ずかしい。
見てるとなでくりまわしたくなりそうなので、そのままシャワーを浴びにこの場から逃げ出した。
しゃわー。
──────
昼になりました。
相変わらず夏休みだが、今日は少しだけ違うところがある。
夏祭りも終わり、休息もかねてネギ達が二泊三日の合宿で海へ行ったのだ。
俺とエヴァは留守番。
ネギま部(仮)改め『白き翼』のみんなが気を利かせて二人きりにしてくれたと言ってもいい。
なにせ彼女達から見ると、ずっとエヴァンジェリンが自分達につきっきりで修行をつけてくれるように見えるからだ。
「みんなコピーに任せてサボっているとか知らないからねぇ」
「そうだな」
一応ネギは『コピーロボット』の事は知っているが、コピー使うなと言われた事を信じて使っていないと思っているようだ。
なんていい子なんや……
別荘内は時間の流れが違うから、外で俺とエヴァが歩いているの見た人の話聞いてもそれが一緒に居る時か居ない時かわからないわけでもあるし。
それと、超グループと茶々丸さんも海に出かけています。一緒に海での防水実験するって言ってた。ネギ達を追ってあやかお嬢ちゃんもちづるさんふくめたクラスメイト達を引き連れて行っているし、俺のクラスメイトもこの時期ほとんど帰省しているようなので、ホントにエヴァと二人きりと言ってもいい状況である。
帰省で思い出したけど、俺もちゃんとこの世界の両親へ顔を見せに帰ったりしています。関係は良好なのでご安心ください。色々とね。
「さてと。今日はどうするか」
「そうだなぁ……」
じーわじーわと蝉の声が響く外。
木陰の下でアイスを食べていた。
ちなみにチャチャゼロも一緒だ。
「ケケケ。イイのか? セッカク二人キリだってノニ」
「むしろ最近君と遊んでなかったのも思い出したからね」
俺の膝の上にいるチャチャゼロに声をかける。
「夏祭りノ夜ゲームシタジャネーカ」
「あー、チャチャゼロひんやりしてるー」
「……単ナル氷嚢カよオレハ」
ついでに言えば、チャチャゼロは賞金首エヴァンジェリンを象徴する人形なので、魔法世界に連れていけない。ので、今のうちに遊んでおかないといけないからだ(無理について行こうとしないのは、多分気を使ってくれたというのもあるんだろう)
ちなみに、チャチャゼロはクウネルさんのところへ預けていくので魔力切れとかの心配をする必要はない。
そんな事をしていると。
「あの、ちょっと道をお尋ねしてもよろしいですか?」
女の子の声で、そう声をかけられた。
「あ、はいはい?」
そちらの方を見る。
そこには、いかにも魔法使いといった感じの三角帽をかぶった、赤髪の女の子が居た。
「あー!」
少女を見た直後、指をさされた。
「あんた、ネギの手紙にいた、唯一の黒一点!」
ローブを纏った赤毛のサイドツーテール。
魔女帽に杖。
そこにいたのは、アーニャ。漫画でよく見たアーニャ嬢その人だった。
筋肉ムキムキで濃い顔してダブルバイセップスやサイドチェストでウインク衝撃波なんて決めそうにもない、普通に普通で普通の女の子アーニャがそこにいた。
そうだ。思い出した。
原作では夏休みに海へ行った時、なかなか帰ってこないネギにじれて英国からやってきていたんだった。
だからか。だからあんな夢見たのか!
あんな夢を。そして、正夢じゃなかった! 筋肉じゃない。筋肉じゃなかった! よかった!
よかった。
「よかったー!」
俺は思わずベンチから勢いよく立ち上がる。
「アン?」
転げ落ちるのは膝の上のチャチャゼロ。
そしてその勢いのまま、目の前で呆然としている彼女に抱きついてしまった。
「普通だ! 普通に普通で普通のアーニャだ! よかった! 筋肉じゃなくてよかった! 正夢じゃなくてよかったあぁぁぁぁぁ!」
ばんざーい。ばんざーい。
たかいたかーい。
「アーニャは軽いなー。筋肉なくて軽いなー。すばらしいなー。あはははは。あはははははー」
くるくるー。くるくるー。
「なっ? ななな、なななななー!?」
いきなり高い高いされてくるくる回っていては頭の処理もついていかない。アーニャは完全に俺のなすがままとなっていた。
「あははー。杖も落として全然抵抗できてないぞー。筋肉足りないぞー。すばらしいぞー」
二の腕細いなー。手首なんて触れたら折れそうだー。細い足も回転の遠心力に抗えないなー。小さいなー。小さいぞー。
魔改造じゃないぞー。TSもしてないぞー。普通のアーニャだぞー。
「な、なんなのよー!」
やっと頭が働き始めたのか、アーニャが抗議の声を上げる。
あははー。小さい小さい筋肉のないアーニャじゃそれがやっとかー。やっとだなー。あはははー。
「ああ、なんなのだ?」
「──っっ!!」
ぴたり。
高い高いを止める。
俺の背後から、絶対零度のナントカが感じられる。
い、いけない。俺は、今、いけない事をしている。間違いない。俺は今、死刑台の上で踊り狂っていた。
このままでは、この高い高いが、他界他界になってしまう……
だらだらと冷や汗をたらしながら、ゆっくりとアーニャを降ろし、またゆっくりと、背後を振り返る。
「「ひぃ!」」
アーニャと二人同時に、悲鳴を上げてしまった。
そこには、夜叉がいた。
そこには、吸血鬼がいた。
そこには、俺の嫁がいた。
俺のあげた『ドラキュラセットDX化』のマントを羽織り、日の光の下最強の魔法使い状態となった吸血鬼。『闇の福音』であるエヴァンジェリンがそこにいた。
「さて、申し開きはあるか? 貴様は私が浮気と感じたら、罰してよいと自分で言ったな?」
確かにちょっと前に言っちゃった覚えあるよ。具体的には第22話に!
「……とりあえず、信じてもらえるかはわからないが、聞いてもらえるか?」
背中にすがりつくようがたがた震えはじめていたアーニャ君に手で下がるよう指示をしながら言う。
「一応聞いてやろう」
「昨日夢でムキムキの筋肉を持った彼女が夢に出てきたんだ。そりゃもう、凄い濃い顔で。悪夢のようなムキムキだった。それはまるで予知夢のようで、今日やってきた彼女の事を現したものだったんだよ」
「ほう」
目つきがさらに鋭くなりました。
「それで、その今日やってきた子が、夢に出た筋肉ムキムキじゃなくて、凄い普通の子だったから、喜びのあまり、抱きついてしまったんだよ。抱きついてしまった事には謝るしかない。それほど衝撃的な夢で、衝撃的な出来事だったんだ」
「つまり、こういう事だな? 昨日見た夢に、私ではなく別の娘が出てきたという事だな?」
「娘と言っていいかわからないけど、そうなるな……」
「……」
「……」
無言が続く。
──────
鳴り響いている蝉の声以外は、無音。
いや、蝉の音すら聞こえない気がする。
太陽の熱によって熱せられているはずなのに、この場だけは、まるで南極にでもいるかのような錯覚に陥るような状況だった。
(……ど、どうなっちゃってるのー)
事態に取り残されているような形のアーニャは、一人混乱しながらこの行方を見守る。
正直言えば、逃げ出してしまいたかった。
それほどまでにすさまじいプレッシャーが、目の前の少女から感じられたから。
「ケケ」
そこに、人形がやってくる。
びくっ。
思わずびっくりした。
「安心シロ」
「な、なにが?」
「タダの痴話喧嘩ダ。イヌもクワネー」
人形はそれだけ言うと、地面の暑さから逃れるよう、アーニャの頭の上に移動した。
……じゃあ、その痴話喧嘩で、今から世界は滅びるんだわ。
アーニャはそんな事を思った。
「一応聞いてやろう」
夜叉であり、最強の吸血鬼である少女が、自身の伴侶に対し、弁明を求める。
「昨日夢でムキムキの筋肉を持った彼女が夢に出てきたんだ。そりゃもう、凄い濃い顔で。悪夢のようなムキムキだった。それはまるで予知夢のようで、今日やってきた彼女の事を現したものだったんだよ」
聞いているアーニャにはこの少年の言っている意味がわからなかった。
わかったとしても、多分意味などはないのだろう。そう思った。
わかっているのは、目の前の彼も、自分も、消えるのだろうという事だけ……
「ほう」
少女の目がさらに鋭くなり、プレッシャーが倍以上に増える。
目に映るその魔力など、大きすぎて形もわからないレベルだ。
がたがたと足が震えるのがわかった。
いや、地面が震えているのかもしれない。あまりの恐怖で。
なにこれ。こんなの、どこの魔王よ……
「それで、その今日やってきた子が、夢に出た筋肉ムキムキじゃなくて、凄い普通の子だったから、喜びのあまり、抱きついてしまったんだよ。抱きついてしまった事には謝るしかない。それほど衝撃的な夢で、衝撃的な出来事だったんだ」
なるほど。わからん。
アーニャは理解する事を放棄した。
「つまり、こういう事だな? 昨日見た夢に、私ではなく別の娘が出てきたという事だな?」
「娘と言っていいかわからないけど、そうなるな……」
「……」
「……」
無言が続く。
そのままプレッシャーだけが高まり。
高まり。
高まりきったその時……
じわっ。
少女の瞳に、涙がにじんだ。
ないたー!!?
「私は毎夜毎夜お前の夢を見ているというのに。お前は、平気で他人を夢に見て、あまつさえその者を抱きしめるのか」
ぐすっ。
堰を切って流れはじめた涙は止まらない。
「お、おい」
「うるさい。ばかぁ」
少女が、涙をぬぐう。
そこにはもう、絶望を振りまく、まさに恐怖の権化と呼べるような少女はいなかった。
ただ、不安に泣く、か弱い少女しかいなかった。
アーニャにはなぜ少女が泣くのかはわからない。
しかし少女にとって、少年が『自発的に』他人を抱きしめるというのは、大きな裏切りを感じても仕方のない事だった。
自分だけという絶対の信頼を、裏切ってしまったという事なのだから……
それは、この少女が人前で涙を流すほど、ショックな事だったのだから……
「信じていたのに……」
「……ごめん」
少年が、謝罪の言葉をつむぎながら、ゆっくりと近づく。
少年も、軽率な自分の行動により犯した裏切りの重さを理解している。
だからただ、自身の過ちを、その非を認め、謝り続けるしかない。
「抱きしめろ」
「ああ」
少女の言うがまま、少年はその細い背に手を回し、抱きしめる。
夏の暑さも吹き飛ばすほどに、熱い、熱い抱擁。
「キスしろ」
「……」
続けて少女は言うが、少年は動かない。
なにか、出来ない理由でもあるのだろうか?
「キスしろ」
「……」
二度目の言葉。
その言葉と共に、少年は動いた。
少女の前髪に触れ。かきあげ。
ちゅっ。
「オデコか」
「そこが妥協点だ」
少年は、少女の肩に手を置き、濡れた瞳をまっすぐと見る。
「エヴァンジェリン」
「なんだ?」
「ごめん」
ただ一言。真摯に言う。
「……」
「ごめん」
もう一言。心をこめて。
「……」
「ごめん」
ただ一言。万感の想いをこめて。
「……」
その真摯な想いは……
「……ゆるす」
想いは、伝わる。
「ありがとう!」
少年に、笑顔の華が咲いた。
ぎゅー。
「こ、こら、これ以上は人前でするなー!」
わたわたと、新たに抱きしめられた少女は困惑したように、手足をばたつかせる。
だが、その声に、拒否も否定のふくみもなく、ただ歓声が少し混じっているのは気のせいか。
少女も、ぎゅっと抱きしめ返しているのは、気のせいか。
そこには、なんというか、爆発しろ! な空気しかなかった。
「……なにこれ」
相変わらず取り残されるのはアーニャ。
「ケケケ。やっぱチャバンだったナ」
そしてアホラシーと笑う人形だけだった。
こうして本気でぶつかりあいながら、愛は高まってゆく。
ああ、青春だなぁ。
今夏だけど。
みーんみーんみーん。
──────
「本当にすみませんでした」
エヴァとアーニャ君をベンチに並べ、俺はその前で、土下座をした。
アスファルトが熱を持って熱い。
滅茶苦茶熱い。
天然焼き土下座と言っても過言じゃない。
でも、これだけはやっておかねばならないと思った。
「ふん」
エヴァは明後日の方をむいたのだろう。
でも、もう怒ってはいないと思う。
ごめんな。あんな軽率な行動は、もうしないよ。
もう、お前を裏切ったりはしない。
「ま、まあ、私も別に気にしてないから」
俺の誠意が伝わったのか、アーニャ君も許してくれた。
「それはよかった!」
がばっと立ち上がると、さっきを思い出したのか、アーニャ君びっくりしてた。
「というわけで、これはお近づきのしるしです」
と、ポケットに放りこんでおいたジュースを渡す。
『四次元ポケット』という時間も空間も超越した場所なので、熱を奪うモノがないからひえひえのままだよ。
「え? 手品?」
「そんなトコです。はい、エヴァ」
「ふん」
ふてくされたフリして受け取っているが、実は泣いたのアーニャに見られて恥ずかしいって今脳内であわあわしてるのわかるぜ。
ワザワザ言わなくても言わないだろうが、言わない方がいいぞアーニャ君。言ったら死ぬ。間違いなく。
「ともかく。話を戻そうアーニャ君は、ネギを探しにきたんだね?」
「うんそう。そうしたらネギの写真にあったあんたを見つけて、ああなったわけ」
「悪い悪い。アレは、もう忘れてください。んで、ネギだけど、今ここにはいないよ」
「え?」
まん丸お目目になって、アーニャ君の動きが止まった。
まあ、海に行ってるだけなんだがなー。
行った海岸の場所を伝えると、そこへ行くと言い出した。
送っていこうか? と言ったが、一人で行けると断られてしまった。
……エヴァが怖いからっすね。
隣にいたエヴァを見て言ったのだから間違いない。
「ではなくまた気を使ったのではないか?」
「かなぁ? お前のあの恐怖の権化の姿見たら怖がると思うぞー」
「誰がそうさせたんだったかなぁ?」
「記憶にございませんねー」
「そうだな。私も記憶がない」
「じゃあしかたないなー」
「しかたないな」
「はは」
「ふふふ」
もういつもどおり。
「さてと、どうする?」
「どうするか」
とりあえず、映画にでも行くかー。それともゲーセンかー。ショッピングもいいなー。
今考えてみると、二人きりにされてもいつもとやる事変わんなかった。
「ケケケケケ」
あ、すまんチャチャゼロ。今日は三人だったな。
───エヴァンジェリン───
あああああああ。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
なにをしているんだ私は! よりにもよって人前で泣いてしまうなんて!
なにをしているんだー!
彼に手渡された飲み物でなんとか頭を冷やす。
落ち着いて考える。
闇の中にいた頃には考えられない事だ。
力を封印され、それでも孤高を保っていた私なら、絶対にあのような涙は流さなかった。
だが、なぜかはわかる。
私はそれほど、彼を愛しているという事だ。
信頼しているという事だ。
……いや、信頼しすぎていたという事だ。
妄信と言ってもいい……
絶対にない。
そこにおける『絶対』などないのに、そう考えてしまっていたから、涙が出たのだ。
彼が私以外の女に触れる事もなく、声をかける事もなく生活する。
そんな事ないと、わかっていたはずなのに……
なにより、本当に私が、彼に絶対の信頼を置いていたのなら、涙など出なかったはずだ。
そうならば、いつものように、頭を叩いて土下座させて終わるはずだから。
あの涙は、私が彼を、真の意味で信頼していなかったという証……
あの涙は、彼の愛を、本当に信じきれていなかった、証明……
あれほど私を、一番に考えてくれている、彼を……
あれほど私を、優しく包んでくれている、その、愛を……
だから、名前も知らぬ小娘よ。お前には感謝しよう。
お前のおかげで、一つ大切な事に気づけた。
彼にも過ちがあったが、私にも誤りがあった事を知る事が出来た。
これで私達の絆は、より強くなった。
より愛を、確認出来た。
ゆえに、今回だけは見逃してやる。
当然、この事を言いふらしたらどうなるか、わかっているだろうな?
ちなみに、自分が弱くなったか? などという定番を考えるほど私は若くない。このような事に強さ弱さを絡めて考える事こそがそもそもの間違いだ。
そういうのは桜咲刹那にでもさせておけ。もっとも、今のあの娘も、そこに悩むほど『弱い』娘ではなくなっているがな。
───アーニャ───
「マスター達に会ったの?」
夕方、ネギ達のいる海につき、合流したあと。どうやって来たのかを聞かれた際、麻帆良学園で出会った二人に聞いたと話したら、ネギがそう言った。
「マスター?」
「うん。その女の人の方が僕の師匠なんだ」
「え? あの子が!?」
確かに、凄い魔力とプレッシャーを放っていたけど……
「そうよ。エヴァちゃんはなにせ、あの『ナミのナンタラ』って賞金首だったんだから!」
相変わらずネギの隣にいるツインテールの子が自慢げに言う。けどナンタラじゃなにがなにやらわからないわよ。
「『闇の福音』ですよアスナさん。それとあんまり大きな声で言っちゃダメです。マスター公式には倒されてた事になっているんですから」
『闇の福音』で倒されたって……え? それって?
「え? あんたの師匠って、ひょっとして、あの?」
「うん。あの」
『闇の福音』といえば、『人形遣い』、『悪しき音信』、『禍音の使徒』なんて呼ばれるあの伝説の大悪党のエヴァンジェリン!?
元600万ドルの賞金首で、御伽噺にもなって悪い子はたべちゃうぞーとやってくるほどメジャーな怪物じゃない。
確かにエヴァンジェリンって呼ばれてたけど……
「それってあんたのお母さんが15年前に倒したんじゃなかったの!?」
「まあ、色々あって今は麻帆良にいるんだ」
思い出す。
世界を終わらせるんじゃないかと思わせるあのプレッシャー。
地面を揺るがしているのではないかと錯覚させるあの魔力。
それが、あの伝説の『闇の福音』であるのなら納得がいく。
それは確かに、伝説の名にふさわしい恐ろしさだった。
いや、伝説以上だった。
『闇の福音』伝説は誇張などではなかったと私は理解した。
そして、泣いたなんて事をしゃべれば、確実に命がないという事も。
ぶるるっ。
また思い出して震えてきた。
むしろよく生きてた。私!
「あんた、凄い人に師事してるのね。てゆーか、いいの? 賞金首なのに変な事されない?」
「大丈夫だよ。もう賞金首じゃないし、マスターは優しいし」
「……アレのどこがやさしいのよ」
さっきネギにアスナと呼ばれたツインテールの子が疑問の声を上げる。
それは私も同意するわ。
「最近どんどん優しくなっていると思いますよ。やっぱりあの人の影響だと思います」
「……どこが~?」
「あの人?」
あのひと? どのひと? どこのひと?
「うん。ほら、多分一緒に会った男の人。マスターの恋人で、なんと母さんと同じ『サウザンドマスター』なんだよ!」
『サウザンドマスター』ぁ?
ネギのお母さんと同じ称号。それは、魔法世界で最強と言っても過言ではない称号の事。
ネギが目をキラキラさせてる。よっぽど尊敬してるのね……
でも……
男の方を思い浮かべる。
顔はまあまあとして、どこにでもいる普通の少年にしか見えなかった。
まあ、いきなり抱きついてきたりするところは普通じゃなかったけど。
「全然そうは見えなかったわね」
私は確信を持って断言した。
「あの人は力を隠してるから」
あはは。と、ネギも苦笑い。
「見た目で判断したらダメよ。なにせあの人、実力でエヴァちゃん倒したんだから。私もエヴァちゃんに師事してわかったけど、あの人ホントは強いのね。あのエヴァちゃん子どもあつかいだったもん」
うんうんすごいわ。とツインテールのアスナが一人でうなずいてる。
「アスナさん信じてなかったんですか……」
「だって普通の人にしかみえないんだもん」
「マスターとの戦い(第5話の事)、直接見てたじゃないですか」
「あの頃はなにしてたのかよくわからなかったから仕方ないの!」
あのエヴァンジェリンを実力で、倒した……?
あの地獄の帝王としか思えない魔力とプレッシャーを放つあの『闇の福音』を?
「ソレが本当なら確かに凄い人ねー」
あんなの絶対倒せない。直接見た私はわかる。無理。絶対無理。無理ったら無理。
「僕はあの時気絶してて見てないんだけどね」
「意味ないじゃないその証言!」
気絶って言葉が気になるけどそれ以前の問題!
「なにそれ!? 私の言う事が信じられないって事!」
アスナと呼ばれるツインテールの子も憤慨。
「うん」
「なによー」
だって、あんた……
思った事を口に出しそうになるが、さすがに気のせいかもしれないのでやめる。
「あ、でも、鬼神を祓うところなら見たよ!」
聞けば、この国の伝説にある鬼神。
それを呪文詠唱なしに使用した超極大魔法の一撃で倒し、なおかつ祓ったのだという。
しかも自身を闇を纏うはずの吸血鬼化させて。
「正直それはなにがすごいんだかわからないけど」
ツインテールの子があはは。と笑う。
この言葉で確信する。
うん。わかった。この子はきっと、お馬鹿なんだ!
ネギの言った事が本当ならば、その人は魔法史に名前が残るくらいの事をしているのに……
闇の属性なのに闇を祓うって、普通に考えても、伝説としても名が残るレベルよ。
火に火をぶつけて消化するようなもんなのよ!
「ま、本当なら。ね」
「あ、アーニャ信じてない!」
「信じられるわけないでしょ! 『闇の福音』を倒して鬼神クラスを祓うなんて、どこの『サウザンドマスター』よ!」
あんたのお母さんじゃない!
「その『サウザンドマスター』なんだよー」
「まあ、『闇の福音』が師匠って方は信じるけどね」
さすがにあのプレッシャーを直接見たのだから、それだけは信じざる得ないわ。
「まさか吸血鬼が先生なんてね……」
少し複雑な気分だ。
「あ、でもマスターはもう吸血鬼じゃないよ」
「なんでよ?」
あの『闇の福音』なら真祖の吸血鬼じゃないの。やっぱり嘘なの? 偽物なの?
「だって、人間に戻ったから」
「はぁ? 馬鹿な事言わないでよ。一度吸血鬼になった者が。しかも真祖が人間に戻れるはずがないじゃない。常識でしょ?」
またネギが変な事を言い出した。
一度闇に堕ちたその肉体が、再び人の体をとりもどせるなんて、あったらそれこそ魔法史が塗り換わる。
魔法の常識を覆す、大事件だ。
「あはは。信じられないよね。でも、それが出来るのが、マスターの隣にいるあの人なんだ」
「ネギも冗談言うようになったのね」
鬼神を祓ったりとか吸血鬼を人間に戻したりとか。
「本当だよー」
「はいはい。面白かったわ」
その時私は、その言葉をまったく信じていなかった。
当たり前だ。
魔法に関わる人間で、ネギの言葉を信じるのは誰一人としていない。
そんな事が出来るのは、神にも等しい存在なのだから。
世界のルールを三つくらい捻じ曲げなきゃ実現出来ない事なんだから。
でも、ネギが言っていた事は、事実だった……
私は、今。信じられないものを見ている。
イギリス、ウェールズ。
私達の故郷へ戻ってきたその夜。
魔法世界へ行くというネギを、おじーちゃんは石像と化しているみんなの下へと連れて行った。
村のみんなが居る、あの場所へ。
おじーちゃんはあいつの小さな背中に新しい荷を背負わせるためじゃないなんて言ったし、あいつも一人で背負えないし意味はないって言ってたけど、そんな事ないわね。
あいつは口でそう言っても、背負っちゃう馬鹿なんだから。
半年たってもそういうところはかわらない。
こんなの見せたら、逆に気負っちゃうのに……
だから、いつものように、強がりを言って、お母さんの埃を落とす。
ダメね。そうはいっても、結局私だってネギの力にはなれない。
知ってるのよ。あんたがあの日、自分がピンチになればナギさんが現れると願っていたのが原因だなんて思っているの……
あいつの後悔をなくすには、この人達が元に戻って、そんな事はないと言ってあげるしかないの。
でも、そんなの無理。
これがなくなれば、ネギの囚われている呪縛が一つなくなるのに!
……ごめんなさいお父さんお母さん。こんな事を思ってしまう私で。
あなた達にも、ネギにも、なにもしてやれない無力な娘で……
そうしていたら、入り口から、あの二人が入ってきた。
おじーちゃんに麻帆良の学園長からという手紙を見せて、私のお父さんとお母さんの前へとやってきた。
「では、証明させていただきます」
「うむ」
おじーちゃんがうなずく。
え? なになに? いきなりなんなの?
びっくりする私に、おじーちゃんがそのまま見ていなさいと言う。
すると彼は、懐から一枚の布を取り出し、お父さんにソレをかぶせた。
私の目の前で、信じられない事が起きた。
布をかぶせ、ワンツースリーと手品のように、布を外した瞬間。
目の前にいたお父さんが、生身を取り戻し、私を見たのだ。
石化が解け、私と目が合ったのだ。
呆然と見つめあうしか出来ない間に、同じ要領で、お母さんも、生身を取り戻す。
信じられない事が起きていた。
思わずほっぺたをつねる。
痛い。
現実だ。
あとで聞けば、同じ方法でネギの怪我を治したり、『闇の福音』を人間に戻したりしたんですって。なにそれ。手品なの? 魔法なの? 奇跡なの?
「アーニャ。アーニャなのか?」
お父さんの声が聞こえる。
夢じゃない……
「ああ、アーニャ。こんなに、大きくなって……」
お母さんの声が聞こえる。
夢じゃない……!
「お父さん? お母さん……?」
「「そうだよ。アーニャ」」
二人が、手を広げる。
夢じゃ、ない……!!
「お父さん! お母さん!!」
私はそのまま、二人の胸へと飛びこんだ……
こんな事、本当に……!
「……まさか、本当に……」
おじーちゃんの驚いた声が聞こえる。
「あとは同じ要領で戻していくだけです。なのでちょっとお時間をください」
「時間なんて気にせん! やってくれたまえ!」
「はいはーい」
こうして、村のみんなは、石の中から開放された。
しかも彼は、村の人全員を元に戻して、復興するまで住む仮の住居や食料。日用品まで用意してくれていた。
「いや、食べ物とかは麻帆良の学園長が大部分用意してくれたんだけどね。この後の事も丸投げだし」
とは彼談。
疑問なのはそのコンテナをどうやって運んできたか。だけど。
「ソレは秘密です」
人差し指を唇に当て、そう言われてしまった。
「でもどうしてそこまでしてくれるの?」
「君に怖い思いをさせたお詫び。かな」
私の質問に、少し考えた彼は、そう答えた。
麻帆良学園で出会ったあの時のお詫びなんかでここまでしてもらえるなんて、なんだか悪い気がしてしまう……
あれは確かに怖かったけど、すぐ二人の世界を作ってたから、恐怖というよりは、逆にあきれた方が強いくらいなんだから。
明らかに、不相応だ。
「そう思うなら、お返しをお願いしようか。続けてお願いするよ。もう一度、『ありがとう』と、笑顔でプリーズ」
一瞬、ほうけてしまった。
なにを言ってるの、この人。
「そ、それだけでいいの?」
「バカ言っちゃいけない。可愛い女の子の笑顔は、それだけで世界を救う価値のある最高のお宝だよ。まさにプライスレス!」
なぜか熱弁された。
「だから是非、お願いしたいね」
彼が、くすっと笑う。
ああ、なんだろう。この優しい笑顔は。
思わず、こっちもつられて笑ってしまった。
ホント、ネギの言ってた通り。
あいつの言ってた事、全部本当だったわ。
だから……
「ありがとう」
とどけ。私の精一杯の笑顔。
精一杯の、感謝の気持ち。
「どういたしまして」
彼もまた、笑顔を返してくれた。
そしてその後、『闇の福音』に「他の子に色目を使ってすみませんでしたぁ!」と土下座する彼の姿が目撃された。
「なぜ土下座するのかわからんが、許そう。感謝しろ!」
「へへー。ありがたやー」
……あの姿見ると、本当に彼女達が『闇の福音』でもう一人の『サウザンドマスター』とは思えないわ。
──────
ネギ達の見ている前で、次々と村の人達の石化が解かれてゆく。
暗かった地下には明かりがともり、喜び合うもの。抱き合うもの、涙を流すものの声で溢れていた。
ネギ達はそれを、部屋の隅で見守っている。
大忙しで部屋を出て、村の者が元に戻った事を知らせに行く人。
外に用意してあるという復興用のコンテナへ走る人。
ネギ達にかまう暇などないほど、この事態は進んでいく。
「あっさり治ってくわねー」
流れ作業で次々と石化を解除して行く黒髪の少年を見ながら、明日菜は素直な感想を上げる。
「はい。やっぱりあの人は凄いです」
「そやなー」
それに刹那、木乃香が同意する。
「で、さ」
「なんや?」
「やっぱりあれ、とんでもなく凄い事なの?」
彼のしている事を指差して、明日菜は思わず確認する。
あれは誰にも解けない石化で、極東最高の魔力を持つ木乃香が何年も修行してやっと出来るものだ。とは聞いている。
だが明日菜としては、あれなら自分が触っても戻るんじゃないかなー。なんて気もしてくる。
それくらいお手軽に解除されていくからだ。
「アスナにわかりやすく説明するとなー。アスナがテストで全教科満点とるくらい難しいんやでー」
「まじですか?」
「しかもその問題はスワヒリ語で書かれてるんや!」
「なにそれ? 絶対無理!」
「それくらい難しいんやでー」
「そうなんだ……ところで、スワヒロ語ってどこの言葉?」
「スワヒリ語なー。アフリカ東岸部で広く使われてる言語や。ケニア。タンザニア。ウガンダでは公用語なんよ~」
「そうなんだ。凄いのねスワヒロ……」
「いえ、凄いのはそこではなく……」
ここのつっこみ役は刹那が担当します。
「あ、そうよ。そんな絶対無理な事やってたのね」
「そうなんよ。それを難しいと思わせずにやれるからなおすごいんやよ~」
「やっぱりすごいのねぇ」
「せやなー。あこがれるなー。せっちゃん」
木乃香が刹那を向き、にっこりと微笑む。
「そうですね。それでいてとても自然なお二人で居ますし」
刹那は木乃香を見て微笑んで、さらに彼を見て、それをサポートするエヴァンジェリンの姿も目に捕らえる。
そこで二人は関係ないんじゃ? と明日菜は思うが口には出さない。
「そやな~。うちらも負けてられんな~」
「ななっ、なにを言うんですこのちゃん!」
「あはは~」
「ま、このかのやる気がなくなっていないようでなによりね」
「むしろ魔法の勉強やる気でたくらいやよ~」
「うん。ならいいわ」
明日菜は安心し、残ったもう一人の方を見る。
明日菜の視線の先。
そこには……
「……」
ネギが、無言で石化から開放される彼等を見ていた。
元に戻り、抱き合ったりしている人達を。
「大丈夫?」
そんなネギに、明日菜は声をかける。
原点を失う形になったこの少女は、なにを思うのだろう……?
「ぽっかり、心に穴が空いたみたいです……」
自分の胸を、その手で押さえ、彼女は問いに答えた。
明日菜は、ネギの過去を知っている。
この村が襲われた記憶を、ネギに見せてもらった事があるから。
だから、その原点を失った彼女は、前に進むのを止めてしまうのではないかと思った。
「……それで、どうするの?」
もし、アンタがここで歩むのをやめると言うのなら、無理強いはしない。
いや、出来ない。
「はい。僕は……」
「……」
「僕は、母さんに会いたいです……」
その視線の先。そには、アーニャとその両親がいた。
「アーニャみたいに、成長したこの姿を見せてあげたい。ぎゅっと抱きしめて欲しい」
抱き合ったアーニャ達を見て、その欲求はより強くなった。
その姿を、ただ純粋に、『羨ましい』と思った。
「そんな気持ちが、湧き上がりました」
心にぽっかりと空いた穴。
今まであった感情とは別に湧き上がったその気持ち。
母への憧れでもなく、力への渇望でもなく。
それはただ、母に会いたいという気持ち。
ただ、それだけだった。
母を求めるという、十歳の子供としての願いだけが残った。
かつて彼に言われた、子供が親に会いたいと思うのは当たり前。それだけが、残ったのだ。
パンドラの箱が開いたように、最初の闇が吐き出されて残った感情が、それだった。
いや、正確には、生まれたと言った方が正しいのかもしれない。
今まであった感情とは別に、失った穴に新しく芽生えたその気持ち。
「母さん……」
その瞳から、一筋の涙がこぼれる。
ずっとずっと我慢してきた、寂しいという感情。
張り詰めた糸がぷつりと切れたかのように、彼女の目から、一滴の涙が溢れた。
だが、まだ決壊はしない。
それが起きるとすれば、彼女が母と再会した時だろう……
「……そっか。じゃあ絶対にお母さん見つけないとね」
それを見て、明日菜はお姉さんの気分で、優しく言った。
「はい!」
(ふふ、珍しくガキ丸出しね)
そんな姿を自分達に見せてくれて、少しだけ嬉しかった。
「あ、でも明日菜さんも……」
「へ? ああ、私の場合はあんたと違って最初からいないからね。それに、私はもう大人だから! だからこそアンタに会わせてあげたいってもんなの!」
『神楽坂明日菜』は孤児である。その点をネギは謝ったが、明日菜にしてみれば居ないのも当然だったので、そういう感情はもうない。
ネギのように一度出会って、会えなくなったというのならば、また違うのだろうが……
「だから、アンタはアンタの感情を優先させなさい。滅多にそういうのしないでしょ!」
「は、はい! ありがとうございます!」
「感謝なさい」
ふふんと鼻を鳴らす。
「アスナ偉そうやな~。なんもしてないのに」
「このか~」
「あはははは」
復活の喜びの中、一ヶ所だけ暗かった場所に、笑いが生まれた。
「あれやな~」
「なんでしょう?」
木乃香の言葉に、刹那が聞き返す。
「あれや。ネギ君、つき物が落ちたって感じや」
「そうですね」
ネギが背負ってしまっていた暗いなにか。それが、綺麗に消えてしまっているように見えた……
「あれやで。せっちゃんの時と同じやで~」
「私の時と……?」
木乃香が、納得したように言う。
「京都でウチを助けてくれた時。せっちゃんも同じような顔しとったよ~」
うふふ。と、あの時を思い出して、木乃香は笑った。
「そうですね。私も、ネギ先生も……」
影ながら、あの人に救われています。
刹那は再び、視線を石化の解除に奔走する少年へと向けた。
素顔で、人々を救える彼の姿を……
……皮肉なものですね。
宇宙刑事でなくなったからこそ、こうして堂々と素顔をさらし、人を救う事が出来る……
刹那は思い出す。
あの学園祭の時、彼が影ながら、この星を救っていた事実を教えてくれた事を。
世界は救った。
だが、その時の傷が原因で、彼が体を借りていた少年は、完全に死んでしまったのだという。
彼の命を救うために回していたその力を使わねば、自らが死に、この星の命全てが異星人に侵略されてしまっていたから……
だから彼は、私に、宇宙刑事である事を辞めたと言ってきました。
たった一人の命も救えない男に、宇宙刑事という正義を成す事など出来ないと。
大勢の命よりも、たった一人失われた命の方が大切だと言いました。
ですが、学園長より聞きました。その少年は、あなたが来る前に自らの命を絶っていたのだと。
あなたに感謝の言葉を言い、成仏したのだと。
格闘大会でネギ先生が母のナギさんと出会ったように、その遺言を渡すためだけに、この世界へ一度舞い戻ったのだと。
その少年もまた、あなたに救われたのでしょう。
それでもあなたは自分が許せなかった。
そして、もう一つ。
あなたには、この星で愛する人が出来てしまった。
それもまた、この星で犯してはならない宇宙刑事の禁忌……
だから、宇宙刑事の地位を捨て、この星で、その少年の代わりに、生きてゆく事を決めたのですね。
少年の代わりに、その少年の生きた証を、この星に残すために。
その少年として、大切な人を、守るために。
ですから私だけは、忘れません。この心を。あなたが宇宙刑事であったという事を。そして、あなたが今でも宇宙刑事であるという事を!
資格を失ったからなんです。
あなたは私にとって、永遠の宇宙刑事なんです!
むしろ、その資格を捨ててまでこの地球を守る姿は……
……とても、とてもかっこいいと思います!
きらきらと、尊敬の念は薄まることなく、彼を見るその瞳は、より輝きを増していた。
恋という余計な感情はすでになく、そこにあるのは、畏怖と尊敬をこめた、宇宙刑事を見る目だった!
そして一方。石化の治療中に、その刹那の視線に気づいた彼は……
ぐふっ……
また、あのキラキラした目が俺を貫いている……
あの時、全てを清算しようと宇宙刑事は廃業したと伝えたが、やはりダメだった……
むしろ余計に目がキラキラしたような気がする。
いまさら全部嘘なんてこのキラキラした瞳には言えない。
ついでに星を守ったのはある意味事実だから、信じてもらえそうにない。
ただ一つ幸運なのは、もう正体を隠す必要がないって事かな……
ヒーローの姿を演じなくても済むって事かな……
隠せないから余計に大変。という話もあるけれど……
心の中で血を吐いて、しかしそんな事はちっとも表に出さず、俺は刹那君の視線に答えせっせと石化の解除を進めるのだった。
いいんだ……俺の心が傷つくだけで、この子の瞳が守られるなら……
子供の夢は、壊しちゃいけないよね……
こうして、ネギ最大のトラウマである村の崩壊。
そのトラウマは、彼女の心をえぐる事なく、一つの区切りを迎えた。
しかし、ヘルマンに憎しみの原点も刺激されず、この場でそのはじまりすら失った彼女は、そのまま心に抱えるはずだった闇をそっくり失っていた。
闇の魔法に必要であるそれは、目に見てわかるほどに、失われてしまったのである。
──────
翌日、早朝。
復活の宴会もそこそこに、俺達は魔法世界へと旅立つ事となった。
「じゃあ、行ってきます。お姉ちゃん、おじいちゃん、スタンおじいちゃん、アーニャ」
「うん。ごめんねネギ。一緒に行けなくて」
謝っているのは本来なら魔法世界へ一緒に行くはずのアーニャ。
両親と再会したのだから、そちらと一緒にいるのも、ある意味あたりまえだろう。
ネギより年上といっても、たった一つ上の11歳なのだから。
他に居るのは、校長のじーさんとネカネさん。それと石化から復活したスタンじいさんの四人。
見送りを望む人は大勢いたが、ネギの生徒にバレるという理由で少数に限定させてもらった。
かわりに村では、今日からしばらくお祭り騒ぎで残りの子達はVIP待遇でお楽しみとなる。
「気にしないでアーニャ。思う存分おじさんおばさんに甘えていいと思うよ」
「あ、甘えないわよ!」
「あはは」
赤くなった彼女を見て、俺達は笑う。
挨拶も終わり、ネギ達一行は霧の向こうへと歩き出す。
「それじゃ、俺達も行ってきます」
俺の方も、残った人達に手をあげる。
「うむ。君にはいくら感謝してもし足りないくらいじゃ」
スタンのじーさんが俺にまた頭を下げてくる。
「いえいえ。報酬はちゃんといただきましたし……」
ちらりとアーニャを見て。
「……それにどうせ、俺がしなくても、数年すればネギがどうにかしたでしょうから」
むしろ、あいつらのモチベーションの一部を奪う形になってしまったかもしれない。とは思うが、さすがにそれは口には出さない。
「数年早いというのは大きな違いじゃと思うがのう」
「それに、ネギの件でも感謝せねばならぬしな」
交互に言われるとどっちが話しているのかわかんないよおじーちゃんず!
ちなみに上が校長で下がスタンさん。
「別にそこまで感謝されるような事やってませんけどね」
特にネギ!
「では、ワシ等も報酬を払うしかないようじゃの」
俺の話を聞いた校長のじーさんが不敵な笑いをあげる。
そして……
「「ありがとなのじゃ」」
と、爺さん二人が肩を組んで笑った。
「……世界を救える価値があるのは可愛い女の子のなんすけどね」
「そうじゃったかのう?」
「こいつはすまんかったのう」
ナハハハハと笑う。
ははっ。おちゃめなじじいどもめ。
じーさんの笑顔じゃ、村一つがせいぜいですよ。
「そうですよおじいちゃん。かわりに私が……」
そうネカネさんが言い出した瞬間。
「遅れるぞ。アホ」
そのまま必要になる宿のローブのフードをエヴァにつかまれ、そのまま引っ張られる事になった。
「ぐえっ」
ある意味お約束である。
そのままずるずると、引きずられる形で俺とエヴァはネギ達の後を追うことになった。
「それじゃ、また会いましょう!」
しゅっといつものポーズで、じいさん達に別れを告げた。
「ふふ、いってしまったわね」
「ネギの事、頼んだわよー!」
名残惜しそうにするネカネとアーニャが消えた背に言づてを発する。
そしてもう一方じいちゃんず。
「いやはや、またとんでもないお方をよこしたもんじゃ。コノエモンのヤツ」
校長が、霧に消えた少年の背を思い出し、ひとりごちる。
「一体、何者だったんじゃ?」
スタンじいさんが、もっともな疑問を校長へぶつける。
「うむ。ネギはもう一人の『サウザンドマスター』と言っておったが、あやつの手紙によれば、この世に顕現した、日ノ本でいうところの『神』だそうじゃ」
「そいつはまた、とんでもないのう」
「とんでもないじゃろう? 一応、秘密だそうじゃ」
「ま、公には出来んわな」
なので二人で彼にお祈りをささげておいた。
きっと彼が聞いたら、耳を押さえて転げまわるに違いない。
下手すりゃ再建された村に石像とか立っていても不思議はないし。
──────
ネギ達に追いつこうと歩いていると、明日菜君とあやかお嬢さんが話しているところに出くわした。
「ああ、お邪魔しちゃったかな」
「いえ、ちょうどよかったですわ。このおサルさんとネギ先生、よろしくお願いいたしますわ」
「だ、誰がおサルよ!」
むきーっと明日菜君が吼える。
うん。おサルだ。
「任せておきな。エヴァンジェリンがなんとかしてくれるから」
「なぜそこで私にふる」
「俺もまあ、そこそこがんばる」
「そこそこどころではなくネギ先生を全身全霊でお守りなさい!」
「わかったわかった。がんばるから、そっちも頼んだよ」
「当然です。黒服の皆様がしっかりと見張っていますから安心なさい!」
「見張るって?」
俺とお嬢の会話に、明日菜君が疑問を上げる。
「君のクラスメイト。絶対約束守らない子が何人か居るから、プロに行かせないよう頼んでおいた。宿から出させないように」
「あー」
彼女にも心当たりがいくつかあるのか、納得したようにうなずいていた。
「アスナさーん。なにしてるんですかー? はぐれちゃいますよー」
ネギの声が、霧の向こう側から聞こえる。
「つーわけだから、行ってくるわ」
しゅたとしゅっとお別れをして、俺はエヴァと歩き出す。
「あんたにはいつか話すから」
そう言い、あやか嬢に別れを告げ、明日菜君も歩き出す。
「行ってらっしゃいませ」
あやかの見送りも、無事終わった。
一方村。
「いいんちょずるーい!」
泊まっている宿の玄関をがたがたと開けようとするが、びくともしない。窓も試したが、無駄だった。
部屋からは出られた。しかし、外には出られない。
当然ただの中学生しか居ない彼女達では、彼用に増やされたプロの黒服執事の目を潜り抜ける事は出来ず、村に足止めされていた。
なにより……
「ちづ姉どーしてー!」
「あらあら」
さらに彼女達の前には、にこにことその進行を阻む那波千鶴の姿もあった。
「私ね。頼まれたのよ。だから、みんなを行かせるわけにはいかないの」
あやか嬢の黒服への頼みと同時に、彼女も彼から頼まれたのだ。今から行くところは危険な場所。遊び半分で来てはいけない。
だから、彼女達をここに留まらせてほしいと。真剣に。
彼から頼まれてしまったのだ。ならば、その信頼を裏切って、彼を本当に困らせる事は、彼女には出来なかった。
彼をいつも困らせる自分だからこそ、その頼みは、その信頼は、絶対に裏切れなかった……
「だから、みんな。おとなしく待ちましょうね」
なにより、好きな人の役に立てるなんて、最高の誉れなのだから。
その微笑みは、菩薩のようであったが、その前に立つ少女達からすれば、大魔王のようでもあった……
ですから安心して、行ってきて下さい。お二人共。
そして、ネギ先生。皆さん。
私達は、この村であなた方が戻るのを、お待ちしています。
……村の方から、エヴァのクラスメイト達の悲鳴が聞こえた気がした。
「それで、具体的にはどうするんだ?」
ゲートへの道すがら、小声でエヴァが俺に聞いてくる。
さすがにここで起きる事への対処を手伝ってもらうため、簡単な事は説明してある。
だが、フェイトが現れるからそれをどうにかするのを手伝って。くらいの説明のため、そんな質問が放たれたわけである。
「ああ。ゲートに現れるフェイト一行をとっ捕まえて、計画やその背後にいるヤツを白状させる。そして、丸ごと叩き潰す!」
ぐっと、開いた掌を握った。
俺達とネギ一行がゲートに行く日、フェイトがゲートに現れる事は、的中率100パーセントの『○×占い』で○。しかも俺達が来る事に気づいているかは×が出ている。
ならば逆に、そこでフェイトをとっ捕まえて、根本から叩き潰してしまおうというわけである。もし俺と黒幕(『造物主』?)がなにか関係あっても、エヴァもいるから心強い。
先手必勝。そうすれば、ネギも安全俺も平穏ゲットだぜ。
ちなみに、○×でしかわからないので、関係あるかは聞いていない。質問の加減が難しいので、過信しすぎると逆に危険だから。○が出ても×が出ても叩き潰す事には変わらないし。
「あの人形がそう簡単に自白するとは思えんぞ」
「だーいじょうぶ。まーかせて」
懐から取り出すのは……
『白状ガス』
スプレー缶に入ったガス。これを吹き付けられた人は、どんなに秘密にしていたことでもペラペラしゃべって白状してしまう。
エヴァにふきかける。
「はい、しゅっとかけて。エヴァ」
「? なんだ?」
「俺の事、どう思う?」
「大好き」
エヴァの口が勝手に動いた。
「っ!」
エヴァがあわてて口を押さえるが、周囲にいる人達大注目。
当然周囲に居るのは、ネギ達ご一行だ。
みんな突然の事に目を丸くしている。
「もう一度」
「大好き」
「せっかくだからもう一回」
「大好き!」
「とまあ、このように、効果は抜群。なんでも白状してしまうのさ」
「お、おまっ……!」
人前では絶対に言わない事を言わされたエヴァンジェリンは真っ赤だ。
「それでも俺の事は?」
「大好きだ!」
「俺も好きだ」
ぶん殴られました。
「こ、こ、この、アホ!! お前なんて、大好きだ!! ああもう!!」
頭をかきむしるエヴァンジェリンでした。
「ふむ。ちゃんと動けないようにしておかないとダメだな。欠点がわかってなにより」
背中をぽかぽか殴られているが、気にしない。
そんなわけで魔法世界、行ってきます!
─あとがき─
やっと、第1部エピローグ部分で語られた個所に追いつきました。想像以上に話数がかかりましたが、不要な話はないはずなのでこれでいいのだ。
次からが、第二部の本編。いよいよ開幕です。
ちなみにアーニャは素直に帰ってこないネギを連れ戻しにきただけです。
主人公に対して敵愾心を持ってたわけではないので注意です。
しかし、いらんとばっちりを受けてかわいそうにアーニャ。勝手に抱きかかえられて、怒りに振り回されて、最後は二人の世界作られて蚊帳の外とは。
まあ、そんなトラブルも、お父さんお母さんとの再会のための代償と考えれば、きっと安い物です。