どれだけ踏み込めばいい。
吹き飛ばしたネギ少年に対して、高畑先生は初めて構えた。
『おおっと、高畑選手。実力差の宣言から、今大会初めて構えを取りました』
左手はポケットに入れたまま、右手を前に出す構え。
手の平は開いて、まるで通せん坊するようなポーズ。
腰を落とし、ネギ少年の進路を妨げるものだった。
「なるほど」
意図が読めた。
「どういう意味?」
神楽坂が首を傾げる。
よく考えれば分かるようなもんなんだが。
「嫌がらせってことだよ、ネギ少年にな」
「は?」
進入角度の制限。
構えってのは大体繰り出す動作への準備態勢なんだが、上手く使えば相手への行動制限にも繋がる。
両手を前に突き出せば、それが無意識に障害物みたいな壁として感じられて攻めにくくなるし、逆に広げていれば何のプレッシャーもなしで殴りこめる。
隙のない構えってのは、どう攻め込んでも上手くいきにくい嫌な構えってことだ。
それに比べて、今までのポケット入れだと得体は知れなかったが、殴りかかるのに何の障害もない隙だらけの構え。
それをやめたってことは。
『これは、不味いですね』
豪徳寺も俺と同じことに気付いたのか、声を上げた。
「――というと?」
『傍目からは実感はしにくいでしょうが、これはネギ選手に対してかなりのプレッシャーになるでしょう』
プレッシャー。
間合いを詰めて接近戦をやるにしても、あの背丈だと下から潜り込むしかない。
侵入角度が分かれば大体の対応が楽になるぞ。
と、その時だった。
『今まではずっと高畑選手は両手をポケットに入れての打撃――すなわち言うなれば【居合い拳】を使っていました』
豪徳寺が何かに気付いたように、不意に声を上げて喋り出した。
「あ? 居合い――ああ、そういうことか」
豪徳寺の言葉に、俺は気がついた。
「あの変なポケットいれっぱ、そういうことだったのか」
「うん? 長渡の兄ちゃん、分かったんか?」
「まあな」
まあだとしても、普通はあそこまで早くないんだが。
『居合い、ですか?』
『はい。居合い抜きです。武道に関して詳しくない方でも知っている方は多いでしょうが、ポケットを鞘に見立てて目にも止まらぬ、いえ、“見えない”速度差で放っているのです』
そう思っている間にも茶々丸と豪徳寺の解説が続く。
『……そんなことが可能なのでしょうか?』
『普通やる馬鹿はいませんが、理論的には可能です』
確かに普通はやらないな。
なんせ抜いているほうが殴りやすいし。
「まあ、可能といえば可能だわな」
「そんなの出来るの?」
神楽坂がこちらに目を向けて訊ねてきた。
「出来るアルか?」
古菲までだ。
え? 俺、解説役認定?
「ふむ、魔力で拳速を強化しているのは分かるでござるが」
長瀬とやらまでなんか好奇心たっぷりな態度で目を向けてくる。
なので。
「はあ、しょうがねえな」
会場の中で唇に指を当てて、試合を続ける高畑先生を横目に解説をすることにした。
「いいか。正直魔力だの、なんで遠くまで拳が届いているかは知らん」
「ただの拳圧だ。遷音速まで加速した打拳は粘体となった大気を効率よく叩ける」
「――さらっと人間が出したらいけねえ速度用語出すな、そこ」
遷音速ってマッハ0,7以上だぞ、おい。
悪かったな、とまったく反省もしていないむかつく態度でエヴァンジェリンが口を閉ざす。
そして、俺は咳払いして気を取り直し、着ていたコートのポケットを叩いた。
「原理としてはすげえ単純なことで、ポケットに入れた拳を出す。そこまでは分かるな?」
「さすがにそれぐらいは分かるわよ」
神楽坂が頷く。
他の面子も頷いたので、俺は腰を上げると、ポケットに手を入れたまま少しだけ右足を前に出して。
「んじゃあ、質問するが――ここから拳を出して殴るまで、何をすればいい?」
「ん? ポケットから手を抜いて、殴ればええだけやん」
多分理屈を分かってるだろう小太郎が、少し苦笑しながら言う。
ちらちらと試合が気になるのだろう、会場に目を向けている。
「だな、抜いて、殴る。大体二動作が必要だ。居合いでも、鞘から抜いて、斬り付ける、二動作必要になるようにな」
ここらへんは短崎がいれば解説が楽なんだが、いないから俺が説明するしかない。
「つまり、普通はこうする。古菲、ちょっと其処に立ってみろ」
「いいアルヨー」
ベンチから立ち上がった古菲が、俺の前に立つ。
「よし、じゃあ当てないつもりだが、ちょっと受け止めてみてくれ」
俺は軽くポケットから手を抜いて、スナップを効かせた手刀を繰り出した。
シュッと我ながら風切り音がするような手刀を、古菲の首筋寸前に迫らせるが。
「……余裕で見えるアルネ」
古菲はパシッと見事に手の平で俺の手刀を受けた。
ま、当てる気はなかったからな。
「と、こうやるとポケットから引き抜く手が余裕で見えるし、加速も抜いた後にかけないといけないから目に捉えやすい」
「そうよ。高畑先生の居合い拳は全然見えないんだけど」
いい質問だ。
幾ら化け物じみた拳速の高畑先生でも、この手順だったら見える。
「けどな、条件を満たせば見えなくなるんだよ」
「は?」
「古菲、絶対に当てないが、同じようにガードだけしてくれ」
俺はコートのポケットから手を抜いて、“高畑と同じようにズボンのポケットに手を入れた”。
「了解アル!」
「なにするの?」
神楽坂の声と、他の面子の目線。
それを感じながら、俺は足首などの位置を確認し。
「原理は単純だ」
軽く腰を落とす、膝を曲げる、指先を脱力させて、腰を捻る。
――“打ち出す”
「っ!?」
一直線に“打ち込んだ”右手の拳打を、古菲が鼻先の寸前で受け止めていた。
一応寸止めしたんだが、それよりも少しだけ遅い。
「はっ? い、いまのって……」
「居合い拳も、居合いも原理は同じだ。重要なポイントは二つ、“如何に手順を省略し、拳(剣)速を高めるか”だ」
俺はひらひらと抜いた右手で指を二本立てて、ズボンのポケットを叩いた。
ジーンズのポケットから向いていないので、指を差し込むだけだったが。
もっとゆったりとしたポケットなら可能な方法である。
「まず手順の省略方法としては体の角度、完全な後ろ向きのポケットじゃなければある程度前に体を傾ければ抜きやすい」
見たところ高畑先生のスーツのは斜め向きのだ。
ある程度腰を傾ければ抜きやすい。
「次に腰を捻り、手をリラックスさせ、緩めた膝から伸ばした勢いで抜く動作をそのまま相手に叩きつけるように省略化すること。抜いて、殴るんじゃなくて、抜きながら殴りつける。居合いも同じだ、抜いて斬り付けるんじゃなくて、抜きながら斬り付ける。まあここらへんは独自工夫があるだろうから、正解は知らん」
二つのステップを、一つにまとめる。
格闘、武術の類では重要な概念だ。
混ぜ合わせ、連結することで流れを作る。
一つ一つの技ではなく、一個の流れとしての型が重要視される中国拳法とかがこれの最たるものだろう。
原理としてはこれだけで、殴りつけてくる行為と抜きながら殴る行為はほぼ手順的には互角になる。
「そして、一番重要なのが抜いた時点、いや殴りつけるまででどれだけ加速出来るかが鍵だ。これが遅かったらただ殴りつけるよりも遅くて、破れることになる。居合いでは鞘走りとかあるだろう? あれは普通ならどう足掻いても抜刀した奴よりも遅くなる抜き打ちを速くするための技術だ」
へええーと感心する神楽坂と古菲と小太郎に、高音と佐倉の二人。
分かってなかったのか。
「あれ? 居合いのほうが剣速速いんじゃなかったっけ?」
山下が首を傾げる。
お前も勘違い組か、まあ漫画とか映画とかの影響でそう思われてるんだろうが。
「んなわけあるか、馬鹿。普通に考えたら抜いているほうが速いに決まってるだろ? 上から振り下ろすのと、鞘から頑張って抜くのとどっちが速いと思ってやがる。空気を裂くより、鞘で滑ったほうが速いってか?」
「えーでも、俺居合いの動画とか見たことがあるけど目で見えなかったぞ?」
「その種明かしもしてやるよ」
そういって俺はポケットに手を入れて、ばたばたと手を動かしてみた。
「んで、これなんだが。実のところさっき俺がポケットから引き抜いて、殴ったのと。さっきの居合い拳もどきは力の入れ具合は変わってない」
拳速はまあ大体同じぐらいだと思う。自己判断だけどな。
「あれ? でも、くーふぇがさっき慌てて受け止めてたけど」
さっきの方が速かったわよ?
と、居合い拳モドキのほうを差して、神楽坂が首を捻る。
「それはだな」
「――速度差の所為や」
小太郎が辛抱出来へんとばかりに口を出した。
俺は目を向けるが、小太郎が俺に説明させろやと笑って、右手の人差し指を立てる。
「人間の目は不自由でな。あんまり速度差があると、見えるはずの速度でも捉え切れへんのや」
そういって、左手の人差し指を立てて、上に上げると。
見てな、といって上から振り下ろした。ゆっくりと、次第に加速をかけて。
「これは見えるよな?」
他の面子が頷く。
次に左から右に同じように指先を伸ばして、同じように目に見えることを確認する。
「よし、それならこれならどうや?」
そういって小太郎が背を向けると、立てた人差し指を体の影に隠してしまう。
「右手は見えないな」
「そうやろ? じゃあ、こっから左から右の方に指を走らせるで」
そういって次に小太郎が動かした瞬間――伸ばされた右手の人差し指の位置を確認するのに、何名か遅れた。
あ、とか、あれ? とか、そういう声が洩れる。
「飛び出す瞬間とか見えたか?」
後ろに背を向けたままの小太郎が尋ねるが。
「み、見えなかったですー。止まった瞬間しか」
「そか。ちなみに今の速度はさっきまでの奴の指の速度と同じぐらいやで?」
え?
という佐倉の態度に、俺が補足する。
「これが人間の面白いところでな。加速の始点が分からないと急な速度に対応しにくい、そして速度差のあるものにはそっちの方が速いと感じてしまう」
最高速百二十キロの車が道路の向こうから目の前を走り抜けていくのと、高々八十キロ程度のバイクがいきなり目の前を通過した時のようなものだ。
蜂は蝿よりも速いが目に見えるし、蝿は蜂よりも遅いが目に見えにくい。
人間の目はコンピュータのように正確に物を捉えるのではなく、もっと曖昧に処理しながら理解していく。
居合いなどはこれを利用して、速度を錯覚させる。
「居合い拳が見えないのは単純にポケットの中から飛び出るまでに加速を終えているからだ」
だから見えない。
速度差がありすぎて、普通の動体視力だと補足する前に届いて終わっている。
魔力強化とやらで速くなっているならなおさらだ。
早くて、速い拳打。
性質が悪いが。
「しかし、なんで――」
「ネギ!」
ずっと気になっていた疑問を呟こうとした、その時だった。
神楽坂が顔を青ざめさせて、叫んだ。
「ネギ坊主、動くね!」
古菲も声を荒げた。
目を向ける、そこにはネギ少年が転がり避けて。
破砕音と共に、先ほどまで彼が倒れていた床に両足をめり込ませた高畑先生の姿があった。
『回る、回る、回る! ネギ選手を追撃するように居合い拳が降り注ぎます!』
朝倉のアナウンスが響き渡る。
高畑先生からの居合い拳――エヴァンジェリン曰く遷音速近くの打撃が奔って、転がるネギ少年を追い立てるように破砕が繰り広げられる。
木屑が飛んだ。
空気が破裂する。
圧倒的な光景。
「ネギぃ! 負けんなや!」
小太郎が叫んだ、歯を食い縛って。
その時だった。
ネギ少年が破裂するような音と共に転がった状態から、不自然までに上へと跳び上がったのは。
『と、飛んだぁ!?』
ロケットのように吹っ飛んだ。
「瞬動や! しかも、手からやと!?」
「無茶をするでござるな」
小太郎の驚いた声と、長瀬の引き攣ったような声が聞こえた。
一直線に上へと跳ね上がって、重力に引かれてネギ少年が水掘りへと落水した。
水飛沫が上がる。
『ネギ選手、リングアウトー!! き、規定どおりカウント入ります!』
朝倉の慌てた声と共に、ワン、ツーとカウントが入る。
「ね、ネギが落ちたぁ!? 大丈夫なの、あれ!?」
「俺に聞くなよ!?」
神楽坂に襟首掴まれて、ガクガクと揺さぶられながら答える。
俺には分からん。
ただ、自分から飛び込んだってことは多分狙ったってことか?
「黙って見ていろ、小娘」
エヴァンジェリンが割り込むように口を挟んだ。
目を向ければ、足を組み、顎に手を当てた嫌味な姿勢でクックックと笑っている。
「足掻くぞ、どこまで踊れるか分からんがな」
「足掻くって……」
「まあ終わりじゃないさ。そうだろう、タカミチ?」
エヴァンジェリンが呟いたのと同時に、舞台の上で佇む高畑先生も笑っていた。
両手をポケットに入れて、騒がしい観客からの声も無視して、構えを取る。
まだ終わってないと確信しているように。
『……シックス! セブン! エイ――オオオ!?』
――朝倉のカウントが途中で止まった。
それもしょうがない。
水掘の水面がまるで魚雷でも爆発したかのように噴き出し、水柱と共に影が飛び出したから。
「ネギ坊主!?」
「ネギ! いったれええ!」
赤毛の見覚えのある少年が飛び出す。
よりも早く、空気が破裂する音が響いた。
――居合い拳。
僅かに腰を曲げた以外に、高畑先生はまったく挙動無しで打撃音を響かせる。
「――風よ!」
空中でネギ少年が叫んだ言葉と共に空気が爆散した。
そうとしか言えない。
上がった水柱と水飛沫がネギ少年の手前が破裂したように四方に吹き飛んで、その影が体からフードを剥ぎ取り。
跳んだ。
「跳べぇえええ!」
蹴り跳んだ。
ロケットでも付いたかのような空中からの跳躍、掻き消えるような瞬間移動。
ミサイルのような速度で急降下、背後から纏わせていた紫電が前方に迸った。
「いけえええ!!」
雷撃の雨だった。
そうとしか言いようがない。
パッと見十個ぐらいに届きそうな電光が撃ち出されて、高畑先生に直撃した。
何発かは弾いたのかもしれないが、命中したのが見えた。
「直撃や! これなら!」
そして、そこでネギ少年は旋転した。
身体を回転させて、落下しながら――蹴り下す。
全体重を乗せた蹴撃が、引き抜かれた右手で受け止められて。
「どうだぁああああああ!!」
ビリビリと肌を打つほどの絶叫、咆哮。
打撃音と共に腕を蹴り飛ばし、衝撃でよろめく高畑先生に。
弾いた衝撃で滞空、竜巻の如く回転し、斧の如く振り上げられたその右手が。
『クリーンヒットォ!! タカミチ選手、ネギ選手の拳がもろに入ったぁ!!』
――その頬を殴り飛ばした。
直撃だった。
「ぐっ!?」
「いれたぁああああ!?」
「高畑先生!!」
興奮で観客も色めき立つ。
思わずベンチから腰を上げて、俺は見入って。
――聞こえたのだ。
「チェックか」
後ろからのエヴァンジェリンの声と。
「っ!?」
突然に、横へと跳ね飛んだネギ少年が――何かに掠められたようにぶっ飛ぶ姿が。
『えっ!?』
声が上がる。
舞台が吹き飛んだ、破裂し、叩き破られる。
木屑が舞い上がる。
「なっ!?」
『えええええええ!?』
観客からの叫び、悲鳴、混乱。
そうだ。何故気付かなかった。
それをなした、高畑先生の“抜いたままの拳”に俺は歯を噛み締めた。
「あ、そうか。そうだった!」
膝を叩く。
右手を抜いたまま、首を廻す高畑先生を見て俺は迂闊さを実感していた。
さっきまで自分で答えを言っていたのだ。
気付けよ、もっと早く。
「ちょ、ちょっと!? なんで、居合い拳がポケットから抜いた手で出るの!?」
神楽坂が叫ぶ。
――“抜いた手での衝撃波が迸ったからだ”。
『私の予測が正しければ、先ほどまでの見えないパンチは別にポケットが無くても出せます』
その答えを言う前に、豪徳寺が混乱を収めるように声を上げていた。
『どういうことでしょうか? 居合いは鞘、つまりポケットが無ければ出せないはずでは?』
『その通り。“居合い”、すなわち抜刀術は鞘が無ければ成り立ちません。鞘から抜く刀ですから』
そうだ。それが前提条件。
だけど。
『――居合いというのは、“別段抜いているものと変わりません”』
変わらないのだ。
『? どういう意味でしょうか』
『よく勘違いされるのですが、居合いにおいて有効とされるのは納刀した状態。つまり鞘から納めた状態で、如何に虚を突き、“抜いた相手に斬られる前に斬り付ける”かです。昨今の漫画やアニメなどで勘違いされるのですが、居合いは特別速いわけではありません』
どう足掻いても、速度は抜いているもの以上にはならない。
故に。
「そう、つまるところ」
高畑先生が笑いながら、教えるように声を響かせる。
その凶器となる拳は、今までの前提条件を覆す。
『抜刀術の早さは“如何に鞘内で加速させて繰り出すか”であり、その速度は抜刀した状態での斬撃速度と何ら変わりません。いや、むしろ当たり前のことですが抜刀した状態の方が速いのです』
「拳速はポケットに入れなくても変わらないから」
高畑先生が足を踏み出す。
右手だけを抜いて、スタスタと進んで。
「殴るのに何も支障は無いよ」
“拳圧飛ばしには、何の問題はないということだ。”
拳速だけであれをなしていたというのならば、ポケットに入れておく必要なんてどこにもない。
「それでも、僕はっ!」
拳を握り締めて、吼える声があった。
ネギ少年が床を蹴り、瞬動を用いて距離を詰めようと飛び出す。
――前に、高畑の打拳が虚空を叩いた。
抜いたままの腕が撓り、鞭のように大気をぶん殴って――轟風が吹いた。
「っ!?」
掻き消えるように突き進んでいたはずのネギ少年が、途中で顔を仰け反らせて、錐揉みしながら転んだ。
横転事故でも起こしたような凄い速度で舞台を転がって、唾を吐き出す。
『ネ、ネギ選手横転!? 一体今何が起こったのでしょうか!?』
「兄貴ィ!!」
「――瞬動の弱点や。一度やった瞬動は直進にしか移動出来へん、そこで進路角度を見切ってあの拳圧叩き込んだんや」
「あの速度って、下手なカウンターよりやべえぞ?!」
車同士の衝突事故みたいなもんだ。
あれだけの速度で突っ込んで、殴られれば首がもげてもおかしくない。
現に痛みを感じて、ネギ少年が悶えているが。
「そこで止まっていると、いい的だよ?」
高畑先生が音も無く接敵し。
「っ!」
掬い上げるように脚が打ち込まれた。
「跳んで」
轟音と共にネギ少年の体が宙に浮く。
サッカーボールでも蹴り飛ばすように、蹴り上げられて。
「ぅつ!?」
咄嗟に身体を丸めてそれを受け止めているが、何の意味も無く。
「ネギ坊主!!」
高畑先生が軽く跳躍し、その振り上げた脚が斜め下へと下降して。
断頭台のギロチンよりもおぞましく、蹴り込んだ。
「――落ちろ」
ぶっ飛んだ。
そうとしか言いようがない。
何の容赦も、遠慮も、手加減もせずに叩き込まれた蹴りがネギ少年を叩き落した。
体が跳ねる、床が砕けた、スーパーボールみたいに跳ねながら吹っ飛んだ。
『二段ヒットォ! 強烈な蹴りだぁ、ってやりすぎじゃない!?』
ぶっ壊れる舞台以上に、吹き飛んだネギ少年が半端ないほどに酷かった。
一切の減速もなしで、転がり跳んで、舞台の柵にめり込み……血反吐を吐いていた。
鼻血が流れ、口の端から血の泡が見える。
「ね、ネギィ!!! 」
「あわわわわ、死んじゃいますぅ」
「っ、さすがですわね。高畑先生」
神楽坂が泣きそうな声を上げている。
佐倉は慌てて、高音嬢は冷や汗を垂らしていた。
見ているこっちまで痛くなりそうな光景。
「やばいな、ネギ君勝てるのか?」
「さあな。真面目に考えれば勝ち目ゼロだ」
山下の問いに、俺は首を横に振った。
圧倒的に強すぎる。
あの様子だとまだ数個奥の手あるだろうし、一回頬を殴られた以外にはクリーンヒットゼロ。
余裕のある態度から言って、例えあれが高畑先生の精一杯だとしても精神的に優位を持っているのは違いない。
「おいおい、あれはもう無理じゃね?」
「やりすぎだろ、子供虐めだろ」
「ネギ君、もうやめてぇ!」
そんな声が観客の方から聞こえた。
騒がしい非難するような声が上がる。
『おっと高畑選手の容赦ない猛攻に、観客からのブーイングがって――これはもう決まりか?』
朝倉が判断に迷ったように両者に目を向ける。
ネギ少年は……まったく動けていない。
高畑先生は静かにその様子を見下ろしながら、言った。
「カウントを取りたまえ。立ち上がれないようなら、そこまでだ」
冷たく、うるさいブーイングの中でも響き渡る声だった。
重みを持って染み渡るような声。
『りょ、了解です! カウント入ります!! ワン、ツー――』
朝倉がカウントを開始する。
声を張り上げて、そのカウントを響き渡らせる。
「ネギ……くそ、立てや! 俺と戦う前に破れたらあかんっ!!」
小太郎が吼える。
拳を握り締めて、膝を叩きながら叫んだ。
「ネギ坊主、立つね! 諦めたら全て終わりアル!!」
「まだ最後の一瞬まで足掻いてないでござる!」
「ネギ先生!! 頑張ってぇええ!!」
「ネギ先生ぇ!」
古菲が、長瀬が、観客席の方からもネギ少年を応援する声が響く。
無数の声が重なって。
「あの馬鹿……」
一人の少女が声を上げた。
神楽坂が立ち上がり、怒ったように叫んだ。
「バカネギ――! 立ち上がりなさいよ!!! なにやってんのよ!! まだ頑張れるでしょ!! 全力出してないでしょうが!!」
「っ! 声でけえ!」
思わず誰もが手を耳に当ててしまうほどの声だった。
驚いた高畑先生がこちらを見るほどに。
「どうせケチョンケチョンにやられるなら頑張り抜いて負けなさいよ!! こんな終わり方で納得出来るの!? 男の子でしょうが!!」
叫ぶ、叫ぶ、怒鳴るように叫んで。
『ファイブ! シックス――』
「……ん?」
一瞬、何かが見えたような気がした。
ピクリとネギ少年の指が動いた、気がする。
「風が吹くか、追い風だ」
「劇的ダナ、チクショーダゼ」
エヴァンジェリンと人形の声が響く。
楽しそうな、或いは嘲るような笑い声。
『セブン! エイト! ナイ――』
「――まだっ!」
9のカウントが響き渡る瞬間、ネギ少年が目を開き、足を踏み出した。
木屑を踏み潰し、立ち上がる。
『立った!? ネギ選手、戦闘復帰です! しかし、大ダメージです。これは、大丈夫かぁ!?』
口からは赤い涎を流して、鼻からは鼻血が流れたままで、今にも倒れてしまいそうだけど。
目だけは見開いている。
ギラギラと決して負けないと目で訴えるように、歯を食いしばり、拳を突き出す。
「まだ負けてない! まだやれるからぁ!!」
叫んだ、吼えた、歯を食い縛り。
風が吹いていた、フードのない武道着を揺らし、焔のような赤毛を揺らす風が。
「僕は、前へ往く!!」
叫んで、走り出す。
一歩、二歩と罅割れだらけの舞台を跳び出し。
朝倉が慌てて舞台の外へと退避すると同時に高畑先生が笑った。
「いいだろう! 来たまえ、意思だけで、何処まで進めるのか!!」
嬉しそうに微笑んで、その右手が振り被られる。
――打撃。
空気が圧縮されて、音響の壁を破砕する轟音と共に衝撃波が飛んだ。
「どこまで階段を駆け上がれるのか、見せてくれ!」
「ぁああああああ!!!」
見えない拳圧。
不可視のそれに、ネギ少年が拳を叩き付けた。
破砕音と共に木屑が四方に弾け飛んだ。
相殺した!?
「な、兄貴、今のは!?」
「風の矢や! あいつ、無制限で吐き出し続けとる!!」
圧倒的な乱打。
呼吸を止めて、ネギ少年が殴り続ける。
打撃と共に拳がめり込む、めり込む。
たった三発だけど、高畑先生の居合い拳の衝撃波を己の手で打ち砕き。
破れた皮膚から血を流しながら、真っ赤な手の平でそれを打ち砕いて――両足を窪んだ床の淵に叩き付けた。
「あれは!?」
クラウチングポーズのような姿勢から前へ、跳ぶ。
「縮地无彊(しゅくちむきょう)!? いや、それには溜めが足りんでござる!」
「ただの過剰魔力で跳んだだけや、足がもげるで!?」
ネギ少年が消えた。
掻き消えたのではなく、文字通り消えて、轟音が俺たちの肌を打った。
叩きつけられる風に目を瞑りかけて、見えた。
――ライフル弾頭の様に旋回するネギ少年が、殴られながらも飛び込んだ瞬間を。
体当たり。
真っ直ぐにその身体に直撃して、高畑先生が足を舞台にめり込ませながら受け止める。
「ぐおっ!?」
粉塵を巻き上げながら受け止め、高畑先生がめり込んだネギ少年を蹴り上げようとして。
――動かない。
風のようなものが纏わりついて、動きが鈍り。
「拘束っ!?」
「風精の主!」
一瞬でそれを引き剥がすが、それで十分だった。
ネギ少年が光弾を発生させながら腰を落とし、超至近距離から足首を捻り、膝を伸ばし、腰から肩へ、肩から肘へ、全身を捻るように。
奇跡的なまでに練り上げられた発勁の流れのままに。
「ぁああああああああっ!」
その肩と背が、爆撃の如き震脚と共に撃ち込まれた。
「鉄山靠!?」
「貼山靠アル!!」
八極拳の基本的な技であり、もっとも単純な肩と背を使った体当たり。
それはただの一瞬で十分だったのだ。
震脚で割れたひび割れが、舞台の端から中心まで迸り。
叩き上げられたように高畑先生の体が今までのどれよりも激しく舞台の端から、水掘へとぶっ飛ばされるのには。
それが決着の一撃だった。
『ヒットォおお! なんかよく分からない【光る体当たり】で大逆転!! 高畑選手ぶっ飛びましたぁ!! まさに渾身の一撃です!!』
『――ワアアアアアアアアア!!!!』
歓声に沸いた。
この試合始まってからのどれよりもうるさいほどの歓声が上がる、上がる、上がる。
俺も思わず膝を叩いていた。
純粋にやった! と叫んでいた。
「ネギが、ネギがやったわぁ!!」
他の面子がうしゃーと踊り狂っている中、神楽坂も両手を上げて万歳していた。
「あ、でも高畑先生無事!?」
不意に気が付いたように、声を上げる。
あ、と思った。
「あれは……死んだかもしれんアル」
「えええええ!?」
真面目にな。
練りはまだ大丈夫だと思うが、あの勢いだと内臓壊れるぐらいの威力の勁の一撃だったと思う。
そもそも意識が吹っ飛んだかもしれん。
まさかの溺、死?
『た、高畑選手二度目のリングアウトですが――前回以上に巻き上がる水煙で見えません! ですので、一応カウントを取ります!』
カウントが鳴り響く中、水煙が少しずつ晴れていき……
『ワン! トゥー! スリー! フォー! ファイブ!!』
「これで戻ってきたらアウトや。ネギもう戦えへん」
ゴホゴホと咳き込みながら、跪くネギの様子に小太郎が歯噛みしながら呟いた。
もうボロボロだった。
これ以上の戦闘続行は無理だろう。
『――シックス! セブン! エイト! ナイン!』
そして。
『テーン!! カウント10終了!! ネギ選手の勝利確定です!!』
朝倉が手を上げたと同時に、カラーンカラーンという鐘の音が聞こえた。
「十五分経過!! 試合終了! ネギ選手の完全勝利です!!」
『ワアアアアアアアアアアアア!!』
『スゲエエエエエ!!』
『勝ちやがった! 勝ったぞ、子供先生が!!』
『くそおお、賭けが外れた!!!』
『ひゃっはー! 大穴勝利だぜえええ!』
『きゃー、可愛いー! 抱いてぇー!』
色んな声が響き渡る。
うるさいほどに響いて。
ざばっという音と共に舞台の淵に、白い手が見えた。
「お?」
水音を立てて、水面から上がってきたのはずぶ濡れスーツ姿の高畑先生だった。
『た、高畑選手復活!? ですが、カウントは既に取られているので敗北ですよ?』
「ああ、分かってるさ」
朝倉の言葉に、高畑先生が苦笑しながら頷く。
濡れた手で髪を掻き上げると、咳き込んだ。
けれど、その背筋は伸びて、余裕がある。
「うぉおお、生きてた!?」
「ちょ、ちょっと生きてたってどういう意味よ!?」
思わず本音が洩れたのだが、同時に神楽坂に首を絞められた。
「ちょ、おま! やめ、やめんか!?」
やべえ、力強い!
マジ苦しいんだけど!?
「長渡が死ぬアル! ストープネ!!」
そんな感じでなんとか引き剥がしていると、高畑先生が膝をついているネギ少年の手を掴んで。
「いい成長を遂げたね、ネギ君」
「……タカミチ」
そう笑っていた。
優しく、嬉しそうに。
「厳しいことを言ったけれど、そうやって前に進む意思と力を見につけた成長が一番嬉しいよ」
肩を叩き、頭を撫でながら。
「強くなった。本当に……」
そうやって抱きしめていた。
ネギ少年の顔が、高畑先生の胸に埋まって。
「 !」
その肩が震えていた。本当に子供のように震えていた。
見えない嗚咽があるかのように、肩を震わせて、俺たちには聞こえない声で。
声を響かせていた、と思った。
汚してはいけない光景がそこにあったから。
「いい試合だったな」
そう締めくくって俺は目を伏せた。
少しだけ懐かしい思いが湧き上がって来た。
師匠の事を思い出す。
今は居ない師匠が、生きていたらあんな感じだったのだろうか。
「そやな……」
小太郎も同じように目を逸らしながら、手の平に拳を叩き付けて。
「じゃ、次は俺の試合や」
ただ追いつくと、息を吐き出し。
「負けないで、楓姉ちゃん」
「それはこちらの台詞でござる」
小太郎と長瀬の言葉と視線がぶつかっていた。
次は小太郎と長瀬の試合だった。
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これにてネギVSタカミチ戦終了です!
原作とはかけ離れた展開ですいません!!
通常の二話分以上文章量が必要でしたw
幾つかまだ技を出していないタカミチの戦闘でしたが、全力を尽くすのと本気で相手するのは別だと思ってください。
次回は短崎サイドで、小太郎VS楓戦の前半戦です。
忍者対決です。
注意:居合い拳の原理などは欠陥独自の考察と捏造が入ってます。