憧れていた一人だったから。
――ナニが起きたのだろうか。
思考が戻ってきたのは、身体が地面に叩き付けられた後だった。
お腹が痛い、呼吸が苦しい、頭痛がする。
一瞬で障壁が打ち破られた?
違う、障壁越しに殴られただけ。
「くっ」
考えるんだ。
どうして弾かれた?
タカミチのあの技は間に合わない、ポケットに手を突っ込む前に瞬動で飛び込んだ。
なのに。
“空中で、タカミチのパンチで打ち上げられた”。
顎が痛い、追撃の遠距離打撃なんておまけだった。
「うん、実にいい成長をしているよ。ネギくん」
目線を上げると、タカミチは眼鏡を外していた。
歪んだつるを指で直して、僕を見下ろしていた。
「――無詠唱の修得、そして見事な中国拳法の修得。まさか半年も経たずにここまで成長するとは思わなかった」
僕を褒めてくれている。
それは嬉しい。
けれど、怖い。
「っ」
ポケットに手を突っ込んでいる、すぐにでも逃げ出すべきなのに。
隙がない。
どこにも油断がない。
「実に凄いと思う。君の頑張りは昔から知っていたけれど、ここまで成長したのはエヴァのお陰かな?」
そういってタカミチは少しだけ視線を横に逸らした。
マスターの方角に、僕はその間に膝を立てて、切れかけた戦いの歌を唱え直し。
「だから、僕もこう言っておこう」
僕の身体に魔力が充填されるのを待っていたように。
「“その程度では届かない”、と」
タカミチは笑ったんだ。
優しく。
「っ!!」
二ゲロ。
全身がそう叫んでる。背筋が凍りそうで、泣き叫びたくなるほどに。
「成長するんだ。もっと強く、もっと逞しく、もっと辛辣に」
空気が歪んで、僕は。
「 !!!」
全力で逃げた。
瞬動、足裏からの魔力を放出し、反発する。
身体が千切れそうなぐらいに横に瞬動で移動し。
――轟音。
障壁越しに暴風が当たる、僕のいた場所を見えない衝撃が砕いた。ポケットから手を抜いた瞬間はやっぱり見えない。
けれど、分かる。
“あれはタカミチの拳”だと。
「っくぅ!」
滑走していた足を床に叩きつける、折れそうなぐらいに衝撃が強くて。
それでも魔力を流し込み、無理やりに慣性をもぎ取るぐらいに衝撃を強める――瞬動。
前へ、飛び込む。
ポケットから手を抜こうとするタカミチとの間合いを潰し、僕は滑りながら手を跳ね上げた。
金剛八式――翻身降龍。
振り下ろされるはずの掻い潜り、腹部に手の平を打ち込む。
「雷よっ!」
身体の浮遊感、無詠唱での【サギタ・マギカ】を発動する。
一撃だけでいい、叩き込めば隙を作れるは――
「悪いね」
――ず?
「え?」
感じたのはお腹からめり込んだ激痛だった。
タカミチのパンチ、それが“真下から飛び込んできていた”。
障壁が威力を軽減するけれど、痛みがお腹に伝わってきていて。
「殴るのにも」
「っ!?」
――爪先が地面から離れるのと、吐き気が同時に込み上げた。
何故かまた衝撃が感じられたから。
「色々方法があってね」
殴り飛ばされたのを理解し、僕は口から止まらない唾液を零しながらも、距離を離しちゃ駄目だと停止しようとして。
タカミチが跳んだのが見えて。
「くっ」
回避は間に合わない、だから風花・風障壁を張ろうとした。
「――遅い」
それよりも早く、僕の目の前にタカミチの靴底が飛び込んできて。
両手で防ごうとしたけれど、それは。
――今まで感じたことの無い重さと共に、僕は吹き飛んだ。
『ネギ選手吹っ飛んだぁ! 一応舞台外なので、カウント入ります!』
朝倉さんの声が聞こえた。
ただそれだけなのに、気が付いたら僕は背中から痛みがあって。
「うぇ……ぐぇえ」
立っていた場所からずっと後ろに吹っ飛ばされていた。
意識が一瞬飛んでいた。
両手がズキズキと引っ切り無しに痛んで、指がマトモに動かなくて、背中にめり込んだ硬い鉄柵の感触。
お腹が痛い。
食べたものが喉まで込み上げてくる、今にも吐き出しそうになりそうだけど。
『ネギ選手、復活できるか!? フォー! ファイブ!』
「ぐぅっ」
噛み締める。
必死に歯を食い縛って、僕は前を見た。
タカミチは其処にいる。
ポケットに手を突っ込んで、ただ歩いている。
「まだだろう?」
そう言ってくる。
タカミチが待っている。
だから、僕は。
『セブン! エイト――っと、戻ってきた!』
体を起こし、ガクガクと震える足を動かして、舞台の上に戻った。
障壁を張り直し、僕は空気を吸いながら魔力を高める。
「うん、さすがだね、ネギ君」
タカミチが嬉しそうに笑ってる。
だけど、その佇まいはさっきまでとは全然違う。
なんというか待ち構えていた雰囲気から、攻め込むような気配。
「これだけで終わったら、僕たちが戦う意味すらない」
「……意味?」
「さっきも言っただろう? 君はまだ僕にすら届いていないと」
そう告げて、タカミチが右手を抜いた。
左手だけをポケットに入れて、右手を前に突き出した構え。
『おおっと、高畑選手。実力差の宣言から、今大会初めて構えを取りました』
初めて見る構え。
今までずっとポケットに手を入れていたのに、なんでいまさら?
『これは、不味いですね』
「――というと?」
『傍目からは実感はしにくいでしょうが、これはネギ選手に対してかなりのプレッシャーになるでしょう』
解説の豪徳寺さんの声が聞こえた。
『今まではずっと高畑選手は両手をポケットに入れての打撃――すなわち言うなれば【居合い拳】を使っていました』
『居合い、ですか?』
『はい。居合い抜きです。武道に関して詳しくない方でも知っている方は多いでしょうが、ポケットを鞘に見立てて目にも止まらぬ、いえ、“見えない”速度差で放っているのです』
居合い?
『……そんなことが可能なのでしょうか?』
『普通やる馬鹿はいませんが、理論的には可能です』
「よく勉強してるなぁ」
タカミチが感心したように頷いている。
だから多分間違ってないのだろう。
居合い拳。
確か本で見たことがある、確か鞘を使って抜刀する日本の剣術。
でも、それは確か鞘がないと出来ないはずだから、ポケットから手を抜いている右手なら。
『ですが、それは大した問題ではありません。問題は――』
「おっと、そこまでだ」
タカミチが声を上げた。
シーと右手を唇に指を当てると、解説席に目を向けてから、僕に目を戻す。
「これ以上のネタばらしはフェアじゃないだろう?」
「そうだね」
少し休めた。
タカミチはそれが分かっていて待っていてくれたから。
僕は右手を握り締めて、装填したサギタ・マギカを這わせて叫ぶ。
「行くよ!」
「きたまえ!」
僕が踏み出す。
――同時に衝撃が来た、居合い拳の乱打。
計測する、全開状態の風楯なら数発ぐらいなら防げる。
1、2・3・4、5!
「ここで!」
右半身を中心にして打撃が集中しているのを障壁越しに実感し、僕は左半身から倒れるように掻い潜る。
滑る、蹴るのではなく突き進むように。
何度も見た――長渡さんや、他の人たちの走り方。
縮地法。
粉塵が舞い上がる、それの中で間合いを詰めて。
『凄まじいラッシュ! ネギ選手、無事かー!?』
床を踏み、間合いを詰めて――瞬動。
ただの加速として使う、一直線に。
「っ!?」
顔面に衝撃が叩き込まれる、けれどそれは最後の風楯が弾いて。
流れる鼻血を無視して、僕は吼えた。
「おぉお!!」
タカミチとの距離が狭まる。
居合い拳だけじゃ止まらない、止まれないから。
この手で覚えた拳法で競り勝つしかない。
だけど。
「っ!」
攻め込もうとして、突き出された右手が意識飛び込む。
どう攻めるか、一瞬迷ってしまう。
今まではポケットに手を突っ込んでいた構え、だけど今は出された右手が邪魔で、攻め込む角度が限定される。
姿勢を低く、下から攻め込めばいけるだろうか。
「攻めにくいかい?」
「っ!」
タカミチが目を向けてくる。
笑みを浮かべたまま、踵で床を蹴って、右手を曲げた。
――解放っ!
装填していた雷の矢を解放し、僕はその顔に向けて撃ち放つ。
「教えてあげよう」
タカミチが踏み込んできた。
左手が霞む、居合い拳で雷の矢が粉砕される。拳圧で砕かれる、ありえない光景。
でも、僕は!
「しゅっ!」
身体強化した状態で、腰を落とした。
さらに低く、タカミチのパンチが届かないぐらいに。
「風よっ!」
タカミチが足を振り上げる。
それを見ながら、僕は自己流で作った姿勢制御魔法を発動させる。
跳ね上がる蹴り、それを転がって避けて、その後ろに回り込み。
「後ろかね?」
「風よ!」
片足だけで立つタカミチの足を、後ろから蹴りいれた。
幾らタカミチでも軸足を蹴られれば防げない。
そう思って、両手を舞台に叩き付けて、僕は強引に蹴り入れたのだけど。
「なっ!?」
転倒する。
そう思っていたタカミチが跳んでいた。
真上に、ひっくり返るように、両足を並べて落下してきて。
「いい狙いだ」
瞬動――両手から魔力を流し込む。
轟音。
瞬動の応用、両手からの反発で強引に横へと回避する。
「がっ!」
だけど、制御なんて出来なくて。
僕は舞台の上を転がって、肩を、膝を、手を、ぶつけて、擦り剥けて。
「ネギ!」
「ネギ坊主! 動くね!!」
転がりながらも、着地し、こちらに目を向けるタカミチが見えた。
居合い拳がくる。
精霊よ!
今から止まっては避けるのは無理。
だから、速度を速める。
『回る、回る、回る! ネギ選手を追撃するように居合い拳が降り注ぎます!』
うるさいぐらいに物が壊れる音がする。
グルグル回る視界の中で剥がれた床板が見えて、今にもそれが迫ろうとしているのが分かる。
全身をぶつけながら回って、それでも僕はサギタ・マギカを唱える。
一発じゃ駄目だ、三発での雷華崩拳でも無理だった。
最大数まで叩きこまないとタカミチは止められない、通じない!
「だから!」
舞台の端まで届いた瞬間、僕は橋にまで通じた手で魔力を放出した。
強引に飛び上がる、反発で。
右手がもげそうなぐらいに痛いけれど、なんとか距離を取る。
『と、飛んだぁ!?』
身体が浮遊感と共に浮かんで、僕は回る視界の中で眼下に水面が映り。
タカミチに向かって笑って見せた。
酸素を吸い込み。
――水面に落水した。
『ネギ選手、リングアウ――』
目を閉じる。
全身が冷たく感じるけれど、ここでなら居合い拳は飛んでこない。
術式を演算する。
(特殊術式【夜に咲く花】リミット45! 無詠唱用発動鍵設定、キーワード“風精の王”!! 魔法の射手・光の九矢!)
装填する。
僕の吸い込んだ酸素を媒介に、魔力を燃料に、三十秒限定で遅延呪文として封じ込める。
(リングアウト三秒! あと五秒は余裕がある!)
計算する。
リングカウントに間に合うように時間を計測しながら、さらに術式を積み重ねる。
(魔法の射手、雷の九矢!)
右手の発動体を中心に、魔法を発動させ。
雷の矢を形成していく。
(ぐっ!)
ギシリと全身が軋んだ。
無詠唱で、九矢までが修行でも限界だったのに。
光の九矢の遅延、それで全身が悲鳴を上げている。
今にも吐き出したいぐらいに魔力が荒れ狂ってる。
思わず痛みに口が開いて、水が口の中に入って。
「 !」
不味い味が伝わってくる。
思わず咽ようとして、でも無理やり口を閉じて。
――装填が完了した。
(いけっ!)
脚で水中を蹴る。
瞬動っ! ついでに水中酸素を分解し、僅かに風を作り出して、道を切り開く。
身体が上へと飛び出し、光の中に飛び出した。
『セブン! エイ――オオオ!?』
水面から飛び出した。
タカミチが見ている、見上げて。
――大気が砕ける音がした。
両手をポケットに突っ込んだ居合い拳の乱打。
迎撃に出た!?
「風よ!!」
解き放て!
風楯を破砕させて、その爆風で威力を殺す。
そして、僕はフードを脱ぎ捨てて。
「ほうっ!?」
タカミチが目を見開くのが見えた。
「跳べぇえええ!」
蹴り入れる。
濡れたフード、それを足場に変えて空中での瞬動!
フードが衝撃で吹き飛び、捲れあがるのを感じる。
一直線にタカミチへと急降下する。
身体が軽い、そして落ちながら右手から雷の矢を薙ぎ払う。
「いけえええ!!」
九つの矢を撃ち放ち、タカミチに叩き込む。
迎撃するタカミチが両手をポケットから出して、一つ、二つと薙ぎ払うけれど。
「くっ!?」
数発は直撃したのが見えた。
幾らなんでも全てを叩き落すのは無理で、感電したのか一瞬動きが鈍くなる。
そこで僕は旋転し。
「これで」
片足を振り上げて、タカミチへと叩き落した。
迷わず、速度を乗せて、抉りこむように。
「ぬうんっ!?」
タカミチの片手が伸ばされる。
その手の平で受け止められる、けれど。
「どうだぁああああああ!!」
両手を廻す、腰を捻る、風を纏わせながら捻り上げて。
その手を弾き飛ばし、タカミチのガードをこじ開けた。
そして、乗せた勢いのままに僕は拳を突き出して、タカミチの顔を殴り飛ばした。
『クリーンヒットォ!! タカミチ選手、ネギ選手の拳がもろに入ったぁ!!』
「ぐっ!?」
よろめくタカミチが、ゆらりと後ろに数歩下がって。
僕は着地し、撓んだ足から痛むそれも無視して前に向かって。
「風の」
追撃の止めを刺そうとした瞬間。
――ゾクリと背筋が粟立った。
「っ!?」
タカミチが笑っていた。
後ろによろめきながらも口元を緩めていて、僕は咄嗟に真横に跳んで。
――轟風を感じた。
『えっ!?』
「なっ!?」
『えええええええ!?』
舞台の床が粉砕されていた。
“ポケットから手を出したままの、タカミチの拳圧”で。
「やれやれ、避けられたね」
右手を揺らし、首を廻したタカミチが姿勢を低くしたままそういう。
その手は両方共ポケットから出したままで。
「とどめをさせる、そう思わせておいて仕留めようと思ったんだけどね。甘いかな」
「な、なんで?」
一瞬手がぶれただけで、確かに今のは居合い拳だった。
どうして、出せるのか。
ポケットに手を入れないと出せないはずじゃ?
『――私の予測が正しければ、先ほどまでの見えないパンチは別にポケットが無くても出せます』
豪徳寺さんの声が響き渡る。
『どういうことでしょうか? 居合いは鞘、つまりポケットが無ければ出せないはずでは?』
『その通り。“居合い”、すなわち抜刀術は鞘が無ければ成り立ちません。鞘から抜く刀ですから』
ですが、と豪徳寺さんが前置して。
『――居合いというのは、“別段抜いているものと変わりません”』
『? どういう意味でしょうか』
『よく勘違いされるのですが、居合いにおいて有効とされるのは納刀した状態。つまり鞘から納めた状態で、如何に虚を突き、“抜いた相手に斬られる前に斬り付ける”かです。昨今の漫画やアニメなどで勘違いされるのですが、居合いは特別速いわけではありません』
タカミチが両手を掲げて、微笑んだ。
「そう、つまるところ」
『抜刀術の早さは“如何に鞘内で加速させて繰り出すか”であり、その速度は抜刀した状態での斬撃速度と何ら変わりません。いや、むしろ当たり前のことですが抜刀した状態の方が速いのです』
「拳速はポケットに入れなくても変わらないから」
笑う。
両手に魔力を纏わせて、壊れた床を踏み締めながら。
「殴るのに何も支障は無いよ」
そう告げて、タカミチは飛び出した。
遅延呪文、残り二十秒。
僕は、前に進むしか方法が無かった。
*****************************
居合い拳は理屈的には拳速での拳圧を飛ばしているものらしいので。
普通に拳速が変わらないのならば居合い拳はポケット無しでも可能なはずです。
次回は千雨閑話です。
長渡本編で決着まで行く予定です。