俺たちは幸福だ。
拳を握り締める。
足場を固める。
ゆるゆると息を吸い込み、長く長く息を吐き出す。
空は暗く。
風は冷たく。
外からは騒がしい喧騒がまだ続いていて、でも、それでもこの公園では俺と目の前の奴しか居ない。
神経を張り詰める、全身から噴き出す薄い汗の重みを実感する。
「しかし、いつぶりだろうな」
だから、こんなことを呟いた。
「なにがだい?」
目の前に立つ友人、短崎。
左腕は垂れ下がり、右手に竹刀を携え、まるで刀身を体で隠すような姿勢。
事前に大きめの石を排除し、短崎は足袋一足だけの足回り。
動きやすく、油断が出来ないことを俺は知っていた。
「俺とお前で戦うってのは」
「手合わせぐらいならまあ昔はよくやったね」
ニヤリと笑う。お互いに、記憶を思い出す。
昔はよく喧嘩じみた殴り合いをやったものだ。
最初の頃、一年の頃、あの時は互いに暗かった、馬鹿だった。
気心を知れなくて、激突したこともある。
「どんだけ腕が上がったかね」
ニヤリと笑って軽口を叩くと、短崎が不敵に笑った。
「さてね。まあ油断はしない方がいいよ。片腕でも、剣道三倍段の法則は通用するんだから」
「言ってろよ。昔言わなかったか? 中国拳法ってのは、相手が武器持ち前提なんだぜ?」
互いに遠慮をなくすために言葉を交わす。
互いに地面を踏んで、息を吸い出し――飛び出した。
タイミングを図る必要など無い。ただの意気込み、火蓋を切るのは己の選択。
地面を踏み込むではなく、膝を落とす、不安定な体勢から滑る――縮地法。
距離を詰めた、自分でも完全には理解出来ない感覚だけの歩き方、重力を利用しての二歩。距離二メートル。
刹那、短崎が腰を捻った。
「 !」
往くよ、そう告げた気がする。
だが、それよりも速く――剣閃が飛び込んできた。
逆袈裟の抜刀、顔面を打ち上げるように竹刀が振り抜かれて、俺は倒れた。
“打たれるよりも速く”
「っ!?」
剣戟の角度を目測で判断。
いま短崎は左腕が使えない、振るうべき刃の軌道修正は出来ない。
だから、頭上を掠めて振るわれた撃剣の風切り音に背筋を冷やしながらも、俺は姿勢を低く転がった。
飛び込み前転から跳ね上がる、至近距離戦。短崎はもう目の前。
手を伸ばす、体を掴めばやれる。投げるも、引き倒すも自在。
――左手を掴んだ。
「あっ!」
「終わりだ!」
体勢を崩させる、遠慮はしないために左腕を掴んで、俺は脚払いをしながら転ばせようとして。
――肩に衝撃が走った。
「がっ!?」
痛みに、目線を飛ばした。
竹刀の柄尻が肩の肉にめり込んでいて、短崎が笑っていた。手が痺れる、痛みに。
同時に短崎の体が翻る。
左腕の肘が捻られ、同時に体が旋回。強引に俺の腕を引き剥がし、握っていたはずの竹刀を手から落として。
――打撃。
拳が飛んでくる、それを俺は左手で捌く。
パシンっと音が鳴り響いて、短崎の跳ね上げた拳打が俺の手の平と衝突する。
裸拳の硬さに手が痺れる。だがこの程度、へでもない。
さらに蹴りが飛んでくる、膝蹴り。短崎の体術、柔術関係ならば納めている、それを俺は知っていた。
のだが。
「舐めんな」
地をつま先で踏み締める。拳を伸ばす、肘で短崎の膝を捌いて――真っ直ぐに飛び出すような掌打。
短崎の胸板を打つ、打衝。
「がふっ!!」
震脚、地面を振るわせる、足先から痺れる心地いい感触。
手ごたえが浅い。
短崎が地面を転がる、だけどすぐに跳ね起きる。後ろに跳んで避けたのは分かる、知っている。
「投げで終わらせるつもりだったんけどな」
ズキズキと痛む肩、軽く回しながら熱を和らげ、痛みを解消する。
少し痺れた程度、驚きに固まっていたぐらいで動きには支障は無い。
「そうはいかないよ」
ゲホゲホッと咳き込む短崎に、俺は地面に落ちている竹刀を拾い上げて、投げた。
クルクルと回転しながら孤を描く竹刀を、短崎は迷う事無く右手で受け止める。一度地面に剣尖を立てて、柄を握り直す。
真剣勝負だが、これはあくまでも手慣らし。
武器を奪って不利な戦いに持ち込む理由は無い。
「しかし、結構効いたよ」
「威力は殺したくせに、肋骨大丈夫か?」
「まあ、大丈夫」
短崎が微笑む、少しだけ辛そうだ。
とはいえ、自己申告なのだから俺は再び構えを取る。
腰を低く、ずっしりと根付くようなイメージ。
太極拳の構え、化剄を試す。
「今度はそっちから来いよ」
そう告げると、短崎が少しだけ眉を歪めて、だけどすぐに笑って竹刀を掲げた。
また同じタイ捨流の構えだと思ったが、だらりと右手を下げ、剣尖も垂れ下げた。
下段の構えだが、俺は見たことが無い構え。
「? なんだそれ」
「――無形の位」
どこかゆらりとした佇まい。
隙だらけにも見える構えに、短崎はこちらを見据えたまま告げた。
鋭い視線、油断すればあっという間に打ち倒されそうな凄みがある。
暗い夜の中、外灯のおぼろげな灯だけで距離感が揺らぎそうだった。
だからこそ至近距離戦を望んだのだが、今度はこちらが受け。距離は選べない。
「少し試す。しっかりと受けて」
ゆらりと足場を確かめるように短崎が足を躍らせた。
一歩、二歩、三歩と酔ったように歩く。
重心を探っているように、或いは振り回しているように。
一歩進んだと思えば、半歩だけ進んだり。
それらが時折入り混じり、テンポを読ませないように不規則さを選んでいた。
こちらの額に汗が滲む、立ち込める夏の湿気を交えた空気に何故か喉が渇く。
そして、ゆらゆらとした歩調のまま――短崎が半身になりながら跳び込んだ。
跳ね飛ぶような速度、地面を滑るように、右手を突き出す――突き。
風を切るような速度、打突。
「 !」
胸を狙うそれに、俺は推手――太極拳における化剄を行なう。
右手のプロテクターで半ば逸らし、衝撃を後ろ足に流しながら、上半身を捻った。
同時に距離を詰める、短崎の体が迫ったのを理解しながら俺は次なる動作に移ろうとして。
「がっ!?」
それが甘いことを思い知った。
短崎の体が激突する、肩と背をぶつけた体当たり。正しいやり方。
それに俺はたたらを踏んで。
「行くよ」
旋転するように、逆サイドから飛来した剣戟が脇腹にめり込んでいた。
独楽のように短崎の体が回転、あえての不意を突くための動きであり、遠心力の乗った打撃が激痛を与えてきた。
「ぐぅ、この!」
ミシミシと痛むそれに、肺から息が飛び出す。
短崎が軽やかに後ろに下がりながら、袈裟切りに竹刀を振るう。
それを俺は掲げた左腕で受け止め、弾ける打撃音と衝撃に歯を食いしばる。
俺は息を洩らし。
「今の体当たりは!」
「長渡の動きは結構知ってるからね。鉄山靠だっけ?」
頑張って練習したんだ。
そう告げる短崎は楽しそうに手を動かす、しなる剣打。
風を切るそれ、柄を柔らかく握っての弧を描く斬撃軌道。
振るう刃で、一定の領域を作り出す。
揺ら揺らと足を踏み変えて振るい続ける撃剣、体重は乗せ切れていないだろうが、牽制には十分な威力。
目で見て捌き続けるのは困難、距離を取って凌ぐしかない。
そう思いながら俺は後ろに下がるが、それだけ短崎は前に踏み出す。
「悪いけど、逃がさないよ!」
滑るように進む。右手のみをしならせ、動かない左腕をたれ下げながら、短崎が息吹を発し。
俺は興奮で溢れるアドレナリンを自覚しながら、少しだけ見えてきた剣戟に歯を剥き出しにして。
「逃げ」
数を数える、脚だけを見る。
滑るように歩く短崎の呼吸を確認しながら、襲いくる剣戟を裁きながら、タイミングを計り。
――短崎の前足に体重が乗った瞬間。
「ねえよ!」
後退を続けていた前足から、既に後ろ足に重心を移動。虚実を入れ替える。
既に力は後ろ足にあり、飛び込むのに問題は無い。
突撃、剣戟領域の中へと侵入する。距離を詰める。
「ハアッ!」
肩に剣打がめり込む。正中線を描くはずだった振り下ろしの刃を、頑強な肩の筋肉で受け止めた結果。
痛みに全身が痺れる、力を入れたくなる、嗚咽を漏らす。
だけど、それでも両肩を落とし、激痛を堪えながら、距離を殺して。
「つらぁああ!」
強引な踏み込み、それに短崎が反応する。
竹刀を振るうのは諦めて、手を離す。それは正しい。
だが、お前と俺との――体術の蓄積は、蓄勁の差は大きい。殴り合いの術理ならこちらが優る。
腰から力を抜きながら、手を跳ね上げる。しなやかに、力を入れず、勁道を意識しながら。
短崎の肘打ち、それを手刀で受け止めて、掴む。
威力を殺す、衝撃を理解しながらも受け流す化剄。
足を踏み変えながら、体を回す。ギチギチと体が軋むことを理解しながら、体軸を振り回すことを意識する抖勁(とうけい)。
「っ!?」
短崎の体を跳ね上げる、いや、軽く浮かせた。
体重を、衝撃を、力に変える技法。それでたたらを踏ませ、重心を崩す――化剄の真髄。
そして、そこから勁道を巡らせ、呼吸を合わせ、技を貫き通す。
爪先から、踵から、足首から、膝から、腰から、背骨から、肩から、肘から、手から、全てを螺旋で繋げるように。
手、腰、足、目の神経を意識する、一気に動かす、留まることを知らない相連不断、終止連綿とした動作と流れを描く。
ただの崩拳を一撃必殺の打撃に昇華させる動作を紡ぎ上げる。
「 !」
大地を震撼させ、空気を響かせる。ただ目の前の親友に撃ち込んだそれに、全身の細胞が喝采を上げていたような気がした。
夜の闇が薄らいだ気がした。
そして。
ゆっくりと息を整える、燃え上がるようにざわめいた血流を押さえつけるように、宥めるように深く、静かに、熱気を帯びた息を吐き出す。
そうしてクールダウンしながら、俺は落ち着いて手を上げて。
「ふいー、勝利!」
ビクトリーした。
「こ、殺す気?」
派手に放物線を描いて、ぶっ飛んだ短崎がよろよろと呟いていた。
ゲホゲホと息を吐きつつ、苦笑する彼に。
「悪い、悪い。大丈夫、か?」
最後の一撃、会心の拳打を受けて短崎は宙を舞う羽目になっていた。
古菲とか山下たちと比べれば大したことの無い飛距離だが、確かな重みの一撃はグローブ付きでもふっ飛ばしたらしい。
「あー、死ぬかと思ったよ」
やれやれと嘆息する短崎。公園の上を転がった成果、土だらけ。
まあそれは俺もなんだが。
「その程度じゃ死なないだろ、お前は」
ケラケラと笑っておく。
楽しかった。勝利のこと以上に、親友との手合わせが。
アドレナリンが回っているのか、笑い声を上げて。
「しかし、強くなれたよなぁ」
俺は地面に座って、思わず感想を洩らした。
短崎が同じように座って、クックックと苦笑する。
「まあね。昔よりも強くなったよ、長渡は」
「お前も強くなっただろ」
そう実感する。
片腕が動いていれば、きっと負けていたのは俺だと思う。
「そうかな?」
「そうだろ」
そういって、俺は笑った。
空を見上げた。星が綺羅綺羅していた。
「あー、明日が怖ええ」
「もう今日だけどね」
「そんな時間か」
十二時を超えて、後十七時間ぐらい。
大会が始まる。
俺と、短崎と、まあ知り合った連中が参加する大会が。
小太郎に俺は勝てるだろうか。
短崎に俺は勝てるだろうか。
桜咲に俺は勝てるだろうか。
他に誰が参加するか分からないけれど、勝てるだろうか。
まあ諦めるつもりはないが。
「勝ちてえよなぁ」
「負けるつもりで挑む人間はいないよ」
「言えてる」
短崎の言葉に、俺は同意して少しだけ笑った。
「ねみー」
仰向けに倒れこんだ。全身が疲れ切っていて、ちょっとだるい。
寮に戻るのも面倒くさい。
「泥だらけになるよ?」
そういいながらも短崎が横で転がる。
ハァハァと疲れ切った呼吸を洩らす、実は息が切れていたことを明白に証明していた。
空の星を見上げながら、並んで横になる。
「青春だなぁ」
友人と一緒に空の星空を見上げる。
まるで学園ドラマにありそうなシュチエーション、これが夕日だったら友情確定なんだが。
「色気がないけどね」
「言うな。空しいだろ」
ゲラゲラと互いに笑って、少しだけ目を瞑った。
いい友達がいると、俺は喜ぶことが出来た。
多分一生、友達と言える友人がいる幸運を実感する。
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ちょっと短いですが、主人公対決はこれにて。
互いの装備と状態からはまあこれぐらいの実力です。
次回から麻帆良祭、初日になると思います。