僕は子供で。
降り注ぐ雨は止むことを知らないみたいだった。
障壁を展開していても細かく設定していない雨の粒は防げずに通過し、僕の顔にぶつかる。
出来うる限りに高めた飛行速度で激突する雨の粒はひっぱたくように痛くて、だけど僕は止めずに前を見ていた。
「ネギ。すまんかったな、巻き込んでもうて」
声がした。
僕の後ろで杖を握り締める小太郎君の声。
「小太郎君らしくないね。そんな言葉」
かつて戦ったときにはもっと威勢がよかったと思う。
少しの違和感、だけどそれはしょげているからだと思った。
目に浮かぶのは那波さんが攫われた状況、長渡さんを含めた何人もの男の人が倒されていて、怪我をしていて、泣いていた。
だけど、それでも力を貸すと、助けに行くと言っていた。
そんな彼らが凄いと僕は思う。
見習わないといけない、何故か自然にそう感じていた。
「阿呆。折角人が謝ってるっつうのに茶化すな、馬鹿ネギ」
少しだけ元気が出たように、以前にも聞いた気の強さで小太郎君が言った。
「馬鹿って言わないでよ」
「馬鹿は馬鹿やからしょうがないで」
「……少なくとも僕頭結構いいよ?」
知識的な意味でなら。
「男は知識よりも知恵や!」
「のどかさんにしてやられたのに?」
「う、うるさいわ! あの嬢ちゃんのアーティファクト能力知らんかったのはお互い様やろうが!」
髪の毛を逆立てて怒る小太郎君。
「わわわ! ちょっ、コントロールが!」
僕の首が絞められて、杖のコントロールがぐらついた。
慌てて小太郎君が手を離し、呼吸を取り戻すと、神経を集中させて制御を立て直す。
「す、すまん」
「いや、僕もごめん」
何故か二人で謝った。
そして、僕は飛行魔法の高度を上げると、そろそろ見えてくるだろう世界樹の広場に目を向ける。
視界の邪魔になるので障壁の高度を上げて、雨の礫を蹴散らすようにする。
「器用やな、ネギ」
ピューと口笛を吹く小太郎君。
「やけど、覚悟は決めたほうがええで。この間のままやったら、あのオッサンには到底勝てへんわ」
「そんなに強いの?」
「ああ。正直今の俺やと、二人掛かりでもキツイと思う。多分俺と戦ったときは手を抜いてたわ」
どれだけ強いのだろうか。
僕は結局その姿を見ていない。ただ小太郎君から話を聞いただけ。
あんなにも沢山の男の人を倒してしまうぐらいだから凄く強いのは間違いないのだろうけど。
「大丈夫だよ。僕もあれからかなり修行したから」
エヴァンジェリンさんに毎日毎日ぶっ飛ばされる日々。
エヴァンジェリンさんに毎日毎日血を吸われる日々。
エヴァンジェリンさんに毎日毎日杖で叩かれながら座学をする日々。
そして、毎日朝早くから走り込みをして、寝る前と起きた時には柔軟体操をして、古菲さんから教わった型を合間合間に繰り返し鍛錬して。
「ウ、ウフフフフ」
ああ、思い出すだけで吐き気が込み上げてくる。
風が異様に冷たくて、ガタガタ震えてきた。
何故だろう。障壁で雨をシャットアウトしているのに。
「大丈夫か、ネギ? 顔色悪いで!」
「き、気にしないで」
小太郎君が心配そうな顔をしているが、僕は慌てて首を振って脳裏に浮かんだ辛い思い出を蹴散らす。
「みっちりと基礎を積んだから魔法の援護と、簡単な近接戦なら出来ると思う」
「へえー。あの殴るのは苦手やった、お前がなぁ」
感心した、とばかりに笑う小太郎君。
「ま、ええわ。手数は多いほうがええ、切り札の瓶は破壊されてもうたし」
小太郎君がまだ握り締めていたらしい小さな瓶の欠片、それを投げ捨てた。
学園に来るまでにあのおじさん――ヘルマンという人から奪ったものらしいけれど、小太郎君がやられた時にきっちりと破壊されてしまったらしい。
「封魔の瓶ッスね」
「カモ君」
首筋にしがみ付いていたカモ君が、のっそりと顔を上げる。
「それに封じ込められてたのは間違いねえんだな?」
「ああ、そう見たいや。俺をスカウトしに来た時、そう言ってたで」
そもそも小太郎君がここに来るまでに脱走してきたのは、関西呪術協会の反省室に入っていた時にヘルマンから誘われたかららしい。
流儀に合わないといって断った後、戦って瓶を奪って逃げたのは凄いと思うけど。
「せめて、ここに来る前に電話の一本や二本しておけば簡単なだった気がするんだが」
カモ君。
それいったらお終いだから。
「う、うるさいわ! というか、俺はここの電話番号知らんし! 財布もなければ、キャッシュカードもヤサに置いたままやったやで!? 十円もない生活が分かるかぁ!」
「金がないのは首がないのと同じこととはよういったもんだ」
カモ君と小太郎君の口喧嘩に、元気だなぁと思いつつも僕は前を見た。
そろそろ世界樹の広場が視界に入ってくる。
「――あそこ?」
「ばかデカイ樹やな? おった、あそこや!」
小太郎君が前に顔を乗り出し、指を指した。
その方角に僕も目を向ける――居た。
誰かが立っているのが見える。十字架みたいなので縛られている髪の長い女性と、透明な――多分水の障壁が一つ、二つ、三つ。
そして、その前に佇む黒い格好をした人物。
――何故かざわりと背筋に寒気が走ったのは気のせいだろうか。
「ヘルマンや!」
あれが。ヘルマン?
遠くて顔がよく見えない、けど小太郎君が断言している。
「むむ! 確かに皆捕まってるようだぜ、兄貴。あとまだ長渡たちは来てないみてえだ」
カモ君の言葉。
僕よりも視力がいいカモ君ならば間違いない。
皆がそこにいる。
「よし。ネギ、射て! 先制攻撃や! 派手に目を引いて、潰せるうちにやってまえ!!」
「え?」
「牽制だって、いけ兄貴!」
「わ、分かった!」
僕は杖に左指を絡め、右手を掲げながら詠唱を開始する。
――ラス・テル マ・スキル マギステル。
始動キーを宣言。
――風の精霊17人 縛鎖となって敵を捕まえろ。
魔力を織り交ぜながら、術式をイメージとして流し込み、詠唱を持って発現内容を精錬する。
風が強い。
故に風のエーテルが豊富な空気を吸い込み、雨粒を飲み込みながら、僕は口を開いて。
「魔法の射手 戒めの風矢!!」
――解放する。
17連のサギタ・マギカが風の精霊と共に舞い飛び、一直線にヘルマンへと直進する。
豪雨にも負けないぐらいに放たれた風の矢は唸りを上げて、世界樹のステージへと着弾し――消し飛んだ。
「弾かれた!?」
「障壁か!?」
「いや、違う。無効化されたみたいだぜ!」
黒服の人物――ヘルマンが手を掲げた時、サギタ・マギカが消されたように見えた。
それは一体?
「行くで、ネギ!」
「うん!」
けれど、考えている暇もなく、僕たちはステージ前に辿り着き、滑り降りるように着地する。
雨に濡れた石畳は滑りやすかったけれど、僕らはしっかりとブレーキをかけて降り立ち、ステージ前の石段上から顔を出した。
「来たで、おっさん!」
「みんなを返してください!」
そう告げて、ようやく僕はステージの上に立つ黒衣の人物の顔とアスナさんの状態に気が付いた。
黒衣の人物――どこか同郷人に似た顔立ちの老人。立派な髭を揺らめかし、どこか楽しげにこちらを見上げている背の高い人。
その顔に見覚えは無い。
そして、その横で十字架に縛られている明日菜さんは何故か白いドレスを着ていて、綺麗なペンダントを胸元に下げながら、磔にされていた。
「ネギ!」
「アスナさん! 大丈夫ですか!?」
「私は平気よ!」
「ネギ先生ー!」
「ネギくーん」
「おお、弟子ヨ!」
のどかさん、このかさん、古菲さん、朝倉さんに、ゆえさん。
何故かこのかさんを除く四人が裸だった。うう、直視しにくい。
そして、その左右の水牢に那波さんと――刹那さんが気絶しているようだった。
「っ」
僕は歯を噛み締める。
まただ。まだ僕の所為で――
「助けるで、ネギ」
静かに耳に飛び込んできた声に、僕は慌てて頷いた。
そうだ。
自分を責めている暇なんてない。
それよりも早く助けるんだ。
「あなたは一体誰ですか!? こんなことをする目的は!?」
大きな声で叫ぶ。
今にも飛び出したくなる自分を押さえつけるように、少しでも情報を得るために。
だけど、黒衣の老人――ヘルマンは飄々とした態度で。
「いやはや、すまなかったね。手荒な真似はあまり主義ではないのだが、ネギ君」
僕を知っている?
「――人質でも取らなければ本気を出せないと思ってね」
「本気?」
「どういう意味や!」
「なに。私は君たちの実力が知りたくてね。これは仕事を兼ねた趣味といったところだよ」
そう告げると、バサリとコートを翻しながらヘルマンが前に踏み出す。
踏み潰された雨粒が舞い上がり、靡いた裾が水滴を蹴散らす。
「っ」
――まただ。
どこか吐き気が込み上げてくる。
頭痛にも似た嫌な予感が胸から這い上がってくる。
汗が止まらない。喉が渇く、不味い味に口がいっぱいになる。
「返す条件はまあ簡単だ。私を倒せば彼女たちを返す、それでどうかね?」
そして、ヘルマンは帽子のつばを黒い手袋を嵌めた二本指で挟んでなぞる。
「はっ! 最初からそのつもりやったわ!! いくで、ネギ!」
小太郎君が犬歯を剥き出しに吼える。
「うん!」
僕は付けていた眼鏡を外し、ポケットに仕舞いこんだ。
(最低でも気を引くんや)
(分かってる)
短くアイコンタクト。目的は忘れていない。
小太郎君が気を練ると同時に、僕も口内で短く詠唱を紡ぐ。
自己魔力供給――【戦いの歌】
「いけるか、兄貴!」
「いくよ!」
魔力が全身に充填される。
体が熱い、力が湧いてくる、何もかも振り払えるぐらいに強く。
僕は地面を蹴り飛ばす。
小太郎君が横で併走する。
二人で向かう。
「よろしい! すらむぃ、あめ子。ぷりん。手を出さないでくれたまえ」
見えない誰かに呼びかけるようにヘルマンは嗤うと、僕らに向かって拳を引いて。
「っ!?」
嫌な予感。地面を蹴り、僕は右前方に体を動かした
刹那、雨粒が“砕かれた”。
見る暇もなく突き出されていた手の軌道に沿って。
「なっ!?」
十数メートルは離れているのに、暴力的な風が僕の頬を浅く凪いだ。
拳圧というべきか。
魔力の兆しは感じなかったのに、ここまで風が吹き付けていた。
ただのパンチだというのに。
「かっ! これが全力か、おっさん!」
一足早く、ヘルマンの懐に飛び込んだ小太郎君が拳を打ち出していた。
けれど、顔面を捉えようとした小太郎君の拳は軽く傾けたヘルマンに避けられて。
「がっ!?」
その腹を蹴り上げられていた。
続いて跳ね上げられて、ステップを踏んだヘルマンが脚位置を踏み変えながら、腰を捻り。
「チョッピングライト――」
――サギタ・マギカ。
小太郎君を叩き落した瞬間、僕は背後に辿り付いた。
「といったかな? ネギ君」
振り返るヘルマン。
その胸元に、僕は溜め込んだ魔力を装填した光の矢を。
「ウナ・ルークス!」
一矢だけ解放した。
手の内側に隠しておいた初心者用の発動体、その尖端を突き出し、踏み込みながら放つ。
最低でも常人なら卒倒確実の破壊力。
だけど。
「キャアア!」
何故かアスナさんの悲鳴と共に掻き消えた。
障壁の反応もなかったのに。
「え?」
どうして。
そう考える暇もなく、すぐに視界が暗くなり。
「遅いよ」
「兄貴ぃ!」
僕は殴り飛ばされたのを知った。
障壁ごと貫いて放たれた迅い拳が頬にめり込んで、激痛を感じる暇もなく僕は転がりながら石畳の上に墜落した。
痛い、痛い、痛い。
「うっ、く!」
頬がズキズキして、涙が零れそうになって、でもすぐに立ち上がる。
ヘルマンが其処に要るから。
ただ悠然と拳を前に出して、構えている。
悠然と佇んでいた。
「どうしたのかね? まだ私は立っているぞ、早く来たまえ」
ちょいちょいと指を曲げて、アピールしてくる。
僕はその背後ですでに起き上がっている小太郎君を見ながら、足を滑らせて、告げる。
「風の精霊よ! 水の精霊よ!」
手に付着した雨水を啜り、激しく噛み砕きながら、エーテルを練り混ぜた言葉を発す。
「吹け 一陣の風!」
初心者用ステッキを腰に差込み、父さんの杖を発動媒体にして、指を走らせる。
「詠唱、させると思うのかね?」
ヘルマンがどこか呆れた顔で飛び込んでくる。
石畳の水の上をまるで氷のように滑り、流れる大気をも蹴散らすような速度。
「風華」
詠唱は間に合わない。
だから、打ち出してくるヘルマンのパンチ。その軌道から跳び離れる。
バックステップ。
身体強化を掛けての後退、ブローとなるヘルマンの拳の軌道からはちゃんと逃れる。
「逃げてどうする?」
こうします!
「――風塵乱舞!!」
魔法が効かない、理由は分からない。
だけど、僕は風を生み出し、“大地に叩きつけた”。
チャプチャプと踏み出せば激しく水飛沫の上がる大量の水溜り、それを巻き上げるために。
視界が一瞬で埋め尽くされる、大量の“水”で。
「水のカーテン、だと!?」
普通なら意味がない。
圧倒的に水分が足りないけれど、僕は風の精霊に伝えた。
水のマナを練りこめて、共に踊って欲しいと。
雨とは空から降り注ぐ雨水とそれを降り注がせる大気の流れ、その全ての集合現象。
風は水と共にあり、水は風と共にある。
もしも僕に妖精眼があれば、共に歌い踊る風と水の精霊たちが見えただろう。
ここは世界樹の傍。
理由は分からないけれど、他の地域よりも濃密な魔力――外部魔力であるマナが豊富な地域。
常時よりも機嫌がいい精霊たちは、多少の無茶を聞き遂げてくれる。
「なるほど、考えたな。だが、それでどうす――」
ヘルマンの濁った声が終わるよりも早く、何かが弾けた。
切り裂き、飛び込む三陣の人影。
「こう!」「する!」「のや!」
水のカーテンが晴れる瞬間、其処にあったのは三人の小太郎君。
三方からの打撃、蹴撃、組みかかり。
それらを彼は即座に殴り飛ばすけれど、全部は叩き潰せない。
「うるぁあ!」
たった一人逃れた小太郎君がヘルマンの喉に蹴りを打ち込んで。
「これで!」
父さんの杖を振り被り、ヘルマンの足首を殴った。
上下、左右、方角からの一撃。
どうやっても一瞬止まる。そこに。
「――犬神流・空牙!!」
真上から飛び込んでくる小太郎君本体の気弾が落下する。
回避なんてさせない。
避けるなんて許さない。
魔法が防げても、これなら!
「ほほう?」
パチュンッと何かが弾ける音がした。
「え?」
「なっ?」
気弾が、はじ、けた?
「ァアア!」
アスナさんの苦痛に満ちた声が聞こえた。
「むんっ!」
一瞬呆然としていたけれど、力を抜いたつもりもなかった。
だけど、僕と小太郎君(分身)が振り上げたヘルマンの両腕に吹き飛ばされた。
足元から引っこ抜かれるように単純な力技で。
「ネギくんっ!」
「ネギ先生―!」
生徒たちの悲鳴が聞こえる、だけど僕は返事する暇もなく着地して。
「大丈夫か、ネギ!」
「う、うん。それよりもアスナさん!」
目を向ける。
アスナさんは白いドレスの裾を揺らしながら、ぐったりとうなだれていて。
「だ、大丈夫よ……」
「で、でも」
どうみても大丈夫そうじゃなかった。
明らかに消耗していて、辛そうだった。
なんで? どうして?
「実験は成功のようだね」
そう考えた時、声が聞こえた。
「放出方の呪文、さらに言えば攻性型の気にまで影響を与えるとは素晴らしい成果だ。さすがは――“黄昏の姫御子”というべきかな?」
「たそ、がれ?」
「え?」
僕とアスナさんが疑問げに眉を歪めた時、ヘルマンは口元に手を当てた。
「おっと、喋りすぎてしまったな」
全て予定通りというように嗤う。
そして、降り注ぐ水溜りに波紋を広げるようにステップを踏む。
「さて、ほぼそちらも分かっているだろうが。今回は我々がその能力を利用させてもらった」
パチャン、パチャン、パチャン。
水が撥ねる。
水が撥ねる。
飛沫を上げて、嗤う、嗤う、嗤う。
「さあ足掻きたまえよ――ネギ・スプリングフィールド。“英雄の息子よ”」
そして、どこかで雷が鳴って。
ゴロゴロと光った稲光が一瞬だけ――その姿と影を違うものに見せたような気がした。
それは人の顔じゃなくて。
それは人の形じゃなくて。
それはそもそも人間なんかじゃなくて。
「ぁ」
僕は込み上げる吐き気を押さえ切れない。
僕は全身が震え出す。
ガタガタと腹のそこで何かが吼えていた。
「まだ夜は長く」
足掻けと。
「この夢は終わらないのだから」
さもなくば失うだけだと。
****************
ネギ閑話前編はこれまで。
次回は刹那サイドです。
魔法の詠唱とか書いていたら違和感を覚えたのはナイショですw