眠ることも出来ない奴がいる。
木曜日。
俺がそいつと出会ったのは木曜日の放課後で、なおかつとある図書館だった。
具体的には図書館ではないのかもしれないが、一応図書館としての役割を持った建造物。
その一階。
休憩場となっている広場の中心。
そのベンチの上で。
指一つ動かさず、身じろぎ一つせず、うつ伏せに、奇妙な体勢で、ベンチにひっかかった同じぐらいの年頃の男を目撃した。
痛いぐらいの静寂の中で。
軋みそうなぐらいの圧迫感のある無音の中で。
そんなものを見かけた俺は常識的判断を持ってこう叫んだ。
「死んでるー!!!?」
恐怖でだらだらと全身から嫌な汗が吹き出して、足元が震えて、ようやく事態を飲み込んでから叫んだ俺の判断は決して狂っていなかっただろう。
ただし。
「!?」
死体(?)が俺の声と同時にびくりと痙攣し、ベンチから転がり落ちて、流れるように、或いはばね仕掛けのように襲い掛かってこなければ。
「うひゃあああ!?」
「ぁあああああ!!」
俺は逃げ出した。
ただし、回り込まれた。
どうしょう、ボスからは逃げられない。
なんでこんな目に遭っているかというと、俺は授業を終えてここ――図書館島に本を借りに来たのだ。
まだ古菲も修学旅行から帰ってこないし、山下たちとも今日は練習する予定もない。
部活に出てもいいのだが、最近は本を読んでなかったと思い直してここに足を運んだのだ。
よく勘違いされるのだが、格闘系に入っているからといって本を読まないわけじゃない。
俺だって年頃の男子高校生だし、漫画も小説も読むし、同室の短崎も普通にそれらを嗜む教養性はある。いや、奴の場合は時代劇小説を読みながら、煎餅を齧ってお茶を啜るのが至福だという顔をするので、少し例外かもしれんが。
それにまだ学生の身分だし、親の仕送りに頼って、現状手持ちのバイトもしてない身となれば本などにかける金はあまり余裕が無い。武術などの技巧書などはマニアックなために、少数生産で、自然と値段が高いのは出版業界の定めなのだろう。
となれば、麻帆良でも最大規模の図書施設である図書館島に足を運ぶしかないのだが。
「……これもおかしいよなぁ」
あまりの大きさにため息を付く。
図書館島。
麻帆良学園都市に建造された世界最大規模の蔵書量を誇る図書館。
学園創立と共に建設されて、第一次と第二次大戦の戦火から貴重な蔵書を避けるために異動、地下への内部増設を繰り返したあげく地下の構造全てを把握している人間がいないというダンジョンじみた建築物。
地下三回以下には盗掘者除けのためにトラップが仕掛けられているほどだと図書館探検部員から聞いた話だが、正直眉唾というか少し呆れるものである。
まあ幸い地表部はまともな図書館として機能しているし、それだけでも大抵の図書は揃うので不自由は無い。
健気にも一階で図書館機能を動かしている図書委員の子から図書カードを受け取って、本を借りようと進んだのはいいのだが――
参考書類がある奥の書棚に行こうとして、その途中においてある休憩用ベンチに横たわっていたゾンビ(?)に襲われたのだった。
「どわぁ!?」
俺は突如襲い掛かってきたゾンビ(?)に思わず蹴りを叩き込んでいた。
コマンド、たたかうである。
「がふっ!?」
サッカーボールを蹴るような蹴撃を叩き込んでしまったのだが、ゾンビ(?)はゴロゴロと蹴られた勢いのまま転がって、壁に激突。
バタリと手を落として、身動きしなくなった。
「し、死んだか?」
俺は警戒しながら近づいて、爪先で突いてみた。
コマンド、調べる。
「……」
なにもおこらない。
どうやらただのしかばねのようだ。
「なーんだ、ただのしかばねか」
ふぅっと額の汗を脱ぐって、俺はスタスタと足り去ろうとして。
「だれじゃあ! 俺の睡眠時間削る馬鹿は!?」
むっくりと起き上がったしかばね(元)に、目を向けることになった。
「って? あ? なんだ?」
こちらを不思議そうに見るのは激しく不機嫌そうな顔を浮かべた男だった。
獣のように歯をむき出して、長身痩躯の体つきに、ざんばらに切った髪形。
転がったせいで埃塗れの学生服に、なおかつ特徴的なのが……目の下にくっきりと浮かんだクマだった。
「……お前、本当に死人じゃないのか?」
「あ?」
「クマがすげえんだけど」
ていうか、死相が出てる。
思わず突っ込んでしまうぐらいに。
「あー、まずい?」
「はっきりとやばいな」
「そ、そうか……」
はぁっとため息を吐き出すと、そいつはポケットから取り出したブラックガムを噛み始めた。
凄まじい勢いでかみしめて噛み始めて、まるでドリルでも動かしているような動きで噛みながら学生服の埃を払い落とすと。
「ん? そういえば、お前……長渡か?」
そいつはいきなり俺の名前を呼んだ。
「? なんで俺の名前知ってるんだ?」
当たり前の質問に、そいつは何故かがっくりと肩を落として……重々しく告げた。
「……クラスメイトだろうが」
「へ?」
クラスメイト?
いや、しかし、こいつの顔に見覚えが――まてよ?
すげえ目の下のクマを無視して、緩みきった顔を見れば、あー。なんか見覚えがある気がする。
えーと、確か名前は。
「もしかして、三森か? 三森 雄星(みもり ゆうせい)」
「正解」
そう笑う三森 雄星。
うちの高校の生徒会書記をやっている男だった。
とはいえ、あまり話さないクラスメイトでもあるし、確か今週に入ってから一度も教室で姿を見かけなかったような。
「お前、学校にもこないでなんでここで寝てるんだ?」
「あ? ああ、ちょっとな」
ク、ククククとどこか壊れたような笑みを浮かべて、三森が肩を震わせる。
「少し、ほんの少しサボってただけだけなんだ。だってなぁ、睡眠時間足りないんだもん」
「は?」
「眠い、眠い、眠い……ぁぁああああああ……」
そこまで告げると、三森はおもむろにベンチに倒れこむと、ブツブツとうつ伏せになりながら呟き出す。
……あのくそ会長……おれの睡……時間……一日……一時間……か……くそ教師の後始……吸血……殺す……事務……理雇え……などなど、途切れ途切れに呟き、泣きながら悶えている。
どうやら違う世界へのトリップを開始しようとしているようだった。
「くそぉ、睡眠時間たりねええ。頭痛が痛ぇ、幻覚見えそうだし……」
「ちゃんと寝ろよ。ていうか、どうかしたのか?」
あまり話したことのないクラスメイトで、少々気が引けていたのだが。
さすがにこんな様子だと突っ込まざるを得ない。ていうか、なんか面白いなお前。
「あ~、ん、ちょっとな。ここ一週間近く一日一時間睡眠です、ええ」
だらだらベンチで転がりながら告げる三森。
「死ぬぞ!?」
いや、真面目に。
あと不眠だと幻覚見るらしいな。
「分かってるよ! 死にそうだよ! 漫画じゃねえんだ、人間寝ないと死ぬんだよ! 栄養ドリンク飲んでても身体ガクガクだよ!!!」
と、叫んで三森はガバッと起き上がりながら吼えた。しかも、何故か泣いていた。
「分かるか!? この気持ち!! この苦しさ!?」
「いや、分からないんだが」
他人の気持ちなんて分かりません。
とりあえず滅茶苦茶死にそうだというのは見れば分かります。
「くそ、分かれ! 分かってくれ――」
睡眠不足特有のいらついた口調で、三森は叫んで。
「あのー、うるさいのでお静かにしてください。図書館なので」
中学生ぐらいの、図書委員の少女に怒られました。
「あ、はい」
「ごめんなさい」
声がよく響いてましたね。
静かなので。
二人で一緒に謝りました。
とりあえず落ち着こう。
俺がイチゴマスカットジュースを、三森がワサビミルクジュースを飲みながら、休憩所のベンチに座っていた。
そして、話をしていた。
ちなみに話題の内容は八割方三森の愚痴です。
生徒会長が笑顔で無理難題言ってくるだの、副会長は毒舌が酷いだの、新しく入った会計はドジっ子で使い物にならないだの。
救われねえな、おい。
「んで、つまり生徒会の仕事の最中でサボってたってことか? あー、イチゴと葡萄って合わせちゃいけねえな」
「ん、まあ、そんなところ。うへー、辛いような甘いような」
互いに言葉の後半部分は飲んだジュースの感想である。
何故か知らんが、図書館島の内部に設置されている自動販売機には奇妙な飲み物しかない。
今飲んでいる二つなんてのはまだましなほうだ。
麻帆良の生協でも同じような狂った飲み物が売っているが、チャレンジャーな奴ぐらいしか変わらないんじゃないだろうか? とたまに思う。味覚が変な奴は好むらしいが、ああ、あと人生に刺激を求めるような奴とか。
まあその分安めなのが懐には優しい。
「で? 俺は詳しく知らないんだが、そんなに生徒会忙しいのか?」
麻帆良祭の前とかに死に掛けている生徒会の人間とかを見かけることはあるが、普段からさすがに死に掛けているような姿は見たことが無い。ていうか、見た覚えがあったら忘れられそうにないし。
「ん~、普段は少しは寝れるんだけどな。ちょっと今年は忙しいんだ、特に先週辺りからな」
どんよりと沈んだ目で、遠くを見る三森。
やべえ、こいつ死相が深まってやがる。死兆星とか見えてるんじゃないか?
「事情は知らんが、ちょっと寝ておけ。お前死ぬぞ、マジで」
なんていうか自殺間際の人間を見ているような気分です。ええ。
「ですよねー」
ズズーと飲み干して、三森は静かにため息を吐き出すと。
「まあいいや。とりあえずもう少しで作業終わるんで、今日帰ったら寝れるから」
よろよろと立ち上がった。
「だ、大丈夫か? 産まれたての小鹿みたいになってるけどよ」
「た、多分平気だわ。三十分は寝れたし、愚痴ったから少し気分が晴れた。サンキュウな」
そういって三森は震えた足のまま、図書館から出て行った。
また教室で会おうぜ、そんな言葉を残して。
「……大丈夫か?」
しかし、俺は不安を隠せなかった。
歩き去る三森の背中に――死神が見えたような気がしたから(多分幻覚だが)
その後、俺は図書館で三冊ほどの柔術の武術書と二冊ほどの小説を借りて図書館島から出た。
そして、翌日学校に登校すると朝から泣き崩れて、怨嗟の声を上げている三森を見たのは言うまでも無い。
「仕事が増えてるぅううう! 京都が、京都がガガガガガ!」
とのことである。
まあイキロ。あと日本の古都がどうした?
これが俺と三森が友人関係を始める切欠だった。