息する事すらも楽しい。
大地を踏み込む。
柔らかく、堅く、重く、軽く、重力の楔を意識しながら手を振るう。
背骨が鳴る、軋みを上げながら手首をしならせて、指に柄を絡めて振るう。
一閃、二閃、斬撃を繰り返す。
素振りをする。
何度も何度も同じ軌跡を描きながら剣を振り翳し、踏み込み、加速する。
びゅんという風を切り裂く音が耳に届く。
手から汗ばんだ柄がすっぽ抜けないように意識をしながら、上から下へとしっかりと振り抜く。
慣れない時や疲れたときには振り抜くたびに身体が動くので、しっかりと地面を踏み締めて、流れるように振り抜くことを忘れない。
そして、その大気を切り裂く感覚はいつでも身を引き締める。
「……998……999……1000……っと」
僕は決めた数まで木剣を振り抜くと、静かに息を吐き出して、残心を行なう。
手元に収めるまで油断せずに、警戒を行い、最後に確認を行なってから手元にしまった、
「ふぅ」
肋骨が少々痛むが、この程度では動きに支障は無かった。
腹式呼吸を行い、少しクラクラする頭に酸素を送る。
近くのベンチにかけておいたタオルで僕は汗を拭った。
ビッショリと汗を全身に掻いていた。
両手が熱く、踏み込み続けていた足裏ももまた少し熱いぐらいだった。
「こんなものか」
あとは走り込みでもしたいところだけど、肋骨はまだ完治しているわけじゃないからやめておく。
「ふぅ、今日はこの程度にしておくかな」
僕は木剣を袋に仕舞い、その口を結ぶとタオルを首に巻いたまま寮へと戻った。
寮には既に長渡は居なかった。
走り込みにでもいったのだろうか。
夜じゃなくてまだ朝だから多分大丈夫だとは思うが少しだけ不安な気持ちを押さえ込むと、僕はジャージを脱いですぐにシャワーを浴びた。
さっぱりとした状態で僕は私服に着替えると、タオルで髪を拭く作業もそこそこに外に出る。
財布をポケットに、木剣を入れた竹刀袋とエコバックを肩にかけて寮から少し遠くの場所にある業務用スーパーに向かう。
目的は買い物。
育ち盛りな上に、生活習慣的に消費カロリーの多い僕らでは普通のスーパーの量では足りないのだ。
とはいっても普段はちょこちょこ買い足しているから普通のスーパーに寄るのが大抵なのだが、今回は理由がある。
ここ連日ずっと外食だったおかげで部屋には食料が殆ど消えていた。
米もそろそろ少なくなってきたし、すぐに食べられるようなものは昨日の夜には食べ尽くしてしまった。
昨晩死闘の如き十五回ジャンケン勝負で負けた僕が泣く泣く買いに行く羽目になったわけで。
「うぅ、疲れた~」
二十分後、僕は大量の食料を入れたエコバッグを肩にかけて、左手にはエコバックに入りきらなかった食料を入れたスーパーの袋を握ってとぼとぼと歩いていた。
時刻はもうお昼にかかりそうなぐらいで、既に太陽は真上に昇っていた。
「はぁ、お腹空いた」
思えば朝食を取っただけで、それから何も食べてない。
素振りをしてカロリーを消費したので、お腹がぐぅぐぅ鳴りそうだった。
寮に変えるまで持ちそうになかった。
なので。
「あ、すいません。ミートソースダブルサイズで。ああ、あとシーザーサラダとオレンジジュースをお願いします」
手近な場所で見つけたオープンカフェで僕は休憩をすることにした。
注文を受け取りに来たウェイトレスのお姉さんにメニューを注文し、僕は買い物袋とエコバックをテーブルの下において、竹刀袋だけは椅子に立てかけておく。
お冷の水を飲みながら、僕は適当に注文した品が来るのを待っていた。
その時だった。
「あ」
オープンカフェの外側、道を歩いている知り合いの姿に思わず声を上げた。
「おや、カケルネ?」
僕の声に気付いて振り返る少女。
それはお団子頭をした知り合い、超 鈴音だった。
ガラガラと旅行用バックを引きずり、ハオッとこちらに手を掲げてくる。
「超オーナー、昨日ぶりですね」
「ここは超包子じゃないヨ? オーナーはやめるネ」
苦笑を浮かべると、鈴音さんは滑らかな足取りで僕の斜め前の席に座った。
「ふう、ちょっと休憩ネ」
「せめて座ってもいいかどうかぐらい確認して欲しかったんですが」
「ワタシとカケルの仲ね、細かいことは気にしないヨ」
……ただのバイトとオーナーの関係でしか無いような。
と、思いながらも反論出来ない弱気な僕がいる。
年下相手なのに、ちょっと情けないと自覚はしている。
「お待たせしました。ミートソースのダブルサイズとシーザーサラダとオレンジジュースですね?」
「あ、はい。以上であってます」
そうこうしている内に注文の品が来た。
僕はそれを受け取り、鈴音さんがジュースを注文しているのを見ながらタバスコとチーズをたっぷりとミートソースに振り掛ける。
そして、勢い良く食べ始めた。
「……いまさらだけど、よく食べるネ」
「ん? そ、そうかな?」
ミートソースのパスタを絡めて、口の中に突っ込みながら咀嚼。
シーザーサラダのレタスを続けて口に放り込むと、僕はよく噛み砕いた。
これぐらい、平均的な男子高校生なら食べるぐらいだと思うよ?
まあこれぐらいだと腹七分目程度だけど。
「ふむ、ダイエットとか考えなくていい男は気楽ネ」
「あれ? 鈴音さん、ダイエットとかしてるんですか?」
それはよくないと思った。
あまりにも太りすぎならともかく、中学生ぐらいの年齢でダイエットとかそういうものは気にすべきじゃないと思う。
成長段階の肉体に無理な制限とかはつけないほうがいい。
「んー、まあさすがにしてないけどネ。これは一般論ヨ」
「そうですか」
僕は頷きながらパスタを口に放り込むと、不意に思い出した用件を告げる。
「あ、鈴音さん。超包子の休店っていつからですか? 確か来週一杯、修学旅行ですよね?」
昨日バイトに行った際に店の調理長である四葉五月、オーナーの超鈴音、用心棒の古菲までもが全員同一のクラスであり、同じように麻帆良女子中学三年生として修学旅行に行くことは伝わっていた。
その間は超包子を開くわけにはいかないから、自然とバイトは休みになる。
稼ぎどころが無くなるのは辛いが、仕方ないと諦めていた。
「正確には月曜から土曜ネ。修学旅行自体は火曜からだけど、月曜日までやっていると五月も疲れてしまうカラ。土日はしっかりカケルにも頑張ってもらうヨ?」
「はいはい、了解です」
バイトのオーナーらしい言葉に僕は頷きを返す。
例え年下の中学生の少女とはいえ、バイト先のオーナーである。立場はこっちが下だった。
大体必要な要件を聴き終わると、僕は話題が尽きたので大人しくパスタに意識を向けた。
黙々と二人前はあるパスタをお腹に収めていったのだが……
「そいえば、カケル。昨日は聞き忘れたガ、その怪我どうしたネ?」
「え?」
ぴっと鈴音さんの指先が、僕の脇腹に向けられる。
今だに脇腹をコルセットで固定している。不自然にも盛り上がったそれを昨日のバイト時にも見られてはいた。
けれど、この段階で聞かれるとは想像もしてなくて。
「あー、この間車に撥ねられたんですよ。それで肋骨にひびが入ったんで」
これは嘘じゃない。
ただし、その後のゴタゴタでより怪我を負っただけだった。
「ふむ。車に撥ねられるとはついてないネ」
「ええ」
確かについてない。
しかも、その後に長渡が行方不明になったし、不運にも程がある。
まったくもう二度と同じような目に合いたくない。
「けれど、車に撥ねられた割には――“怪我が軽いネ”」
その言葉にどこかドキリとした。
「え?」
「コツンと出てきた途端にぶつかる程度に済んだのカネ?」
「あ、ああ。そんなものです」
僕は咄嗟に返事をしながらも、僕は記憶を思い返す。
そう返事したのはいいものの、実際車でどう轢かれたのか記憶に“まったくない”。
程度も分からないのだ。
そういえば警察からの事情聴取とかもないなぁ。いつ来るのか心配してたんだけど。
「ま、五体満足なのは良い事ネ」
ニコリと微笑み、鈴音さんはそう告げた。
お互いに注文したジュースを啜ると、鈴音さんはすくっと立ち上がる。
「それじゃ、御代はここにおいて置くネ」
いつの間にお金を取り出したのか、手を開くと小銭が机の上に置かれた。
その手が滑らかに動くと、席の横に置いておいた旅行用バックの取っ手を握る。
「そろそろ私はいくよ」
「お気をつけて」
一応年頃の少女だ。しかも、すこぶる美少女と来てる。
麻帆良の治安がいいとはいえ、少しは心配になるのもしょうがないだろう。
「ハハハ、心配は不必要ヨ」
鈴音さんはどこかおかしげに笑う。
そして、歩き去りながら。
「そうそう、カケル。強くなりたいなら、剣道部にでも行くといいヨ」
「え?」
「面白い子がいるネ」
静かにそこまで告げると、たっとどこか現実離れした軽やかさで鈴音さんは立ち去った。
「剣道部?」
僕が学んでいるのは剣術だ。
剣道じゃない。
故に剣道部には入らなかった。
変な癖がつくとか、そういう大したものじゃないけど必要性を感じなかった。
けれど。
「最近は問いかけが多いなぁ」
親切には意味があると思う。
竹刀と木剣と真剣には違いがあると思うけれど。
修練にはなるだろうか?
「月曜日にでも覗いて見ようか」
今日はバイト、明日は朝からバイトをして、昼から道場に行く予定だった。
師範に聞いてみようか。
違うものを学んでもいいかと。
「はぁ」
僕は息を吐き出す。
立ち上がり、荷物を持って、レジにいき、お金を払いながら考える。
止まっていた時間が動き出したような気がした。
そして、後に思い出せばこの時がきっかけだったのだろう。
謎めいた少女、桜咲 刹那と深く関わることになるのは。
何時か来る決着の時までの時間を歩むために。