願いは叶うことはないのだろうか。
悲しくなる。
辛くなる。
切なくなる。
人生は理不尽だ。
思い通りになることなんて、私の生涯で何度あっただろうか。
たった一つの護りたいものは護れなく、自戒のために離れて、悲しませている。
我侭な決意。
我侭な贖罪。
誰も喜ぶことは無く、自己満足なのに私は満たされない。
だけど、足掻くことを忘れることは出来なかった。
意味が無いのかもしれないと察しながらも、私は怒りを覚えた。
空回りして、空回りしてもいつか望んだものに辿り付けると浅はかな願いを託して。
「――何故、彼に手助けをしたのですか。珠臣さん」
私は声が強張ることを自覚しながら、怒りを盛らした。
目の前で木製のベンチに腰掛ける女性、珠臣に私は憤っていた。
何故私がここに来たのか。
その理由は簡単だ。
先日ネギ・スプリングフィールドとエヴァンジェリンの闘争、それに予定外の人物、魔法生徒でもない一般人が乱入したこと。
乱入したのは短崎 翔という人物。
私の知っている人物、私の所為で怪我をした人間。
彼があの現場に辿り付いたきっかけであり、その情報を与えた人物が目の前の彼女だということは即座に判明していた。
短崎 翔がこの麻帆良において交友関係を結んでいる裏の住人は彼女しかおらず……そして、学園都市に正式に所属しているわけではない中立存在だったからだ。
「何故、ねぇ?」
けれど、珠臣は私の言葉など涼風のような態度で息を吐くと。
手に持った湯飲みを傾けて、茶を啜った。
「友人を助けたいと願っている男の背を押すのは悪いことかね? せつ嬢ちゃん」
「悪くはありません。けれど、彼は一般人です。何故みすみす危険に向かわせたのですか。数日中に彼の友人は無事保護されて、戻されるはずでしたのに」
そうなのだ。
彼、短崎 翔の友人である長渡 光世は事態収拾後、しかるべき処置を受けて無事に戻るはずだった――と、私は聞かされていた。
記憶処理と治療を施されて、何の問題も無く今日の午後には帰ってくる予定だった。
その予定から考えれば、彼のやった行為は無駄骨だった。
意味が無いと、誰かに笑われるようなものだった。
けれど、私は思う。
彼の行為はきっと正しいのだろう。
おそらく自分でも、“彼女”が行方不明になったのならば飛び出すだろう。
例え力が無くても、理性では無駄だと語っていても、その時自制出来る自信などなかった。いや、もっと酷い事をするかもしれない。
表面上は冷静を取り繕えても、心は未熟だと痛感する。
自分も騙せない言葉はむなしく響くだけだ。
けれど、それでも、私は否定しなければいけない。
――彼は一般人だから。
経歴を洗った。
過去に“特異”な経験をしているようだが、正真正銘彼は気も使えず、魔法も取得していない常人だと判明している。
裏の世界の能力者、魔法使いたちの闘争に飛び込むのは危険過ぎた。
自身の担任教師である少年は自覚していないだろうが、魔法とは、或いはそれの相似にして鏡面能力である気は常識の理を超えた結果を弾き出す。
対策も装備も能力もない人間が飛び込むというのは、銃弾が飛び回っている戦場に身一つで飛び込むのとほぼ同義だった。
今、彼が重症を負ったとはいえ、生き延びているのは一重に運と一連の張本人であるエヴァンジェリンの従者、茶々丸の優しさによるものが大きいだろう。
また同じことがあれば生きて帰れる保障は無い。
五体満足で生存出来る保障も無い。
だから、私は否定する。しなければいけない。命と身体と引き換えになるものなどないのだから。
「ふぅ……」
私の弁に、珠臣はため息を吐き出した。
そうだろう。事務的な言葉だ、納得はしても、聞く気にはなれないだろう。
「なぁ、刹那。人の命ってのはなんだろうね」
「?」
「まったく。無駄に力ばかりあり過ぎるから、即物的な判断しか出来やしない」
茶を飲み干して、珠臣は湯飲みをおぼんに置いた。
そして、指先でその垂らした黒い髪、私でも憧れるような艶やかな髪を手櫛で撫でると、軽く掻き上げた。
「人に特別なんかないのさ。力があっても、力が無くても、やりたいこともあるし、やらないといけないこともある」
珠臣はそう告げながら視線を私に向けた。
長身で座高の高い彼女は座っていても、私とあまり目線が変わらない。
「そして、それに挑まないとね。心が腐ることがある。肉ではなく、骨でもなく、血でもなく、魂が淀んで腐臭を放つのさ」
そうなったら見れたものじゃない。と、彼女は首を横に振った。
「なら……それで彼が死んでも構わないと?」
「望むのならばね。力を貸して、背を押してやるさ。最後の決定はタン坊が決めたのさ」
カラリと珠臣は笑う。
空気を吸い込み、息吹を発しながら笑う。
ただそれだけの行為なのに、それはとても凄いものだと思える。
貫禄の差だろうか。その身に刻んだ年月の差か。
「――それでおごがましいと叩き潰されても、それはそれでしょうがない」
「っ。無責任な!」
「最後に責任を取るのは自分さ。私はアイツの保護者でもなければ、親でもなく、師匠でもないからさ」
突き放すような冷たい言葉だった。
けれど、それはどこか託すような言葉でもあった。
「私は刀工であり、武器打ちでしかないよ。戦うための道具を与えても、勝つための道具など与えられない。道具は道具であり、武器は武器であり、担い手は使い手であり、使い手は敗北、勝利を掴み取るものだ。全てはそいつ次第さね」
「ただの他人だと?」
責任は取らん。
どうなっても知らん。
関係は無い、と告げるような言葉に。
何故か私は少し怒りを覚えた。
自然と言葉が鋭くなるのが分かる。だけど、珠臣は私の言葉に楽しそうに歯を見せて笑って。
「カカカ! そこまで言ってないさ。ただ抗うものと叩き潰すもの、襲うものと歯向かうもの、どっちが正しいなんて本人の主観だけで、どっちが勝っても負けてもしょうがないってことさ」
と、そこまで告げると彼女はおぼんの位置をずらして、ベンチに隙間を空けた。
彼女の横が空く、それと同時に手招きされた。
「座りな。いつまでも突っ立っていると、私が苛めているみたいだろ?」
「……分かりました」
折角の申し出を断る勇気と厚かましさを持っていない自分が憎い。
おそるおそる珠臣の横に座った。
その瞬間だった。
「しかし、相変わらずアンタの髪は柔らかいねぇ」
スッと自然な仕草で、髪を撫でられていた。
思わず頬が赤くなり、撥ね退ける。
「や、やめてください!」
「……そこまで嫌がらんでもねぇ」
私の言葉に、ふぅーとどこか傷ついた様子で珠臣は息を吐き出した。
とはいえ、いつものことだ。
この人はどこかからかうのが生き甲斐なところがある。この程度の拒絶に傷つくどころか、それで罪悪感を持たせてこちらが困った顔をするのが好きなのだ。
何度もひっかかった手法だった。
「……それで話を戻しますが」
「ん? まあいいさね」
「結局のところ反省はしないということでしょうか? 一般人を裏の領域に飛び込ませたことに」
「……頭が固いね。アンタのおでこも硬そうだけど」
ツンツンと額を突かれた。
一本目は耐えた、二本目は許した、三本目は我慢したけど。
五指揃えて突かれたのに、私は思わず声を上げた。
「でこは関係ないでしょう!」
「関係あるさね。まあ頭の中身と頭蓋は関係ないかもしれんがね」
カッカッカと笑う珠臣。
調子が崩れる。惑わされそうになる、この人は刀工ではなく、魔女ではないかと少し思えた。
神鳴流。
それらに使う野太刀や刀、大太刀などを打っている刀工は数多いわけではないが、珠臣はその中でも特別に近い刀工だった。
名うての刀鍛冶は数多く裏に存在し、進化する時代に合わせて術式を交えた性能の高い刀剣を作り出しているが、珠臣はそれの真逆だった。
源流とよばれる鍛冶師たち。
質のいい鉄と火、そして槌。
ただそれだけしか使わない。
彼らの鍛冶技術の全てを知るわけではないが、徹底的にそれら以外を排除した刀作りをする人物。
そう、排除だ。
“人間という穢れすらも可能な限り取り払う排除行為”
彼女たちは肉を食べない、合成物を食べない、穢れを祓い続けて、人間というものに含まれる少なからずの穢れを抜き出し、透明にし続ける。
臭みを取っている、とかつて彼女は告げた。
料理の下ごしらえのように軽い言葉だが、その重みは深かった。
彼女が打ち出す刀剣はどこまでも純粋であり、ありとあらゆる刀剣よりも気の伝達率が高いものとなっていた。
基本性能こそ劣るものの、使い手次第でどこまでも強くなる刀。
鋼の殻を纏った水のようだとかつて誰かが形容した。
そして、その珠臣の刀工の一人が目の前にいる彼女であり、今は不在している男で二人。
それが私の知っている限りだった。
噂によれば珠臣というのは一族であり、彼らが作るのは魔に濡れ、術に満ちて、力を膨れ上げさせた魔導具の数々だと聞いているが、それとは真逆の彼らは何なのだろうか?
頭をしつこく突いてくる彼女の脇、そこからうっすらと見える傷跡が関係しているのだろうか。
私は知らない。
多分知らないままのほうがいいのだろう。
「やめてください」
「ん? 怒ったかね」
私は彼女の指を止めて、静かに呟いた。
「話を戻しますが、反省はしていない。そう報告してもいいんですか?」
「まあ事実だからね。隠すほうがせつ嬢ちゃんの身が危ないんじゃないか」
「私はいいんです。それよりも、学園としては一般人を裏の領域に飛び込ませるという行為に危険性を抱いています。今回はよかったですが、もしも死傷していた場合、取り返しがつかない過ちになりました」
誰かが死ぬ。
人の命は儚いものだと、壊れやすいものだと知っているものはそう語る。
だけど、それを避けられるならばどれだけいい事だろう。
そう。
短崎 翔。
彼が死ねば必ず悲しむものが出るのだから。
――私と違って。
「結果よければ全てよしとは言えません。今後同じようなことを繰り返す危険性があれば、珠臣さん。貴方と節さんの両者がこの麻帆良で危険視されるのですよ? それを受けるのは賢明では――」
そう言葉を続けようとした時だった。
不意に視界が暗くなり、温かいものに包まれた。
胸だ。
抱きしめられた。
「な、珠臣さん!?」
「カカカ。不器用だねぇ、分かり難くて苛立たせるような言葉遣いしか出来ないのかい?」
離れようとする。
だけど、隻腕のはずなのに、彼女の力は強くて、離れることは出来なかった。
ただ温かった。
「そんな優しさじゃ分かってもらえるのは少ないよ?」
「……別に構いません」
「嘘吐きさね。優しい人間は傷つくんだ、傷つかないのは無関心な奴だけさ。いい事をやっていると思ってニコニコ笑っているだけなのは、善人じゃなくて無関心なだけだよ」
柔らかかった。
息が少し苦しかったけど、温かくて。
心臓の鼓動が聞こえた。
少しだけ落ち着いた。
「もう少し器用にいきなよ、愛されるように」
「……私は」
「憎まれて、嫌われて、冷たくなって――誰にも取ってもらえないモノほど悲しいものは無いさね」
髪を撫でられた。
抱きしめられた。
何故彼女は優しくしてくれるんだろうか。
何故温めてくれるんだろうか。
分からない、私には分からない。
分かったら、今の私が壊れそうな気がして……
「別にいいんです」
私はその言葉を否定した。
同時に優しく彼女の腕を引き剥がす。
「そうかい」
引き剥がされた腕に、そして私の目を見て彼女は静かに息を吐いた。
ため息だと分かった。
話は終わったのだ。そう判断して、私は立ち上がり、立ち去る準備をする。
「あの爺に伝えておきな。いい事をしても嫌う人間は出るのだと、多くを救ってもその過程に零れたものは怨むのだと、嫌われる覚悟を持って誰かを育てろと言っておけ」
「はい」
「あと最後に」
それは珠臣には珍しく掠れる様な声だった。
もう少し風が強ければ聞き逃しただろう。
言葉。
「――“英雄は作るもんじゃないとね”」
その言葉の意味は私には分からなかった。
そして。
そして。
私は帰る。
まだ授業は続いているだろう、連絡を伝えるためとはいえ早引けしたことに対する罪悪感が湧きあがった。
あくまでも護衛任務としての一環としての学生だというのに、そんな執着心がある自分に少し驚く。
私は歩きながら息を吐く。
中学生も後一年。
義務教育を終わればまた京都に戻り、神鳴流剣士としての任務に付くか、それともこれからもこの学園で学生を続けるだろうこのちゃんの護衛を続けるために進学するのだろうか。
後者ならいい、と漠然と思った。
嫌われても、一緒にいられるなら。
このちゃんの傍にいられるならそれでいい。
いい、筈だ。
「?」
そう思った時だった。
麻帆良市内に戻る道行、そこで一人の人物が歩いてくるのを見かけた。
短崎 翔。
先ほどまで話していた張本人。
珠臣のところに行くのだろう。工房へと続く道なりを歩いていることが簡単に予測できた。
私は息を吐く、ため息に。
彼は怪我を負っていた。
右腕は包帯に覆われて、コートのように羽織った上着の裾からは脇腹に付けたコルセットが見えて、足は包帯に覆われてサンダルを履いている。
じわりと額には汗が浮かび、痛みを感じているのが分かる。
あんなにも、こんなにも、怪我を負っているのに――いつかまた何かあれば飛び込むのだろうか。知ってしまうのだろうか。
なければいい、いや、私たちがそれを無くすだろう。
絶対に関わるような事態を二度と起こさない。
そうすれば彼は平和に生きるだろう。痛みを覚えないだろう。
だけど、
「っ」
私は表情を変えぬままに、息を飲んだ。
右手の指が軽く動いて、左手の裾が動いた。肩に背負っている竹刀袋の中の重みを理解しながら、彼は少しだけ歩き方を変えた。
彼は警戒していた。
何故? 当たり前だ。
二度目の接触、偶然とはいえ少し怪しまれるだろう。
先日にあんな目にあったのだ、警戒心がないほうがおかしい。
「」
だから――
私は歩み寄りながら、静かに唇を開き。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
彼が言葉を返す。
初めての会話だった。
温和な声音だった。
だけど、私は彼の筋肉と意識が少し弛緩したのを感じて――
「――忘れたほうが身のためです」
瞬動で彼の背後に回りこみ。
「え?」
振り向く彼の喉元に五指を突きつけた。
そこまで反応は無かった。
彼は私の動きに追いついてはいなかった。
「――今貴方は死にました。喉笛を引き千切られて」
これは真実。
彼は弱い。彼は脆い。彼は強くない。
私たちの世界には相応しくないほどに普通で。
「静かに生きてください。耳を塞ぎ、目を閉じて、叫びを上げず、気付かぬふりをすれば、平穏に生きられます」
私は彼の目を見た。
戸惑い、呆然とし、驚愕し、そして睨み返す彼の瞳を。
強い人だと思う。
だからこそ、弱く生きて欲しい。
関わらないで、危険から避けるように生きて欲しかった。
だから、言葉を冷たくする。
彼と他の力の差を教え込むために。
「珠臣と関わるのは止めなさい。あの二人は異端です、気狂いです。触れ合えば後悔するのは貴方です」
それは真実。
裏の人間である彼女。珠臣が二人。組織に所属しないフリーの刀鍛冶師たち。
あの二人とかかわり続ければ、彼はきっと何かに巻き込まれそうな気がした。
友人を助ける、ただそれだけで命を捨てるかもしれない戦いに入れる彼はいつか傷ついて、もっと傷ついて、後悔してしまいそうだと思った。
私とは違うのだ。
産まれた時から手遅れなわけではないのだ。
「では」
叩きつけるように言葉を告げ終えて、私は翻る。
後ろに警戒しながらも、決して振り返らない。
怒りを覚えるだろうか。
恐怖を覚えてくれただろうか。
怨まれてしまうだろうか。
しょうがない。
嫌われてもいい。
憎まれるのも仕方ない。
ごめんなさい。
と、謝罪する資格すらないだろう。
酷い行為を行ったのだから。
それでも。
私以外の優しい誰かが壊れるよりはずっといいと信じている。