斬らずにはいられなかった。
空を閃光が覆い尽くして、爆音が轟いた瞬間。
僕は力を篭めた。
鼓膜を震わせるような轟音も意識も吹っ飛びそうな閃光も気にならずに、ただ抉る。
肩関節に突き刺した鎧通し、それを捻りながらめり込ませて
「がっ!」
ザクリと内部にめり込んだ刀身から火花が出ると同時に、顔面にめり込んだ打撃に吹き飛んだ。
吹き飛ぶ、骨が軋むような思い打撃。
大橋のアスファルトの地面に叩きつけられて、転がりながらも、すぐさまに立ち上がる。
鼻血が止まらない、痛みがある。
「っ!」
閃光に焼けた網膜、目を霞ませながらも、鼻血を流し、僕は前を見た。
鉄臭い味と香りにくらくらしながらも、立ち上がった先には紫電を撒き散らした人形の姿。
肩から内部へと突き刺さった鎧通しの傷口からは火花が吹き出し、その突き刺さった間接は破壊されてもげかけ、もう片方の腕は手首を両断してある。
実質的には両手の損壊だった。
「……驚きました」
声がする。
無表情の中に驚きの色が混ざっているような気がした。
「一般人にここまでダメージを負う可能性は確率的に5%を下回っていました」
「確率だけで世界は決められないんだよ」
鼻血を押さえながら、僕は息をする。
どうにかして突き刺さった鎧通しを取り戻し、今度こそ首を貫く。
さもなくば素手で折るしかない。或いは橋の下に叩き落すか? いや、耐水性があるかもしれない。
武器がないとどうにもならない。寸鉄はさすがに持ち合わせていない。
――長渡なら地面にでも頭を叩きつけて、首を踏み砕くだろうか。
チラリと目を向けると、彼は倒れていた。
傍には先ほど見かけた少女が、パシパシと頬を叩いて起こそうとしている。
その光景を見ながら、僕は取り戻さないといけない友人の重みを再確認する。
負けられない。
例え武器が無くても、砕いて、破壊する。
どんな手段を使ってでも。
そう決めて、僕は腰を低く、再び迫るための構えを取った。右手は痺れて動かないし、その中指は熱く晴れ上がってきている。
使えるとしたら左手。
血の滲む足袋で足を踏み出し、血に染まった左手を振り下ろしながら駆け出そうとした瞬間だった。
「――其処までだ」
声がした。
それと同時に人形の頭上から誰か降りてくる。
空中から、まるで空を飛ぶかのように――全裸の少女。
それは常識的に考えれば美しい美少女と呼ぶべきか。見事なまでのブロンドの長髪は艶やかになびかせ、幼児性愛者ならば目を惹き涎を流しそうな未熟にして成熟しない青い果実のような体つき、その目は少々鋭く吊りあがっているものの出来のいい高級人形を思わせるほど整った顔つき。
そして、その口元から浮かぶ犬歯は鋭く尖っていた。ありえないほどに。
――人間、か?
違うと、本能が知らせる。
背筋に震えが走る、気持ち悪い感覚。
「誰だ?」
「貴様こそ誰だ? と、言っておこうか。まあ推測は出来るがな」
ケラケラと嗤う全裸恥少女。
人形が目を向ける。
「マスター。彼の友人のようです」
「だろうな。一般人の割には茶々丸にここまで手傷を負わせるとはやるじゃないか」
マスター?
茶々丸?
主従関係、それとも製作者か。
それらに対して僕がどう討って出るか、考えた瞬間だった。
僕の前に降り立つもう一つの影があった。
「エヴァンジェリンさん! 約束どおり、僕の勝ちです!」
それは赤毛の少年だった。
僕を背後に庇い、手に持った杖――木製のファンタジーにでも出てきそうな魔法使いっぽい杖を持っている。
誰だろうか?
「分かった分かった。約束は守るさ」
やれやれと肩を竦めるエヴァンジェリンという名称らしい少女。
そこでようやく僕は気が付いた。
先ほどまで空の上で変な光を撃ち合い、映画じみた戦いをしていたのがこの二人だということに。
「……何がどうなってる?」
事態が呑み込めなかったが、分かることはある。
この二人が約束――つまり、先ほどまでの戦いをして、その勝敗で何らかの条件を果たすという約束をしていたということ。
そして、多分……
「兄貴ー!!」
「あ、カモ君! 勝ったよー!!」
フェレットらしき小動物が、不可思議なことに人語を喋って飛び込んできた。
それを受け止める少年。
感動しているらしい二人の様子を見て、僕の心は冷めた。冷たく、怒りに。
「ちょっとー! ネギー!! 喜んでないで、この人の手当てをしなさいよ!!」
「え? ああ! はい!!」
「兄貴急げ! 半吸血鬼化してるから、その処置も忘れちゃいけないぜ!」
「うん!」
そう頷いた少年がチラリと僕を見た。
僕はただ素直に。
「そこの彼は僕の友人だ。治せるなら治してくれ。ただし、治せなかったらぶん殴るよ?」
「わ、わかりました」
告げた言葉は幼い少年には酷だっただろうと思う。
だけど、許せなかった。
僕は茶々丸と呼ばれた人形とエヴァンジェリンと呼ばれた少女を睨んだ。
「――分かったよ」
「なにがだ?」
「お前、あの子供との戦いのために長渡をああしたのか」
深い理由があったのかもしれない。
僕には分からない事情があったのかもしれない。
だけど、だけど、許せるか。
ただの事故ならば呪いながらもまだ納得は出来る。
しょうがないのだと泣き叫びながら諦めきれる。いつかきっと。
だけど、それが居眠り運転での事故だったら? それが飲酒運転での事故とかだったら?
車に撥ねられる理由で、何の罪も無く、過失もないのに死んだら?
許せるか。
許せるわけが無い。
加害者にも罪悪はあるだろう、加害者にも情けはあるべきだろう。
だけど、被害者の悲しみはどこへ行く?
被害者の友人は、それを大切にしていた家族は、彼に関わる全ての人間がどう思う?
死は欠落だ。
障害も欠落だ。
誰にも納得出来ない欠落人生を送ることになる。
しかも。
しかも。
それが明確な、それも大した意味もなく、やった罪悪ならば。
許せるか。
歯を食い縛る。怒りに歯が軋みを上げていた。
殺意がある。
今ここに太刀があれば即座に二人の首を刎ねたくなるような憤怒が胸を焼いた。
「ふん。明確な殺意に睨まれたのも久しぶりだな」
エヴァンジェリンが笑う。
僕に睨まれても、ムカつくほどに笑う。
後悔などしないと告げるように。
悪こそが己だと言いふれるように。
「マスター危険です。時間もそろそろ経過します」
茶々丸が僕の視線を遮るように出る。
ずぶりと突き刺した鎧通しが引き抜かれて、投げ捨てられる。湖の中へと。
胸からの火花は止まっていないのに、動作に支障は無いようだ。
それが絶望的な感覚を与えてくるが、僕の決意は変わらない。
「……私が憎いか?」
「どうだろうね。君を一番憎んでるのは多分長渡さ」
嘆きの含んだ絶叫を僕は知っている。
怒りに震えた咆哮を僕は知っている。
「そうか。なら取引をしないか?」
「なに?」
チラチラと僕を見る遠くの視線があるのに、気付いていたが、僕は隙をうかがいながら顎で話の続きを促した。
「見たところ、お前たちは魔力を知らん。気も知らん」
魔力?
気?
「じゃあ、今までのは魔法だとでもいうつもり? ファンタジーじゃあるまいし」
「なら、今までのはどう説明するつもりだ?」
答える言葉を僕は知らない。
僕は先ほどまでの状況を説明する言葉を知らなかった。
辛うじて異能、というべきものだとは“知っていた”が、それとは違うもの、あるいは同じものなのだろうか。
だが、口には出さない。
「そう、全ては魔法だ。そして、お前たちが望めば――」
それは悪魔の誘惑だった、
「くれてやるぞ?」
エヴァンジェリンが嗤って告げた。
まるでそれに抗議をするかのように、同時にパチパチと背後のどこかで電気が戻っていく。
体感時間としては少し早いような気がするが、停電の終わりだった。
エヴァンジェリンと名乗った少女がふわりと足元から着地する。その彼女にそわそわと茶々丸が何かしたがったようだが、両手は動かせないために少し目を伏せただけだった。
「……へぇ」
しかし、僕はそれらよりも言われた言葉に短い返事を返しただけだった。
彼女は一糸纏わぬ体をまるで恥ずかしげもなく、腕を組み、妖艶な顔つきで微笑む。
「欲しくは無いか? 大地を走れば風を超え、岩を殴れば砕き、時として空を舞うような力が」
「……」
「“こちら側”と比べれば、“そちら側”の人間はあまりにも脆い。まるで紙細工のようにな」
確かに力の差は感じていた。
茶々丸と呼ばれた人形、その硬さに、常識を超えたテクロノジーたる彼女も魔法の産物だというのか。
世界の裏側にはもっともっとおぞましいものがあり、普通の人間には太刀打ちも出来ないかもしれない。
僕は知っている。
長渡が、常識を超えた存在、僕でさえ時々見かける中国武術同好会の部長である古菲に日々負けていることを。
彼女は強い、専門外の僕の目から見てもおかしいと思えるほどに。
他にも何名かおかしな強さを持つものがいる、それらも全て魔法、或いはそれに準じるものの産物なのか?
手に入れれば匹敵できるのか。
出来るのだろう。
出来てしまうのだろう。
斬鉄の技法も必要なく鋼鉄を切り裂き、風を飛び越えることも出来てしまうのだろう。
そんな予感がする。
何故か納得出来る。
だが。
「くだらないね」
僕はあっさりと拒絶した。
足蹴にした。蹴り飛ばした。ついでに親指を下に突き出した。
「ほぉ? 何故だ」
だがしかし、金髪全裸幼女はどこか楽しげに嗤う。
「興味が無い。僕は今のままで満足出来るし、足りない分は努力する。長渡だって多分同じことを言うよ、拳付きでね」
長渡とは道は違うけど、結論はきっと同じだろう。
そして、その申し出は正直不愉快だった。
今までの鍛錬、練習、修行、訓練、教義。
それら全てを投げ捨てろと言われているような気分だった。
僕には憧れる人がいる。
僕には辿り付きたい先生の領域がある。
魔法、気、どんなものすらも知らないけど、それらの領域に目指すものはないと思えた。
「それに」
僕は告げる。
睨みつけながら、静かに呟いた。
「君らを倒すのにそんなのはいらない。太刀一本で、首は刎ねられる」
打ち込めるかどうかはともかく、凶器としての威力は十分だと証明できたのだ。
可能性は低くとも破壊は可能なのだ。
だから、必要性を感じなかった。
「そうか」
だが、何故か少女は笑う。
楽しげに。
「久しぶりに見たぞ。悪魔の誘惑、いや、私は魔女か? いずれにしても清々しいほどに誘惑を蹴り飛ばすか」
カラカラと鈴を鳴らすかのように彼女は笑う。
何が楽しいのだ。
「半分本気、半分冗談だったが、いい答えだ。あの私に石を投げつけた奴も同じだろう」
少女は髪を掻きあげて、背を向ける。
「ボウヤ! また後日にでも話をしてやろう、だからさっさとそいつを治しておけ」
「は、はい!?」
少年に声をかけて、エヴァンジェリンはこちらから歩き去っていく。
当然のように。
まるで王者は私だと告げるように。
「強く足掻け。喉笛を噛み千切れるほどに」
得体の知れない全裸少女は形のいい尻を見せたまま、両腕を砕いた人形を連れて立ち去った。
僕はその背に襲い掛かることすら出来なかった。
一矢報いる姿すら思いつかずに、ただ見送った。
そして。
「あの、すみません。この人の吸血鬼化は解除しました」
かけられた言葉、それに反応して僕は倒れたままの長渡に歩み寄った。
口元には笑み。
してやったという顔のままに気絶している。
ちょっとむかついたが、殴るのはやめておこう。
「ありがとう。じゃ、こいつは僕が連れ帰るから」
右手が動かないので、なんとか左手で長渡を支え上げる。
あばらが酷く痛んで脂汗が浮かぶが、慌てて手を貸してくれた少女の手によって長渡を肩で支えることは出来た。
「それじゃ」
「え? あ、あの、せめて名前だけでも教えてくれませんか? あ、僕はネギ・スプリングフィールドといいます!」
見上げる少年の瞳。
純真無垢、彼は何も分からないだろう。
こちらの怒りも、悲しみも、想像するしかない。
だけど、それでいい。
子供に怒り散らすのは筋違いだ。
「短崎。こっちは長渡。それだけでいいね」
儀礼的に名前を名乗り、少女に目を向けた。
「ありがとう。長渡が世話になったみたいで」
「あ、いえ。こっちこそ殴られたり、殴ったり」
「へ? こいつ、そんなことしたの?」
よく見ると、少女の腕には痣があり、少しだけ痛そうにお腹を押さえていた。
長渡の方がどうみても重傷だと、僕は詫びておく。
「ごめんね。今度お詫びでもさせるから」
「い、いえ。操られてたみたいですし」
「そう」
だとしても、すまないという気持ちはある。
「それじゃ、さようなら。とりあえず、今夜のことは誰にも言わないでおくよ。君たちもそれで」
「え?」
何故か少年の瞳が安堵に染まる。
横にいたフェレットがガッツポーズをしたが、猛烈に蹴りをいれたくなったのは何故だろう。
「どう考えても頭がおかしいと思われるからね。君たちも警察に聴取とか受けたときの言い訳を考えたほうがいいよ」
「え?」
「あ」
「?」
少年が首を捻り、少女が青ざめ、フェレットが首を縮める。
当たり前の話である。
「あれだけ騒ぎをしたら確実に目撃者が居るよ? うるさかったし、後で事故かなんかで交通課か何かが調査に来ると思うから。もしも事情聴取があったら、ある程度常識的な言い訳をしておくように。僕も考えておくけどさ」
ど、どうするのよー! ネギー! と少年の肩を掴んで揺さぶる少女。
お、おちついて、アスナさんー! と揺さぶられる少年が叫んで。
フェレットが困ったように手をバタバタ。
なんだかとてもどうでもよくなってくる。
「じゃ、帰ろうか。長渡」
返事はない。
だけど、ただ静かに僕は足を踏み出し、血の滲んでいるだろう足裏の激痛を我慢しながら、学生寮への道を歩き出した。
もう、夜は終わりだ。
湖の向こうに見える朝焼けに心奪われる。
終わらない悪夢などなかったのだと僕は安堵の息を吐き出した。