明けない夜はないと信じたい。
目が覚める。
目を開ける。
気が付く。
覚醒する。
意識を取り戻す。
瞼を開ける。
いずれにしても結果は同じであり――どう足掻いても変わらないものだった。
「あ?」
目を覚ますと見覚えのある天井だった。
明るい。
日の光があった。
「あれ?」
記憶を取り戻す。
頭を振って、起き上がる。
あれは夢だったのだろうか?
そう考えて、頭を掻こうとして、腕が酷く痛むことに気付いた。
見る。
指が大変なことになっていた。
いや、大変なことにはなっているのだろうと感覚で分かるだけで、包帯でグルグル巻きになっていた。
焼ける様な痛みに痒くなる。
だけど。
「起きた?」
声がして、振り返る。
其処にはこの時期にはまだ辛い作務衣を着た短崎が立っていた。
腹には包帯、胸にも包帯、腕にも包帯、ミイラ男もどき。頬にはでかい絆創膏。
「夢、じゃねえのか?」
「記憶はあるみたいだね。今は朝だよ、長渡」
短崎が苦笑を浮かべる。
その言葉に、俺は外を見た。
太陽が眩しいだけで、普通だった。
痛みによる吐き気はあるけど、喉の渇きが癒えていて……俺は胸を掴んで鼓動を確認する。
心臓が動いていた。
体温があった。
「戻れたのか?」
人間に。
化け物から人間に。
ふざけた世界からまともな世界に。
「みたいだよ。一応僕が見張ってたけど、あの子供先生が薬とかなんか変な魔法? ていう奴で長渡を治してくれてね。治らなかったらぶん殴ってたところだよ」
物騒なことを告げる短崎。
まだ怒っているようだ。普段は穏やかな性質と口調だが、納得出来ないものにはうるさい性質。
俺の心配をしてくれたことに感謝した。
「牛乳飲む?」
「あ、あ」
短崎からコップの牛乳を渡されて、そのまま飲んだ。
多分割れているだろう指の爪から凄い痛みを覚えたが、気にせず掴んで、中身を喉に流し込む。
舌に絡みつくような甘み、冷蔵庫で冷やされた冷たさ、それが心地よかった。胃が久しぶりに入った食べ物に反応して、動くのが分かる。
「……生きてるなぁ」
「実感できた?」
「ああ」
夢は終わったのだと呆然と思う。
疑問や謎、聞きたいことは腐るほどあったけど今は考え付かない。
ただ終わったのだ。
ただ終われたのだ。
ただ戻ってこれた。
それだけが涙が出るほどに嬉しかった。
「なぁ、あの糞魔法使いとやらと変なロボットはどうした?」
「頑張ったけど殺せなかったよ。ボコボコにされたし」
「お前弱いな、短崎。刃物持ってるくせに」
「君こそ人間やめてたくせに弱かったみたいじゃん、長渡」
どちらとも知れずにクスクスと苦笑を洩らす。
次第に笑い出し。
そして、爆笑した。
俺と短崎は腹を抱えて笑い出した。
短崎は腹を押さえて、脂汗を吹き出しながらも笑って、俺はひたすらにゲタゲタと笑いながら涙を流した。
ただ嬉しかった。
怒りはまだ終わってない。
多分あの二人を見たら、俺は殺しに掛かるだろう。
許せるわけなんてなかった。
だけど、どうでもいい。今はどうでもいい。
ぶんっと手を振るう。
その感触と痛みに、俺は失わずに済んだ大切なものの重さを知った。
「よかった」
息を吐き出す。
口の中がミルクと血の味が混ざっていて、どこまでも不快だったけど、笑える。にっこりと。
「あー、ちょっと顔洗ってくる」
「手大丈夫? 爪バキバキに割れてたけど」
「マジで? 後で病院行こう」
「僕も行かないとね。多分あばらにひび入ってるし、右腕が動かないんだ」
互いに重傷だった。
それでも俺は洗面所に付いて、蛇口を頑張って捻って、その水の流れる部分から直接水を啜り。
何度も水を吐き出した。
紅い、紅い、黒い、汚い水が流れる。
それらが流れた後に洗面台の水の流れるところに詮を閉めて、水を溜めた。
そして、溜まった水に顔を入れた。
ばちゃんと叩き付けた。
目を瞑り、冷たい感触が顔中に弾けて、染みる。冷たい、心地いい水の感覚。
ぶるぶると振るって、顔を上げて、蛇口を止める。
苦労しながらも取り出したタオルで顔を拭って、俺はそこでようやく顔を見た。
酷い顔だった。
だけど、いつもの顔だった。
傷だらけで、頬は膨れて、喧嘩のあとがよく見える。青あざがあり、通りで痛むわけだ。
だけど、人の顔だった。
十数年間付き合っている顔だった。
俺の顔だった。
「あーさいこー」
「ナルシストー?」
「ちげーよ!」
リビングから聞こえる短崎の突っ込みに、俺は笑って否定した。
気分が良かった。
渦巻く情念はまだ終わってないのに、さっぱりしていた。
そのまま俺は歩き出し、格好が昨日のままだと気付いた。
少し血に汚れて染みがあるし、何故か埃だらけで、すり傷だらけのボロボロのシャツとジーンズ一丁。
あのパーカーはどこかに行ってしまったのだろうか。
あの石であの外見餓鬼ただし最悪な吸血鬼女が少しでも怪我していれば清々する。
「なぁ、短崎。俺ここから一歩でも出たらいきなり復讐とかされないよな?」
「多分平気じゃない? 速攻で警察呼ぶし、実は昨日からずっと一睡もしないで僕携帯で警察番号の呼び出し出来るようにしてるし」
「そうか。賢明だな」
俺は笑う。
笑いながらも、テクテクと靴下を履いたまま玄関に行って。
「ちょっと外の空気吸ってくるわ」
「どこまで? コンビニとかだったらまた帰ってこないとか勘弁してよ」
「安心しろ、そこの廊下から空気吸うだけだから。奴が来たら悲鳴上げるから警察呼んでくれ」
「了解」
そういって、俺はドアを開けた。
学生寮の二階、吹きさらしの廊下に身を出す。
空は日の光が眩しくなる朝だった。
どこかで登校準備中だろう学生の声がしてきた。
廊下に出ると知り合いの学生が慌しく俺の横を走り抜けながら、怪訝そうな顔を向けてくるが。
「いってらー」
と、軽く挨拶しておいた。
首を捻りながらも知り合いは走っていって、手を振ってくれた。少しだけ嬉しかった。
俺はそのままテラスに体をかけて、息を吸う。
空気が美味かった。ただひたすらに。
景色が綺麗だった。意味もなく。
何度も見た光景なのに、ただの麻帆良の光景なのに、それが心に染みた。少し詩人のように。
「いきてるなー」
ただそれだけが今一番の感想だった。
嬉しくて。
「ぁぁあ」
俺は静かに涙を流して、嗚咽を上げた。
安堵の嗚咽を吐き出した。
失わずにいられた大切なものを噛み締めながら。