零れていくものは取り戻せない。
「……短崎です……最近親友が冷たいです……友情を失いそうです」
あれから一週間が経った。
朝早くから爽やかな笑みと共に出ていった親友のいない部屋は寂しい。主に心的な意味で。
「カケルは~ん」
「……はぁ」
「どしたんどすか~?」
グニグニと側面から当たっている柔らかい物体だとか、暑苦しい体温の伝わりにドキドキするとか。
もはやそういうのを超越して、僕は嘆息するしかない。
「あのさ、あまり引っ付かないでくれる?」
視線を向けた先にいるのはニコニコ笑顔で前掛けを着けた白髪の美少女。
色抜けた銀色にも似た長い白い髪、人形のように整ったあどけない顔つき、天才的な人形師が造形したかのように調律の取れた体躯と細く滑らかな磁器めいた肌。
触れた皮膚表面は冷たいのに、埋めればしっかりと熱を与えてくれる吸い付くような肉体を持った妖精の如き少女。
丸っこい眼鏡の奥の瞳を楽しげに歪めて、手にはお玉を持っている――どこの新婚夫婦だと他人事だったら全力で突っ込みたい状況だった。
そう、これが他人事だったら全力でゲタゲタと笑ってやるというのに。
「冷たいですわー」
「別に交際しているわけじゃないし、ぶっちゃけ暑苦しいからやめて」
理性以外の部分だと薄っすらと膨らんだ柔らかい部分からの感覚とか、甘く鼻をくすぐるような臭いとかが痛いぐらいに感じるが、心頭滅却。
自制心には自信がある僕は表情も変えずに告げる。
「むらむらせえへん?」
ちらっと白く汗ばんだ胸元を掴んで、洋服の裾をつまみ広げる少女。
白い白磁のような艶かしい谷間とかが見えるし、まあその先端の薄い白桃のような突起もチョビット見えるが――今更その程度に動揺するわけがない。
この程度で動揺するほど見慣れてないものでもない、っていうのが一番の原因だったりもするが……気にしたら負けだよね、ふふふ。
「――しないよ」
「つまらんお人どすー。普通ならここで、美味しく頂くぞー! とかいって、押し倒すもんやのに~」
「しないよ。どれだけ理性緩いのさ、その人」
ベシッと少女のおでこにチョップを叩き込む。
あうあうとずれた眼鏡の位置を戻す彼女の顔を見ながら僕は頭を掻いて、肺の中に溜め込んだ息をゆるゆると吐き出した。
「なんで」
頭痛が終わらない。
そろそろ鍋が煮えたやね~、といいながらパタパタとスリッパを履いた足でキッチンに向かう彼女。
その名を。
「なんで……月詠に憑かれてるんだろぅ?」
――月詠という。
一週間前、命を賭けて殺し合ったはずの少女との関係に、僕は納まる気配を見せない頭痛と共にため息を吐き出すしかなかった。
何故こうなったのか。
それは三日ほど前に遡る。
「長渡ー、今日のおかず肉じゃがでいい?」
「いいぞー」
などと平和な会話をしながら、僕は竹串でジャガイモの柔らかさを確認していた。
特に力を入れずにスッと竹串が刺さるようなら丁度いい頃合である。
学校から帰ってきて、包丁片手に自作のドレッシングなどで手作りサラダを作り、出汁巻き卵焼きを焼き上げて、トントンとたくあんを切りながら穏やかに夕食の支度をする。
つい二日ほど前に拳を用いた話し合いの結果、なんとか友情を復元しつつあった親友の長渡もテーブルを台拭きで拭いていた。
「いい感じだな~♪」
思わず鼻歌などを歌いたくなるほど平和である。
四日前、半ば強姦の如き勢いで襲い掛かってきた月詠と色々と悪戦苦闘した挙句にまた気絶させて、部屋を掃除して、昼頃起きた月詠を風呂に入れて、なんか発情した彼女と色んな意味で激闘繰り広げて、まあ体を清めた彼女はムカつくぐらいに爽やかな笑みと共に消え去った頃には太陽が沈みかけていた。
太陽が黄色いと言う嫌な事実を知りつつ、僕も風呂に入ったりして、生暖かい笑みを浮かべたまま恐る恐る帰ってきた長渡と長い話し合いをしたのだ。
――なあ、短崎。
――なに?
――俺ら友達だからな。例えお前が淫行罪で捕まっても、さ。
――ハハハ、凄い嬉しい言葉だけど。その笑みやめて、ていうか表出ろ。
初めて会った時ぶりのマジ殴り合いになり、真夜中の公園にてプライドを賭けた戦いを繰り広げた。
なので、結構お互いの体はボロボロだったりする。
「うーん、味噌汁も使うかなぁ」
野菜の切れ端とか豆腐が半丁残ってるし、どうせなら使い切りたい。
と考えていると。
ピンポーンと音がした。
「ん? 誰だ? ちょっと出てくるわ」
「いてらー」
よっこらっしょとジャージ姿の長渡がテーブルから立ち上がり、玄関に向かうのを僕は横目で見ながら皿におかずを盛り付けていた。
だから、玄関でなにやらわいわいと騒がしくなったのにも、足音が一つ増えたのにも気付かずに、ご飯とか持っていて。
「ふぅ、ご飯出来たー」
「……短崎~、お客さんが来たぞー」
「え? 小太郎君でも来たの?」
最近遊びに来るようになった長渡の弟分的犬少年の名前を上げながら、僕は台所から濡れた手をエプロンで拭きながら出てきて――
「おばんどす~♪」
「ぶふぅうう!!!」
もう二度と会うことは無いと希望視していた月詠が座り込むテーブルの光景に、噴くことになった。
「な、何故にココニキテルンデスカァ!?」
「あーなんか、挨拶に来たんだとか」
長渡。
何故君はその横で平然と座っていられるんだ。ついでに何故僕を生暖かい笑みで見ている。ちょっとまた拳で話し合う?
「挨拶?」
「――麻帆良に仮家借りて越してきたんです~」
「ひ、引越し?」
どういうことだ!?
と、長渡に目を向けるが。
――知らん、知らん。と手を横に振る長渡。
「なので、いつでも遊びに来てくれていいですよ~?」
「断固断る!」
「ああ、あとうちもここの中等部に通うことにしましたから~」
「来るな! むしろ、そこで何故頬を染める!?」
きゃっとわざとらしく両手で顔を覆って、顔を伏せる月詠に、僕は絶叫するしか方法がなかった。
ちなみに、その後折角ご飯大目に作ったので一緒に夕食を取りました。
――などという経緯がありまして。
「えーと、これはもうちょっと出汁を足した方がいいね」
「そうなんですかぁ~?」
「京都の料理って基本薄味だっけ? 基本僕とか長渡、運動するからもう少し濃い味付けの方が好みかも」
「ふむふむ」
と、自分よりも劣る家事技能を持った月詠に味の指導をしたりしつつ、朝早くから学生服に着替えました。
今日は平日であり、学生なので学校に行かなければいけない。
ちなみに長渡は居ない。
――今日は朝マックしてくるわ。
という言い訳と共に空気を読んで(と言う理由で逃げた)去った親友を後で殴ると決めつつ、月詠と一緒に朝食を取る。
渡した覚えもないのに、起きた朝から普通に味噌汁とか作ってる彼女に恐怖を覚えたのも昔のように思えてきました。
なにやら認識迷彩だとか、消音結界とやらで別段騒がれないわ、音量高めにCD音楽流しても怒られないので結構重宝するね、魔法。などと毒されてきた自分がいる。
「あ、そろそろ時間だ」
登校する時間になってきたので、僕は食器を片付けようとするが。
「ウチが片付けておきますわー」
と、率先して月詠が僕の手から食器を奪った。
「そう? でも、君も学校行かないといけないでしょ?」
確か今日が転入初日だと昨日の夜言っていたような気がする。
「んー、ウチが全力で走れば五分で着けますしー」
どんだけの速度で走るつもりなのか、聞きたいような聞きたくないような。
そんな気分で、ずきずきと痛み出すこめかみに指を当てて、ため息。
「普通に歩きなよ。食器は水張ったタライに入れておいて、汚れが浮くから。さっさと制服に着替えなよ」
基本二人だけ、月詠も入れても三人程度の食器である。
水に漬けておけば、帰った後軽く食器を拭うだけで綺麗になるのだ。
趣味らしきゴスロリ洋服に前掛けを付けた状態の月詠に、僕はそう告げて、とりあえず鞄とか取りにいくかと足を動かした時だった。
「そうですなー」
しゅるりと、衣擦れの音がした。
「――てい!」
「あや!」
おもむろに脱ぎだそうとした月詠に、僕は半ば条件反射でチョップを叩き込んでおいた。
「なにするんですかー!」
「何故其処で脱ぐのか先に言い訳をしてから反論してください」
「えー、カケルはんが着替えろって言ったんじゃないですかー」
「せめて僕の居ないところか、浴室の中でドア閉めて着替えてよ。常識的に考えて」
大和撫子の恥じらいはもはや全滅したのか、日本子女。
と嘆きたくなる気分だったが、多分こいつだけが例外なのだろうとつくづく確信する。
「えー、カケルはんですし~」
この程度の着替えならもう見慣れてるじゃないですかー、とか。
この間なんてそっちが脱がせたくせに~、とか。
知ったこっちゃありません。
「ええい、それはそれ! これはこれ! 僕は爛れた性活なんて送りたくないから!」
ギャルゲーなんて嫌いだ!
これなんてエロゲ? とかなんて、他人が巻き込まれればいい。
僕は、ただ――平穏な日々を過ごしたかっただけなのに。
「って、もうこんな時間か。月詠、君の分のお弁当は台所の青い弁当入れだから。ちゃんと持っていきなよ、弁当箱は返さなくていいから」
時計を見て、通学鞄を手にとって、竹刀袋を左肩に担いで、反省せずにそのまま着替えている月詠の背に言葉をかけながら、玄関に向かう。
学生靴を無造作に履き、爪先で床を蹴りながらしっかりと足に嵌めると、僕は寮部屋から飛び出した。
鍵は閉めない。
どうせ月詠が持ってるだろうし。
三段飛ばしに階段を駆け下りて、軽く呼吸を整えながら僕は学校に向かった。
(とりあえず、月詠が起こす騒動に巻き込まれないように)
そんな淡い希望を抱きながら、僕は学校に向かって駆け出す。
以前よりもずっと疲労の少ない自分の体に気付きながら。
少しだけ吐き気がした。
色々なものを失いつつある、自分を自覚する。
失えばもう取り戻せないものだということにも。
とりあえず、通学途中で見つけた長渡の背中に飛び蹴りは叩き込んでおいた。
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調子に乗ってIFの続きです。
正常にネギま補正が働くと、この始末だよ!
IF欠陥人生では主人公は短崎ですので、長渡さんは素敵な相棒役として出演します。
とりあえず、いいぞもっとやれ! という言葉か。
これはひどい! という褒め言葉がある限り頑張ろうと思います。