何一つ届かないなんて
それは地獄だった。
それはただの嬲り殺しだった。
「ッ」
胸から込み上げる感情を抑えるために私は唇を噛み締めて、拳を握るしかなかった。
悲鳴が上がっていた。
誰も彼もが短く、声にならない声を漏らしていた。
私たちが戻った観客席、そこにいる人々の表情が引き攣っていた。
「せ、せっちゃん!」
お嬢様が私の袖を引っ張っていた。
その目は舞台の上に釘付けになっている。それもそうだろう、私の目も舞台の上に――あの人に向けられていたのだから。
それは試合なんかじゃなかった。
それは戦いなんてレベルじゃなかった。
嬲り殺しだった。
口から血が溢れ、ぶら下がった左手の指は奇妙に捻じ曲がり、絶叫を上げているかのような表情で太刀を握り、戦おうとしているのは短崎さんだった。
だけど、それでも私たちは見ていた。
その腕が、鋭く振り抜いた剣閃が――まるで空気でも薙いだかのように避けられ、或いは叩き落されてる。
フード越しの口元がしかめられたクウネルが振るった手刀が首元に目掛けて打ち込まれ――それを首を廻し、僅かに避けた瞬間めりこんだ肩口から、破滅的な音が響いた気がした。
ゴキリと壊れたような音。
まるで巨大なハンマーで殴られたような動きで、短崎さんが崩れ落ち、右手から太刀が毀れ落ちて――流れるように振り上げられた蹴りに、彼の体が吹き飛んだ。
自動車に跳ね飛ばされたかのような勢いで、飛んだ。
まるでボールのように飛んだ。
「ぁあ、短崎せんぱぁい!!!」
お嬢様が泣いていた。
悲鳴が上がる、彼を知る人たちの絶叫が轟いて。
鈍い音と共に舞台に墜落し、転がり……擦り傷だらけの彼に、朝倉さんが青い顔で……血の気の引いた顔でカウントを取り始め――前のめりに倒れている彼の左腕が、本来ありえない角度に曲がっていることに、声を引き攣らせた。
誰もが終わったと思った。
だけど、それでも、あの人は……
「ぁ ぁ …… !」
それでも彼は右手を床に叩きつけて、鼻血を流しながら、口元から赤い唾液を零しながら、立ち上がる。
立ち上がって、しまう。
「駄目やぁ、短崎先輩っ!!」
叫ぶ、お嬢様。
だけどその声は――きっと届いていない。
怒声と悲鳴と罵倒ばかりが響いているから。
彼は歩き、走り――普段の彼を知る人から見ればどこまでも無様な動きで、前進し――嫌そうに手を振り上げたクウネルの一撃に、弾き飛ばされる。
ただの一撃で肉が裂け、骨が砕け、血が溢れる力の差。大人と子供より酷い現実。
それは勝ち目がなかった。
それは誰がどう見ても倒れていないだけで勝ち目がなかった。
「せ、ちゃぁん! せっちゃん!! なんや、の?! あれなんやの?!」
袖が引っ張られる、強く強く引っ張られる。
「あ、れが……現実、です」
私は答えるその声が……震えていない自信がなかった。
あれが、現実だ。
あれが、本当の光景なのだ。
気を、魔力を、使えない常人と、それを駆使する裏の人間の性能差。
「なんで、や。そりゃあ確かにぶっ飛ばされてたりとかしてたけど、短崎先輩は、長渡先輩だって、あんなには――」
「彼ら、は、上手かったんです!」
お嬢様の声に、私は叫んだ。周囲の人がぎょっとした目を向けてくるが、構わない。
「あの人たちはずっとずっと上手に、壊れないように、負けないように、受けて、捌いて、努力してたんです!」
そうだ、あの人たちは武術を学んで、正しく受けて、出来るだけの技術を注ぎ込んで耐えていた。戦っていた。
だけど、今の短崎さんにはそれが出来なくて、いや、そんなのも無駄になるぐらいに力の差があって。
あれが――現実なのだ。
ただの一撃で骨がへし折れ、ただの軽い動作で命が奪われる。そんな、そんな力の差が、現実で……
あれが短崎さんの現実。
「なんでや、なんで、誰も止めへんの?!」
短崎さんが殴られる――足を落とし、身を捻り、衝撃を受け流すように動作をして、それも関係なく吹き飛ぶ。
攻撃は通じていない。
防御も意味がない。
「もう勝てないの分かってるやろ! 決着付いてるやないか!!」
お嬢様が言う。きっと誰もが思ってる事実を言う。
そうだ、本来ならもう決着は付いている。
腕が折れて、いおや、それどころかあの人は一発――"吐血した時、おそらく内蔵が壊れて、死んでいた"。
けれど、それでも、今は。
「止められないんです」
「なん、で?」
「あの人は、まだ戦っています、から」
腕が折れようとも、内蔵が割れようとも、骨が砕けても、血を吐いても。
例えその間に"治癒"させられていたとしても……私たちにだけは分かる、短崎さんは何度か治癒させられた。
強制的に、自分が望んだものではないのに、"やりすぎたダメージを治癒させられている"。
だから強制的に止められるほど致命的なダメージはなく、短崎さんは戦う……いや、言いたくないけれどただもがいていて、ルール上継続させられるしか出来ない。
誰の目から見ても勝敗なんて分かりきっているけれど。
誰がどう見てもあの人が、勝てないなんて分かるけれど。
朝倉さんはそれを止めるだけの度胸もないし、技術もないから。
ただもがいてる短崎さんが理由で、戦いは伸び続けている。長い、長い12分間が続いてしまっている。
「――やめて欲しいですね」
その時、静かに、だけど響き渡るような声で、傷一つ無い人物が言った。
クウネル・サンダーズ、何度か蹴られ、殴られ、貫かれ――最初に首を刎ねられたはずの人物が言う。
呆れた口調と、疲れたような言い回しで。
「正直悪趣味ですよ」
走り込み、太刀を拾い上げようとした短崎さんの目の前で。
――瞬動。
音もなく、常人の目には見えないほどの速度で、その一歩手前の距離に出現し。
「私が悪者みたいじゃないですか」
振り上げた足を――振り下ろし、"踏み砕いた"。
短崎さんの右手を、太刀を握り締めようとした手を、その靴底で踏み砕いて。
「 !!!!!!!!!!!!!!」
絶叫が轟いた。
悲鳴が上がった。
骨がへし折れ、腕が砕かれる瞬間を公開させられたのだから、息を呑むようなざわめきが響いて。
短崎さんが叫んでる。
声にならない悲鳴を上げて、踏み砕かれた手をぶら下げて、荒く、荒く息も絶え絶えに。
「これで戦闘不能でしょう? 審判、判定を――」
クウネルがそう告げながら、顔を朝倉さんに向けた瞬間。
その身体が吹き飛んだ。
「あっ!」
――その背に足が叩き込まれていた。
血塗れの身体を引き摺り起こして、倒れこむような回し蹴りで。
「ふざ、ける、なぁ……っ!」
短崎さんが叫んだ。
折れ砕けた手をたれ下げて、血塗れで、痛みに涙が溢れ続けながら、胸が張り裂けそうな声で。
転がり吹き飛んだクウネルを睨みつけて、掠れた声を漏らしていました。
「僕、はぁ――」
息も絶え絶えに叫び、今にも倒れな足取りであの人は言いました。
「僕、は、あんたに――」
溢れ出す血に、どこまでも生々しく壊れた体と赤く汚れた唇で。
「馬鹿にされるために戦っていたわけじゃな」
ズン。
っと――潰された。
鈍い音と真っ暗に歪んだ光景に。
「ぇ」
瞬き程度の後だった。
「ぁ」
短崎さんは倒れていた。
両手がへしまがって、足も奇妙に曲がって、陥没した床に倒れて……――
「ぁあ」
返事がない。
声もない。
ただもう死体みたいで――
「む? やりすぎましたかね」
なんていう声が淡々と響いて。
「いやぁああああああああああああああああああああ!!!」
お嬢様の叫び声が響いた。
それがあの人の敗北だった。
何一つ結果を出せずに負けただけの――幻想を抱いていたあの人の負けだった。
これが現実だった。
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短崎敗北。
自分は重症、腕はへし折れ、片腕は使えず、太刀は握れず、与える攻撃は何一つ通らない。
だからこれが順当で、これが現実です。
次回も閑話、おでこちゃん視点になると思います。