勝ちたいから願うんだ
小太郎が負けた。
それが結末だった。
『おぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!』
最初は唸るように、次第に大きく、吼えるような歓声となって震え上がった。
観客席が盛大に騒いでいる。二人の少年の試合を褒め称えるように、拍手の音が混じっていた。
その中で堂々とネギ少年が腕を振り上げて、吼えていた。
涙でぐしゃぐしゃになった目で、鼻水と鼻血で汚くなった顔で、全身ずたぼろの擦り切れたローブ姿で、それでも嬉しそうに、誇らしそうに立っていた。
その姿に、俺は……
「嬉しそう、だな」
頭を掻いて、少しだけため息を吐き出した。
個人的には小太郎を応援していた分、心境は複雑だった。
別にネギ少年に負けて欲しいというわけじゃなかったが、それよりも小太郎に勝って欲しい。そう思っていた。
「嬉しいに決まってるさ」
だから少しだけ愚痴るように呟いた時、短崎がぽつりと言った。
「あ?」
「だって」
そういって。
「……ライバルに勝てたんだよ? 嬉しくない訳が無い」
そういって短崎が笑った。
確信するように、噛み締めるように笑みを浮かべて言う。
「僕だったら間違いなく喜ぶよ、やってやったぜってね」
長渡だってそうだろう? そう尋ねられて、俺は少しだけ考えて、頷いた。
確かにそれはそうだ。
誰だってライバルには勝ちたいと願っている、それも意識していればいるほど打ち震えるものだ。
だからネギ少年の喜びはそれだけ小太郎が認められている証拠だった。
そんな時だった。
「ッ、ぁ――?」
のびていた小太郎が起き上がった。
キョロキョロと慌てた様子で周囲を見渡して、立っていたネギ少年を見て、くしゃりと自分の頭に手を当てて。
「……負けたんかぁ」
そう言った。
その顔はどこか清々しそうで、同時に――
「小太郎君……」
ネギ少年が見下ろして、心配そうに手を伸ばす。
それに小太郎は少しだけ目を覆うように手を当てて、頭を掻いてから。
――伸ばされた手を掴んで、立ち上がった。
「おめでとうや、ネギ」
小太郎は笑って、ネギ少年の肩を叩いた。
犬歯を見せるような笑みで、ずたぼろの手を動かして、自分に勝った相手を祝福する。
ばんばんと音が鳴るように叩いてから。
「んじゃ、俺ちょっと身体痛いから医務室いってくるわぁ」
「えっ?」
そんじゃなと言ってから小太郎が軽快な足取りで舞台から飛び降りて、駆け足でこちらに――医務室に繋がる廊下に向かう。
「こ、小太郎君!?」
ネギ少年の戸惑った声を上げて、振り返る。
けれど小太郎は振り向くことなく軽快な足取りで走って。
俺は傷む身体を忘れて椅子から立ち上がり、あいつの進路の前に向かって。
「小太郎」
すたたと駆け抜ける小太郎の横で。
「――お前は強かったぞ」
返事は求めない言葉を掛けた。
「」
返事はない。
ただ小太郎は駆け抜けていって、その足音を聞きながら俺は前を向いていた。
それだけで十分だったから。
「小太郎くーん!」
慌てて脚をもつれさせながら舞台から降りてくるネギ少年に、俺は手を突き出して止めた。
どうせ何があったのか分かってないのだろう。
心配性な性格をしている少年に、あいつの顔を見せるわけにはいかない。
「放っといてやれ」
「えっ?」
「ライバルに負けたら、悔しいだろう?」
あっ、という顔を浮かべるネギ少年。
俺にはあいつの気持ちが痛いぐらいに理解出来た。
ライバルに負けたら、誰だって悔しい。涙が出るぐらいに勝ちたい相手がいて、全力を振り絞って勝ちたくて勝ちたくて、堪らなくて。だけどそれでも負けてしまったら悔しくてたまらないだろう。
相手を認めていればいるほど勝ちたいと願うものだろう。
相手を超えたいと願っていればいるほど力を振り絞るだろう。
けれど決着は勝ちか負けの二つしかなくて、どちらか片方しか勝てない。
お互いに頑張ったから両方とも勝者だなんて、綺麗ごとは美しいけど真実じゃない。
だから、俺はあいつを認めていても慰めることは出来ないし、しない。
「あいつは本当に心の底からお前に勝ちたかったんだ、だから今は放っておいてやってくれ」
どれだけ努力したのか、俺はその一片しか知らないけれど努力していたのは知っている。
それで十分だった。それだけで十分だ。
「……はい」
目の前で戸惑っていたネギ少年は戸惑った顔から、噛み締めるような顔つきになった。
自分が勝ったのだと誇って喜んで、それを実感した顔だった。
よかったと思う。
(あいつが勝ちたいと思ったのがこいつでよかったな)
俺は本当にそう思った。
お互いを認め合っていた相手だったからこそ報われる、それもまた真実だったから。
「ま、そのうち戻ってくるだろ。ネギ少年も医務室に行かなくていいのか?」
「そうよ、大丈夫ネギ? 顔とかすっごいことになってるけど」
途中から駆け寄っていた神楽坂が、少し腰を屈めてネギ少年の顔を覗き込む。
その顔から微妙に血の気が引いていたのはしょうがないだろう。
実際すっごい顔だし。まああれだけ正面から殴りあったならしょうがないが。
「あ、いえ、大丈夫です。それに……今は試合が見たいですから」
ネギ少年が俺と神楽坂の提案に首を振るう。
「そうだな、次の試合が」
「――次に勝ったものがボウヤと戦うことになる、それは見ておくべきだろう?」
背後から声が響いた。
酷く胸をざわめかせる苛立つ声。
振り返ればそこには漆黒のドレスを翻し、懐から出した鉄扇で口元を覆ったエヴァンジェリン A・K・マグダウェルが立っていた。
クスクスとわざとらしく目元を吊り上げて、ゆっくりと鉄扇を下げて見せたのは皮肉げに歪めた赤い唇。
「とはいえ、誰が勝つかなどとは決まっているがな」
その言葉は淡々と。
「少しは楽しませろよ、長渡光世」
――俺を馬鹿にしていた。
分かり安すぎる挑発だったが、押さえ込んでいた感情が胃の奥から込み上げるのには十分だった。
「そうだな、そのむかつく顔をぶん殴るいい機会だ。豚のように泣いて楽しめ」
怒り。憎しみ。
こいつによって味合わされた絶望は、痛みは、怒りは、憎しみは終わっていない。
赦したわけじゃない、許せるわけがない。
ただその機会を外し続けていただけで、その機会が回ってきた以上躊躇う必要はない。
全身が痛くて、吐き出してしまいそうで、泣き出しそうなことなんて理由にならない。
こいつは。
「知ってるか人間? 豚は世間的イメージよりも綺麗好きで、体脂肪も少ないのだぞ」
こいつは――
「豚のほうがマシだ、食えるだけな。貴様はそれ以上の価値があるか?」
「テメエは潰す、それだけだ」
絶対に殴り飛ばす。
『第十二試合! エヴァンジェリン A・K・マグダウェル選手 対 長渡光世選手の試合を開始します! 両選手、舞台の上へ!』
それだけだ。
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何も言いません、帰って来ました。
続き書いていきます