意地のぶつかりあいだ。
それは殴り合いから始まった。
同じ構え、同じ歩法、同じ右手。
それで真っ直ぐに、迷いもせず、握り締めた拳で――殴り飛ばした。
互いに、同時に。
「っ!」
「ぐぅ!」
顔面から殴り飛ばされて、たたらを踏む。観客席から女子の悲鳴が上がる、それだけ凄惨な光景。
だがしかし、二人の目は――ギラリと煮え滾っているようだった。
「うぅ、ぁああああああ!!」
「どぉ、りゃああああ!!」
叫ぶ、叫ぶ、お互いに殴り飛ばされた顔を引きずり戻して、強く踏み出す。
ネギ少年が鋭く脚を跳ね上げて、それを小太郎が同時に繰り出した膝で受け止める。
甲高い打撃音。
動きは止まらない、小太郎が頭を振り上げて――見ているほうが痛くなるほどに激しい頭突きがネギ少年の額にめりこんでいた。
ガンッと小気味のいい音が響き渡る。
「っぁ?!」
「どうやぁ!?」
一瞬ふらついたネギ少年に、小太郎がにやっと笑みを浮かべて――振り抜かれた拳に笑みごと殴り倒された。
空気を裂く、子供とは思えない速度と威力。
唾が飛ぶ、咄嗟に食い縛った歯ぐきから洩れた霧状の唾液が床に零れて。
「卑怯やないか、ネギぃいいいいい!!!」
「笑ってるからぁあああ!!」
殴る、殴る、殴り合う。
ただの両手と両足と額で殴り合う、ただの殴り合いの喧嘩。
技も、魔法も、美しさもない泥まみれの有様だった。
「うわぁ、どうなってるの? いたっそ~」
そんな殴り合いの試合を見て、早乙女が痛そうな顔をしながら軽く引いている。
「い、いきなり何故?」
綾瀬の方もさっきまでの技術の応酬を交えた、どこか小奇麗な試合と違った殴り合いの内容に目を見開き、口元を抑えながら疑問の声を漏らした。
まあ普通の女子中学生には刺激の強すぎる光景だろう。
――横にいる殴り合い上等の小娘は例外としてだ。
「まああれだな――ぶっちゃけ青春?」
「えっ、なにそれ怖い」
俺が茶化すように応えると、早乙女がネタで返してきた。やるなこいつ。
グッと親指を立てる、早乙女も同時に返す。
……ふざけるところはどうかと思うが、ノリはいい奴だな。
「???」
綾瀬と古菲が理解出来なさそうに首を傾げる。
話がずれたな。
「あいつらは仲がいい友人で、親友で、まああれなんだわ」
古典的で、古臭いかもしれないが……
――俺の見ている先で、ネギ少年と小太郎がガンッと頭をぶつけあって、突き出した両手と両手が激突して、互いに引かないとばかりにがっぷりよつに組み合う。
「くぅぅうううう!!」
「ぬぅうううう!!」
互いに全力で、腰を落として、一ミリでも相手を押し出そうとする二人の姿。
そんな光景に俺は苦笑して「……ライバルって奴だな」 と思った。
こいつにだけは負けられない、絶対に引けない、そんな相手がいる。それはとても幸せなことだと思う。
競う相手もいない、腕を磨き合う相手もいない、勝ち誇ることも、負けて悔しがる相手もいない。そいつは吐き気がするほどに怖いことだ。
だから。
「負けるな、小太郎!! 負けたら悔しいぞー!!」
俺は両手をメガホンに変えて、叫んだ。
この歓声の中で聞こえるどうかは分からない。
しかし、叫んだ次の瞬間、火が出そうなぐらいにぐりぐりと額をぶつけ合っていた小太郎の口元が大きく歪んで、犬歯を剥き出しに嗤う。
「そろ・そろ、からだぁあああ、熱ぅなってきたかぁ!?」
「ん、ん!?」
「い、く、でぇえええええええ!!」
咆哮。
「!?」
獣の唸り声のような声と共に小太郎の両手が、ネギ少年の腕を押し返し、ダンっと叩き付けた舞台が軋むような震脚と共にその足が跳ね上がった。
轟音。ネギ少年の腹部から背部まで貫くような鋭い蹴りに、少年の身体が吹き飛んで。
「ネギ先生!?」
「いや、違うアル!」
否、吹き飛ばされたのではない。
蹴り飛ばされたように見えて、その方角に咄嗟に逃れた。証拠に放物線を描いて、数メートル背後の床に着地しながら右手で腹を押さえ、左手ですぐさま構えを取るネギ少年。
「しゅぅっ!」
呼気を漏らし、小太郎の身体が跳ねた。まっしぐらに、床を蹴り飛ばし、低く滑るような姿勢。
俺が貸したジャケットの裾が風を含んでなびく姿はまるで矢羽の付いた矢のように鋭い。
ネギ少年が応える。
重く姿勢を低くして、半円を描くような動きと共に足を踏み出し――叩き下ろすように振り抜いた掌が唸りを上げていた。
小太郎が応じる。
加速し、笑みを浮かべ、こちらにまで響いてきそうな獣声と共に床から掬い上げるような手刀――黒い漆黒を纏う。
ネギ少年の振るった手と小太郎の掌が接触し――轟音が轟いた。
「!? なんだ?」
明らかにただの人間の手と手がぶつかったものじゃない。
大気がびりびりと震える、どう考えても真っ当じゃない現象。
だけど。
「お、ぉ、おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「ァ、ぁ、ぁあああああああああああああああああああああああ!!!」
轟音、轟音、轟音。
空気を吸い上げ、叫びを響かせ、唾液を撒き散らし、怒声を撒き散らし、絶叫と共に殴り合う――最初の光景の焼き直し。
だが、違う。
迫力が違うのではなく、使っているものが違うのではなく。
「漆黒――」
「風よ――」
互いにめり込んだ拳の果て、舞台がひび割れる、瞬動と呼んでた技術の――大気が揺れるような踏み込みと共に無理やりに顔を前に。
壮絶な笑み、獣じみた顔と共に――二人が同時に拳を叩きつけ合う。
『くだけろぉお!!!』
鉄拳衝突。まっしぐらに、何の小細工もなく、拳を叩き付け合う。
大気が弾けた、軽く観客戦から悲鳴、横からは口笛――古菲の感嘆の声が洩れる。
「っ!」
「ぎ、まだやぁ!!」
幾らなんでもあの衝突に手がやられたのか、皮膚が裂け、血が溢れる。
小太郎とネギ少年が同時に手を引いて――小太郎がなぎ払うような蹴りを繰り出し、ネギ少年は――
「ぁああああ!!」
後ろに避けるわけでもなく、自分を庇うわけでもなく“さらに踏み込んだ”。
砕けた手を下に、身体を半身に捻りながら腰を落とし――肩と背中を押し出すような構え。
っ! あれは――
「鉄山靠アル!!」
足首を廻し、膝を廻し、腰を廻し、肩を廻し、剄を練り上げ、勁道を通す。
運動エネルギーの最高効率での放射技術、不完全ながらもそれは古菲の叫び通りに鉄山靠だった。
結果。
「ぶっ!?」
小太郎が吹き飛んでいた。
小太郎の蹴りがネギ少年の肩にめりこみ、それごと舞台の床を軋ませ、振り払うように旋転した発勁の打撃が吹き飛ばしていた。
「はぁ、はぁ……ーっ!」
ごろごろと転がる小太郎の身体、それから視線を放さないままに、ネギ少年が呼吸を漏らす。
蹴られた肩に片手を当てたまま、喘ぐような呼吸……ダメージがある証明。
小太郎は舞台の上に半ば蹲りながら嗚咽を数回漏らし……口の端を切ったのか、赤い雫を垂らしながら犬歯を剥き出しに嗤った。
「やるやないか、ネギぃッ!」
ペッと血の混じった唾を吐き出し、小太郎が立ち上がる……肩を廻し、手を廻し、ステップを踏んで――タンッと床を踏み締めると、再び姿勢を低く、獣のように構える。
小太郎独特の構え、狙いは単純――真っ直ぐに前進し、蹂躙すること。
「そっち、もねっ! ――杖よ!!」
片手を伸ばす――選手席においてあった杖が、抱えていた神楽坂の手から投げ渡される。
というか飛び出したのだろうか、明らかに投げただけではない加速度共に杖が手の中に納まり、パシンッと小気味いい音と共に構えられる。
達人とまではいかないだろうが、素人の構えではない杖の持ち方と姿勢。
無手の小太郎に対し、明らかなアドバンテージだ。
「棒術まで仕込んだのか?」
「仕込むってほどじゃないアルよ? 基本の持ち方と構え、あと使い方だけアル」
素人の付け焼刃ってところかもしれないが、器用なことだ。
にしても、格闘なら一日の長があるだろう小太郎に、幾つかの絡め手を使ったとはいえここまで押し込めるネギ少年……どこまで器用なんだか。
俺は感嘆と同時に一種の呆れすら覚える。
(天才ってのはああいうのかもしれねえなぁ)
他の人間の費やした時間と努力に対し、明らかに違いすぎる習得速度と学習速度。
化け物、とまではいかないが凄いなと思うほどに成長している。
だが――
「小太郎の奴はここからだな」
あの負けず嫌いがここまで押されたままで終わるわけがない。
どう盛り返す?
「どうでもいいけどさ……これ子供同士の試合ってレベルじゃないよね?」
「パル、それは言わないお約束です。うぅ、痛々しくて見るのがちょっと……理解出来ません」