葱丸side
俺は麻帆良に引っ越す準備を進めていた。とはいっても、まだ京都には来たばかり、持って行くような貴重品などほとんどゼロだ。
最低限の必需品だけ用意しておけば、後は向こうで揃えれば問題ない。
支度金はできるだけ使わないでとっておかねばならない。怪人達と戦うことになったら、武装するだけでいくらかかるかわかったもんじゃないからな。
敵地に侵入するにあたって重要なのは、情報とダンボールだ。あ、ごめん。ダンボールはなし。
とにかく優先されるのは情報収集だ。奨学金を受けるテストの際にもらったパンフレットにも念入りに目を通し直してみたら、一般的な学園とは規模が違いすぎる。表向きだけでも一筋縄でいく所ではないようだ。
ネットで検索してみると、さすがに千草さん経由の裏の情報は隠されているが、データを確認して常識からかけ離れた巨大学園だと思い知らされる。
なぜ葱丸になる以前は、この学園を知らなかったのか不思議なくらいだ。
千草さんにも、あの後一回だけ別れの挨拶をするために顔を出した。
「あんさんが来なくなって、うちとこの半端もんがうるそーてしょうがないわ」
「半……ああ、刹那さんのことですね。彼女はべったりと長の派閥ですから、さすがに距離をおいたほうがいいでしょう」
万一俺が関西呪術協会のクーデター計画にかかわっていると知られたら、その場で三枚に下ろされてしまう。
「へえ、あんさんのことだから、てっきり利用すると思うていたんやけど」
目を糸のように細め千草さんが小首をかしげる。いや、俺だってできるものならそうしたいよ。しかし、木乃香お嬢様の身柄を巨大ロボに乗せようとしてるのを知られても刀の錆びが確定だ。
「とりあえず、僕は麻帆良に行くのですから彼女のことはおいておきましょう。それより千草さんはこちらに残るんですから、上層部へのコネと活動資金を出させるスポンサーを探しておいてください。しばらくは地道な活動になりますが頼みますよ」
「わかっとるわ……それから餞別や」
と懐にしまっていた三枚のお札を渡された。なにやら流麗な草書体で書かれており、まったく読むことができない。怪訝な顔を見せた俺に彼女が解説を加えてくれた。
「短期記憶消却の符――つまり、直前の五分間の記憶をなくすもんや。記憶を消したい相手の額に貼れば、それでうまくいくはずや」
「そんなもんが実用化されてるんですか」
さすがに驚きの色を隠せない。隠蔽工作の見事さからみて『紅き翼』が記憶操作の技術をもっていることは予測していたが、こんなに薄い紙と変わらないサイズまで小型化が進んでいたとは!
これを使えばカメラやビデオなどの記録媒体がないところでは、犯罪がやりたいほうだいだ。なんて……うらやましい。あ、いかん。本音が。
「ゴホン、ありがたく使わせていただきます」
「礼は情報でかえしておくれやす。麻帆良の内部情報は西ではかなり貴重なんやから」
頭を下げようとする俺を千草さんが制した。まあ、確かにギブ&テイクの関係だよな。
後は緊急時の連絡用に携帯の番号を教えてもらったが、これは「着信があったら即ずらかれのサインやと思うてる」とのことで、普段は手紙を書けと言われた。
どうやらテクノロジーは原始的な方が秘密は守りやすいらしい。
お互いの無事と幸運を祈り合い、別れを告げた。
麻帆良に到着したのは入学式の三日前だった。想像以上の人波に押されながら駅を通りぬけ、まずは寮へと足を運ぶ。新入生は相部屋が普通なのだが、個室がいいと強硬に主張したおかげでなんとか一人部屋を取れた。
手荷物を下ろして、一息をいれる。この部屋は、手足を伸ばせば壁にぶつかる程度の広さだがとりあえず悪くはない。はてさて、これから麻帆良でどんな生活が始まるのか。
散歩がてら、制服を受け取りに出かけることにした。できるだけ早く周りの地形も把握しておきたい。ここは『紅き翼』の領地内のようなものだ、どれほど注意をしても警戒のしすぎにはならないだろう。
さて、外に出てまずは大通りから観察をはじめたが、これといっておかしな点は見当たらない。学園都市らしく人と活気があふれているのと、西洋風な町造りを除けば普通の都市だろう。
唯一、気になるものは都市の中央にそびえる『世界樹』ぐらいだ。俺は服屋からサイズを測って注文していた制服を受け取ると、近寄ってその微かに甘酸っぱい匂いを漂わせる巨大な幹を見上げた。でか過ぎだろ、コレ。
この大きさなら間違いなくギネス級のはずなのに、なぜか検索すると『世界最大の木』はこれより明らかに小さい木が表示されていた。
――ということはつまり、
「この世界樹は植物ではなく、人工的な建造物ということになる」
それならギネスブックに載らないのも当然だ。「木がちがっていてはしかたがない」と獄門島の住職のようなつぶやきがもれる。
だが、なぜわざわざ樹に偽装する必要があるのだろう?
周りの人間達にもこれを樹だと故意に誤解させているようだし、ろくな使い方はされていないようだ。
都市のど真ん中で、一番大きくて偽装された秘密の建造物の使用法として考えられるのは……夜な夜な怪しい電波を飛ばしているとか――まさかね。
自分の発想に苦笑がうかぶ、不審なものを発見すると即『紅き翼』に結びつけるのは悪い癖だな。軽くノイローゼになりかけてるかもしれんと頭を振った。
数ヶ月後の学園祭においてこの世界樹が怪しげな光を発し、近くでデート中のカップルの多くが倒れたり、軽度の記憶障害を受けるなどの事件が起こった。その事件からちょっとやそっとじゃ動じないこの学園都市の住人のほとんどが、電波で操られている『電波系』だと俺が気づくのはこれよりまだ先の話だ。
いよいよ入学式当日になり、俺は警戒心と緊張感をマックスに引き上げていた。フル武装して周囲に目を光らせて臨む、俺の内心はさておき周りの雰囲気は祝賀ムード一色だ。
入学式は何事も無く開始され、滞りなく進行していく。在校生と新入生の数がやたらと多いことを除けば、おおむね普通でおかしなことなど一つもない。
もしかしたら、平穏な日々がこの麻帆良で営めるかもしれない。俺の胸に微かな希望が生まれた。
そりゃ改造人間になった時点で、そういうのが望めないのは判っているが、期待するぐらいはかまわないだろう?
「麻帆良小学校、校歌斉唱」
そのアナウンスに従い起立する。興味がなかったから今まで校歌なんて調べなかったため、慌てて開いた生徒手帳を睨みながら声を張り上げる。
在校生も合わせると数千人にのぼる少年少女の澄んだ歌声が、高らかにメロディをかなでサビへと差し掛かる。
「♪ああ~ 麻帆良小学校 死して 屍拾うものなし~♪」
……あれ? この歌詞間違ってない? なぜ父兄席から拍手がおこる? 俺のセンスがおかしいのか?
やはり、入学する学校を間違えたかと後悔する俺の脳裏に、恐ろしい光景がよぎった。
「ま、まさか、『紅き翼』の奴ら、死して屍拾うものなしって歌を改造人間にみんな歌わせてるなんてことはないよな」
任務に旅立つ前にデスメガネやデコツルンなどの怪人が、直立不動で「♪死して屍拾うものなし♪」と合唱して出撃する。ああ、なんてシュールな組織だ。
「『紅き翼』、なんて恐ろしい組織なんだ」
心底そう思う。怖いと言うよりも近づきたくない団体だ。
こうなってしまうともう嫌な妄想が止まらない。今まで目をつぶっていた不都合なピースが次々と組み合わされていく。
なぜ多数の孤児をひきとるのか――家族がいない子供の方が改造人間にしても面倒がないから。
どうして学校を経営してるのか――改造した子供の成長を長期間、かつ身体測定などで定期的に検査できるから。
高校・大学まで一貫教育なのは――幹部候補生を選抜し、鍛え上げるため。
俺の想像の中で組み合わされたピースは、邪悪な全体像として組みあがった。
この麻帆良学園は『紅き翼』の構成員を補給するために存在するのではないか。
長期間に渡り、寮などで過ごすことによって外界から遮断する。そして教師達が六年間をかけてじっくりと『紅き翼』の思想を叩き込む――これも洗脳の一種だな。
だとすると教師や在校生はもちろん、手帳を見ずに歌っていた新入生や拍手していた父兄と母姉も――。
俺は万雷の拍手の中、アウェイに一人ぼっちだったことを実感し背中に冷たい汗を感じていた。