知らないうちに名前が変わっていた少年side
俺が名前を変えられていたのに気がついたのは、うかつにもパスポートを開いてからのことだった。
確かに組織の目を逃れるために『ネギ・スプリングフィールド』という名前を変える必要があるし、以前の日本の名前でもすぐ組織の網にかかってしまうだろう。
それで、新しい名前の手配も全てジョンに任せていたのだが……。
「鬼切 葱丸(おにぎり ねぎまる)かぁ、微妙においしそうでかつ強そうでもあり、ちょっと時代錯誤でもあると。いや~ジョンの奴何を考えていたんでしょうねぇ」
どっかの美食家か骨董屋のようなつぶやきがもれ、額に青筋がはしるのが自覚できる。あいつ今度あったら絶対殴る。何も考えず適当に命名したに決まってる。
でもまぁ、と肩の力を抜いてリラックスしようと心がけた。
いくら『紅き翼』でも俺を捜索する時には、ネギと似たこんな名前は予想してないだろう。というか予想してないってことにしておこう。そうでないと俺の神経がもたない。
まだ入国もしてないのに、日本での生活に暗雲がたちこめてくるような気がしてきた。
俺が日本で生活する場になったのは、京都にある孤児院だった。木の葉を隠すなら森の中というか、子供を目立たないよう隠すにはこういった場所がいいらしい。
幸いこの孤児院はいい意味でルーズなので、あまり子供達に無理にかまおうとせずに勝手を許してくれた。秘密裏に行動するには実に都合がよくできているのは、おそらくジョンからそういった通達がきているのだろう。
ただ気になるのは、時折職員の女性が「こんなに小さい子供を残してUFOにさらわれるなんて……」という声を聞くとジョンがどんな説明をしたのか激しく不安になる。
しかし「UFOは関係ありません、僕はただ改造人間にされかけただけです」と申し開きができるわけもなく、院内での俺の立場はローンウルフだった。
それが気に入らない子もいたが、歓迎会で俺が「隠し芸」と称したビール瓶のチョップ切りをしてみせたら(いや、自分でもビックリだができたんだって)全て問題はなくなった。
日本に落ち着いてからまず購入したのは、髪染めとカラーコンタクトで二つともブラックだ。孤児院の職員は反対したそうだったが、俺がうつむきがちに
「みんなと違うのは嫌だから……」
とつぶやくと、いじめられていると誤解したのかすぐに納得してくれた。これでぱっと目には日本の子供に見えるはずだ。
すっかり日本人の子供っぽい格好になって、俺が暮らしていたアパートの部屋を偵察にいったが、なぜかそこは大きな公園になっていた。
どうやら俺が住んでいたアパートごと豪快に処分したらしい。もしかしたら、隣の部屋の同級生なども実験されたのかもしれないな、畜生。
次に通っていた大学で俺の名前が学生名簿に載ってないのを確認した時点で、以前の俺の痕跡を探すのはやめた。
友達を見つけたとしても、俺と接触があったことを『紅き翼』に知られれば良い結果が生まれるとは思えない。
自分の感傷に他人を巻き込んではいけないよな。
「ヒーローは孤独なもんさ」
強がりを口にのせるのが精一杯だった。
そこで俺は自分を鍛えることにした。一人の力では組織に対抗することができないのは理解しているが、せっかく高スペックの体を手にしたんだからその可能性を極めてみたい。シミュレーションで強いキャラクターをゲットしたらとことん成長させるタイプなんだよ俺は。
最初は何か格闘技――例えば空手などを習おうかと考えたんだが、具合が悪いことにこの体の基本性能がまだ俺にも把握しきれていない。下手に弟子入りなんかすると正拳突きの練習のさいに、ローブ姿の敵幹部を倒したイカヅチを帯びたパンチを放ってしまう。一般人に見せるのは不味すぎるよな。
効率は悪いが、信用できる師匠ができるまでは自己流でトレーニングするしかない。
かといってちまちま基礎的な訓練をするのは俺の柄じゃない。そこで参考にしたのが漫画の特訓だ。改造人間なら漫画の鍛錬法でも大丈夫だろうと、過去の人気漫画の理論を実証することにした。『スーパー野菜人』は体に強い負荷をかけた後に命の危機に陥れば、超回復してパワーアップできるらしい。
俺は手足に付けられるだけパワーアンクルなどのウェイトをつけ、リュックに缶詰や百科事典など重いものだけを詰め込んで背負った。……いや合計二・三十キロはあるはずなんだが、そのまま誰にも気づかれずに孤児院から脱け出せるんだからこの体も凄いよな。
目指すのは、近場なのに昼でも人気の無い山の頂だ。並みの四・五歳児には荷物なしでも山頂までは不可能、成人でも一苦労しそうな登山道だ。その険しい山道を、夜明け前の薄明かりの中歩みだした。
さて、登山家の皆さんには色々と突っ込みどころはあるだろうが、昼前には山頂にたどりついてしまった。
「ずいぶん山を甘くみてたんだが、それでも登山成功か」
もちろんこのぐらいで終わるわけがない、今回の目的は己の限界を知り、なおかつそれを乗り越えることなのだ。深呼吸で息を整えると下山するのではなく、森の中へと全力で疾走しはじめた。
――十分後地面にへたり込み、息を荒げて雑草の上に汚れた頬をのせていた。確かにスタミナとスピードはアスリートクラスであることは確認できたが、こんな風に走りこむだけで鍛錬になるのか不安だ。
地道に努力するという選択肢はすでに頭の中から消え、急成長するためには生命のピンチに陥らねばならないのかと危険な思考がよぎる――例えばそう、こんな疲労した状態でこちらを窺っているクマさんに襲われるとか……。
え!? クマさん!? クマがいるよ!
大木の陰から星飛雄馬の姉のようにこちらを見つめているクマと視線がぶつかった。ざっと見で体長三メートルはある大物だ。月の輪がないのでヒグマだろうかと思ったときに違和感を感じた。
なんか腕の数が多いですよ? 六本もあるっておかしくない? それにサーベルタイガー並みの牙って、あなた様はほんとにクマさんでしょうか?
クマ(不確定名称)は人間くさくにやりと牙をのぞかせると
「オレサマ、オマエ、マルカジリ」
いただきますと掌を合わせて宣言してきた。クマじゃなかった! しかも喋る! おまけに食前のマナーまで守ってる! ということはこいつも怪物だが話し合いができそうな雰囲気ではない。あくまでも暴力反対、対話による解決をというガンジーの後継者の方、よだれを垂らしたクマに似た怪物の前に横たわっている俺と交代してください。
なぜこんなところに昼間から怪物がいるのか激しく疑問を感じながらも、俺は無抵抗主義者ではないので抵抗しようと立ち上がろうとしたが、妙に体が重い。今頃になって体力が限界なのを自覚できるとは……。
しかたなくこの怪物に対しベジタリアンの心得を伝授しようと決意したが、こういう時にヒーローには助けがやってくるのだ。
「さがっていてください!」
高い声で俺に呼びかけると、まだ幼さの残る少女が現れて身の丈以上の大きな刀を振りかざした。
「斬岩剣!!」
気合と共に振り落とす。その刀から衝撃波が生まれ――怪物の防御に弾かれた。
「そんな!? 防がれた!?」
「あれは……マ・ワ・シ・ウ・ケなんてみごとな」
少女の焦りの叫びと俺の感嘆の声が交差する。いや、そんな解説してる場合じゃないのはわかっているんだが。
少女はサイドポニーに少しつり目の顔をしかめて、俺に撤退を要求した。
「危険ですから、できるだけ遠くに逃げてください!」
「いや、そうしたいのは山々なんだが、もう走るのは無理」
疲れをにじませた俺の返答に少女は唇をかんだ。なにか決意した瞳でチラリとこちらを見てから怪物に向き直った。
「こっちを見ないでください」
そう背中越しに告げると、再び怪物に向かって「斬岩剣」と斬りかかる。さっきと違うのは少女の背中に鬼の面ではなく、白い翼が生えていたことだ。
それを確認できたのは勿論おれは目をそらさなかったからだ。今度の一撃はさっきのとは桁違いの破壊力で、円を描く防御を貫き怪物を消滅させた。
振り返った少女と思いっきり視線が合った。怪物と相対したときにも見せなかった怯えの色が、少女の青くなった顔に浮かんだ。
「み、見んといって言ったやんか!」
「待ってくれ!」
いきなり京都弁になり逃げ出そうとした少女を慌てて呼び止める。正体がばれた途端消えるってリアル鶴の恩返しかよ! と内心つっこみながらもここで、彼女と分かれるわけにはいかないと判断していた。
この状況を考えれば、間違いなくこの少女も改造人間――しかも、逃げようとしたってことは俺が組織から追われているという立場を知らないらしい。
情報を得るためには、なんとしても接触しなければならない。
全身の力を込めて少女に呼びかけた。
「待ってくれ!! 怪人シロサギ、怪人ハト女、怪人デコツルン、怪人ハクビジン!」
とりあえず当てはまりそうな怪人名をあがられるだけあげてみた。鳥名が入ってないのもあるが気にしないでくれ。
少女は飛び立ちながらこちらをキッと睨みつけた。
「怪人って、デコツルンってなんやの! 助けてあげたのに、このいけずー!」
涙目になりながらも、あっかんべをしようとした体勢のまま木に激突した。……いや、飛行中は前方に気をつけようね。
うまい具合に目をナルトにして気絶した少女にむかって、リュックからなぜか赤いロウソクとセットになっていたロープを取り出しておそるおそる接近した。
このままでは怪人デコツルンになってしまいそうな少女side
――ゴツン。
きゅう。