エヴァside
私の数百年にも達する生涯の中でも、ここまで阿呆面を晒した事は無かったかもしれん。
この期に及んで葱丸が超の奴を突き飛ばすなど誰が想像しているものか! ガイノイドである茶々丸も含め、この飛空船に搭乗している者が唖然と固まって葱丸の演説を止められなかった。
『世界を支配している秘密結社『紅き翼』の全ての構成員と改造人間達よ! 頭に叩き込むのだ、これからはこのネギ・スプリングフィールドが新たなるボスとして君臨する!!
そして人々よ我々『紅き翼』と改造人間に逆らう事は許さん――グハァ!』
満面の笑みで口上を述べていた葱丸がいきなり吐血して、床に叩きつけられた。しかも、倒れた床には血溜まりが出来ていく。うつ伏せになった背中からも出血しているって事は――。
『ああ! 葱丸の腹に穴が!? 衛生兵、衛生兵!』
葱丸を慌てて抱き上げると思わずパニックになりかけて、ここには存在しない衛生兵を呼んでしまう。そんな私の耳に、苦しげな超の声が届いた。
『葱坊主! もしかして私の代わりに悪役を買って出たのカ――』
愕然と胸に抱きしめた少年の顔を見つめてしまう。まさか、この葱丸は超の代わりに世界に対して悪役を代行宣言したというのか! 確かにこの世界中を利用した宣言が使えるのはほんの短時間だけ、先に言った者勝ちであるが、葱丸は自らの子孫を名乗る娘の為に自分を犠牲にしたのか!
く、何か面白くない! 面白くないぞ! そんなもやもやを吹き飛ばしたのは茶々丸の報告だ。
『葱様を襲撃した相手は前担任教諭の高畑氏、東南東上空三十メートルです』
なんだと、性懲りも無くまたもこやつか。いい加減に空気を読め!
『タカミチー! 貴様ー!』
無詠唱で思い切り魔力を叩きつける。幸い魔力は解放されているので、本気になればこの程度は雑作もない。できればそのまま追撃して息の根まで止めておきたいところだが、こんな傷ついた葱丸を放って戦闘するわけにもいかない。同様の理由で茶々丸を行かせる訳にもいかない。
『うわ金髪幼女強い』
なのにその気遣った少年は馬鹿な事を呟いている。……こいつは放り出してもいいかもしれんな。助けてやったくせに感謝していない風な葱丸にいらっとしてしまう。
いかんいかん、こいつは怪我人だ少しぐらいは大目に見てやらないと。
そんな風に考えていると、魔方陣から光が消えて我々の声に掛かっていた妙なエコーも無くなった。
優先すべきは怪我人の処置だと、葱丸のシャツを広げて傷口を確認した。――これは予想以上に酷い。
傷を負った場所的にはほとんど超と変わらないが、傷口の大きさが違いすぎる。超は銃弾一個分――つまり指先ぐらいの貫通跡だが、葱丸の場合は拳大の穴が腹部にあいている。むしろショック死しなかっただけでも、その肉体のポテンシャルの高さが窺えるほどだ。
明らかな致命傷に絶句する私に、葱丸は抱きかかえられたまま瞳をそらさずに語りかけてきた。
「エヴァさん……僕はエヴァさんにちゃんと好きだって言いましたよね……」
「な……」
葱丸の唐突な告白に一瞬頭の中が真っ白になる。なんでこんな時にいきなり言うんだよ。
「き、聞いてない。お前から好きだなんて言われた覚えはないぞ!」
「それに、葱丸様。現在そのような言葉を仰られると、死亡フラグになり『それが彼の最後の言葉だった』という確率が三十パーセントほど高くなります。お心の内に留めていた方が懸命かと」
「ええい、茶々丸もおかしな茶々をいれるな! 大体どこから三十パーセントとかいう率をはじきだしたんだ!」
「この麻帆良の魔法教員の職務規定に少々細工をしてデータ取りに協力していただきました。ですが、どの道葱丸様のそのお怪我の具合では関係なかったかもしれませんね。ではご自由に」
「そうですか、それじゃお言葉に甘えて」
いや、茶々丸よ貴様は私の知らん所で何をしているんだ?
茶々丸の突っ込みどころ満載の台詞にも微かに微笑して、葱丸は再び私の瞳を真っ直ぐに見つめる。ああ吸血鬼の真祖として魔眼を手に入れてから、ここまで正面から見つめられたのは久しぶりだ。
「聞いてない……ですか、エヴァさんは素直じゃないですね。そこが好きだってはっきり言ったつもりですがね……」
こいつから言葉が発せられる度に頭が沸騰し、勝手に頬が紅に染まってゆく。ち、違うんだ。こいつの告白がどうのこうのじゃなくて、そうだ! こんな生死の賭かった場面で突然愛を囁くするこいつが悪いんだ!
「こんな緊急事態にそんな事言うな! 私は今は聞くつもりはないぞ!」
「でも……」
とさらに喋りかけた葱丸が激しく咳き込む。まずいな、このままでは……。横目で茶々丸を窺うが、無表情で顔を横に振られた。
かくなる上はこれしかないのか? 若干ためらいながらも、目の前の細く白い喉に手を伸ばす。一時的に操るならともかく、本格的な吸血鬼化など二度とするまいと思っていたが……。
その伸ばした右腕は葱丸に弱々しく遮られた。手は震えながらも目は強い意思を保っている。その瞳の奥の光に一瞬そのまま魅入られたように動きが止まってしまう。
「エヴァさん……人間は自分のした事の責任は自分で取るべきだと思うんです……。だから、その手を引っ込めてください……」
「貴様……死ぬのが怖くないのか! このまま私の手を拒むなら待っているのは死だけだぞ!」
私の声はヒステリックに高まり、ほとんど悲鳴だった。だが、それでも彼のかすれた途切れ途切れの台詞のほうが力強い。このままでは葱丸が失われてしまう。
動揺する私に少年は蒼白な顔に微笑を乗せる。
「大丈夫です。改造人間はこのぐらいじゃ死なないんですよ……」
「何馬鹿な事を……、おい葱丸! おい!」
私の手を止めていた葱丸の腕から力が抜け、今にも目蓋が落ちそうになっている。
こいつは死の直前であろうとも吸血鬼への道を選ばずに、己の責任を全うしようとしている。私はどうだ? ここでは治療ができないと見守っているだけなのか? それが『闇の真祖』か?
かまうものか! こいつがいなくなるのが嫌だから、私が私の都合で勝手に吸血鬼にしてやるんだ。
ほとんど抵抗する力を失った少年に優しく牙を突き立てる。
葱丸の血は今までの誰よりも甘く、そして苦かった。
葱丸side
『グハァ!』
勝利宣言をした途端、腹を突き抜ける衝撃を感じた。目を下に移すと、自分の腹から向こう側が見えた。そのまま、すとんと膝がぬけて顔面から床に倒れこむ。
自分の身に何をされたのかすら気にする余裕が無い。
これはマズイ……。意識が朦朧とし始めた時に、グイとばかり首根っこを掴み上げられて、仰向けにされた。そこに映るのは金髪のまだ幼い白人少女だ。
痛ましげに俺を一瞥くれると、すぐさま怒鳴り声をあげ右腕からビームを発射する。
『うわ金髪幼女強い』
その強さに戦慄してしまう。俺はこんな奴に喧嘩売っていたのかよ、ちと無謀すぎたな。
鳥肌を立てながらも、ふとなぜ彼女がこんなに苛立たしげな態度なのか察した。
この幼女は超さんからここの警備を頼まれてたんだよな? だったらこの襲撃で俺が怪我したのも全部こいつのせいじゃね? それにこの飛空船に搭乗した際に警備の隙を指摘したはずだぞ。
「エヴァさん……僕はエヴァさんにちゃんと隙だって言いましたよね……」
「な……」
と彼女は絶句し、顔を朱に染める。雇い主の超さんの前で失態を暴かれるのは屈辱だろうが、責任の所在ははっきりさせておかないと俺の治療費も出さないかもしれん。
「き、聞いてない。お前から隙だなんて言われた覚えはないぞ!」
それなのにエヴァさんは見苦しくもそう弁明した。何て往生際が悪いんだ! こいつしらばっくれて俺に治療費とかお詫びとか出さないつもりだな。そうはさせんぞ!
だが俺の追及をかわすかのように茶々丸さんまでが口出しをしてくる。
「それに、葱丸様。現在そのような言葉を仰られると、死亡フラグになり『それが彼の最後の言葉だった』という確率が三十パーセントほど高くなります。お心の内に留めていた方が懸命かと」
「ええい、茶々丸もおかしな茶々をいれるな! 大体どこから三十パーセントとかいう率をはじきだしたんだ!」
「この麻帆良の魔法教員の職務規定に少々細工をしてデータ取りに協力していただきました。ですが、どの道そのお怪我の具合では関係なかったかもしれませんね。ではご自由に」
「そうですか、それじゃお言葉に甘えて」
ええい! このぐらいの天然を装った妨害で話を逸れされるもんか。あくまで俺の怪我はエヴァさんのこの飛空船の管理注意義務を怠ったせいだと主張するぞ。それも俺からのアドバイスを無視しての怠慢だ。これはやっぱり許せない。
「聞いてない……ですか、エヴァさんは素直じゃないですね。そこが隙だってはっきり言ったつもりですがね……」
俺の指摘にエヴァさんは真っ赤な顔をブンブンと左右に振って否定した。
「こんな緊急事態にそんな事言うな! 私は今は聞くつもりはないぞ!」
凄ぇ、ここまで諦めが悪いとは想像していなかった。水戸黄門で印籠出されてもごねる悪代官並みの粘り強さだ。
「でも……」
と畳み掛けようとしたところで喉が焼けるように熱くなり咳き込んでしまう。まずい、思ったよりダメージがあるのかまともに呼吸する事すらきつくなってきたぞ。
もう責任追及はほどほどにして救急車でも何でも呼んでほしい。救急車が空の上まで来るのかは激しく疑問ではあるが。
助けを求めて目を上げれと、空気が張り詰めるほど真剣な表情のエヴァさんが見下ろしていた。その凍りついた雰囲気のまま緩やかに俺の首へと手が伸びてくる。
この女、殺る気だ……!
自らの失敗を糊塗する為に、目撃者であり証言者になりうる俺の口封じをするつもりとは。さすが汎用人型決戦兵器だぜ、人の心を持っていない。
思うように動かない体を必死に操り、幼い絞殺魔への説得を開始する。
「エヴァさん……人間は自分のした事の責任は自分で取るべきだと思うんです……。だから、その手を引っ込めてください……」
俺に対抗する体力が残っていたのが意外だったのか、ヒステリックに己の殺人未遂を正当化する。
「貴様……死ぬのが怖くないのか! このまま私の手を拒むなら待っているのは死だけだぞ!」
ほう、聞かないポーズも直接殺そうとしたのも失敗と見るや今度は脅迫かよ。『従わねば死ぬだけ』とは古典的な脅迫のメッセージだな。
くっくっく、一般人ならば震え上がって尻尾を振るかもしれないが、俺のボディは特別製だぜ。
「大丈夫です。改造人間はこのぐらいじゃ死なないんですよ……」
そう見得を切った後に、なぜか視界が暗くなってきた。腹の怪我も痛みというより痺れる感覚が強くなり、急に寒さが身に沁みこんで来る。エヴァさんが叫んでいるようだが耳鳴りが大きくて聞こえない。
これは冗談抜きに生命の危機だ! 体は動かないくせに頭だけは高速で空回りを続ける。こうなったらどんな口裏合わせでもするから助けてくれと、エヴァさんを見つめるとそこには牙を光らせて大きく口を広げた少女の姿があった。
信じられねぇ。絞殺が防がれたと判断すると、即座に喉笛を噛み千切ろうとするとはどこの暗殺者だよ!
うわお、牙がもうほんの間近まで来てる……あー!!
そこまでで俺の意識は闇に閉ざされた。