葱丸side
「「「ちょっと待て」」」
ちぃ、作戦名『爽やかに微笑み、風の様に去っていく』は失敗か。内心の動揺を押し隠して、上げていた右手で頭を掻く。俺を呼び止めた人間はなぜか皆殺気立っている様子だ。
こうなれば簡単にこの場からの撤退は難しいだろう。ならばどうするのが最善手かは、状況を把握してから考えねばならない。
その為にもできる限り冷静に周囲を観察し情報を読み取っていく。
人気のない裏通りであるここにいるのは、服装からサングラスまで黒に統一したデスメガネとそれに対峙するアダルトな下着の妙齢の美女。その背中に匿われているのは、ボロボロになった小太郎君とショートカットの少女だ。
さらに地に伏せ惜しげもなく裸体を晒しているスタイルの良い少女に、その体をマントで覆おうと奮闘している杖を手にしたそれよりも年少の少女。
なるほど、つまりここでは行われていたのは……ちっとも想像ができない。
「あの、ここで一体何をしてらっしゃったんですか?」
「き、君には関係ない!」
焦ったようにデスメガネが質問を遮った。さっきまでは俺の登場を誰よりも喜んでいるように見えたが、この質問には裏返った声でどもっている。「そんな事聞くんじゃない!」と言わんばかりだ、ここで何をやらかしていたんだ? こいつは。
その疑問が天に届いたのか、同調する者が現れた。
「あら、教えて頂けませんの? 何があったのか私も気になりますわ」
とシスター装束を身に着けた美女が少女二人を伴って新たに出現したのだ。確かこのシスターには、以前エヴァさんとの戦いで出会った記憶があった。あの時に明日菜さんと共に乱入してきたシスター・シャークティだ。後ろに続くそばかすの少女とコーヒー色の肌のちびっ子のシスター見習いコンビは手持ちのデータにないが、おそらくは彼女の弟子と考えて良いだろう。
とにかく敵か味方かと身構える俺にちらと横目をくれるただけで、シスターは澄んだ瞳を接近させてデスメガネのサングラス越しに瞳を覗き込もうとする。
「そこのネギ君をつかまえようと来てみれば、裸にされた高音さんや千鶴さんがいるなんて。これはいったい何事ですの? タカミチ先生にはきっちり説明していただきたいものですが。
もしかしてネギ君、あなたが彼女達に乱暴したのかしら?」
「まさか! 僕もここに来たばかりで全く事情が判らないんです」
俺の返答に「そう」と頷くと、シスター・シャークティは気遣わしげな視線を肌も露な少女達に向けた。
「では、誰が彼女達にあのような酷い事を?」
俺とシスター達以外の全員がデスメガネを指し示す。わお、注目を一身に集めた奴の顔色が急速に赤から青へ塗り替えられていく。
シスター見習い達は「先生、またやっちゃったんスかー」「美空、やっちゃたって何を?」と年齢的にはまだ早い会話をしている。シスター・シャークティだけはそんな話に加わらず、口元に当てた掌を震わせている。よっぽどショックだったのか「ココネちょっと手伝って」と幼いシスターを呼ぶ声まで震えている。
何をするつもりなのか、全員がシスターにトコトコ近づくちびっ子を眺めていると『タカミチ先生が学園内でまた暴走の模様! 魔法生徒数人を含む学生に脱衣・殴打などの暴行を加えています! 早く応援を!』との電波が物理的な衝撃を与える程の大きさで頭に叩き込まれた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。その報告ではまるで僕が変態みたいじゃないか!」
こめかみを押さえながら血相を変えて抗議するデスメガネに対し、ちびっ子シスターの頭からその手を離して胸元で十字を切ったシスター・シャークティは、あくまでも悲しげに顔を俯かせた。
「タカミチ先生には全く反省はないんですね。やっぱりあなたは……真性の……。主よ、このような者に粛罪の機会を与えることは無駄だったようです。このような者にも主の慈悲を与えるべきなのでしょうか。は!? 『ネジキレ』? 了解しました。ねじ切ります!」
「「どこを!?」」
俺とデスメガネと小太郎君の声がハモった。男性陣は怪しげな電波を送受信しているシスターに対し心なしか腰が引けてしまっている。主と電波で会話していたはずなのに、「うふふ」と含み笑いを洩らし両手をワキワキさせる彼女からは、どす黒いオーラが発散されている。
こんなのと戦いたくない。誰でも、特に男ならそう思うだろう。今このシスターと戦えば間違いなくねじ切られてしまう。
デスメガネも同感だったのか、唇を舌で湿らせながら必死で顔を巡らし責任転嫁の標的を探した。
「ネ、ネギ君! そうだネギ君を捕まえるのが最優先だったはず。シスター・シャークティ、この件は彼を捕獲した後で話し合いましょう!」
くそ、やっぱり俺にお鉢が回ってきたか。デスメガネとネジキリシスターの二人を相手にはできないぞ。彼の言葉にはっと顔を上げ黒い瘴気を収めたシスターに向かって叫ぶ。
「シスター・シャークティ! あなたは神に仕える聖職者じゃないんですか! 組織の言いなりになり、目の前で少女に暴行を働く男を無視するんですか!?
それがシスターのやるべき事と胸を張れますか? 神はあなたになんと仰ったんですです」
「主は……確か『ネジキレ』と」
「では、それはダークサイドに堕ちて全身が黒く染まった男にやるべきでしょう」
納得したのか、深く頷いたシスターは改めてデスメガネに向き直った。その鷹のように鋭い視線はなぜか彼の下半身をターゲットにしているようだが、そんな事俺は全然気がつかなかったな、うん。
いきなり話を振られたデスメガネが傍からも判るほど冷や汗をかいている。
「ぼ、僕だってねじ切られたくないぞ。それに黒く染まったとかダークサイドに堕ちたとか勝手な事を言っているが、この服装にもちゃんとした理由がある!
サングラスはネギ君の閃光弾対策だし、黒皮のパンツもトリモチでも破けない丈夫な特別製だ。肌が焼けるのも赤道直下にいれば当たり前だろう?
ほら、何一つ不審な事はない。だから、シスター・シャークティも薄笑いはやめて、にじり寄るのは止めて、ねじ切るのも無しだ」
じりじりとデスメガネが後退していく。おそらく力量ではデスメガネがシスターを圧倒しているはずだが、視線を合わせずに固まった笑みのままミリ単位で間合いを詰めてくる彼女に迫力負けしている。
両手を前に突き出して、彼女の接近を阻もうとしているデスメガネがこちらを睨む。サングラス越しにも彼が狼狽しているのが丸わかりだ。
「……こうなったのも全ては君が原因か」
「いや、今日は僕何もしてませんが」
「ナギさんの息子とはいえ、君は許容範囲を超えてしまった。学園長の発した『殺害許可』を使用させてもらう。
もし向こうでナギさんに会ったらタカミチが謝っていたと伝えてくれ」
俺の言葉を華麗にスルーし、デスメガネは体の正面をシスターから俺へと向き直した。同時に出していた両拳をポケットにしまい、彼独特のファイティング・ポーズをとる。
なんだか白目が黒く、瞳が白く変化しているシスターから現実逃避する矛先が俺になったような感じだが、その為だけに俺の命を奪おうとしているのだこの外道は。
この時点では頭に血が昇り始めた俺はもちろん、固唾を飲んで見守る女生徒達に未だ手をニギニギしているシスターも誰一人として頭上に起こり始めていた異変に気がつかなかった。
俺はデスメガネとは何回も遭遇しているために、こいつの攻撃方法は把握している。両手をポケットに入れているために始動は見分けづらいが、肩がピクリとでも動いたら奴の大砲並みの一撃が飛んでくる。
その居合い拳の攻撃は、威力や射程距離は違うが基本的にはボクサーと同じだ。したがって、今肩がブレた一撃の狙いもボクシング同様に腹か頭かの二択になる。
――ならば頭を守る。プロテクターで固められた腕で抱え込むようにして頭部をガードする。気絶だけは避けなければならない。どこからか『ボクシングでは意識を失ったらそこで試合終了ですよ』といらない電波が飛んでくるが、言われんでもそれぐらい知ってるって。
顎やテンプルなどの急所をガードした直後に衝撃があったのは、腹でも頭でもなく左胸だった。
ハートブレイクショットかよ! 元日本フェザー級王者の得意なパンチだが、その真価は名前から想像されるような恋愛運を悪化させる呪いがかかるとかではない。心臓にショックを与える事で相手の動きを一瞬止める効果のあるパンチなのだ。その硬直した隙にタコ殴りにするのがこのパンチを使う場合の必勝パターンだ。
つまり何が言いたいかというと――動けない俺に追撃がくるんだよ!
身をよじるように必死で横へダイブし、デスメガネの追い討ちから逃れる。あいつも今のコンビネーションを避けられたのは意外だったのか、サングラス越しの目を見開いている。
無理もない。デスメガネのハートブレイクショットは完璧だったのだから。
「これに助けられました」
と尻餅をついたまま、左胸のポケットから潰れて変形したライターを取り出した。
「さすがはマグナム弾でも受け止めると豪語するだけはありますね」
看板に偽りなしだな。それでもライターとしては二度と使用不可能なまでに壊されている、一体どれぐらいのパワーが襲ってきたのか想像するとぞっとするな。
ひきつった表情で潰れたライターに感謝を奉げていると、すぐさまそのライターが俺の手から弾かれた。さらにくるくる回転しながら宙に舞ったライターが、次の不可視の攻撃で完全に粉砕される。
「君は小道具に頼った小細工しかできないのか」
憎々しげなデスメガネの声に、僅かに失望が混じっているように思えたのはどうしてだろうか。だがそんな事よりも、
「親父の形見が……!」
「え!?」
デスメガネとシスター・シャークティが『親父の形見』という単語に一瞬固まる。他の面々もはっとした表情になった。このブランドがどれほど高価かここにいる皆まで知れ渡っているとは驚きだな。
「ネギ君、君はナギの形見の杖を自分で壊したんじゃなかったのかい? 未だに形見を肌身離さずに大切にしているとは思わなかったよ」
「ええ、それにその英雄の形見を叩き壊す痴れ物がいるとも思いませんでしたわ。あなたにはもう『紅き翼』としての誇りは残ってないようですね」
大人二人が醜い口論を繰り広げ始める。よし、ライターの弁償を求めたいところだが、そこをぐっと我慢してこの隙をエスケープに役立てねば。
何か利用できる人か物がないものか、きょろきょろ首を振りながらヘッドセットに囁いた。
「こちらネギです。今、小太郎と一緒にデスメガネと遭遇して危機に陥ってます。誰か応援をよこしてください」
『……あー、千草やけどあんたに呼ばれた所まできたら、お嬢はんと半端もんが観客の前で抱き合うてなんやテレビ撮影してるそうやで。
まずどうしてこうなったか言い訳を聞かせてくれんか』
「そうなった状況は説明し辛いですが、とにかくこっちも生命のピンチなんです。頼みますよ」
『応援をよこすのは無理やし、状況の説明もいらんわ』
「なぜです?」
『上を見ぃ』
大きく雑音を立てて接続が切れる。ちぃ、役に立たねーな。ちょっとした手違いで俺達が撤退した後の戦場に突っ込ませかけただけじゃないか、あのぐらいで腹を立てるとは器の小さい女だ。
援軍の望みが絶たれ、焦りが胸中を支配し始めた。くそ、何が上を見ろだよ『馬鹿が見る』とかじゃないだろうな。
「え?」
天を仰いだ俺の口から無意識に疑問符がこぼれた。釣られたのか周りの人間も空を見上げる気配と息を呑む音がする。
そこにはもう一人の俺がいた。
ついでにここでの騒動の登場人物の全員が空からこちらを見返している。思わず手を振ると、向こうも同じタイミングで振り返す。
「これは……鏡じゃない。ってことは空に映し出された立体映像ですね!」
最初に見つけただけあって、一番早く正解にたどり着いた俺が答えを出すと空に映し出された俺の映像も同じように叫んだ。同時に画像が切り替わり、マイクを持ったレポーターらしき赤毛をアップにまとめた少女が語りだす。
『あー、見つかっちゃいましたね。今回の『あの人は今? スペシャル編 「セクハラで首になったある教師を追跡取材!」』はライブでお届けしています。
なぞの事件から僅か一ヶ月、数々の疑惑を抱えたまま奴は麻帆良に帰ってきた! どこへ行っていたのか!? なぜ黒くなっているのか!?
マークし続けた取材班が見つけた衝撃の事実とは! ようやく明かされる暴行洗脳教師の真実! やっぱり今現在も子供を殴り、親の形見を破壊しているぞ!
実況は朝倉 和美と提供は「世界に平和と肉まんを」超包子でお送りいたします。
なお、この放送の最後にスポンサーでもある超さんから全世界に向けたメッセージが送られます。
彼女によると新たな世界が開けるほど衝撃的かつ刺激的な事実が明らかになるそうです、皆様もどうかお楽しみに』
CMが入るとこの場にいた皆が口を開けて顔を見合わせた。どうやら俺達はいつのまにか空のスクリーンで視聴者に観賞されていたらしい。
いつからだ? 全員の第一の疑問はまずそれだった。もし俺が来たあたりから中継が始まっていたなら……。
「タカミチ先生はその子を殴った暴行の現行犯で、麻帆良の住民みんなが証人っスね」
代弁してくれたそばかすのシスターに大きく頷いた。デスメガネはぎょっとした表情でばね仕掛けのように発言の主を睨む。あらら、そばかすシスターは「ターゲットにするには、私はまだ青すぎる果実っスよ」とちびっ子シスターを彼に対する盾にした。
あのちびっ子が完熟してるとでも言うのか、それとも彼の趣味はそっちだと推測したのだろうか。
慌ててシスター・シャークティが間に入る。
「ココネにまで手を出すおつもりですか! 本当にねじ切りますよ!」
「僕にはそんな趣味はないと何度も言ってるだろう!」
怒鳴るデスメガネにはもう余裕はなく、焦りが言動を荒っぽくしている。俺のほうもデスメガネとの遭遇や超さんがテレビで大々的に発表するなど想定外ばかりだが、新世界の神を目指す者としてはお約束は果たさねばなるまい。狼狽しているデスメガネにニヤリと唇を歪めてこの言葉を送った。
「計画通り」