刹那side
やりにくい。
目の前の敵と刃を交えながら心の中で呻く。私の使っている野太刀は距離を置いての『攻め』の場面においてこそ真価を発揮する刀だ。
こんなに接近した間合いで、しかも小回りの効く二刀流の小太刀を相手に防御に追われるなど、最も不得手とする所なのだ。
かといって自ら退き距離をとることなど論外だ。私が必ず守ると誓った『お嬢様』を背にしているのだから。
こんな時の為に私は修行をし、強くなったのではなかったか。
矢継ぎ早に繰り出される軽くて回転の速い斬撃に、自分から体当たりをする勢いで踏み込んだ。
――退がれないならば、退がらせるのみ。
相手の体ではなく、突いてきた左の小太刀に刃を叩きつける。勿論敵の刀も『気』を通わせているために切断は無理だが、バットをスイングするように強引に振り切り、相手の体ごと力ずくで吹き飛ばそうとする。
その瞬間私の目に背筋の産毛が逆立つ光景が映った。敵の剣士は左で私の刀を受けつつ、右の小太刀は首を狙って薙ぎ払いを始動させているのだ。この相手は全て急所だけを攻撃してくる、この薙ぎ払いもなにもしなければ頚動脈どころか斬首されてしまうだろう。
だが、この前足に重心を乗せた体勢では避けられない。ならば先に吹き飛ばすしかない!
恐怖で上乗せされた力で思い切り刀を振り、同時にスウェーバックというよりも無様に身を反り返らせる。
襟元を高速で死の刃がかすめた。刃風が過ぎてから空気を裂く音が耳に届く。ほんの一瞬反応が遅れていれば相手の刀は私の首をえぐっていただろう。
横切った彼女の刀からは空気を裂く焦げた臭いではなく血臭が混じっている。
間違いない。この軽いが速く狙いは急所のみという剣法は、妖怪を相手にするために修行を重ねたものではなく、人間を効率良く殺傷するために磨かれてきたものだ。
これはもはや神鳴流ではなく、『気』を使うという点以外では軍用のナイフコンバットに近い。
「人を殺めるための技か……、神鳴流の風上にも置けんな」
「おや~、先輩はそんな事を気にしてはるんですか~。剣はどんなお題目をつけても結局は『相手を斬る』その為だけに存在するもんです~。
弱いくせに『活人剣』だなんて、人を斬る覚悟が無いごまかしでしょ~」
く、いちいち気に障る相手だ。戦い方といい、戦闘装束がドレスというセンスといい私との相性は最悪だ。
そんな苛立つ私の神経をさらに逆撫でするように構えを解くと満面の笑みを浮かべ、ちょこんと膝を折る。
「月詠といいます~。先輩がお亡くなりになるまでほんの数分の間ですがよろしゅう~」
「お嬢様に刃を向ける神鳴流の剣士が自ら名乗るのか」
「ええ、先輩も誰に斬られたか判らないと化けて出られないでしょう」
この月詠という少女は箍が外れている。人を斬る事に何の禁忌も持っていないようだ。
対抗するためには私も彼女を斬る覚悟を持たねばならないが、お嬢様の目の前で人殺しができるのだろうか。
胸の内で葛藤していると、目の前の相手への対処に忙殺され意識から外れていた少年が月詠に声をかけていた。
「月詠さん、刹那さんはまだ本気で戦ってません。彼女が本性を表す前に勝負をつけておきましょう」
「え~、先輩は手の内を隠してはるんですか~。そんなイケズせぇへんで、思い切り殺り合いましょ~」
「黙れ」
「刹那さんが本当の姿になれば数倍はパワーアップするんじゃないですかね。実際にアレを出してからクマに似た化け物を一蹴してました」
「アレって何ですか~?」
「黙れと言っている!」
彼らの会話に我慢しきれずに飛び込んで斬りかかったが、あっさりと避けられる。自覚できるほどに剣が乱れている。私の意識は月詠との戦いよりも、葱丸君の言葉にお嬢様がどんな反応をするかの恐怖に向けられていた。
「月詠さんも、ひょっとしたら木乃香お嬢さんも知らないかもしれませんね。
刹那さんは翼を生やした化け物なんですよ!」
「あああー!」
彼の言葉は私の劣等感に突き刺さった。『化け物』と忌み嫌われた子供時代の悪夢がフラッシュバックし、さらにそれをお嬢様に知られてしまった絶望が加わる。
お嬢様は一体どんな表情で『化け物』と呼ばれた私を見ているのか――。
「余所見したらあきまへんで~」
月詠がいつの間にか懐に入り、二刀で左右からの斬撃を繰り出している。ほんの一瞬の隙に間合いを完全に盗まれた。左からの攻撃は大刀で防げるが、右からの攻撃は『気』で強化した掌で柄を叩き刃筋をずらすしかない。
コンマ一秒の猶予もなく、ほとんど反射的に修練が体に刻み込んだ迎撃手段をとる。
だが、両の手に衝撃は襲ってこない。――フェイントか!
腹から背中まで貫通したかのような鋭い衝撃が走る。真後ろに弾き飛ばされ、宙に舞いながらようやく月詠がスカートを翻しての膝蹴りを放ったのだと気がついた。
無意識に受身をとったが、地面にあったテントの残骸の細かい破片が刺さった。しかしそんな僅かな痛みより、落下と打撃の衝撃で呼吸が整わない方が不利だ。月詠の一撃は正確に水月を射抜いて、横隔膜を麻痺させていた。
「せっちゃん……大丈夫?」
すぐ後ろからの震える声に、生命の危機なのに笑みが浮かんでしまう。ああ、『このちゃん』はこんな時でも葱丸君に何を言われても私の心配をしてくれている。
守るべき主の優しさに触れ、気力は回復したがいかんせん絶望的な状況に変化はない。
私が立ち上がるよりはやく月詠の追撃がきた。
「ざ~んが~んけ~ん」
気合の一かけらも入ってない掛け声だが、打ち寄せてくる衝撃波は本物だ。厄介なことに二刀使いのために衝撃波まで二重になっているのが、防御のしずらさを増している。
受けるのは? 無理だ、呼吸が乱れ『気』の練りが甘い現状ではこれは受けきれない。
避けるのは? 瞬動を使えばこの崩れた体勢からでも、避けるだけならば可能だ。私一人ならという但し書きがつくが。背後のお嬢さんまで抱きかかえて移動するのは不可能だ。
結局、私にできるのは後ろを向くとお嬢様を胸に抱えるように守ることだけだった。ごめんこのちゃん、私やっぱり昔と同じで大事な時には役に立たない駄目な護衛役だよ。
せめて一言だけでも謝りたくて、このちゃんの顔を見ると――流れる涙を隠そうともせず、一緒に遊んでいた頃の無垢な笑顔で抱き返してくれた。
「やっとせっちゃんと仲直りできたんかな~?」
この時、私を縛る全てから開放された。
葱丸side
ああ、死んだな。月詠さんの放った衝撃波が二人を襲うのを見てそう思った。
あのタイミングでは逃れる術はないだろう。結局、俺のしたことといえば横からチャチャを入れて刹那さんの集中力を削いだだけだった。
しかし俺が月詠さんに下した指令によって人間の命が二つ失われたのは、まぎれもない事実だ。
今までは自分が死にそうな目にもあったし、ウェールズ空港みたいに周りで巻き込まれた人もいた。だが、俺が能動的に人の命を奪ったのは初めてだ。手を下したのは月詠さんだが、命令した俺の罪が軽くなる事はありえない。
くそ、とりあえず心の棚に上げて置こう。少なくとも今回の計画が終わるまでは、いつもの自分でいるんだ。へらへら笑って精神の均衡を保ち、目的を達するのが死んでいった美少女コンビとベジタブル兄弟達に報いる道だ。
よし、理論武装と自己暗示完了。
ナンマンダ・ナンマンダ成仏しておくれ。もし化けてでるなら月詠さんの方へ。
両手を合わせて遺体を拝もうとしたが、砂埃が晴れるとそこには白い繭のような物体が転がっていた。
はて? あれはなんだろう。
すると、その白い物体はしなやかに分裂すると、中からお嬢さんと刹那さんを現して刹那さんの背に従った。
ああ、あれは翼だったのか。そー言えば彼女の翼ってあんな色だったよな。……ってヤバイよ、ああなった刹那さんは手が付けられないぞ。
「月詠さん、気をつけてください!」
「ほえ~、なんやて~?」
「ああ、その台詞を言うと危険なフラグが――」
「斬岩剣!」
ああ、こっちに余所見をして首を傾げたりするからそんなに吹っ飛ばされるんですよ。地面と平行に空中を移動して建物に激突した少女に頭を抱える。
月詠さんを「斬岩剣」の一撃で倒した翼を持つ少女は、月詠さんが起き上がるそぶりがないと判断したのか俺に向き直った。
さっきまでの罵声におどおどした瞳ではない。これは確固たる目的を持った戦士のみが備える澄んだ瞳だ。おそらくその目的というのは、俺を倒すことだろう。
刹那さんが刀を上段に構えるのがスローモーションに感じられた。まずい、人生の走馬灯の上映が頭の片隅で始まっている。このロードショーが終わる前になんとかしなければ。
通常でも空回りの多い頭脳の回転を、極限まで引き上げる。どうする? どうすればこの場を逃れる事ができる?
「せめて安らかに眠りなさい! 斬岩――」
「作戦成功ですね! 刹那さん!」
彼女が剣を振り下ろす直前に、グッジョブです! と親指を立てて笑顔で叫ぶ。当然ながら刹那さんは勿論、彼女の背後に庇われている木乃香お嬢さんも、戦闘の騒ぎに集まってきたギャラリー達も、頭の上にクエッションマークが浮かんでいる。
「一体何を言ってるんですか?」
「あれ、刹那さんは知らなかったんですか、木乃香お嬢さんをいじめて刹那さんに助けさせようとしたオペレーション『泣いた赤鬼』の成功です。
刹那さんがいつまでたっても木乃香お嬢さんと打ち解けられないで落ち込んでいるようでしたので、よけいなお世話を焼いてみたんですが」
「そ、そんな!?」
「せっちゃん、そうやったんか~」
「ええ、刹那さんはご存知ないようですが、周囲の方たちはみんな気をもんでたんですよ」
「わ、私はこんなこと頼んではいないぞ!」
「せっちゃん、そないにうちと仲直りしたくなかったん……」
「いいえ! そ、そんな事はありません」
思いがけない展開で刹那さんの頭をフリーズさせる作戦は成功だ。
我に返られるとボロが出そうなので、さっさと退却させてもらおう。月詠さんは……まあ、ご自分で何とかされるでしょう。
「それでは、今回の『世界樹の中心で愛を叫んだら、告白成功率百%じゃね?』は見事に幼馴染の仲直りを成功させました。
みなさんも片思いで告白したい人、仲直りしたい友人のいる人、ご応募待ってます。それではまた来週!」
ギャラリーを意識して、あたかも東の空にカメラがあるように手を振り別れのポーズをとる。俺の演技が良かったのか皆が「カメラはあっちか?」「そんな番組あった?」「あの二人からラブ臭が……」と東の空に視線を外してくれた。
今の内に逃走しなくてはならない。最後にちらりと目をやると、いつの間にか瓦礫に埋まっていたゴスロリ少女の姿も消えている。
人波に紛れながらとにかくここから距離をとる事だけを考えて逃げ出した。どこかからか「こら逃げるなー!」「せっちゃん、またうちをおいていくのん」とか聞こえてくる気もするが、最近は空耳が多くて困るよなぁ。
もう少し逃げるコースを考えるべきだったと後悔したのは、これだけ離れれば大丈夫だろうと安堵して別の大通りに曲がった時の事だった。
今日の運勢は大凶だって判ってたはずだろう? せめて道を曲がるたびに斥候兵を出すぐらいの用心深さが必要だったんだ。
俺が逃げこんだ通りには僅かしか人影がなかったが、どの一人をとっても厄介ごとの匂いがプンプンしていた。
何人か例を挙げると、ズタボロに叩きのめされたのかいい具合に痙攣している学ラン犬耳少年の小太郎。それを庇っている気丈な美女。その肩にすがりついているそばかす少女。
そして、おそらく小太郎を倒したであろうここにはいないはずの漢、怪人『デスメガネ』タカミチ。彼はどこにいたのか肌は日に焼けて、精悍さが増している。眼鏡もサングラスに変わり、白いスーツが定番だったのにブラックレザーの上下にコーディネートされている。
要約するとヤツは黒くなってた。
他にも半裸で眠っている少年・少女などが散らばっている。ここで何があったんだよ。あ、いえ説明はけっこうですが。
思わず回れ右をして帰ろうとした俺を誰も責められないと思う。幸い彼らは自分達のトラブルに手一杯で、こっちを見つける余裕はなさそうだ。
あと三歩も進めば曲がり角で視界から外れる安全地帯に入る。では、抜き足・差し足・忍び……。
『学園内にネギ・スプリングフィールドらしき容姿の少年を発見。彼は近衛 木乃香嬢の誘拐事件に加わり、今回の襲撃事件に関する疑いも持たれている。なんとしても彼を捕まえよ! 必要とあれば致死性の魔法も許可する。死体からでも情報は引き出せる。
繰り返す、生死を問わぬ! 警備員はネギ・スプリングフィールドを捕獲せよ!』
「なんじゃそらー!」
あと一歩の所でいきなり頭に流れてきた電波に対し、思わず空に向かって絶叫してしまった。耳で音を捉えたのではなく、頭の中に直接言葉が伝わったのだ。おそらくこれも洗脳電波の一種なのだろうが、その余りにも非道な内容に抗議せずにはいられない。大体死んでも情報を引き出すって、俺の脳にはハードディスクでも埋め込んであるんだろうか。
吠えてから気づく、えーと今の魂の叫びは誰もきいていないよね? おそるおそる振り返ると、互い戦闘態勢にあったはずの全員の視線が俺に注がれている。
「は、はろ~」
「「「ハロー」」」
「じゃ、そーゆーことで」
「「「ちょっと待て」」」
……逃げ出そうとはした。しかし、回り込まれた。こいつらからは逃げられない。