明日菜side
「う、うーん。……木乃香ぁ、洗面器一杯のゼリーはムリだよぉ……」
……ん? あたしは自分の寝ぼけた声で目が覚めた。夢の中では、木乃香にお化けのような大きさのゼリーをワンコ蕎麦のように何杯もおかわりを勧められたけど、どうしてあんな悪夢を見たのかしら。
眠気が覚めるのと同時に、夜気を含んだ風に吹かれブルッと身震いをする。あ、寒く感じる理由は一目瞭然ね、下着だけで外にいたら震えたり鳥肌が立つのも当たり前じゃないの。春とはいえさすがに夜は気温が下がるんだから。
そこまで考えて気がついた。――え? なんであたしが両手を縛られてセミヌードになってるの?
「お目覚めですかな、お姫様?」
「このエロガッパー!」
うやうやしく話しかけてきた黒尽くめの男の人に、反射的に唯一自由に動かせる足で渾身の力を込めた蹴りを放つ。
「おぶぅ!」
快心の手応え(いえ、足応えかしら)に愉快な悲鳴上げ鼻血を垂らしながらも、その老人はダウンをせずに踏みとどまった。
「な、なかなか元気なお姫様だね」
――そんな!? あたしの必殺バカレッドキックは古菲のお墨付きなのに、それをまともにくらって倒れないなんて、こいつプロレスラーかなにかかしら。
戦慄するあたしの脳裏に失神前の光景がフラッシュバックする。そう、あたしはエヴァちゃんの家の前でこの男に気絶させられたんだ――。
体の震えは止まらないのに脂汗が滲み出る。さっきは何が何だか判らないうちにやられてしまった、今のあたしじゃこの男には勝てる気がしない。
「い、一体あたしをこんな格好にしてどうするつもりよ!」
精一杯強がって叫んでも語尾がかすれてしまう。それに相対する老人は憎らしいほど礼儀正しかった。
「いや、明日菜姫は調査するだけだったので、もう済ませたよ。
それと制服は姫様にあまり似つかわしくないかと、その下着姿に変えさせてもらった。
後は、しばらくの間餌になってもらうだけで明日菜姫には手荒な事をしようとは思わんよ」
……エサってあたしを使って誰を釣り上げるつもりなのかしら?
何もできずに足を引っ張るだけの悔しさに歯を食いしばる。こんなに気障で嫌味なヤツに下着にまで剥かれて縛られるなんて……。
あ、おまけにこの下着、あたしがつけてた物じゃなくて新品じゃない! あたしのはいてたのはどこよ! というかあんたが着替えさせたの!?
「なにが似合わないから下着にしたよ! 言い訳になってないじゃない。素直に『私の趣味だよ』と告白すればまだ可愛げがあるのに、ほんとにムッツリスケベね!」
「い、いや本当に私の趣味ではないのだよ。ただ『美少女を捕らえたら脱がしべし』というこの世界を統べる法則がそうさせたのだ。
だいたい、私のストライクゾーンまでには明日菜姫はちとボリュームが足りないため、着せ替え人形にしてもあまり楽しくはなかったな」
「やっぱり着替えさせたのはあんたかー! それにわけ判んない言い訳しないでよ!」
屈辱と怒りに頭に血を昇らせていると、なぜかちょっと前に似た状況に陥った事を思い出した。服を脱がされた上にそうした相手は鼻血を垂らしている……。
謎は全て解けたわ! 真実はいつも一つ!
「わかったわ! あんた高畑先生の一味ね!」
「「な、何ですとー!」」
驚きの声は黒衣の男ではなく、頼もしい仲間の響きをしていた。
顔を上げれば子供のように――あ、葱丸君はまだ子供か――お手々をつないで走ってくる葱丸君とエヴァちゃんの姿があった。
「まったくもう、遅いわよ二人とも!」
たぶん照れ隠しだと、自分を含めた誰にでも判る弾んだ文句が口をついてでる。こーゆー所が木乃香に「明日菜はツンデレやね~」と指摘されちゃうとこなんだろな。
心強い援軍に、目の前の脅威も忘れてそんな風に思う余裕さえ生まれてきた。
葱丸side
俺とエヴァさんが手と手を取り合ってステージにたどり着いたのは、誘拐犯と明日菜さんが姿を消してから十分も経過していないだろう。
しかし、彼らの間ではどんな未成年者お断りのドラマが展開されたのか、明日菜さんは拘束され下着姿になり口を極めて男を罵っている。
そんな彼女の口からついに決定的な一言がこぼれだした。
「わかったわ! あんた高畑先生の一味ね!」
「「な、何ですとー!」」
隣のエヴァさんと異口同音に驚愕の叫びを上げてしまう。え? こいつは俺の推理によると学園側ではないはずなのだが。いや、『紅き翼』と学園側がつながりが切れたと考えれば辻褄が合うのか?
確かに『紅き翼』の幹部であるタカミチを切り捨てたとすれば麻帆良が独立しようとしたと考えてもおかしくはない……かな。いずれにしよデータ不足は否めない、この誘拐犯から情報を得なくては。そう言えばまだこの男の名前さえ知らないぞ。
顔を輝かせて遅刻だと責める明日菜さんよりも、その前に立つこちらを振り返った黒尽くめの誘拐犯に神経を傾ける。
「ゆっくりなご到着だね、ネギ・スプリングフィールド君。それにエヴァンジェリン嬢、君を招待した覚えはないのだがね」
「あいにくと招待が突然すぎるので、時間や招待客への抗議は却下です。
大体ホストが名前すら告げずに強引に誘うってのはマナー違反じゃないんですか?」
皮肉を滲ませながら探りを入れた。こいつに対する情報が乏しすぎる、せめて名前か所属が判明すればいいのだが。
潜入工作員が名乗るはず無いだろうという予測は見事なまでに外れた。この男は「それはご無礼を」と朗々と名乗りを上げたのだ。
「我が名はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン。没落したとはいえ伯爵位を授かっている貴族の一員である。
マナーに適っていないとの仰せは当世風に慣れないためとご容赦を」
えー、ヘルマンさん。なんで貴族の方が俺や明日菜さんに用があるのかってやっぱ改造人間だからですかね? それ以外彼女と共通点ないもんなぁ。
そんな風に思ってると、隣でエヴァさんが眉をしかめる。あ、まだ手を繋いだままだったな。かすかに汗ばんでいるが彼女から離そうとするそぶりはない。
「貴族か……爵位を受けたといっても何年前のものだ? 貴様は人間じゃないだろうが。伯爵級の魔族が戯言をぬかすな」
「まあまあ、エヴァさんもそんな喧嘩腰にならないで」
ドウドウと彼女をいさめる。ここで少しでも彼のことについて知るのは無益じゃない。
「どこから僕や明日菜さんの事を聞いたんですかね? 冥途の土産って事で話しててくれませんか」
「ふふふ、ネギ君の命を奪うつもりはないし、明日菜姫はもう解放してもいいぐらいだよ。
でもどこから君達の情報を聞いたかは教えられないな。これでも契約は遵守する方でね。
だが、ネギ君については何も知らなくても今日会えば判ったかもしれないなぁ。覚えてないかね君は私に会った事があるのだよ」
そう告げて帽子を外した時には彼の顔はすでに人間のものではなかった。やっぱりこいつも改造されて怪人になってしまっているようだ。
肌が刺されたように痛くなるほどの殺気とあらわになった異様な形相に明日菜さんが「嘘……」とつぶやきエヴァさんは舌打ちする。
俺もごくりと音をたてて唾を飲み込み彼の異相を観察するが……。
「あの? やっぱり記憶にないんですがどちらさまですか? あ、もしかしてハロウィンの時あめ玉をくれたお菓子屋のおじさんじゃ」
「違う! 覚えていないのかね。ほら、六年前君の住んでいた村を滅ぼした――」
「あ、あの時の!?」
戦慄と共に六年前の炎と煙に彩られた惨劇を思い出す。あの時村を滅ぼしていたんならこいつは――。
「ナギの仲間で『紅き翼』の一味かー!」
「「はあ?」」
なぜかヘルマンとエヴァさんの二人から怪訝な表情をされた。ヘルマンなどは明らかに人間とは違う顔なのに、ポカンと呆けていると判るところからして想像以上にコミュニケーション能力が高いようだ。
「なんで不思議な顔をするんですか? 明日菜さんはこのへルマンを『高畑先生の仲間』だと断言した。へルマンは六年前に俺がいた村を壊滅させたと白状した。ナギは『この村の破壊は自分の責任』だと謝罪していた。
つまりタカミチ=ナギ=ヘルマン=『紅き翼』=俺の村を破壊した犯人って事は明白でしょう」
うむ、この論理展開に矛盾はないはずだ。実際に明日菜さんなどは「そうだったのね」と何度も頷いている。やはり学園側と『紅き翼』は分離し、こいつがこそこそと偵察に来たって事か。
自分の推論に納得していると、エヴァさんがつないだ手を離して額にあてるとへルマンから俺に向き直った。
「貴様は自分の父親をどう思ってるんだ? あのナギがこんなのと仲間のわけがないだろう。大体十年も昔に死んだあいつについて、実の子供とはいえ何が判ると言うんだ!」
理由は不明だが物凄くエキサイトしている。彼女はナギ・スプリングフィールドに何がしかの思いを寄せていたのだろうか。だが、事実誤認も多いぞ。『こんなの』呼ばわりされて心なしかしょんぼりしているヘルマンに、『もう少し待ってて』とアイコンタクトを送る。
「ナギとヘルマンが仲間なのはさっき立証しましたし、ナギが十年前に死んだというのも事実ではありません。
なにしろ六年前のヘルマンが言った村落崩壊の現場で、俺自身がナギと顔を合わせてますから」
エヴァさんのただでさえ大きな目がさらに見開かれる。
「ナギが……生きてる……」
「ええ、ヤツは生きてます」
重々しく俺が頷き返す。その時、忘れられて所在無げにしていたヘルマンが、角をカギ爪でぼりぼり掻きながら遠慮がちに声をかけてきた。
「ゴホン、その、もういいかね?」
……意外と律儀な怪人だなぁ。