タカミチside
僕の激励がいくらかでも救いになったのか、ネギ君の表情には力強さが戻っていた。折れない意思を感じさせる視線が僕の目、いやどちらかというと眼鏡を貫いている。
汚れでもついているのかとつるに触れると、彼が「かっこいい眼鏡ですね、よくお似合いですよ」とお世辞を言ってきた。正直声変わりもしていないボーイソプラノで褒められても、どう返していいかわからない。
「ああ、ネギ君も掛けてみるかい」
照れ隠しに眼鏡を手渡そうとすると
「いいんですか!?」
なぜか驚いたように裏返った声を出して、差し出された眼鏡に手を伸ばした。まるでスリを行っているかのように慎重に眼鏡に触れると、かっさらうように僕の手から奪い取った。
あまりに乱暴な挙動に苦笑しながら注意する。
「おいおい、壊さないでくれよ。スペアは持ってきてないんだから」
それを聞いたネギ君はなぜか顔を輝かせると、「くくく」と含み笑いを始めた。ネ、ネギ君?
「何かおかしな雰囲気だけどどうしたんだい?」
無意識のうちに両手をポケットに差込みながら彼にむかって尋ねた。
「怪人デスメガネ敗れたり!」
ビシッ!! と僕を指差してネギ君が高らかに宣言した。
――は?
「ネギ君、いったい何の事を言ってるのかわからないよ」
「うるさいぞ怪人デスメガネ、この眼鏡の命が惜しければそこから一歩も動くんじゃないぞ!」
――眼鏡の命って何? それと怪人デスメガネって僕のことなんだろうなぁと、ため息をつきつつできるだけ弱めた居合拳を撃った。ナギの息子ならこのぐらいで怪我をするような可愛げはないだろうし、何より脈絡の無い彼の行動に少しお灸をすえたかったのが一番の理由だ。
手加減した通りネギ君は傷一つ無く吹き飛ばされた。荒事には慣れている僕にとってこのぐらいのコントロールは楽なものだ。
この攻撃にただ一つの誤算があったとしたら、ネギ君を吹き飛ばした時にちょうど担当の警官が部屋に入ってきたというタイミングの悪さだけだった。
ネギside
くくく、油断したなタカミチ。変身や攻撃のキーアイテムである眼鏡を渡し、しかもスペアがないことまで明かすとは怪人としての自覚が足らんぞ。
眼鏡をなくしたお前など、もはや『怪人デスメガネ』ではなく『怪人デス』にすぎん! ――あれ? なんかパワーアップした印象が……
と、とにかくこの千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。
「怪人デスメガネ敗れたり!」
俺が眼鏡を片手にタカミチに迫っても、ポケットに手を突っ込んでふて腐れた様子だ。確かに変身する小道具を奪うなんてあまり正々堂々としたやり方ではないが、秘密組織の怪人にフェアプレーを説かれたくないぞ。
しらばっくれるタカミチに動くなと重ねて命じた瞬間に、いきなり衝撃を受けて二メートルも後方にダウンした。
な、何だ? 気がついたら顔面にダメージを受けて倒れていた。メガネビームは出せないはずなのに! 混乱しながら顔を上げると、いまだマルボロをくわえているタカミチとすぐ横から心配そうに覗き込むがっしりした警官が揺れる視界に映った。
確か、俺にカツ丼をプレゼントしてくれた担当の警官だ。思わずその足にすがりつく。
「助けてください。あいつ知り合いなんかじゃありませんでした。秘密組織の殺し屋で俺を殺しにきたんです!」
怪人とか細かい事情はわりびいて簡潔に説明し、タカミチに注意を向けさせる。あまりにも突然な告発にとまどいながらも、タカミチに対して一応「動くな」警官が命じた。
二人の間が硬直したとみるや、俺は出来る限りのスピードでドアからこの部屋を脱出した。そのとたん隣を警官が「ぷぺらぺ~~」と叫びながら宙を舞っていく。
やはり普通の警官一人じゃ時間稼ぎにもならないのかよ。
「助けてくれ! テロリストだ!」
今もっとも警察官の危機感を刺激するであろう単語を大声でわめく。とにかく頭数が必要だ。
俺の絶叫に飛び出してきた警官達は、傍らで倒れている同僚を発見すると慌てて救助する人間とテロリストと呼ばれた男――タカミチを包囲する部隊に分かれた。
彼らの表情は真剣そのもの、相手が武器を手にしていないにもかかわらず拳銃の照準をタカミチに合わせている。
「フリーズ!」
静止の声がかかった瞬間に包囲網の一部が爆破されたように吹き飛んだ。
全員唖然としてそちらを見つめ、あわててタカミチに狙いを合わせ直すが、困惑の色は隠せない。何しろ彼は身動き一つしてないのだから。
今のは俺がやられたのと同じ攻撃だ。武器を必要とせずノーモーションで相手を倒す技。そんなものを必要とする場面は一つしか思いつかない。
警備された場所でボディチェックをされた上に、不審な動きがないか絶えず監視されている状況下でターゲットを攻撃する為だけに練り上げられた技。つまり――暗殺専用ってことだ。
『デスメガネ』という異名から眼鏡だけを注意していたが、本来は『デス』という言葉どうり彼に狙われたら死神が寿命を告げるがごとく、どんな場所にいても命を絶たれるのだろう。
こんなやつがごろごろしてるのか『紅き翼』ってのは。
タカミチが何をしているのかわからない包囲網は、彼に対しどうしていいのか判断できず固まっていた。その中で俺を背にかばっていた警官が覚悟を決めたように手帳にはさんでいた家族の写真を見せた。ヒアリングが正確なら奥さんは今妊娠中らしい。なぜ俺にそんな事を告げるのか不明だが、親指を俺に向けて立てるとタカミチに銃を構えて突進していく。
「フリー……ぷぺら!」
やはり即座に迎撃され撃墜された。
次は優しげな童顔の警官にコーラを渡された。後で一緒に飲もうって? うん、いいよ。がんばってね 「ぺぷし!」 コーラの商品名のような悲鳴を上げダウンする。
今度の青年は指輪を見せて「この事件が終わったらプロポーズするんだ」そうかファイトだ! 「あぱ~~」
十年ぶりの帰郷を控えた婦警や、初孫に会いに行く予定の初老の刑事もなぜか俺に一言掛けてから突撃をしていく。
ウェールズの警察にはフラグを立ててからじゃないと危険な任務につけないのだろうか? 異国の風習はわからんと首をかしげながら騒動の中心地から逃げ出した。
それにしても『デスメガネ』め眼鏡を奪われても影響なしとは、自分の異名まで使ったフェイクなど怪人の風上にも置けんな。それにまんまと引っかかった俺も青いが……。
チラッと不吉な想像が脳裏をかすめた。――もしやタカミチが暴れだしたのは眼鏡を取られたからでは? 眼鏡が怪人化へのスイッチという考察はそれほど外れてなかったんだ。例えば眼鏡を外して一分経過すると凶暴化するとか……。
俺は慌てて周囲を見回した。サイレンが鳴り響く中で警官たちは忙しく走り回り、パトカーが続々と到着している。
こ、これは、まずいかもしれん。額の汗が流れ落ちるのを感じながら、できるかぎり自然な態度で足早にこの警察署から遠ざかった。
俺はこの事件について何も知らんし、今日はこの警察署にも来なかった!
ますます騒然してくる現場から逃れながら、今回俺はなぜタカミチに殺されなかったのか不思議に思った。だってそうだろ? タカミチの技は原理は不明だが明らかに暗殺用の技だ。それを見せた以上目撃者は消すのが鉄則のはずだ。
その時一つの思い付きが生まれた。確かにこの仮説ならローブの男が俺を怪物から救ったこと、タカミチが殺害目的ではなかったこと、何よりなぜ俺がこの『ネギ』の体に入っているのかが説明できる。
――『紅き翼』は脳に人格の上書きが出来るんだ。
まだ実験段階なのだろうが、高いポテンシャルを持った子供の体に幹部クラスの人格をインストールするのだ。実験段階で下手に強烈なパーソナリティを上書きし暴れられたら目も当てられない。そのためにごく平凡な俺の人格が上書きされ経過をみる予定だったのだろう。
偶然その観察期間中に事故が起こり俺をロストしたのだ。大事な実験の試験体だから必死で俺を捜索し、発見したら損傷を与えることなく捕獲するつもりだったんだ。
だとすれば『紅き翼』に捕まることは絶対にできない。それは死よりも完全に俺の人格が消滅することを意味するだけでなく、新たに強力なエリート怪人を生み出すことになるのだから。
タカミチside
さすがにここまで敵が多いと疲れる。そうつぶやきながら新しいマルボロに火をつけた。ウェールズ警察の採用している程度の銃ならば傷つけられる恐れはないが、面倒なのは彼らが怪我しないように手加減することだ。ネギ君の姿も見失ってしまったし、今回のネギ君を保護する任務は一時中断したほうがいいな。
そう判断すると瞬動を数回使い、警察所内から脱出した。さっそく後始末を頼むことにする。僕は呪文詠唱ができないので、事後の隠蔽工作や記憶操作の類はバックアップに頼るしかない。
盗聴避けの魔法がしこんである携帯でこの地区の魔法協会に連絡をとる。
「タカミチです。ええ、ネギ君を保護するのに失敗してちょっとした騒ぎになってしまったんですが……。テレビに現場が映ってる? そこまで大事になってますか。後片付けおねがいします。ええ、すいませんこのお返しはきっと」
一息ついていると、折り返しかかってきた通話で冷ややかなほど事務的にネギ君の確保を命じられた。
「それは、わかってます。今日はなぜか話がおかしくなりましたが、すぐに協会に連れていきますよ。え? 確保したらネギ君に村が壊滅した事件について尋問しろって、何ですかそれは! 彼に不審な点でも?
確かに村で石化してないのはネギ君だけですし、事件後姿を隠したのは確かですが……。まだ四歳なんですよ、潜在的な魔力は規格外ですがあれほどの召喚をすれば自殺と同じです。……だから貴重なマジックアイテムを破壊してそのエネルギーを利用したって言っても、そんな物見つかったんですか?
は? ナギの杖が黒焦げになって発見された? ……いえ、僕もあの杖がどこにいったのか知りませんでした。ええ、息子のネギ君が受け取っていても不思議じゃないですね。……判りました、とにかくネギ君を保護したら迅速にそちらに移送しますのでそちらで尋問なり何なりしてください」
通話を止めると同時に携帯にひびが入った。無意識のうちに握りつぶすほど力がこもっていたらしい。馬鹿馬鹿しい、ネギ君が今度の事件について疑われるだと? あのマギステル・マギの息子がそんな事するはずないだろう!
疑り深い協会の上層部にも腹が立つが、それを間違っていると断言できない自分に一番腹が立った。
ネギ君は僕の眼鏡を握り締めて動くなと命令した。――あれは眼鏡を介して僕のことを操ろうとしたんじゃないか? 身の回りのものを使って呪いをかけるというのは一般にも知られた方法だ。髪の毛を使ってわら人形で呪うのが最も有名な手法だろう。勿論これが髪の毛ではなく愛用の眼鏡でも似たようなことは可能だ。
そう言えば警官達も彼と言葉を交わしてから襲い掛かってきた。あれもそうなのだろうか?
――ネギ君、君はいったい――
サウザンドマスターとまで称された、最強の魔法使いの才能を受け継いだサラブレッドがダークサイドに堕ちていく未来を想像し、かつて無い恐怖を覚えた。