エヴァside
寒空の下、くしゃみをしながら私はほとんど傍観者として繰り広げられた喜劇を観賞していた。あれよあれよと言う間にタカミチが変質者へと化し、アスナと二人で半裸になりながら鬼ごっこを始めだしたのだ。
その後をシスター・シャークティの奴が追いかけている。教会に暮らす彼女とは折り合いが悪かったのだが、そんな私に気づかないほどヒートアップして駆けていく。
私はこの道化達が走り去って行くのを呆然と眺めていた。アスナが騒々しいのは知っていたが、タカミチやシャークティまでもあんな風に早合点してドタバタ劇を繰り広げる人物だっただろうか?
この少年を発見してから、世界がボケに侵食されていく気がするな。そう横目で見ると、ネギはいきなり奇声を上げて殴りかかってきた。
「残った危険はお前だけだー!」
意味のわからない言葉と共に飛んできた右拳をキャッチした。例え身体能力が常人並みに落ちていたとしても、数百年の歳月を経て磨き上げた技術に力自慢の素人の一撃など通じんぞ。
「貴様、いきなり何を……」
文句をつけながら威力だけは中々の右ストレートを掌でつかんだ瞬間に、足元が不確かになり自身の体が宙に浮いてた。見れば足元の地面が崩れ、湖へと崩落している。この少年はそれを察知して私を突き飛ばして助けようとしたのか!?
それに私が抵抗したために間に合わなかったという事か。
一瞬の内に、体は完全に宙に浮いてしまった。ここから落ちれば湖に沈んでしまうな、それは墜落の衝撃以上に水に弱い吸血鬼にとっては致命的だ。しかし、落下はそこで止まった。
もちろん今の私の力では浮遊することなどできはしない。ネギが私の手をつかみ崖の上に腹ばいになって引っ張っているのだ。それで、ようやく落下を食い止めている状況だ。
見れば私の腕をつかんでいるネギの右腕もおかしな風に折れて、肩まで脱臼しているようだ。それほど満身創痍になりながらも私を救助しようとしたのか!
「貴様……この私を助けようとするとは、情けをかけたつもりか!? さっさとその手を離せ!」
プライドを傷つけられ、このお人よしに八つ当たりする。ところがネギから返ってきたのは逆切れ気味の叫びだった。
「僕だってそんなつもりはない……、だけど手が離れないんですよ!」
ふふふ、なるほど、この馬鹿は頭では損だと判っていても、その損で困難な茨の道を進み続けるのだろう。あの破天荒かつ自分勝手でありながら、誰よりも人々に愛された父親のように。
「まだ力もないくせに私を救おうとするなんて、貴様は大馬鹿者だ……」
だが気にいったぞ、とその細い首に腕を巻きつけ抱きしめた。
『茶々丸すぐにここへ迎えに来い』
『了解しました、マスター』
念話をしていると、ネギが困り顔で苦情を述べてきた。
「できれば首から手を離してください」
「ふふふ、大丈夫だ。今更貴様の血を吸おうとは思わんよ。茶々丸がすぐここに着くそうだから、もう少しだけ我慢してろ」
私が自ら抱きついた男なんて、サウザント・マスター以来なんだからおとなしくしていろ。
茶々丸が到着するまでの僅かな間、不安定な場所ながら私達二人は静かに暖かさを分かち合っていた。
葱丸side
俺はおかしなトリオが嵐のごとくここを離れていったのを見て、改めてこの場に立つ意味を確認していた。
俺は何の為に今夜やってきたんだ? それはこのエヴァさんを倒すため。はっきり言えば口封じをする為だ。
それに変更はあるのか? いや、いささかハプニングはあったが目的の変更はない。
他に予想外の事はあるか? 俺は首を巡らし、周囲に人影がないかチェックする。よし、誰もいないぞ。
エヴァさんの様子は? くしゃみと鼻水に涙と大忙しだな、こちらを警戒する余裕はなさそうだ。
では、ゴーだ。
「残った危険はお前だけだー!」
叫び声と共に渾身の右パンチを叩きつける。これが最後の一撃と決めて、僅かに残った体力の全てを注ぎ込んだ攻撃だった。今までの通算打率は一割以下だが、俺にとっては最強の攻撃だ。
だが、そのパンチでさえも少女の掌によって受け止められていた。
「貴様、いきなり何を……」
エヴァさんが赤く腫れた目で睨みつけた時、彼女の足場が崩れて湖へと崩落したのだ。
さっきまでの爆発でここらへんの地盤は相当ガタがきてたらしい。エヴァさんが踏ん張っただけで崩れるほどに。
当然そこに立っていたエヴァさんも落ちていく。
なぜか俺まで道連れにして。
「ぬおお、ファイト一発!」
意味のない気合を上げて彼女を支える。今の俺達の体勢は俺が腹ばいになって、崖から上半身を差し出してエヴァさんの掌を握っている。よく映画や漫画でおなじみの格好だな。
しかし、当事者になってみると尋常じゃなく辛いぞ。肩は脱臼しかけて、デスメガネの打撃で痛めていた右肘の辺りは変な方向に皮膚が突き出している。尺骨が折れているに違いない。
こんなダメージを負ってまで、なぜ俺がエヴァさんを落さないようにしなければならないのか。
この足場はまだ大丈夫だが、このままではいつ俺まで巻き添えになって落下してしまうかわからない。
ここから見下ろす湖面は遠く、深い。落ちたらどうなるかなど考えるまでもない。おそらくは防水加工を施してあるロボでも故障しても保証は効かないはずだ。
グッバイ、エヴァさん。俺は手を思い切り振り払った。
……離れない。どうも彼女が俺の拳にすがり付いているのではなく、右拳に着いていたトリモチがエヴァさんの掌とくっついてしまったらしい。
「貴様……この私を助けようとするとは、情けをかけたつもりか!? さっさとその手を離せ!」
「僕だってそんなつもりはない……、だけど手が離れないんですよ!」
言葉通り、必死でエヴァさんの手を振り切ろうとするのだが、ぴたりと一体化したように手と手が密着してしまっている。くそ、このトリモチを剥がすためには専用の中和剤が必要だ。尻のポケットに入っているはずだが、今片手でも放したらその瞬間フリーフォールだ。
「ふふふ、理性と効率では離すべきだと判っている。それでもなお己の思うがままに行動するとはな……。そういう子供じみた我がままを強引に押し通せるだけの力を持った男達は『紅き翼』と呼ばれていたな」
なんてこった、俺はいつの間にか悪の組織の幹部へとふさわしい性格になっているらしい。
いや、まぁ、少女を崖から蹴落とそうとしている俺には反論の言葉はないわけだが……。
「まだ力もないくせに私を救おうとするなどなど、貴様は大馬鹿者だ……」
はい。確かにあなたを救おうとしたら大馬鹿です。でも今はトリモチのせいで一蓮托生なんですよ。
あれ? なんで俺の首に腕を巻きつけて抱きついてくるんですか? 離せってさっき叫んでたじゃないですか、できれば自力で落ちてもらえません?
「できれば首から手を離してください」
「ふふふ、大丈夫だ。今更貴様の血を吸おうとは思わんよ。茶々丸がすぐここに着くそうだから、もう少しだけ我慢してろ」
連絡を取っていた様子はさっぱりなかったんですけど、連絡方法はやっぱ電波っすか?
拷問並みの痛みと重さに耐えていた俺にとって、実際にすぐ救助にやってきた茶々丸が天使に見えた。
学園長side
じりじりしながら、シャークティからの連絡を待っていた。ワシが直々にタカミチに電話をいれても、あのアホウは電源を切っておる。結局のところ現場にいるシャークティに任せるしかない状況じゃった。
ようやく鳴った電話を間髪入れずに耳に当てる。
「ワシじゃ」
「ああ、学園長、ようやく高畑先生の捕縛に成功しました。彼も大変興奮していたようですが、先にアスナさん達を保護しましたら、あっさりとこちらの言い分を聞いてくれました」
事態を収拾できたのかとひとまずは安堵の息をつく。
「そうか、それはご苦労じゃったの。――ところで明日菜達とはどういう事じゃ?
他の生徒が巻き込まれたのかの?」
「いいえ、彼は社会人のようですね。アスナさんを高畑先生から庇おうとしたらしくて――何ですって!?」
受話器の向こう側から慌ただしい気配が漂ってくる。
「どうしたんじゃ?」
「ええ、ちょうど今話しに出ていた社会人の彼が、自分の事をインターポールの捜査員だと身分証を取り出しまして」
「……何じゃとー!」