葱丸side
俺はチャチャゼロにチューブから特製のトリモチをたっぷりとなすり付け、全力でデスメガネへと放り投げた。「オボエテヤガレー」の叫びと共に剛速球のビーンボールの人形がデスメガネを襲う。
彼ははまださっきの森の中の話し声を気にする素振りだったが、さすがに自分への攻撃に対する反応は速かった。
一瞬避けようとする動きをしかけたが、飛んでくるのがチャチャゼロだったために受け止めようと身構える。
そうだろう。さっきエヴァさんを墜落から救う姿を見て、貴様ならそうすると予測していたよ!
だから、この強力なトリモチをべったりとチャチャゼロに付けておいたんだ。
このトリモチの威力は中々のもので、急いだせいでちょっとだけかかった俺の手でさえ、拳が開かなくなるほどの粘着力だ。
空気抵抗が大きく重い人形が百五十キロのスピードでぶつけられても、デスメガネは小揺るぎもせずがっちりとキャッチした。
そしてすぐさま「む」と眉をひそめる。
はは、チャチャゼロが手から離れねぇだろ。これが対デスメガネ用に立てていた作戦の一つだ。
彼の見えない攻撃は、おそらく拳による衝撃波だろうと結論をだしていた。ポケットから拳を加速して抜く事で「居合い拳」とやらを実現させているのだろう。
改造人間とはいえ、そんな人間離れした技を使える化け物がいるとは思わなかったがな。しかし、ポケットから加速して抜くのならその手に接着剤をくっつけちゃえばどう? という半ば冗談の嫌がらせから考え出した作戦だ。
居合いを得意とする剣士に、試合前にそっと鞘に接着剤を流し込むようなものだ。
ちなみに、なぜ俺が「居合い拳」という秘密に気がついたかというと――何の事はないウェールズの空港で、こいつ「豪殺居合い拳!」っって叫んでんだよな。
せっかくの技を秘密にしようとかいう考えは『紅き翼』にはないらしい。
ともあれ困惑するデスメガネに俺はダッシュで接近する。長距離攻撃の手段を持たない俺はクロスレンジでしか勝負にならない。
しかし、相手の歴戦の兵がぼうっと突っ立っているわけがない。バックステップを踏み、距離をとると強引にチャチャゼロから手を引き剥がした。
うわ、チャチャゼロの服はずたぼろに破れて、そこからは黒の下着まで覗いている。結構大人なお召し物ですね。
デスメガネは両手に服と下着の一部をくっつけながらも、居合い拳のためにポケットに突っ込む。がそこで動きが停滞した。
よし。俺がなぜ即効性では瞬間接着剤におとるトリモチをえらんだのかが判ったか。その答えは持続性にあるのだ。例えチャチャゼロから手を離しても、今度はポケットにくっつくぞ。
デスメガネはその眼鏡を光らせて俺を一瞥すると、覚悟を決めた表情で僅かに腰を落とした。
やばい、無理矢理撃つつもりかよ。俺が顔の前で腕を十字に組んで衝撃にそなえると、そのクロスアームブロックの中心点に恐ろしいまでのパワーを伴った衝撃波がぶつかってきた。
防御ごと体を浮かされ、また体が雪の上で回転して叩きつけられる。これはもう人間の打撃ではなく交通事故や砲弾クラスの衝撃力だ。森の端の湖沿いにまで飛ばされている。
うめき声を抑えつつ、体のダメージをチェックする。
とくにブロックした両腕の損傷が激しい。プロテクターでは吸収しきれずに、右腕は打撲ですんだようだが左は骨にひびぐらい入っているのだろう。痛みより痺れて指先が動かせない。もし、こんな打撃をまともに顔に受けてたら死んでいても不思議ではなかったな。
こりゃあ完全に戦闘不能、逃走さえもできない。早めにギブアップしてチャンスを待つ方がいい。
諦めてデスメガネに降伏しようとすると、なぜか彼まで地面に倒れて、鼻血を流しながらこちらを睨んでいる。
ひび割れたレンズの向こうから覗く眼光には、禍々しいものが混じっている。
「もう抵抗しませんから、攻撃しないでください」
痛む両手を苦労して上げた時、ツインテールの少女とシスター装束の女性が視界に映った。
タカミチside
ネギ君の投げつけたチャチャゼロを胸で抱きとめた。避けようかともチラリと考えたが、かなりの速度で飛来するチャチャゼロは身動き一つできそうにないので、受け止めねば彼女のボディは破壊されてしまう。
幸いこのぐらいならば僕の体術で柔らかく止められる。
「ケケケ、世話ニナッタナ」
苦笑いでチャチャゼロに答え、接近するネギ君を迎撃しようとすると……手が動かない。
両手がチャチャゼロに張り付いて外れようとしない。何やらべとつく物質で固められたようだ。
舌打ちすると「オイ、乱暴スンナ」との文句も無視して、強引に両手を引っぺがした。服から手を剥がしているというより、チャチャゼロの服を引き裂いているようで少しだけ気が引けた。
元は服であった布を掌にこびりつかせながらも、拳を入れてポケットが破れるのも構わずに居合い拳を撃つ。
それと同時に僕も前につんのめった。ポケットを破いた分の運動エネルギーのあおりを受けてバランスを崩してしまったのだ。
慌てて、左手をついて体を支えようとしたのだが、その手もポケットにくっついているのを忘れていた。
結果的に転倒して顔面を強打することになったわけだ。冷たく凍った土で鼻を打ったせいか痛みも増幅されている。あ、眼鏡のレンズにひびまで入っている。
なんで僕がこんな所で鼻血を垂らして、雪を噛んでなきゃいけないんだろう? 屈辱に顔が歪む。ふふふ、そうか、全部君のせいなんだよなぁ、ネギ君。
視線に殺気を込めて倒れている彼を睨みつけると、視線を受けた彼が弱々しく両手を掲げた。
「もう抵抗しませんから、攻撃しないでください」
なんだもう命乞いか、失望の澱が胸の底に沈む。彼の父親ならばそんな無様な真似はしなかっただろう。もちろんこれは自分勝手な感情だとは理解しているが、拍子抜けに肩が落ちるのは止められなかった。
その時僕はやっと気にしていた少女がすぐそばにいることに気がついた。
アスナside
なんでシスター・シャークティが見回りをしてるのよ! こんな夜中に出歩いていたと学園長に報告されたら、停学とまではいかなくても、バイトの禁止ぐらいされちゃうかもしれないじゃないの。
超のやつ、もしインターポールからの連絡が嘘だったら殴るわよ! たとえ本当でも肉まんぐらいは請求するけどね。
あ、ここら辺から雪野原になってるって……ここはまだ森の中じゃなかった? 見渡す限りの銀世界になってるんですけど。
それより、こんな雪の中で倒れている人たちがいるじゃない!
息を切らせて追いついてきたシャークティに人影を指差す。
「シスター、怪我人みたいです! 助けないと!」
「え? ええ、そうですね」
彼らの元へ急行しながらぺろっと舌を出す。これであたしを追いかけてきたことを忘れてくれるといいんだけど。
現場へたどり着いたのは、ちょうど少年が両手を上げた時だった。
痛々しい姿の彼が降参した相手は……高畑先生? 降伏した少年を親の敵のような目で見ていたのは、あたし達三年A組の担任の高畑先生だった。その周りにはエヴァちゃんと汚れた人形が転がっている。
でもあんな目をした高畑先生は初めてだった。いつもは微笑を絶やさないナイスミドルなのに……。
「高畑先生、何をしているんですか?」
ためらいがちに問いかける。あたし達に気づいたタ高畑先生は素早く立ち上がった。
その拍子に赤く腫れた鼻から一筋の血が流れ出したのだが、それよりもあたしが凝視してしまったのは下半身だ。
ズボンが裂けている。そりゃもうすっぱりと。高畑先生ってブリーフ派なのね……と心のメモ帳に記録できるぐらい。
彼も視線が気になったのか、自分の股間を確認して挙動不審になっている。
……え? でもちょっと待って? 夜の人気のない森の中で、エヴァちゃんや男の子を相手に下半身を露出して鼻血を垂らしてたって事?
「た、高畑先生……何をしているんですか?」
唾を飲み込み、さっきとは明らかに異なった声音で詰問する。その瞬間に、男の子の上で電球がついたような錯覚が見えた。瞬きすると消えていたからきっと幻よね。
「タカミチせんせー、ぼくはともかくエヴァさんにはらんぼうしないでくれー」
棒読みにすら聞こえる口調で語られた、男の子の哀願の言葉にこの場の空気が固まった。
ま、まさか高畑先生この子とエヴァちゃんに口に出しては言えないような事を――。思わずシスターであるシャークティと顔を見合わせる。
彼女は聖職者で真面目な性格のためか、あたしよりも青い顔をしている。お互いの表情に浮かんでいたのは――これって現行犯よね。
「高畑先生って実はロリコンだったのー! は、もしかしてあたしが子供のころはよく遊んでくれたのに、最近は距離を置いてるのはあたしが成長して体形が趣味から外れたからなの!?」
「ああ、主よ。このロリペド野郎に神罰をー!」
「え? あれ明日菜君もシャークティも何か勘違いしてないかい?」
「何を勘違いしてるって言うんですか! そんな下着を握り締めたままで、説得力ないわよー!」
「その下着はそこのチャチャゼロって人形のものです。先生は僕だけじゃなくて、エヴァさんや人形まで……ぐすっ」
「そ、そんなロリペドだけでなくショタやマリオネット・コンプレックスまで。背徳の四冠王ではないですか!
ああ、主よ。今すぐこの淫獣を御許へ、いえ地獄へとお送りしますー!」