葱丸side
走る。走る。全力で足を動かす。恐怖が肉体の限界を突破させる。今の俺の速度は間違いなく時速四十キロを超えて、オリンピックの短距離でも金メダルを獲得できるはずだ。
しかし、そのスピードがまったく優位につながらない。なにしろ敵は空を飛んでいるのだから。
「カーチェイスをヘリで追跡するのって卑怯じゃないのかよ。FBIに追われる犯人の悲哀がわかるな」
エヴァさんからの攻撃はまさに七面鳥撃ち、反撃を気にすることなくガンガン爆撃をしてくる。
あの肌もあらわなドレス姿からは、とても信じられないほどの破壊力を持った砲撃が飛んでくるのだ。
それでも必死の逃走が実を結んだのか、森の中でも特に木が密集している地点にたどり着いた。ここならば上空からでも見通しがつかず、狙撃するのは不可能だ。
「エヴァさんも標的を視認するために、高度を下げざるをえないはず……よし」
ここらの低くまで茂っている木立に発煙筒で煙幕を張り、さらに見通しを悪くさせて突入をためらわせる。
「二番煎じが通じる相手じゃないだろうけど」
前回は一目散に逃げたので、今度は煙を我慢して草むらに潜むと、カモフラージュされた布を頭から被り気配を殺す。前回の逃走を意識させて実はその場に隠れただけってことだ。この小細工に引っかかってくれれば……。
目に映る物が全て白く染まった。
轟音というより衝撃波が鼓膜を叩き、耳が一時的におかしくなったのか逆に無音の世界になる。
体が何度もバウンドして雪原に打ち倒される。
――雪? そう、俺が隠れていた場所は、煙幕を張った範囲どころか遮蔽物である森ごと吹雪によって破壊されていたのだ。
「なんつー力業だ」
まだ自分のつぶやきさえもうまく聞き取れない。寒さとダメージで舌もうまく回ってないようだが。
それにしてもエヴァさんには参るぜ。煙幕のある場所を避けようとか、罠があるかもしれないから用心しようとかいった、通常の戦場の知恵とは全く次元の異なる『邪魔だから全部潰す』という強者の思考に思わず笑ってしまう。
『どうした葱丸君、凄い音がしたぞ』
ヘッドセット越しのジョンの声もとびとびで聞きづらい。
「その騒音の元凶は全部エヴァさんです。彼女とはあんまり差がありすぎて、もう笑うしかないって状況ですね」
『……冷静になるんだ。自棄になっても事態は好転しないぞ。ほら、バスケットのコーチも言ってただろ『あきらめたら、そこでシュート練習二万本ですよ』って』
「そこまでスパルタじゃなかったぞー!」
思わず突っ込んでしまった俺と、上空から探していたらしいエヴァさんの目が合う。黒一色の俺の服装は、闇に紛れるのには最適だがこの雪原では目立ちすぎだ。せめてもの抵抗をとポケットから閃光弾を出そうと手を突っ込んだ。
そんな俺をなぜか不興げに睨むと指をパチンと鳴らした。
また爆撃か!? と身構えたが、エヴァさんからはなにも発射されるものはない。今の合図はなんだったんだと疑問に答えるように空中の彼女が俺に対して今度は鼻を鳴らす。
「対等な条件にするために、わざわざ私の魔力を復活させたかと思えば……随分とまあなめられたもんだな。
その程度で『闇の福音』に喧嘩を売ったのか? チャチャゼロに反応すらできんとはな」
深々とため息をつく。気がつけば俺の喉元は血がべったりとこびりついていた。いつの間にか背後に忍び寄られていた人物にナイフを突きつけられていたのだ。
エヴァさんに指摘されるまで、血を流していることにすら気取らせなかったとは、俺の後ろを取ったのは尋常な実力の持ち主ではない。
首を動かさずに横目で窺うと、そこには身長三十センチほどの目つきの悪い人形が自分よりも大きそうなナイフを握っていた。
俺が観察しているのに気づいたのか「ケケケ」と笑うと、さらに強くナイフを押し付ける。そこはもう、皮じゃなく肉に食い込んでます! と抗議することもできず、ポケットに入れた手の内から閃光弾が地面へ落ちた。
……これはまずいかもしれん。額に汗がにじみ、つばを飲み込む事さえ難しい。
なんと命乞いをするべきか検討をはじめていると、救世主の声が響いた。
「そこまでだよ、エヴァ」
よし、やっぱり主人公の危機には助けがやってくるものだよね。
喉元の刃に触れないように、慎重にかつ満面の笑みをうかべてエヴァさんを制止した男へ振り向く。
そこには、夜目にも鮮やかな白いスーツ姿の……
「怪人デスメガネ!?」
「ネギ君!?」
……白いスーツ姿の敵の援軍がいた。
タカミチside
瞬動により、僕は騒動の中心地付近にたどり着いた。そこはエヴァの家のそばの湖近くの深い森の中だ。いや、森の中だったと表現すべきだろうか、僕が到着したのは木々が全てなぎ倒された雪原だった。
その真っ白な風景に黒衣の人影が空と地に現れている。
空にいるのはエヴァだ。いつもの子供の姿ではなく、賞金首時代のすばらしいプロポーションを持った妙齢の金髪美女になっている。
地に座り込んでいるのはまだ子供のようだ。すでにチャチャゼロにナイフで拘束されている。もしかして、この子供が侵入者でエヴァがそれを捕獲しようと攻撃魔法を大判振る舞いしただけなのだろうか。
違和感はあるが、それだけなら大事にならずに済む。
とにかく、この場で一番危険そうな彼女を止めなければ。
「そこまでだよ、エヴァ」
落ち着かせようとする僕の声に、大人の姿のままで口をとがらす幼い表情を作りエヴァは動きを止めた。
とりあえず、何があったのか把握しようとチャチャゼロに押さえつけられている少年を確認した。
「怪人デスメガネ!?」
「ネギ君!?」
口をお互いに大きく開けて見つめ合う。なんで彼がこんな所にいるんだ? いや、それよりどうやってネギ君はこの学園内に侵入したんだろう。この麻帆良の結界を破るなんて、相当の術者でも不可能だ。ましてや彼はまだ十にもならない子供のはず。
だとすると、内通者が停電させて結界を無効化して彼を招きいれたとしか考えられない。そんなことをして利益があるのは……。
咸掛法を使い戦闘態勢になってエヴァを見つめる。
停電により、エヴァは全盛期の力を取り戻した。また進入できないはずのネギ君が麻帆良の内部に入っている。
そのネギ君を捕まえたのは――エヴァだ。ネギ君の血を吸って力を取り戻せるのは――エヴァだ。今回に限って派手な魔法を使いまくっていたのは――エヴァだ。
つまり停電によって最大の利益を得たのは――。
「チャチャゼロはネギ君を放さなくてもいいけど、エヴァはちょっと質問に答えてもらえるかな」
「なぜだ」
僕がファイティング・ポーズをとったのに対し細く形の良い眉がしかめられる。これはいつか見た表情だ、この麻帆良に来る前に『闇の福音』として周りを全て敵視していたころの彼女だ。
「なぜって、停電がおきて以降のエヴァの行動に納得がいかない事があるんでね。ちょと教えてもらおうかと」
「そんなに私が信用できんのか」
急速にエヴァの雰囲気が冷たくなっていく。僕は学園長と並び、彼女からの信頼を得ていると思っていたが、そんなものは今のエヴァからは感じとれない。
僕とエヴァとの間の空気が張り詰めていく。シンと冷たく静まり返った月明りの中、チャチャゼロの「ケケケ」という耳障りな笑いだけが響く。
まずい、頭のどこかで声がささやく。こんな緊迫した空間はガスの充満した部屋と同じだ。ちょっとしたことで大爆発が起こってしまう。なんとか話し合わないと――。
口を開こうとした瞬間に、その張り詰めた空気を閃光が破った。
きっかけとなった光は何か判らないが、僕はエヴァとの戦闘に突入した。
そしていったん戦闘になってしまえば、余計な思考をさせてくれる相手ではない。僕の持ちうる全てを費やして引き分けられるかどうかといったレベルの敵だ。
まさか彼女と死力を尽くして戦う日が来るとは思いもしなかった。
葱丸side
俺の前で化け物二人が凄まじい戦いを繰り広げている。
その実況を中継したいが、スピードがあり過ぎて肉眼で追うことができない。デスメガネとエヴァさんが睨み合っていたから、なんとなく足元の閃光弾をそちらに蹴り出したんだが、まさかこんな戦闘が行われるとは……。
あの二人はお互いしか見えてないようだから、逃げ出したいんだがこのチャチャゼロって人形が離れてくれない。
え? 戦闘には加わりたくないのかって?
もし散歩に出かけて、喧嘩している人間がいたら止めるよ。喧嘩しているのがクマでも今の俺なら止められるかもしれない。
でも、散歩に出て空を見上げたらF-十五イーグルが二機ドッグファイトをしている最中だったらそれに加わろうって発想は出ないよね? そのぐらい俺とは差があるんだよ。
ナイフを突き付けられ、ぼーっと見てるしかない俺にようやく転機が訪れたのは、チャチャゼロが痺れを切らしてからだった。
「ダーッ、御主人モ何シテンダヨ。アト一息デ殺レルジャネーカ。イイ加減二オレニモ戦ワセロー!」
チャチャゼロが両手にナイフを振りかざし渦中へと飛び込んでいこうとしたのだ。
ラッキー! 何ていう幸運だ。天は我を見捨てていなかった! このままこっそりと立ち去れば……。
忍び足で一歩踏み出した途端に、周りが明るくなった。いや、そうじゃない、学園の照明が点灯しだしたんだ。
同時にぷえん・ぷしゅう~。と気の抜ける音と共にエヴァが空から落ちてきた。なぜか慌ててデスメガネが受け止めている。さっきまで戦っていたのに、なんというジェントルマンぶりだ。
チャチャゼロもうつ伏せに倒れている。どうやら走り出そうとした瞬間に動けなくなって転んでしまったらしい。
ふっふっふ、人形ごときが俺に刃物で傷を付けるからこうなるのだよ。
「ふっふっふ、けーけっけ」
チャチャゼロを仰向けにして嘲笑を浴びせる。ストレスでどっか切れてしまったようだ。ひとしきり高笑いすると、レーザーが射出されそうな目つきのチャチャゼロを残して逃走を再開しようとした。
「ちょっとまってくれ、ネギ君」
デスメガネの呼び止めに足がぴたりと止まる。あ、エヴァさんとの戦いが終わったのなら、こいつから俺が逃げる隙なんてないじゃん!
ようやくそのことに気づき血の気の引いた俺の耳に、ジョンからの通信が入る。
『やっとブレーカーを戻して、施設から脱出したよ。そっちはどうだい? うまくいってるかい?』
「あなたのせいで死にそうです」
これは掛け値なしの本音だ。ジョンがブレーカーを戻すのが早ければ、デスメガネが来る前に逃げ出せた。遅ければ、二人の怪物の戦ってる隙にフェードアウトもできた。
最悪に近いタイミングで停電から復活させやがって、しかも脱出済みならもうブレーカー操作を頼む事もできやしない。
『ちょ、そんなに怒らないで、それに諦めちゃだめだよ。言い忘れてたけど、今夜の事をバカレンジャーのリーダーに伝えておいたから、うまくすれば助けてもらえるかも』
その言葉と同時に、まるで出待ちをしてたかのように、まだ遠くの森の中から少女と女性掛け合いが聞こえてきた。その少女の声にデスメガネの動きが停止した。
「ちょっと、あなたは三年A組の神楽坂 明日菜さんでしたね。こんな夜中にどうして出歩いているんですか?」
「あ、シスター・シャークティ。その、インターポールから捜査協力の連絡があって……」
「インターポール? 明日菜さんあなた国際犯罪にでも関係してたんですか!?」
「そんなことないです! あ、あそこなぜか雪がふってる!? 気になりません!? 気になりますよね!? そーゆー訳で失礼します!」
「そーゆー訳って、どんな訳ですかぁー。待ちなさい、明日菜さん! 明日菜さん!?」
……頼りになる援軍、なのだろうか? ジョンが呼んだという一点だけでも信用しきれないが、デスメガネを相手にするのなら人手は多いに越した事はない。
こんな化け物と戦いたくなどないが、懐にしまっていた対デスメガネ用の小道具がムダにならずにすんだとポジティブに考えるんだ。
速戦を選ぶか、バカレンジャーを待つかの二択に思えるが、実は全く選択の余地のなく先手を打って攻撃をしかけるしかない。
さっきのエヴァさんとの戦闘を観察する限り、彼の一番の脅威はそのスピードだ。
もし彼に先に攻撃をされたら、訳もわからぬ内に眠らせられる。
こちらがペースを握り、常に先手を取り続けてデスメガネに防御で忙殺させる以外に道はない。
よし、戦闘だ! 気合をいれた俺は、まず地面からチャチャゼロを抱き上げた。