葱丸side
まだ満ちてはいない月明りの中、森の奥深くにあるログハウスに赴いた。
エヴァさんの住所は全く人気のない辺鄙な場所にあった。これは好材料の一つだ。少々騒がせても通報する者はいないだろう。
一枚板の扉をノックすると待つ程もなく扉が開き、メイド姿の茶々丸さんが出迎えた。
「こんばんは。夜分遅く申し訳ありませんが、人目につくと拙いかと思いましてこんな時間にお邪魔しました」
「いいえ、マスターは普段は夜の方が機嫌がいいぐらいです。ようこそいらっしゃいました、葱丸さん」
アポイントメント無しの訪問にも、驚きの表情を出すことなく俺を迎え入れた。
これから戦おうって相手を前にしても、警戒心も動揺もまったく表れない。こういうノーリアクションの相手は読みで戦う俺には相性が悪いな。
「お茶をお持ちしますので、こちらへ」
そう言って、ソファを勧められた。あ、凄いフカフカしている。柔らかなクッションで上下に揺れながら、横目で内部を観察する。
想像以上に女の子っぽいインテリアというのが第一印象だった。周囲の壁が覆われるほど人形がたくさん飾られている。
「粗茶ですが」
「あ、ども」
渡されたのは、鼻から緑の風が吹き抜ける錯覚さえ起こさせるほどの緑茶だった。いや、結構なお手前で。
俺が舌鼓を打っていると、階段を下りてくる乱れた足音の後にフリフリレースのパジャマ姿でエヴァさんが姿を現した。
なぜか息が荒く、頬は上気して目の焦点もどこか怪しい。
「くくく、貴様からやってくるとはいい度胸だ。その度胸に免じて……」
そこまで偉そうに宣言して倒れかかる。慌てて茶々丸さんが受け止めたが、すでにエヴァさんは意識を失っていた。
「現在のマスターは十歳ていどの体力しかありません。風邪と花粉症を患って熱を出しているのに、これほど興奮されては起きているのは無理でしょう」
茶々丸さんが主人の容態を解説してくれる。……風邪に花粉症と熱だと? それはコンピュータウイルスに感染して熱暴走してるってことか?
まあ、そっちの事情はともかくコンディションが悪いなら願ったり叶ったりだ。後は茶々丸さんの隙をついて、エヴァさんを倒す――いや、はっきり言えば殺せれば俺の勝ちだ。
本当に人間型で、意思の疎通ができるものを殺せるのか? という疑問は棚上げだ。だって俺には他に方法を思いつかねーんだよ。
エヴァさんに戦闘能力が無いなら問題は茶々丸さんだけだ。どうにかしてエヴァさんと二人きりになるチャンスがあればいいのだが……はい? 茶々丸さんなんと仰いましたか。
「ですから、葱丸さんはマスターのご様子を見ていていただけますか。私はつてのある病院で薬を受け取りにいってきますので」
「え? もう夜中ですけど」
「私は今日はマスターに付きっ切りでしたので病院へ薬をもらいに行く事もできませんでした。客人に対し失礼ですが、マスターの付き添いをお願いします」
「そりゃもう喜んで! ぜひともやらせていただきます!」
茶々丸さんの頼みにブンブンと頭を上下させて承知する。これはもう神様が『殺れ』とチャンスを与えているようなものだ。
「では、マスターのベッドは二階にありますので、私が帰ってくるまでの間お願いします」
「任されました」
胸を叩いて応じる。心臓は踊っているが、余裕たっぷりに見せかけなければ茶々丸さんは出発しないかもしれない。
もう一度頭を下げると茶々丸さんは、足からジェット噴射して空中へと舞い上がった。
さてと、やっと二人きりになれたねエヴァさん。
頬にそっと手で触れる。滑らかな感触と微かに高い体温が感じ取れる。
意味もなく睦言をささやいたようで赤面してしまう。何考えているんだ、俺はこいつを殺しにきたんだろ? 触れるってことはATフィールドを張っていない絶好のチャンスなんだぞ。
二階にも運ばずに居間のソファに横になっているエヴァさんを俺は見下ろしていた。本当に小さいよなこいつ。
彼女の寝顔は熱のために安らかとは言えないが、まるでビスクドールのように可愛らしい。
まぁ半分ロボみたいなもんだから、人形みたいに端正な作りなのは当然か。
せめて眠っていて何も知らない内に、安らかに送ってやることだけしか俺にはできない。
そっと懐からサバイバルナイフをとりだした。コアはやはり心臓のあたりだろうな。
あれ、左胸に狙いを定めたナイフが小刻みに震えている。いや、震えているのは俺の腕だ。どんなに深呼吸しても震えが止まろうとしない。
確かに風邪で寝込んでいる少女の命を奪うのは、人間的にそれはどうよ? と思わないではないが、かの剣豪宮本武蔵も試合に前に控え室で相手を殺し「試合が決まっているのに油断している方が悪いのです」と平然と言い放ったそうだ。
だからこれもきっと卑怯じゃないんだ! よし、理論武装終了。いくぞ。
震えたままでもエヴァさんの左胸に突き立てようと、ナイフを振りかぶった。
その瞬間震えは止まった。同時に腕もナイフも停止する。
そのナイフより鋭い目で少女が下から睨みつけていた。
「ゲスめ。コホン、寝入りを襲うとは罠は使ったが正面から向かい合った父親とは似ても似つかぬな」
赤い瞳で睨んでいるエヴァさんの放つ殺気は恐ろしいが、俺の腕の動きを止めたのはもっと物理的な何かだ。
中途半端な姿勢で固まってしまった腕に、照明が微かな影の線を映す。これは……糸か? 肉眼では確認しずらいほど細い糸で腕が拘束されているんだ。
「決闘であれば命にかかわるほど血を吸うつもりはなかったが、ここまで腐っていては殺されても文句はいえんだろ。
スプリングフィールドの家系も、ナギで才能も誇りも使い切ったか」
「エヴァさん、僕がそれほど底の浅い男だと思ってるんですか」
動揺を覆い隠し、いかにも失望したのはこっちだといわんばかりに可動部の少ない肩をすくめる。怖えぇ、でもまだこれからが俺達の作戦の始まりだ。
「まだ、パーティーはこれからですよ……ジョン!」
『ガッテンだ』
ヘッドセットから頼もしい相棒の声が聞こえる。同時に窓の外に広がっていた夜景から光が消えていく。停電作戦はうまくいったらしい。
エヴァさんもその光景に「何!?」と驚きを隠せない。
その隙をついて、もがくように腕を捻り袖に仕込んだカミソリの刃で糸を切断することに成功した。右手が動くようになればこっちのものだ、ナイフを振り回して体に巻きついた糸を切る。
俺の糸抜けに気づいたエヴァさんと視線が合った瞬間に、この家も闇に包まれた。
よし、予定通りだ。すばやく暗視スコープをつけてエヴァさんに跳びかかる。さっきまでの躊躇は綺麗さっぱり無くなっている。目前にいるこの少女は倒すべき敵でしかない。
ナイフが刺さる! 確信を抱いた瞬間に俺は吹き飛ばされていた。
壁にぶつけた後頭部に走る激痛で意識がはっきりした。ほんの一秒にも満たない間気絶していたらしい。その俺を気絶するほどの衝撃で跳ね飛ばした少女は、こちらを気にするでもなく自分の体を見下ろし「呪縛が解けている……?」と不思議そうにつぶやいていた。
どうもさっき俺を弾いたのは反射的なものだったようだ。こっちの行動に気がついていなかった可能性すらある。一体どれほどの戦力差だよ! 不公平にも程があるだろ。
俺の内心のグチが聞こえたわけでもないだろうが、エヴァさんはゆっくりと俺に視線を送りソファの上に仁王立ちした。
「くっくっく、なろほどな。パーティーはこれからか! フェアな戦いのために私の魔力を戻すとは全くクレイジーな奴だな。さっきの言葉は撤回するぞ、貴様はあの馬鹿な父親そっくりだ!」
喜色満面の彼女から皮膚が痛いほどのパワーが放射されている。具体例で言うと『○リリンのことかー!』と激昂したスーパー野菜人に匹敵するほどだ。
停電により動けなくなるどころか、明らかにパワーアップしている……完璧なはずの作戦のどこかに間違いがあったのだろう。
いや、そんな疑問を解決するよりも逃げるほうが先決だ。幸いこの居間には庭に面した大きな窓があった。このジャンバーならガラスの破片は防いでくれるはずだ。両手で頭を抱える格好でそっちにダッシュする。
窓ガラスを突き破って外に脱出した俺は、後を追って笑い声と共に空に舞い上がった少女に対し恐怖をおぼえた。
いつの間に大人の女性にまで巨大化したんだ!? さらにパジャマからアダルトな黒の下着みたいなドレスにお召し物まで変えている。
お色直しする余裕まであったってのかよ。
この状況において俺に唯一つわかるのは、作戦が瓦解したということだけだ。
半ば四つん這いになりながらも、必死に悪魔の館から逃走しつつ作戦中止を呼びかける。
「ジョン、作戦失敗です! 早く停電を解除してあなたも逃げてください」
『アイアイサー、よっと……あれなんかブレーカーに引っかかって』
「ジョン早く!」
タカミチside
夜間のパトロールの最中に麻帆良から全ての明かりが消えた。同時に結界も消滅し、学園が無防備になってしまう。
もう少しでメンテナンスを行うこの時期に、停電が起こるとは運が悪い。
舌打ちして警備の応援に行こうとした。ここらへんの侵入者はもう僕が倒しつくした後なので、この場を離れても問題ない。
どこが手薄か連絡を取ろうと携帯を使いかけてさらに舌打ちを重ねる。使用不可だ。こうなると魔法の使えない僕は向こうから働きかけがないと話のしようがない。
仕方がないので、煙草でも吸いながら時間を潰そうとしていると、森の中から巨大な魔力の奔流が柱のように天まで立ち上るのが見えた。
あれはエヴァの家の辺りだな。
そこからガラスの割れる音とエヴァの高笑いに爆発音がここまで響いてくる。……不味くないか? 普段のエヴァなら加減をわきまえているはずだ。
少なくとも、他の魔法先生に文句を言われるほど騒ぎを起こすはずもないのだが。
ふと、想像もしたことのない可能性が脳裏に浮かぶ。
エヴァはこの学園に結界によって縛られていると聞いている。ではもしその結界が消えればどうなる。いや、もっと積極的にエヴァが結界を消滅させるために停電を引き起こしたのだとしたら――。
それ以上の想像を自らに禁じ、僕は瞬動によって轟音と高笑いの中心地へと走り出した。