とりあえず、学園長さんに連絡を入れた俺は、指示されるがまま郊外の森の奥にある一軒家に辿り着いた。
そこにはすでに先に来ていた学園長さんが家の前で立っている。高畑さんは出張でいないらしく、残念ながらここには居ない。
俺は学園長さんの前に着地すると、持っていた妖魔と人形を地べたに置き、静かに学園長さんに頭を下げた。
「夜分遅く、呼び出してしまい、申し訳ありません」
「あぁ、気にせんでおくれ。本来なら、ワシらが早々に片付けておかなければいけなかったことじゃからのぉ……」
そう言いながら、学園長さんは気絶したままのしょっぱいのと人形、マグダウェルさんと絡繰さんの二人を見た。
「ネギ君の名簿に、載っていた生徒なので……対処に困り、ました」
その視線から学園長さんの気持ちを察し、俺は実は様子を見ていましたという事実はぼかしつつ、事の顛末をある程度語り始めた。
ともかく、斬らずに連れてきたのは、彼女達がネギ君の生徒だったからだ。何で人形と妖魔が生徒をしているのかは不思議だが、そうしている以上、何かしらの理由があってのことだろう。
そこらの察しがつくくらいには、社会に馴染んできた俺である。
学園長さんは全てを聞き届けると、僅かに困ったように髭を撫でつけてから、なんと俺に対して頭を下げてきた。
「すまなかったのぉ。事件については我々もある程度察知はしていたのじゃが、満月ということ以外、警戒を上手く切り抜けられて事件が多発していたのじゃ。彼女が犯人という決定的証拠もなかったために、どうにも動くことが出来なくてのぉ」
恥ずかしい話じゃが、そう言って改めて頭を下げてくる。
「とんでもない。頭を、上げてください」
俺は目上の人が頭を下げるという事実に困惑して、条件反射的にそう言っていた。
なんというか、人として己が恥ずかしかった。俺は自分の欲求を満たすために、事件が起きているにも関わらずあえて暫く放置をした。そして、その事実を告げずにいる。
許しがたい。
全く持って、度し難い。
「俺も、実は……」
観念して、隠していたことも俺は話しておく。ネギ君ならこの程度は大丈夫だろうと放置してしまったこと。これもまた真実からは少し離れていたが、本当のことを言ったらネギ君の護衛を解雇される恐れがあったため、あえてそういった言い方をした。
結局、嘘はついている。
俺は自分が恥ずかしい。
「そうか。じゃが、青山君ほどの実力者となると、確かにそう思ってしまうのも無理ならぬことかもしれんからのぉ……今後はなるべく気をつけて欲しいがの」
「……はい」
「ほほほ、そう落ち込まないでおくれ、元はといえば、ワシらがこの件を解決できなかったことが原因なのじゃから」
そう優しく言ってくれる学園長さんに、俺は頭が上がらなかった。
なんと、なんと寛大な心だろう。高畑さんも学園長さんも、全く素晴らしい教師である。こういうとき、感情が表すことが出来ない己が悔しくて、やはり情けなく、恥ずかしい。
ともかく、いつまでも謝り続けていてはキリがないので、俺は彼女たちのことについて質問をすると、学園長さんは神妙な顔つきになって静かに答えた。
「……闇の福音、という賞金首を知っているかね?」
「いえ……生憎と。俺は、なんとなく噂を聞きつけ、好敵手を探していただけで、世俗はおろか、裏のことにも、疎いものでして」
「そうじゃったか……まぁ、手っ取り早く言うと、そこにいる小さないほうの少女が、かつて闇の福音と言われ、恐れられた吸血鬼なのじゃよ」
その言葉に俺は表情が変わるなら唖然としたくらいには驚いた。
なんと、どの程度凄い賞金首なのか、学園長さんの話では全く理解できないものの、賞金首の吸血鬼であったのか。
このしょっぱいのが。
なんということだ……。
そもそも、吸血鬼に初めて会った驚きを忘れていたのに気付いた。
「……」
「ほほほ、流石の青山君も賞金首と聞けば言葉もあるまいか」
「いや……」
そういうのではなくて、吸血鬼に会えて嬉しいというだけなのだけれど。
まぁいい。
どうでもいいか。
「それで、彼女達は? その、一人、腕を斬って、しまいましたが。あ、殺しては、いませんので」
俺は機械の少女、絡繰さんを指差して、ついでにモップに突き刺さったまんまの腕を引き抜きながら言った。
血は出ていないので多分大丈夫なはずだが、機械には詳しくない俺である。最悪の事態も考えられるため、どうにも言葉の最後のほうが小さくなってしまった。
学園長さんは何とも複雑な表情を浮かべ「それで、その目隠しは?」と聞いてきた。今更過ぎる質問だが、よく考えれば、一方には機械とはいえ腕が斬れ、目隠しされた少女、もう一方は下着姿の気絶した少女。
そして俺はモップを持った無表情である。
ともすれば、一番最初に質問すべきことが今更になっても、おかしくない状況であった。
つまるところ、カオス。
「顔を見られるのを避けたかったためです」
現状を正しく理解するのが嫌になった俺は、まくし立てるように学園長さんの質問に答えた。出来る限り見られないようにしたために、こんな処置になってしまったのだが、俺の答えを聞いて、学園長さんは何かを考えるようにしてから「彼女達には、気付かれてもよいのでは?」と聞いてきた。
まぁ、その意見についてはなんとなく納得。
なんせ、学園長さんの話では、気絶しているほうは賞金首になるほどの吸血鬼で、もう一人はそんな少女をマスターと呼ぶ従者だ。
こういった場所に居る以上、何かしら理由があったりするのだろう。あまり周りに正体を知られると困るという点では、俺と彼女達の境遇は似ているとも言えた。
「……ですが、彼女達はネギ君を襲いました」
そんな人達に、果たして俺の正体を晒していいものか。
彼女達は敵だ。生徒であると同時に、しょっぱいながらも平穏を乱す敵である。
「そも、何故、賞金首が、ここに?」
「……少々、のぉ」
言い辛そうに言葉を濁される。それもまた言えない事情があるのか。
まぁ、賞金首を囲っているわけだから、新参者である俺には言えない事情は当然あるだろう。
嫌な質問をしてしまった。全く、子どもでもあるまいし、反省しなければ。
「質問を変えます。彼女達の、処遇はどうしますか?」
多分だが、これまでの話の流れだと、とっ捕まえてしかるべき場所に突き出すというわけではないのだろう。
最早、会話も聞かれているために意味なしと判断した俺は、絡繰さんの目隠しを外して「腕は、置いておく」と告げて目の前に斬り飛ばした腕を置き、学園長さんの言葉を待った。
「無罪、というわけにはいくまい。ワシのほうでこの一件、預からせてもらえんかね?」
「……まぁ。どのようにされようが、俺には、些細なことなので」
現状、彼女達はネギ君を護衛する俺にとって脅威にすらならない。仮に、俺が麻帆良の離れにある住居に戻って、それを見計らってネギ君を襲おうが、俺は一、二分もあればそこに駆けつけることができるし、その程度ならネギ君だけでも凌ぐことは出来る。
「取るに足りません」
個人的には、ネギ君の血を求めて何度も襲撃を重ねてもらいたいものである。
「……ほう、この私を前に、大層な口の聞き方だな」
後ろから、可憐な、しかし何処か風格を滲ませた声が俺に届いた。起きる気配はしていたので、特に驚くことなく後ろを振り返ると、頭を押さえながら、少女、マクダウェルさんがゆっくりと立ち上がってこちらを睨みつけていた。
「……」
「無視するとは、尚更気に入ったぞ? え?」
気に入ったと言うわりには怒気が強くなっている。ただ所詮は大した力も持っていないしょっぱい者の怒気。そよ風よりも気にならないそれに反応するのもくだらないので、俺は再び学園長さんのほうを見た。
「では、彼女達のことは、お任せします」
俺は改めて、腕を斬ったことを謝罪することも兼ねて、絡繰さんに頭を下げた。続いて学園長さんに頭を下げて、最後に振り返り、今にも飛び掛りそうなマクダウェルさんに頭を下げる。
「随分と舐めきった態度だな」
「……」
意地を張っている。というわけではないのだろう。底知れぬ自負は、強者が持つ特有の凄みだ。その身に宿るちっぽけな能力からは考えられないくらい尊大な態度に首を傾げて……あぁ、そういうことか。
つまりこの子は、この学園に囚われているわけだな。
「なるほど、子飼いの犬、というわけですね?」
俺は学園長さんのほうに再び振り返りそう言った。蛇の道は蛇。能力を押さえつけられたとはいえ、賞金首になるほどの悪党であれば、学園を襲う悪にも対処できるというわけか。
いや凄い。そういうリサイクル的な発想、御見それした。
だから、ある程度の暴走くらいには眼を瞑るというわけか。多分だが、いざとなれば瞬間的に押さえつけた力を解放する手段なりがあって、本当に緊急のときは、その力を解き放つといった具合。
そう考えて、俺は改めてマクダウェルを注視した。俺の遠慮のない視線にも全く怯むことなく、真っ向から見据えてくる彼女の、表面ではなく、奥底を静かに見る。
そうすれば、巧妙に隠された鎖の如き何かを見つけた。しかも隠されているのに特大規模。
斬ろうと思えばいずれ完成する十一代目があれば確実に出来るけど、そこまでする義理もないので止めておこう。
「なんだ? ははっ、まさか貴様、少女趣味の変態か」
「いや、そうでは……」
「だったら人の下着姿をじろじろ見るな。気持ち悪い」
「……すみません」
鼻で笑われたうえに、とてつもない勢いで睨まれて、俺は思わず謝った。
なんてことだ。
敬語で少女に謝ってしまった。
ん? 吸血鬼だから俺より年上だし、敬語でもいいのか。
でも、見た目俺より歳が下っぽい子どもに敬語を使うって、何だか情けない。
まぁ。
まぁ、いいだろう。
なんにせよ、封印を斬ってまで戦いたいと思う相手ではない。
いや、ネギ君に会ってなかったら斬っていたかも。
それくらいには、そそる相手。
今はしょっぱいが。
「斬る?」
「ッ!?」
俺が無意識に近い形で口走った言葉。それを聞いたマクダウェルさんの瞳が大きく見開かれた。
そして、次の瞬間には下を向いてぶるぶると震えだす。どうしたというのか。いやいや、いきなり斬るなんて聞いたから驚いたのかもしれない。
しまったなぁ。
「俺は行きます」
そういうわけで、何か居た堪れなくなった俺は、そそくさとその場を後にしようとして。
「おぉ、お勤めご苦労さん」
「待て」
さっさとその場を後にしようとした俺に、マクダウェルさんが待ったをかける。思わず振り返った俺に対して、マクダウェルさんは冷たい眼差しを向けてきた。
「貴様は、何だ?」
何だと聞かれて、答えなんかは唯一つ。
「ネギ君の護衛です」
「そういうことじゃあない」
ん? だったら一体どういうことだろう。言葉に詰まると、マクダウェルさんは壮絶な笑みを浮かべて俺に歩み寄ってきた。
「何て様だよ、貴様」
俺を知って、俺に斬られた誰もが思う第一印象。俺という個人を表す、何よりも簡潔で、的確な言葉。
それを、初めて笑いながら、面白そうに言われた。
マクダウェルさんはほとんど密着するような距離まで近づくと、さらに笑みを深くする。本当に、それは楽しそうな笑顔だった。とてもとても、今すぐにかぶりつきそうなくらいに、その口は牙をむき出している。
あぁ、しょっぱいのとか。
そういうの、訂正。
「気に入ったよ。あぁ、この言葉は嘘じゃない。人間、久しぶりに会えたよ『人間』。どうやらこの十五年で、いや、ナギのアホに会ってから、どうやら私は随分と己の領分を忘れていたらしい」
いきなり自分語りを始めるマクダウェルさんの雰囲気は、内包する力は変わらないというのに、纏う雰囲気が、暗転していた。
うわぁ、これ、ひでぇ。
「私は、化け物だ。ふん、悪の魔法使いやらそういうのではない。すっかり忘れていた。いや、忘れようと逃れていただけか……貴様を見て思い出した」
「……」
「貴様は人間で、私が化け物だ」
これ以上は、面倒だな。
まだ何か言い募ろうとしている彼女の言葉が発せられる前に、俺は瞬動で帰路につくのであった。
─
いつ技に入ったのかまるでわからなかった。ここまで完璧な瞬動は見たこともないくらい、青山の瞬動はそれだけで、彼の実力を知らしめていた。瞬間移動のように、音もなく消えた青山が居たほうを見てから、エヴァンジェリンは苦笑する。
「つまり、私は貴様らに踊らされていたということか?」
苦々しげに顔を歪めて、エヴァンジェリンは近右衛門を睨んだ。幾ら最弱状態とはいえ、人形使いとしてのスキルや、一世紀もの間積んだ武の研鑽による戦闘力は、近接戦闘では一級品の実力を誇っている。
そんなエヴァンジェリンが、軽くあしらわれた。ネギを捕らえたという油断があったとはいえ、不覚を取り、しかも茶々丸にいたっては左腕まで奪われた。そんな化け物を、知られることなく配置されていた。
内心でエヴァンジェリンは、近右衛門を、この狸がと詰った。
屈辱である。闇の福音として、一人の悪として、抗うことすら出来ずに生殺与奪を好きにされたのは、エヴァンジェリンには我慢が出来なかった。
「偶然じゃよ。たまたま彼がここに着たのと、ネギ君が赴任するのが重なったから、ちょうどいいと思って護衛につかせただけじゃ」
近右衛門の言葉は本当だ。青山がここに来たのと、護衛につかせたのは偶然である。ただ、最近の動向が怪しかったエヴァンジェリンに対する保険であるのも、また事実であった。
今回は、それが予想以上に噛み合った。
後一歩で、犠牲者が出るほどまでに。
「私も人のことを言えた義理はないが……あんなモノ。立派な魔法使いの居る場所には似つかわしくないと思うがね」
エヴァンジェリンは倒れた茶々丸を糸を使って立たせて、その身体を軽く観察した。眼の焦点があっているため、どうやら最悪の事態は免れたらしい。
茶々丸の冷たい瞳を見て、エヴァンジェリンは軽くため息を漏らす。まだ茶々丸のほうが、感情の起伏が見られるというのは、冗談にすらならない。
それでも、エヴァンジェリンは、誰よりも青山から人間を感じていた。
「今すぐアレは追い出したほうがいい。でないと、取り返しがつかなくなるぞ?」
その言葉は、予感ではなく、確信に近かった。化け物だからこそ、人間を望んでいたことがあったからこそ得た確信。
強いとかそういった次元の話ではない。
アレは、救いようがない。
「教師として、立派な魔法使いとして、彼を見捨てるわけにはいかんよ。それに、彼の根は純粋じゃと、私は信じておる」
「ハッ、純粋ねぇ」
蔑むように肩を揺らしてから、エヴァ苛立たしげに舌打ちをした。
「建前は立派だが、そういった曇りのない眼鏡が、貴様の、いや、貴様達立派な魔法使いとやらの欠点だ」
人の善性を信じるから。人の悪性が間違いだといえるから。
だからお前らは、ただの正義だ。
「いや……それもまた、そうだな」
正義でも邪悪でもない。
完成された個人。空っぽのようで、その実、余分なものなど一切受け付けないほどに埋め尽くされていて。
「アレは人間だよ。正真正銘、本物の人間だ」
エヴァンジェリンの言葉を近右衛門は理解できなかった。そんなことはわかっているし、今更強調してまで言うことではないだろう。
やっぱし、わかっていない。エヴァンジェリンは、どこか同情するように眼を細めた。
「それで? アレは一体何処で拾ってきた?」
これ以上は話しても無駄だと思ったのか、エヴァンジェリンは話を切り替えて質問をする。
「拾ってきたというわけではないのじゃがの。知人の身内でのぉ。お主と同じで訳ありで、なるべく人に正体を知られないほうがいいと言っていた」
「なら別にもういいだろ? 私と茶々丸はあいつの顔を見たんだ。どうせここで働いてるなら、茶々丸に任せればすぐに全部わかる」
だからきりきり話せ。そう凄んできエヴァンジェリンに、近右衛門は仕方ないといった素振りで口を開いた。
「元神鳴流じゃよ。数年前、各地の封印されていた妖魔、もしくは危険な術者を、目的もなく斬り続け、破門になった……青山じゃ」
「青山……宗家の人間が破門とは、面白いじゃないか。そんな奴をよく囲う気になれたな」
「言ったじゃろ? 知人の頼みじゃとな。それにあの実力を、人のために使うことが出来たら、素晴らしいとワシは思うのじゃよ」
「人のために、ねぇ」
エヴァンジェリンの含みを持った言い草に、近右衛門は僅かに視線を険しくした。
だがエヴァンジェリンは怯むことなく、肩を揺らして消えた青山を追うように視線を空に向けた。
「あいつは人間だよ」
「……何が言いたい?」
「誰よりも人間だ。少なくとも、正義を信じる者や、悪に浸った者や、そういうレベルで考えられるものではない……クククッ、興が乗った。処罰でも何でも好きにしろ」
突如低く笑いながら、素直に処罰を受け入れると告げたエヴァンジェリンに対して、近右衛門は疑わしげな視線を送った。一体、どういうつもりなのか。そんな視線を浴びて、エヴァンジェリンはにんまりと口を歪めて、その吸血鬼の証である牙をむき出した。
「従ってやるって言ってるんだよ。気が変わらないうちに、首輪でも何でもつけておけ」
そういって、エヴァンジェリンは糸で茶々丸を運びながら、自宅へと入っていく。
その背中を見送りながら、近右衛門は久方見せることもなかったエヴァンジェリンの脅威を感じて、額に嫌な汗が浮かぶのを確かに感じた。
どうしてエヴァンジェリンが豹変したのか、近右衛門にはわからない。人として、正義として生きてきたからわからない。
化け物は人間に焦がれる。
ただ、それだけだ。