麻帆良学園は本来なら学園祭前で賑わう時期でありながら、今は空虚な静寂が学園内を満たしていた。
今年、いや、歴史上を見ても最大規模の災厄が降り注いだ京都。この復興のために麻帆良学園の学生達の過半数以上の人間が名乗りを上げて、現地に向けて足を運んだからである。
切っ掛けは大したこともない。
ただ、学園内部で上がった小さな主張が、波紋のように響き渡って全校生徒、ひいては学園の教師陣にも浸透した結果だろう。
それこそ、驚く程の速度で。
小さな主張。ネギ・スプリングフィールドと超鈴音による計画遂行は、そんな些細なところからまずは始まりを告げていた。
時間は、近衛詠春の葬儀が行われてから数日後、麻帆良学園にネギが戻ってからとなる。
「僕はあなたの計画に乗ります。超さん」
超鈴音にとって待望の一言がネギの口から伝えられた。
放課後、超が事前にネギへと伝えていた自身への接触方法を使い、葬儀の夜ぶりに二人は一対一で対峙していた。
場所は麻帆良の教師陣の監視の目が届かない空き教室の一つ。分かりやすいお題目や雑談も、それこそ挨拶すらも抜きにして、対峙早々ネギは己の心を吐露した。
「正直、僕には今だ何が正しくて何が悪いことなのかの判断はつきません……それでも、行動することに意味があり、ただ安寧と腐るしかない現状に留まるのがおかしいということだけはわかっているつもりです」
ネギが出した答えはシンプルながらも確固たる決意のこもったものだ。勿論、行動することが正しいと思っているわけではないし、現状に踏みとどまることの過酷さだってわかっているつもりだ。
だが、だからこそ主張する。現状は腐る一方だと、行動し、道なき暗黒を切り開かなければ。
「でないと、また、京都の惨劇は何処かで起きます」
それは最早、確信に近い予感だった。
一握りの者ではあるが、魔法使いは個人の戦力だけで、場合によっては現代の軍事力に匹敵、あるいは大国すら上回る力を保有している。そして、そんな者達が全力を振り絞らなければならない妖魔が幾つも存在する。
であれば、いずれまた京都の惨劇が繰り返されるのは自明の理とも言えた。修行を経て、力を得てきた実感がわいてきたネギだからこそようやく得られた答えとも言える。
極端な話。今朝まで笑いあっていた友人が、ミサイルを上回る火力を誇る化け物かもしれない。
その恐ろしさ。
その脅威。
知らしめ、警告し、そして理解を求めずにどうするというのか。
当然、脅威だけを知らしめるわけではない。魔法と言うものの危険性を伝えた上で、魔法を用いた平和を作り上げる。より良き未来のため、魔法の脅威と有効性を知らしめるという超の案は、ネギには理解できるものであった。
「……その意志に敬意を表するネ。ありがとうネギ先生。いや、同士よ」
超は悩み抜いた上にネギが出した答えに、頭を下げてその両手を握り返すことで感謝の意を伝えた。
五分五分。いや、部の悪い賭けであった。
京都からこれまで、著しい成長を見せるネギを己の陣営に組み込むこと、これは青山という化け物が麻帆良に居る今を打開するには絶対の条件だった。
だがネギは英雄、サウザンドマスターの息子。立派な魔法使いたれと、そう育てられた少年であり、であれば魔法を知らしめるという己の考えを間違っていると言う可能性が、京都の一件があったうえで、尚も高かった。
だがそれも杞憂だったのかもしれない。ネギはよく考えた上で超を選んでくれた。
ともすれば、拍子抜け。本当は、断られてから丸めこむ方法を考えていた超は、ネギを見誤っていた自分の線慮に失笑した。
「超さん?」
「いや……何でもないネ。ネギ先生」
ただ、嬉しいだけだ。そう言って、浮かんだ笑みをいっそう深い笑みで誤魔化した超は、表情を引き締めると「では、改めてネギ先生にはその他同士の面々を紹介するネ」そう言って黒板に近づいた。
そのまま馴れた手つきでチョーク入れの下に手を添えると、そこにあったくぼみに指を入れて指の腹を添える。
すると、巧妙に隠されていた指紋認証装置が起動し、直後、黒板の中央部分が動き、地下へと続く道を開いた。
奥へと続く道は、下へ下へと広がっている。光源は足元を照らす程度にしかなく、螺旋を描いて伸びている階段は、まるで底なしのように見えた。
「……これは」
「準備してきたことの一環ネ。他にも学園内に幾つも経路を用意しているヨ」
「なんだか悪の秘密結社みたいですね」
冗談混じりにネギがそう言うと、超は何処か嬉しそうに喉を鳴らし、「まさにその通りアルヨ」とからかうようにネギへと笑いかけたのだった。
「それはともかく、仲間になったのだから我々の仲間を紹介しよう。ついて来るヨ」
超が先導して階段を下りて行く。ネギは僅かに逡巡したものの、どんどん先へと進むその背中に誘われるがまま階段へと一歩を踏み出した。
直後、ネギが入ったことで入り口が再び閉じる。特に驚くこともなかったが、閉じ込められたなぁとどうでもいいことを思いながら、ネギは超の背中を追った。
道中、特に会話はなかった。語るべきことはあの夜と、そして今さっきに殆ど離し尽くした。
雄弁である必要はない。少ない言葉だからこそ、こめられた意志こそ、言葉以上に雄弁と二人の心を語っていたのだから。
歩いてからどの程度の時間が過ぎただろうか。暗がりの奥へ奥へ、肌を突き刺す冷気に体を小さく震わせた頃、ようやくネギの前を行く超が足をとめた。
「ここネ」
長は目の前のドアをゆっくりと開いた。
ネギは突如広がった光に手を翳して目を細めた。眩いばかりの光は、地下へと潜っていたにしてはあまりにも暖かい。
数秒して、光に目が慣れたネギがドアの向こうにある光景を見た。
「うわぁ……」
そこに広がっていた光景は驚嘆する他ない。学園の地下二あるとは思えないくらいに広大なドームには、無数の人造人間や四足の戦車が整列し、さらにその奥にある森林や湖には、超巨大ロボットが幾つも鎮座していた。
「小さいのは田中さんという、まぁ戦闘用に特化した茶々丸さんの先行量産型と考えていただければいいネ……そしてあそこにあるのは、かつて、大戦のときに封じられていた鬼神。京都に封じられていたリョウメンスクナと比べると、能力は半分にも届かないが、それでも麻帆良の一部を除いた魔法使いを足止めするには充分ネ」
「そして、一部の魔法使いを──青山さんを相手にするのが……」
「それは私の役目だよ、小僧……いや、ネギ先生」
ネギは背後から響いた邪悪な声に振り返った。そこに居たのは、かつてネギに圧倒的な恐怖を叩きつけた張本人の一人、エヴァンジェリンと茶々丸、そしてクラスメートである龍宮真名と葉加瀬聡美が立っていた。
驚くネギの前に、代表するようにエヴァンジェリンが歩み寄る。大橋の一件からヘドロのような瞳になってしまった少女は、見定めるようにネギを上から下まで舐めまわすように見つめ、満足したのかニタリと笑んだ。
「へぇ……最近は随分と面白くなってきたと思ってはいたが、こうして改めて見ると……育ってるじゃないかネギ先生」
「……エヴァンジェリンさん」
「だが駄目だ。青山は私が殺す。これは既に超とも契約済みだから諦めろ」
エヴァンジェリンの言い草は、まるでネギが好んで青山と戦いたがるとでも言いたそうなものだった。それに不快感をあらわにしたネギは、表情を歪めて、しかしそれでも正義の魔法使いの一人として「殺すのはいけませんよ」とだけははっきりと言った。
以前なら呆れただろう。あの大橋と同じようにネギが言ったのならエヴァンジェリンは悪態の一つでも返したかもしれない。
だがエヴァンジェリンは笑みをさらに深くするだけにとどめた。殺すなと告げながら、同時にその瞳が如実に「それも仕方ないのかな」という別の回答を訴えているのに気付いたからだ。
「……超。どうやら貴様の人選、思いの外悪くはないみたいだぞ?」
「私もそう思っているヨ」
ネギを間に挟み、超とエヴァンジェリンは意味深に視線を交わした。その視線の意味に気付かぬネギが首を傾げると、割って入ってきた真名がその手をネギに差し出した。
「驚きはあるが……君が加わってくれて私も嬉しいよ」
「は、はい……えと、もしかして龍宮さんも」
「あぁ、魔法使いではないが……それに関係する人間の一人だと思ってくれ。何、少しばかりだが戦闘も行えるからね、遠くから君やエヴァンジェリンをサポートするさ」
「私には必要ない」
「これは失礼」
真名は肩を竦めつつも、ネギの手をとって握手をした。
「言いたいことは多数あるだろうが、葉加瀬共々よろしく頼むよ」
「よ、よろしくお願いします!」
真名の後ろで聡美が勢いよく頭を下げた。
釣られてネギも軽く会釈を返して、真名の言うとおり、聞きたいことがむくむくと込み上げてくる。
だがまずは教師として、ネギには言わなければならないことがあった。
「……龍宮さん、葉加瀬さん。危ないので、この件から手を引いてください」
真名の手を放して、ネギは二人にそう告げた。これからネギと超が行うことは、青山が関わる以上、死人が出てもおかしくないものだ。そんなことにクラスメートを関わらせることは、担任の教師としても、魔法使いとしてもネギには許容できるものではなかった。
それに対して真名は困ったように苦笑。聡美は失礼な、と言わんばかりに胸を張った。
「悪いがそれは聞けない相談だよネギ先生。尤も、葉加瀬に関しては兵器設計とその他計画に必要なあれこれの支援をしてもらうだけで、直接に関わることはないから安心してほしい」
「ですが、龍宮さんは……」
「少なくとも、君以上には戦いを経験してきているつもりだよ」
そう言う真名の佇まいは、成程、クウネルとの実戦特訓で無数に戦った戦闘者特有の雰囲気がある。
ネギはそれでも何かを言おうとして、首を横に振って己を律した。
理由はともあれ。そう、理由はともあれ、彼女もまた、己の意志でここにいる。その決意が本物であるならば、ネギがとやかく言うのは失礼でしかないだろう。
「さて」
話がひと段落ついたところで、超は両掌を打ち鳴らして視線を集めた。
「話もまとまったところで、そろそろ計画について話し合うこととするネ。ここにいるものには周知のことだが、我々の最終目的は、来る学園祭の最終日、世界樹の魔力が最大までたまったのを見計らって、願望機としての役割を持つ世界樹の魔力を用い、世界に魔法があってもおかしくないという認識を持たせることにある。これは計画の最初期段階だが、同時に、最終目標である魔法と科学の共存へと至る最も重要な段階ネ」
改めて計画のことについて話始める超。具体的な例を用いて語るのは、計画の詳細を知らぬネギのためであり、そして計画始動を直前に控えた今、改めて一同に覚悟を問う演説であった。
超が話す計画内容は、魔法は秘匿するべきという考えの魔法使いでは対応できないものだった。学園祭に出る一般生徒の前で堂々とここに居る戦力を使用して世界樹を占拠するというものだ。
超と聡美の解説では、ここにあるロボットは人体に危害を加えるものではないが、充分に魔法使い側を無力化する術があるという。
「そのための切り札が……学園祭期間のみに使える時間跳躍弾と、時間航行機ネ。弾丸のほうは、接触した対象を計画が終了した後の未来にまで飛ばす能力、航行機はそのまんま、使用者を瞬間的な空間跳躍、正確には未来にある別の空間に転移させることが可能ネ。この二つとロボによる強襲制圧にて……」
「待ってください」
唐突に、ネギは超の話に割って入ってきた。超は別段不快になることもなく、いや、むしろそれが当然だと言わんばかりの表情でネギに続きを促した。
「確かに超さんの計画なら、魔法使い側の大半は身動きを封じられます。ですが計画の最終段階。つまり世界樹の制圧を見れば、何を願うかは抜きにしても、危険だと察した皆さんはなりふり構わず動くでしょう」
「それで?」
「青山さんが動きます。それが、最悪です」
最早。
最早、ネギにとって、青山こそ恐ろしい者だった。
京都の一件、直接的な被害をもたらしたのはリョウメンスクナとフェイト・アーウェルンクスであったが、ネギが、あそこに居た誰もが恐ろしいと感じたのは、前者の一体と一人ではなく、彼らに真っ向から立ち向かい、ついには打倒、斬って捨てた青山に他ならなかった。
「青山さんが動けば……死人が出るような、そんな気がするんです」
確証はなかった。しかし、京都での出会い、そして葬儀の夜の会合で激痛を発した眼が、雄弁に青山という修羅の脅威を訴えている。
何より、場所は違えど、今やネギ自身も道を『歩き終えている』故に、青山の恐ろしさはエヴァンジェリンと同じくらいに把握していた。
未完成という終わり。終わりがない終わりに立った少年から見て、斬撃に生きるという修羅は理解できるからこそ決して相容れない。
そんな相手を、一般人が居る場所で解き放つ恐れがある。それは、何よりも恐ろしいことに他ならないと思うのだ。
「だから、僕はその案には頷けません。確かに超さんの計画の果てには、回避出来ぬ流血が待っているでしょう。だからと言って、回避出来る流血を享受するというのは間違っています」
「……では、他に代えのプランがあるのかネ?」
超は試すように問いかけた。その挑戦的な視線に怯むことなく、ネギは真っ向から頷きを返す。
「今思いついたわけではなく、超さんの話を聞いてからこれまで、僕なりに考えたプランなのですが……とりあえず、学園の皆さんには、学際中全員ここから出て行ってもらいます」
そんな滅茶苦茶な発言を皮きりに、ネギは噛みしめるように彼なりに考えてきた計画について、話しだした。
─
京都復興のボランティアに学園の一般生徒を全員連れ出す。それに伴い、当然ながら引率としてついていくことになる教師陣も、事件の前後ということもあり、魔法先生並びに生徒をかなりの人数同伴することになる。そして一般生徒、並びに学園で働く人員の殆どがいなくなった麻帆良を最大戦力で強襲。相手も当然秘匿する必要がないので真っ向から抵抗するだろうが、それこそ真正面からの戦いと見せかけて、真名による援護射撃で追放する。
これこそネギが代替プランとして提案したものであり、そのプランの第一段階も、雪広あやか並びに、超鈴音の協力によって成立することになる。学園の生徒がまとめて復興に当たるというメディアへの公表の効果も大きいものがあった。
普段は賑やかな麻帆良の姿はない。まるでゴーストタウンにでもなったかのような閑散とした街並みが広がる中、数少ない、いや、唯一の居残り生徒である神楽坂明日菜は、いつもとはまるで違う街並みを見つめながら、ネギの言い分を耳から耳に流していた。
「だから今からでも遅くありません。明日菜さんも京都に行って復興のお手伝いをしてきてください。木乃香さんだって明日菜さんが居た方が……」
隣で必死に説得をし続けるネギだが、明日菜はその言葉を決して聞こうとは思わなかった。
そもそも話が急すぎるのだ。とんとん拍子で京都復興に学生が行くことが決定したのもそうだが、世界樹が願いをかなえる魔法の樹であること、そしてそれを使って世界中に魔法を知らしめること。
全部が全部、ネギは明日菜に黙って事を進めたのである。理由だって、ネギと一部の生徒のみが学園に残るのを不審に思って、無理を言って学園に残ったらようやく観念して話したのだ。
自分は、信頼されていないのだろうか。力になることすらできないのか。
せめて一言、相談だけでもしてくれたらよかったのに、そんな思いが明日菜を学園に何が何でも残ってやると頑なにさせていた。
だがしかし、罪悪感がないわけではない。どうにか京都に自分を行かせようと、理由を並び立ててネギが説得にかかってくれば、おのずとどうして学生を京都に映したのかの理由も分かった。
青山だ。
あの男が、動くのだ。
あの京都で、誰よりも恐ろしかった漆黒の人間。何もかも台無しにさせる冷たい男が、必ず動く。
そうなれば、麻帆良は無事で済むかどうかわからない。ネギはだからこそ明日菜には京都に行ってもらいたかった。
彼にとって、明日菜は故郷に残した姉と同じ、大切な家族だ。それが極限状態が築き上げ、姉を明日菜に投影しているという、本人すら自覚していない哀れな感情だとしても。
ネギにとって明日菜は守るべき大切な家族。例え、それが仮初のものだとしても、そう思っていることは事実だ。
だからこそ危険に巻き込みたくないのだが、明日菜の考えは違う。うっすらとだが戻り始めているかつての記憶。幼少時のトラウマとでも言うべき、親しい者の死。
その死した人間とネギを彼女は重ねている。だからこそ明日菜はネギの説得に、自分の無力を実感しながらも応じようとはしなかった。
また失うかもしれない。意識せずとも、無意識であっても、その内側にこびりついているトラウマは拭い去ることは出来ず、明日菜を突き動かしている。
結局、ことここに至るまで二人は互いを別の誰かに投影している事実から逃れることも、また、それに気付くことすらできなかった。
もしも。
もしも、京都の一件が何事もなく終わり、木乃香が魔法に関わることになっていたら、誰よりも二人の側にいる彼女であればその違和感に気付き、諭すことが出来たかもしれない。
だがそれは所詮ありえたかもしれないもしもの話であり、決して望むことは出来ない意味のない空想だ。だから二人は誰よりも互いに依存している状態でありながら、誰よりも理解し合っていない彼方に立っている。
「もう! そんなことはどうでもいいでしょ! 私だって超さんの言ってることには全面的に賛成なんだから、少しぐらい協力させなさいよ!」
明日菜はとうとう我慢できずにネギに怒鳴った。自分が力不足であることはわかっていても、それでもネギの側にいると決めているから。
だがネギもそう簡単には引き下がれない。普段なら明日菜の声に驚き、従ったかもしれないが、今回ばかりは譲れなかった。
「……明日菜さんはわかってないですよ。わかってほしくはないのですけど。青山さんは正義にも、ましてや悪にも『属してはいけない』人間だ。そんな人が立ちふさがる場所に、明日菜さんを巻き込みたくないのです」
「そんなの……わ、わかっているわよ! 危ないことくらい!」
「……わかってないですよ。何にも」
ネギは不愉快そうに呟いた。
決して明日菜の頭ごなしな言葉に苛立ったわけではない。青山という人間を理解してしまっている自分を唾棄したのだ。
最後の会合は、あの夜。
決定的な決別があった。斬撃と、生きるという答えに終わっている修羅。そんな男をまざまざと見せつけられた。言葉以上に雄弁な会合で、互いに相容れぬ者同士だとわかった。
「僕は、わかってほしくないのです」
アレをわかるということは、終わってしまうということだから。
だから逃げてほしい。その願いを込めて、ネギは明日菜を真正面に立ち、左目のカラーコンタクトを取り外した。
そこにあるのは、光すら飲み干す恐るべき漆黒の穴。
「僕の目を見てください」
「ッ……」
明日菜は、堪らず視線を切ってしまってから、慌ててネギを再び見る。
「出来ないのが、当たり前ですよ」
ネギは己への嘲笑を浮かべていた。毎朝、鏡を見る度に自分の目なのに竦んでしまう。
青山とはこれで。
これと対峙出来ることが何の自慢になるというだろうか。
ネギは呆然とする明日菜に背を向けた。本当はこの目を見せたくはなかったから、言葉で説得したかったけれど、この目を見れば納得するほかないだろう。
「……さよなら、明日菜さん」
「それでも!」
明日菜は咄嗟にネギの背中に抱きついた。
「私は居るから!」
今離せば、もう二度と出会えないような気がしたから。
だから隣にいるのだ。明日菜はネギの左目を見た恐怖から震える体で、それでもネギを包み込む。
震えは当然ネギにも伝わった。
怖いだろう。
恐ろしいだろう。
この目に宿る青山が──
「明日菜さん……」
ネギは、そんな自分を優しく包んでくれる明日菜の手に己の掌を重ねた。
はがされると勘違いした明日菜は、いっそう抱きしめる力を強くする。柔らかい少女の体と、優しい匂いに抱かれて、ネギは──
「僕は最低な教師です」
「ネギ?」
「隣に居てください。明日菜さん」
温もりが欲しかった。冷たい場所に行こうとしている自分に、明日菜の優しさは麻薬のように手放せぬ中毒性があって、わかったからにはもう離さない。
「任せなさい。絶対に、隣に居るから」
明日菜は誓いを新たにして、ネギはその誓いを聞き、必ず守ってみせると心の内で強く思う。
互いに依存しあうような悲しい関係。けれど、その思いは間違いではないのは確かで。
だから二人は静寂の中、静かに寄り添う。この先に待つのが冷たい修羅場だとしても、きっと乗り越えられると信じているから。
「約束ですよ。明日菜さん」
その時、偽りであるが美しい誓いを交わした二人を祝福するように、魔力を充実させた
世界樹が、ゴーストタウンの如き静寂に包まれた麻帆良学園を、その輝きで照らしだした。
「……綺麗ですね」
「うん」
隣り合って立った明日菜とネギは、木漏れ日の暖かさを冷たい夜に降らす世界樹を眺め続けた。
その手は硬く結ばれて、互いの存在を感じ取るように握られている。
もうすぐ、戦いは始まる。それは誰に知られるものでもなく、冷たい静寂で人知れず行われる寂しい者だけど。
「来年は……」
「ん?」
「クラスの皆と一緒に、世界樹を見ましょうね」
「……うん」
明日菜はネギの横顔を見つめて、優しく微笑んだ。
降り注ぐ光の残滓は、ただ今は二人を照らしだす。
必ず。
今度は皆で。
大切な約束を胸に、ネギは来る戦いを思い、明日菜と繋いでいないほうの手を強く強く、握りしめた・
──結果として。
その選択こそ、すれ違い続ける二人が起こした最大にして最後のミスであり。
誓いをやり直す暇もなく、決着のときは刻一刻と近づきつつあった。
後書き
そろそろオリ主のターン。