「簡潔に述べると、ネギ君にはこれ以上魔法関連で教えることはありません」
クウネルはそう言って、何処からか取り出した黒板にチョークでネギの似顔絵を描いた。その下に咸卦法と闇の魔法と書く。
「未熟なものとは言え、あなたが習得したこの二つは、どちらも一つ修めればそれだけでどんな環境にも対応できるような、そんな代物です。まぁ正確には闇の魔法は既存の魔法を流用するので、全く魔法を教えないというわけではないのですが……基本的に、あなたには新たな魔法は必要ないです」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「簡単です。この二つを実戦レベルにまで鍛え上げればいいのですよ」
クウネルはさらっと言ってのけたが、咸卦法と闇の魔法の二つを同時に極めるなど、普通の術者ならどちらか片方を扱うことすら困難である。
しかしネギには肉体の欠損を代償に、充分な下地が完成した。我流であることを踏まえれば、クウネルの指導によって、一ヶ月もすれば実戦レベルに鍛えることは容易だろう。
「故に、私があなたに集中して教えるのは、魔法使いとしての戦い方です。あなたは頭で考えるタイプだ。至近距離よりも、膨大な魔力を生かした火力押しがいいでしょう。そのために必要なのは──」
クウネルは右手を軽く開いて滝に向ける。直後、膨大な重力が滝に圧し掛かり、水が四方八方に吹き飛んだ。
呆然とそれを見るネギにクウネルは微笑みかける。
「とまぁこれはあくまで例の一つですが、このように無詠唱による魔法の行使、最低ラインは中級程度は使いこなしてもらいます」
「で、でも僕、魔法の射手すら詠唱無しで撃つことも出来ませんよ!?」
さらに言えば、杖なしで魔法を使うことすら出来ない。無詠唱魔法とは、それだけで高度な技量が要求される代物だ。使えれば一流の魔法使いとして認められるほどのものであり。
「あなたは無詠唱呪文を上回る技を二つも修めたのですよ?」
無理ですよと語るネギに、クウネルはやや呆れた様子で応えた。
だがネギが言いたいことはクウネルにもわかる。だがそれを埋めるための魔法こそが闇の魔法であり、火力を水増しする咸卦法だ。
「最低でも二つの属性。出来れば基本の四大属性を使用した闇の魔法で、中級以下の魔法詠唱をノータイムで行う特訓を行いましょう。本来なら初めから行うにはありえない修行方法ですが、幸いネギ君の闇の魔法は、本家とは少々毛並みが違いますからね。上手く折り合いをつけて行うことにしましょう。では、続いて修行する場所についてですが……」
水晶体を取り出して、差し出す。魔法具であるのはわかるが、それが一体なんなのかわからないネギに対して、クウネルはやはり意味深な微笑を浮かべるだけであった。
─
神鳴流は東洋では一流の名門だ。遥か昔は、術符を使って行っていた退魔を、長大な野太刀と気を駆使した、魔族に匹敵する圧倒的な身体能力をもって、真正面から行う。化け物を滅ぼすために、化け物如き能力を得るに至った最強の戦闘集団だ。
だからこそ、彼らは己を律する精神修行を、肉体の鍛錬以上に行うことになっている。化け物に抗うために化け物を超える力を得る。それはつまり己が化け物となると同じだ。
そんな己の力に溺れないように、人間の守護者として、心を高潔に保つ必要がある。それでも一部の剣士は、力に酔った外道に陥ることもあったが、そんな外道を正すのもまた同じ剣士。
その中で特に高潔で、他の神鳴流の剣士を超える者達こそ、神鳴流が宗家。
名を、青山。
特に当代の青山の者は、歴史上でも極上の才覚をもつ者が幾人も生まれ、サムライマスターとして名を馳せた旧姓、青山詠春を筆頭に、神鳴流ここにありと知らしめた。
世界を巻き込んだ大戦を生き抜いたサムライマスターである青山詠春。
歴代最強と謳われた最強の女剣客、青山鶴子。
そんな姉に、己を超える才覚をもつと言わしめた現神鳴流の後継者、青山素子。
彼ら三人の武勇は、極東に居る裏に関わる者であれば、知らぬ者が居ないと言われるほど有名だ。そしてその武勇は誇張でもなんでもなく、個人の実力で軍隊を相手取ることが可能なレベルとさえ言われている。
宗家の名に相応しく、神鳴流が誇り、常に胸を張って素晴らしいと語る彼ら青山は、神鳴流であれば誰もが頭を垂れてひれ伏すほどである。
青山様。
史上最強の宗家、青山様。
誇るべき、素晴らしき青山の名よ。神鳴流の誇りであるその名前。
だが、その名前は勇名とは正反対の侮蔑の総称でもあった。
当時の神鳴流、ひいては関西呪術協会がその存在を完全に抹消してみせた禁じられた名。
それも、青山。
恐るべき、青山よ。
齢十を超えた頃から、突如として頭角を現したその少年。当時、歴代最強だった鶴子を斬り、周囲が苦言も言えぬ状況を作り上げた少年は、北に出向けば術者を斬り、南に向かえば鬼を斬り、山を登れば山を割り、海に出向けばそれすら斬った。
神鳴流がもつ化け物性を存分に発揮して、依頼を受けて出向く先々で、恐怖を撒き散らした。
結果、少年は周囲の意見を聞き入れた鶴子の一声で修行という名目での軟禁生活の果て、神鳴流を破門となる。
この間、僅か数年の出来事。
たったそれだけの期間で、隠蔽をせねば神鳴流の名を地に落とす働きをしたその男。
そんな男が、かつての少年だったころの面影を残した瞳で、葛葉刀子の目の前に現れたのだった。
「う、ぁ、ぁ……」
刀子は青山が一歩踏み出したところで、立っていられなくなりその場に崩れ落ちた。だが意識を手放すことも出来ず、涙目で体を震わす姿は、周囲の混乱を招くと同時に、青山が刀子をそこまで恐慌させるほどの何かであるという意識を植え付けた。
魔法先生達が警戒心を露にしながら刀子を庇うように青山の前に立ちふさがる。
その光景を見て近右衛門とタカミチが何かを言おうと前に出て、それを遮る形で青山が割って入った。
そして、その場で膝を折ると、佇まいを直して、両手をついて頭を地面にこすり付けた。
「驚かせてしまい、申し訳ありません……俺が葛葉さんに、いや、神鳴流に与えた恐怖を考えれば、この反応は当然でありました。それを考えずに、姿を晒したこと、ただ謝罪するほかありません」
これに動揺を隠せないのは魔法先生達だ。いきなり目の前で土下座をされてしまえば、正義を志す彼らは止まらざるをえない。
だがそんな同様をかき消すように、刃が引き抜かれる鞘の響きが場を満たした。
「青山……! あなたが……あなたが! 鶴子様を!」
「葛葉先生!?」
血走った目で青山を睨みながら刀を向ける刀子を、ガンドルフィーニが信じられないといった様子で見た。
周りも、今度は青山ではなく刀子に向き直る。二人の間に何かがあったのは事実だろうが、だからといって丸腰の相手に武器を向けるということがどれ程危険なことなのかわからないわけではない。
「葛葉さん」
「私の名前を呼ぶな青山……! だから……! ひっ、来ないで!」
青山はゆっくりと立ち上がると、教師の間をすり抜けて刀子に歩み寄った。
たったそれだけで、誰もが認める達人の一人である刀子が、悪漢を前にした乙女の如く、身体を震わせ、泣きそうな表情で、動くこともままならず青山が来るのを拒む。
青山の漆黒の眼が、悲しげに細くなった。一歩、一歩。怖がらせないようにと注意を払いながら、周囲の緊張が高まる中、刀子の斬撃が届く場に入り込む。
今の刀子では何をしでかすかわからない。それこそその場で青山に斬りかかることも考えられたたが、既に距離が狭まった今、下手な手出しは出来ずに傍観しか出来なかった。
「俺は……愚かでした」
不意に青山が自嘲するように語りだす。己の内側にある黒い靄を吐き出すかのように、無表情であるその顔には、己への嫌悪の影がうっすらと浮かんでいた。
「鶴子姉さんを斬ったとき、確かに見えた道を、愚直に突き進みました。そのせいで周囲がどんな迷惑を被るのかも気にせずに……ただ、進んでいきました」
だがそんな自分を後悔しているのだ。陽だまりの心地よさは、眠たくなるくらいに気持ちよくて、いつまでもそこに居たいと思えるその場所を知らずに自分は生きていた。
それが、どれ程つまらないのかということも知らずに、ひたすら走ってきた。
「俺は取り返しのつかないことをして……そして、その本質はまだ少ししか変わっていないけれど、だけど俺は少しずつ、少しずつ暖かい場所を知って、暖かくなれていると思うのです」
青山は一歩踏み出した。突きつけられた刃が胸元に当たる。切っ先は服を裂き、その奥の肌を浅く突いた。
肌が裂けて、針を刺すような痛みとともに血が溢れる。だが構わずに、青山は刀子の刀に片手を這わせると、その刀身を労わるように包み込んだ。
「京都で知りました。詠春兄さんが俺をどれだけ心配していたのか。そして鶴子姉さんが俺のために苦心したことも……」
【素子については語る必要がない。アレは、当たり前に斬る程度でしかないから、誰もが「そんなこと言わなくてもわかっているよ」と言いそうな事実を語るのは野暮というものだ。青山は当然のように、素子をいずれ再び斬ることに決めていた。だから、彼女については語らない。】
素晴らしきは家族の愛情だ。青山はそう思えるようになっていた。そしてその愛情がこの場所を与えてくれた。
「奇跡のような偶然が、愚鈍であった俺を正道に戻してくれました。だが、俺はそんな彼らの期待に今だ応えることが出来ていない……あの日、京都で、俺は守れるはずだった人々の笑顔を守ることが出来なかった。全ては俺の慢心が招いた結果で、その果てに、兄さんも殺してしまった」
青山はまるで力の入っていない刀をどけようとして、最後の一言に反応した刀子は慌てて柄を握る手に力を込めて、切っ先をさらに推し進めた。
肉を浅く裂かれる。鮮血が衣服を濡らし、青山の背中しか見ていない魔法先生達も、その異常には感づいた。
だが青山気配だけで彼らを押しとどめて刀子を見る。
「鶴子様だけでは飽き足らず……詠春様もあなたは!」
「そう、俺が殺した。俺は兄さんを殺したんだ……」
青山は無表情の仮面の下でそんな自分をあざ笑った。
家族殺しの大悪党。生きている価値すらも見つからない外道な自分。
【繰り返すが、斬ることは当たり前なことなので、問題なのは殺したこと。つまり自分が詠春を斬った事実は生きる過程で当然の帰結だったので、これは語る必要はないだろう。】
「けれど、兄さんが生きた事実は、俺の中に残っている……間違いだらけの俺だけど、そんな俺を見捨てなかった姉さんや兄さんのために、俺はここに居るのです。ここで、陽だまりを守りたいのです」
誰もが青山が詠春を殺したと勘違いするところだった。きっと、彼は詠春を目の前で死なせてしまったのだろう。
だがそれをどうして責めることが出来るだろうか。きっと苦悩したはずだ。そして彼の言葉は、守りきれなかったことを、肉親を手の届く場所で死なせたことに苦しみながらも、それでも前に進もうという高潔な意志の表れだった。
近右衛門とタカミチが、青山の宣誓を聞いて後ろでそっと微笑んだ。真っ直ぐな正義のあり方を語る彼の言葉は、表情が変わらない彼だからこそ真摯に響く。
周りもその言葉の強さに聞きほれていた。何でもないような、雑多に紛れて気付きそうにもない青年の言葉に込められた正義の心。
「だから俺にチャンスをください葛葉さん。俺はこの通り、過去に過ちを犯し、そして根暗で言葉数も少ない男で、行動でしか己を示すことが出来ません」
そんな俺を見ていてください。青山は底なしの瞳で、涙で光る刀子の目を見つめた。
「わた、私、は……」
刀子は思考がまとまらずに、言葉を上手く口にすることが出来なかった。
彼女にとっての青山は、彼女がこうなりたくないという外道の総称だった。肉親にすら手をかける悪鬼羅刹。まさに修羅と呼べるあり様。だからこそ、彼女はこれまで、青山という恐怖を知るからこそ、あらゆる魔族にも立ち向かえた。
それは裏を返せば、青山を心の支えにしているということでもあった。トラウマになるほどの恐怖の対象。一方でアレを超える恐怖がないからこそ心の芯になった存在。
そんな男が、自分に頭を垂れて、切っ先で肉を裂かれながらも、自分を見て欲しいと訴えかけている。
青山が何をしたいのかわからなかった。
そして、自分が何をしたいのかもわからなかった。
青山は優しく刀身に力を込めていく。何故か一瞬、刀が悲鳴のような刃鳴りを響かせたような気がしたが、刀子はそんなことを気にする余裕もなく、とうとう刀を下ろした。
「……私は、あなたを許すことは出来ない。いえ、当時を知る神鳴流のほとんどは、あなたを許しはしないでしょう」
「はい……」
「少しでも危険だと判断したら、私の命に代えてもあなたを倒す」
「是非、そうしてください」
青山が頭を下げると、刀子は「気分が優れないので、先に失礼します」と告げてその場を後にする。
微妙な空気が流れた。あまりにも突然の出来事に、これをどう処理すればいいのかわからずに、痛い沈黙が肌に突き刺さる。
「……こんな俺です。水に流すことも出来ぬ大罪を犯した俺ですが、それでも誰かの支えに少しでもなれば、それ以上に嬉しいことはありません」
そんな空気をものともせずに、青山は強い決意を乗せてそう宣誓した。迷いのない言葉は、その場に居た全員に伝わる。
確かに過ちはあったのだろう。それも刀子が怯えるほどの危険なことが。
しかし青山はそんな自分を悔やみ、そして人々のためにその刃を振るったのだ。結果は、被害を出すことになったが、たった一人であの地獄を防ぐために彼が尽力したのは事実。
ならば、光をともに志すのであれば、手を取り合うことが出来るのではないか。
「ガンドルフィーニだ。よろしく、青山君」
そう最初に青山に手を差し伸べたのは、ガンドルフィーニだった。緊張を滲ませているが、まずは一歩、自ら歩み寄るその素晴らしきあり方。
青山は表情を変えられない代わりに、深く頭を下げてその手をとった。割れ物を扱うように手を握るその掌は、包帯で包まれた痛々しい状態だ。
ぼろぼろになり、傷つきながら人を守る。青山が身体に刻んだ正義の証に応えるように、ガンドルフィーニは手を握り返した。
それを切っ掛けに一人ひとりの自己紹介が始まる。いつの間にか人の輪の中心になった青山は、そのことに戸惑いつつも、小さく頬を緩めながら一つ一つ丁寧に応じた。
「学園長」
「うむ。鶴子ちゃんの目は曇っていなかったようじゃの」
そのほほえましい様子を見守りつつ、二人はゆっくりと変わりつつある青山の成長を喜ぶ。
人は、変わることが出来る。少しずつでも、誰かと関わることで人はよくも悪くも変わっていって、そしてここに居れば、青山は間違えることなく進むことが出来るだろう。
劇的な変化は必要ない。急激な変化はその人の芯を折ることにもなるから。
だから一歩。まずは一歩。
全部がくだらぬ、道化の舞台。
「盲目だよ、貴様らは。だから正義は美しい」
その様子を遠くから眺めていた吸血鬼が、見た目からは考えられないくらい低い声色で小さく笑った。
後書き
エヴァ「酒ッ!飲まずにはいられないッ!(愉悦)」
そんなお話でした。