燃える。
燃えていく。
遠くの景色、幾つも降り注ぐ光の柱を眺める瀬流彦は、その柱の一本一本から感じる規格外の魔力量に背筋を凍りつかせながら、虚空に障壁を幾つも展開していた。
悲鳴を押し殺しながら避難をする生徒たちを眺めながら、苦悶の色を浮かべる。
先ほど、一撃だけ流れ弾が直撃した。しかもただの余波のようなものだ。
それだけで瀬流彦の障壁は紙くずのように剥がされた。
自分もそれなりに魔法を研鑽してきた魔法使いの端くれだ。だというのに、この状況で覚えるのは圧倒的な無力感。砲撃から漏れる呪詛を防ぐだけで精々であった。
もし次流れ弾が当たれば、呪詛に飲まれて魔法を知らぬ生徒達は苦悶の果てに絶命していくだろう。
それだけは許せない。安全圏に逃れるまではここで食い止める。そう悲壮な決意を固めた瀬流彦をあざ笑うかのごとく、新たな砲撃が襲い掛かった。
「くぅ!?」
全力で魔力を注ぎ込み、己の身体すら壁にしながら瀬流彦は迫る砲撃に立ち向かう。だが当然、その程度の抵抗、スクナの呪詛をたらふく飲んだ一撃を防げるわけがなく、数秒の拮抗の後、あっけなく砕かれた。
直後、そこにかぶせるように新たな障壁が展開された。
「だ、誰が!?」
「……対象砲撃、予測値内。結界弾、充分に作用します」
「よし、では以後も結界弾を移動予測地点にばら撒く。私と君で交互に行うぞ」
「了解しました」
驚愕する瀬流彦の前に現れたのは、長大な狙撃銃を携えた絡繰茶々丸と龍宮真名だった。彼女達は何でもないように、次弾を装填して、光の発生源を注視している。
「き、君達……」
「先生はそのまま生徒の誘導と警護を頼む。私たちは今見たように結界弾を幾つか持っているのでね。心配には及ばない」
「だ、だが……」
それでも尚、生徒である彼女達を案じる瀬流彦に、真名は真剣な表情で向き直ると言葉を被せた。
「今は議論の暇がない。使えるものは使う、そして決断は拙速に。前線での掟だ。ぐずっていたら死ぬぞ?」
真名の有無を言わさぬ言葉に、瀬流彦は僅かに躊躇い、しぶしぶといった様子で逃げる生徒達の後を追っていった。
その後姿を見ながら、真名は「貧乏くじだったかな?」と軽口を叩き、再び災厄を吐き出す先を見た。
「……あそこに、例の男が居るんだな?」
「はい。監視カメラは残り一つですが、青山さんの生存を確認しています」
「冗談であってほしいよ」
「ですが、事実です」
わかっている。思わず愚痴を吐き出そうになって、慌てて口を紡ぐ。
だが愚痴を言いたくなるような状況だった。青山と対峙したときの離脱用として渡された、特注の防御結界、これを使わなければ防げぬほどの砲撃のど真ん中で、青山は一人で戦っているという。
この現実に居なければ冗談と一笑したに違いない。それほど、状況は異常極まっていた。
様々な戦場を渡り歩いてきた真名は、戦場のようなこの状況にも適応できている。だが、この状況を作り出したのが、たった三体の生命体だというのだ。しかも、この災厄のほとんどが、ただの人間であるはずの青山のみに注がれている。
つまり、最新鋭の軍隊による壮絶な殲滅攻撃を、青山はたった一人で凌いでいることになるのだ。
直後、一際巨大な輝きが夜を照らし出した。
「監視カメラ全喪失。全方位に放たれた魔力爆発の影響でしょう……五キロ放れた地点ですら衝撃で吹き飛びました」
「……うかうかしていられないか。私たちも後退しつつ援護に徹しよう」
「了解しました」
茶々丸と真名はそう言うと夜空に飛翔した。いつ砲弾が来るかわからない極限状態は、懐かしい感覚を思い起こさせる。
そして、無力感というならば真名こそ感じていた。
戦場を動かすのは無数の兵士でありながら、同時に個々の兵士には戦場を動かす影響力はない。一見矛盾するだろうが、あくまで組織と組織のぶつかりあいが戦場を構成するのだ。そこに一個人の思想や願い等は意味を成さない。
だから目の前に集中できるし、戦場を動かす群れとしての意識をもつから戦いを行える。
だがこれは違う。個人と個人による戦場という、戦場の常識を崩す異常事態に、笑えばいいのか泣けばいいのかわからない状態だった。
個人の力が戦場を支配している現状。生きた核弾頭が激突しているような非合理。無力感を覚える。苛まれるのだ。個人の武が全てを決定する場で、己の武がまるで役に立たないという事実が。
「くだらないな」
「何か?」
己の独り言に反応した茶々丸に「いや……なんでもない」と頭を振った真名は、意識を切り替えて紅蓮に飲まれていく町並みを注視する。
「嘆く暇はない。タイミングが遅れたら、それは私たちの死とイコールだ……くれぐれも遅れるな」
「わかりました」
真名と茶々丸は夜を駆けていく。自分達は無力だけれど、それでも巨大な水面に波紋を波立たせるくらいの抵抗はしてみせる。
それが出来るから、人間で。
人間は、抗うからこそ、美しいのだ。
─
抗うことの意味のなさを痛感する。
犬神小太郎は、背筋を震え上がらせる恐ろしい何かから逃げながら、己の弱さを嘆いていた。
「あー、これー、青山さんやわー。ウチも行きたいですー」
小脇に抱えた月詠は、恐るべき何かに恐怖する小太郎と裏腹に、その気配を感じて嬉しそうに笑みを漏らしていた。
「あほぅ! 何考えてるんや姉ちゃん! 腕もないアンタが行ったところで何も出来へんやろが!」
小太郎は八つ当たりするように月詠を怒鳴りつけた。それには同意見なのか、月詠は少なくない落胆の色を滲ませて、抱きかかえられたまま、目覚めようとしている青山の方角に目を向けた。
「……残念やなー。腕四本とかの魔族に生まれたかったわー。あ、でもそしたらー、残りの二つも斬られたやもしれへんなー」
それはそれで面白そうですわー。
月詠はにこにこ笑いながら、色を失い始めている黒い瞳で空を見上げていた。
「正気失ってるやないか……あぁ、クソったれ」
そう悪態をつきながら、それでも小太郎は月詠を見捨てることなく、瞬動でその場から離脱を行う。
彼らが生きているのは、偶然が重なったからに過ぎない。総本山に鬼の軍勢が現れたことにより慌ただしくなった中を、小太郎は上手く突いて脱出を果たした。月詠はその途中でついでに拾ってきたに過ぎない。見つけたとき、両腕が失われていることには驚いたものの、それを問いただす時間等はなく、結果として、その問いただす時間を惜しんで離脱したおかげで二人はぎりぎりで戦地を逃れた。
運が良かったのは、彼らが走っている方向が、丁度青山との線上になっていたことだろう。特大の砲撃すら斬り裂いてあらぬ方向に逸らす技の冴えのおかげで、青山の射線上は唯一炎による被害以外はないも同然だった。
そして、それだけであればネギに気絶させられた程度の小太郎は、月詠を抱きかかえたままでも離脱を果たせる。
そんな奇跡の積み重ねで生き残った二人だが、山を降りて町に出たところで、言葉もなく眼下の紅蓮を見つめるしか出来なかった。
ある程度の被害は覚悟していたが、これは異常だ。阿鼻叫喚の只中、小太郎ですら気を抜けば立ち込める呪詛に飲まれそうな異空間。
「綺麗ですなー」
月詠の言葉は耳に入らなかった。というか、耳に入れるのすら不快だった。この異常を綺麗だと言う神経に構っている暇なんてない。
小太郎は顔を引き締めて目の前の悲劇を見据えた。
己の強さを求める毎日だったと思う。まだ幼くありながら、それでも周囲の大人以上の強さで生き抜いてきた自負はある。
だが、無力。
圧倒的な、無力。
「……こんなんが、強さの果て」
今は遥か遠く、それでも存在感のある三つの気配を感じて小太郎は吐露した。
強くなりたい。
強くありたい。
結果が、この惨事にあるのなら。
強さとはなんなのだ?
「とりあえず無事なとこまで走るで姉ちゃん。怪我は痛くないか?」
「お気になさらずー。むしろ、痛いほうが嬉しかったりしてー」
恋する乙女のように頬を染めて「いやん」とか呟く様を見て、気にするのもアホ臭いと判断する。
今は胸にへばりつく悩みも全て置き去りにして走ろう。そうすれば今だけは、恐るべき何かを気にしないでいられるのだから。
「……」
前を向いて、あるいは臭いものから目を逸らすように走り出す小太郎を横目に、月詠は柔らかな微笑を口元に浮かべた。
彼の内心に浮かんでいる悩みが手に取るようにわかる。どうせ強さというものがもつ危険性に恐怖でもしたのだろう。
子どもやなぁと、己のことを差し置いて月詠は内心で笑った。
斬られたから、わかることがある。
もしも斬られる前にこの惨劇を見たなら、自分もまた別の感想をもっていただろう。
だが違う。
嘆こう。哀れもう。無力に苦しみもしよう。
しかし、斬ることは変わらない。
「うふふ」
月詠の瞳からゆっくりと色が失われていっていた。そのことにすら気付かず、本人は微笑をいっそう深めていく。
青山は、きっとこの光景にも『何も思わない』。あらゆる感情を覚えながら、そのことが全く響かないはずだ。
この地獄と。
普通の日常と。
もしかしたら今だって。
青山にとっては全てが等しく斬撃に完結する。
とりあえず、月詠はそこからはじめることにした。
これまでの自分は、この光景を綺麗と思うくらいだった。そして戦えば楽しいと思っただけだった。
それでいい。だが大切なのはそこから。
「斬るんですわ」
そう、あらゆる感情を覚えよう。
喜びも。
怒りも。
楽しさも。
悲しみも。
絶望も。
希望も。
幸せに浸り、不幸に飲まれ、普通に安堵しながら。
斬る。
斬るのだ。
「ふふっ」
青山を知れた。月詠はそれがとても嬉しかった。あらゆる全てに感謝したくなった。
斬るから。
斬るのである。
「あぁ……」
心のあり方が変わった。青山に、己の両腕ごと別の何かを斬られた結果だった。
だが所詮、これは模倣に過ぎないということも月詠はわかっていた。大切なのは、一切合財に勝る答えを得ること。今は代用品として青山が得た回答を使用するが、いずれ自分は己の道を見つける必要があるだろう。
斬撃に完結した修羅。
では、己は何に完結するのか。
両腕がなくなった。だが今の月詠は両腕があった時以上の実力を得ていた。そういう確信が彼女にはあった。模倣に過ぎずとも、至った者と同じ回答を斬られたことで得られたから。
強くなり続ける。
いずれは青山すら超えた果て。冷たく凍りつくような修羅場へと。
紅蓮の町並みを眼に焼き付けながら、月詠はゆっくりと変貌していく。その瞳は徐々に紅蓮の輝きを飲み込んでいき。
避難場所に到達したとき、彼女の両目は完全な暗黒に染まるのであった。
─
超鈴音の予想は、この時点で完全に砕かれたと言ってもいい。
京都直下に起きた大災害。歴史に刻み込まれるこの大災害のことを、鈴音は『知らない』。それはこれまでの前提を覆すほどの事態であり、普段焦りを見せぬ彼女はですら、この事態に周囲とは違った不安を抱いていた。
彼女のみが知る彼女の秘密。未来の火星から来た宇宙人で未来人という立場の彼女の目的にとって、その卓越した科学技術以上にアドバンテージとなっているのは、未来人であるゆえの過去の出来事に対する知識だ。
いつ何処で何が起きるのか。ある程度脚色された過去は幾つもあったが、歴史上まれに見る大事件などについては彼女は把握していた。
だからこそ、おかしいのだ。
死者五万人以上、行方不明者も万を越えると言われている京都の大災害。これほどまでの出来事を知らなかったという事実は、未来人である彼女を窮地に追い込むには充分すぎた。
今後も、今回と同じように、超が知らない未来が訪れるのかもしれない。未来を知る。故に決定的な部分で改変を行おうとしていたからこそ、不安は尽きないし、常に苛む。
何よりも……怖いのだ。
超が今回の修学旅行で、旅行を楽しむということとは別に調査していた青山という男。
アレの恐ろしさを、超は最新鋭のステルスが張られた機械越しに見てしまった。
エヴァンジェリンのときの戦いですら見えなかった男の本質。呼吸するように斬るということを行う化け物のあり様。
見たのだ。
あの、斬撃に完結した化け物の生き方を。見れたのはスクナの周囲を焦がす光が放たれるまでだが、そこまでの映像ですら、青山の鮮烈さを理解するには充分すぎた。
「……青山」
超は震えそうになる身体を両手で抱きしめることで押さえつけた。
策を弄して、どうこうなる問題だとは思えなかった。
カメラ越しに確認した青山の戦闘力は、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、ナギ・スプリングフィールド、ジャック・ラカン。そういった、小細工を抜きに強すぎる実力者と同格、いや、躊躇いなく肉親を斬る異常性を考えれば、それ以上。
そんな化け物を、制御しきれていないとはいえ学園長が手札に持っている。動けば、自身の計画など容易に崩壊させるジョーカー。だが超が何よりも怖く思っているのは、計画が失敗することではなく。
計画を遂行して青山が動いた場合。
「麻帆良が、壊滅するだろうな。しかも、一方的にだ……それはそれで、面白くなる」
超は自身の内面を代弁した言葉に反射的に振り返った。
そこにいたのは、大停電を機に雰囲気が一変した真祖の吸血鬼、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ。二度と剥がれることのない冷笑を浮かべながら、警戒心をむき出しにする超へ臆せず近づく。
「青山を、どうにかしたいんだろ?」
傍に寄ってきたエヴァンジェリンは、熱い吐息を漏らしながら超の肩に手を這わせる。熱の篭った吐息とは裏腹に、制服越しに感じる手は、異常なまでに冷たかった。
「なら、どうだ? 私と契約しないか?」
「契約?」
いぶかしむ超に、エヴァンジェリンは赤子に応じるように優しく頷きを返した。
「そう、契約だ。貴様と私、人間と吸血鬼。人と、化け物。本来相容れぬこれもな、利害が一致すれば手を取り合うことが出来るのさ」
「何が、目的ネ?」
超は遠まわしなエヴァンジェリンの言葉にイラつきながら、話をせかすようにそう問い。
それを待っていたとばかりに、エヴァンジェリンは大口を開けて笑った。
「青山と戦わせろ。貴様が何をたくらんでいるかは知らないが、その目的の最大の障害である青山を、私が殺してやる」
「……そちらの要求は?」
「私にかけられた封印の解除。そして戦いの後、この世界からは消えてやる。どうだ? 悪くない条件だとは思うが」
エヴァンジェリンは面白そうに喉を鳴らすと、超の肩から手を放して背を向けた。
「何、のんびりと考えればいい。だが、願ってもいないチャンスだと思うぞ? 私はあの男と戦うために、惜しみない努力をする。いっそう綺麗になったんだ。だったら、私はアレを汚すために、もっともっと、努力して汚くならないといけないんだ」
「……狂ってるネ」
「オイオイ、貴様の目の前にいるのはな。そういった類の化け物だぞ?」
エヴァンジェリンは足取り軽やかにその場を後にする。
残された超は、エヴァンジェリンがいなくなった場所をじっと睨みつけ、長くため息を吐き出した。
「エヴァンジェリン、ネ……」
映像を見る限りでは、エヴァンジェリンは青山に一度勝利している。だがそれは青山の武装がモップという冗談みたいな装備での勝利だ。それですら彼女は背中と腹部を裂かれ、さらに腕も斬り飛ばされた。
正式な刀剣を得た青山の実力は、京都を紅蓮に染めた二体の化け物を相手に一歩も引かないほどだった。一撃が山を抉り、大地を砕き、空を引き裂く爆撃を一身に受けて、それでも青山は彼らの前に立ち、現在生きているということは、勝ったということだろう。
そんな化け物が動くかもしれない。それを止めるための戦力は喉から手が出るほど欲しいくらいだ。超にも自身の計画の中で、切り札は用意しているが、それを使っても抑えられるのはタカミチ一人が精々。
何よりも恐ろしい。
青山は、己の切り札すら──斬ってしまうのではないか。
「……考えてもしょうがないカ」
超は混乱した思考を落ち着かせるために頭を振った。そして改めて今後の計画を立てる。
例え予想外の出来事があろうと、止めるつもりはない。いずれにせよ、自分が行うことによって、沢山の人間が幸福になるのは事実なのだから。
そのためにも、青山よ。
「貴方は、危険すぎる」
超は冷徹に決断する。その決断の先には悪魔の冷たい掌。毒をもって、毒を制するという、一歩間違えれば最悪に陥る決意を固めた。
こうして、裏側で最悪は確定することになる。
化け物と人間の再戦は、すぐそこだ。
後書き
次から三章です。二章と同じか、それ以上に原作キャラの凄惨な描写があります。ご注意を。