ばーらばら。
なんて。
可愛く歌ってみたけれど。
体中の火傷は激痛を発していて、積み重なった魔力砲によるダメージは、俺を終わらせるには充分すぎた。正確にはあの鬼神の砲撃に込められた呪詛が体を蝕んで、肉体ではなく魂を暴食して壊している。
そのため、意識はもうろうとしていて、ちょっとでも気を抜けばそのまま、おれ、の、いの、ち、が……。
あー。
やばい。
これはもう駄目かもしれな──
……。
そういう感じで終わった。
わかりやすく言うと死んだ。
今まさに、絶命した。
俺は死んだのだ。
実を言うと、フェイト少年のところに到達した時点で意識なんて吹っ飛んで、意識なんてあってないようなもんだった。
最後にぎりぎりでネギ君のたくましい姿を目に焼き付けることができたのは良かったなぁとか思ったり。
そこで俺の意識は途絶えて、実質俺は死んだ。
そういうもので。
そういうことである。
「きゅふ、ぅぃ」
だから言葉だって上手く言えない。言いたいことはあるのだが、どうにも口が回らないのだ。
斬るのである。
斬るだけである。
そう伝えたいのに、どうやら砕けた意識では上手く伝えることが出来ない。
まぁ、仕方ない。意識がなくて、肉体も死んでいる。そんな状態で会話を成り立たせるなんてできるわけがないのだ。マグマに飲み込まれた肉体は、辛うじて斬撃で命を溶かす熱だけは斬ったのだけど、流石は恐るべき魔力の一撃、マグマは俺の体を焼き、さらにそこに叩きつけられた魔力砲撃は、俺を瀕死に追い込み、かつ込められた呪詛で俺を殺すには充分すぎた。
それでも砲撃を掻い潜り、呪詛に蝕まれながら、何とか彼らの元へ辿り着いただけでも評価してもらいたいものである。
結果、俺の全部は砕けた。取り巻く全て、優しい上司に素晴らしい友人たちが与えてくれたこと。そんな生き方を変える切っ掛けを与えてくれた全てによって構成された俺の全てが消えた。
残ったものなんて何もない。
斬る。
斬ること。
それだけ。
いや。
もう白状しよう。
俺は死んだけど。
俺という人間は斬る。
─
お前は、誰だ。
そうとしか思えないほど、青山の雰囲気が変貌しだしていた。
元から、終わっていた人間である。取り返しのつかぬ化け物で、変化や成長といった言葉とは無縁の人間であった。
だが違う。
今のこれは明らかに異常だ。
「みぃ」
青山は言語化すら出来ていない鳴き声をあげながら、黒い瞳でぎょろりとスクナを見上げた。
見上げられた。それだけで鬼神であるスクナの意識に、斬られるという確信が浮かぶ。その結果に死ぬというだけである。前提が破綻していた。死という破滅以上に斬るという恐怖が生まれたのは常識が狂っているとしか言えなかった。
今の青山はそういった概念になりつつあった。見られるだけで斬られる。見ているだけで斬られる。
人間という斬撃。
人間だから斬撃。
言葉としては間違ってはいるが、そう表現するしかない状態になっていた。
「青山……」
刹那は胸の内側からこみ上げてくる恐怖を感じた。それは同時に、誰もが胸に抱き始めた感情であった。
今、斬られたら終わる。
命が、ではない。
終わってしまう。
間違いなく、自分が終わる。
命あるものにとって最も大切なもの。各々が譲れないもの。刹那にとっては木乃香を守るという鋼の意志。フェイトにとっては崇高な使命。ネギにとっては『 』。
明日菜達にもある、何よりも譲れない大切な信念や誇りとも言い換えることの出来るもの。
それを斬られる。
つまり、今までの自分が終わる。
青山が覗き込み、斬撃しようとしているのは、そういった類の代物だった。
「……ぃつぅけえぇあ」
──見つけた。
呂律の回っていない青山の口は、解読すればそう呟いていた。だが当然言語になっていないその言葉を、ネギ達がわかるわけがない。
それでも何が言いたいのかは理解した。
青山は、この場にいる全員の『命』を捕捉したのだ。
「■■■■ッッッッ!!」
スクナは本能のままに雄叫びをあげた。同時に残った三本の腕に極大の魔力が収束し、間髪入れず青山目掛けて神罰の光が降り注ぐ。
光の柱が三本突き立った。轟音が周囲一帯に響き渡り、余波で土砂が舞い散り湖がざわめく。鬼神の本能は恐るべき青山を敵として認定した。アレは己を殺す類の敵だ。殺さなければ、殺される。単純な真理のままに放った最大威力が巻き起こした土煙から飛び出す黒い影。
青山は健在だ。三柱の破壊を掻い潜り飛び出した青山だが、それを予測していたフェイトが、その頭上で魔力をかき集めた。
「万象貫く黒杭の円環」
まるでチェスのコマのような黒い杭を、夜空の星をかき消すほど無数に展開した。一撃当たれば敵を石化する一撃必殺を惜しむことなく解き放つ。
夜風を裂いて敵手を止める針の散弾が青山目掛けて走った。フェイトはそれだけではなく、次々に杭を展開し続けて畳み掛ける。
「……」
青山は虚空瞬動と十一代目を使いながら、その弾幕と真っ向から拮抗した。鈴の音が鳴り響き、一秒で百近くも放たれる弾幕を、一切合財斬り捨てる。
青山の斬撃は目で追える速度を容易く超えていた。刀はおろか、振るう腕の肩まで見えぬ。腕が一本消失したかのような速度。加速した斬撃が音すら斬り裂いて、凛という音すら消え果る。
何が起きたというのか。
どういうことなのか。
フェイトは無表情の下、死に物狂いで魔法を撃ちながら恐怖した。
見誤った。
この男のことを違えていた。
理解などしていなかったのだ。この男がどういった存在なのか微塵もわかっていなかった。
「う、おぉぉぉぉ!!」
らしくもない叫び声をあげて自身を奮い立たせて、フェイトは黒の剣すらも織り交ぜて、魔力の限り弾幕を展開した。
刃と刺突が散乱する。憂うことなく断ち切る。青山は見ている。三日月が生まれている。
その顔を見るのが、気持ち悪かった。
「■■■■ッッッッ!!」
スクナもまた同じく、青山をようやくわかってきていた。アレの内側に閉じ込められていた修羅を見る。
心胆を冷やし震わし悶絶させる瞳が、ゆっくりと、確実に『色づき始めている』。
とても。
とても恐ろしいことが起きようとしていた。
だからこそ、それが起きる前に決着をつけなければならない。フェイトとスクナは無意識のうちに考えを一致させて、小さな都市なら数分で壊滅できるほどの破壊を青山に叩きつけ続ける。
広がり続ける威力が、余波だけで刹那達を脅かす規模にまで膨れ上がっていく。
「拙い……ネギ先生! 神楽坂さん! 楓! 逃げろぉ!」
刹那は轟音響く戦場で、必至に声を張り上げた。直後に木乃香を抱きかかえて全力でネギ達に近づくと、そのまま追い抜いてその場を離脱する。
遅れてネギ達も走り出した。フェイトとの戦いで積み重なった痛みや疲労など忘れていた。
それはフェイトとスクナが放つ破壊に巻き込まれるのを恐れた逃走ではない。今にも破壊に飲み込まれようとしている青山からの逃避であった。
恐ろしいことが起きる。
会ってはならぬモノが出てくる。
きっと、終わってしまう。
ネギ達は逃げ出した。遮二無二逃げ出した。背後から這い寄ってくる恐ろしさから逃れるように、言語に出来ぬ何かから逃れるために飛び出す。
走りながら、ネギと明日菜だけはその言いえぬ何かの正体がなんなのか、僅かながらに気付いていた。
あの大橋でエヴァンジェリンが青山を氷の棺桶に閉じ込めた後、停止空間を斬り裂いたあの時に一瞬だけ感じた何かと同じだった。
青山という有り様が一瞬だけ出たあの時。
だから類似していると思った。
あの時も、青山は『見つけた』と言ったのだと。
「くっ。逃げ、きれない……!?」
刹那が苦しげに呟いた。身体能力が肥大した彼らは、軽自動車程度の速度なら楽に出すことが出来る。そんな彼らが限界を超えて離脱しようとしているというのに。
未だに、圏内。
未だに、青山が背中に張り付いている。
このままでは、もろとも斬られる。ネギ達は絶対に起きてはいけない斬撃に恐怖して、術もなく無謀な逃亡を行い──
「……やはり、こうなっていましたか。介入を極力避けた代償、ですかね」
そんな声の直後、ネギ達の足元に眩い光が現れ、一瞬で光に飲み込まれた。
「ッ!?」
突如、光に包まれたと思った直後、光が収まればそこは先程とは全く違う場所だった。周囲を見渡せば、紅蓮に染まった京都の町並みが見える。そこは総本山からだいぶ離れた場所にある丘のようなところだった。
強制転移させられた。一体誰が。そんな思考をしていると、林の奥から物音がして、ネギ達はそれぞれの武器を構えた。
「警戒せずとも、ここは安全ですよ……尤も、一般の方々からすれば、安全な場所などないのですけどね」
現れたのはフードを深く被った得体の知れぬ男だった。どこか人を煙に巻くような物腰と口調であり、刹那は警戒心をよりむき出しにして声を荒げた。
「誰だ!?」
「少なくとも敵ではありません。厳密には違いますが、学園長からの応援、と解釈していただけたらと思います」
「学園長からの?」
「はい。あ、私はクウネル・サンダース。気軽にクウネルとでも呼んでください。勿論、親愛の念を込めてくーちゃん、もしくはネルサンでもよろしいですよ?」
可愛いですしね。そう言って影に隠れた表情の下を、男、クウネルは胡散臭い笑みに変えた。
学園長からの応援とはいえ、そんな笑みを浮かべる男をすぐに信用できるわけがない。しかも彼らは今まさに死よりも恐ろしい恐怖を味わったばかりである。だからこそ武器は誰も納めず、刹那が代表して口を開いた。
「……私はあなたを知らないが?」
「青山君と同じく、学園長の秘密兵器ですから」
しれっと青山の名前を告げながら微笑を崩さないところを見るに、相当な実力者なのは間違いないだろう。得体の知れない男だが、この状態では戦いにすらなりはしない。刹那は警戒するのも無駄と悟ったのか、夕凪を鞘に収めた。
続くようにネギ達も武器を収めたところで「ありがとうございます」と優しく告げたクウネルは、剣山状態の楓に近づくと、その肩にそっと触れた。
すると、たちまち楓の体から剣が抜けて、傷も塞がる。続いて明日菜、刹那と治療をした後、クウネルはネギに触れて、僅かに眉をひそめた。
「……無茶をしましたね」
「……え、はい。あ、音が聞こえる」
先程まで音が一切聞こえていなかったネギは、突然音がわかるようになって驚いた様子だった。だがそれでもクウネルの表情は暗い。
「視覚と聴覚は治しました。ですが、無理な術式で潰れた味覚と嗅覚は、時間をかけるしかありませんね」
特に、その瞳はね。内心で呟いたクウネルは、視覚を取り戻したというのに、終ぞ光を取り戻さない左目を見た。
まるで、光を全て飲み込む闇色に染まっている。術式の影響か、あるいは──
「……助太刀、感謝します。あのままなら、危なかった」
刹那が無礼を謝罪する意味も込めて深く頭を下げた。クウネルはたちまち笑顔を取り戻すと「気にしないでください」と爽やかに返す。
「麻帆良以外に出るのは中々制限がかかるので、本当は出てくるつもりはなかったのです。そのせいであなた達を危険に晒してしまった」
だが事情は変わってしまった。クウネルは燃える京都を見ながら語る。
「あなた達はここで暫く待機していてください。ここならば、少なくとも万が一があっても、あなた達だけなら離脱させることが出来る。では、私は救助を手伝いに行くので、絶対にここから動かないでくださいね」
そう告げて転移をしようとしたクウネルを「待ってください」と言ってネギが止めた。
「あの、クラスの皆を!」
「……ご安心を。麻帆良の生徒達なら既に避難が済んでいます。総本山から距離が随分と離れていたのが幸いしましたね。彼女達に怪我はありませんよ」
ネギ達はその言葉を聞いて安堵のため息を吐き出した。それが聞けただけでも充分すぎた。
クウネルは微笑を絶やすことなく、ネギ達に「それでは後ほど」と声をかけてから転移をした。
そして静寂は訪れる。木々の囁きと、遠くでくすぶる炎の音と、鳴り止まぬ轟音を聞きながら、ふと明日菜が呟いた。
「……助かったのね。私達は」
私達は。その言葉に重たい空気が漂う。明日菜達は地獄のど真ん中に居たのは事実で、彼らがあの地獄の中、木乃香を救い出し、かつ逃げ出せたことは素晴らしいことだろう。責められるいわれはなく、クウネルに回復してもらったとはいえ、これ以上動けないのは仕方ない。
だが現在、地獄の余波を受けて恐怖に怯える人達が居る。それを思えばただ生きていることを、助かったことを安堵するのは憚られた。
「……私がもっと注意をしていれば、こんなことには」
刹那は痛みを堪えた面持ちで呟いた。状況が自分の領分を越えていたとはいえ、確かに木乃香の警護を充分にしていればという気持ちが刹那にはあった。
「そんなことない。そういうなら、ここに居る私達の責任よ」
「そうでござるな……結局、拙者達は無力だった」
明日菜と楓の言葉は真実だった。西の襲撃者。特にフェイトを前に彼らの力はあまりにも無力で、悔しいことだが、青山が居なければ被害はもっと酷くなっていたかもしれない。
苦しい現実に押しつぶされそうになる中、唐突に刹那は立ち上がった。
「木乃香お嬢様をよろしくお願いします」
そう告げてその場を離れようとする刹那を、明日菜が慌てて止めた。
「ちょっと! いきなりどうしたのよ!?」
「見たまま、ですよ」
言われて、明日菜は刹那の背中に生えた羽を呆然と眺めた。
「……この羽を見られたからには、私はもうあなた方と共にはいられない。忌むべき妖魔とのハーフなんですよ、私は」
「そんなの──」
「とても、大切なことですよ。私は、人間では……」
「人間ですよ。刹那さんは」
何かを言い募ろうとする刹那の言葉を遮って、ネギが口を挟んだ。
「逃げるつもりですか?」
「何を……」
「木乃香さんを置いて、刹那さんの使命は、羽を見られたくらいで投げ出せるものなんですか」
「……そんなわけないです」
「なら、一緒に守ってください。僕、未熟ですから、一人じゃ木乃香さんを守れません」
ネギに続くように、明日菜と楓も頷いた。刹那は呆けた表情で振り返り、眠る木乃香を見る。
「それに、刹那さんのその羽。とても綺麗ですよ」
「そうそう、それにあいつがそれくらいであんたを嫌うとでも思ってるわけ?」
ネギの隣に立った明日菜が笑いながら告げる。
「ふふっ、刹那。もっと拙者達を信じたほうがよいでござるよ」
楓は座ったまま猫のように笑いかけた。
誰も、刹那の姿を恐れてなんかいない。それだけで刹那は安堵し、僅かに目に涙を溜めたまま、小さく、だがはっきりと頷いた。
災厄は続いている。
状況に対して無力なのは変わらない。
けれども、救えるもの、守れるものがある。
「今は……今だけは、待ちましょう」
最早、自分達に残された力はない。
だから祈り、願おう。
そして、生きていることに感謝しよう。
心は苦しい。ネギはその目に焼き付けるように炎を見据え、今にも飛び出したい体を押さえつけた。
今の自分では、何も出来ない。どころかここからあの現場に行くことすらもう無理だろう。青山が目覚める直前の逃走で、持てる力の全てを使い果たしてしまった。それはここに居る誰もが同じで、恐ろしいことに、逃げていたときの恐怖すら思い出せないくらい、あの状況は恐ろしかった。
それでも。
それを経てなお。
偶然の産物とはいえ、ネギ達は。
「僕達は、生きてます」
未熟な僕達には何も出来ない。無力を嘆き、炎の町並みに絶望し、紅蓮に飲まれた人々が無事であることを祈るしか出来ないけれど。
「生きていて、良かった」
この一瞬だけ、今は生きていることを感謝しよう。
ネギは誰にでもなく呟きながら、炎をその両目に焼き付けた。
右目はこの惨劇を刻み込むように、炎の輝きを映して。
左目は、その惨劇の輝きすら飲み込んで闇のまま。
修羅よ。
人の子よ。
お前はどちらを選択する。
「……」
ネギは、ただ眺める。
いつまでもいつまでも、その光景を眺め続ける。
そうして、ネギ達の長すぎる夜は終わりを告げたのであった。
後書き
次回、オリジナル笑顔。
21st century schizoid man