それぞれがぶつかり合う。戦況は、互いの陣営共に、一つずつ一方的な展開が繰り広げられている中、ここに居る二人はぎりぎりのところで拮抗していた。
「奥義!」
刹那は月詠を強引に突き飛ばすと、気を夕凪に集中させた。収束した気は発電して、刀身に紫電がまとわりつく。耳につく甲高い音を響かせながら、夜に煌く雷光を敵手に向けて放つこの技こそ、神鳴流が奥義。
「雷鳴剣!」
剣先から放たれた雷が月詠目掛けて飛んだ。突きの延長、雷光の突き。射程を延ばし、閃光の速度で妖魔を滅ぼす奥義を、月詠は事前に軌道を予測して横に飛ぶことで回避した。
地を穿つ雷が大地を爆発させる。土と石飛礫が空を舞い、互いの間に降り注ぐ。
だがその程度は障害にすらなっていなかった。月詠は遮蔽物に構わず瞬動を使って刹那との距離を再び詰める。
「せりゃー」
気の抜けた声だが、振るわれる斬撃は熾烈苛烈にして激烈。小回りの効く小太刀を使った二刀の手さばきは、長大な野太刀を扱う刹那にとってはやり辛い相手である。
右と左、舞うように首を狙ってくる切っ先を、野太刀を巧みに駆使して逃れつつ、隙あれば反撃の一太刀。
近距離での戦いは月詠が圧倒的だ。スピードを生かした技の数々は、あまり考えたくないことではあるが、間違いなく──
「神鳴流でありながら、人斬りの刃を振るうのか!?」
鍔迫り合いに持ち込み、顔を突き合わせる距離で刹那は吼えた。襲い掛かる魔から人を守るために振るわれるべき剣を、ただの人斬りの刃に貶めている。
それは、タブーである。何せその刃は、質は圧倒的に違えども。
「その剣の果ては青山だぞ!」
刹那は怒りを込めて叫んだ。事情を知らぬ者ならば、理解できないその言葉は、神鳴流だからこそ瞬時に理解できる。神鳴流であれば誰もが知る。そして神鳴流であるために誰もが口を閉ざす。
それが青山。
鬼畜外道に落ちた宗家の汚点にして、史上最強の神鳴流。
そんな化け物である青山に、お前はなろうとでも言うのか。
刹那の問いに月詠は底冷えするような笑みで答えた。当然とばかりに、むしろそれこそ、少女の望み。
「そうですえ。ウチはあのお方になるんです」
「な、に……?」
「あのお方こそ、ウチの神や」
むしろ、と月詠はよくわからないといった面持ちで続けた。
「あの背中こそ、ウチらが目指すべきやと思いませんかー?」
「月詠ぃぃぃぃ!」
刹那の気が膨れ上がる。手加減などない。ここでこの少女を止めなければ、また再びあの悲劇は繰り返されるのだ。
幼少の記憶にすら新しい。腕を失い、今にも死にそうな鶴子を刹那は覚えている。
弾き飛ばして、怒涛に畳み掛ける。野太刀の質量を巧みに使い、刹那は月詠を彼女の太刀の距離の外から切りかかり続けた。
「あれが悲劇を生んだ! お前は鶴子様の姿を見ていないのか!? 青山は、アレは斬ったんだぞ!? 悪でもなく、魔でもなく、己の肉親を、己のために斬ったんだ!」
「そうです。だからあのお方はつようなったんですえ。先輩は知らないからそうやって怒るだけや。見ればわかりますわ。あのお方が剣や。冷たくて、無感動で、殺風景で、とっても危険。ウチはなぁ、あぁなりたいんですわー」
月詠は刹那の叫びを一笑した。
わかっていないのだ。誰もがあのお方を化け物と詰るけれど、月詠は違う。幼いころ、偶然見ることが出来たあの瞳を見たからわかるし、それだけで自分には充分すぎた。
月詠にとっての青山は神に等しい。人でありながら、人の道を究めた修羅。戦いの果てに彼ならば行き着くと、幼い思考で理解したから。そして幼き少女の憧れは、その数年後、周囲にとっての悪名として轟き、少女は自らが崇拝するべき対象を確信した。
あの背中こそ、最後の場所なのだと。
「修羅に生きるか外道! 神鳴流の信念は何処に落とした!?」
「凶器を用いて正道を語る先輩方、いいえ、西を裏切った刹那先輩には言われたくありませんえー」
「くぅ……!」
苦渋に満ちた表情で刹那は戦う。一方的に攻めながら、精神的に刹那は追い詰められていた。
刹那は、青山を知らない。ただ、斬られた鶴子の姿を知っているから、アレを外道と断じているだけだ。だから、青山の人となりをほとんど覚えていない彼女では、青山に溺れた月詠を言葉では止められない。
ならば、語るべきものは一つだけだ。夕凪に気を込める。大気を歪めるほどの威力が込められて、刀身が煌いた。
同時、月詠の二刀も気を吸って震えた。殺気を充満させた剣は、少女の腹に宿る狂気を具体化させたかのよう。
互いに一撃に込める。互いの思いを、祈りを。ここに吐き出す。
「秘剣、百花繚乱!」
「にとーれんげきざんてつせーん」
気によって現出した一枚一枚が鋭利なる刃物となる花びらと、巨大な気の斬撃が激突して、周囲の光景が豹変する。互いに打ち消しあった技の残滓が残る中を、二人の剣士が駆け抜けて再び激突した。
「どうしてそこまであのお方を毛嫌いするのかわかりまへんわー」
「知れば誰もが嫌うだろうさ! 青山という存在を!」
火花散る。気が散り散りと二人を包む。剣を交わしながら言葉をぶつける。
だからこそ、月詠の発言は刹那の動きを止めるのには充分だった。
「あれー? でも確か先輩は麻帆良のお方ですよねー?」
「それがどうした!?」
「あのお方、今はそこで働いてるって聞きましたえ?」
「な……」
刹那は呆然と動きを止めた。不意打ちの一言に身体は硬直し隙を晒す。月詠はそこを狙えるにもかかわらず、それはつまらないと感じて刹那を蹴り飛ばすに終えた。
「が……!?」
それでも気で強化された一撃は痛烈だ。砲弾のように吹き飛び、大地を二転三転して刹那は体勢を立て直すが、しかしその顔に浮かぶ焦燥は隠し切れなかった。
「どういうことだ! 青山が麻帆良に居るだと!? 出鱈目を……」
「いーえ。出鱈目やありまへん。それにウチは嬉しいんですー。あのお方が西側との和解を果たすらしくてなぁ……ようやくあのお方のことを上のお方が認めてくれたと思うと、ウチはうれしゅうて──」
「バカな……ありえない! 青山が神鳴流に何をしたのかをわかっていて」
そこまで言って、刹那はかつて鶴子とした会話を思い出した。
正当な戦いの結果であり、彼は悪くない。
簡単にまとめるとそんな話で、それからも鶴子は狂っていく弟を諌めようと苦心してきた。
そう、恐るべき青山を、その最大の被害者である宗家こそが庇っていた事実。それを考えれば──
「……状況はどうあれ、今は関係ない話だ」
刹那は深呼吸を一つして、胸中に浮かんだ考えを隅に投げ捨てた。今は関係ない。今考えるべきは、目の前の敵。
文字通り目の色が変わった刹那の瞳を、月詠はうっとりとした眼差しで見つめ返した。
「えーなぁ。やっぱしえーなぁ刹那先輩は。先輩とならウチ、もっと先に進めそうな気がしますー。相性がええんやろうなぁ」
「黙れ外道……だが、同感だ。踏み外したお前には、裏切り者である私くらいしか相応しくないよ」
足を肩幅に開き、夕凪を上段に構える。冷たく、剣の奥へ。余分なしがらみを一切捨てて、少女はこのひと時だけ剣となる。
気に呼応して月詠が笑った。月下に照らされた禍々しさは異端の証。月の狂気を映し出したが如きおぞましさを吐き散らす剣鬼を前に、刹那は渾身の一振りを持って迎え撃った。
激突で生じる被害は人間が行える破壊の領域を超えている。一合だけで周囲の風景が一変するほどの力をぶつけ合う両者は、理由はともかく斬るという目的を果たすために手を動かす。
極大の一撃を受けた月詠は、刹那が放つ強力な太刀筋とは逆に、ただ冷徹に剣戟を重ねた。夕凪を逆手に持った小太刀で受け流し、右の太刀でその首を狙う。気で強化された肉体すらも斬り裂く刃を、刹那は紙一重で屈むことで逃れると、流された夕凪を引き戻し、身体ごと激突する。
間合いを詰めさせてはいけない。超近距離での立会いは、二刀に慣れぬ刹那と、神鳴流の太刀筋を充分に知っている月詠とでは、月詠が一枚上手だ。
ならば何をもって差を埋めるかといえば、野太刀の威力を生かした膂力に物言わせた近距離戦。突き飛ばした月詠に瞬動で間合いを詰めた刹那は、背中に夕凪が触れるほど振りかぶり、溜め込んだ気を爆発させた。
「雷光剣!」
切っ先から飛んだ気が変質した電流は、月詠を中心にプラズマを発生、ドーム状に広がった光は、その内部にある物体を文字通り焼き尽くす。魔を滅ぼす神鳴流が奥義は、人間では受け流せぬ無敵の牙だ。
だが、月詠は半身を焼かれながらも離脱を果たして、技を放ち動きを止めた刹那に向けて瞬動を行った。
「くぅ!?」
「あはっ、やりますなー」
虚空で衝突した二人は、勢いのまま地面に落下する。煙幕が浮かぶ中、刹那は胸の辺りに感じる重さに戦慄した。
「捕まえましたわー」
半身を火傷によって傷つきながらも、痛みを感じさせない微笑を浮かべて、刹那の前に月詠はいる。マウントを取られた刹那は反射的に夕凪を振るうが、所詮は長大な野太刀、この距離では威力を発揮することもなく月詠の小太刀はあっさりと弾き飛ばす。
そして空に掲げられる太刀の切っ先は、寸分違わず刹那の首筋へと狙いを合わせた。
「楽しかったですえ。刹那先輩」
迷いも躊躇いもなく、微笑みのまま振り下ろされる殺意の牙。なす術はなく、刹那は己の命を絶つ鋼の光を睨みつけ──赤い血が降り注ぐ。
「ぐぅぅぅ……」
咄嗟の判断で空いている左手に気を全力で収束、強引にその刃を掴み取る。だがしかし神鳴流の得物を素手で掴むという無謀によって、刹那の左手が切り裂かれて鮮血がその顔を濡らした。
「ふふふ。先輩かわえーなー。その必至な姿、堪りませんわー」
「戦闘狂が……!」
悪態をつきながらも、その一方で刹那は思考を回転させる。完全に追い込まれたこの状況、反撃するには夕凪を突き立てるほかないが、それは月詠の小太刀が遮るだろう。
進退窮まったこの状況。突破するに必要なのは、状況を打開する何か。
それを待てる時間も短い。出血は多くなり、数分もせずに左手の気は失われ、そうすれば指はおろか首に刃が突き立つ。
「くぅぅ」
激痛に悶えながらも、瞳の輝きは失われない。ぎりぎりの戦い。刹那は打開の瞬間を狙って、その内側で気を練り上げて反撃の隙を待つ。
─
詠唱の隙すらもなく、ただ必至に拳をさばき続ける。
一方的な展開が繰り広げられていた。ネギと小太郎。二人の少年の戦いは、見た目の幼さとは裏腹に、一撃が地を砕くほどの異常な戦いだった。
「そらぁ! どうしたチビ助! パートナーがいなけりゃ何もできへんか!」
「くぅ!?」
小太郎の一撃はネギが展開した障壁を数撃で貫く。それでもネギが堪えているのは、魔力で肉体を強化しているからに他ならなかった。
だがスペック上は互角であっても、積み重ねた戦闘経験が違いすぎる。小太郎はネギが魔力で能力を底上げしているのも踏まえて、その動きに合わせて攻撃を重ねていた。口調は荒々しく攻撃的だが、こと戦闘においての小太郎の冷徹さはプロのそれだ。
まず初撃、ネギが魔法使いだと知っているためか、詠唱の余裕を与えず距離を詰めて先手を打ち、そこからは息すらさせぬほど連撃をもって、ネギに魔法を使う機会を与えない。
「何もせんととっとと終わるでぇ!?」
そう叫びながら放った掌底がネギの杖もろともその腹を打つ。唾液を吐きながら吹き飛ぶネギを、取ったとは思わずに距離を詰めて畳み掛けた。案の定、ネギの瞳は生気を失わず、必至に小太郎の拳に抗っている。
言葉とは裏腹に、小太郎は想像以上に己の攻撃に耐え忍ぶネギに好意的な感情を覚えていた。年齢は己とそう変わらないだろう。だというのに、防戦一方とはいえぎりぎりで踏み止まっている。その事実が嬉しくて仕方ない。
「やぁぁぁ!」
苦し紛れにネギが放った大振りの拳を屈んで回避して、小太郎は屈伸の勢いで跳ね上がり様に蹴り足をネギの顎に叩きつけた。
炸裂した一撃は、障壁を貫き、強化された肉体すらも揺らす痛烈さ。視界がぶれ、上下が反転。ネギは意識がちぎれる音を聞きながら大地に落ちた。
「どやッ! 今のは顎もろたでぇ!」
倒れたネギに小太郎は無垢な笑みを向けた。だが倒れたネギはそれに答える余力すらなかった。
強すぎる。刹那と戦ったときに感じたものと同じ感覚が襲ってきた。いや、能力的には刹那が強いのかもしれないが、高さは違えど、ネギにとってはどちらも巨大な山と同じ。どちらも矮小な自分と比べてはるかに高いのならば、比べる意味等ない。
それでも、抗わないといけないと思った。ネギは知っている。刹那よりも、小太郎よりも、はるかに格上の異常者の強さを見ている。
「まだ、だ」
血を吐きながら、ネギはゆっくりと立ち上がった。口の中は引き裂け、上手く呼吸が出来ない。視界もぼやけたままで、全身に圧し掛かる重さは、水中にいるかのよう。
嫌がおうにも理解させられる。たかが五日間修行をしただけの自分の強さなど、所詮はこの程度。
けれど、踏み出した。だから、歩く。
この道を歩いてみせる。
「おもろいやんけ」
小太郎はぼろぼろになりながらも、光を失わないその眼差しを見据えて、さらに気を充実させた。認めよう。いけ好かない西洋の魔法使いと侮らない。自分と同じ歳でありながら、自分と同じく強さを求め、負けないという心を宿した立派な戦士。
それを手折れる歓喜を、この拳で示そう。小太郎は充実する気力を威力に変えて、飛び出した。
「な!?」
「後ろや!」
ネギの目の前から消えた小太郎が現れたのはその背後、振り返ろうとしたネギの頬にめり込む拳が容赦なくネギを吹き飛ばし──吹き飛んだ先に再び小太郎は現れた。
瞬動二連。一定の実力者なら扱える高速歩法を連続で行えるその技量は、最早問答無用でネギの上をいっている。
背中を蹴り上げられ、ネギは風に煽られる木の葉のようになす術なく夜空に飛んだ。取った。打ち上げたときの感触で、小太郎は確かな感触を覚えて勝利を確信した。
だが意識は繋がれる。光を失いかけたネギの瞳が再び輝く。
まだ、もう少し、この瞬間を待っていた!
空中で反転。真っ直ぐを見据える少年の瞳は、眼下の小太郎を確かに捕らえた。強く吼える。手に持った杖の感触だけを頼りに、砕けた視界でなお光れ。
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 闇夜切り裂く一条の光! 我が手に宿りて敵を喰らえ!」
距離は開いた。直後、ネギは本能のままに詠唱を開始した。膨大な魔力が、打倒を願う主の祈りに答えて、詠唱の通り、闇夜に白き光を照らし出す。
耐え切った。という事実に小太郎は僅かに驚愕して、己の失態に歯噛み。詠唱の隙を与えてしまった。それはつまり、西洋魔法使いの十八番。火力重視の強烈な魔法の展開という事実に繋がる。
「白き雷!」
世界を照らす白光が、一直線に小太郎へと降り注いだ。文字通りの落雷。天災の一撃を再現した渾身が落ちた先、しかしネギは止まらない。
小太郎は踏み止まっている。切り札にも近い護符の展開には間に合ったが、それらも全て焼ききれた。
「身体が……」
それでも、全力を込めたネギの魔法は防ぎきれない。身体に走った電流によって、一時的に小太郎の身体が麻痺する。
千載一遇のチャンスは来た。落下の勢いに任せながら、ネギは落下にかかる一秒に全てを賭ける。
「ラ・ステル・マス・キル・マギステル!」
着地、強化されているとはいえ受身も取らずに降り立ったネギの両足が悲鳴をあげるが、痛みを意識する暇なんてなかった。
手に宿る雷。動き出そうとする小太郎よりも早く放つのは初歩にして優秀な攻撃魔法。小太郎の腹部に添えた手のひらが紫電をほとばしる。全力全開、今出せる最速の魔法を放て。
「魔法の射手、連弾・雷の17矢!」
零距離魔法の射手。17にも及ぶ雷の矢が小太郎の腹に収束して、その身体を吹き飛ばした。並みの術者であれば一撃で意識を失ってもおかしくない火力は、小太郎ですら受けきれるものではない。何メートルも吹き飛ばされ、地面を転がり、そして起き上がることなく倒れたまま停止した。
「ハァ……! ハァ……!」
荒い吐息を漏らしながら、ネギは糸の切れた人形のように大地に倒れた。ぎりぎり、相手が晒した一瞬の隙に付け入ることが出来た。
勝利への執念だけが、小太郎という実力者にネギが勝る唯一つの武器だった。付け焼刃の強化魔法だけで、武術の心得のないネギに出来るのはこれが限界。
それでも勝った。僕は、勝った。
心の底から、言葉に出来ない何かがこみ上げる。それは胸にくすぶるもやもやを少しだけ消化して、ネギはぼろぼろの拳を強く──
「やるやないか。少しだけ、焦ったで」
握ろうとした矢先、倒れていたはずの小太郎がゆっくりと立ち上がった。
流石に威力を殺しきれなかったのか、膝は笑って、その口からは血が溢れているが、笑っている。
笑えるほど、痛いから、笑っている。
それを理解できないネギは驚き、焦り。
それを出来る人間だからこそ、小太郎は不敵だ。
「どうして立ち上がったか教えなくともわかるやろチビ助。俺がさっきお前を落としたと確信したとき、お前が意識を繋いでいたのと同じや」
負けたくないんだ。
それだけで、人は折れない。
「だが、今度こそお終いみたいやな。だが嬉しいで俺は、同年代でここまで張り合った奴はお前が最初や」
だから油断も慢心もない。小太郎は両足を開いて膝を折ると、己の内側で気を練り上げた。
ネギはその様子を見るしか出来なかった。豹変していく肉体。髪が色素を失い、月光を反射する白い髪が腰よりも長く伸びて、一本の白い尾が尻の辺りから生える。
肉体は音をあげながら変異し、華奢な肉体は筋骨隆々に盛り上がった。いや、その身体は獣のようになっていた。爪は伸び、指は太くなり、足の形は犬のそれ。
獣化。狗神使いの本領にして切り札が、指先を動かすのすら至難なネギに対して晒される。
「……ふぅ!」
だからネギは立ち上がった。敵わないという卑屈な思いを振り払って、身体を束縛する見えない鎖は断ち切って。
己の足だけで、立つという意思表示。
「おもろいで、お前」
小太郎は笑みをより深くした。大気すら奮わせる気は、先程の数倍にも匹敵するほどだ。最早満身創痍のネギなど一撃で葬れるほどでありながら、その佇まいに隙は微塵も見当たらない。
敗北の二文字がちらつく。負けるという結末。再び、繰り返すことになるのか。
幼きときに見た紅蓮に染まる故郷。
ゆっくりと凍っていくしかなかった大橋。
そのときのように、抗うことなく、負けるというのか。
「負けない……」
気付けばネギはそう呟いていた。手足は鉛、杖の感触すらすぐに失われそうになりながら。
「僕は、負けない……!」
吼える。あの日、吸血鬼の問いかけにうなだれるだけだったときとは違う。
はっきりと己を示す。ここで逃げれば、一生負け犬で居続けると思ったから。
「負けて、たまるか……!」
我を通せ。
逃げ道なんて必要ない。
「だったら無理矢理にでも負けを認めさせてやるで! ネギぃぃぃぃ!」
小太郎が大地を蹴った。瞬動。先程まで小太郎がいた場所が爆発して、ネギの視界から消える。
咄嗟にネギは杖を操作して空に飛んだ。ぎりぎりのところで小太郎の拳がネギの顔があった場所を突きぬけ、大気がねじれ、地が砕けた。
身体を動かせないネギに出来るのは、杖を使った飛行だ。だがこんな手品、もう一度だって通用しないだろう。
結局、逃げるのか。
違う。
僕は、戦うんだ。
だが現実は厳しい。抗う術はなく、一秒もすれば小太郎は空に舞うネギとの距離を詰めて、無慈悲な一撃は夜空に赤い花を咲かせることになる。
確定する敗北。
逃れられない現実。
届かない勝利を手繰り寄せる術は……一つだけ。
「おぉぉぉぉぉ!」
ネギは杖を手放すと、叫びながら小太郎目掛けて飛んだ。
面白いと小太郎は笑う。最後の足掻き、特攻。瀬戸際のカウンターしか残されていない。
男やないか!
小太郎は内心でネギを賞賛し、その気概に答えるべく、ありったけの気を右拳にかき集める。
最早、相手の生死など彼岸の彼方だった。あの敵を倒す。それだけが小太郎の全てで。
そのぎりぎりまで、思考をネギは手放さなかった。
考えること。それが弱者に出来る最後の抵抗。突撃という自爆で、ネギは一瞬で距離を詰めるはずだった小太郎に、自分が落ちるまで待たせるという時間を得た。
これによって得られる時間は一秒程度もない。
だがその抗いが、その一秒が、今のネギには何よりも必要だった。
それでも半ば無意識に近かった。削れていく思考の中、勝利を手に取るために必要な一撃を選択。その末に得られた回答は、やはり自爆しかなかった。
落ちるネギの身体から魔力が噴出した。いや、それだけではない。遅くなった時間で、小太郎は魔力を身にまとうネギから溢れる別の力を感じ取った。
魔力とは違う輝き。それは気だった。魔力が精神力なら、気は体力を削る。それゆえに元の体力は十歳のそれと同じネギが出せる気の量には限りがあり、だからこそ、この一瞬で吐き出せばすぐに尽きるものでしかない。
「ぎぃぃぃぃ!」
魔力と気の同時運用。だが本来反発しあうそれらを使用したネギの身体を激痛が襲った。刹那の短い間にすら、無限の激痛が脳髄を焼きつくす。半端な技量での魔力と気の運用が引き起こす結果としては当然であり、最悪の帰結。
だが繋げ。痛みに揉まれながら、ネギの瞳は小太郎を見据えた。これしかないのだ。土壇場で思いついた魔力と気の同時運用。これによって得られる最大威力にて、一瞬だけでいい、小太郎の身体能力を圧倒する。
足りない技量を、単純なスペックで上回るというシンプルかつ、出鱈目な回答だった。破綻するのが目に見える結論。死に急ぐデッドヒート。
それでも、必要なのは力だった。反発する魔力と気を強引に支配する。頭が沸騰するような錯覚を覚えた。意識が切れる前に激痛で死ぬ。そう理解した。
だがこの一瞬でやらなければならない。
束ねろ。
重ねろ。
集めて、隷属させろ。
「ッ!」
瞬間、ネギの身体が内側から輝いた。目を瞑るということはしなかったが、小太郎はその光に目を奪われた。
全てが零秒で起きた出来事だった。死に至る無謀が、裏返って力となる奇跡を零秒に見る。
それの名前をネギも小太郎も知らない。
だがそれは確かに存在する奥義。膨大なエネルギーを身につけたネギの今の状態。鼻はおろか両目からも出血するほどの危機を乗り越えて得られたたった一つの切り札。
気と魔力の合一という高難度の究極技法。
咸卦法。その切っ掛けを、ネギは極限状態の一瞬で手に入れた。
「届けぇぇぇぇ!」
落ちるネギが、小太郎の反射神経を超えた一撃を炸裂させる。人外に変貌した小太郎すらも上回る人外の一撃は、痛みに唸る暇も与えずに、小太郎を吹き飛ばしてその意識すらも焼き尽くす。
そしてネギは降り立った。身体の内側からこみ上げる得体の知れぬエネルギーに当惑しながら、ゆっくりと、今度こそ立ち上がらずに力尽きた小太郎を見据え。
「勝った」
あふれ出す力と、現実にしてみせた不可能の回答。
勝利という名の、飽きることなき最高の美酒の味。
「僕の、勝ちだ……!」
泣くように、勝利を叫ぶ。溢れる力は収まらない。脳髄は痛みを忘れ、歓喜の渦に飲み込まれた。
手に入れるということの甘美は、痛みと疲労を即座に吹き飛ばす。掴んだ実感、得られた光。
それを確かめるようにネギは己の両手を見つめて。
「……っ」
強く、ただ強く握りこんだ。
─
その光景に俺は涙した。
そっと、静かに頬を伝う水滴を拭うような野暮はしない。
嬉しかった。
ただただ、君の姿が美しくて嬉しかった。
ほらやっぱしそうだった。
君はやっぱしそうだった。
極限の状況下。君は直前で手に入れたんだ。よかった。本当によかった。今すぐ君の元に行って褒めてやりたかった。
よくやったね。
よく頑張ったね。
確かに光り輝きその強さを磨いていく。素晴らしいという言葉では言い表せない。
あぁ。
この気持ちをどう表現すればいいのだろう。
君が強くなっていく。
少しずつ。
少しずつ。
俺のところに近づいてくれている。
感動的だった。感謝すべき奇跡だった。神という存在を信じられるくらい、今の俺は感謝していた。
全てにお礼を言いたかった。君という奇跡に出会えた全てに感謝したい。ありがとうと声を大にして強く、強く。
そう。
思いっきり叫ぶのだ。
斬る。
「あ」
しまった。
思ってしまった。
内側から押さえつけていたアレが声を出して存在を主張する。
俺という自意識を斬り裂いて、俺という自意識が覚醒していく。
あぁ。
駄目だよ。
まだ、まだ駄目だよ。
でも。
うん。
斬ろう。
─
そして、爆音よりも静かな、だが何よりも存在感のある鈴の音が鳴り響く。
それだけで、そこに居た者達は己が斬殺される瞬間をはっきりと思い描いた。
聞きたくなかったその音を聞いてしまったこの瞬間、誰もが戦うという意識を喪失して、その音の先を見る。
知らなくても理解する。知っているから理解する。どちらであろうが関係なしに、理解させてしまうその音色。
美しくも悪夢的。
狂気的ながら清涼の歌。
響く音に停止した。
青山が、来る。
後書き
オリ主、痛恨の「あ」
そんなお話でした。