修学旅行当日、この五日間の特訓の疲労でぐっすりと眠った僕と明日菜さんは、木乃香さんに優しく声をかけられて起床した。
旅行を前にしたワクワクと、大事な使命を果たさなければならないという緊張感がない交ぜになって、僕らは顔を突き合わせれば曖昧に笑い合って、クラスの皆さんからは色々と冷やかされたりもした。
まぁ、正直言って楽しみです。
それにこの五日間、刹那さんの下で身体能力の強化と、ある程度の護身術を学んだおかげで自信もついたっていうのもあるんだけど。
この五日間を簡潔に言うと、僕は魔力による身体能力の強化はすぐに出来たので、それからは気の扱いを学びつつ、明日菜さんとともに刹那さんと試合をこなしてきた。その間に、明日菜さんは仮契約で手に入れたアーティファクトを使えるようになった。
ともかく、五日前の僕に比べれば、随分と強くなったという自信はある。それでも刹那さんには明日菜さんと二人がかりでもまだ勝てないんだけど……
「ふぅ……」
「緊張かい兄貴?」
「いや……うん。ちょっとだけね。何もなければいいんだけどとは思うけど」
カモ君の僕を案じる様子に、できるだけ不安を見せないように笑って答える。
学園長も言っていたけれど、危険になるのは本当に万が一だ。幾ら東と西の仲が悪いといっても、この旅行で僕を襲撃すれば組織としては動かなければならなくなり、場合によっては激突することもあるかもしれない。
そうなれば後は血みどろだ。子どもの僕にだってそれはわかるし、そんな組織間の力を削ぐようなやり方は、互いに本意ではないだろう。
精々、狙いは僕が持つ親書を奪うくらいの嫌がらせのはず。
と、思いたいんだけど。
「……大丈夫かなぁ」
「大丈夫だって! こっちには強い前衛が二人いるんだ! 何があっても姐さんがたが戦ってる間に兄貴がドカンと一撃かませばそれでオールオッケーよ!」
カモ君は強気にそう言うけれど、正直、僕は二人の力は出来る限り借りないようにしたいと思っている。
そもそも、彼女達は僕の生徒だ。僕は彼女達を守るのであり、本来その逆はあってはならない。
「……改めて言うけど、もう仮契約を勝手にやろうとか思ってないよね?」
「お、おう。そりゃもう、大丈夫だって」
どもったのが怪しいけど、納得するほかないだろう。
エヴァンジェリンさんとの戦いから少し経って、僕は仮契約を行っていこうというカモ君の言葉を全部否定した。
正直、あんな恐ろしい戦いに誰かを巻き込むなんて、僕はもう我慢できない。今だって明日菜さんを巻き込んだことを後悔しているくらいだ。
自分本意。
全てが我がまま。
そんなことに誰かを巻き込む。ましてやクラスの皆さんを巻き込むなんて許されない。
改めて思い出したんだ。小さい頃、村が炎に焼かれたあの日の惨劇の恐怖を。親しい人達が失われていく恐怖は、もう一度だって味わいたくない。
そう思いながらも、僕は結局今回の旅行に危険を持ち込んでいる。幾ら一般人を巻き込む危険は少ないとはいえ、万が一がありえる代物を僕は抱きかかえている。
僅かな不安と、大きな自己嫌悪。
それでもこれが立派な魔法使いとして、西と東という極東の一大組織の橋渡しになるのであれば、行う必要は充分以上にあるはずだ。
そんなことを考えながら、京都へ向かう新幹線の中。道中にも妨害があるかもしれないということで、クラスの皆の様子を見て回りながら、周囲を警戒していたら、刹那さんが席を立って僕のほうに寄ってきた。
「あの、ネギ先生……」
「あ、ハイ。どうしましたか刹那さん」
刹那さんの表情はいつもクールで凛々しいけれど、今の刹那さんは試合のときのようにぴりぴりとしている。
どうしたんだろうと思って首を傾げた僕に、刹那さんはそっと耳打ちしてきた。
「術者の気配がします。お気をつけて」
その言葉に、旅行で少しだけ浮かれていた気持ちが引き締まる。小さく頷いた僕は、懐から練習用の杖を取り出して、辺りを見渡した。
といっても、僕にはそういった探知能力みたいなのはないので、そういう部分は刹那さん頼りだ。
「ひとまず、明日菜さんにもカードを使って念話を。こちらに合流してもらいましょう」
「え、でも……」
「今更、巻き込むのは気が引けるとでも? それなら勘違いだ。あなたの持つ親書が送られれば長年の因縁に一応のケリがつく。そう考えれば、今は一般人とはいえ彼女の助勢も必要です」
僕の迷いを見抜いた刹那さんがはっきりと告げる。その言葉は言われればその通りであり、僕は言い返すことも出来ず、結局明日菜さんを呼ぶことにした。
「ネギ……!」
念話をしてすぐに明日菜さんは僕らのところに来てくれた。一応、一般人に見られないように人気の少ない車両と車両の間で僕らは固まると辺りを警戒する。
「……よし。では私は周囲の警戒がてらお嬢様の元に行きます。何かあれば、連絡用の護符で呼んでください」
「わかりました……!」
「それでは、ご武運を」
刹那さんは一礼すると、皆の居る場所に戻っていった。
そういうわけでここからは明日菜さんと二人だ。何処から来るかわからない相手に緊張感を高めていながら待っていると、何処からともなく楓さんがいつもののほほんとした面持ちで現れた。
「なにやら物騒でござるなぁネギ先生」
「楓さん!? えっと、その! こ、ここはあれです! ちょっとあれなので席に戻ってくださりませぬものでしょうか!?」
どうしよう!? いつ襲撃があるかわからないのに楓さんを巻き込むわけにはいかないよ! 「あんた、そんな慌ててたら何かありますよって言ってるもんじゃない」って明日菜さん! そんなに冷静に突っ込みいれてないでどうにかしてくださいよぅ!
「ふむふむ。どうやら何かしら問題がある様子……どうであろう? 拙者であればお手伝いするでござるよ?」
「え!?」
僕は驚いて楓さんを見上げると、頭にそっと楓さんの手のひらが乗っかる。
「なぁに。おそらくは先程から嫌な気を飛ばしている者と何かしら関係があるのでござろう?」
手のひらの感触の暖かさに心地よくなる暇すらなく、僕と明日菜さんは的確な楓さんの言葉に顔を見合わせた。
その様子を見て悟ったのだろう。楓さんは何度か頷くと「少なくとも、足手まといにはならぬつもりでござるよ」とさらに続ける。
「ですが……! 楓さん。こっちの世界はとっても危険なんです! 僕、僕は……」
「ふむ。やはりネギ先生と明日菜は何かあったのであるな。察するに……停電の日、何かあったのでござるか?」
「……なんというか、楓さんって、エスパー?」
「ただの忍者でござるよー」
と、指を立ててふにゃっと笑う。「それはそれでどうなのよ」と突っ込みを欠かさない明日菜さんとは違って、僕はその笑顔に頼もしさを感じて、ほっと一息僕は安堵のため息をついた。
なんというか、言っても駄目なんだろうなぁとか勝手に思ってしまう。そう思うのは僕の身勝手な妄想か。でも、だけど。
僕は、まだ弱いから。
「あ、あの……危なくなったら、逃げてくださいね?」
「それはお互い様でござるよ。それに拙者、逃げ足に関しては得意でござるゆえ」
安心なされよ。と何処か芝居かかった言い草で楓さんは言うと「それで今はどういった状況でござる?」そう聞いてきた。
こうなったら仕方ないと無理矢理納得して、ある程度かいつまんで今の状況について説明する。
「ほう。つまり、その親書とやらを届ければ、先生は安心して旅行を楽しめると」
「そ、そういうことです。それで、これが親書で……」
僕は懐に大切に仕舞っていた新書を取り出して、楓さんに見せた。
瞬間、楓さんの目の色が変わり、その右手が残像を残してぶれる。何かが切り裂かれる音と、遅れて床に落ちてきたのは──紙?
「ふむ。早速、役に立ったでござるな」
楓さんはそう言いながら、手に持ったクナイを器用に回して落ちた札を見つめる。
一瞬のことで僕にはわからなかったけど、間違いない。これって刹那さんと同じ式神っていう魔法の一種だ。
「ふむ……とりあえずそれは仕舞ったほうがいいであろう」
「あ、はい!」
慌てて僕は親書を仕舞うと、再び杖を構えようとして、その手をそっと楓さんに押さえられた。
「そんなに肩肘張っていては疲れるだけでござるよ。今のであちらもここで手を出そうとは思わないはず……ひとまず席に戻ってのんびりするでござる」
楓さんはそそくさとクナイを何処かに仕舞うと、元来た道を戻って自分の席に向かっていった。
「はー……刹那さんと言い、ウチのクラスって凄いのねー」
唖然と、というか驚きが大きくて唖然とするしか出来ない明日菜さんと、僕も心境は同じだ。
ともあれ、自分の力ではないにしろ襲撃を回避できたし、誰かが狙っているという事実もわかったから……うん。何とか頑張っていこうかな。
─
「……こんなんでよろしいんかいな?」
『上等だよ。これで僕らのことを彼は意識したし、青山も道中でネギ君を中心に絡んでいれば、そちらに意識が向くだろう』
護符を通して念話をするのは、新幹線の従業員として乗り込んだ千草と、京都で待つフェイトだ。
本来の計画なら、ここで混乱を起こして親書を一気に強奪するはずだったが、フェイトの助言により、一般人には混乱を与えず、ネギのみを狙う方向に切り替えた。
一体これに何の意味があるというのか。そう千草は思うが、先日、フェイトが青山と戦い、生き延びたというのを上司からも聞いているので、彼の実力は疑うまでもない。そんな少年が計画を上手く行う方法があるというのだから、八方手詰まりになっていた千草には渡りに船。というか半ば自暴自棄に近かった。
何せ、相手の護衛には青山が居る。だからこそ新幹線という場で全てに決着をつけたかった千草ではあったが、今はフェイトの助言を聞いていてよかったと安堵していた。
「全く、従者が居るなんて聞いていなかったですえ。しかもあの小娘、随分と腕が立つやないか。さらに神鳴流の使い手までいるとは、前途は多難やなぁ」
『式神の目で僕も見たが、確かにかなりの腕前みたいだね。だが彼女達だけなら、手持ちの札、二枚とも投入すれば抑えることが出来る。そして肝心の青山はネギ・スプリングフィールドの護衛だ……夜を待とう。上手くいけば、今夜中にお嬢様の奪還は可能だ』
「まっ、上の意見も無視しての単独行動や。今更はいそうですかと引くわけにもいかんしなぁ……頼むで新入り。あんたの腕だけが頼りだ」
『善処はするさ』
千草は護符を仕舞うと、襲い掛かってきた虚脱感に肩を落とした。
こうして行動をしてはいるが、正直、計画が成功するとは思っていない。
だって、青山が居る。使者に手を出せば、あの化け物と相対しなければならなくなる。
「ッ……」
そう考えるだけで千草の身体は震え、思わず両腕で自分の身体を抱きしめた。
「わかってないんや……あの化け物を。青山が何で青山って呼ばれているのか……」
西の組織の上に近い人物ゆえにその名前を知り、知っているが故に誰よりも恐れる。千草の上司も、先日、総本山で青山と出会ったときは震えるのを抑えて、虚勢を張るように苦言を語るしか出来なかった。
あれは異常なのだ。宗家、青山として生まれ、時代を担う後継者として育てられ、そしてずれてしまったから。だから、使者の妨害という隠れ蓑を用いて行うはずだった本来の計画すら、上は諦めるしかなくなった。
敵は青山だ。あれならば、計画の要である封印された鬼神ですら、敗北する可能性は高い。何故なら、あれは己の刀ただ一本だけで、恐ろしき力を持った鬼の頭領すら斬り落としたのだから。それを知っているからこそ、計画の破綻の確立は高いと理解していた。
「クソ……」
だがそれは抜きにしても千草は知っている。使い魔を通して見た、青山同士の壮絶な戦いと、その結末を。
だからこそわからなかった。どうして青山家はあの化け物を迎え入れた? 破門として、追放をして、そうすることしか出来ないくらいに圧倒的に狂ったあの人外を。
だって、知っているのだ。
あの戦いの顛末を、千草は知っている。
「青山……」
苦し紛れに呟いた一言。
脳裏に浮かぶのは、手にした刀ごと利き腕を斬り飛ばされた、歴代最強の使い手、青山鶴子が血の海に沈む姿と。
涙を流す少年が口を三日月に象りながら、己が斬り伏せた姉を見下ろすおぞましい光景。
「青山ぁ……!」
知れば、誰もが恐怖する。
だからこそ人は彼を、青山と呼ぶのだ。
─
襲撃は些細なものだった。とはいえ、油断したら親書を奪われそうなので、その都度、僕と明日菜さんと楓さんは、一般人に気付かれないように気をつけながら、襲撃を逃れていた。
人前ということもあり、襲撃が散発的だったのもよかった。刹那さんも時折僕たちを気にかけてくれたこともあり、とりあえずその日は無事に今日の宿にまで辿り着くことができて、僕はとっても満足していた。
むふふ。さりげなく風を操ったりしてサポートできたぞぉ。明日菜さんも何でか魔法系統を無効化にするハリセンで、上手く札とか無効化してくれたし。
特に楓さん。分身が凄くて、一に分身、二に分身、三四にニンニン、五に分身と、八面六臂の大活躍だった。
というか、ほとんど楓さんの分身が全部片付けてくれた。
うん。
白状する。
わかっているのだ。
僕と明日菜さんは、ほとんど何もしてません。
「正直、私らじゃなくて楓さんに親書預けない?」
明日菜さんの助言に思わず頷きかけるほど、楓さんは今日の襲撃を全て、事前に、完璧に防ぎきってくれた。
そりゃもう凄かったってものではない。
式による襲撃は分身が壁になって防ぎ。
僕らを嵌めようと待ち構えていた落とし穴は分身で埋め尽くし。
何故かお酒になった水を分身で飲みつくし。
ともかく分身、やはり分身。今日も明日も分身だけとばかり、分身がゲシュタルト崩壊するくらい、分身尽くしの今日であった。
というかここまでやって誰にも異常を悟られないのはどうしてなんだろう。それだけが不思議である。
「なんにせよ。これで今日は一安心──」
「なわけありません。結界の準備をしますよ」
ほっと一息入れようとした僕らに忠告をしてくれるのは、いつもの刹那さんである。手には数枚の護符を持ち、辺りを見れば何枚かすでに張ってある。
現在、宿に到着して食事も終わった後の自由時間だ。クラスの皆に部屋に来てと誘われたりしたけれど、それを何とか振り切って、宿のロビーに僕らは集まっていた。
「むしろ寝静まる頃こそ警戒してしかるべきです。一安心など持っての外……ていうか、楓、あなたもこちら側の人間だったのですね」
「なんのことやら」
茶化すように笑った楓さんに、刹那さんはそれ以上追及することなく、再び僕のほうに向き直った。
「今のところ、新幹線のときのように露骨な気配は感じませんが、何処に襲撃者がまぎれているかわかりません。一応宿全体に護符は貼りましたが、ネギ先生自身も結界を張って警戒するようにしてください。当然、親書はちゃんと持っていてくださいよ?」
「は、はい!」
「よろしい。いい返事です」
刹那さんはふんわりと優しく微笑み「では、お嬢様の部屋の護符を貼りに行きます」と言ってその場を後にした。
「いやー仕事人って感じだよね刹那さんって」
だからこそ、何とかしてあげたいなぁという明日菜さんの意見に、僕も同意であった。
木乃香さんの話だと、小さい頃はよく遊んでいた彼女の幼馴染らしく、何故か今は接する機会がなくなったらしい。木乃香さんは刹那さんに嫌われたのかなぁと寂しげに言っていたが、あの忠犬の如き姿勢を見れば、それはないということくらい僕にだってわかる。
「どうせだから、これを機会に仲良くなれるように出来ないかしらねぇ」
「そういうのは余計なお節介でござるよ。こういうのは、当人同士、ゆるりと展望を待つのがよいでござる」
「そんなものかしら?」
「そうでござるよ」
そうなのかぁ。明日菜さんと二人、楓さんの意見に納得。ってそんなことをしている場合じゃない!
「僕、早速部屋に戻って結界を張ってきます!」
「あんたそんなのもできたの?」
「えっと、こういうこともあろうかと魔法学校の事典と各種魔法薬も持ってきたので、なんとかそれなりには出来ます」
これは刹那さんとの特訓で思い知ったことだ。僕なんかの戦闘力ではたかが知れている。だから事前の準備が大切だと思って、しっかりと荷物を持ってきたのだ。
惚れ薬の件もあるので、明日菜さんは納得してくれたらしい。楓さんは……にんにん。
「では、拙者も一つ働くとするか」
そういい残して楓さんはあっという間にいなくなってしまう。
こうしてロビーには僕と明日菜さんの二人だけ。とはいってもすぐにクラスの誰かに見つかるとは思うけど。
「明日菜さん」
「ん?」
「ありがとうございます」
今だから、感謝しなくちゃいけない。僕はこれまで結局言おうとして言えなかった言葉をようやく言えることが出来た。
「ちょ、いきなりどうしたのよ」
明日菜さんは僕の言葉の意図がわからずに混乱している。
でも、僕はとっても感謝しています。あんな怖い目にあったのに、それでも僕の傍から離れずに、それどころか守ってくれている。
本当に。本当に、明日菜さんがいてよかった。
「僕、明日菜さんにお礼を言うしかできませんけど……絶対に、明日菜さんが困っているとき、僕、力になりますから」
「んー……なんだかわからないけど。まっ、何かあったらよろしく頼むわ」
だから今は行きましょ? 明日菜さんは得意げに笑ってくれる。
「はい!」
よし、頑張ろう。僕は杖を握ると、明日菜さんとともに自分の部屋に戻ることにした。
後書き
Q.オリ主出てないじゃん!
A.ネギ「振り返れば奴がいる」
そんなお話でした。