特に怪我もなく帰ってきたフェイトを見て、それだけで千草は目を見開いて驚愕していた。
「よぅ生きてましたなぁ……もしかして、戦わなかったとか?」
そうだと思えば納得できる。結局、フェイトは青山と戦わずにおめおめと逃げてきたのだろう。
だがフェイトは無表情のまま首を横に振った。
「いや、やってきた……正直、君の言うことを過小評価しすぎた」
「んな……あんさん、あの化け物とやってきて、それで生き延びたんどすか?」
「一方的に弄られたけれどね」
そして千草には言わないが、まず間違いなく自分は手加減されて生き延びたとみて間違いないだろうとフェイトは確信していた。
何故、という疑問はある。御しやすい相手と思われたのかとも考えるが、そうでもないだろう。一分程度手合わせしただけだが、青山はぎりぎりで手加減はしていたけれど、それは決して本気を出していなかったというわけではない。
ならばどうしてなのか。フェイトが考えることはそこだけだ。神鳴流の流れを組んだ剣術を駆使していたところからして、前衛を幾人か増やし、自分は遠距離から砲撃を繰り返せば、かなりの高確率で制することは出来る。そしてその前衛に関しては、今回の計画が成功することで手に入ることが出来る。
当然、こちらの計画は未だ漏れてはおらず、相手が出来ることといえば、精々今回の襲撃を踏まえて、総本山の警護をさらに厳重にする程度だ。
たった一つの不確定要素が、こうも頭を苛む。しかしフェイトの個人的な目的を果たすためには、青山という存在はあまりにも厄介極まりないものであった。
だが迷っているにはあまりにも計画までの時間が短い。リスクは覚悟で、フェイトは脳裏で計画の方針を改めた。
「すまないけれど、計画を少々変更してもらっても構わないかな?」
「……勝算は?」
ある。とは強く言えない。だが少なくとも、座して待つよりははるかにマシである。
「まぁ、最低限はしてみせるさ」
問題がさらに増えたな。フェイトは内心で苛立ちとともにそう毒づいた。
─
「正直、先生がここまで使えないとは思いもしませんでした」
痛烈であった。直球で心をえぐる一言に目を白黒させて、ネギは力なく膝をつく。
「うぅぅ。明日菜さぁん」
「ごめん。弁解できないわ」
唯一の味方であるはずの少女もそこには同意なのか。視線を逸らして言い辛そうに呟いた。
「おしまいだぁ……僕はもう駄目だぁ」
「あ、あ。で、でも! 遠距離からの魔法に関しては目を見張るものがありましたので! 優秀な前衛が居るのを考えれば充分だと思います!」
慌ててど真ん中をえぐった少女、桜咲刹那がフォローに入るが、それでも打ちのめされたネギはしおれたままである。
まさにしなびたネギだ。力なく倒れたアホ毛が妙に哀愁を誘った。
時は放課後の相談から少しばかりしか経っていない。ネギ、刹那、明日菜、そしてカモのご一行は、人払いの結界を敷いてから、ネギがどの程度自衛できるのかを確かめるために、刹那と一対一で試合を行ったのだが。
結果は、無手の刹那に対して、ネギは初手に魔法の射手を放ち、それを防がれ、次の詠唱を行うよりも早く間合いを詰めた刹那に制されてあえなく完敗、といったところだった。
「んー。でもさぁ刹那さん。前衛ってのを私と刹那さんがするなら問題ないんじゃないんですか?」
そんなこんなで、観客として試合を見ていた明日菜の素朴な疑問に、刹那は特に否定するでもなく、普通に頷きを返した。
「ネギ先生を特使として考えて、私たちがそれを護衛するに足る人間であればそれでいいのですけどね。問題なのは、今回の旅で私はそもそも彼の護衛に専念するでもなく、神楽坂さんに至っては本来は関係ない一般人です。とあればネギ先生の警護は完璧とは言えず、必然、万が一を考えた場合、自衛の手段は必要です」
「だけど、ネギには魔法があるでしょ?」
初手で全てが潰されたとはいえ、ネギが放った魔法の射手の威力と数は、素人である明日菜の目から見ても凄いというのはわかった。
その威力があればそう安々と負けることはないのではないか。そう思っている明日菜に、刹那は「先程の戦い、何であっけなく決着がついたのでしょうか?」そう聞いてきた。
「何でって……あ」
「そう、ネギ先生は距離を詰められれば、ただの子ども程度の能力しかない」
明日菜が思い至った答えを刹那は代弁した。
砲台の役割としての魔法使いとすれば、ネギは充分以上の実力があるだろう。しかし、今回の特使としての役割は、それだけでは足りない。刹那はネギばかりにかまけていられないし、明日菜は仮契約を行い、人並み以上の身体能力があるとはいえ一般人。
ならば、ネギ自身にも相応の力は必要になってくる。
「でもさ刹那さん。こいつ、まだ十歳のガキンチョだよ?」
「だが教師で、さらに言えば学園長から依頼を正式に受けた人間です……それに、圧倒的な天才は、ネギ先生の年齢から頭角を現している」
そう呟いた刹那の目が少しだけ暗くなる。だがすぐにその闇を振り払うと、刹那は「ともかく」と話を戻した。
「残りは五日、その間に最低でも自身への魔力供給による身体能力の上昇くらいは覚えていただきます。私は気を扱うので、厳密には違う系統の話ですが、コツなどはおそらく同じなはずです。それに平行して気の扱いの練習もしていただいたほうがいいかもしれませんが……大丈夫ですか?」
「はい……ちょっとくじけそうでしたけど、大丈夫です」
まだ少しだけ涙目だけれど、ネギは立ち上がって刹那の提案に頷いた。
そうだ。落ち込んでいる余裕なんて何処にもない。あの戦いを経て、己の力が無力でしかないことなどわかったはずだ。
ならば、ここから始めていく。胸のもやもやを払拭するために、自分はもっともっと強くなる。
そうした少年らしい真っ直ぐな誓いを胸に、この日からネギは加速度的に強さを手にしていく。
それこそ、当人や周囲の人間すら驚くほどに。
だからこそ、誰も、本人すらも気付かない。
そこまでして何故強くなろうとする。
どうして強さにそこまで固執する。
何故、どうして。天才とは言われながらも、復讐のために戦闘用の魔法を手に入れながらも、これまで以上に強さを求めはしなかったというのに。
どういうことなのか。それはきっと、ネギすらわからない。胸の中に潜むもやもやのせいなのか。
その答えを知る者はきっと、ネギの変化を知れば冷たい瞳の奥に、ほのかな喜びを浮かべたに違いない。
─
絡繰茶々丸はロボットである。それこそ、機械オンチな人間から見れば、ただの人間と見分けがつかないほど、彼女は人間を模して精巧に作られたロボットである。
心の如きAIに、人と同じように感情表現を表すことが出来る性能。さらに身体能力は常人をはるかに圧倒し、魔力や気で強化された術者にすら、その単純なスペックで圧倒する。
そして彼女の優れたAIを使ったハッキング機能や、各種武装の取り扱いによる完璧なサポート機能。
まさに至れり尽くせりの近未来型スーパーロボットとでも言える彼女は、ともかく人間ではなく、厳密に言えばやはりロボットなのである。
だからこそ、青山はそのことを見逃し、決定的な証拠を与えてしまったのだった。
麻帆良学園のどこかにある一室。カーテンも締め切り暗くなった室内で、唯一の光源であるモニターに映っているのは、大停電時に行われたエヴァンジェリンと謎の男の一戦であった。
そのモニターを見つめるのは三人。三人共、ネギのクラスメートである。
「……とまぁこのとおり、いつの間にかこの学園内に、全盛期の力を取り戻したエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと、なんの冗談かモップで互角に渡り合った猛者が居るのが判明したネ。正直、今後の私たちの計画に大きな障害となるのはまず間違いないと見てもいいヨ」
僅か一週間にも満たない時間の間に、科学研の技術を全て注いだロボットである茶々丸が、二回も修理に送られるという事態。一度目は何が起きたのかも茶々丸の映像からではわからなかったが、二度目は、四肢を破壊されながらも茶々丸はその映像は克明に映すことに成功していた。
藍色の着物を着てモップを片手にエヴァンジェリンの猛攻を凌ぎ、さらに不死の肉体に回復すら難しい傷を与えるという異能。
「調べによると、彼はネギ先生が就任する一ヶ月程度前に麻帆良学園の清掃員として来たね。あまりにも地味であったために完全にマークから外れていたが……まさか、あんな隠し玉を学園が招き入れていたとは」
本当に予想外である。見た目は飄々としながらも、内心で苛立ちを隠しきれずに、超鈴音は深くため息を吐き出した。
「えーっと……茶々丸が記録した映像データを元に、彼、青山さんの戦力を換算したところ。低く見積もってAAA。高畑先生クラスであると思います」
パソコンの映像を見つめながら、葉加瀬聡美が最早笑うしかないといった風な笑みを浮かべながらそう言った。
低く見積もって、タカミチクラスの実力。それはつまり、最大限に警戒するのであれば、青山はかつての大戦の英雄。サウザンド・マスターと同レベルに考える必要があるということになる。
「……そもそも、彼はどういった経緯でここに来たのか。どういう目的があるのか。強い者と戦いたいというだけの理由であれば、与しやすいと思うが?」
最後の一人、龍宮真名がそう意見を言ってきたが、超は首を振ってそれを否定する。
「残念ながらそれは違うネ。一度目の映像の後、彼と学園長との会話記録を調べたのだが、彼の目的はネギ先生の護衛、その一点であるということがわかったネ」
「つまり、彼は学園側の人間である。そういうことかい?」
「しかも、他の魔法先生にも知らされていないところからみると……懐刀と見たほうがいいアル」
その一言で、ただでさえ暗い室内にさらなる暗い雰囲気が漂い始めた。
今年の麻帆良祭で行うはずだった一世一代の計画。そこに突如として現れた最大の障害は、流石の超ですら青山という化け物の存在までは予測できなかった。
「……もしも彼が敵に回った場合、学祭中に使用できる切り札を扱えるのを前提としても、我々の敗北はほとんど確定ヨ」
楽観的に見積もってもタカミチが一人追加されるという現実。しかもアレは、戦闘映像を見る限り明らかに立派な魔法使い、つまりは正義の味方などではない。そうした類とは種類の違う、別物の化け物。
端的に言えば悪という部類に属するものであろう。
「だが、我々は今更計画を諦めるわけにはいかない」
超はそう言ってから静かに語りだす。
「彼を調べ上げ、如何にして対処するか。今後はそこに重点を絞って、計画の見直しなどを進めていくが……さしあたっての情報として、今彼が京都に行っているということがわかっているネ」
京都といえば、彼女達が数日後行くことになる修学旅行先と同じだ。そしてそこにネギが行くことからも、彼の目的の概ねは把握できるだろう。
だからこそ彼がどういう状況で動くのか。どうやって護衛を行うのか。様々な場所から覗くチャンスとも言える。
「そこで龍宮サンには一働きしてもらうネ」
「察するに……例の青山という男を見つけ出し、京都における行動を監視。可能であれば、無力化の算段を考えろとでも? 映像を見る限りでは、この依頼……高くつくぞ?」
「そこは承知の上ね。こちらからは無理を言って茶々丸に修学旅行とは別口で京都に行ってもらったネ。今頃ある程度の情報は調べているはずだから、私も可能な限り協力はおしまないヨ」
その言葉に真名は僅かに驚いた。超自らこの危険な依頼に関わるというのは、これまでなら考えられないことだ。
「……お前は裏方で暗躍するタイプだと思っていたのだけどね」
「そうも言っていられない状況ヨ。それに──」
「それに?」
「いや、なんでもないネ」
超の歯切れの悪い言い方に疑問を覚えながら、特に何かを聞き出すでもなく、真名は一応の話の区切りがついたものと見てその場を後にする。次いで聡美もパソコンの電源を落とすと、そそくさと部屋を出て行った。
そして一人、モニターの光だけの暗がりに残った超はスッと目を細めた。
「青山……」
その名前は超もある程度は知っている。映像と照らし合わせれば、おそらくは神鳴流の流れを組むのは、武術にも長けている彼女であれば見当はつく。
青山。神鳴流が宗家にして、神鳴流でも郡を抜いた実力を誇る化け物どもの名称。裏に通じていれば、特に日本という極東の裏を知っていれば、誰もが聞いたことのあるその名前。
だからこそ、疑問だった。
だからこそ、恐ろしい。
「お前は……」
未来人という、誰に言っても信じないだろうから誰にも言っていない彼女の出生。未来から来た人間である彼女は、この時代に転移するに当たって、可能な限りその時代の情報を調べ上げた。そうすることで、自身の計画においてもかなりのアドバンテージになるからだ。
だからわからない。
何でだ、という疑問がわく。
なぜならば。
「一体、何者ネ」
超の知る未来に『青山と呼ばれる男は、この時代に詠春しか存在しなかったはずなのだ』。
闇の福音と互角の実力を持ちながら、それほどの強さを持ちながら、超の知る未来には存在すら見当たらなかったおぞましさ。
そこが、己が動く必要があると思うくらい、超が青山を警戒する理由に他ならなかった。
─
そして、それぞれの思惑を乗せて、修学旅行は賑やかな喧騒とともに始まりを告げる。
最早、超の知る未来とは異なるこの世界で、犯してはならぬルールは一つ。
鈴の音だけは鳴らしてはいけない。
それだけだ。
後書き
にこにこ修学旅行の始まり。